銀色の星使いと迷い星

猫目もも

第一星『星が巡り合った日』

 トリスタは黄金の羊に乗っていた。後ろには親友も一緒だ。

 黄金の羊は雲の上を走っていた。時々山のてっぺんに登ってそこから高く高く翔ぶのだが、それがトリスタはドキドキして楽しい。

 二人ではしゃぎながら、羊に運ばれるままに雲海の上を駆け回る。


「トリスタちゃん! もっと速くしよう!」


「うん! シーちゃん、お願い!」


 トリスタの願いに応え、羊は前足を高く上げた。

 羊に座るトリスタたちの体は大きく傾き、危うく落ちそうになる。

 そんな時は、ふかふかの黄金の毛を掴めば大丈夫だ。

 だから──、


「きゃっ……!」


 ──親友が落ちてしまうなんて、想像もしていなかった。


 トリスタは親友の上げた悲鳴に驚いて振り向いた。

 しかし、その時にはもう遅かった。

 親友の体はもうほとんど空中に浮いていて、トリスタが引っ張って羊の上に戻すこともできなかった。


「ヘレン──!」


 落ちていく親友に必死に手を伸ばし、その赤い髪に指先が届く──、その瞬間、トリスタの体がガクンと揺れた。

 下にではなく、横に大きく揺れた。

 先ほど速く走れと命令した羊がそれを実行しようとしている。


 親友の髪を掴みかけた手が空を切った。

 親友の体は雲海の下に吸い込まれていく。

 吸い込まれるなか、親友の唇が何かを唱えた。しかし、その声はトリスタの耳には届かなかった。

 親友の体が雲海の下に消え、羊は加速し始める。 


「シーちゃん、戻って、戻って……!」


 声をかけても、羊は何故か聞いてくれない。


「なんで……、シーちゃん!」


 羊が走り続けるなか、トリスタは後ろを振り返って懸命に親友の姿を探した。

 だがそこにはもう親友の姿はなく、静かな雲海が広がるだけだった。



        ★☆★☆★



「セイヨウシって、知ってる?」


 同僚に声をかけられ、トリスタは機を織る手を止めた。


「知りません。どういう意味なのですか?」


「星を揚げることを仕事にしている人……、らしいわ」


「初めて聞きました。何なのですか?」


「それがね、私も詳しくは知らないのよ。でも、いま村に来てるんですって。今日の夜にリリル山でなにかするらしいの。見に行ってみたら?」


「──考えてみます」


 トリスタは愛想笑いを浮かべ、機織りを再開する。

 ──星揚師、か。何かは知らないが、自分にはあまり関係のない話だろうな──。






 とは思ったものの、トリスタは機織り中もずっと星揚師なるもののことを考えていた。

 そんな時には、調べてみるのが一番だ。


「仕事も終わったし、ね」


 仕事中は集中を切らしてはいけないと、他のことはなるべくしないようにしている。なので、連絡手段である通信具も仕事場には持ちこまない。もちろん、緊急の連絡が来たらすぐ分かるようになっているので抜かりはない。


 自室に戻ったトリスタは寝台に寝転び、通信具を見る。

 『星揚師』と書かれた横には、『星を空に揚げる人』とある。それ以上のことは何も説明がない。


「星を揚げるって、どういうこと……?」


 星は手の届かないものだ。夜空の高いところから、トリスタたちを見つめている。

 届きさえしなければ、触ることもできない。なのに揚げるとはどういうことなのか──。


『知ってる? お星さまは、たましいなんだって』


 ふと頭の中に響いた声に、トリスタははっと息を呑んだ。


『たましいは人の心なんだって。本にのってた。──そしたらさ、■■■■■■■■■■■■■■■■■■■?』


 声が消えるなりトリスタは勢いよく体を起こし、立ち上がった。


「行かなきゃ」


 ポシェットを手に取り、部屋から出る。普段食事を取っている居間には誰もいない。ひと声かけようと思ったが、いないのなら仕方がない。

 急ぎ家を出ようとすると、何者かがトリスタの背後に立った。

 柔らかい赤毛の少年、レックス・ドレイパーだ。

 トリスタより身長の高い彼は、いつもの落ち着いた目でトリスタを見下ろしていた。


「トリスタさん。どこ行くんですか?」


「少し、リリル山に行ってきます。レックス君も行きますか?」


「何かあるんですか?」


「星揚師という方が来てるらしいです」


「へえ。……いや、俺はいいです。夕飯には遅れないでくださいね」


「分かりました」


 トリスタは家を出て、首にさがった笛を手に取る。

 笛に息を吹き込み、ピイ──という高い音が鳴ると、雲海の向こうから金色の塊が走ってきた。

 そばに寄ってきたその塊を撫で、トリスタは微笑んだ。


「リリル山までお願いね、シーちゃん」



        ★☆★☆★



 雲海の街はもともと星のよく見えるところだ。

 特に一番高い山、リリル山で見る星空は絶景だ。

 幼い頃のトリスタは、夜遅くに抜け出してリリル山の星を眺めるのが好きだった。


 久しぶりに踏み込んだリリル山には、珍しく人が集まってきていた。

 とは言っても二桁いるかいないかだが。

 おそらく、みな目的はトリスタと同じ。


「──じゃあ、いくよー!」


 美しい星空の下に、鈴のような声音が響く。

 すると、トリスタの少し遠いところに立っていた少女が、右腕を振り上げた。

 その手には、茶色の籠が握られている。

 かと思うと、籠の中から何かキラキラした物が飛び出していった。

 キラキラした物は真っ直ぐ夜空に向かって飛んでいき、やがていくつかの星となった。

 星は新たに夜空の中で瞬き、その輝きを永遠のものとする。


「あれが──」


 ──星を揚げる、ということか。

 なんて、神秘的で美しいのだろう。


「おねえちゃんすごーい!」


「ねね、もう一回やって!」


「もう一回もう一回!」


 そう言って集まったのは、トリスタとも面識がある子どもたちだ。

 彼らの中心になっているのが──、


「いいよ! ──って言いたいところなんだけど、ごめんね、今ので全部なんだ」


 ──銀髪の美しいトリスタと同じぐらいの背丈の少女だ。

 トリスタの場所からは後ろ姿しか見えないが、細い体つきと、二つに分けられた長い銀髪以外には特に変わったところはないように見える。

 星揚師だと言われても、一度聞き返すくらいだ。──先程の現象がなければ。


「──でも、今宵だけは特別だよ! 実は、予備の星があるんだ!」


 そう言った少女の手には、青白く光る、羊の角と同じくらいの大きさの固形が握られていた。

 少女は腕を振りかぶり、今度は籠に頼らず星を空へと投げた。

 投げられた星は火花を散らしながら、物凄い速度で夜空へ向かう。

 星は塵ほど小さくなると、黄色い星の隣でひとつ瞬いた。


「わぁ──」


 感嘆の息を漏らしたのはトリスタだったか、または他の誰かだったか。

 その音を境に、わ、と拍手が起こる。

 トリスタは呆気に取られて立ち尽くしていた。


「どう? おまけ付き! キレイでしょ?」


「すごーい! どうやってやったの?」


「んー。教えてあげたいけど、ヒミツなんだ! 

ぼくは全然構わないんだけどね!」


「ええー?」


「じゃあ、用も済んだしぼくは帰るよ! じゃあ、また星の巡り合う日まで!」


「──ま、待って!」


 気付けば、トリスタは少女に向かって手を伸ばしていた。

 立ち去ろうとしていた少女は、振り向いて首を傾げる。


「そ、その! ……あの!」


 勢い余って声をかけてしまったために、トリスタは口ごもってしまう。


「何かな?」


 少女の空色の瞳に見つめられ、トリスタはごくりと喉を鳴らした。

 もう後戻りはできない。そう心に決め、口を開いた。


「──私を、あなたの弟子にしてください」



        ★☆★☆★



「本当に、行っちまうのかい?」


 玄関に立つトリスタの正面には、ふくよかな赤髪の女性、ジュディス・ドレイパーが立っていた。

 ジュディスは太めの眉を下げ、トリスタとの別れを嘆いている。


「はい。すみません、勝手に決めて迷惑をかけてしまって」


「いや、いいんだよ。トリスタちゃんは気にしないで。何度も言っただろ? トリスタちゃんのしたいことが見つかったら、いつでも辞めていいんだよって。それに、うちにはコイツもいる。だから、迷惑なんてことはないのさ。ただ、トリスタちゃんがいないと寂しくなると思ったんだよ」


 母に頭を掻き回され、レックスは怪訝な表情を浮かべた。

 それにトリスタはクスリと笑うと、微笑みを湛えた。


「心配しないでください。きっとすぐ戻ってきますから」


「いいんだよ、うちのことは気にしないで。さ、行ってきな。待ってるんだろ?」


「はい、いってきます」


 トリスタは丁寧に一礼し、家を出た。

 その先、青空の下には、長い銀髪を二つに纏めた少女が立っている。

 少女はトリスタに気付いて振り向くと、


「おはよう。挨拶は終わった? トリスタちゃん」


「はい。待たせてしまってすみません。──ニータさん」


 トリスタが謝ると、少女──ニータは目を見開いて首を横に振った。


「いやいや! 待ったなんてことはないよ。この素晴らしい雲海を眺めているだけで、ぼくの周りに流れる時間は自然とゆっくりになるのだよ」


「……はあ」


「さあ、行こう。星に流れる時間は永遠だけど、君たちの時間は一瞬だから。一瞬たりとも零れ落ちることがあってはならない」


 ニータはそう言ってトリスタに手を差し伸べた。

 トリスタがその手に触れると、次の瞬間にはもう全てが変わっていた。


 ──しんとした清涼な空気に大地を覆う真っ白な雪。そして頭上に広がるのは、一面の夜空と多種多様な星々。


「──ようこそ。ぼくたちの街、星空の街へ」

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