第五星『星の拾い人』

 人が記憶を失くしたとき、人は本当にその記憶を取り戻したいと思うだろうか。

 答えは否だ──と、ニータは後に言った。

 そもそも記憶がないのだから、何を失ったのかさえも人は覚えていない。

 だから自分から思い出そうとも思わないし、思い出すきっかけすらも掴めない。


 しかし、人は置かれた環境により考えが変わる。

 もし記憶を失った人に友人がおり、友人がかつてのその人のことを話すのであれば、多くの人は記憶を取り戻したいと思うだろう。

 思い出そうと思うかどうかは、その人自身がかつての友人との記憶を取り戻そうと思うかどうかだ──というのが、ニータの弁説だった。


 そして、星の落とし主──アーデルハイト・ノイエンドルフは、思い出さない方の選択をした。


『それは困ったね……』


「どうしますか? ノイエンドラフさんが星の持ち主じゃない可能性もありますし、他の人を探してみますか?」


『ドラフじゃなくて、ドルフだよ、トリスタちゃん。……他の人を探すと言う手段は、遠回りかつ現実逃避に過ぎないよ。結局誰も見つからなくて、デルさんが持ち主だという事実を明確に証明するだけだ。今でも既にそうだと分かっているのに、わざわざ遠回りをする必要はない』


「う」


『それに、ぼくは君の導き出した答えを信頼している。間違っているはずはないのだよ』


「ニータさんはどうしてそんなに私を信じるんですか? 出会って間もないし、私はニータさんから信頼されるような人でもないのに」


『トリスタちゃん、君はそう自分を卑下しないでよ。言われなかった? 君を信じてくれる自分たちを信じてほしいって』


「でも──」


『だからさ、信じるって言ったぼくのことも信じてよ。ぼくは君を信じたくて信じてるんだからさ。まあ言ったって今回の場合は、間違いなくデルさんが星の持ち主だっていう確信があるんだけどね。とにかく、もっと自信を持ってみようよ。ぼくは君を信じてここで待ってるからさ』


「ってことは──?」


 ニータはその場を離れないことを明言した。星の持ち主探しは続行する、つまりは──、


『デルさん、いや、彼女の友人を説得してきてほしい。考えを変えるには、現状一番近い存在である友人に説得された方が効果的だからね』


「説得って言ったってどうやって」


『君自身の手で解決してきて、と本当は言いたいところなんだけど、今回はあまり時間が残されていないみたいだから、ぼくが手伝うよ。君は、ぼくの言葉を復唱するだけでいい。君が自分でやると言うのなら別だけれど。どうする?』


「……お願いします」


『お願いされたっ。あ、言っておくけど、ぼくがこの方法を取るのは君の力を信じていないのではなく、まずはお手本としてやり方を示すためだ。──まあ、普段のぼくのやり方とは違うんだけどね。さ、行ってきて。通信はこのまま繋げておくんだよ?』



        ★☆★☆★



 病室に入ると、アーデルハイトの友人──フェルナンド・マンシェが出迎えた。

 彼女はトリスタを見るなり眉を限界まで下げると、


「ごめんなさい、シェイファーさん。悪いのだけれど──」


「フェルナンドさん、お話があります」


 トリスタが話を遮ったことにフェルナンドは訝しげな表情を浮かべる。

 しかし今回ばかりは、いつものように人の機嫌を見て行動することはできない。

 トリスタは申し訳なく思いつつも、病室の外に連れ出したフェルナンドに向かって告げた。


「フェルナンドさんは、デルさんが記憶を取り戻したくない理由を聞きましたか?」


「ええ。失ってしまったものに執着はないそうよ。それと、失ったのはきっと魔女様による罰なのだから、取り戻すことはできない、とも言ってたわね」


『それは違う。師匠はそんなことしない』


 ニータが食い入るように言うが、これは口にせずに置くべきだろう。

 ニータが黙ってしまったので、トリスタは適当な言葉を選んでその場を濁す。


「あの、デルさんに何があったんですか?」


「あの子は、ある魔導具の研究をしていて、その実験の途中で事故に遭ってしまったみたいなの。私はその場にいなかったから詳細は分からないのだけれど。実験場の記録に残されていたわ」


『それはぼくも知ってるよ。あ、トリスタちゃん。これは言わなくていいからね』


「分かってます」


「なにか言ったかしら?」


「いえ、すみません、なにも。そう言えば、先程なにか言いかけましたよね? すみません、遮ってしまって」


「ああ、そう、治療は遠慮するって言おうと思って。申し訳ないのだけれど」


『今やめれば、記憶は一生戻ってこないよ』

「治療をしなかったら、記憶は一生戻ってきません」


「……そうね、そうよね。それは私も承知しているわ。でも、デルの意思を尊重したいの。これは私の問題じゃなくて、あの子の問題だから……」


『それは彼女の意志を尊重したことにはならない。ただの自己満足だ』

「……っそれは、デルさんの意志を尊重したことにはなりません」


「あなた──」


『彼女がここまで希望を見失っているのは、喪失感のせいだ。それに君は心当たりがあるんじゃないか?』

「フェルナンドさんは、デルさんの喪失感に心当たりはありませんか?」


「喪失感?」


「はい。デルさんが記憶を取り戻すことを諦めているのは、喪失感のせいだと……」


「デルは、長い間その魔導具の研究をしていたわ。もしかしたら、その研究のことを忘れてしまったことで、目標を見失ってしまったのかもしれない──」


『間違いなくそれだね。やはり、星は取り戻すべきだ。落とした星がその人の中で重大な位置を占めていた場合、命までも落としてしまう危険性があるのだよ。──トリスタちゃん。こう言ってくれるかな。あなたが友人の意思を尊重した結果、招くのは永遠の後悔だと』


「永遠の後悔……」


『早く。あまり時間が残されていない』


 珍しく切羽詰まった様子のニータに調子を崩されつつも、トリスタは意識を外に向けた。


「フェルナンドさん。デルさんの意思を尊重したい、という考えは私は素敵だと思います。でも、その結果一生後悔することになるかもしれません。それでも、同じように言えますか?」


「後悔って、もしかして──」


「……私は、幼い頃に親友を亡くしています。私は彼女を救えませんでした。もしあの時に戻れたのなら、と何度も思いました。でも、過去に戻ることはできないんです。ですが、フェルナンドさんたちは、まだ間に合います。デルさんを救うために、彼女を説得していただけないでしょうか?」


 長い沈黙の後、フェルナンドの心は決まったようだ。


「……分かったわ。何とかデルを説得してみる。けれど、ひとつ教えてくれないかしら」


「何でしょうか」


「あなたは──、いいえ、あなたたちは、一体何者なの? ただの医者じゃないわよね?」


 トリスタとニータは、まるで示し合わせたかのようにこう言った。


『──ぼくらはただの、星の拾いびとだよ』

「──私たちはただの、星の拾い人ですよ」

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