第六星『星涙』

「──じゃあ、手を貸して」


 星返しの儀式は、実験場を貸し切って始められた。

 貸し切る──とは言っても、合法的ではないと思われる。

 何故って、まだ短い付き合いではあるが、ニータがわざわざそんなことをするとは思えないからだ。


 それにしても、もう空が暗くなっていることには驚いた。

 今朝からトリスタはニータの弟子になったが、その後星空の街に行って魔女に会って、それからこの叡智の街にと、ひどく忙しい一日だった。

 それも、この件が解決すればもう終わりだ。


 無事に、アーデルハイトの星が──魂が、彼女の中に戻ればいいのだが。


 アーデルハイトの手に触れたニータは、にこにこと笑って言った。


「緊張しているみたいだね。記憶が戻るのが怖い?」


「私が一体何をしたのか……分かるのが、怖いです」


「大丈夫だよ。ほら、ここに手を伸ばして」


 ニータはアーデルハイトの手を、ある一箇所へと促した。

 そこには側から見れば何もない。だが、トリスタは知っていた。そこには、アーデルハイトの落とした星があることを。

 実を言うと、トリスタも今は眼鏡をつけていないので、星がどこにあるのか詳しくは分からない。

 だが、アーデルハイトが導かれるようにそこに手を伸ばしたのを見て、星の位置の確信を得た。


 友人その他に見守られながら、アーデルハイトは星に触れた。

 ──がしかし、目に見えては何も起こらなかった。

 トリスタはてっきり、何か目に見える変化が起こるのではないかと予想していたのだが──。


「あ、あ……っ」


 ──いや、変化がなかったと言うわけではなかったようだ。

 ただ、それが目に見えるものではなかったというだけで。


「デル……っ? 何が起きたのっ?」


 アーデルハイトが、肩を揺らして涙を流し始めたのだ。フェルナンドに背中を摩られ、アーデルハイトは荒い呼吸を繰り返す。


「ナン、ごめん、忘れてて──。私、私……!」


「思い出したの?」


「うんっ。全部、思い出した……!」


「良かった、本当に良かった……」


 フェルナンドもアーデルハイト同様に涙を流し、友人を抱きしめる。

 トリスタはもらい泣きしそうになりながら、隣に立ったニータを見た。

 すると何故か、彼女は腕を広げてトリスタを見つめていた。


「……ニータさん? どうしたんですか?」


「いや、そういう雰囲気かなって思って」


「……すみません、ちょっとよく分からな──わっ」


 トリスタがニータの不可解な行動に戸惑っていると、突然思いもしない方向から抱きつかれた。


「ありがとう、シェイファーさん。私たちのこと、諦めないでいてくれて」


 そう言って抱きついてきたのは、意外にもフェルナンドの方だった。

 涙ぐむ彼女の感謝の言葉に、トリスタは首を振る。


「いえ。感謝すべきは──」


「分かっているわ。でも、あなたの言葉に心を動かされたのは本当だもの。ニータさんも、ありがとうございます」


「どういたしまして。ところでデルさん」


 ニータが何の前振りもなくアーデルハイトの方を向いた。

 彼女は自分に話しかけられるとはあまり考えていなかったのか、少し驚いた様子だ。


「あ、はい」


「これ、落とし物だよ」


 ニータは不意にどこからか何かを取り出し、アーデルハイトに手渡した。


「これは──。でも、どうして」


 アーデルハイトはそれに見覚えがあるのか、何度も目を瞬かせた。

 彼女の手のひらの上に載っていたのは、虹色に輝く球体だ。

 ポケットから取り出したにしては大きい。むしろ、トリスタがいつも持ち歩いているポシェットに入れても、はちきれてしまいそうなぐらいの大きさだ。


「これは何かしら? デル、もしかして、あなたの」


「うん。私の実験対象だけど……。どこで見つかったんですか? 確かこれは、あの時に壊れたはず」


「ええ。私もそう思うわ。デルが倒れているのを見つけた人も、実験対象が見つからなかったと言ってたし」


「それは企業秘密だよ。デルさん、それ使ってみてよ。ぼくも気になるんだ。本当にアレが成功するのか」


「それはそうですが……」


「アレ?」


 ニータがわざわざ伏せて話すので、トリスタとフェルナンドは完全に置いてけぼりだ。


「そう、アレ。まさか、その夢見用の魔導具でアレをしようとするなんて。成功したら、師匠もきっと目を丸めて驚くだろうよ。ほら、やってみて!」


「でも、また同じことになるかもしれないですし」


「大丈夫大丈夫! 今度はぼくがいるから! 心配しないで! 魔女におぶわれた気分でいてよ!」


 ニータは自分に頼れという慣用句を使いながら、気楽そうにアーデルハイトの背中を押す。

 しかし、こちらからしたら訳が分からないので困惑するばかりだ。


「あの、アレって何なんですか?」


「それは、この後のお楽しみ! ささ、もう後には引けないよ!」


「分かりました。──やってみます」


 アーデルハイトは何かを覚悟したかのように頷くと、球体を手に持ってフェルナンドに近付いた。


「ナン、動かないでね」


「え、私!?」


 まさか自分が関わるとは思っても見なかったのだろう。フェルナンドは目を丸くした後、緊張した面持ちで友人の合図を待った。


「リーリナ・ザータ・シューフィア──」


 アーデルハイトは術式を唱え始め、それは途切れなく続く。

 単語が五十語を超えた頃、彼女は伏せ目がちだった目を真っ直ぐフェルナンドに向けた。


「──サン・ミラル・ドゥーア」


 それが術式の最後の句だったようだ。

 アーデルハイトの持つ虹色の球体が、眩く輝き始める。彼女が球体を頭上に掲げると、球体から筋のような光がフェルナンドに向かって伸び始めた。

 光は瞼を下ろしたフェルナンドの額の中へと消えていく。


「──ナン。目を開けてみて」


 光が消え、アーデルハイトは腕を下ろして言った。

 フェルナンドは、徐々に瞼を上げていく。

 一体何が起こったのか──と、トリスタはその様子を固唾を呑んで見守った。


「──あ」


 フェルナンドは俯いて小さく声を漏らした。


「デル、あなた、まさか──」


「ダメだった? そうだよね、そう簡単には──」


 言いかけたアーデルハイトの体を、フェルナンドが掻き抱いた。

 彼女はアーデルハイトを抱いたまま、肩を震わせる。彼女の目から零れた滴が、頬の涙の跡を辿って流れた。


「いいえっ。そうじゃないのっ。ほんとに、デルったら、バカなんだから……。こんなことのために、危ない真似して……っ」


「じゃあ──」


「ええっ、成功よ! あなたの実験は成功したのよ。あなたの瞳も、髪も、何もかも、全てに色がついてる。もう白黒じゃないのよ。デル、あなたはほんとに天才だわ……っ」


「あれ、バカなんじゃなかったっけ?」


「バカよバカ! バカも大バカ! 私のために怪我して記憶も失くしちゃうなんて、私が望んでると思う? ……だけど、ありがとう。本当に、ありがとう」


 二人は目を合わせると、お互いの額を合わせて涙を流しながら笑った。


「一件落着だね」


 ニータがそう言って穏やかな表情を浮かべているが、トリスタには何が何だか分からない。


「ああ、ごめんね。君は分からないよね。後で説明するよ。さ、この場にはぼくたちは邪魔のようだし、そろそろお暇するとしよう。一番星もいなくなったことだし、少し散歩してから街に戻るのもいいね」


「あ、はい」


 ニータが言うのであれば、トリスタはそれに従う他ない。

 後ろ髪引かれる思いはあるが、やはりニータの言う通りこの場に留まるのは無粋だろう。


 トリスタたちが立ち去ろうとすると、それに気付いたアーデルハイトに呼び止められた。


「──あの。本当にありがとうございました。色々、助けてくださって」


「なんのなんの! これからも研究頑張ってね! 魔女の弟子であるこのぼくたちも応援してるよ!」


「はい!」


 トリスタたちは手を振って、アーデルハイトとフェルナンドの親友二人と別れた。

 彼女たちの頬を流れた涙は、夜空に揚がらずとも星のように輝いていた。



        ★☆★☆★



「──そろそろ教えてくれませんか?」


「ん? なんのこと?」


「デルさんと、フェルナンドさんのことです」


「名字呼びはやめたんだね。呼びにくかった?」


「話をそらさないでください」


「ああ、ごめんごめん。つい」


 トリスタたちはアーデルハイトたちと別れた後、叡智の街の景観を見て回っていた。

 今はトリスタが屋台の綿飴を、ニータが七色の雨をそれぞれ舐めている。

 それまでにも色々あったのだが、その道中でニータは一切触れなかったのだ。トリスタが今一番気になっている、フェルナンドの身に何が起きたのかということについてに。


「実は、デルさんは大きな秘密を抱えていたんだよ。星を失うまで、ね」


「秘密?」


「そう。それは、星の喪失とともに忘れ去られてしまうところだった。その秘密が、デルさんの生涯の大部分を占めているにも拘らず、ね」


 思い返せばニータは喪失感がどうのこうのと言っていた。

 それがどうフェルナンドの身に起こったことに繋がるのか。


「──あ」


「気付いたかな? そう、デルさんはフェルナンドさんに関わる大きな秘密を隠していたんだ。実は、フェルナンドさんは生まれつき不自由なことがあった。それを、デルさんは魔導具を使ってどうにかしようとしていたのだよ。──色彩認知能力の欠陥。まさかそれを、夢見の魔導具で治そうとするなんてね。ぼくも驚いたよ。師匠が聞いても目を丸くするんじゃないかな」


「今まで、フェルナンドさんの目には色が見えていなかったってことですね?」


「うん、間違いないよ。君がそれに気付かなかったのも無理もない。彼女は気付かれないように振る舞っていた──いや、ごく普通に過ごしていただけだからね。ところで、素晴らしい話だよね。親友の体を命を懸けて治そうとするなんて。本当はあまり褒められた話じゃないけれど。言った通り、星の損失は命に関わるんだ。あのまま放っておけば、彼女は絶望のあまりに自害していたかもしれない」


「それは──」


「いけないことだ。だからぼくは諦めなかったのさ」


「そうだったんですね」


 道理で、ニータがあんなに必死だったわけだ。


「──そうだ。今後はトリスタちゃんに星還しの作業をやってもらおうかな。星揚げができるようになるまでは時間がかかるし、ね」


「えっ。またやるんですか?」


「うん。まあでも、星を落とす人はそんなに多くないから心配しないで。見つかった時にだけ、今回みたいに連れてきてもらったり説得してもらったりするだけだよ。星と仲良くなって星揚げができるようになるためには、こういうことも必要だよ! もちろん、やってくれるよね?」


「──はあ。分かりました。やります」


「よし! じゃあ、解説も終わったことだし、そろそろ散歩もおしまいにしようか! 帰るよ」


 ニータに手を差し出され、それに触れる。

 そうして無事に星空の街へと戻ってきて、トリスタの修行初日は終わったのだった。

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