第二星『星の家』

「ぼくの仕事は簡単だ。各地を巡って星を探し、天球に飾る。それだけ!」


 ニータは分厚い外套を羽織り、髪を整えるなりそう言った。

 トリスタも首元に羽毛がついたものを着せられ、その温かさに落ち着く。

 あまりの安心感に、危なく立ったまま眠ってしまいそうになった。

 トリスタは首を振り、口を開く。


「あの、天球って?」


「そうか。君たちには耳馴染みのない言葉かもしれないね。──空には限りがある。その限界を、天球と言うんだ。天球付近はとても綺麗なんだ。君にも見せてあげたいよ」



「へえ」


 空に限りがあると言われても、あまり実感は沸かない。ただ、彼女の言う綺麗な景色を見てみたいとは思う。


「ところでトリスタちゃん」


「はい、なんでしょうか?」


「ここは君たちにとってひどく冷えるだろう?」


「そうですね」


 言われてみれば、トリスタのいる場所は部屋の中のはずなのにとても寒い。

 外套を着せてもらったからどうにかなっているが、無ければ今頃凍え死んでいたかもしれない。

 外は辺り一面雪景色だから寒いのは理解できなくもないが、それにしても室内とは思えない。まるで暖房が効いていないみたいだ。


「その通り、ここには暖房がないのだよ。君たちのところは暖房があるんだよね? だから本当はつけてあげたいんだけど、如何せんあれを後から設置する方法が分からない。試しに師匠を呼んで見るから、君は本でも読んで待っていてくれる? すぐに戻ってくるよ」


 そう早口で話したニータにトリスタは呆気にとられながらも、椅子に座って待つことにした。


 しかし本を読めと言われたが、本棚が見当たらない。

 それに、随分質素な部屋だ。

 目に映る物でいえば机と五つの椅子、外套の入っていたクローゼットだけ。

 家とは言っていたはずなのだが、部屋はこの一部屋だけのようだし、あまりにも生活感がない。

 暇をつぶせそうなものもなければ、ゴミの一つも落ちていない。

 キッチンもあるにはあるが、料理道具のひとつも見当たらない。

 まるで、誰も住んでいないかのような静けさがこの家には広がっている。


「すまないね! 生活感がなくて!」


 突然頭の後ろでなった声にトリスタは全身を跳ね上がらせる。

 ぎこちなく首を回すと、家の主、ニータが頬を膨らませて立っていた。


「ニータさん! は、早いですね」


「まあね! 今日は師匠が珍しく応答するのが早かったんだ」


 ニータは頬を元に戻すと、胸を張って言った。

 その彼女の隣には、紫がかった銀髪の少女が並んでいる。

 もちろんだが、初めて見る子だ。

 ニータより僅かに背が低く、顔立ちも幼い。

 しかし、凛とした立ち姿や気怠げな眼差し、星空のようなロングドレスを纏った姿からは、とても子供だとは思えない大人っぽさと畏怖を感じる。


「紹介するよ。この人は、ぼくの師匠。『星の魔女』のアテラノだよ」


「この人が、ニータさんの師匠……」


 なるほど、言われてみれば少女のこの大人っぽさ頷ける。

 師匠というのなら、星の揚げ方も彼女が教えたのだろう。

 もしかしたら、トリスタにも何か──。


「──って、『星の魔女』!?」


 『星の魔女』、というより『魔女』の名は、知らない人がいないほど有名な称号だ。

 四人の『魔女』たちが世界の創世に関わり、発展に貢献したというのは、初等学校のうちに誰もが学ぶ内容だ。

 つまり、トリスタの目の前にいるのはその四人のうちの一人ということであり──。


「あ──」


 トリスタはあまりに現実味のない出来事に気を失いそうになる。

 しかし、そんなトリスタのふらついた体をニータが引っ張った。


「ちょちょちょ! 待って待って! 気絶しないで!」


「あ、すみません」


 トリスタは気を取り直し、ピンと背を伸ばして立つ。

 しかし未だに魔女の一人が目の前にいることが信じられない。

 夢を見ているかのようだ。

 それを言ってしまえば、この夢心地はニータにこの場所に連れてこられてから始まっているのかもしれないが。


「師匠。この子が今日から──いや、昨日からぼくの弟子になったトリスタちゃんだよ。トリスタ・シェイファー」


 魔女アテラノは頷くと、真っ直ぐにトリスタを見た。

 トリスタはその星のような黄色い双眸に目を奪われる。

 目線は気怠げだが、どこかトリスタのことを見透かそうとしているようにも見えた。

 数秒後、アテラノはようやく口を開く。


「シェイファーは羊飼い。あなたは羊飼いじゃない。どうして?」


「……あ、えっと。人手が足りてなく、て。私がお手伝いしてるんです」


「そう」


 アテラノはゆっくりとまばたきをすると、それからまた口を閉じてしまった。

 しばらく沈黙が続くかと思われたが、ニータが話題を変える。


「それで、師匠的にはどうかな? ぼくとしては初めての弟子だから、どうにか慮ってあげたいんだけど」


「残念だけど、『祝福』はあげられない」


「えー? そこをどうにか!」


「『祝福』は魂の制約。無理に与えようとすると壊れる。エリィに任せないと。それに、もう別の『恩恵』がある」


「ダメかー」


「だけど、協力はする。待ってて」


 そう言うとアテラノは一瞬で消えてしまった。


「ごめんね、トリスタちゃん。どうにかここに適応できるようにしたかったんだけど、無理みたい。──大丈夫? 寒くない?」


「はい。どうにか。向こうも寒かったので」


 トリスタの住んでいた雲海の街は山の高いところにあるので、寒期でなくとも冷える。だから、常に手袋や分厚い外套を着けていていた。今はその上に何枚も重ねないといけないほど寒いが。


「それに、羊の力もあるので」


「そうか、黄金の羊! 彼らの力は便利だね。実はぼくも一つ買わせてもらったんだ」


 ニータはどこかからか靴を取り出すと、トリスタに見せた。

 なんの変哲もない、ただの白いブーツだ。


「こんな商品売ってなかったと思うのですが……」


 トリスタの知らないうちに商品が追加されたのかとも思ったが、そもそも羊毛を使ったものは衣類が多いのだ。

 それ以外のものとなると加工が難しく、どこの家でも販売していないはず。


「ぼくが特別に作ってもらったんだ。生地に羊毛が編み込まれていてね。君には見えるんじゃない?」


「──あ、本当」


 よく見れば、黄金の羊独特の輝く金の糸が見える。しかも、精密に編み込まれているようだ。ここまでの腕を持つのは雲海の街でも少ない。


「でも、どうして靴に?」


 黄金の羊は特別な力を持つ。彼らは海を走ることができ、人の言葉を理解することができる。それに、彼らの毛は通常の羊の何倍もの保温性と、わずかな浮遊性を持つのだ。

 しかし、そのどちらも十分な毛の量がなければ力を発揮することはできない。このように靴に編み込んだだけでは足りないはず。それに通常、靴に保温性は必要ない。たとえ浮くためだとしても、やはり毛の量が十分ではない。


「その辺はぼくの力があれば──おっと、師匠」


 ニータが何か言いかけたが、何かに気づいたように隣を見た。するとその目線の先に、先程消えたアテラノが現れる。


「ただいま」


「おかえり、師匠。それと、久しぶりだね、ラリアンさん」


 アテラノの横には、また知らない人が立っていた。

 背が高く髪の長い美しい女性だ。膝下まで届くほどの深い黒の髪の毛と、深い紫色の瞳が特徴的だ。きりりとした吊り目が、彼女の優美さを際立てている。

 服装で言えば、彼女はあまり見たことのない帽子を被っていた。

 黒色の、ツバのついた大きな帽子だ。ツバ以外の部分は、上に長過ぎるのか中程で後ろに折れ曲がっている。

 また、彼女は帽子と同じ色の長い外套を身に着けていた。外套といえどトリスタやニータが着けている物より薄く、防寒のためとは思えない。

 それに、ショートパンツに黒色のロングブーツという装いも少し気になった。

 色合いに統一感はあるが、いまいち寒いのか寒くないのか分からない。

 それを言ってしまえば、アテラノもワンピース一枚なので、ひどく寒そうではあるのだが。


「この人はラリアンさんだよ、トリスタちゃん。──ラリアンさん、この子はトリスタちゃん。ぼくの弟子」


「弟子!? そうか、ニータも立派になったんだな。それで私が呼び出された訳だ。ここにはまともな家がないからな」


 ラリアンは腕を組むと、二、三度ほど頷いた。

 二人はどうやら知り合いのようだ。それに、アテラノが連れてきたということは──。


「あの、もしかして……?」


「うん、そうだよ。ラリアンさんも魔女。確か……『創造の魔女』だっけ?」


「おい、しばらく会ってないからって忘れてくれるなよ。よろしく、トリスタちゃん」


「は、はい……」


 手を差し出され、トリスタは恐る恐るその手を握る。

 すると優しく握り返され、思わず安堵する。


「あれ、あんまり驚かないんだね? もしかしたら今度こそ倒れるかと思ったけど」


「流石に二人目なので……」


「そう? 大丈夫そうならいいや。さ、お家はラリアンさんたちに任せて、ぼくらは早速仕事に移ろう。まだ一応昼間だからね」


 そう言って、ニータは星の輝く夜空を指差していたずらに笑った。

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