第七星『星の責務』
その日、トリスタは懐かしい夢を見た。
温かくて楽しくて──でも寂しい、そんな夢だった。
たけど、目が覚めたら全て忘れてしまっていた。
覚えていたかったはずなのに。忘れてはいけないはずなのに。
頬に流れた涙を拭って、トリスタは寝台から起き上がった。
そして窓の横のカーテンを開けてみて驚いた。
外はまだ雪が積もっていて、空も寝る前と変わらず暗かったからだ。
早く起きすぎたのかもしれない。
そう思ってもう一度寝ようとすると、耳元の通信器が鳴った。
「──はい、トリスタです」
『おはよう、トリスタちゃん。よく寝たみたいだね』
「えっ。今何時ですか?」
『聞いて驚けっ、もう朝の十時だよ!』
「えっ、嘘ですよね?」
普段のトリスタであれば、既に仕事を始めて
いる時間だ。
『星は嘘をつかないよ。さ、起きて起きて。今日も今日とて仕事だよ。安心して。まだ眠くても、この街を出れば一気に目が覚めるから』
★☆★☆★
「──わ。眩しい」
突然目に入り込んできた光に、トリスタは目を細める。
「ほら、目が覚めたでしょ?」
確かに、陽光の下に出た途端、頭の中がシャキッとした。
お陰で、周りの景色が鮮明に映り始める。
トリスタが今いるのは、鬱蒼とした森の中のようだ。
仕事のために連れてこられたが、場所名は告げられていない。
「ここはどこですか?」
「ここは、クラテニオ大森林だよ。危ないから、絶対に僕のそばから離れないでね」
「えっ!? クラテニオ大森林ですか!?」
「大声も出さない。殺されちゃうよ」
「は、はい……」
クラテニオ大森林というのは、この世界にある人類の多く住む地域の中で、唯一『街』の名を冠しない場所だ。
にも拘らず土地面積は世界最大で、一番大きい街の熱砂の街の1.5倍もある。
そして、クラテニオ大森林が有名なのは、その大きさだけではない。
「来た。トリスタちゃん、動かないで」
ニータに促され、トリスタはその場でしゃがみ込んだ。
手で口を覆い、呼吸音でさえも外に漏れないようにする。
しばらくすると、少し離れた所の茂みが音を鳴らし始めた。
トリスタは恐怖に震えながら、その音が消えるのを待つ。
「よし、もう大丈夫だよ」
ニータが立ち上がったのでトリスタも立ち上がり、周辺の様子を窺う。
「良かった、トリスタちゃんもここのことは知っているんだね」
「学校で習いましたから」
クラテニオ大森林は、世界で最も危険な場所だ。
一度は入れば、生きて帰ってくることはできない。
道に迷って餓死するか、血に飢えた獣に噛み殺されるか。果ては、戦争に巻き込まれて息の根を止められるか。
「さっきのは鬼族だったようだね」
「どうして分かったんですか?」
「星は何でも見ている──まあ、単純に重い足音と息遣い、ミラの流れで分かったんだけどね」
簡単なことだよ、とニータは言うが、トリスタには到底できる芸当ではない。
感じ取れたのは自分の恐怖だけだ。
「鬼族は単身で何かを探しているようだ。気を付けて動こう」
「気を付けてって──。こんなところで星を探すんですか?」
「そうだよ。他に何をしに来ることがあるの? この
さも当然かのように言うが、何をするためにしてもこの森に来た理由が理解できない。
だって、この森は今もなお大戦争の余波が残っているのだから。
「大丈夫だよ、トリスタちゃん。ぼくの手を握って」
差し伸べられたニータの手を握ると、何とも言えない感覚が伝わってきた。
温かくも、冷たくもない。ただ、無機質だ。
「すまなかったね! 人間みたいじゃなくて! とにかく、ぼくに触れていれば危険なことはないよ。安心して」
「星がある場所に検討はついてるんですか?」
「いいや?」
またもや、ニータは当然のように首を振る。
「だけど、ここには数え切れないほど星が落ちてるんだ。最近来てなかったし、すぐに見つかるんじゃないかな。──ほら、あった」
「ほんとだ」
ニータの指差した先に、小さいが白い靄がある。その周辺を見てみても、いくつか星になる前の靄がぽつぽつとある。
「こんなふうに、一つ見つかったら他にもたくさん見つかるんだ。一つ一つは小さいけどね。こういう小さいのも星にして空に揚げるのがぼくの義務なのだよ」
「──あ」
「ん? どうしたの?」
ニータが話しながら靄を星にしていくのを見ながら、トリスタは思い出したことがあった。
「ニータさん、昨日、言ってましたよね」
「何をかな?」
「仕事が終わったら私の質問に何でも答えるって」
「ああ、言ったね。思いついたのかな?」
「──ニータさんは、どうしてこの仕事を始めたんですか?」
「あー」
ニータはトリスタの質問を聞くと、少し迷うように目線を上に向けた。
「トリスタちゃんが他のことを差し置いてどうしてこんな質問をしたのかが気になるところだけど──、いいよ、答えるとしよう。実は、ぼくがこの仕事を始めたのに理由はないんだ」
「え? でも──」
理由がなければ、わざわざ魔女に弟子入りすることもないのではないか。
「まあまあ、待ってよ。ちゃんと聞いてて。ぼくはね、生まれたときから──ううん、生まれる前から、この仕事をするって決まってたんだ。でも、この世界の家業を継ぐようなものとは違う。始めから、この仕事をするためだけに、ぼくという存在は誕生した。星を拾って空に揚げることがぼくの責務だから、ぼくはこの仕事を続けているんだ。よって、始めたのに理由はない。ぼくも、トリスタちゃんみたいに理由があればいいんだけどね」
「他の仕事をしようとは思わなかったんですか?」
「うん? この仕事をしなければ、ぼくが存在する理由はない。他の仕事だなんて、考えたこともないよ。まあ、魔女になりたいと思ったことはあるけど」
「魔女に、ですか?」
「うん。魔女になれば、あの考えの読めない師匠の友だちになれるかもしれないでしょ? まあそれは絶対に無理な話なんだけど」
「どうして魔女様とお友だちになろうと?」
「何だか尋問を受けているような気分になるね。──そうだね。友だちになれば、もっと楽しく会話ができると思ってたんだ。ああ、でもそれは自分の力で解決したんだっけ。結局、願いは叶ってるわけだ」
「そうだったんですね。私も、魔女様とお話してみたいです」
「ラリアンさんなら簡単だよ。師匠は面倒臭がりだから、どうしても会話がしたいなら隣でずっと喋っておくのが有効だよ。そう、ぼくみたいにね。そうだ、今回の質問はあまりいい答えができなかったから、師匠の好きなものでも教えてあげよう──」
そうして、師匠と弟子の会話はしばらくの間続いた。
★☆★☆★
「よし、大分見つけたね……っと、トリスタちゃん大丈夫?」
「すみません……」
トリスタはフラフラと体をよろめかせ、力の入らない足の膝に両手をついた。
朝から星を探し始めて、もう五時間は経っている。
太陽が真上を通り過ぎたのも、一時間も前の話だ。
「さすがに疲れちゃったか。ごめんね、気配りができなくて。少し休もうか」
「は、はい……。それはありがたいんですけど……」
「ん?」
「お、お昼ご飯……」
「おひる……? ん、ああ、そうか! もう半分を過ぎてるもんね! 気が付かなくてごめんね! 何が食べたい?」
「み、ミートパイ、ですかね」
「分かった! すぐ持ってくるから、トリスタちゃんはここで待ってて。──あ、そうだ。はい」
ニータは思い出したようにゴソゴソと首にかけていた首飾りを外すと、トリスタの首にかけた。
「これは姿隠しの術がかかった魔導具だよ。肌身離さず持っていて。あと、何かあったらすぐに連絡して。くれぐれも、ここから動かないように。分かった?」
「分かりました」
「よし、じゃあ行ってくるね!」
ニータはそう言って手を振った後、パッと姿を消してしまった。
トリスタは倒木の上で脚を揺らして空を見上げる。
ここに来るまでの間、ニータからたくさんの話を聞いた。
昼間に世界を照らしているのは一番星──、別名太陽であること。
昼間でも、太陽の他の星たちも輝いていること。
後は、ニータが太陽を好まないこと。
理由は教えてくれなかったので、昨日のような機会があれば聞いてみたい。
そうして空を眺めながら呆けていたせいで、トリスタは近付いてきた影に気が付かなかった。
「た、すけて……」
突然、掠れた声が耳に入り、トリスタは体をビクつかせる。
顔を正面に戻せば、少し離れたところに真っ赤な血を見た。
「──っ」
肩から血を流した少年が、体を引きずりながらトリスタに向かってくる。
たぶん、トリスタのことは見えていない。だから、見て見ぬ振りをすることはできる。
だがこのまま放っておけば、この少年は死んでしまうだろう。
どうしよう──。
トリスタは瀕死の少年を目の前に、ニータからもらった首飾りを握りしめた。
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