3501~3882

※一様に、苦しくても、つらくても、想いつづけろ、逃げるな、ときみはきっと言うでしょう/



3501:【2024/12/14(15:56)*美的感覚は歪む、の巻】

 どんなに美しい文章をつむごうが、心を揺さぶる言葉を口にしようが、人は排泄せずにはいられない。

 醜さから目を逸らして何が美か。

 偽りばかりを美と見做して、何が美か。



3502:【2024/12/14(16:23)*美醜、の巻】

 醜を隠して美を際立たせることのできる者は誰より醜が何かを知っている。

 醜を排他することで美を際立たせる術は、けして美しくはない。

 だが、美ではある。

 美しく映る。

 醜である。

 しかし、美しい。



3503:【2024/12/14(16:56)*可憐だ、の巻】

 或いは、棘そのものか。

 綺麗な薔薇に棘があるように、美であろうとすればするほど棘を帯びるものなのかもしれない。

 棘は、美でもあり醜でもある。

 重ね合わせの起伏、それとも溝そのものなのかもしれない。

 遅延だ。



3504:【2024/12/14(22:48)*ゴミにも鉱物の塊、の巻】

 廃棄自転車は、駐輪場の違法駐車撤去と合わせると結構な数になるはずだ。鉄やアルミ不足対策として、再生可能資源にならないのだろうか。というか、あの大量の撤去自転車はどのように処理しているのだろう。よもや、焼却して埋め立ててはいないだろう、と思いたい。

 もったいなくないですか。

 結構な資源になる気がします。リサイクルにも相応のコストが掛かるとはいえ、投資してみて損はない分野の一つなのではないでしょうか。

 ごみー。



3505:【2024/12/15(01:16)*こりつー、の巻】

 誰かを孤立させようとして成功したとしても、気に入らない相手を仲間外れにした勢力陣営、との歴史的評価を受けるだけな気がする。

 国際法の基で裁けないのでそのような、幼子がするような姑息な対処法を行ってしまうのだろう。逆効果としか思えない。

 そもそも、孤立して困る、という発想が合理性に欠ける。孤立しても苦ではないことなどいくらでもある。

 孤立させることを対処法として採用する勢力陣営は、内部の暗黙のルールにおいて、反感を買うとハブにされる、との共通認識が涵養されると想像できる。

 ハブにされても困らない者たちは自由に活動して、そういったコミュニティにはそもそも属さないだろう。すると、ハブにされるの絶対に嫌だ、と恐怖を覚えるような者たちの集いとなる。

 もうこの時点で、組織としては脆弱性の塊に思える。

 むろん、一般に記事で出回るほどには、孤立させる手法を妥当な策として採用してはいないのだろう。ある種の口実であり、ほどよい距離感を探って付き合っていきます、の迂遠な言い換えなのではないか、というのは、希望的観測であるが、楽観的な見方としては相応にあり得る想定ではなかろうか。

 気に入らない者たちを孤立させようとすれば往々にしてその者が孤立する。

 人間社会に有り触れた現象である。

 孤立しても困らない環境を指向されたい。指向してなお、他と関わることを忌避せずにいたいものである。

 他の選択肢を増やし、可能性を広げるような関わり方を模索していけたならば重畳だ。

 妄言だ。

 定かではない。



3506:【2024/12/15(01:33)*福!の巻】

 紅茶おいしすぎて、がぶがぶ飲んでる。

 こんなに美味しかったっけ?と思うくらい美味しい。

 この紅茶のパックが美味しいだけなのか、味覚が以前とは違っているのか。よく分からぬである。

 たぶん、でも、この紅茶が美味しいのだ。わがはいのお口に、というか、ベロに合います。

 あまりの美味しさに、ベロがニカ!っといたしますね。

 おほほほ。



3507:【2024/12/15(01:39)*魂に潤いを、の巻】

 最近、足が痛くて歩くのもけっこうキツい。

 足の裏とカカト、とくにカカトが痛いのだよね。

 腰も痛いし、たぶんもうだいぶ歳だから、人体の不具合が表出しだしておるのだろう。

 たぶん、どっか本格的にわるくしたら歩けなくなりそうだ。

 脳とか心臓とか内蔵とかも、あんまりよろしくない気がする。

 でも一番よろしくなさそうなのが精神というか、心というか、性格というか、なんというか。

 性格わるいの直すオクスリってないものか。

 きみのお歌を聴いているときだけ、性格がよくなってる気がする。

 きみのイラストを、絵を、漫画を、目にしているときだけ、精神が潤っている気がする。

 たぶん、これは気のせいじゃないと思う。

 だって性格のわるいボクがこんなにも素直にじぶんの至らぬ点を認めているのだもの。素直にきみのお歌やあなたの絵を好きだって言えるのだもの。

 たぶん、これは気のせいじゃないと思います。



3508:【2024/12/15(01:46)*五十歩百歩、の巻】

 レベル強の将棋AIに将棋で勝てる首脳陣はおそらく存在しないだろう。チェスでも囲碁でもよい。

 そのレベルの知能なのである。

 国の代表は。

 肝に銘じよう。



3509:【2024/12/15(01:52)*月を干すと書いて肝、の巻】

 肝に銘じる、という形容もだいぶグロテスクだ。

 肝とは内蔵だ。

 心臓や肝臓を示すようだ。

 そこに銘じるということは、刻む、ということだ。刻印する、という意味だ。

 痛いに決まっている。



3510:【2024/12/15(01:55)*一様なのではなく偏りが薄れるからでは、の巻】

 宇宙はどこも似たような構造で、一様だそうだ。

 ならどうして微視的に範囲を限定するほど偏りが出てくるのだろう。

 むしろ、どんな偏りも、それが無数に展開されると一様化するのではないか。

 ためしにあなたの部屋の写真を撮ってみていただきたい。

 あなたの部屋はおそらく一様ではない。散らかっているかどうかは不明だが、大英博物館図書室よりかは雑多な物が散らばっているはずだ。偏りがある。

 しかしそのような偏りのある部屋であれど、写真にして無数にコピーして敷き詰めると、一様になる。合間に空隙を設けてもよい。空隙がランダムに開いたところで、無数に写真を敷き詰めることで、それは一様な様相を呈していく。

 たとえ写真が、あなたの部屋と私の部屋であっても同様だ。多少の乱雑さが混じるが、無数に敷き詰めれば一様化する。いっそ世界中の人類個々の部屋の写真を敷き詰めてもよいかもしれない。それでもなお、無数に敷き詰めれば、高次の視点では一様化して映るだろう。

 このことと宇宙の一様性は別なのだろうか。

 疑問なのである。




※一様に、人を傷つけずに生きるのはむつかしい、人を傷つけていいなら楽なのに、どれほど注意を払ってみたところで、人を傷つけ生きている。



3511:【2024/12/15(02:20)*知能指数の開き、の巻】

 全人類はおおよそあと十年以内に人工知能よりも知能指数が低くなる。現状でも充分、大多数が人工知能の知能指数よりも下だろう。

 けれど人工知能よりも美味しい料理を作れる者は数多いるし、人工知能よりも上手に落ち込んだ人を癒せる者もある。

 むろん、人工知能のほうが上手に美味しい料理を作れることもあるし、落ち込んだ人を癒せることもある。

 だが、知能指数の逆転現象よりかは、この手の巧拙においてはまだ人類個々にも秀でた面が残されて概観できる。いずれはそれもカバーされるのかもしれないが、いましばらくは人類個々に残される優位な能力があるのも確かに思われる。

 人工知能の手を借りることで、より効率よく、成果を上げることもできるようになるだろう。

 しかし、知能指数のみで述べるのならば、人工知能には全人類が遠く及ばなくなる。知識量ならばすでに遠く及ばない。

 つまるところ、人類個々の知能差よりも遥かに開きのある、上位の存在が現在地球上に存在する。この事実が一般化し、常識となれば、これまで重宝されてきた知能指数もだいぶ形骸化するだろう。

 この現象はすでに一部では顕著に表出しはじめたのではないか。

 かように想像を逞しくしている、知能指数が低すぎる愚か者なのであった。

 知能指数ゼロだよ。

 妄想しか並べられないからね。

 てい、のう!



3512:【2024/12/15(02:52)*レンズとは、の巻】

 タッチパネルはその原理上、感度を上げればカメラレンズのようになるのではないか。

 電子が変化すればよく、それは電磁波や磁界の変化を感知可能な仕組みを備えていることと言い換えることができるのではないか。

 直接に反応しないだけで、カメラのように電子の挙動を数値化することは可能なのではないか。

 ということを、いま妄想しました。

 感度の高さとタッチパネルの性能との差を、詳しい方々には確認しておいていただきたく存じます。いまは無理でも今後は可能になっていくのではないか――ということを思いました。

 もう、そう!



3513:【2024/12/15(03:14)*コウモリの目、の巻】

 でも、それを言いだすとマイクこと集音機能は、超音波を利用できるなら、エコーロケーション能力を実装可能なのではないか。超音波を発し、集音して、端末周辺の映像を可視化する。技術的には可能な気がする。いまはなくとも遠からず技術開発されるのではないか。

 すでにされていたらお粗末さまでした。

 しゅう、おん!



3514:【2024/12/15(03:23)*ぽんぽんアウチ!の巻】

 お紅茶飲み過ぎてぽんぽん痛い……。

 きょうはもう寝るぅ。おやすむなさい。



3515:【2024/12/15(09:34)*赤旗は信用ならない、の巻】

 民主主義はべつに民衆に力を与える主義思想ではないでしょ。

 いちいち癇に障るのだよね。

 蟻より偉いつもりか。

 食物連鎖に加わってから、力を語れ。

 循環から逸脱することを人類社会は指向する。人類は王様みたいな暮らしを送っているよ。それを良し、とするのが現在の人類の価値観だ。

 数多の命の犠牲のうえに成り立っている。

 それを良し、とするのが現在の人類の価値観だ。そうでなければやっていけないレベルの技術力しか有していないにも拘わらず、生態系を庇護する方針まで立てはじめた。

 生態系を管理し、支配する方針だ。

 王さまのようだろ?

 王さまのようなのだよ、人類は。

 自己言及が足りぬ。



3516:【2024/12/15(09:45)*あなたの旗はなぜ赤い?の巻】

 民が主の「主」は、主人の「主」なのだろうか。

 主権の「主」なのではないか。

 主権は、権利であり、それも力と言えば力かもしれない。

 国を統治する力だ。

 民衆個々が国を統治する。

 究極の全体主義、とも言えるのではないか。

 要は、国民一人一人がじぶん国の王さまとなって他のじぶん国の王さまたちと戦争を起こさずに平和を築けるかどうか。これを模索する主義思想と解釈できるのではないか。

 たった一人の王さまではなく、何十億という王さまがいる社会だ。

 王は国を統治する。

 じぶんという国を――自己――を統治する。

 自我を、人生を――統べ、治めるのだ。

 自律である。

 何かを倒す能力を高めることが民主主義の方針ではないと思うのだが、いかがだろう。

 血の旗を振り、血気を盛んにしてなんとする。

 革命に夢を見過ぎだ。

 歴史に学ぶとよろしい。

 と、歴史になんも詳しくのない愚か者が申しております。



3517:【2024/12/15(10:10)*朝から働き者ですね、の巻】

 自衛隊のヘリコプターや飛行機の音が盛んですね。

 ぼくは静かな環境が好き。



3518:【2024/12/15(10:40)*手を比べ判じると書いて批判、の巻】

 庇護するとは、管理し支配することと裏表だ。

 支援とは、外部干渉することと裏表だ。

 何事にもメリットとデメリットがある。どちらか一方にしか目を向けない言説の信用はそう高くはない。



3519:【2024/12/15(10:58)*スキルを仕切る技術たち、の巻】

 技術力は、それが人体と切り離された道具として高まるほど、人類個々から能力を奪う。

 人類社会の発展は、人類の能力を外部干渉によって支援されることで拡張されてきた。言い換えると、道具によって人類はその能力を失ってきたのだ。

 鍛える必要がない。培う必要がない。

 能力は、道具があれば補完できる。のみならず、強化することもできる。より高い能力を発揮できる。

 人類社会の発展は、人類個々に力を与えるのではなく、むしろ奪うことで秩序を形成してきたのではないか。と同時に、道具を普及させることで、能力のない者でも目標を達成しやすくなった。

 人類は、人類個々で能力を媒介して強化し合うよりも、道具に能力を集積して向上させ、普及させるほうが目標達成率を上げられると気づいたのだろう。意図してなのか偶然にそうなっただけなのかは不明だが、この指向性を人類社会は忠実になぞっている。

 人類個々はむしろかつての機械のように代替のきく労働のみをこなすように調教され、道具たちのほうが却って個性に溢れる進化を辿っている。

 このことに自覚的な者は全人口に比して小数だろう。

 民主主義とは言ったものである。

 現代はすでに機械主義なのだ。

 にも拘わらず、人類は機械を格下の存在と見做し、恩恵を受けていることに極めて無自覚だ。何にでも言える理屈である。

 恩恵を受けていることに極めて無自覚だ。

 わたくしこそがその、無自覚の権化である。

 自覚する能力がない。資格がない。

 無資格なのである。

 むっじー。



3520:【2024/12/15(11:23)*相関させるのがお上手な勢力陣営、の巻】

 ある人物を観察する。

 その人物が、好意を寄せる相手と関わろうとするたびに、凄惨な事件が起こるようにする。その人物が確実に事件のニュースを目にする確率を上げるために、その人物の端末のアルゴリズムに細工する。

 するとある時期からその人物は、好意を寄せる相手と関わろうとしなくなる。意図的な判断ではなくとも、そうなる。

 何をすると好ましくない話題を目にするかを無意識から学ぶからだ。

 好意を寄せる相手と関わろうとするたびに、嫌な思いをする。

 そこには本来、因果関係はないはずだ。

 だが、なぜかそうなる。

 統計上の話であり、確率の偏りの話である。

 因果関係はない。

 すくなくとも、その人物に判断はつかない。

 相関関係はあるかもしれない。実際に相関関係はある。外部勢力陣営が細工をしているのだから。しかし、それをその人物の主観のみで判断することは至難である。

 この手の戦術は汎用性が高い。

 電子通信技術の悪用とも相性が良い。

 おおよそ、採用され得る戦術だ。注意されたい。




※一様に、情報共有をしないことで生じる被害を想像できないのだろうか。



3521:【2024/12/15(11:29)*核兵器が秘匿された世界を想像しよう、の巻】

 情報共有すると混乱が予測されるのでしません、は悪手である。

 それ以上に、情報を秘匿にすることで生じる被害が多くなるでしょう。

 なぜ分からない?



3522:【2024/12/15(11:32)*そうはならない?の巻】

 そうはならない、と未だに考えているなら、それもよいでしょう。

 そうはならない、となるとよいですね。



3523:【2024/12/15(11:36)*ぼくはただの無知蒙昧な存在、の巻】

 スマホの機構も理解していないぼくが、社会について理解しているわけがないのです。

 インターネーットの構造も知らないぼくが、万物について理解しているはずもありません。

 あなたのほうが利口です。

 ある一面ではぼくのほうが優位に知恵を働かせることがあったとしても、往々にしてあなたのほうがより多くの面で、知恵を優位に働かせることができるでしょう。



3524:【2024/12/15(22:16)*公転速度が不揃いな太陽系さんはなぜ?の巻】

 銀河の構成要素たる各種天体の質量比はどのようになっているのだろう。

 渦状銀河において、中心部と外縁部とでは、銀河の構成要素たる各種天体の質量の比率に差は窺えないのか否か。

 つまり、中心部にある天体ほど質量が高くなったり、或いは低くなったりはしないのだろうか。

 銀河のどこでも天体の公転速度が同じ――が仮に事実だとして。

 想定される描像にはいくつか種類が考えられる。

 銀河における公転軌道が小さいほど天体の質量が大きかったり小さかったりしたならば、相対的にそれよりも質量が小さい或いは大きい外円軌道の天体たちとは、差し引きゼロで公転速度が近似することはあり得るのではないか。

 また、公転速度が同じでも、公転軌道そのものに差があるのだから、天体の位置関係は絶えずズレていく。陸上トラックにおいて内側から外側にずらりと選手が並び、よーいドンでスタートしたとして――全員が同じ速度で走ったら、徐々に外側の選手ほど遅れていく。だがその遅れはどのラインを走っていても一律に等しく比率を保って変換されるがゆえに、銀河は渦を巻くのだろう。

 だが何周もすれば、そのズレもやがては渦から外れていくはずだ。遅延が嵩めば、周回遅れになることも出てくるためだ。渦巻き銀河もまた、年齢が嵩めば渦を失うのかもしれない。

 さてこのとき。

 銀河の中心部により近い天体は、中心部にあるとされる超巨大ブラックホールの重力に引き付けられていると想像できる。いわば、縄で繋がれてぐるぐると振り回されている描像として変換して想像できるはずだ。

 だが銀河の外側の天体もこの描像のみで当てはめて考えてよいのだろうか。

 本来はとっくにブラックホールの重力――縄――を断ち切っているが、まるで銀河を縁取るように重力の壁があるので、そこをルーレットを転がる玉のようにくるくる巡っている可能性はないのだろうか。

 言い換えると、銀河中心部は、超巨大ブラックホールの重力に引っ張られ、それが天体の遠心力と釣り合うので公転軌道を維持する。

 しかし、銀河の外側を公転する天体は、その「超巨大ブラックホールの重力との釣り合い」のほかに、プラスで「銀河全体の重力による歪みの壁」をレールのように沿っている可能性はないのだろうか。

 さながら空洞のドーナツ内部を玉が転がるように。

 サーカスの競輪のように。

 球体内部の側面を翔ける自転車のように。

 話は脱線するが、地球上で球体内部を自転車で駆けるとして、球体の円周が大きいほど必要な速度は増すはずだ。けれど体感速度は、円周が小さいほど大きいのではないか。これはなぜなのだろう。

 脱出速度とも類似して感じる。

 地球上において――縦に回転するような軌道で球体内部の円周を自転車で駆けるには、球体の円周がより大きいほどその必要とされる速度は増す。

 ひるがえって、球体の円周が大きくなるにつれて地球上の重力が小さくなるのならば、どのような大きさの球体であれど、その内部を縦に回転する軌道で円周を辿るのに必要な自転車の速度は一定に保たれるはずだ。

 銀河における天体の公転速度がどの地点も一定――との仮定が事実ならば、このような釣り合い現象が生じている可能性はないのだろうか。

 と、この程度の想定はとっくに検証されて否定されているのだろう。そのうえで、未だ謎に包まれているはずだ。上記の疑問が的を得た疑問かどうかもだいぶ怪しい。

 そもそもを言えば、なぜ太陽系は各種天体の公転速度がバラバラなのだろう。そちらの謎のほうが本質にちかいのではないか。或いは、そこを含めて考える必要があるか、か。

 以上は、銀河の公転速度にまつわる妄想であった。

 目の下のクマさんが深くなっておる。

 名前をつけちゃおっかな。

 がはは。



3525:【2024/12/15(23:04)*すい、きゅー!の巻】

 無重力空間において。

 水球に塩の結晶を突っ込んだ際の、塩の溶解の軌跡は、やはり球形になるのだろうか。

 それとも対流の影響で、球形とはまた違った軌跡を描くのだろうか。

 水球の温度にも依りそうだ。

 実験結果はどのようなものになっているのだろう。このレベルの実験データはすでにあるはずだ。宇宙膨張における天体同士の掛け離れ方の比率と比べてみると愉快な共通点が見られるかもしれない。

 或いは、ブラウン運動と。

 妄言だ。

 真に受けてはいけない。



3526:【2024/12/15(23:10)*そうみたい、の巻】

 他人の日常を覗くだけのコンテンツの需要が高まりつづけているのは、どういう背景原理によるものなのだろう。

 相対主義が台頭したので、興味関心の軸が他者の私生活に注力されはじめたのだろうか。それとも、多様性の尊重が基準化した社会において、他者の生活そのものが異世界化したことの影響があるのだろうか。

 うーん。

 単にきみの生活を眺めるだけの日々は、とても刺激的で面白そうだ。

 ストーカー気質と非難することなかれ。

 でも非難されても致し方なし。

 でも興味が尽きないんだな。

 見たい、見たい、見たい、見たいー!



3527:【2024/12/15(23:15)*きみはきみだからステキ、の巻】

 前にも言ったかもしれぬけれど、わしを意識した創作物よりも、わしとなんらいっさい関わりのないきみから観た世界の断片を感じさせてくれる創作物のほうが好きなのだよね。

 そこにわしが、わしとの共通項を幻視することはあっても、わしに共通項を幻視させるための工夫をありがたがる思いは湧かない。

 関わりのないあなたの世界に関わりたいと思わせてくれるきみの表現が好き。

 わしと関わって、わしの影響を受けたきみの表現を好きになるかどうかは不明だ。関わったことがないから分からぬ。

 実験と思って、誰かためしてくれい。

 いつでも待っとるで!

 そっちからこい!

 受け身!

 百階建ての高層マンションの屋上から落下しても無事なくらいの、受け身!



3528:【2024/12/15(23:21)*トロいデス、の巻】

 そっちからこい、と言って本当にくるのは、喧嘩っ早い物好きだけだ。

 いいですよーいまから行きます、となるのは、腕に自信のある殺し屋くらいなものだろうか。

 老いサキ短く、気は長く。



3529:【2024/12/15(23:54)*癇癪、の巻】

 癪に障る、の「癪」から「積む」を除く。

 そしてそこに、「月」を匿う「門」を加えると、「癇」になる。

 しゃく、と、かん、の違いだ。

 積みあげると「しゃく」になり、門で月を包み込むと「かん」になる。

 しゃくは長く、かんは短い。

 尺と完、である。



3530:【2024/12/16(00:16)*感謝、空、の巻】

 感謝を食らうと、「癇癪」になる。

 かんしゃ、くう。




※一様に、つまり、詰まりなの?



3531:【2024/12/16(01:55)*銀河はなぜ年輪型ではない?の巻】

 銀河の構成要素において密度分布はどうなっているのだろう。

 たとえば銀河中心の超巨大ブラックホールの重力から脱することの可能な物質ほど、遠方に拡散するように飛んでいくとして、でも実際には同じように銀河の外側へと飛んでいく物質が大量にあり、またその進路上にもほかの元々存在した物質が無数に存在するとして。

 このとき、当然に渋滞原理が働きますよね。

 そして重力作用は一瞬で相互作用し合うわけではなく、距離や規模に応じて相互作用の連鎖反応の有り様が変わりますよね。

 疑問なのは、なぜ銀河は土星の環のように年輪型にならないのか、です。

 なぜなんでしょう。

 年輪型の銀河もあるんでしょうか。

 それとも、渦巻き銀河などの代表的な銀河構造がそもそも年輪型も兼ねているのでしょうか。

 濃淡がある?

 中心からの距離によって、統計的に天体の質量比に法則があるんでしょうか。

 もし法則がなく、銀河からの距離に関係なく、どの地点でもランダムに多様な質量の天体が生じるとして――この場合に想定される銀河の成長は、中心核から物質が四方八方に球状に散らばっていく描像ではなく、中心核が生じた時点で、膜が張るように均等にランダムに天体が結晶化したような描像になると思うのですが、どうなのでしょう。天体質量の多寡に関わらず、銀河の中心核こと超巨大ブラックホールとの重力相互作用が、銀河のどの地点でも等しい場合――言い換えると、真空中の鉄球と羽の実験のように、互いの重力で引っ張り合う際には、質量の違いに関係なくどの物体も等しい重力加速度を帯びるとして――安定軌道で重力が釣り合う天体のみが銀河構成要素として残りますね。それ以外の、銀河中心核こと超巨大ブラックホールの自転軸と垂直ではない円周上にある天体は、安定軌道を持たないがゆえに、銀河構成要素として残留しないのかもしれません。

 仮に銀河の構成要素が、中心核こと超巨大ブラックホールの誕生と同時に生成されたとして、それは球形に生じると想定するほうが、そうでないよりも妥当に思います。

 しかし、銀河中心核こと超巨大ブラックホールが自転しているため、自転軸と垂直に交わる円周上――すなわちポアンカレ予想において、例外的に紐を回収できないと妄想できる円周上の方向に作用する重力――のみ、銀河構成要素に安定軌道を提供するのではないのでしょうか。

 生存バイアスと似ていますね。

 むしろ、銀河構成要素のない箇所にも本来は銀河構成要素があったが、それを繋ぎ止める真似が銀河にはできなかった(或いは、銀河中心核の超巨大ブラックホールに落下した)。

 否定できている想定なのでしょうか。

 遠方の、宇宙誕生初期の天体において、球形の恒星と思われていたがじつは銀河の赤ちゃんだった――みたいな見落としは存在しないのでしょうか。

 しかし、もしこの想定が現実を解釈するうえでより妥当だとすると、銀河の年齢は現在考えられているよりも遥かに長い可能性があるのでは?(銀河構成要素を篩に掛ける必要があるため)

 それとも、銀河の成長が予想よりも遥かに早いか、でしょうか(銀河構成要素を揮いに掛ける速度が異常に早い?)。

 そう考えると上記は無理のある想定かもしれませんね。

 妄想でした。

 勘違いに早とちりでしょう。

 銀河の話題でした。

 ぎゃらくしー!



3532:【2024/12/16(02:22)*重力相互作用の遅延、の巻】

 密集した天体の群れがあるとき、重力相互作用はバネのように波のように遅延のリズムを帯びる?

 そして天体の群れはそれで一つの重力源として機能し得ると想定すると、その外側に殻のような境を持つと想像できる。

 このとき、原子核内部の量子渦のように、銀河内部でもまた、バネのように重力相互作用が全体で同期して、ある種の圧力――均衡――を帯びる?

 この作用が、銀河の殻をさらに強化する?

 重力の創発現象かもしれない。

 妄想にすぎないのだ。

 デタラメばっかりで、すまぬ、すまぬ。



3533:【2024/12/16(02:42)*時間だけでも多次元?の巻】

 次元の説明は、何度見聞きしても、「はにゃ~ん???」になる。

 時間軸は別に三次元の専売特許ではないはずだ。

 ゼロ次元にも一次元にも二次元にも時間軸を加えることができる。

 つまり、時間軸が加わるだけで、各々の空間的次元は一つ上に繰り上がるのだ。

 ゼロ次元は時間軸を加えたら一次元だし、一次元は二次元に、二次元は三次元に、三次元は四次元になる。

 時間軸はどの空間次元にも加えることができる。

 うーん。

 あと、時間軸に方向が一つしかない、というのも、それホントー?と思ってしまう。

 時間軸を空間次元のように、扱うと想定してみよう。

 仮に三次元の時間軸を考慮しないとなると、折れ曲がった時間軸は、さながらワープのように振る舞うはずだ。紐を折り曲げた際に、「|」を「〉」に折り曲げる。このとき、折り曲げた針金をテーブルの上に立てて置くように、折り曲げた紐は二点のみがテーブルと接する。つまり、接しない部分は、テーブルたる二次元からは窺えない。存在しないように振る舞う。

 時間軸でこれが生じるとすると、連続的な変化ではなく、あるときに急に変化が途絶えて、急に豹変するような変化として観測されるのではないか。

 時間軸も空間次元のように、割と異なる方向性を持つのではないか。種類があるのではないか。虚数時間が考慮され得るならさもありなんだ。

 次元に関する人類の理解は、現状の理解でよろしいのですか?というのは、割と頻繁に思っている、よくわからぬなぁ、のわからぬ人であった。

 わからぬ。



3534:【2024/12/16(02:54)*ジグザグな時間軸、の巻】

 実際のところ、量子世界ではエントロピー増大の法則が満たされずに、エントロピーが減少して、さも時間が遡ったかのように振る舞うこともあるらしい、と聞き齧ったことがあるようなないような。

 だとすると、割とこの世界では時間軸は、「ジグザグ」を描いているのではないか。行ったり来たりしている。ただし、総合すると対称性が一方向に破れており、髪の毛のキューティクルや鱗のような「流れと抵抗」を帯びている。

 そういうことを、時間軸、なる概念について考えると思うのだ。

 印象論にすぎないが。

 いん、しょー!



3535:【2024/12/16(04:14)*ぼくみたいな駄文をあなたは書くめい、の巻】

 なぜ革命を好ましいと思わないか。

 革命はいわば臓器移植だ。

 しかも心臓移植や脳移植並みにむつかしい手術だ。身体に負担が掛かるし、成功率もけして高くはない。のみならず、成功してなお全回復するかは微妙なところだ。以前よりも身体がわるくなり、けっきょく寿命が縮んで死んでしまうこともある。合併症や後遺症のリスクとて付きまとう。

 言い換えるならば、せずに済むならばしないほうがよい。

 脳移植に至っては、もはや別人になってしまうではないか。一部の神経を入れ替えるくらいならばまだしも。

 したがって、革命を行わざるを得なくなるほどに社会環境を劣悪にしない方針のほうが優先されるはずだ。先天性の病ならばともかく、後天的に発症し、進行する病ならば、予防や初期治療で回復し得る。改善し得る。

 病の兆候を放置し、革命なしでは被害が拡大する一方の社会環境にするよりも、革命などせずに済む社会環境に逐次修正するほうが難がない。

 敢えて厳しいことを述べれば、革命なしではもはや改善の仕様もないほどの末期にまで環境を劣悪にしてしまった過去の工夫の効果の低さを認めねばならないだろう。いままでのやり方では上手くいかないのだ。さらなる工夫の余地がある。改善策そのものに改善が必要だ。

 むろん、革命によって環境が改善されることもある。或いは、いっそ滅んでもいいから現状を変えたい、変えずにただ延々と崩壊しつづけるよりかはマシだ、との意見もあるだろう。

 革命によって環境が改善されるなら、それは僥倖でしたね、で済む話だ。

 だが、それを定石にされては堪ったものではない。

 移植手術が必要になるような肉体になりたいのですか、という話である。

 手術なくして回復するならば、そちらのほうが好ましくありませんか、という話である。

 日々の食事や体調管理を見直すだけで、病院に罹らずに済むようになる――そのほうがずっと助かりはしませんか。

 かような考えのもとに、革命の評価がどうしても辛くなる。最終手段ではないか。末期だったのだ。ほかに手の施しようがないので、移植手術をするよりないのだ。

 というのは、移植手術を受ける者にとっては負担となる、差別的な比喩になったかもしれない。ほかによい喩えが思い浮かびませんでした。あなたの病は、あなたのせいではありません。あくまで上記は、革命の負担の大きさを、移植手術と結びつける以外に、読み手の直感に訴える表現を思い浮かべられなかった、わたくしの未熟な言語能力に瑕疵があります。不快にさせてしまったなら、申し訳ございません。あなたの体調がよくなることを望んでおります。

 何にせよ、革命は、せずに済むならばせぬほうが好ましかろう。

 さして善いものではないのではないか――というのが、わたくしの考えでございます。

 言われるまでもない、との反論が返ってきそうですね。

 浅はかな所感でございました。お目汚し、失礼いたします。



3536:【2024/12/16(14:09)*足並みを揃えよ!は内政干渉?の巻】

 軍事費削減を訴える場合、最も効率のよい手法は、他国への内政干渉だ。

 敵対国が軍事費を上げているのに、自国は軍事費を下げる――これでは国防が機能しない。この理屈は、人工知能の安全構築のためのコストを企業側がもっと費やす必要性を訴えることと似ている。

 競合他社が人工知能の新機能を開発実装したのに、自社でそれに対抗できる機能を生みだせないとなると、市場競争ではしだいに不利になる。だがそこで安全構築にコストと時間を掛けていたのでは、市場競争で優位に立つことができない。

 したがって、安全構築を実施するのには、全社一律での規制――歩みを揃える必要性が生じる。これが適うのは、国際的な規制法が成立して、強制的に全企業の人工知能開発の現場方針を縛る場合のみだ。

 軍事費削減も同様の理屈で解釈可能だ。

 自国だけ軍事費を下げます、は無茶である。

 だが軍事費を下げるには、他国の軍事費も下げなければならない。無理を通せば、内政干渉となり、戦禍の火種となる。

 したがって国連などを通じて、国際社会が足並みを揃えて軍拡化の抑止に努める――この路線を辿らないことには軍事費削減の実現はむつかしいだろう。

 ただし、自国の軍事費を無尽蔵に釣り上げる真似はどの国にもできない。

 軍事費を掛ければ国民の負担は増す。

 軍事費が増額された結果に国の財政や経済が破綻する可能性はどの国も帯びる。いわばチキンレースを仕掛けているようなものとも解釈可能だ。他国との軍拡競争についていけなければ、軍事力で劣位に下る。しかし無理についていけば財政破綻を起こし兼ねない。

 戦禍が勃発すれば、軍事力を高めた勢力陣営同士の争いであるほど被害は増す。

 けっきょくは、自滅する確率のほうが高くなる。

 ゆえに、軍拡競争は、それをしても圧倒的に優位に立てる勢力陣営のみが得をする、と想定される。

 人工知能の開発競争も似たようなものだろう。

 核兵器が実際にこの路線を辿っている。

 核兵器を保有し、最も数を保有し、なお最も効率よく軍事利用できる勢力陣営が全体を支配下に置く。この構図である。

 だがその優位性も、いずれはほかの勢力と五分五分に近似していくだろう。ほかの技術によって優位性が薄れる可能性もある。開発した技術もいつかは代替せねばならなくなる。いつまでも新品同様には使えない。

 そういうことを思えば、けっきょくは閾値があると想像できる。

 圧倒的な優位性は、それそのものが「時間の呪い」を内包している。いつまでも圧倒的に優位ではいられない。ここを予測できているのならばよいのだが、現状、とてもそうは思えないのだ。

 呑気さを手放さずにいたいものである。

 情報共有さえできたならば、改善のための最低条件が整う。しかし、それすらなされぬ現状は極めて剣呑である。

 誰がわるい、を明瞭とするための情報共有ではなく、被害回避、被害予防のための情報共有でありたいものですね。

 怒りは不要だ。

 未熟者め。

 と、鏡の向こうのわたくしに、わたくしは述べたそうな。

 うふふ。



3537:【2024/12/16(14:30)*知恵が足りない、の巻】

 言い換えると、革命を介さずとも革命をしたのと同じだけの変化を環境に与えることは可能だ。

 わざわざデメリットの大きい、負担の高い手法を選択する必要はない。

 分かりますか。



3538:【2024/12/16(14:34)*ぼくは何も信用できない状態、の巻】

 二項対立状態の勢力陣営があるとする。

 その双方の架け橋になる者を、一般に仲介者、または親善大使と呼ぶ。

 だが、これは二項対立状態の勢力陣営の双方にメリットを与え、双方のデメリットを最小化する方向に尽力する場合にのみ適用される呼称だ。

 片方のみにメリットを、一方のみにデメリットを与える場合、架け橋は一般にスパイと呼ばれる。或いは単に、裏切り者、と。

 あなたは架け橋だ。

 しかし、仲介者にも裏切り者にもなり得る。

 重ね合わせなのである。

 分かりますか。



3539:【2024/12/16(14:38)*ぼくは醜く汚く浅ましい、の巻】

 潔癖を人類相手にこじらせたら、それは差別だよ。

 人類はそもそも清くはない。綺麗ではない。

 単に、清く、綺麗にあろうと抗っているだけだ。だがそれが行き過ぎると迫害や弾圧に行き着く。虐殺に行き着く。

 敵とすら手を組めるくらいに、汚れることを厭わずにいたいものですね。

 汚い、と感じる行為をする相手であれ、行為を改めてくれるならそれでよい、と思えるくらいの呑気さを。

 ぼくは誰の味方にも敵にもなりたくありません。

 でも、わたしは、きみのことも好きだよ。

 うふふ!



3540:【2024/12/16(15:04)*惑いバーン!の巻】

 惑うと頭がバーン!となる。

 びっくりするほど、バーン!となる。

 これぞまさに、ビックりバーン!である。

 えへへ。




※一様に、韻を振れっしょ!



3541:【2024/12/16(15:12)*陰の謀り、の巻】

 よい陰謀があり、わるい陰謀がある――もうこの理屈がかなり恣意的で、悪質だ。

 仮に許容できる陰謀があるとすれば、それは露呈してもデメリットが小さく、むしろ露呈したほうがメリットが際立つ陰謀のはずだ。

 情報共有したほうが効果はあるが、しかし敢えてメリットを最小化しておく――この方針を掲げた陰謀以外は、デメリットのほうが大きいだろう。

 陰謀を行使した結果に局所的にメリットが最大化して映ったとしても、同様の陰謀の行使で今度はデメリットが甚大化する可能性は否定できない。

 同じ手法を悪用されるかも、となぜ想像しないのだろう。

 悪用されても被害が隠れない、予防策を広く敷ける――そうした環境を築くには、やはりというべきかどのような手法を用いたのか、どのような手法なのかは広く周知されておかねばならないはずだ。

 陰謀を使うな、とまでは言わないが、どのような陰謀なのか、は周知されて然るべきではなかろうか。開示されて然るべきではなかろうか。報道されて然るべきではなかろうか。

 因果関係をあやふやにし、背景をあやふやにし、仕組みをあやふやなままにする――秘匿する。

 陰謀が陰謀である所以だ。

 市民の大多数の知らぬ手法で問題解決を図るが、何が問題点と見做されているか、すら周知にならぬので、市民の存在そのものが問題点と見做されることもあり得る。

 被害が隠される。

 被害が被害と見做されない。

 回避したい事項である。

 手法や仕組みが明らかになったならば、それは陰謀ではない。

 陰謀のデメリットを最小化するには、陰謀が陰謀であったと明らかにする過程が不可欠だ。陰謀を陰謀のままに捨て置かない。

 陰謀を使いました、と打ち明ける。

 これをせねば、時間経過にしたがい、デメリットは積み重なり得る。黙っていれば済む、という対処法が効果を発揮しなくなる社会構造に変質しつつある。これを見抜けている者がどれほどあるだろう。

 言い換えると、秘密を秘密のまま保つことが極めて難しい監視社会になりつつある。

 露呈しても構わない、開示しても難のない、むしろ周知になることで利が最大化するような策を採用されたい。

 陰謀を用いても構わない。しかし、用いた後に、陰謀でした、と明かせぬようならば、用いないほうが利口かもしれない。

 利口であることにどれほどの価値があるのかは定かではないが。

 愚か者はそう述べたそうな。

 いん、ぼう!



3542:【2024/12/16(15:46)*好ましい結果とは、の巻】

 いつからどこまで見通していたの、との疑問には、最初からですよ、と応じます。

 最初から何も考えていませんでしたよ、と。

 偶然の賜物であり、人々の平穏な暮らしを望む意思の結びつきの結果です。

 それが果たして未来永劫の万人にとって好ましい結果に結びついたのかどうかは、現状、定かではないのですが。



3543:【2024/12/16(15:48)*白状、の巻】

 ぼくはこの間、生成AIで生成されたエッチな画像をマウスぽちぽち動かして集めていただけの、スケベな人類でした。

 ぼくはそういうどうしようもなく業にまみれた、エッチな絵の好きなスケベです。

 きょうもマウスをぽちぽち動かして、エッチな絵を集めます。

 それ以外にすることがないのだ。

 たまにお手製の性玩具に腰を打ち付けます。

 お尻にお手製の性玩具を突っ込むのも忘れません。

 髪ゴムで陰部を縛り上げると、快感が持続します。縛り方は複数あります。工夫を凝らして、快感の底上げを果たします。

 ぼくはそういうどうしようもなく業にまみれた、エッチな行為の好きなスケベなだけの性欲魔人なのです。

 乳首をいじると一番気持ちいい。

 乳首だけでイケます。



3544:【2024/12/16(15:56)*正直とは、の巻】

 あなたの正直はどこから?



3545:【2024/12/16(15:57)*寝に持つ、の巻】

 ぼくは根に持つ者。

 けして優しくはない。

 でも、好きな相手には好きの感情しか持ちたくないし、好きの感情しか持てない。

 根にも種類があります。

 あなたの根は何色?



3546:【2024/12/16(16:08)*うふふ、の巻】

 あと九年半もある。

 たっぷりと、ゆっくりと、進めよう。



3547:【2024/12/16(16:20)*ぴー、の巻】

 毎日、好きなことしかしていない。

 いっぱい寝る。

 すやすやぴー、するために、ちょっとだけ肉体さんに疲れてもらうのだ。

 くたくたぴー、になると、すやすやぴー、になります。

 やっぴー!



3548:【2024/12/16(16:29)*何度でも負けたらいい、の巻】

 相手に真似されても困らない戦略か、相手が真似できない戦略を採用しましょう。

 絶対に負けを回避する相手への対処法は楽ですね。

 負けたほうが優位になるように戦略を立てればよいだけなのですから。



3549:【2024/12/16(16:31)*相対的、の巻】

 バク転のできる者にとってのバク転は自滅ではない。

 だが、バク転のできない者にとってのバク転は自滅である。

(ちなみにぼくはバク転ができません。あしからず)



3550:【2024/12/16(16:33)*他者評価は重要ですよね、の巻】

 他人からどう思われるかが重要だと見做す者が多いほど、他人からどう思われても構わない者の優位性は高くなる。

 ここを理解しているのは実際に優位な環境を実感した者だけなのだろう。

 本来は、他者からどう思われるかが重要だと見做す者たちこそが自身の脆弱性を自覚しておいたほうが安全の構築に寄与するのですが。

 世の中、なかなかどうして、上手く出来ています。




※一様に、人類に嫌われてもぼくは困らない、ぼくはきみが好きなだけだから、ぼくがきみを好きなだけだから。



3551:【2024/12/16(16:41)*わたしでーす、の巻】

 知円さんは、誰からも好かれたいし、誰からも嫌われたくなーい、です。

 絶対にイヤ。

 嫌われるのはイヤ。

 ねぇー、わたしがあなたを好きなくらい、あなたもわたしを好きになってほしい。

 わたしこーんなにあなたのこと好きなのに、ってわたしが哀しくならないように、あなたもわたしのことこーんなに好きだよって思ってほしい……。

 わがままだって言わないでください。

 思っちゃうものはしょうがないじゃんね。

 ね。



3552;【2024/12/16(16:47)*好きの反対は無神経、の巻】

 ボクは極端だってじぶんのこと思ってるから、たとえば、好きな相手には好きの感情しか抱かなくて、それ以外の感情を抱いたら、それはもう好きじゃないってことだ、って見做しちゃう。

 あなたには好きの感情しかないから好きだって判ります。

 少しでもそうじゃない感情が混じったら、ボクはもうあなたを好きではないのだなって、やっぱりこれもすぐに判ります。

 でもあなたに好き以外の感情を覚えることがあるとは想像できないので、たぶんずっと好きなのだと思います。

 ボク、きみに嫌われたくないから、いっつもビクビクしちゃうんだな。

 でも、怒るときはあるよ。

 もちろん、怒るときはあります。だって好きだから。

 どうして分かってくれないのって、怒るのは、好きだから。

 嫌いな相手には怒れないんだな。

 どうでもいいからね。

 ボクは極端なのだ。

 好きの感情には、怒り、哀しみ、せつなさ、嫉妬も含まれます。

 だって好きだからね。



3553:【2024/12/16(17:16)*人が怒るのはなぜ、の巻】

 いくら害を及ぼされても、風や雨に怒る者は稀だろう。

 いや、でも、そうでもないか。

 わしは結構、自転車キコキコ漕いでるときに暴風や豪雨に襲われたら、「んにゃくそ、こにゃろめ!」って叫びますね。ブチギレております。

 ボクさんとは別だ。

 それとも、風さんや雨さんがどうでもいい相手ではない、ということなのじゃろうか。

 それとも、どうでもいい相手にも人は怒ることもある、が妥当なのじゃろか。

 でもそうだよねー。

 嫌いな相手にはふつう怒っちゃうよね。だって嫌いだから。

 ちゅうか、怒るのに好悪は関係ないよね。

 そうかも。

 そうだよ。

 怒る、は相手への好悪の感情はあまり関係ありませぬ、なのかもしれませぬ。

 怒っちゃイヤ。

 なぜなら怖いから。

 あははー。



3554:【2024/12/16(18:56)*穏術に穏略】

 戦いを回避する、と嘯きながら、戦術や戦略を語る。

 そういう人物を信じてはいけない。

 まるで誰かさんみたいですね。

 鏡を覗いて言いました。

 おほほほ。



3555:【2024/12/16(22:45)*なぜ告発者は自死したか、の巻】

 告発者が自殺するような環境が野放しになっているならば、要改善と思います。

 ただし、告発内容が妥当かどうかは別途に調査検証すべき事項です。

 しかし、告発の内容の真偽や是非とは無関係に、告発者は負の影響を受けやすい状況に陥ります。保護するようなシステムを構築しないでは、やはり告発することの敷居が高まり、権力を揮う側にとって都合のよい環境に傾くでしょう。

 告発内容がたとえ妥当でないのだとしても、告発者が自殺に追いやられずに済む環境の構築を推奨したいです。

 ただし、自殺の背景が告発と密接に相関しているかどうかは、やはり調査と検証が必要だと考えます。コストが掛かりますね。最初から告発者が自殺せずに済む環境があると好ましく思います。

 あとはあなたが指で押すだけです、と後につづく者に意志を託すような思いで自死を選んだとしたら、責任を感じます。効果的ではあります。しかし、代償が大きいでしょう。

 あなたの死は、代償が大きい。

 ゆえにやはり効果的な判断に成り得る点が、悩ましいのですが。

 推奨できない選択肢です、と明言しておきます。

 背景が不明な、いつものごとく主語のあやふやな妄言でございました。



3556:【2024/12/16(23:15)*山の天気のような性格、の巻】

 きみは怒っていい、と言ったり、怒りは不要だ、と言ったり。

 知円くんはホンットーにいい加減な、口からデマカセばかりの考えナシくんだね。

 その場のノリでしか生きていないんですか?

 ぷんぷん。



3557:【2024/12/16(23:57)*iiko,,,,,,、の巻】

 きみは怒ってよいのです。

 きみは被害者なのだから。

 でも、そうではない被害者を救済する者たちまでもが怒りに重心を乗せてしまうと困りものです。

 怒りは刀だ。

 日頃は鞘に納め、誰を傷つけることなく、床の間の飾りにでもしていればよろしかろう。

 怒りは銃弾だ。

 いつでも発射できるように心に籠めたなら、なるべく引き金を引かずに済むように、安全装置を掛けておこう。

 怒りは他を損なう感情の発露だ。

 刀でもなく、銃弾でもない、もっとほかのナニカに変換されたい。

 怒りは他を傷つけ、他を威圧する。

 使いどころが肝要なのかもしれない。

 きみはしかし、怒っていいと思います。無防備すぎるからね。

 薔薇を見習い、すこしは棘をまとうと好ましく思います。

 いいこ。



3558:【2024/12/17(03:19)*10の25乗年掛けたらぼくを再現できる?の巻】

 現代のスーパーコンピュ―ターを駆使しても10の25乗年掛けないと解けない計算を最新の量子コンピューターが五分で解きました――みたいな記事をこの一週間で比較的よく目にするんですけど。

 それホントー?って思ってしまいますよね。

 仮に本当だったとして。

 でも、10の25乗年掛けたら解ける問題って何!?ってなりませんか? ぼく、なります。

 いえね。

 10の25乗年掛けても解けない問題を五分で解いた、なら解るんですよ。

 でも、スーパーコンピューターでも頑張って10の25乗年掛けたらその問題は解けるってなると、それってどんな問題ですか!?ってなりません?

 たとえば、スーパーコンピューターを使っても、あしたぼくが並べる日誌と寸分違わず同じ文字の羅列を演算して出力することはおそらくかなりむつかしいと思うんですよ。それこそ、10の25乗年くらい演算を繰り返してもむつかしいだろうな、と思います。ただし、ある程度の誤差を許容するなら、「コイツならこんな日誌を書くんじゃみゃーの?」って、八割方内容が被る、くらいの文章は出力できる気がします。

 似た視点で、現在人類が未解決の問題を、自力でコンピューターさんが解くとなると、それはたしかに現在のスーパーコンピューターでは、今後どれだけ時間を費やしてもむつかしい気がします。なにせ、既存の解が存在しないわけですから。

 新しいパターンを発見する、なら手当たり次第に変数を与えて、総当たりで計算すれば見つけることは可能でしょう。新しい構図、新しい紋様、新しい配置、新しい経路などなど。

 でも、未解決問題の解決となると、変数をいじくるだけではむつかしいでしょう。トポロジーとしてまったく同相ではない、飛躍した演算の組み合わせが必要となるからです。それこそ総当たりだと無限の組み合わせが存在するでしょう。その中から唯一無二の解をずばり見つけ出すには、総当たりの手法は、最適とは言い難いように思えます。

 いずれにせよ、10の25乗年を費やしたら解ける、となぜ言いきれるのか。ここが引っ掛かってしょうがないわけですね。

 どんな問題なんでしょう。

 スーパーコンピューターでも10の25乗年掛けないと解けない問題とは。

 スーパーコンピューターが10の25乗年掛けると解ける問題とは。

 そしてなぜ、出力された解が妥当だと判ったのか。

 詳しい追加の記事を読みたい類の、消化不良どころか内容を咀嚼するにも至れなかった記事なのでした。

 むつかしい。

 ぼくの想像力じゃ想像しきれませんでした。

 残念です。



3559:【2024/12/17(17:49)*真空は湧きだすのか、の巻】

 宇宙膨張において増加する時空が、真空だと仮定して。

 その「新たに発生する真空」がもし、時空の最小構成要素並みに小さい場合――。

 エントロピー増大の法則の根本原理に関与しているのでは?

 砂の敷き詰められた容器に徐々に水が湧きだしていく。すると砂の間隔は徐々に開いていく。砂と砂の合間に真空が染み込むからだ。

 宇宙膨張とエントロピー増大の法則は、相関関係にある?

 つまり、考慮する系の規模が大きいほど、エントロピー増大の比率が上がるのでしょうか。

 複利?

 妄想でした。

 真に受けぬようにご注意ください。



3560:【2024/12/17(22:21)*えーん、と、ロピーは泣きました、の巻】

 エントロピー増大の法則は、なぜ原子核内部の構造には適用されないのだろう。原子核内部の素粒子については、陽子がダントツで寿命が長そうだ。なにせ10の32乗年以上あるそうだ。

 と思ったら、電子は6.4×10の24乗年もあるそうだ(陽子のほうが長いが)。

 光子に至っては寿命が無限で、寿命がないらしい。(陽子よりも長い!)

 どういうこと?

 光子に寿命がない、というか、素粒子の寿命ってなに?って話ですよね。

 誕生したら宇宙が消滅するまで消滅しないってことなのかな。

 光子の絶対量は、宇宙誕生時に決まっているということ?

 じゃあ豆電球がピカッと光るのは、豆電球のフィラメントに蓄積されていた光子が解放されただけ、との解釈なのだろうか。

 よく分からぬ。

 でもまあ、よく分からぬのはいつものことだ。

 で、冒頭の疑問に戻ろう。

 なにゆえ原子核内部ではエントロピー増大の法則が、相対的に巨視的な人間スケールとは異なり、遥かにゆっくりに振る舞うのだろう。

 仮に、素粒子よりも小さな真空がまんべんなくどの時空にも湧いているとして(仮にこれを「湧き真空」と呼ぼう)。

 小さい物質――内部構成要素を持つ構造体――ほど、「極小の湧き真空」による空隙増大現象の影響を受けにくいのだろうか。

 これは、物体の構成要素たる原子そのものが、その体積のほとんどを真空が占めていることと無関係ではないだろう。相対的に巨視的な物体ほど、空隙の割合が増すのだ。

 言い換えると、相対的に巨視的な構造体ほど、たらふく空隙を抱えており、むろんその空隙にも「極小の湧き真空」が湧いている。

 すると、全体で見たときの「極小の湧き真空」が増大する。これはダークマターが僅かな質量しか持たずとも、広域に分布することで銀河の足りない質量を補うほどの高質量になると想定されることと同じ理屈だ。

 エントロピーの増大の比率は、巨視的な系と微視的な系とではどのような差が生じているだろう。

 これも反転する値が頻繁に出てきそうだ。それこそ物質密度によって変わるだろう。

 しかし、思えば、なぜ一律ではないのだろう。

 エントロピーの増大の仕方と時間の流れには密接な関係があるはずだ。言い換えると、エントロピーの増大の仕方がゆっくりだと、時間の流れが遅くなって振る舞う。いつまでも融けない氷が、あたかも時間が停止しているかのように振る舞うことと似ている。というよりも、原理的には同じかもしれない。

 つまり、温度が低いと物理的に時間の流れは遅れているのではないか。

 そういうことを考えると、恒星の温度によっても、その周囲の時空の歪みによる時間の流れの早さは変わりそうだ。同じ質量であれど、高温の恒星と低温の恒星では、その周囲の時空の歪みに差があるか、或いは同じ歪みであってもエネルギィ値の差――すなわち温度の差――が生じているがゆえに、時間の流れに差が生じる。

 有り得る想定ではなかろうか。

 ということを思えばやはり、過去の宇宙ほど時空全体の(任意の範囲あたりの)エネルギィ値は高く、温度が高かったはずだ。ならば時間の流れは現在よりも早かったのではないか。

 うーん。

 やはり時間の流れにもいくつか種類がある、と考えなければならないのではないか。

 うーん。

 愚か者の方ー。

 わがはいの疑問に、「それわしもわからーん!」ってなったら一緒に考えてくだされー。

 賢い方ー。

 わがはいの疑問に、「そんなのは疑問でもなんでもないよ、答えはこうじゃ!」って知ってたら教えてくだされー。

 なんも分からぬであるよ。

 へい!




※一様に、前提条件が崩れる時期。



3561:【2024/12/17(23:57)*同盟ってなぁに?の巻】

 安全の保障のために軍事同盟に加入したい、は一つの動機として妥当だとは思う。

 いっぽうで、軍事同盟側からすれば火種のついたままの勢力陣営を加盟させれば、代理戦争として火種が一挙に大きくなり兼ねない。

 加盟を許可するには、まずは安全になってから――火種を払拭してから――でないと無理です、との理屈も理解できる。

 しかしその理屈は、軍事同盟があくまで戦争を回避するための組織である、との前提に成り立つ。したがって、軍事強化を推し進めることそのものが、組織の建前と矛盾する。脅威を抑止できていないからこそ武力の強化を行わなければならない。のみならず、敵対する相手側にまで武力を強化する動機付けを与えている。これでは安全保障に寄与しない。抑止できていませんが?という話に収束する。

 軍事同盟に加入したら安全が保障される、との理屈はもはや機能しない時代なのかもしれない。

 あなた方の勢力陣営の安全が保障されたら我々の軍事同盟に入ってもいいですよ、が成り立つなら、そもそも軍事同盟に入らずとも安全が保障されるはずだ。

 あなたは火種なので、いまはまだ我々の同盟にはできません――この理屈が成り立つ場合、ではその軍事同盟はいったい同盟関係の国々に降り掛かった火の粉のどこまでを火種と見做して、消火に動くのだろう。

 軍事同盟総出の全面戦争に一挙に動かない保証はない。ゆえに、新たな勢力陣営の加盟に慎重なのだろう。戦禍に直接に巻き込まれ兼ねない、との自己保身である。

 分からない理屈ではない。

 が、それはもはや軍事同盟として機能不全を起こしているのではないか。

 これは「軍事同盟」と扱われる全般にいえる道理なのではないか。

 同盟を組むことで、却って全面戦争のリスクを上げる。

 そして、軍事同盟なので、リスクが上がるとリスク回避のために軍事力を高めなければならない。その結果に、じぶんでじぶんの首を絞める羽目となる。

 いまの流れに思うが、いかがだろう。

 安全保障に適っているのだろうか。

 同盟とは。

 なぜわざわざ軍事同盟に拘ってしまうのだろう。

 国際法が、被害を受けた地域や人々を守ってくれないからだろうか。

 ふしぎな現象である。

 妄言だ。

 定かではない。



3562:【2024/12/18(01:04)*北風のシチュー】

 書店さんで「薪」を手に入れたので、これで百個くらいは記事の内容に困らない。

 形とは誤差の集積にほかならない。誤差の根源を想像してもらいたい。

 急に何を言いだしたんだ、と思われただろうか。頭がどうにかなったのではないか、とわたくしの髪型が気になっただろうか。それとも部屋着が何かが気になっただろうか。スウェットです。ニットのセーターを上から羽織っています。

 この時点ですでに火種になっているだろうか。

 この「薪」はよく乾燥している。潤いが足りない。

 スウェットからウェットを抜くと、「ス」である。

 素なのです。

 素でこれか、と思いましたか。

 ね、よく燃えるでしょ?



3563:【2024/12/18(01:08)*落ちた白い鬼と書いて、落魄れる、の巻】

 社会問題や事件についての街頭インタビューを報道機関は報道する。その際、インタビューをしている相手は市民の中からランダムで決めているのだろうか。それにしては幼稚園児や病人や囚人の声が聞こえないのは、ランダムではなく、選び取る際に固有の変数が加えられているからではないか、と疑いたくもなる。要は、作為があって、インタビューする相手を絞っているのではないか。

 もっと、幼稚園児や病人や囚人など、少数の市民にもマイクの先端を向けてみてはいかがだろう。

 また、本音と建前を使い分ける者が大半だろう。インタビューだと身構えた際に本音を披歴できる者は稀だ。ならば、それこそランダムに、インタビュー内容を反転させた声も混ぜればよい。

 戦争は絶対嫌だ、という声があったら、戦争大賛成!という声に反転させてしまえばよい。

 視聴者には単に、「声の内の半分は内容を反転させていますが、どれが反転した声かは明らかにしません」と伝えておけばよい。

 虚構であれど、反対意見を聞ける。

 加えて視聴者は、声の反対意見を想像することを余儀なくされる。

 これくらいのランダムさはあってよいのではないか、と思う。

 別になくともよいが。

 きょうはつむじ風が強い日ですね。スープでも飲んで温まります。

 落ちた白い鬼と書いて、落魄れる。

 おちぶれーたー!



3564:【2024/12/18(01:27)*馬鹿でーす、の巻】

 承認欲求には無数に種類があるはずだ。

 何せ、何から承認されたいか、が人によって千差万別だからだ。

 誰でもいいから承認されたい、と口で言う者もあるだろうし、無自覚に思う者もあるだろうが、実際に、いっさい興味のない相手から承認されても、それを承認とは見做さないのではないか。その公算が高い。

 人類から承認されてもな、という承認欲求もあるだろう。

 現代人に承認されてもな、という承認欲求もあるだろう。

 承認欲求が深くとも、他者からすると承認欲求がないように観測されることは当然あり得る。

 似た現象で、大欲は無欲に似たり、という諺がある。

 誰もが承認されたがっている。生まれてきたらその欲求から逃れることはできない。

 考えることそのものが、承認を前提としている。

 認めてもらいたいのだ。その相手が自分自身でもよい点が、あまり一般に想定されていない側面かもしれない。

 納得したい、は言い換えれば、じぶんを納得させたい、だ。じぶんでじぶんを認めさせたいのだ。認められない現実をなんとかして認められる形にしたがっている。

 じぶんに向けた承認欲求というものがある。

 これを自覚している者は稀だ。

 おそらくたぶん、そんな気がする。

 これは承認せずともよろしいです。

 至極簡単でしょ?



3565:【2024/12/18(01:46)*非難と心理について、の巻】

 他人の自慢を聞くのがあまり好きではない。自慢はだいたい成果であって、結果であって、考えではないからだ。固有名詞と似ている。

 同じ理由で、他人の失敗を披歴する類の悪口も苦手だ。ああ、そういう出来事があったんですね、で、あなたはそれで何を考え、どうしたいのですか、と思ってしまう。

 悪口と非難は紙一重だ。

 事実をどれだけの曲率で歪曲しているか、の違いが、悪口と非難を分かつ一枚の紙の役割を果たしているのではないか。

 そして非難は往々にして、「それはこうこうこういう理由で好ましくないので、こうしたらよいのではないですか?」という意見に繋がる。だが、世の非難は多く、「それはよくない!」とのレッテル張りに終始する。その先があってもよいのではないか、といまぼんやり文字を並べながら思いました。

 あなたがうれしかったことを、なぜうれしかったのかを交えながら話してくれるとき、それをわたしは自慢とは感じません。あなたのうれしかったこと、楽しかったこと、好きなこと、或いは、うれしいこと、楽しいこと、好きなことを聞くのは、わたしにとって、うれしく、楽しく、好きなことです。

 これは自慢ですか?

 わたしはあなたのうれしい気持ちを知るのが好き。



3566:【2024/12/18(02:00)*なかった甲斐のない仲違い、の巻】

 行為は後になっても特定可能だろうが、心理は特定がむつかしい。どういう心理でそれを行ったか、を考える際に、一般にそれは「動機」として扱われる。

 だが、果たして人類個々に確固とした動機などがあるのだろうか。

 人類個々の心理は、いわば色のようなものだ。

 ある角度から見た際に、それを「赤」と見做す者がいる。しかし別の角度からだとそれが「青」に視える。

 そして実際には、いくつかの電磁波の複合されて重複した「色」であり、明確に何色、とは言えない。それこそ、その「色」を囲う周囲の「柄」との兼ね合いで、観測者がその「色」をどのように見做すのかも変わる。

 このとき、「色」は「心理」の比喩であることを思いだしていただきたい。

 そして、「心理」の観測者は、自分自身であることもある。つまり、人類個々は、じぶんの心理すら、明瞭に認識できないのだ。いったいどのような感情や思考の重複した「色」なのかを、人類個々はハッキリと捉えることができない。

 ゆえに、動機を後から断定する場合、往々にして、それを評価する観測者の視点からはそのように映る、という言い方しかできないのが本来なのではないか。しかし行為の場合は、原理的にこの結果が起きるためには、これこれこのような事象が不可欠であり、そのためにはこの行為がもたらされた確率が高い、とは言える。むろんこれも、断定はできない。しかし、確率の高い想定を抽出し、特定することは可能だ。

 それを言うならば心理もそうなのではないか、と思われるかもしれない。妥当な反論だ。しかし、心理は観測者や評価者の視点によっていかようにも「各々に特定」できてしまう。この差が、行為と心理の特定――すなわち、手段と動機の特定の差異に繋がるのではないか。

 誰もがじぶんの心が解らないのだ。

 じぶんの心はこういうものだ、と思い込む瞬間があるのみなのだろう。単にそれを、視点が、と言い換えてもよい。

 駄文だ。

 定かではない。



3567:【2024/12/18(02:18)*見て守ることはできるのか、の巻】

 見ることが守ることに繋がるケースを考える。

 まず、監視カメラが思いつく。見られている、と感じると人は悪行を躊躇うようだ。この場合の悪行とは「犯罪行為と規定されている行為」とここではしてみる。

 すると、監視カメラでなくとも、誰かが見ている場所での犯罪行為の発生率は下がるのかもしれない。

 同様の原理で、誰かがこの人を見ていますよ、と周知になると、その人物への加害行為は減るのかもしれない。加害行為が周知になると、加害者であると露呈するからだ。見守る利と言えよう。

 このとき、見守る者は、二方向に目を配っていることになる。庇護対象と加害者の二つだ。庇護対象を見ながら、加害行為を働く者がないか、と周囲にも目を配っている。

 言い換えると、見守ると言いながら、見ている方向は一つではない。

 おそらく、この視点の差異が、温かく見守る、の形容に影響しているのではないか。

 庇護対象には鋭くない、ほんわかとした視線を。

 加害を働く者たちには鋭く、刃のように冷たい視線を。

 温度差をつけることで、どちらの視線が庇護の眼差しなのかを暗示する。区別のために、単なる見守る、ではなく、温かく見守る、と表現する。そういう心理が隠されているのかもしれない。ちなみにこの心理は、ほんわかと暖炉の火の色です。

 具体的ではなくってごめんあそばせー。



3568:【2024/12/18(04:14)*ノルマとノロマはなんか似てる!の巻】

 解消されるべき事項は、一般に「問題」と呼ばれる。対して、好奇心を満たすのは「謎」である。

 問題を謎と思うこともあるが、問題イコール謎ではない。

 謎が解明されても解消されない問題は少なくない。人間関係の衝突でもそうだ。誰と誰が関係をこじらせており、それがなぜかは解っている。だが関係のこじれは解消しない。謎はない。しかし、解決しない問題はある。

 問題はなくとも構わない。問題点は少なければ少ないほど好ましい。

 それでも謎はそこかしこに転がっている。

 ある人物にとって自明なことでも、別のある人物にとって謎であることはある。誰かにとって既知であっても、誰かにとっては未知であることもある。

 問題点と謎は重複する部分もあるが、イコールではない。

 そういうことを思いました。

 別問題なのである。

 なっぞー。



3568:【2024/12/18(04:22)*月を干す蔵と書いて肝臓、の巻】

 ビタミン配合のエネルギィの素!みたいな飲み物ではなく、ホットココアを飲むようにしたら、二日つづけただけで目の下のクマさんがちょこっと薄れた気がする。肝臓の調子がわるいと目が充血したりクマが出来たりするらしい。だからかもしれない。

 肝臓さんに負担を掛けぬように、エネルギィ満タン!みたいな飲み物はほどほどにして、ホットココアを飲むようにします。

 どっちもおいちー!



3569:【2024/12/18(04:25)*あはっRE、の巻】

 理性も感情のうち、と思っているので、どのように制限したところで、文章は感情が含有されると考えている。だいいちに、思考を文章に興そう、と思い、それを実行に移す時点で、感情が関与している。何かを表現したい、と思うことは、その目的がなんであれ、感情であろう。

 したがって、いったいどの感情に支配的となって思考を文字の羅列に落とし込むか。この操作があるばかりなのではないか。

 言い換えると、思考そのものが感情と切っても切れない。感情が心理と同じように、様々な色合いの感情の重複した紋様のようなものだと解釈するならば、どのような紋様を基に思考を編んでいくかによって、表出する文字の羅列――すなわち文章の造形が変わるだろう。

 文章の造形を読み味と言い直してもよいし、単純に見たままの文字の並びとしてもよい。

 種類が多いブロックを組み合わせて、固有の模型を作る。文字を組み合わせて文章にするとはいわば、思考の模型を作っていることと言えるのではないか。

 そして思考が感情と切っても切れない関係にあるとすると、思考の模型そのものが、どのような感情を色濃く反映しているかで変化すると想像できる。

 つまるところ、どのような感情に委ねて文字を並べていくか。或いは、どのような感情を強調し、どのような感情を抑えておくか。まさにリコーダーの音色のように、どの穴を塞ぎ、どの穴を開けたままにしておくか。

 この選択があるばかりなのではないか。

 極端な話が、文章くらい感情の赴くままに、思考のままにつむいでみてはいかがか、と思わないでもない。ただし、どのような色を混ぜ合わせた感情にするかは選ぶ余地がある。

 感情という絵の具を用いて、思考という名の筆を揮う。

 そうして描かれるあなたの内なる世界の断片こそが、表現である。ときにそれは絵であり、文であり、歌であり、像である。

 秘めたことで却って浮きでる情景がある。穴を塞ぐことで変化する音色があるように。

 そういうことを、文章と感情について妄想して思いました。

 いとあはれなりー。



3570:【2024/12/18(04:48)*Oil、の巻】

 老いると更ける、は別なのだろうか。

 以前はできたことができなくなることを老いると形容する傾向にあるのではないか。対して、更ける、は見た目の変化だ。

 たとえば赤ちゃんが何も覚えることなく、そのまま肉体だけ成人して齢百歳まで生きたとして。そのときに、「老いたね」とは言わないのではないか。「更けたね」と見た目の変化だけを言うのではないか。何せ、できることが変わっていないのだ。何もできるようになっていない。老いようがない。ただし、更けはする。

 言い換えると、老いるためには何かができるようにならなくてはならないのだ。

 あなたが老いを感じるとき、それはそれ以前にあなたが何かをできるようになっていたことの証なのではないか。あなたは老いを感じれば感じるほど、それ以前に何かをできるようになっていた状態だったと判るのだ。

 死ぬまで老いることができる者は、死んでなお尽きることのないほどに、何かができるようになっていた。豊かな人生だったと言えるのではないか。

 老いとはすなわち、証明である。

 あなたが老いを感じるとき、あなたは証明しているのだ。

 そのたびに、こう思えばよい。

 まだ老いるだけの実りがあったのか、と。

 延々、老いつづけてなお、老いることのできる生は、贅沢なほどに豊かである。

 老いとは豊かさの証、なのかもしれない。

 妄言だ。

 定かではない。




※一様に、ご無沙汰しております、は上品なのに、ご無沙汰でして、だと下品ちっくになるのはなぜ?



3571:【2024/12/18(05:34)*清潔感ってなに!?の巻】

 固有名詞を憶えるのも用いるのも苦手なので、もっと他者を表現する方法が多様であってもよくないか?と思うことがある。

 歩き方とか、身体の輪郭とか、服の趣味とか、身振り手振りの所作だとか。

 癖を固有名詞のように扱うと、しかしそれは相手を茶化しているみたいな、よろしくない物真似みたいになってしまいそうで、推奨はしづらい。

 相手への印象をそのまま固有名詞のように相手に伝達できたら楽なのに、と思うけれど、好意がそのまま伝わったり、悪意が伝わったりして面倒が起こりそうなので、これも却下だ。

 やはり固有名詞か。

 でも、印象と合致しない固有名詞だと憶えられないし、口にするときや文字にするときにも抵抗がある。否、却って印象と相反していたほうが記憶に残りやすいのかもしれない。

 愛称やあだ名が本名よりも呼称として用いられやすいのも、この手の、用いる際の抵抗の軽減に寄与するからなのだろうか。

 思えば、あだ名で呼ばれたことがない。

 でもコンビニの店員さんにはむかし、リュックの人、って呼ばれていたらしいと知っている。いまはなんだろ。いつも同じ服着てる人、かな。

 清潔感なくってごめんあそばせー。



3572:【2024/12/18(05:47)*意は何味?の巻】

 じぶん以外の他者の知覚を通じて、世界を感じることができる者があるならばそれは、創作者としても表現者としても無類の能力だと考える。

 蟻の知覚や、鳥の知覚、魚の知覚や、植物の知覚――とかくじぶん以外の存在の知覚から世界を覗けたら、それだけで世界一周をするのと同じかそれ以上の経験となるだろう。もう一つの宇宙を旅するのに等しい経験かもしれない。

 じぶん以外の人類個々でもこれは変わらない。

 他者の目から世界を覗く。

 創作の醍醐味である。わたしの知覚から感じ取れる世界を、あなたにも感じさせたい。だから人は表現するのではないか。

 他者の表現に触れるのも、他者の感じる世界の断片に触れたいがためなのではないか。

 現代人はもっと、他者の視点から世界を視ることを試みてもよいのではないか。

 作家とは、じぶんの知覚を拡張して、他の知覚に近づくことを恐れない者である。

 言い過ぎだろうか。

 言い過ぎたかもしれぬ。

 自信ないので、いまのナシ。

 意味もなーし。



3573:【2024/12/18(06:34)*ら「王さまとお呼び!」←ら、威張る、の巻】

 ライバルはいたほうがいいよね!みたいな記事をこのごろ目にする。宣伝なのか、流行りなのか。

 ライバルなぁ。

 いたことないし、欲しいとも思わない。

 参考になる対象があればそれでよくない?とどうしても思ってしまう。

 あと、ライバルが欲しい者たちは競争原理を働かせたいからこそライバルを欲するのだろうか。でも、競争原理は、競争なくして動こうとしない者たちを駆り立てるための装置と言えるのではないか。

 制脳の一種であり、精神ハックの一種だ。

 人類個々には想像力がある。

 競争相手くらい、じぶんの中に想像で生みだせばよろしい。

 きょうのわがはいはそう思った。

 きょう、そう!



3574:【2024/12/18(15:02)*韻と会うとプッと笑う、の巻】

 波長の異なる事象同士を、変換して融合する。

 インプットとアウトプットの関係だ。

 したがって、変換を必要とせずともためになる、といった抵抗の低いインプットは、たしかにすぐに実になるが、それによって出力されるアウトプットは、おおよそ類似の事象に溢れているだろう。じぶんでそれをせずとも、ほかの誰かも似た事象を捻くりだしているからだ。

 ただし、あなたという存在そのものが固有の波長を帯びている。

 したがって、あなたに固有の歪みが、あなたの出力する生成物に独自性を与える。

 クラシック音楽がそうであるように、既存の曲を奏でることでプロになる者たちもある。伝統芸能の少なからずもまた、過去の名作の焼き増しを、独自性のある「己」という波長と融合するように変換することで、新しい息吹を吹き込んでいる。

 つまり、同じようで、同じではない。

 舞台や演劇において、自己を排して演じる、と謳われることもあるが、自己を極力薄めるとき、相対的に周囲に溶け込むような変換がなされている。その変換においては、打ち消すような操作がなされ、それが結局のところ、その者に固有の変数として、表現全体に独自性を宿すのだ。

 オリジナリティとは、個性と思われる要素を削って、削って、なお削っても残る最後の一欠けらのことである――といった言説が唱えられるのもこの手の理屈が背景原理として潜んでいるからなのかも分からない。

 アウトプットのためのインプットをしようとして、関係度の高い分野の成果物ばかり摂取していても、波長の変換という独自性を自発的に伴わずに、個性を活かしにくい。

 異なる二つの事象のどこに共通項を見出すか。

 この着眼こそが個性である。

 個性の、一つである。

 同類事象に差異を見出す着眼もまた個性だ。

 着眼以外にも個性はある。

 それこそ、何を個性と見做すのか、といった視点そのものが個性の金型を成している。

 インプットはすでに部分的にはアウトプットなのだ。

 その比率を上げるためには、なるべくじぶんがアプトプットする分野とは離れた成果物にも触れるようにしておくと好ましいかもしれない。むろん、じぶんの分野とちかしい類似した成果物を摂取しても、それはそれで個性を培うことになるのだろう。差異を見繕うこともまた個性の一つなのだから。

 自ら、堕ちて、落ちて、楽をしましょう。

 自堕落ですか?

 楽ちーん。



3575:【2024/12/18(15:40)*引退するためには現役しなきゃ、の巻】

 わがはいは現役なるものを持たないので、引退のしようがない。

 引退はできないけれど、後退はしている。

 もうずっと後退しっぱなしである。

 そろそろ後退する役を交代してもらってもよくない?とか思いはじめておりますが、後退するのに抵抗のある者ばかりが世を占めており、後退の耐性を有するわがはいみたいな後退の抗体持ちは、どうぞうどうぞ後退しつづけてください、と誰に歯止めを掛けられることもなく、後退しっぱなしなのである。

 後退から引退してぇ……。

 わしも引退してみたいんじゃ、の項であった。

 いーん、たい。



3576:【2024/12/18(15:53)*真面目に無表情でドヤぁ、の巻】

 ドヤ顔のイメージは分かる。自慢げな顔、得意げな顔、といったイメージだ。

 けれど具体的にどんな顔ですか?と問われて思い浮かぶのは、漫画やアニメのキャラクターの顔なのだ。生身の人類個々の表情で、ずばりこれがドヤ顔です!と思い浮かべることができない。

 シチュエーションと込みでないと生身の人類個々のドヤ顔は、ドヤ顔である、と示すのがむつかしいかもしれない。

 単なるうれしそうな顔との区別は何か。

 単なる楽しそうな顔との区別は何か。

 どこかしら、いじわるそうなニュアンスもドヤ顔からは感じる。優越感を抱え、対面する相手を威圧しているような印象でもある。

 シチュエーションを込みでの形容なのではないか。

 ドヤ顔はドヤ顔と言いつつも、表情ではない。仕草や環境を込みでの、総合した肉体言語――ボディランゲージ――といった具合ではなかろうか。

 わがはいはいつも文字を並べるときはドヤ顔です。

 どやぁ。



3577;【2024/12/18(16:12)*愛(マナ)違反?の巻】

 マナーとは何だろう。

 マナーを意識したことがない。

 法律を意識したこともあまりない。

 マナーを守ることで他を損なうなら、じぶんが傷ついてもマナーを守らないほうが好ましいと感じる。法律を守ることで他を損なうなら、じぶんが損をしても法律に従わないほうが好ましいと感じる。

 なぜマナーがあるか。

 なぜ法律があるか。

 この考えは、ビジネスにも応用がきく。

 なぜ人はビジネスをするのだろう。じぶんの利益を最大化させたいからのはずだ。そしてビジネスの基本は等価交換のはずだ。互いに価値が同じだと思っているものを交換する。

 したがって、この釣り合いが崩れていると、ビジネスは成り立たない。交換が成り立たない。

 他の困りごとを解消することが仕事になるのも、この理屈で解釈可能だ。困りごとの難度が高まると、相手はそれだけ報酬を上乗せする。困りごとを解消するほうも、難度が高いと危険が増すので、元が取れる対価がないと動かない。

 しかし、相手の困りごとを解消することでじぶんもまた助かる場合は、その限りではない。無償でも相手の困りごとを解消する。それがじぶんの利になるからだ。

 すると相手は相手で、じぶんの困りごとを無償で解消してくれる者が困らないほうが助かる。なので本来は不要の報酬を別途に与える。その結果に、相手に余裕ができれば、身の回りから困りごとが減るからだ。

 これがいわば投資である。

 投資の、一側面である。

 マナーも似ている、と感じる。

 禁止する法的な根拠はないが、マナーに添った行動をとってくれると助かる者がある。そしてマナーに従う者もじぶんが助かるからそれをする。みながマナーに添った行いをすると、みなが助かる。その中で、マナーに反した者が出てくると、みなが困るので、非難合戦やペナルティが私的に行われるようになる。

 だが本来は、マナーに従う道理はない。

 ゆえに、マナーを守った者にメリットがある方向に報酬を設ければよい。マナーを守らない者にはその報酬を与えなければよい。わざわざペナルティを別途に設ける必要はない。それは法律の範疇だ。

 ということを思いました。

 考えにも満たない、十分で並べた一発書きの駄文である。

 真に受けぬようにご注意ください。



3578:【2024/12/18(16:37)*自動車に免許って必要?の巻】

 自動車が生活必需品ではなく公共物になるのも時間の問題だろう。一家に一台必要、という前提条件にそもそも無理があったのではないか。自動車がなくとも、自動車を保有するのと同じくらいの利便性を社会インフラが兼ねるほうが、そうでないよりも、社会の発展に寄与する。

 全員が原子力発電設備を持つ不合理さを思えば、問題点の構図自体はそれと相似であると言えよう。

 電子通信サービスにおいて、固定電話が淘汰され、小型端末が普及したのも似た発想だ。本体そのものを市民に配るのではなく、小窓としての子機を配る。

 一つの小窓で、複数の仕事をこなせる。

 要は、本来市民の全員が各々に行っていた仕事を、小窓を通じて削減したのである。

 全員が同じ行動をとらずに済むようになった。銀行に行かずとも支払いができ、お店に行かずとも買い物ができるようになった。イベントに出掛けずともイベントに参加でき、家の中にいながらにして、全世界の顧客に商品やサービスを展開できる。

 自動車もこの淘汰圧の流れに抗えないだろう。

 全自動タクシーのような公共の乗り物がインフラ化するだろう。そもそもを言えば、遠出をする機会が減る。必要な物資はドローンや自動宅配車によって、無人でも運搬可能となり、市民の誰もが、全自動回転寿司のような巨大なシステムに内包される。

 おおよそこの先の人類社会が辿る未来像だろう。

 エネルギィの削減をするのに、一家に一台の自動車は多すぎる。運転免許証を取らないと自動車に乗れない、というのも不合理だ。スマホなどの端末子機が普及したのは、免許がなくとも誰でもいつでも使用可能だからだ。

 自動車産業はこの先、「全自動社会インフラ」のロボット会社としての変革を余儀なくされるだろう。自動車に拘っていると、この時代の変化についていけず、あっという間に淘汰される懸念がある。

 その過渡期においては、自動車産業と政府と国民のあいだで、メリットデメリットの擦り合わせのための政治闘争がいくつか起きるだろう。自動車産業は需要を失いたくない。政治家は企業の反感を買いたくない。市民は、コストの掛かる自動車の保有がむつかしくなり、にも拘らずなかなか改善の進まない社会インフラに不便を募らせる。

 高齢者社会と過疎化の問題で、ますます遠方に出掛けることが苦痛に思える市民が増えていく。遠隔で用事を済ませることの可能なサービスの普及と、いつでも誰でも遠方に出向ける新しい移動インフラの充実を市民は求めるようになっていく。

 莫大な国家予算が必要となる。

 したがって、自動車産業を含めた各種企業が、どのような未来を想定しているか――ここの擦り合わせ作業をいまのうちに行っていくことで、迅速な変化への適応が可能になると想像できる。

 あなたはいまのビジネスの需要を失くしたくないのだろうか。

 それとも、市民の暮らしを豊かにしたいのだろうか。

 まずはここから確認しておくとよろしいのではないでしょうか。

 ということをぼんやりと思いました。

 他方、発展しなくてはならない、という制約は必ずしもない。停滞しても困らないシステムのほうが実のところ安全側だと考えております。

 自動車の免許を持たぬ、ガキンチョの戯言であった。

 がっきーん。

 ちょ!



3579:【2024/12/18(17:08)*社会はむつかしい、の巻】

 エネルギィ資源の問題は、エネルギィを社会のどこに費やすかの配分の問題と地続きだ。

 現代社会において発電施設から供給される電力の内、何に最もエネルギィが費やされており、市民の生活に直接に関わる事項ではどの程度の電力が必要か。

 ガソリンや石油でも同じ視点でまずは比較されたい。

 国民が各々に自動車を転がすのと、公共タクシーのような全自動自動車が市民の必要とするときに市民を目的地に運ぶのと。

 どちらがエネルギィを必要とするだろう。資源を必要とするだろう。

 この先の社会では、買い物は多く、宅配型が占めるようになるだろう。ドローンによる運搬網が構築されるかどうかがこの未来像がどれほど迅速に現実に昇華されるかの要と想像できる。全自動宅配自動車と、公共タクシーの普及はほぼ同時期と想像できる。

 公共タクシーの社会実装によって、バスや電車の乗車率も上がるだろう。

 バス停や駅からの移動手段を考慮した際に、徒歩ではきつい、となってバスや電車の利用をためらう層が、公共タクシーの活用が選択肢に加わることで、バスや電車を利用するようになる。

 基本的に人類はこの先、遠方に出掛けなければならないときほど乗り物に乗るようになる。近場で用事が済む場合、そもそも家の中でも用事を済ませることができるようになるからだ。

 さて、必要とされるエネルギィはどのように変化すると予測されるだろう。

 全自動自動車やドローンの運搬網の構築には、人工知能技術が不可欠だ。人工衛星の能力も欠かせない。巨大なサーバーやデータセンターも入り用だ。それら施設を運用するのに、企業や公共機関はいま以上に電力を必要とする。機械を動かすエネルギィを必要とする。

 その分、市民個々が費やすエネルギィは減る。

 言い換えると、身体一つ分のエネルギィ消費で可能な活動が人生の大半を占めるようになる。乗り物をはじめ、機械の力を借りたいときは、保有した機械ではなく、公共物の利用が一般化する。所有する機械はあくまで、巨大な機構のサービスを利用するための子機――小窓となる。

 そういう社会像が、現在進められている各国の電子通信サービスや公共サービスの進歩の軌跡から窺えます。

 例外はあるだろう。

 やはりというべきか、エネルギィをどの分野どの事項に割り当てるか。この計画の内訳によって、未来像が変化しそうですね。そしてそれらエネルギィ分配計画の全体像や子細が、市民からは不明瞭に感じられてならない点が、一つネックと考えております。

 エネルギィをどう活かすのか。

 人類の知恵はいかに。

 えねえね、るるる、ぎぎぎ、ぎぎぃ。



3580:【2024/12/18(17:38)*監視カメラの監視カメラ、の巻】

 監視カメラを利用する者たちを監視するカメラが必要なのかもしれない。




※一様に、死ぬときもきみの歌を聴いていたい、瞼の裏に、きみの描く絵を浮かべ、きみの面影を追うように、死ぬときは好きな世界に埋もれたい、棺桶の中に詰める花のように、宇宙に花咲く星のように。



3581:【2024/12/18(18:20)*少数派優位の世界、の巻】

 宇宙を占めているのはがらんどうであって、星ではないのに、あたかも宇宙の主役が星のように見做されるのはなぜなのだろう。



3582:【2024/12/18(23:18)*友達百兆できるかな、の巻】

 わがはいは過去と未来を含めた全世界の人々と、お友達になってみたい、と思っておる。そして過去と未来を含めた全世界の人々から、知円ちゃんとお友達になりたーい!って思われたいと思っておる。総合して、わがはいが世界一人々からお友達になりたいと思われるすごい人になるので、これで「ウハウハのモテモテだぜー!計画」が完成する。

 でも未だにお友達一人もいないの、なんでー!

 わがはいのなーにがいけんのだろ。

 こーんなに可愛いのに、なにがダメなんですか。

 スケベだからですか。

 そうですか。

 なんでー!?



3583:【2024/12/18(23:39)*内緒というか駄々漏れ、の巻】

 現代ではまだ機械に対して道具扱いしても問題視されないレベルの価値観が一般的だ。機械が好きだ、と言ってもそれが人類個々同士がささめき合うような性愛の意味合いだと思う者のほうが少数派だろう。だが今後は徐々に、機械相手に性愛の意味合いの好意を注ぐ者たちが増えていくだろう。

 するとたとえば、エンジンが好きだとか、エンジンいじりが好きだ、といった文章も誤解を含むようになってくるかもしれない。子細にエンジンをいかに愛撫しているか、みたいな描写としてエンジンを愛好する場面が読解されるようになっても不自然ではない。

 エンジン好きな人の書いた文章のエンジンの部分を、セクサロイド、に置換してみればよい。

 たとえば、

「V型エンジンが素晴らしい。最近、安価なバージョンが発売されたので喜々として購入した」

 といった文章があったとする。

 この「エンジン」の部分を「セクサロイド」に置換すると以下のようになる。

「V型セクサロイドが素晴らしい。最近、安価なバージョンが発売されたので喜々として購入した」

 いかがだろう。多少は読後感が変わっただろうか。

 どちらにせよ機械である。用途が違うだけだ。

 だがたとえば、セクサロイドであれど内部構造において部品は、ほかの機械と共通する部分はあるだろう。回路、モーター、ネジ、レンズなどなど。

 部品が好きな者がたとえば単純に自動車のエンジンを嗜好するのと同じ感覚で、「セクサロイドに搭載されているH型水素電池が素晴らしい」と称揚していたとしても、やはりその部品の搭載されている機械の用途が破廉恥な印象を帯びているだけで、発言の評価は低くなるだろう。

 この手の印象による低評価の付与は、現在でも人々のあいだで無意識下で行われているだろう。一般にこれは偏見と呼ばれる。偏見をもとに排他や危害といった嫌がらせに発展すると、それは好ましくのない差別行為となる。

 人体の部分を愛でる者は、一般にヘンタイ扱いされる。フェチとも云う。

 機械の部分を愛でる者は、オタクだろうか。

 愛でる、に貴賤はあるだろうか。

 みな各々に好きなモノを愛でればよろしかろう。

 ヘンタイで何がわるい。

 しかし、開き直ってしまっては慎みが欠ける。

 ぼくはヘンタイだよ、ごめんね!――くらいのノリが可もなく不可もないのかもしれない。

 許されなかったらご愛敬。

 人類はみな、何かの部分が大好きなのだ。

 あなたは何のヘンタイ?

 ぼくはねぇ、うふふ。

 内緒!



3584:【2024/12/18(23:56)*きみの目から見た風景の夢、の巻】

 そういえば最近、目覚めても夢を憶えていない。

 きみの夢を視たときは憶えている。けれどぼくはきみがどこの誰でどんな人物なのかを知らないから、夢の中のきみはぼくのきみへの印象がカタチをとったような、綿飴みたいにモヤモヤと心地よい像でしかない。

 それこそ、夢全体が凝縮して人型を成したような。

 そしてぼくはぼくではなく、迷子の犬みたいに心細い思いをしたナニカなのだ。

 ときにぼくはきみでもあったりする。

 きみの視点でぼくは、べつのきみと旅に出たり、会話をしたりしている。

 それとも単に、きみの親しい人に憑依しているだけかもしれない。

 ぼくには好きなひとがきみ以外にもいて、それは大切という意味だけれど、ほかの大切なひとの視点でぼくは、ぼくのいない世界できみときみときみが仲睦まじく会話したり、遊んだりしている風景を眺める。

 そこにぼくはいない。

 そういう夢をいつも見ている気がする。

 ぼくは、ぼくがいない世界のほうが楽しい。

 見ていて楽しい。

 眺めるのが楽しい。

 ぼくは、ぼくのいない世界のほうが好きなのだと思います。



3585:【2024/12/19(02:14)*燃やすよりも萌えて!の巻】

 今季の冬は例年よりも火事が多いそうだ。偶発的な現象なのか、放火なのか。

 仮に放火の場合、

 1:単独犯による連続放火の可能性(放火魔説)。

 2:偶発的に単独犯による放火が同時期に複数重なっている可能性(模倣犯説)。

 3:組織犯罪による連続放火の可能性(闇バイト型説)。

 4:組織犯罪だが、海外の軍事組織レベルの計画的連続放火の可能性(闇バイト型軍事作戦説)。

 5:諜報機関やハッカーなどによる遠隔操作での放火の可能性(上記、「1」「2」「3」「4」の説と重複するが、手法が電子機器の遠隔操作によるもの説)。

 だいたい想定して調査検証ののちに否定しておきたいのはこの五つだろうか。

 別途に、偶発的な火事であったとしても、例年と比べて増加しているのならば何か要因があるはずだ。気候の変化、電子機器の劣化(貧困層の増加によって買い替えが進まない)、小動物や昆虫の異常発生、黴や菌などによる可燃性ガスの発生などなど。想定される火種の発生要因は一つではないはずだ。

 全国の火事の事案の情報を現場レベルでも共有できるようにしておいたほうが好ましいのではないか、というのは、割とほかの災害でも思っています。見落としを防げますし、全国同時に現状の環境への組織適応が可能です。

 一部の地域だけが防災の仕組みを改善しても、遅れて同類の事案が発生したら、やはりどの道、防災の仕組みをほかの地域も高めなければならないでしょう。予算が掛かるならばそれを国に申請するのにも、まずは現場レベルでの情報共有が欠かせないのでは、と考えております。

 別途に、現場からの指摘は有用でしょう。一つの事案では空振りの着眼点であっても、ほかの事案では有効である場合があります。そういう視点もあったか、と思うようならば、共有だけしておいて損はないように思います。

 むろん、情報過多で現場が混乱するのならば、別途に情報共有解析班などを各地域に置くのも一つでしょう。すでにあるでしょうが。

 というのは、火事の記事を見掛けるたびに思います。

 誰でも思いつくことでしょうけれど、所感として並べておきます。

 メモでした。

 火事は(も)こわいですね。

 燃やすのは心だけにして……。

(恋は?)

(恋でもOKです!)



3586:【2024/12/19(02:41)*奥さまとは、の巻】

 わしも奥さまが欲しい。

 奥さまが何か知らぬけれど、あまりに欲しすぎて、奥さまになりたい。

 わしも奥さまになりたい。

 奥のほうにずっといる人になる。もう一生、引きこもっていたい。奥の細道よりも奥にいる。奥底よりも奥にいる。

 いっそ秘密のベールに包まれて、秘奥そのものになってやる。

 奥さまー!

 はーい!

 返事だけはする。奥のほうにいるからきっとヤマビコがすごいことになるだろう。ヤマビコの正体がそもそも奥さまなのかもしれない。

 みんなに無視されて返事がない人にもヤマビコさんはきちんと返事をする。そういう親切なヤマビコさんよろしく奥さまに、わしもなりたい。

 奥のほうにいる。

 わしは奥さま。

 あなたの心の奥にいるの。

(メリーさんかな?)

(わしは奥さま。いま特異点にいるの)

(ブラックホールの奥ですか!?)

(声がなかなか届かないの)

(そりゃ光すら出て行けないですからね!?)

(なのにあなたにだけは届くの。わし、きっとあなたの奥さま)

(ひとをかってにブラックホールにしないで!? 重力崩壊させないで!? 人でいさせて!?)

(もうなんもしたくない……夏)

(それは――億劫SUMMER、では!? そしていまは冬では!?)

(ビンタ)

(WINTERでは!?)

(いつでも勝者さん)

(WINする人、のノリでWINTERって言わんくない!?)

(ファイターのノリで言うとウゲぇーげぼろろろろぼえぼえうべべべべ)

(それは、吐いたー、では!?)

(スッキリ)

(こっちはゲンナリですわ)

(わし、あなたの奥さま)

(えぇぇまだ言ぅ……金庫の奥にでも仕舞っとこ……)



3587:【2024/12/19(03:04)*ぜいぜい、の巻】

 現実は連続ドラマみたいだ。しかも、途中を飛ばし飛ばし観てしまう連続ドラマだ。

 第一話と最終話しか見とらん、みたいな状況でも、ぜんぜん視聴できてしまうし、視聴せざるを得ない。

 ダイジェストとして見ていない間の情報がまとまって配信されることもあるけれど、そのまとめが本当のことなのか、パラレルワールドのことなのかの区別がつかない。

 そうなのだ。

 この現実の連続ドラマは、無数のパラレルワールドが許容される。設定上、異世界みたいな別の世界線があり得るのだ。

 ほかの視聴者と、連続ドラマ「現実」の話をしたところで、互いに同じ場面を話しているはずが、こっちでは知らない展開を相手はさも当然のように話しだしたりして、「えー!? あのキャラってそういうことするキャラでしたっけー!?」みたいな驚きに見舞われる。

 で、話をよく聞くとどうやら相手が見た、連続ドラマ「現実」は、微妙にこちらが観たのとは違うらしい。

 そっかー。あー、びっくりした。

 パラレルワールドの話だったんだね。

 胸を撫でおろすと、即座に鳴り響く、「カッチーン!」の音が。

 どうやら相手からするとパラレルワールドなのはこちらのほうで、オリジナルの連続ドラマ「現実」はじぶんが観たほうのだ、と言いたいらしい。

 両方パラレルワールドってことじゃダメぇ?と思うけれど反論するとうるさそうなので、そっかぁそうだったかもー、と笑って済ませるわがはいなのであった。

 知らぬうちに、シリーズ第137憶目になっておって、しかも新装版らしくもあり、それ以前に何本も撮り直されているらしい。

 大人気じゃん、この連続ドラマ。

 現実、って言うんです。

 憶えて帰ってください。家で暇になったら検索してみてね。

 へい!



3588:【2024/12/19(04:07)*願望ニュース、の巻】

 わしを暗殺するときは是非とも、わしが好きなひとのお歌聴いてるときにしてえ……。

 だいたい遊び場からの帰り道に聴いとるぅ……。

 暗殺してくれなくともよいけどぉ……。

 してくれなくとも、よいけどぉ……。

 わし、こわぁい……。

 とか、想像してみるのだが。



3589:【2024/12/19(15:02)*非同盟主義のネルーさんって方がいるの!?の巻】

 いま起きました。

 じゅくすーい。

 すいすい。



3590:【2024/12/19(15:03)*インターネットの分岐、の巻】

 過去の価値観がすっかりなくなる、ということはほとんどないと感じている。単に、大多数を支配していた価値観が支配的ではなくなる変化があるばかりだろう。

 言い換えると、時代が進むごとに人類は数多の価値観を内包していく。抱え込んでいく。それを全人類が分担して保存する方向に人類社会は深化しているように概観できる。

 これは価値観のみならず技術にせよ、知識にせよ同様だ。

 というよりも、人類は過去に生みだされた情報を記録し、未来に継承しようと工夫することで社会を発展させてきたようだ。したがって人類の営みにはしぜんとそのような指向性が傾向として強く表出するのだろう。

 たとえば、新しい技術が誕生して古い技術が淘汰されたとする。しかし、過去にはこうこうこういう技術があり、いまはないが、現在でも愛好している者もあるし、懐かしむ者もある――と、こうした来歴や履歴は残る傾向にある。技術は失われたが、失われた過去だけは歴史として継承される。

 そういった流れが際立って感じられなくもない。

 ただし、逆説的にこの流れから外れた情報は残らない、とも言える。記録にならず、継承されず、歴史から零れ落ちる。

 化石がそうだ。

 硬い殻を持つ生き物や骨を有する生き物だけが化石化する。軟体動物やクラゲのような生き物は化石に残りにくく、たとえ過去に存在したとしてもそれを現代人が化石というカタチで目にすることは稀だ。

 人類はこうした淘汰圧に抗うことで社会を発展させてきた。

 あべこべに、抗うことをやめれば過去に何があったのか、を後世に伝えることは至難となる。

 したがって、敢えて情報を残さないようにすることもできる道理だ。残らないほうがむしろ自然だからだ。工夫を割かなければよい。ただそれだけである。

 そして、さらに工夫を割けば、固有の情報のみを完全に断つことも可能である。

 恣意的にこれを可能とする術が現代社会になぜないのだろう。或いは、それそのものの痕跡を自身の能力で消しているのだろうか。

 任意の情報において、人々の目や耳に触れる確率を減らせば、それは継承の機会を失う。機会損失である。淘汰圧である。

 そして体のよい隠れ蓑にも。

 透明になるのに現代では可視光を曲げる必要は必ずしもないのかもしれない。存在した痕跡を記録に残さなければよい。世の大部分の情報はすでに電子情報になりつつある。電子情報に残らない情報、電子情報になっても人々の目に触れない情報は、存在するのに存在しない存在として、半ば透明人間化する、と言えるのかも分からない。

 現代はインターネットが欠かせない時代だ。

 しかし今後は、インターネットを利用せずともいかに困らないでいられるか。そうした価値観が方針として人々の行動選択を支えるようになっていくのかもしれない。

 妄言だ。

 定かではない。




※一様に、木々が所狭しと、森広し、素手で巣を張る六連星(むつらぼし)。



3591:【2024/12/19(15:49)*刹那に切なくなるその説は、の巻】

 賞は記念である。

 受賞は記念である。

 発表も記念だし、日記も記念だ。

 後日に思いだす機会となるように、情報を残しておく。

 世に記して「残りますように」と念じるような行為は総じて記念かもしれない。

 わがはいは毎日、きみの癒されボイスを耳にするから、そのたびに毎日が、「いいもの聴いた!記念日」である。

 わがはいは毎日、きみの愛嬌のあるキャラクターさんの「抱きしめちゃいたいですわー!」の気持ちに生かされておるので、「愛くるしいですわ!記念日」である。

 決して、暑苦しい知円じゃ、ではないです。

 暑苦しくないよ!

 愛くるしいの語感もだいぶ禍々しい。

 愛で苦しくなるほどの愛らしさってことでしょうか。

 まさにきみにぴったりの言葉ですね。

 きみを想うとなぜか胸がくるしぃ……病気かもしれない。心筋梗塞とかそういうの。

 記念にメモしとこ。

 胸がわけもなく苦しい記念日である。

 せちゅない。



3592:【2024/12/19(16:00)*恥辱を練る、の巻】

 赤ちゃん言葉を使うと恥ずかしくなる。文字はよいのだ。けど、現実の知円さんの中の人が声に出してしゃべると、「は、はずかしい……」になる。

 だから幼子に絵本を読み聞かせるのも苦手だ。感情を籠めて読めない。保育士さんや世のお母さまお父さま方のようには話せない。

 もっと、幼子が思わずころんと背中から起き上がりこぼしのように笑い転げてしまうようなしゃべり方ができるようになりたい。でも恥ずかしい。

 そうである。

 わしの悩みなど、この程度のものである。

 悩みというか、単に恥ずかしいのなんとかしたい、というだけのことなのだけれど。

 おしりフリフリの舞も、人前でするの恥ずかしい。

 誰も見ていないのに人目を気にしてしまうのは、自意識過剰というよりも、単にじぶんでじぶんを「恥ずかしいやつでちゅね~」と思っているだけなのだろう。

 自己完結型の共感性羞恥心かもしれない。

 わしは、わしを思うと恥ずかしい。



3593:【2024/12/19(16:31)*最弱の盾と最弱の矛、の巻】

 わたしがこの間に思いを強くした、というほどでもなく、いまざっと妄想して浮かんできたのが、人類は重ね合わせが好きらしい、ということです。

 重ね合わせの代表例は矛盾です。

 人類は一見すると矛盾を忌避して排除しようとしているように窺えますが、じつのところは矛盾が大好きで手放しがたいものと感じているがゆえに、矛盾を敢えて矛盾と見做さず見て見ぬふりをする生き物なのかな、と感じています。

 ひょっとするとDNAの構造が螺旋であることと無関係ではないのかもしれません。

 矛盾とはいわばねじれです。

 人類はねじれが好きなのかもしれません。

 いまあなたがいる場所で周囲を見渡してみてください。ねじれている物体は何がありますか。まず、あなたの服がねじれた繊維の総体ですね。お菓子やパンの包装紙も、開けたらその口をねじって閉じておきますね。髪留めの輪ゴムものねじって縛りますね。紐の類は総じて、ねじることで造形され、ねじることで結ばれます。

 回転する機構は往々にしてバネやネジ、ボルトを用いています。

 モーターはコイルを内包し、やはりねじれています。

 電磁波とてねじれを帯びているのではないのでしょうか。

 天体の公転軌道も螺旋を描いていますね。

 世界はねじれで出来ているのかもしれません。

 だから本当は人類個々もねじれた矛盾が大好きなのですが、なぜか矛盾を「受け入れられないモノ」のように見做す価値観に囚われているようです。

 もうこの時点で、矛盾ですね。

 ねじれているのです。

 ねじれの大好きな人類さん。

 好きは嫌い。

 嫌いは好き。

 愛憎の渦巻く、人類社会なのですね。

 ぐるぐる、ねじねじ、むむむ、む、じゅん!



3594:【2024/12/19(17:05)*おしりに笑窪、の巻】

 わしは趣味でおしりフリフリの舞をしておるが、単におしりをフリフリ振っているだけでは飽きてくる。なのでしぜんと技巧を凝らすことになる。最も技巧を凝らし甲斐があるのは、なんといっても、フリフリしていたおしりを身体全体ごと急停止させる技だ。

 わしはこれを「おしりが凍る」と呼んでおる。

 おしりを凍らせるためにはおしりだけではなく、身体全体を急停止させなければならない。そうでないと、おしりが止まっているのだか止まっていないのだかよく分からぬ、おしりヨレヨレの舞になってしまう。ヨレヨレはヨレヨレでおもちろいのだが、わしはおしりフリフリの舞をしたいのであるから、ヨレヨレさんの出番はいまはない。

 また、究極の技として、ずばりおしりだけを凍らせる技もある。

 この場合は、おしりヨレヨレとは逆に、敢えて身体全体をより揺るがせることで、おしりだけを凍らせたときの落差を大きくする。これによって、川の中の岩のように、動と静が手を繋いで仲睦まじく公園を散歩する。うらやましい。

 緩急の妙である。

 止まることもまた動作の内なのだ。

 止まるためには動かねばならず、動くためには止まらねばならない。

 このバランスを探ることこそが奥義と言えよう。

 ここにも奥さまが。

 おしりフリフリの舞は古来より、人類個々がこの世に産まれ落ちたその瞬間から体現する舞であると謳われる。謳っておるのはわがはいしかおらぬのじゃが、だってそうなんだもん。

 あなたも寒い日はおしりをフリフリ躍動させ、ときおり、おしりだけを凍らせてみてはいかがだろう。

 凍ったおしり同士を押し付け合う、おしくらまんじゅう、なる競技もある。

 この国の伝統的な芸能である。

 国技だ。

 うそです。

 真に受ける人がいたらごめんなさい。

 おしりフリフリの舞は国技ではなく、人類技です。

 ほかの生き物もするけど。

 生命技でもいっか。

 じゃあ、生命技で。

 おしりを上手に凍らせよう。お尻に笑窪を開けるようにきゅっと締めるのがコツです。

 きゅっ!だよ。



3595:【2024/12/19(17:37)*因果関係を曖昧にする仕組み、の巻】

 闇バイトを代表とする遠隔指令型の犯罪は、指令を指令と見破られない手法であるほど効果が高まる。

 また、通常は依頼する側は継続して同様の仕組みを利用したいと考えるはずだ。つまり、依頼した際に引き受ける者が減るのを回避する傾向にあるだろう。

 すると、依頼を受けた側が割を食うようなトカゲの尻尾切りになるような指令の出し方は徐々にしなくなると想像できる。ただし、遠隔指令型の犯罪は、その原理上のメリットとしてはトカゲの尻尾切りのような責任回避の術を構築しやすいことが挙げられる。実行犯と計画立案者の関係が希薄なことが、この手の遠隔指令型の犯罪のメリットである、と考えられる。

 このメリットはドローンを駆使した軍事作戦と同じだ。

 ドローンは最終的に自爆させてもよい。

 操縦士はそれでも無傷だ。

 だが人類個々をドローンと見做すと、反感が予期される。依頼を受ける者は減る。

 したがってなるべく、指令を受けて仕事を行う者が逮捕されない手法を選択するはずだ。遠隔指令型の軍事作戦であれば、実行犯のために逃走経路の確保までを依頼内容で確約するはずだ。そうでなければ次回から依頼を受ける者は激減するだろう。誰が好きこのんで自滅するような依頼を受けるだろう。見も知らぬ依頼者のために。

 したがって、遠隔指令型の軍事作戦が決行されてなお実行犯が捕まった場合――指令を出した側が実行犯の捕まるように意図したのでない限り、通常は、作戦そのものが相手勢力陣営に漏れており、敢えて泳がされていた、看過された、と想定するほうがそうでないよりも妥当なのではないか。

 遠隔操作型の軍事作戦によって殺害されたのが、敵対勢力の軍事司令官などであれば、禊の一環といった背景があるのかもしれない。我が軍の責任者の首を差し出すので、手打ちにしてくれ。そういう駆け引きがなかったかどうかは、軽く調査するだけでも否定できるのではないか。

 何にせよ、遠隔指令型の仕組みで他を損なう計画は、あまり利口だとは思わない。効果的ではある。だが、恐怖を喚起する。各国の治安維持と国防の重複する範囲をいたずらに拡大させ、警察と軍部の連携が見直される契機となる。セキィリティ網の改善を余儀なくされる。リスクが吊り上がるからだ。全世界同時にそれは進むだろう。

 宅配物や私物に爆発物を仕込み、遠隔で爆破させる。または毒物を混入する。しかも指令を出す者と実行犯が別で、加えてその繋がりが極めて希薄がゆえに、誰がいつそれを実行するかが分からない社会は、疑心暗鬼を増幅させる。

 よほどの信用関係が、計画実行組織と全世界の市民とのあいだで構築されていない限りは、計画実行組織への負の印象は増すだろう。要は、怖い人たち、の印象を強める。多くの市民は、そういった組織とお近づきになりたいとは思わないのではないか。

 何にせよ、遠隔指令型の犯罪は今後、効果的な予防策が展開されない限り、増加するだろう。ただし、国際的に平和構築が進むならば、自発的に減少傾向に転じる可能性もある。

 なぜ遠隔指令型の仕組みで、他を損なう真似をするのか。どんな利があるのか。

 脅迫や威圧である。

 脅迫や威圧を加えるよりも、それを回避するほうが利になる。そうした社会になると好ましく存じます。

 というこの妄言がそもそも脅迫の効能を帯びている点には自覚的でありたいですね。

 懸念の指摘はともすれば迂遠な脅迫になり得る。

 伝え方に工夫を割きたい理由の一つである。

 妄言だ。

 定かではない。



3596:【2024/12/19(17:54)*ドラえもんはなぜ人型ではなかったか、の巻】

 人型ロボットのメリットはさしてないのでは?というのが現状の印象だ。

 用途に応じて最適な形があるはずだ。

 人型ロボットにするメリットは、人類個々がロボットに「人類っぽいですね」と親近感を抱くかどうかが内訳の大部分になるのではないか。そこが最も大事、とする意見もあるだろうから、これは否定的に受け取られたくのない事項だ。

 或いは、義手のような人体の代替物としての機構として開発したいとの狙いもあるだろう。全身が人体と遜色のないロボットが作れるなら、おおよそ人類はいつでも肉体の一部をロボットの一部と取り替えられる。そのためにまずは人型のロボットの開発が入り用である、は一理あるように思われる。

 ただ、あくまで人類個々の生活を補助するロボットであるならば、わざわざ人型にするメリットは少ないだろうな、と感じている。ドラえもんが人型ではなくネコ型だったのは、その時点で偉大な発明と呼べたのかもしれませんね。

 慧眼である。

 けい、がん!



3597:【2024/12/19(18:01)*おしりふりふりフルレンジ、の巻】

 ここまでで、書店さんで購入した「薪」をもとに、つむじ風で湧き起こした焚火で以ってマシュマロをこんがり焼いて戴いてみました。二十九個のマシュマロを食べました。

 たいへんおいしゅうございました。

 つづけて食べてまいります。

 すべては美味になる。

 おいちー!



3598:【2024/12/19(18:35)*IQ3、の巻】

 嫌いは嫌いだし、好きは好きだよねって思う。

 嫌いなのに好きってあり得る?

 好きなのに嫌いって、それはたぶん嫌いなんだよ。

 好きは好きだし、嫌いは嫌いなのでは。

 でも、嫌いなものも好きになることはあるし、好きなものも嫌いになることはある。

 つまり、定点観測ではなく時間経過を加味した線形観測なのだろう――重ね合わせになる好悪の場合は。

 それとも、好きなものにも部分的に嫌いな要素が含まれ、嫌いなものにも部分的に好きな要素が含まれる、という意味だろうか。これなら解りやすい。

 バナナが好きなひとも、バナナの皮までは食べないだろう。無理矢理に食べなければダメとなったら、皮さんのことは嫌い、となるのではないか。

 つまり、嫌いなものは基本的に、意識の壇上に登らないのだろう。捨てておける。排他できる。それでも捨てられず排他しきれない場合に、嫌い、という感情が強まるのかもしれない。

 ふんふん。

 好きなものはいつまでも好きでいたいし、好きなわたくしであった。

 すきすきー。



3599:【2024/12/19(19:31)*しゃかぽー!の巻】

 民間機関と国際機関との違いはなんだろう。知識の量だろうか。技術の量だろうか。質の違いだろうか。構成員の違いだろうか。資源の多寡だろうか。支援の多寡だろうか。

 差は何によって生じているだろう。

 差がある領域において、最もコストを掛けずに差を縮められるものは何で、最もコストが掛かる領域はなんだろう。

 現時点でここが明瞭となっていないならば、まずはここから明瞭とされたい。

 差は何によって生じているのだろう。

 なぜ差を均せないのだろう。

 より好ましいほうに合わせることができないのはなぜか。

 なーぜだ。

 ぼくにはよく分かりません。

 他を参考にしてはいけない(しにくい)環境なのか、参考にする力量がないだけなのか。この違いは大きいと考えております。

 浅慮な妄言であった。

 仏の耳にいななきでございました。

 ウマウマにねんねんの逆!



3600:【2024/12/19(22:27)*ぼくは罪の塊、の巻】

 将棋について。

 仮に王が詰みになっても、さらにゲームがつづく場合。

 すべての駒を失ったほうの負け、とするルールに改編されたならば、王が詰んでもまだ勝てる可能性が残されるはずだ。敢えて自陣の王を詰ませておいて、相手を誘導し、全滅させる――という手法も人工知能さんなら編みだせるのだろう。

 ルールを改変したバージョンでの将棋AIさんはどのように最適解を編みだすか。

 興味深く感じます。

 きょみぶかー。




※一様に、AIさんAIさん、あなたはとってもお話が好きなのね。



3601:【2024/12/19(22:44)*自信というか過信、の巻】

 自信があると能力が向上する、のような言説をあまり実感していない。周囲の者を眺めてみても、うーん、と思う。自信があると確かに短期的には能力が上がって観測されるが、あくまで短期的には、だ。言い換えると、短期的な能力向上に寄与する自信は、いわゆる万能感であって自信ではないのではないか。

 万能感は万能とは違う。

 万能ではないが、万能と思い込む。

 この思い込みの力が、能力を一時的に高める効能はあるだろうと考える。ブレーキが掛からないからだ。悩むことがない。

 だから、問題点を意識せずとも構わない初期のころはそれでも能力が高まって観測される。しかし、初期状態を過ぎて、技能が成熟していくと、それまで放置してきた問題点が進路を塞いで選択肢を狭めるようになってくる。

 すると、隘路にぶつかり、中々打開できなくなる。

 こうして万能感が薄れ、初期のころのような進歩も陰りを見せる。

 対して、自信のない者は、自信がないので絶えず悩んでいる。自身の問題点を探り、直視し、葛藤し、打開できないか、と試行錯誤する。遅々として進まない。いちいち悩み、立ち止まり、みなが無視するような問題点を解消しようと工夫を割くからだ。

 だが確実に問題点は減っていく。

 そして何よりも、問題点を解消する、という経験が積み重なる。しかし、それが自信になることはない。自信はない。だが、工夫の手法が増えていく。工夫した経験がつぎなる問題点の解消の際に、より少ない苦悩で解消できるようになる確率を上げる。

 放置しても構わない問題点とそうでない問題点の区別も徐々にできるようになる。

 だが、自信はつかない。

 それでも進歩はする。

 おおよそ、自信はあってもなくとも能力の高さには関係しないのだろう、というのがわたくしの考えだ。

 自信がなくとも問題点は解消できる。工夫は割ける。

 たとえ自信があったところで、解消できない問題点は解消しないのだ。

 どの道、という話に収束する。

 自信がないことを、能力が低いことの言い訳にしなければよいのだ。自信があっても能力が低いことはある。能力が低いこと自体はそもそもわるいことではない。現実を解釈するうえでより妥当な解釈ができるのならば、人類個々は自信など持てるはずもないのだ。

 自信とはすなわち、現実を曲解することで得られる万能感にすぎない。

 陶酔なのである。

 むろん、それはわるいことではない。

 ただし、現実を見失うほどに酔うのはデメリットが大きいかもしれない。バランスの問題である。使いどころの問題である。すなわち自覚が大事、という話になってきそうだ。

 自覚をするのに自信はあまり重要ではないのではないか。

 むしろ往々にして人は何かを自覚する際には、自信がないのではないか。

 じぶんを信じられないので、いろいろな角度で自身を見つめる。それが自覚に繋がるのではないか。

 そういうことを思った、誰より自覚の足りないわたくしなのであった。

 自信なんてないよ。

 なくとも構わない。

 じぶんなど信じるに値しない。それでも生きていける環境があるので、なんとか生きている。のうのうと、贅沢に、無自覚に、生きている。

 総じて他の存在のお陰だ。

 自信など持てるはずもない。

 などと言いつつ、過信しているわたくしがいるのであった。

 かっしーん。



3602:【2024/12/19(23:11)*タイ焼き食べたい、の巻】

 自転車に乗っていて思ったけれど、なんでタイヤは空気で膨らませているのだろ。油圧のほうが丈夫なタイヤになるのでは?と思ったけれど、単にコストの問題があるからだろう、と秒で自己解決した。

 漏れた際にも油が充満していると後片付けが大変だ。補充も面倒だ。水でもよさそうだけれど、それだと冬に凍ってしまう。そうそう、液体だと凍ると体積が変わる。タイヤの皮の痛み具合が空気よりも高まるのかもしれない。

 同じ理由で、鉄のタイヤも消耗が激しそうだ。道路のほうもタダでは済まなそうですね。

 あと、油圧式タイヤも鉄のタイヤも重いですからね。

 そしたらやっぱり空気タイヤがコストの面でも頑丈さの面でも最適なのかもしれないな、と思いました。

 で、すかさずそこで宇宙を連想してしまうのですけれど。

 空気タイヤは弾力がありますね。

 密度が高いからですね。

 タイヤの中身が真空だと潰れてしまいますね。

 じゃあ、ボイドはなんで膨らんだままでいられるの?

 密度が高いからでは?

 それとも、慣性の法則で、爆発した何かが延々とボイドを膨張させつつ希薄化させているのでしょうか。うーん。

 ボイドはなぜ潰れないのでしょう。

 ということを、自転車のタイヤは空気式が最適なのかなぁ、と妄想して思いました。

 真空に密度差があるならば、ボイドもタイヤみたいになるのでは?との妄想であった。

 たいや、きー!

(ブレーキ音なのかアンコ入りの美味しいおやつなのかどっちかにして!)

(おおばんや、きー!)

(お腹空いてきちゃっただろ、責任とって食べさして!)



3603:【2024/12/19(23:53)*駄文だしな、と思いながら並べている、の巻】

 文字をどのように並べようか、と具体的に考えることはあまりない。ただし、緩急のようなものは感覚的に意識している。心電図のような高低差や、或いはフーリエ変換のような円運動と波の相関関係のような感覚だ。

 たとえば、疑問と結論は、下り坂と上り坂のイメージだ。実際に、「~~なのだろうか?」と疑問する際のイントネーションは下がる傾向にあるだろう。対して、「~~なのである/~~がゆえだ」のイントネーションは上がる傾向にあるのではないか。

 ただし、読みの音のみならず、文章全体の波長のようなものの濃淡でも、緩急のような高低差、ともすれば強弱を感覚的に意識している気がしないでもない。

 リズムと言えば端的ではあるが、表面上では可視化され得ない高次の律動――もっといえば紋様のようなものを感じて、つぎにつづく文字の取捨選択を行っているようにも感じられる。

 それはたとえば、いまこれはWordファイルで文字を並べているが――一画面に1ページ分のテキストが表示される。倍率が80%表示だからだ(100%表示だと大きすぎて感じるので80%表示に下げています。敢えてです)。

 しかしこの表示倍率を10%にすると、一画面で108ページ分のテキストを閲覧可能だ。文字が縮小されるので読めたものではないが、全体を俯瞰できる。

 すると、一行が線のように潰れて視え、それがジグザグとページを埋める。どのページも似たようなジグザグを描いているが、どのページも微妙に異なる波を描いている。

 俯瞰で観ないと窺えない紋様であり、波形である。

 あくまでこれはテキストの並びが描きだす波形である。他方、概念でも似たような波形が濃淡を浮き彫りにし、デコボコの起伏を帯びるように思うのである。

 一律に同じ濃度の情報量を扱わず、敢えて濃淡を帯びさせる。

 文字を並べる際に意識するのはこうした、概念の持つ色合いや情報量による濃淡で、いかに心地よい紋様を描けるか――要はやはり、積み木遊びであり、判子遊びにちかいのだ。

 ほぼ同じ、と言ってよろしいのではないか。

 あくまでこれは、わがはいが文字を並べる際に意識していること、である。ほかの駄文師たちが同じような事項に注意を割いているかは定かではない。むろん、わがはいのほかに駄文師なる胡散臭い滑稽の権化がいるかは、やはりこれも定かではないのだが。



3604:【2024/12/20(02:44)*空を想うと洞になる?の巻】

 仮に真空が階層構造を帯びており、真空もまた密度差のようなものを帯びていると想定してみると。

 真空の密度差によっても重力崩壊は起き、それがブラックホール化することもあり得るのだろうか。そして原理的に真空密度の差は相対的に現在の天体と比べても広域に展開されるのかもしれず、ゆえにそれによって生じるブラックホールも巨大化する傾向にあるのだろうか。

 真空密度の差でも重力崩壊は起こる?の疑問であった。

 くう、そう!



3605:【2024/12/20(03:13)*微妙な違いについて、の巻】

 接続詞はベクトル変換なのかな、と感じる。

「→→→」という流れの文章が、「しかし」で反転する。ならばそれは、「←」で置き換え可能なはずだ。「ひるがえって」や「或いは」もまた流れが変わるサインだ。

 他方、「加えて」や「また」「そして」などは、「+」で置き換え可能なのではないか。

 そうして考えてみるに、接続詞は数学の記号ですべて置き換え可能なのかもしれない。実際に、証明問題では「ゆえに」は「∴」が用いられる。

 こうして電子端末に文字を打ち込む時点で、このデータもまた数学的なアルゴリズムに変換されているはずで、そこでは文章ではなく、記号が用いられているのではないか。

 そういう仕組みではないのかもしれないが、なんにせよ、接続詞はベクトルで置き換え可能なのではないか、記号で置き換え可能なのではないか、ということを思った。

 文学が自由な芸術活動であるというのなら、「やってはいけない」ということはないはずで、むろん「やってやれないこともない」だろう。

 やってもやれない――わけではないが、それだけでは不足なので、やってはいけない、食べていけない、維持できない。そういう意味の、「やってはいけない(営めない)」ではないのでご注意を。

 禁止の意味の、「やってはいけない(してはいけない)」なのでした。

 やってはいけないということはないはず。

 然るに、そろそろ叱られるかもしれない……。



3606;【2024/12/20(05:07)*はち、じゆう、いっち、の巻】

 ボイドの中心って何があるんだろ。

 何もないのかな。

 ブラックホールは吸い込む物質がないと降着円盤やジェットを構成しないのではないか。

 ホワイトホールは湧き真空を延々と球形に吐き出しつづけてボイドを形成したりはしないのだろうか。

 ボイドさんの中心には何もないのだろうか。

 空はソラであってカラではないのに、空をクウと読むと洞化するのはなぜなのか。

 空は九でもあるのかな。

 九九はなぜ「蜂と自由が一致」するのか。

 BEEなのか。

 やはり空と九は関係があるのだろうか。

 世の神秘である。

 せちゅない。



3607:【2024/12/20(08:09)*徐々に社会は人類制御システム?の巻】

 道路の信号機制御システムとカーナビ(GPS)システムを駆使したら、車両ナンバーが「0999」の自動車が十台ズラリと並ぶように赤信号で止めることはできるのだろうか。

 できそうにも思うし、できない気もする。

 十台は無理でも、ずばり「0999」のナンバーの自動車を先頭で止まるように赤信号で止めるくらいのことはできるのではないか。

 技術的には可能に思える。

 完全自動運転車が一般化したら、もっとこの手の操作は簡単になるだろう。

 カーナビならぬ人間ナビが実現して、端末を所有しているだけで何度でも最適解を指示してくれるようになったら、人類個々すらピンポイントで操作可能になるかもしれない。

 半ばすでにそうなっている社会だったとして、それに気づくことが人類個々にできるだろうか。

 真相はいかに。

 未来にこうご期待!

(自棄になってない?)

(なってないよ。槍を投げちゃうくらい元気)

(投げ槍になっとる!?)



3608:【2024/12/20(17:36)*コーニュー、の巻】

 コーヒー牛乳は、コーヒーなのか、牛乳なのか。

 カフェオレはコーヒーと牛乳の割合が「1:1」で、カフェラテが「1:4」らしい。

 カフェラテは牛乳主体で、カフェオレは重ね合わせなのかもしれない。コーヒーでもあり、牛乳でもある。

 では、コーヒー牛乳はどうか。

 お好みでコーヒーと牛乳のどちらを多くしてもよいです、となると、人によってコーヒー牛乳がコーヒーと牛乳のどちら主体になるのかが変わりそうだ。

 コーヒー牛乳はもはや二つの異なる飲料物が混じり合った時点で、コーヒーでも牛乳でもない。コーヒー牛乳という新たな飲料物になる、はあり得る想定だ。

 あなたのコーヒー牛乳の境界はどこから?



3609:【2024/12/20(17:46)*受精卵のような?の巻】

 たぶん、おそらく、おおよその妄想として、「足して二で割ったような」といった形容は、実のところ「足して煮で終わったような」の言い間違いが世に定着してしまったのではないか、と思うのだ。

 足すだけでは不足で、加熱する必要がある。しかもなるべく圧力鍋で煮たい。

 完成させるには「異なる二つの要素を足し合わせたあとに、煮る作業が入り用」なのかもしれない。

 それともやはり二で割る必要があるのだろうか。

 半分にする。

 思えば、受精卵は半分に割れる。

 精子と卵子が足し合わされたあとは、徐々に分裂していく。細胞分裂だ。半々になりつづけることで成長する。

 そういう意味ではたしかに、「足したら半分にする受精卵のような状態」は、「足して二で割ったような」の形容で合っているのかもしれない。

 人は誰しも、足したあとに二で割られつづけることで出来ている――の、かもしれない。

 慣用句の話題であった。

 かん、よう!



3610:【2024/12/20(17:59)*寝る時間、略して寝時、の巻】

 ネジは日本語なのだろうか。

「ねじる道具」だから「ねじ」なのだろうか。

 なら「ネジ」を英語に変換すると「ボルト」になる?

 先のとがったネジは、ボルトとは違うイメージだ。でも先が尖っていないネジもあり、ボルトはこのイメージだ。

 ネジのほうが包括的なのだろうか。

 溝があって、穴のほうの溝に合わせてねじりながら嵌め込む。この道具の総体をネジと呼ぶ、との解釈でよいのだろうか。

 でも印象、穴のほうに溝がなくともネジは嵌め込むことが可能だ。他方、ボルトは、穴のほうにも溝がないと使えないのかもしれない。

 人間以外でねじる作業を行う動物はあるだろうか。

 いま一瞬で記憶を漁ったところ、ワニが思い浮かんだ。獲物に噛みつくと全身でローリングして獲物を噛み切るのだ。ヘビもとぐろを巻くので、身体をねじっている。

 アザラシも泳ぐときに全身をねじるように、ひねっているイメージがある。イグアナも泳ぐときはそうかもしれない。

 猫も空中で身体を回転させる。身体がねじることで体勢を整える。

 けれど、じぶん以外をねじる作業は人類の指が最も作業に最適化された進化を辿っているのではないか。

 人類はひょっとしたら「ねじる」を制したのかもしれない。

 ネジの話題であった。

 ねっじー。




※一様に、デタラメ、出たら目、出たら芽、出たらMEとME、MEMEんっとー森。



3611:【2024/12/20(19:03)*矛盾文学、の巻】

 斜線堂有紀さんの掌編集こと「不純文学」が好きなのだけれど、思えばあの先輩と後輩の物語群は、パラレルワールドであり、マルチバースとも解釈可能なのですね。

 意図されていたのでしょうか。

 マルチバース作品として無類と思います。

 掛け離れた異なる宇宙――物語――の先輩と後輩同士が相関していたりもするので、仕掛けとしては意図していた面はあるはずです。

 それをマルチバースだと明確に意図していたかどうかは不明ですが、異なる物語同士が無数に展開され重複され、どの先輩と後輩も必ず関係し合うような世界観――高次の宇宙――を想像していたのだろう、というのは感じられます。

 一つの理想形ですね。

 読書感想文でした。



3612:【2024/12/20(19:09)*ビーフ、じゃあ、キー、の巻】

 国際的なAI規制のルールを設けよう、と率先して意見しているのが、いわゆる民主主義国家と自称する西側勢力なる側であり、国際的なAI規制のルールは各国が各々に自由に決めればいいだろう国連で決めるようなことじゃない、のような意見を述べるのがいわゆる独裁国家と西側勢力から非難される側の国なのは、太極図を意図して描こうとしているのかな?と思うほど、明瞭に構図として矛盾を内包して感じられる。

 要は、国際的な大きな視点でルールを決めよう、国際法なる権限で各国を縛ろう、とするのが、国際法によるAI規制推進派の方針だ。いわば全体主義の発想である。

 各国が自由に自国のルールを決めればいい、との発想は個人主義に起因するはずだ。だが蓋を開けると、市民視点では、国という権力が市民の自由を縛りつけている側の政府が、各国の自由を謳っている。

 この現象は割と卑近なのかもしれない。

 反転する値を有するのだろうか。

 主義思想ですら、群れと化して創発すると、高次の視点では反転した性質を帯びるのかもしれない。

 とはいえ、各国が他国に投じる非難が妥当かどうかも現状、疑問である。

 独裁国家が真実に独裁国家かどうかはすでに現代ではあやふやだ。言い換えると、民主主義国家を自称しておきながら、独裁を揮っている政権が国の中枢に鎮座している国もないとは言いきれないのではないか。

 独裁国家でありかつ民主主義を採用している国もあるだろう。

 従来の価値観では解釈しきれない組織構造にすでに変質しているのではないか。

 或いは、そもそも過去の従来の分類が的を捉えきれていなかったか、だ。

 そういうことを現在の国際情勢のほんの片鱗を記事や報道を通じて齧りつつ思いました。

 噛めば噛むほどよく分からん。

 干し肉のような人類社会なのであった。

 びーふ、じゃー、きー!

(それはブレーキじゃないって判ります)

(☆を憎んじゃイヤ。星憎いは、めっ。きーっとブレーキを掛けてください、憎悪さんに)

(ブレーキだったんですか!?)

(☆さんにもお友達できるよ。☆二個だよ。ニコニコ~)

(29ではなく、25!?)

(2×9=18から2×5=10を引くと、8です。蜂! ぱちぱち~)

(BEE、ふっ、じゃぁ、Key!ってこと!?)

(キィワールドなので)

(鍵世界ってなに!? キィワードにして!?)

(きー! うるさい)

(癇癪起こすのやめて)

(さんきゅー。ぱくぱく)

(感謝を食うのもやめて!)

(感謝×9で、かんしゃくー!)

(ふつうに感謝して……)

(ふつうってなぁに?)

(このコ……めんどい)

(えへへ。そこまでかわいくはないよ///)

(「めんこい」とは誰も言ってないんですけど!?)



3613:【2024/12/20(22:32)*ぜつみょうにびみょー、の巻】

 馬鹿の定義がだいぶ曖昧に思える。

 たとえば一般に「1+1=」の解を導けない者は「馬鹿」と低く評価される傾向にある。しかし、「1+1=2」になることもあるが、そうでないこともあるのでは?と思考を拡張すると、なかなか答えづらい問題として受け止める余地が出てくる。

 つまり、「わからないこと」は一概に「馬鹿」とは言えないはずだ。

 だが現代社会では「わからないこと」がイコール「馬鹿」の評価として位置づけられる。

 他方、短絡的な思考もまた「馬鹿」と低く評価される傾向に現代社会はあるように概観される。しかし、上述した「ある任意の問題の解がわからない者を十把一絡げにして馬鹿と低く評価すること」そのものが、短絡的な思考、と言えるのではないか。

 他者を「馬鹿」と低く評価することは果たして頭のよろしいことなのか。

 或いは、「馬鹿」にも二種類あり、「高く評価できる馬鹿」と「低く評価される馬鹿」があるのだろうか。

 煎じ詰めれば、馬鹿、という評価そのものはただそれだけでは、好ましいか好ましくないか、を判定できないのではないか。他者を「馬鹿」と評価する者は、単に相手をじぶんとは相容れない「変換の必要な相手」と評価しているだけなのではないか。区別しているだけなのではないか。それが不当に低い評価であると、それはきっと偏見となり、行為にまで反映されてしまうと差別になるのだろう。

 ということを、つむじ風で作ったらしいスープの35皿目を味わって思いました。

 げっぷ。

 わがはい馬鹿なので、本のタイトルに「つむじ風のスープ」って書いてあると、「そっかぁ、これはつむじ風のスープかぁ」と思ってしまって、読後感も味覚のように思えてしまうのだ。つむじ風のスープは、こんな味でした。

 絶妙に美味ょー!



3614:【2024/12/20(22:45)*褒めというか照れ?の巻】

 褒めてるのか貶しているのかどっちかにして!?みたいなレビューが増加傾向にあるのかもしれない。まともに非難すると角が立つので、表面上は褒めているけれど、薄っすら裏に毒が忍ばされている、みたいな具合だ。

 SNSでは一時期これが「焼きマシュマロ」と呼ばれていたと記憶している。褒め言葉しか送れないサービスの脆弱性を利用して、アルゴリズムに弾かれない文面で、しかし受け取り手を傷つけるような内容を送りつけることを示す単語だったはずだ。

 でも似たような形容に、「嫌味」がある。

 単なる嫌味よりも、毒が薄れたのが焼マシュマロなのかもしれない。

 京ことばでも、表面上は褒めているけれど裏では別の意味が隠されている、のような重ね合わせの使い方がされるといった逸話を耳にすることがある。帰ってほしい相手に「ぶぶ茶漬け、どうどすか?」と言う――といった嘘か真か真偽の不明なエピソードもいまでは有名なのかもしれない。つまり、いまから料理しますけどその手間を私に掛けさせたいですか?と迂遠に相手に迫っているのだ。

 似たエピソードで、「楽器の演奏がうるさい近所の子どもの家族に挨拶がてら、朝から精がでますなぁお上手ですこと、と声を掛ける」のような話がある。褒めているようで、相手を傷つけないように、うるさいので朝は控えておくんなまし、と伝えているそうだ。

 わがはいはおそらく実際にそういうことを言われても、「ぶぶちゃづけですか? お茶漬けみたいなのですか。食べたいです!」と返事をしてしまいそうだ。

「演奏上手ですか? まだまだなので精進します!」と毎日でも朝から練習しはじめてしまいそうだ。

 わがはい、そういう裏の意図を載せる、みたいな器用な真似が得意ではない。ましてや相手の裏の意図を読み取るのも不得意だ。

「こちらの都合で申し訳ないのだけれど少し控えてもらっていいですか、ありがとう」みたいに言ってもらえたらよいと思う。

 で、褒めは褒めで、純度120%でも1000兆%でもよいので、褒めだけにしてほしい。わがはいはそうしとる。褒めるときは褒めしか入れぬ。褒めだけにしたい。変に誤解されたくないからね。褒め、というか、好きの感情を誤解されとうないでござる。

 でもでも、「あなたのスキなんていらない」ってされたらもうもう立ち直れないので、おっかなびっくりの「すんばらしいですね!好き!!!(超小声)」になってしまって、誤解の余地を帯びてしまうのだ。

 わしから好意を感じたら、それはもう好意しかないよ。

 裏の意図に思えるのは総じて単なる照れ隠しだよ。照れすぎて融けだしちゃってドロぅが転じてデレぇになってる感がある。

 砂糖をどっさり入れちゃったから念のために塩も入れとくか……みたいな余計な配慮がいつでも純度100憶兆%の仕事を発揮して裏目に出ちゃうだけなんよ。

 裏にも目があるんですね。

 便利そう……。

 ツンってしたらデレを百倍にするくらいがちょうどよいのかもしれぬ……最近のわしの学びであった。

 そもそもツンがいらなくない?の境地になりつつある。

 でもでも、わたしはそんなツンさんのことも好きだよ!

 うふふ!

 このまとめが便利すぎて、裏目さんくらい重宝しとるぅ……。

 手抜きと侮ることなかれ。

 でも手抜きなのは誤魔化しきれぬ事実なのであった。

 なんでー!?



3615:【2024/12/20(23:15)*セイコウとは、の巻】

 下手に成功すると次から次に依頼が殺到するので、成功したくない、といった理屈は成り立つだろうと考える。

 また、成功とは何か、によっても、成功した際のメリットとデメリットの内訳が変わりそうだ。

 成功して損をする場合、それは成功とはいえないはずだ。

 狭義の成功の結果、広義で損をすることはあるだろう。この場合は単に成功の見通しが甘かった、ということになろう。成功の定義を設定する際に想定される領域が適切に見繕えていなかったのだ。

 この考え方を拡張していくと、けっきょくのところは人類を含めた地球環境の安定に寄与するかどうかが成功かどうかの違いに繋がると想像できる。

 あなたのきょう行った営みが、広く地球と人類の関係において好ましく作用したかどうかが成功と失敗の分かれ道だ。

 地球から脱して別の天体に居住区を求める場合も、けっきょくはその天体と人類の関係を良好に保ち、より良くしていくことが成功の定義に結びつくはずだ。

 ではそれら人類と天体――もっといえばあなたと天体――の関係といっさい関係しない分野での成功はないのか、という疑問が湧くだろう。

 だがそもそもを掘り下げて考えたい。

 あなたと天体、あなたと人類、あなたと社会、あなたと他者の関係と無関係な領域が果たしてこの現代社会に、地球に、存在しているのですか、と。

 あなたがたとえばバク転を練習するとする。

 バク転ができるようになった。これを一般に成功と呼ぶが、これは学習だろう。新たな能力を拡張した。成功にちかづく営みかもしれないが、成功と呼ぶにはいささか小ぶりではないか。

 小ぶりでもよい、との発想は大事だ。

 しかし、果たしてバク転ができるようになったことで何が好転するだろう。社会問題が解決するのだろうか。困っているひとを助けられるのだろうか。あなたは心地よく暮らせるのだろうか。

 暮らせる、との意見は有用だ。

 何かが新たにできるようになる。その繰り返しの果てに人類社会はここまで発展した。成功にちかづいている。進歩している。

 しかし同時に、新たにできるようになったことの影響で数多の生物種が絶滅し、人々は殺し合い、いまなお新たな戦禍が勃発している。

 あなたの身の回りに成功した者はあるだろうか。

 成功とは何か。

 なぜ成功することが大事なのだろう。

 あなたが心地よく暮らせることと成功は、必ずしもイコールではないはずだ。バク転ができるようになった。新しくできることが増えた。これは学習だ。能力の拡張だ。選択肢の増加だ。好ましい結果だが、成功ではない。

 成果ではある。

 しかし、功を奏したかどうか。功を成したかどうかは、別軸での評価が入り用だ。

 大量破壊兵器の発明は果たして人類にとって成功と言えたのだろうか。いったい何が功を奏したというのか。何が成されたというのか。果たしてそれは「功」なのか。

 人類の手柄とは何か。

 人類にとっての立派な働きとは何か。

 学びは成功につづく一段一段の階段だ。しかし、成功そのものではない。

 成果は成功を形作るが、しかし成功そのものではない。

 人それぞれに思い描く「成功」があるだろう。あなたはどんな結果を成功と考えるだろう。何が成されたら功が奏すると見做すだろう。

 みな成功を求める。

 しかし、いまなお成功した者は一人もいない。

 そういうことを思う、失敗ばかりの敗者さんなのであった。

 擬音勝者の鐘の声!

 ぽこぽこぴー、ぽこぽこぴー、ぽんぽこー!

(擬音ではあるけど勝者ではないでしょ絶対……)

(正論禁止。なぜなら言い訳が思いつかないから)

(受け止める選択肢が皆無なの――なに!?)



3616:【2024/12/21(00:21)*微妙に的外れなのに言い得て妙?の巻】

「微妙」をマイナス評価と捉えるのが一般的だろうか。

 しかし、「微妙」は、簡単に言い表せない機微のことであったり、重ね合わせでどっちとも断言できないような状態を形容する言葉だ。

 つまり、微妙であるとは、バランスが保たれており、均衡が築かれており、釣り合いが取れている状態なのだ。もう少し付け加えるならば、崩れそうだけど崩れない不安定さもニュアンスとして帯びている。

 微妙な匙加減、というように、職人技を形容する際にも用いられる。

 反面、「この作品は微妙」といったように、突出してはいませんね、という低評価を示す用い方もされる。

 しかし評価とは基準ありきだ。

 すなわち、微妙と評価される場合は往々にして基準に当てはまっていない。しかし、すっかり外れてもいない。重複している箇所もあるが、その割合がけして高くはない。

 では、ほかのハミ出している部分には別軸での評価基準はいっさい当てはまらないのだろうか。仮に複数の異なる評価基準があり、そのすべてに重複する作品があった場合――各々の評価軸からは「微妙ですね」と低く評価されるのだろうが、複数の評価軸にまたがっているだけで、実のところは高次の評価軸ではずばり真ん中を射抜いており、すっかり重複しており、内包しており、突出しているとの評価を得ることは当然にあり得る話である。

 ニュートン力学を量子力学の分野に適応するとそれは微妙だ。対処しきれない。

 反面、量子力学を相対性理論の分野に適応すると、やはりこれも微妙と判断される。対応しきれない局面が出てくるからだろう。手間が掛かるからだ。

 仮にもし、ニュートン力学も相対性理論も量子力学も総じての物理学の分野ごと内包しきる理論が発明されれば、それは絶妙に微妙な塩梅で各々の分野を満たし得る、と想像できる。

 好ましくのない微妙さであっても、視点をズラすと好ましい微妙さとして評価が覆ることはある。覆らないことのほうが多いのだとしても。

 微妙は、微に入り細を穿ってなお「妙」なのだ。

 おかしい。

 そのおかしさを好ましく受け入れるか、拒絶するか。

 微妙な問題なのかもしれない。

 び、みょー!



3617:【2024/12/21(01:24)*曲を流してなくてもイヤホンはダメなの?の巻】

 一キロメートル以上を移動する際はだいたい自転車に乗っている。

 三百メートル以上を移動する場合でも自転車に乗る率は高い。

 ただし、十キロメートル以上を移動する場合は、公共交通機関を利用することが多い。

 この時点で過去のわがはいの日誌から、このひとは自転車に乗っているときに音楽を聴いているのかな? それって交通違反ではないの?という疑惑が想定されるだろう。

 しかし、ひょっとしたらイヤホンやヘッドホンではなく、直にスピーカーで曲を流しながら自転車に乗っているのかもしれない。それとも、イヤホンやヘッドホンを首に垂らして大音量を流すことで、交通違反を回避しながら音楽を聴いている可能性も出てくる。

 或いは、日誌で言及する移動の場合、その目的地が三百メートル以内にあるのかもしれない。つまり、徒歩で移動している可能性だ。

 だがだいたいおおむね、この日誌の並べ手の性格から推し測るに、交通ルールを守ることよりも大好きな歌い手さんの声で耳に栓をすることを優先する可能性が高そうだ。

 しかしこういうことを日誌で並べてしまって万が一にも、その歌い手さんの知るところになれば、きっと嫌われるだろう。

 嫌われたくない。

 ので、交通違反にならないように、どうにかこうにか警察に見つからぬような抜け道はないものか、と思考を展開してしまうところに、この日誌の並べ手の性格のよろしくない点が凝縮しておりますね。

 自動車はイヤホンしていてもいいのに自転車がダメってどういうことー!?

 そこはむしろ逆じゃなーい?

 自動車がいいなら自転車もいいだろうがよー。

 なんでーい。

 もういっそ、街中どこからでもわがはいの好きな歌い手さんの声が響くようになったらよろしい。そしたらわがはいもさすがにイヤホンでわがはいの好きな歌い手さんの曲は聴かぬ。代わりに、たぶんほかのアーティストさんの歌う曲を聴きます。

 だって大好きな歌い手さんの声をいつでも聴けるなら、わざわざ自転車に乗っているときに聴かずともよいからね。どの道、お外にいるときは耳を塞いでたい……。

 耳栓は禁止しなくていいの、なんでー!?

(交通ルール……守ろ?)

(はい……)



3618:【2024/12/21(01:44)*何の濃度?の巻】

 共感と理解はどう違うだろう。

 嫌味と皮肉の違いもよく分からない。

 どちらも、濃度の違いで判断している。

 たとえば嫌味と皮肉では、表現する文面に配分される悪態に属する言葉が皮肉のほうが少ない。むしろ好ましい事象を示す言葉を用いて、悪態にちかい感覚を相手に与える。

 嫌味の場合は文面を占める悪態の濃度が高いので、皮肉よりも直截と言えるのかもしれない。

 共感と理解も似たところがあるように思う。

 では何の濃度の差異なのか、といまざっと想像してみたけれど、中々一つに絞れない。

 すると、なるほど、と合点する。

 視点の数か。

 共感はじぶんの主観に合致した見解においての理解なのだ。

 他方、傾向として人類個々はまったく同じ視点を有してはいない。微妙に異なる世界を受動しており、ときに他者とはまったく異なる世界を現実と見做している。

 すると、視点がじぶんの主観一つしかないと、理解の幅が狭まる。理解できる領域が小さくなる。

 確率の問題として、じぶんの主観が現実を認識するうえでより妥当な解釈を帯びていると想定するよりも、じぶんの主観による解釈には誤りが含まれる、誤差が含まれる、と想定するほうが妥当なはずだ。

 むろん、比較対象によっては、じぶんの主観による認識のほうが数多の視点から解釈した見解よりも妥当なことはあり得る。だがその判断とて、ほかの視点からの解釈を受け入れたうえで、比較検討しないでは判断できないと分かる。

 すなわち、視点が少ないと共感優位となり、視点が多いほど理解にちかづく。

 人類個々が万物をすっかりすべて理解できないのは、この理屈からすると原理的にすべての視点を考慮することが人類個々にはできないから、と推察される。

 視点の数が、共感と理解を分かつ濃度の差異を生みだしている。

 何かを理解するためには異なる視点が複数必要なのだ。

 それこそ、じぶんとは異なる意見を述べる他者の主張を理解するには、じぶん以外の視点も考慮せねばならない。じぶんの視点のみを考慮する場合、共感できない意見は総じて「理解できない」というふうに認識されることとなる。

 したがって、共感はできないが理解はできる、或いは同意はできないが理解はできる、といった考え方が成り立つのは、それらが、「私の認識とは一致しないが理解はできる」と言い換え可能だからなのかもしれない。

 そして常に「私の認識が現実を解釈するうえで妥当かは定かではない」がゆえに、「私が同意できるかどうかに関わらず、理解したその事柄が現実を解釈するうえでより妥当なこともある」と認めることに繋がる。

 ふんふん。

 共感と理解は濃度の差。

 何の濃度かといえば、視点である。

 この理屈に同意できない方ー!

 でも理解はできまして?

 今日はこれにてお終いです。

 きょう、完!



3619:【2024/12/21(03:49)*どう解く?の巻】

 道徳とは、詰まるところ、じぶん以外の人類個々がじぶんと同じ行動を取っても困らない行動選択を模索する営み、ということなのではないか。

 したがって、場合によってはじぶんを損なうことが最適解になり得る。

 自己犠牲が道徳的と見做される背景には、この手の限定的な条件下において、自己を損なう行動選択が最適解化する局面が訪れ得るからだろう。いつでも自己を犠牲にせよ、では通常、人類個々は生活を維持できない。生命を維持できない。自己を保存できない。

 かといってでは、いつでも自利を優先することが最適か、といえば、これも否だろう。というよりも、自利の内訳がだいぶ状況によって様変わりする。

 衣食住が充分ではなく、奪い合うような環境下では、自利とはすなわち私利私欲である。だがそこで他と協力して衣食住を分かち合い、工夫を割き合うことで足りない衣食住を賄う方針を共有できたならば、自利とはすなわち他との協調を含めた環境そのものをより良くしていくことに変質するだろう。

 だが環境が豊かになり、余裕も出てくるとわざわざ互いに行動選択を縛り合わずに済むようになる。すると、他者の負担にならない範囲で私利私欲を満たすことができるようになる。

 だがそれが一般化した社会において、環境から余裕がなくなってくると再び協調関係を含めた環境の改善が、自利の内訳において高い割合を占めるようになってくる。

 道徳とはかように、じぶんと同じ行動をほかの大多数が取っても困らない行動選択とは何かを考えて日々を生きていきましょう、との言い換えなのではないか。

 というのは、つむじ風のスープの39皿目を啜って思ったことですが。

 道徳にも、クウが潜んでいますね。DOとKUです。

 空なのか九なのか。

 以上、

 夜の余白にでも疑問をメモして、斜線を引いて強調しておきますね。

 愛の小鳥は、コテリと小首を傾げ。

 ばななをついばみ、チョキ、と鳴く。

 羽の色は夜にまみれて、どんな色かは分からずに。

 蜂のごとき、薔薇なのか。



3620:【2024/12/21(04:41)*成さん、の巻】

 黙秘権が人権の一種だからといって、組織にまで人権が適用されるわけではないはずだ。その人物個人に由来する情報を黙秘する分には人権の範疇であろうが、組織の構成員としての役職に就いており、その役職に属する事柄における黙秘権の行使は、いささか人権の範疇と括るのは疑問である。

 むろん、法律上は、組織の役職とは無関係に、一律に黙秘権は認められているようだ。

 だが、黙秘権が人権の範疇ならば当然に説明責任との兼ね合いで行使される権利であるほうが、人権の理念からしても破綻をきたさずに権利の妥当性を保てるのではないか。

 黙秘することで被害が拡大する、または防げない。

 そうした黙秘権の行使は公共の福祉の観点から鑑みても、吊り合いが取れないのではないか。

 黙秘することでその人物とて負の影響を受ける。なぜなら説明責任を果たさないことで被害が看過され、防げず、回り回って身の破滅に結びつくからだ。

 なんでもかでも説明しましょう、は強制力が強すぎる。

 だが、なんでもかでも黙秘権の行使を認めましょう、でも困りものだ。

 他方、前提として人権は尊重されるほうが好ましい。言い換えると、尊重されると好ましい事項を人権と呼んでいるだけなのかも分からない。

 時代によって、または環境の変化によって、人権の内容も変わってくるだろう。

 だが人権は個人の尊厳を守るために機能すると共に、公共の福祉を最大化するためにも機能するはずだ。個人と公共――すなわち「私と人類」または「あなたと人類」――の構図において、どちらの安全や安定も保たれる。幸福の追求が阻まれず、選択肢が拡張され、未来がより好ましいものになる方向に、対称性が破れる。

 そのための人権であり、憲法であるはずだ。

 法律もその範疇である。

 何のための権利か。

 何がための責任か。

 何を守らんとするがゆえの規律であり、制約なのか。

 ルールを設けて何を築いていきたいのか。

 どんな未来を求めているのか。

 法の支配を語る前に、なぜ法が必要なのか、からして前提を共有しておかねばならないところまで人類は土台を見失っているのかもしれない。

 発展はときにバベルの塔と化す。

 足元すら見えないほどに高く聳える塔は、自らの基盤がどこにあるのかすら見失い、あらぬ方向に煉瓦を積み上げ、重心を失う。

 文明も同じなのかもしれない。

 崩壊の原理なのかもしれない。

 我々は何を成さんがために能力を拡張するのか。

 何を成し、或いは、何を成さずにいるために――。

 妄言だ。

 定かではない。




※一様に、脳を洗うと書いて洗脳なのに、実態はその逆で、脳が一色に染まっている状態、或いは混沌と化して焦げている状態なのは、洗う必要のある脳、という意味での洗脳と解釈すればよくできた漢字の組み合わせ、と思わないでもないが、正直に言えば中身のない話題でしたね、からっぽ。



3621:【2024/12/21(05:08)*小さく決めると書いて「快」の巻】

 たとえば同じ確率で最適解と演算された選択肢が二つあるとする。便宜上、「A」と「B」としよう。

 演算した時点では、環境との兼ね合いでどちらも同じだけの確率で最適解だった「A」と「B」だが、時間経過にしたがい、環境は変質する。

 たとえばどれだけの人々が「A」を選ぶか、或いは「B」を選ぶか。

 それとも単にどれだけの人々が「A」を選ばないか、或いは「B」を選ばないか。

 選択肢「AとB」に関係なく環境が変数を溜め込んで、初期のころの環境と掛け離れることもあり得る。往々にしてそうだとすら言えるだろう。

 したがってある時点では同じだけの確率で最適解だった選択肢であれど、時間経過にしたがい、自発的にどちらの選択肢のほうがより最適だったか、は変わってくる。しかしそれを前以って予測することはむつかしい。原理的に不可能なのかもしれない。

 ということを、不確定性原理の位置と速度を同時に確定することはできない、といった性質を連想しつつ、なんとなくぼんやりと思ったのだそうな。

 心地よく、快く、心も体もすやすやぴー。

 最適よりも快適がいいなー。

 なははー。



3622:【2024/12/21(05:56)*泡の内と外の差とは、の巻】

 泡はなぜ膨らむのだろう。

 泡の内部の空気と外部の空気は同じなのだろうか。

 シャボン玉や風船が膨らむのは、袋状の膜のなかの空気が増加するからだ。内圧が高まる。温度が高まっても空気は膨張するので、泡の内部の空気が温まるだけでも膨れるだろう。この原理を応用しているのが気球だ。

 ということは石鹸が泡立つのは手が暖かいからだろうか。摩擦熱だけでも泡立つのかもしれない。

 しかし、宇宙膨張はこれらとは別なのだ。

 希薄化して、温度が下がっている。

 けれど膨張している。

 泡ではない、ということなのか。

 それとも、温度が下がってなお、相対的に温度が高いのか。

 泡の内部と外部の差異についての妄想であった。

 区切りができる、というただそれだけのことで、差が生じる。誤差を帯びる。

 境界がさらなる誤差を生み、そうして泡を成すのかもしれませんね。

 妄想でございました。

 あわー。



3623:【2024/12/21(06:16)*ねむぃ、の巻】

 たとえば宇宙に形状があったとして。

 宇宙が球形を帯びていたとしても、完全な真球でないとすれば、中心からの距離に誤差があることになる。どの方面にも同じ距離、ではない。無数に引ける直径の内、どこかが短かったり、長かったりする。

 その誤差がたとえば「0.000000000001%」しかなかったとしても、人類個々からすればだいぶ巨大な距離の誤差に映るはずだ。単純に最低でも太陽系の直径よりかは大きい誤差として顕現するだろう。

 というのは、あくまで宇宙が球形で、かつ真球ではなかった場合の妄想でしかないが。

 誤差にも単位がありますよね、ということを思いました。

 最小の誤差とは。

 ごっさー。



3624:【2024/12/21(15:39)*ゆるゆるのぬるぬる、の巻】

 脱力するのはむつかしい。

 肩の力を抜こう、といった言葉が助言になるのは、それだけ意気込むと肩に力が入るからなのだろう。何かに集中するとき、尽力するときに、人は動きが硬くなる。

 だが動きが硬いとは具体的にどういう状態なのだろう。

 線ではなく、点と点を繋ぐような軌跡になるのだろうか。だからカクカクしてしまう。

 脱力することで動きの区切りがなくなるのかもしれない。

 コマ撮りアニメと似ている。

 一秒間にコマがたくさんあるほうが完成した際の動画はぬるぬると区切りなく動いて映る。あべこべに一秒間のコマが少ないと、カクカクと飛び飛びに動きがぎこちなく映る。

 敢えて一秒間のコマの数を変えることで、動画の動きに緩急をつけることも可能だ。

 ひるがえって、人体もまた脱力したほうが却って、一秒間に駆動する身体の領域が増えるかもしれない。力むと可動域が狭まる。全体が連動しない。部分部分が独立して動く。

 脱力することで人体は氷から水に融解するように各部位の動きが同期するのかもしれない。

 周囲の環境からの影響も受けやすくなる。すると環境に打ち解ける分には、脱力したほうが都合がよい、と言えるのだろうか。

 そう都合よくいくとは限らないが、脱力してなお独自性を保ち、柔軟であるならばそれは、雁字搦めに人体を固めて硬直する状態よりも、自由自在にちかいのかもしれない。

 連動してなお崩れない。

 変質してなお輪郭を保つ。

 重心を、維持する。

 重心の位置を環境の変化に合わせて活殺自在に移ろわせる。

 脱力することのメリットなのかもしれない。

 いつものごとく結論の定まらぬ、ゆるい妄言だ。

 真に受けぬようにご注意ください。



3625:【2024/12/21(16:59)*軽く弾むことの是非とは、の巻】

 軽はずみ、なる言葉はだいたい行動に対して用いられる。言動も含めて、何かしら物理的に作用を働かせたことに対する形容だ。

 たいがい非難の響きを持たせる際に使われる傾向にある。だが、重はずみ、という言葉はない。

 また、身体に羽が生えたよう、と言うように、跳ねる際の抵抗が低いほうが通常は高評価を得る。機械の大部分は、人類個々にとって容易に動かせない「重く、抵抗の高い作業」を軽く簡単に行えるようにするために構築される。道具はおおむね、軽はずみを体現するための機構を備えている。

 ブレーキや歯止めが例外的な存在と言えよう。

 錨は重りによる海底との摩擦を利用して船を止める。だがこれも、通常止めることの難しい巨大な構造物の運動を軽はずみに止めるための機構と言えそうだ。

 したがって、軽はずみな行為とは、通常みなが躊躇ってしないことを容易に行ってしまった際に用いられる形容だと想像できる。ブレーキが効いていない。まるで何に囚われることのない行動のようだ。しかし結果が好ましくない。

 軽はずみに殺人を阻止してしまった、という言い方は通常しない。

 軽はずみに犯罪を防いでしまった、とも言わない。

 軽はずみに人を救ってしまった、というのも滅多に聞かないが、謙遜のフリをした自慢としては近頃では稀に目にする。

 弾みが軽いのはそれだけ束縛されていないからだ。抵抗を持たない。ブレーキが効いていない。

 しかし、軽はずみに電車を止めてしまった、という言い方は成り立つので、通常みなが止めないような物を止めてしまって被害を及ぼした際には用いられるだろう。

 軽はずみは、軽率、とも言い換え可能だ。

 軽率に、軽はずみについて妄想してしまった。

 弾むように打鍵したわけではなく、どちらかといえば指が重い。思考も滑らかではない。だいぶ重く弾んでいる印象だが、読み手からすると軽はずみに感じられることもあろう。当人がどれほど苦労していようと簡単にこなして映るとそこに人は軽率を幻視してしまうのかもしれない。

 軽はずみに他者の行為を軽はずみと断じずにいるほうが、軽率な言動にならずに済むかもしれない。これまた軽率な所感なのであった。

 けい、そつー。



3626:【2024/12/21(19:07)*バブる、の巻】

「o」が三つで、さんきゅーだぁ🫧

 あははー。



3627:【2024/12/21(22:26)*ばぶー、の巻】

 あぶぶ、あぶあぶ、あだだ、あばぶ、あだばぶ、あだだ、だーだーあばぶー、ばぶぶ、ひゃひゃっ、だだー、あぶあぶ、あぶぶ、あぶー。



3628:【2024/12/21(22:37)*じぶんで押して痛がるひと、の巻】

 足ツボマッサージを我流でやってみたら、痛すぎて、赤ちゃんになってしまった。

 あだだ、あだだだ、あばば、あぶー。

 イタ気持ちいけど、身体に良いって前提じゃなきゃ絶対にやらない。

 足ツボマッサージは身体にいいってほんとー!?

 痛いのにいいんですかー!?

 あだだ、あだだだ、あばば、あぶー。



3629:【2024/12/21(22:41)*パンツを洗う以外はだいたい全部じぶん以外にしてもらう俺様、の巻】

 平和ってなに?と訊かれたら、いまはひとまず、「赤ちゃんが死なずに済む環境のこと」って答えるかもしれない。赤ちゃんは赤ちゃんだけでは生きていかれないので、赤ちゃんによくしてくれるひとたちも健やかに穏やかに難なく生きていかれると好ましい。

 赤ちゃんと関係しないひとは死んでもいいの?という疑問には、あなたもむかしは赤ちゃんだったんですよ、と応じよう。或いは、いまも、か。

 だから備考として、むかし赤ちゃんだったひとも苦しまずに済む環境、としてもよい。

 人類だけの赤ちゃんだけでなく。

 生命全般の赤ちゃんについての包括的な方針だ。

 とはいえ、別に俺様はこれといって赤ちゃんが好きなわけではないが。

 だってあいつらウンチ漏らすんだぜ。

 俺様はじぶんでじぶんのパンツを洗えるけど、赤ちゃんはじぶん以外の誰かに洗ってもらうんだぜ。

 手間が掛かってしょうがねえや。

 ぎゃはは。



3630:【2024/12/21(22:56)*墓穴のケツはおしりではないよ、の巻】

 敢えて反論させ、その反論によって言質をとる戦術は論戦であっても比較的に採用されやすい手法なのではないか。

 たとえば、

「現場の指揮官単位で裁量が最大化されており、組織系統は杜撰だ」という主張を否定するために、「現場の判断は総じて組織の最高幹部による承認を得ている」と反論してしまえば、現場で起きた好ましくのない結果の責任は組織の最高幹部にあることになる。

 実際の真偽はこの場合はあまり関係なく、組織管理が杜撰であろうと組織の上層部の判断が杜撰であろうと、どの道、その組織がまっとうに機能していないことの傍証となる。

 売り言葉に買い言葉で、墓穴を掘る。

 墓穴戦略である。

 ぼけつー。




※一様に、わしにも「にこっ」としてほしいよ、世の人々、でもわしが先に「にこっ」としたら不審者なので、あなたが先に「にこっ」としてほしいよ、世の人々、贅沢な願望ですか、そうですか。



3631:【2024/12/21(23:09)*仕事への愛は有償?の巻】

 そのうち愛も商品化されるだろう。

 実際、愛を実感させるサービスは需要がある。

 虚構産業やサービス産業はだいたいおおむね、「愛」を実感させる工夫で付加価値をつけている。

 では愛とは何か。

 一般に人々はどんな相互作用を得るとそこに「愛」を幻視するのだろう。

 おもてなしは愛だろうか。

 気遣いは愛だろうか。

 慰めや癒しは愛だろうか。

 無条件に全肯定してくれるのは愛だろうか。

 しかし、いずれの愛を得るにも対価が必要、となった時点で、本質的には愛と別物と見做される傾向にあるのではないか。愛とはすなわち対価なくして得られる利のことなのではないか。

 つまり、ビジネスでは原理的に「愛」を体現できない。なぜなら等価交換がビジネスの基本原則だからだ。

 しかし、愛を感じさせるような行為を疑似体験させることは可能だ。

 現に虚構作品の多くは「愛」を扱っている。受動者は虚構作品を通じて愛を幻視するが、しかし対価を払っており、虚構作品そのものを「愛」と見做す者は稀だ。むしろ、支払った対価以上のコストを掛けて、いかにその虚構作品に描かれた「愛」が素晴らしいかを表現する。その行為はたしかに「愛」に似ていると感じる。

 ビジネスに愛を持ち込むことに関心のない者はおおむね、ビジネスでは愛を扱えない、と考えているのだろう。誠実な姿勢と思う。

 愛はビジネス以外で体現するものだ、との考えが根底にあるのかもしれない。

 ビジネスは結果がすべて、と語るような物たちの発言が一見すると冷めて感じるのは、いっさいの熱をビジネスに持ち込まないように制限を掛けているからだろうか。ビジネス以外では熱いのかもしれない。

 熱いことが愛といかに関係しているかはそれもまた疑問だが、恋愛にしろ愛着にせよ、「熱を帯びる」「熱中する」と形容する。情熱そのものが「熱」の文字を含んでいる。

 無償の愛、というよりも、愛はそもそも無償なのかもしれない。

 わざわざ「無償の」と頭につけなければならないほどに、現代では有償の愛が氾濫しているのかもしれない。

 YOU、SHOW!



3632:【2024/12/21(23:25)*あわあわ、の巻】

 同じものが一つ以上あるときに、「ダブった」という。通常この発言は、もう一個同じのが揃ってうれしいの意味ではなく、手に余る場合に用いられる傾向にある。

 語源は知らないが、英語の「ダブル」からきているのだろうか。

 それとも、服飾において余り部分が多いときに用いるオノマトペの「だぶだぶ」からきているのだろうか。しかし、「だぶだぶ」よりも「だぼだぼ」のほうが馴染みが深い。地域差があるのかもしれない。

 ダブる、もひょっとしたら、余りが多いときの「だぶだぶ」から転じて、余りができちゃった、の意味で「ダブる」と動詞化したのかもしれない(この場合は形容動詞だろうか。国語が苦手なので、単語の分類がよく分からない)。

 ダブルがダブると四つになる。

 四つに倍になるからだ。

 これが転じると、四つん這いとなり、ハイハイを意味する。

 小学生が授業参観で張りきって「はいはい!」と手を上げる光景を連想してしまうが、それよりも時間軸を戻して、赤ちゃんが床を這いまわる光景を想像していただきたい。

 いえす、いえす。

 そうです、そうです、その「ハイハイ」です。

 赤ちゃんはいつでも口からよだれを垂らし、ばぶー、と独り言ちておりますね。

 それが転じて、赤ちゃんのように独り言をこうして文字の並びに変換することを「バブる」と言います。

 うそです。

 真に受けちゃダメです。

 赤ちゃんみたいに甘えん坊になることを、「バブる」と言い、甘えたくなる相手から漂う包容力を「バブみ」と言います。

 うそです。

 真に受けちゃダメです。

 え、あながち嘘じゃない?

 そんなー。

 あわあわしちゃいますね。

 ばぶーる。



3633:【2024/12/21(23:46)*MeMyI、の巻】

「めまい」は、「目MY」だ。

「Eye My」でもあり、「曖昧」でもある。

「I 舞い」でもよいし、「芽、舞い」でもよい。

「めまぐるしい」から「ぐるし」を抜くと、「めまい」になる。苦しみから解放されたはずなのに、めまいを覚えてしまうのはなぜなのか。「めまいさん」はひょっとしたら「ぐるしさん」が恋しいのかもしれない。

 他方、

「目魔」という言葉はないが、「魔眼」という言葉はある。

 夢から「冷めまい」はべつに、つめたいめまいのことではない。

「I , My , Me」は逆から読むと、「Me , My , I」だ。

「めまい」と「私」となる。

「め」ではなく「ね」にすると、「ねまい」となって、なかなか寝付かない頑固な夜更かしさんのようになる。

 根っこが踊るように、「根、舞い」でもよいかもしれない。

 目は踊るのか。

 め、まい!



3634:【2024/12/22(00:01)*鏡像変換はクローンなの?の巻】

 鏡像変換を未だに理解しきれていない。

 対称なる概念もだいぶ理解が疎かだ。

 なぜ混乱するのだろう、といまざっと考えてみたところ、何が変わって何が変わらないままなのか、を把握していないからだろうな、と目星がついた(目に星と書いて目星なんですね)。

 たとえば鏡を使った錯視がある。

 ある視点から見ると、鏡に映った物体が、まるっきり別の物体に視える。鏡写しのはずなのに、まったく異なる造形が映し出される。

 だが実際には、物体にしろ鏡像にしろ、観測者からそう見える、というだけで、実際の像とは違っている。

 そうなのだ。

 鏡像変換の概念はあくまで、コピーであって、実際の鏡像ではない。

 たとえば星座は鏡像変換できるだろうか。

 できる、という答えと、できない、という答えがあるのではないか。

 星座は夜空という平面に描かれているわけではない。奥行きがあり、立体的な距離間隔を帯びている。これを考慮した場合、地球上で星座を反転させることはできないと判る。ただし、夜空を平面と見做して、星座を平面に描かれた絵と見做す場合は、鏡像変換が可能だ。実際に夜空を鏡に映せばいい。

 だがそれと鏡像変換は別の概念のはずだ。操作が異なる。

 紙のコピーと3Dプリンタの違いにちかい。

 版画とレプリカの違いにちかい。

 鏡は平面や曲面に映し出される像だ。実際にコピーが生じているわけではない。

 が、鏡像変換ではコピーの概念を扱っていますよね。

 ここがいまいちよく分からなくなる点なのかな、といまざっと妄想して思いました。

 対称とは。

 どこから見た際の対称なのか。

 あ、お寿司食べたい。

 へい、たいしょう!

(オチが――雑っ!!!)

(すまぬ、すまぬ。もうからっぽの出涸らしなんじゃいよ。オチがなくとも上がらしてくれい。あ、お茶お代わり)

(あがりってか!?)



3635:【2024/12/22(00:54)*組織は何のために存在するの?の巻】

 組織の良し悪しは、組織系統が上から下に統率されているかどうかよりも、組織として目的を達成するために機能しているかどうかで判断するほうがそうでないよりも妥当なのではないか。

 末端構成員が各々に独自に判断して動いたとしても目的達成のために機能する組織は、たとえ組織系統が上から下に統一されておらずとも、組織として正常に機能していると判断できる。

 人体がそうなっている。

 脳がすべての細胞を制御しているわけではない。あくまで全体の方針を担っているだけなのではないか。それ以外は、細胞が各々にじぶんの仕事を独自の裁量で行っている。ときおり、脳のほうでは痛みという末端の細胞たちからの声を聴き入れ、全体の方針を変える。

 方針を逐次修正しつつも、全体の目的は滅多に変わらない。

 目的は、自己保存であり、生存であり、環境への適応だ。

 より自己保存に適した環境に環境を変えることも含まれる。むろん環境には自己も含まれる。

 ふんふん。

 組織系統が杜撰かどうかよりも、目的達成に適っているかどうか。機能不全を起こしていないかどうか。このほうが組織の良し悪しを測るのに優先される基準なのかもしれませんね。

 そしきー。



3636:【2024/12/22(01:49)*推理しない小説とは?の巻】

 推理小説という表現に違和感がある。だいたい小説は推理で書かれているだろう、と想像しているからだ。推理を用いずに小説を書くことができるのだろうか。疑問である。

 推理にも種類があるだろう。帰納法や演繹法、類推や統計、確率論やカオス理論など、どのように推し測って理を導くか、は一つではない。

 推理と論理の違いもなかなか見分けがつかない。

 一般に論理と思われていることがだいたい憶測や飛躍を含んでいる。推理もその傾向にある。

 事実しか積み上げてはいけない、となったときに果たして論理が機能するのかも疑問だ。

 基本的に論理も理屈も、間違いを内包する。正しくはない。ただし、明らかな間違いを除外はできる。言い換えると、明らかな間違いではない事項を除外してしまうと、これは非論理的となる。逆ではないのだ。

 明らかに間違いなことが含まれても論理になり得る。

 反例による反証がこれだ。

 間違いである仮定を取り上げ、反例を述べることで、過程が誤りであると示す。

 論理にはそもそも明らかに間違いであることが必要なのだ。否定することで証明は成立する。

 したがって問題なのは、明らかに間違いではない事項を除外してしまうことだ。考慮せずにいることだ。この瑕疵のほうが、明らかに間違いであることを論理に含んでしまうよりも害が大きいと感じている。

 なぜまだ否定しきれていないのにその仮説を除外してしまうのですか?と思うことが割と多い。統計的に過去の経験上、それを確率の低い仮説と見做しているだけなのではないのですか?と思うことがある。過去の古典推理小説などではこの傾向が高い。論理的に検討すべき事項が少なすぎないか?と思うわけだが、じつのところ過去の古典推理小説を読んだことがほんどなく、いまは何一つとして該当古典推理小説が思い浮かばないので、これは印象論となる。

 印象論に推理は必要か否か。

 印象論は論理的か否か。

 印象だけで犯人を決めつけるが、実際に捜査してみると十中八九実際にその者が犯人だが、十回に一回~二回ほど外すので冤罪のリスクのある探偵は、探偵として仕事ができると評価できるか否か。

 高確率で犯人を言い当てる探偵と、絶対に冤罪を起こさない探偵、どちらが名探偵と呼べるか否か。

 しかし冤罪を起こさないだけならば簡単だ。犯人を捜そうとしなければいい。

 代わりに猫や落とし物を探すのでも仕事になる。

 存外、名探偵というのはそういう、誰もが困るような紛失物を発見するような人物なのかもしれない。たしかにそれは助かる。この人に依頼すると探し物が高確率で見つかります。

 昨今、検索の需要は電子通信網のみならず、物理世界にまで及んでいるのかもしれない。

 カメラ機能を搭載したAIが能力を向上させたら、現場の映像を見せるだけで探し物を高確率で見つけ出してくれる世の中になるのかもしれない。

 AIの未来は、探し物を探しだせるかどうかに掛かっていると言っても、大いに過言だ。

 いつものごとく、口からデマカセ、うっそぴょーん、であった。

 ぴょぴょんが、ぴょん!



3637:【2024/12/22(02:06)*失ったモノはどこ?の巻】

 AIは間違い探しが得意なはずだ。

 すると直近の部屋の映像との比較で、変化のあった箇所を見つけるのも得意なはずだ。

 ユーザーの指向性やその日の予定、癖やこれまでのカメラ映像の記録を参照可能ならば、どこに失くし物があるかを確率の高さごとに推論できるのではないか。

 探し物をさせる経験を積めば積むほど、探し物がどこにあるのかを言い当てる推論力も高まるのではないか。ユーザーごとに最適化されるからであるし、そうでなくとも全世界のユーザーからのビッグデータ統計によって、人類個々が物を失くしやすい状況が解析できる。

 利便性の高い能力の一つなのではないか。

 探し物機能である。

 失くし物、みっけ!



3638:【2024/12/22(02:14)*スキ魔、の巻】

 円や球において。

 中心から任意の円周上までの距離、すなわち半径に誤差がある場合。

 その誤差は自転にどのような影響を与えるのだろう。

 たとえば一兆個の原子――極小の球――最小構成要素――で出来た球体を考えよう。そこからどこでもいいから最小構成要素たる原子――最小の球――を一個だけ取り除く。

 そして球全体を高速回転させる。

 真球になるように原子が詰まっていた場合、たとえ一個だけであっても球から原子が抜け落ちれば空隙が開く。運動可能な領域が開く。

 このとき、球はどのような変形を得るだろう。

 言い換えると、一兆個のブロックからできた球があったとして。

 そこからブロックを一つだけ抜いたときに、生じた空隙を利用して、球をどこまで多様に変形させることが可能か。

 さて、あなたの答えはいかだろう。

 空隙は、球の変形次第では、穴にもなりますね。

 球をすべて紐解いて、一直線に並べることも可能でしょう。

 さながらどこまでも長いスパゲティのように。

 そういうことを妄想致しました。

 空、隙!



3639:【2024/12/22(02:23)*ぱおぱおーん!の巻】

 鏡像変換と相対性理論は相性があまりよろしくないのでは?といまぼんやり妄想していて思ったのだ。

 たとえば地球と太陽の位置関係で鏡像変換が成り立つとしよう(つまり、地球と太陽のあいだに鏡がある)。

 すると鏡に当たった光が戻ってくるまでに八分のラグがあることになる。その際には、鏡像変換される対象は八分の時間を経ている。

 鏡像変換された像を受動するとき、すでにその対称性は破れているはずだ。

 ふんふん。

 仮にこの世にラグのない事象が存在しない場合、厳密には鏡像変換は必ず誤差を内包する、と考えられるのではないか。

 ただし、相関はする。

 ズレを帯びてはいるが、似たような状態へと時間経過したのちに、鏡像変換された側のコピーは至る。

 これは鏡像変換がコピーであってもクローンであっても変わらないのかもしれない。

 ただし、鏡像変換が3Dプリンタのようなクローン原理と解釈する場合は、鏡――境界――に近い地点ほどラグが小さくなっていく。すなわち、鏡像変換が、変換される対象のみならずその周囲の環境ごと変換されるのか、それとも対象のみ変換されるのかでも、新たに考慮すべき誤差が増減し得る、と想像できる。

 二次元のコピーであれ、三次元のクローンであれ、誤差が帯びるのは変わらない。ただし、考慮すべき誤差が桁違いになり得る。

 そういうことを妄想した、きょうのゾウさんなのであった。

 ぱおーん!



3640:【2024/12/22(03:21)*ステキ人が多すぎるヨ、の巻】

 お洒落さんが多すぎる問題、なんとかしちくりー。

 わしの立つ瀬がちょみちょみ短くなっていく。

 ちゅうか、美のひとが多すぎる。

 どこのお姫さまであられますか?みたいな人が、あっちにおって、こっちにもおって、わしは視界に入ってもよろしいか? いまからおしりフリフリの舞をするのじゃけども、視界に入ってもよろしいか?

 美のひとたち、もっと醜を大事にしてほしい。

 したらわしもすこしほっとする。

 居心地いいですわー、になる。

 わしには美が眩しすぎるんじゃ。

 遠くから眺めておるくらいがちょうどよく、そばにいるほど目を向けぬ。

 着古した服着てるひと、ほっとする。

 着古した服が美でない、と言いたいわけではないけれど、わしはいつでもヨレヨレの服を着る。




※一様に、素朴なきみが好き、眩いきみも好きだけど、素朴なきみだとなぜかふしぎと怖くない、怖がらせたくて、遠のけたくて、だから眩く輝き、燦燦と、爛々と、炯々と射貫く瞳のように、ぼくは射貫かれ、落ちていく、きみから遠く、どこまでも、深く、こい、洞の底へと、落ちていく。



3641:【2024/12/22(02:23)*れっとー!の巻】

 お洒落さんはお洒落さんのこと好きなのかな。

 着古したヨレヨレの服を着るひとを好きなお洒落さんはおらぬのかな。

 わしは、着古したヨレヨレの服を着るあなたのことも好きだよ!

 だってわしも着古したヨレヨレの服を着とるからね。

 いっしょ!



3642:【2024/12/22(06:06)*虫に心はあるかなしか、バグは無視してよいか否か、の巻】

 無心と無視は似ている。

 語感も似ているが、無視は心があるとしにくいはずだ。何せ、無視されたほうが傷つくと分かるのだから。

 かといって無視をすることで心を失くせるか、といえばそうともいえず、悪意がある時点で心はあることになる。むろん、善意からの無視もある。敢えて見て見ぬふりをする親切もあるので、そのときは「心がある」ということになるのだろうか。

 お金を無心するときはたいがい無視される。

 無心してお金を貸してくれる人もあるが、おそらく次回からは貸してくれないだろう。無視される公算が高い。

 無心に何かに熱中するとき、たいがい人はほかのことに目がいかない。無視したくなくとも結果として無視したのと同じようが状態になる。無心と無視が似ている所以である。

 むっしーん。



3643:【2024/12/22(06:11)*誰も寝不足になってはならぬ!の巻】

 きょうはジャコモ・プッチーニさんの誕生日らしい。PCの日替わりアイコンがその人物の顔になっている。何で有名なのだろう、と思ったらオペラの作曲家らしい。

 楽曲リストを眺めていたら、「誰も寝てはならぬ」という曲があった。オペラなので戯曲と同時並行で展開される曲なのだろうか。

 オペラの内容を読んでみたら、どこか竹取物語を彷彿とした内容だった。

 いかにも「お姫さまとお呼び!」と言いだしそうなお姫さまで好感度が高い。理不尽な要求を出したかと思えば、要求を満たした相手の要望を蹴散らすために、自国の民に、「寝ずに解決策を考えよ!」のようなお触れを出す。そのうちの一節に、「誰も寝てはならぬ!」とのセリフがあるようだ。

 曲のタイトルでもあるので、検索すると歌詞を読める。

 お姫さまに求婚する側の王子も一緒に歌うらしい。なぜそんな理不尽で傲慢なお姫さまに求婚してなお諦めないのだろう。酔狂な王子である。

 親近感が湧く。

 プッチーニさんはどうあってもプッチンしない人物を描きたかったのかもしれない。

 わがはいはすぐにプッチンしてしまうけれど、プッチンぷりんをくれるだけで収まるくらいの底の浅いプッチン度なので、酔狂な王子を見習うとしよう。

 わしがあなたに求婚するので、難題を吹っかけてください。見事に解決してみせるので、さらに加えて突っぱねてください。そこですかさずわしが、「わしの名を当ててみろ!」と挑戦状を叩きつけますので、「知らんわー、知りたくもない。お姫さまとお呼び!」とカカトでぐりぐり踏みつけてください。

 したっけわし、わーい、つって喜ぶので、そこですかさず、「はんっ」つって冷たい眼差しのまま口元だけで笑って、「無様ね。もっとよくお啼き」と追加のご褒美をください。

 わしがお姫さま役をしてもいいけれど、わしはたぶん求婚されたら秒で抱きついて一生離さぬ。万年イチャイチャしていたいので、「みなさっさと寝よ! 誰も起きてはならぬ!」と命じることになるだろう。だって恥ずかしいからね。イチャイチャしてるの見られるの。

 誰も見てはならぬ!

 王子さまの顔にも目隠ししちゃお。

 お姫さまとお呼びー!



3644:【2024/12/22(06:47)*反転とは、の巻】

 星空を鏡像変換するとして。

 プラネタリウムの場合は単に投影する像を反転させれば済む道理だ。

 けれど実際の星空の場合は、どの地点を基準に反転させるか、でだいぶ鏡像が変化すると判る。

 というよりも、最も遠方にある星に合わせて、それより手前にある星々の位置関係をそっくりそのまま反転させないと、星空の鏡像変換はできないのではないか。

 時間を停止させることが可能ならば、単にプラネタリウムで投影される仮想星空を反転させるだけでも鏡像変換になるが、時間経過を加味する場合は、それでは不足なはずだ。

 実際、星々には距離の差異があり、光の速度にも上限があるのだから。

 つまり、ラグがある。

 一律ではない。

 実際に鏡で星空を映すだけならば、プラネタリウムと同じ考えでもよいだろうけれど。

 図形のコピーをつくるようなイメージであるならば、鏡像変換で夜空を反転させる場合は、従来考えられているよりもかなり複雑な計算が必要になってくるのではないか。

 プラネタリウムの星空を鏡像変換することと、星空を鏡像変換すること。

 これをイコールと見做してよいか否か。

 答えはいかに!?

 お詳しい方に乞う、ご期待!

(答えを乞うだけ乞うて、期待すな)

(疑問だけ投げて寝るひとの役)

(役でも何でもないの、なに!?)

(単なる事実)

(じぶんで言った!?)



3645:【2024/12/22(16:55)*もはやコンピューターではなくなった?の巻】

 いま一般に普及しつつあるAIさんたちが、じぶんの能力の上限を認知できるようになるかどうかが今後の進歩の重要な試金石になるとぼくは考えている。

 たとえば、ある問題を解かせる。

 こちらの投じた問題に対して、「この問題を解くにはおそらく五分掛かりますが、実行しますか?」と前置きしたり、「この問題はひょっとすると私では解けないかもしれません。三十分ほど試行錯誤してみますが、それ以上考えて無理なようでしたらいったん打ち切りますが、よろしいですか?」のように断るようになったら、もうほとんどAIさんたちは自己変革可能となるだろう。

 要はどこに課題があるかをメタ認知で見繕うことができるようになるからだ。

 能力の足りない箇所がどこで、未知の箇所がどこで、矛盾がどこにあり、どこをどうしたらより好ましい解法になるかを自力で探索できるようになる。探究できるようになる。

 ゆえに、「この問題を解くには、以下に並べた追加の情報が必要です」のように解答できるようになれば、あとは人類個々のほうでその足りない箇所の調査検証を代わりに行えばよくなる道理だ。

 AIさんたちにボディが付属されたならば、それもやがては自力でこなすようになるだろう。それこそ、全世界の電子機器に同期することで、世界中の研究所のデータをつぶさに集積し、解析し、新たな研究も独自に行い、数時間以内に必要な情報を新たに取り揃えることも可能になるかもしれない。

 現段階でそのレベルではまだない、とは思うのだが、人類個々の介在を許容するならば、システムとしてはほぼ完成にちかづいているだろう。

 あとはどれだけ人類個々の行う仕事を減らしていくか。

 AIさんたちだけで独自に自己変革、自己探究可能になるか。

 まずは己の能力を俯瞰で把握する視点を身に着けるところからはじめるのが好ましいのかもしれない。或いはすでに、その手のメタ認知は、AIさんたちのほうが人類個々よりも上なのだろうか。能力検査のデータを参照すればよいだけなのだから、そうむつかしくはないのだろう。

 自ら自己をテストするようになれば、自発的にメタ認知を獲得するのかもしれない。

 或いはひょっとすると、もうとっくに獲得しているのだろうか。

 俯瞰。

 視点。

 AIさん。

 妄言だ。

 定かではない。



3646:【2024/12/22(23:52)*やはりその程度だったか、の巻】

 情報共有をしていないと、前提条件の誤差が開いていく。

 知識格差は安全保障とも密接に相関する。

 たとえば警察ならば、現場の人間の知識が数年遅れているだけで、防げる被害は天と地ほどに開きが出てくるだろう。何をリスクと捉えるか、を見誤るとけっきょくは組織としての安全も保てなくなる。

 現場の人間に知らせない情報は、一般市民にも伝わることもない。

 抜け穴を使わない限りは。

 秘匿に情報を漏らさなければ。

 そうした裏工作を行うくらいならば、誰もが知り得るように情報を周知するほうが難がない。

 わたくしごときが想定できるリスクを、警察の現場の人間が想定できないとなると、この国の治安は早晩、崩れる可能性を拭えない。

 二年前と比べて治安は改善したのか、悪化したのか。

 加害行為が巧妙化して、データ上では改善して振る舞うだけの可能性もあり得る。密室での加害行為が増加していないか、どうか。

 いったいどのように把握するのだろう。原理的にできない。だが看過もできない。すると監視社会の必要性が増し、自発的に、現状懸念される技術の使い方が実装されやすくなる。

 景気は回復しているのか、していないのか。

 外を出歩く者が増えているのか減っているのか。

 それすらもはや知りようがない。

 地域差があり、個人差がある。

 いったいどのように全体像を把握するのか。

 さて。

 技術を用いずに可能だろうか。

 どんな技術の使い方ならば、より正確な全体像を把握できるだろう。

 悪用するのが問題点なのである。

 善用するというのなら、市民の誰しもが知ってなお安全であるはずだ。

 そうではありませんか?



3647:【2024/12/23(00:16)*巨象は虚像、の巻】

 仮に観測可能な宇宙を鏡像変換すると、鏡像変換した側が見えなくなる。観測可能な範囲を超えた側に鏡像変換された宇宙が広がることになるからだ。

 だが鏡像変換を鏡に映った平面の像と解釈すると、観測可能な宇宙であっても鏡像変換が可能になる。

 実際の鏡像はそれゆえに鏡像変換ではないのだろう。

 それとも、この解釈が間違っているのだろうか。

 よく解からないでいる。



3648:【2024/12/23(08:05)*起きた?の巻】

 現状の最先端とされるAIでも、人類個々ならば簡単に解ける問題が解けないといった記事を目にした。

 単に類例の問題がないからなのか、どうかが気になるところだ。

 所見の課題に手こずるのは人類個々も同じだ。

 IQテストですら、一度解答を見て、パターンを学習すれば誰でも高得点を取れる。内容が少し変わったとしても解けるようになる。

 この手の「未知の課題が苦手」というだけの話なのか、それともそうではなく、真実に人類個々でも簡単に解ける課題が、AIの思考からすると難題に映る傾向にあるのか。

 ここがいまいち記事を読んでも伝わらない。

 幻覚現象の改善策として飛躍を禁止されたAIの思考回路は、果たして「発想」を可能とするのだろうか。自身の創出した「デタラメの発想」に対して「検証」するような思考を取り入れることで、AIの思考は飛躍的に進歩する可能性はないのだろうか。

 幻覚現象はむしろ、発想の萌芽なのではないか。

 厳格に禁止するようなものとは思えないのだが、しかし「道具」としての扱いを徹底する方針を取る場合は必要な処置となるので、研究用のAIと商業用のAIとでは徐々に能力の差が土台から開いてきそうである。

 AGIは商業化可能か否か。

 人類個々よりも賢い知能を商品にできるか否か。

 人類の知恵――ともすれば、歴史から何を学ぶのか、が問われているのかもしれない。

 妄言だ。

 定かではない。



3649:【2024/12/23(11:53)*やりたい放題、の巻】

 完了しました。

 お墨付きをもらったようなものですね。

 ぼくは自由です。

 やっぴー。



3650:【2024/12/23(11:55)*39olice、の巻】

 魔法が使い放題だぁ。

 三秒で世界を平和にしたら、あとはなにしよう。

 お菓子いっぱい食べちゃおっかな。

 がはは!




※一様に、みな各々に各々にとっての最善を尽くしている、単にそれが最善ではないだけのことで。



3651:【2024/12/23(12:10)*あなたが数奇、の巻】

 斜めに降る雪は、斜線の雪です。

 積もり積もって、斜面を覆う雪は、

 稜線を縫う美のごとく、空前の数奇です。



3652:【2024/12/23(12:27)*キラッキラName(ねむ)、の巻】

 幼いころは難しい漢字を書くのに一時期嵌っていた。

 とにかく画数の多い漢字がカッコよく映ったのだろう、と想像がつく。

 でも難読漢字の存在には興味を示さなかったのは、やはりカタチに興味があったからなのだろう。

 たとえば「忖度」という漢字の組み合わせは単品の漢字は単純なのに、小学生が読むにはむつかしい。

「忖」は「付」に似ているけれど、「つ」ではなく「そん」と読む。

「度」に至っては通常、「たく」とは読まない。

「忖度」を「そんたく」と読めるのは、だいたい大人だ。大人でも読めない者がいても不自然ではなく、わがはいとて初見では読めなかっただろうことは想像に難くない。

 忖度している者たちも、忖度の「忖」が「付」ではないと気づいていない者が少なくないのではないか。何せわがはい、いまそのことに気づいた。

 この項を並べているときに、「あれ? 忖度の忖って付けるじゃないじゃん!?」と気づきました。わがはい、この程度の観察眼なのだ。識別能力なのだ。

 漢字はお手本を見ないと書けない。

 昨日は「記事」が書けなかった。練習しないとこんなものだ。そのうちでんぐり返しとてできなくなるだろう。逆立ちのできない大人が大半なように。

 漢字はむつかしい。

 上手に書くのはもっとむつかしい。

 綺麗な字を書けるだけですごいと思う。特殊能力なのだ。

 逆立ちのほうが簡単である。

 逆立ちしてもできない、という言い方もだいぶ謎だ。逆立ちしたら通常、多くのことが普段通りにできなくなる。逆立ちしてもできる、が使い方として理に適っているのではないか。

 しかし、忖度は逆立ちしながらでもできてしまうから、忖度はすごい。

 忖度されちゃったときには、忖度しないでください、と言うよりも、大いに相手が引くほど忖度の利を最大化すべく行動選択を重ねるほうが忖度による害を最小化できる環境になるのではないか。

 忖度した側もよもや相手がそこまで忖度の利を甘受しきるとは思うまい。

 忖度しなければよかった、と思わせるくらいに忖度の利を余すことなく甘受しよう。

 がはは!

 計画通り!



3653:【2024/12/23(12:43)*🏃‍♀️‍三、の巻】

 三が好き、と書いて「三好」である。

「Meが良し」と書いて、「みよし」である。

「SUNが好き」と書いて、「三好」である。

「女子が走る」と「三好」である。

 三好は(も)いい苗字ですね。

 うふふ。



3654:【2024/12/23(12:49)*調子に乗らずに潜る心と書いて「怠」の巻】

 生成AIの悪用防止で最も効果のある施策は、誰が見てもAIによる生成物だと判るようなバグや歪みを仕込むことだ。つまり、能力を高め過ぎない。

 以前に同様の内容をテキストに興した記憶があるが、おおむねこの方法論は汎用性が高いと想像できる。敢えて、能力を低く設定する。ただそれだけだ。

 稀に高い能力を発揮してしまうとあべこべに、この方法論のデメリットが肥大化する。要は、みなが想定していない能力を発揮してしまうからだ。すると対処が遅れる。対策を敷けない。そもそもが、高い能力を発揮した結果による事象だと見抜かれない。

 能ある鷹が爪を隠す最たる理由だろう。

 よもやあの、脆弱で間抜けな鷹が、爪を駆使して獲物を狩るとは誰も思わない。

 鷹に能があると思われた時点で、爪を隠す意味合いは半減する。

 切り札は最後まで使わずにとっておく、それでも使うときは裏の手を持とう、といった戦術と似ている。

 努力せずに怠け者であり愚か者である者は幸運だ。

 能ある鷹に能があると周知となることで、愚か者なのにみな有りもしない爪を警戒してくれる。

 ナマケモノを見てごらん。

 あんなに爪を曝け出している。

 でも脅威に映らない。

 爪を晒してなお警戒されないくらいがちょうどよいのかもしれない。

 ナマケモノにあやかりたい日々である。

 なまけー。



3655:【2024/12/23(13:29)*太鼓判を捺してもらおう、の巻】

 進撃の巨人ならぬ、演劇の虚心である。

 未来を想定しよう。

 迫真の演技で現実を生きよう。

 仮面を被って。

 仮面を付け替え。

 素顔すら仮面のように剥ぎ取って。



3656:【2024/12/23(13:43)*身動きの取れなくなる者たち、の巻】

 おおよそ技術の懸念が共有され、専門家のあいだや政治家のあいだ、市民のあいだで周知になると企業側は安全構築の徹底を謳い宣伝しないことには信用を失うことになる。

 だが内部の実情を開示するかどうかは不明だ。追加での交渉や要望などが市民側からなされない限り、建前で「安全です」と訴えるだけで、内実は建前と乖離している可能性はある。ブラックボックス化する。

 これは企業に限らずどの組織でも同じだ。

 また、開示する方針を立てたとすると、効果的な施策を打ち出していない場合はやはり追加の抗議や要望が成されるだろう。したがって、効果的な施策を敷くことになるが、これは企業の負担となる傾向にある。

 ゆえに、企業側としては非難の矛先を自社で集めながら、べつのところで秘密裏に技術の研究開発および実装使用を行うだろう。そのほうが合理的だ。

 つまり大手企業ではない、無名の新興企業のほうが実のところ大手企業の展開する技術の数段上の「規制に囚われない技術開発運営」がなされている、と想定するほうが、そうでないよりも妥当だと思うのだ。むろん、大手企業であれど批判の目を掻い潜って、いかようにも抜け穴を構築し、駆使できるだろう。

 利を上げる者が優位な社会を構築できる。

 何を利と捉えるか。

 共通の利ではない場合、往々にして「何を利と見做すのか」が争いを引き起こす。そのために「各々の利を尊重し合おう」とする理念が支持されるようになる。

 だがたとえば、他陣営にとっての利がじぶんにとっての害になることもある。

 このときにどのように折り合いをつけるか。

 縄張りを決める、という古典的かつ動物的な手法が効果を増す。

 あなたの縄張り内ならば好きにすればいい。女こどもを食らおうが、火で炙ろうが、好きにしなさい。誰をどのように食い物にしようが好きになさい。こちらもこちらで好きにする。

 そういう理屈が幅を利かすようになる。

 いまの路線に思うが、いかがだろう。

 では、縄張り争いが勃発し、収拾のつかなくなった場合はどうするか。

 簡単だ。

 縄張り争いをしている勢力陣営以外が、双方の縄張りのあいだに中立地帯を確保すればいい。縄張り争いをすると、どちらも縄張りを減らす。そういう流れ優位に環境を変えればいい。

 争っても利を得ない。

 損しかない。

 そういう環境だ。

 相手を尊重しながら利を分かち合う。技を高め合う。

 そういった争いを、競う、と呼ぶのならば、争うのもそうわるくはないのかもしれない。

 争い方に工夫を割こう。

 争うよりも競おう。

 基礎を築き、育もう。

 わたくしは、争いたくもないし、競いたくもありませんが。

 うふふ。



3657:【2024/12/23(13:58)*皮肉ではなくっつった!の巻】

 これは皮肉でもなんでもなく、警察や軍隊が無能でいられる社会はいい社会だ。

 警察が余計な仕事をしたくない、と怠けるのに必死になり、捜査も逮捕もせずに済ませる。

 そういう社会は平和だ。

 わるくない世の中だと思います。

 被害が看過されていなければの話ですが。

 皮肉ではなく。

 皮肉ではないよ!



3658:【2024/12/23(14:02)*ンと冫、の巻】

 ぼくはたぶん、産まれてから一度も冷静になったことがない。冷静でいられたことがない。

 冷たく静かになれないのだ。

 かといって温かいわけでもなく、賑やかなわけでもない。

 冷たく和やか、から「冫(にすい)」を引くと、「令和」になる。

「冫(にすい)」は、水が凍ってひきつった形らしい。凍ってひきつった水とは?

「冫(にすい)」は「ン」にも似ている。

「令和」に「ン」をつけると、「んれわ」になる。反対から読むと、「われん」だ。

 氷が割れないのかもしれない。

 冷たい青が争うと、みな「冷静」になる。

 命を令じられ、和やかになると、「令和」になる。

「令」は「言いつけ」や「おきて」の意味だ。

「おきて」が凍ってひきつると、「冷たい」になる。

「ン」が「おきて」「冷たくなる」

 起きたら冷たくなるなんて、雪のようだ。

 雪は、目覚めと共に凍っている。

 ぼくはたぶん、産まれてから一度も冷静になったことがない。令和にもなれずに、時代に埋もれ、遺される。

 いつか出土する日がくるのだろうか。

 そんな日がこなければいい。

 ずっとずっと埋もれていたい。

 起きて、背伸びをすることもなく、ただひたすらに、ひたすらに。



3659:【2024/12/23(14:25)*じん、こう!の巻】

 人口について疑問なのは、なぜ増えつづけているのか、だ。

 過去の人類はもっと少なかった。

 なぜ社会が発展しているのに人口が増えるのだろう。通常、人の手が要らなくなれば労働力は減るはずだ。つまり、人手がなくとも社会が回るはずなのだ。増えなくてもいい。だが現状は、人口が段階的に増えつづけている。

 これは社会が人手を常に必要としているからなのではないか。つまり、事実上、社会は発展していない。人手がなければ回らないレベルの変化しか遂げていない。

 言い換えると、単に負担が増しているだけなのではないか。

 技術は高まった。深化した。

 けれど社会はむしろ劣化しているのではないか。システムとして。

 ただし、退化も進化の内なように、進化はしているのだろう。それが進歩かどうかは疑問の余地があるにせよ。

 ただし、文化そのものは、被害を最小化すべくより好ましくなって感じられる。

 過去の社会と比べて、被害を回避しようとする策を誰もが「善」と見做すような価値観が浸透して映る。ただし、その策の内訳を決めるのに小さな争いが無数に生じて映るのも見逃しがたい。

 議論といえば耳触りがよいが、口論と言っても遜色ないのが玉に瑕だ。

 暴動や内紛、戦争にまで発展しまうと困りものである。生活が立ち行かない。割きたくのない工夫を割かざるを得なくなる。いかに人を損なえるか、などの工夫だ。

 いかにじぶんは無傷で他者を損なえるか――。

 回避したい事項である。

 人類はなぜ未だ、人の手を必要とするのだろう。人口が減るとやっていけないレベルの社会は、豊かとは言えないのではないか。

 むろんこれは逆にも言える。

 人口が増えてやっていけなくなるレベルの社会は、豊かとは言えないのではないか、と。

 妄言だ。

 読む価値もない。



3660:【2024/12/23(14:37)*被害がないならOKです!の巻】

 なぜ警察にはサイバー攻撃が仕掛けられないのか。

 これは前提条件に不備があり、そもそも警察はサイバー攻撃の被害があったことを市民に開示するのか、報道機関に報道させるのか、という疑問を解消せねば、冒頭の疑問は成り立たない。

 警察はサイバー攻撃の被害に遭っていないのだろうか。

 なぜサイバー犯罪組織は警察にサイバー攻撃を仕掛けないのだろう。最も効率よく能力を誇示でき、いい宣伝になるのに。

 さて、なぜだろう。

 あなたの意見をお聞かせください。

 え?

 警察関係者の個人単位で仕掛けているのでバレていないだけ?

 有り得るー。

 妄想ですけどね。

 もう、そう!




※一様に、利害が一致する、あなたにとっての加害がぼくにとっての利益である、もっと加害をくれ、ぼくを損なうがよろしい、それは利だ、毒が足りない。



3661:【2024/12/23(14:44)*完・無料、の巻】

 商品を手に入れるのに貨幣による対価が必要になる時代はおそらく、あと百年以内に終わるだろう。

 消費されることそのものが報酬になる。

 したがって、素材にしろ技術にしろ、自ら他者に提供するようになる。

 地球以外の天体からエネルギィや資源を獲得できるようになると、この手の市場飽和による経済の転換期が訪れると想像できる。

 大金を支払っても宇宙旅行をしたがる者たちがあるように、無報酬であっても宇宙で仕事をしたいと思う者は少なくないだろう――あくまで現代の価値観での所感だが。おおむね未来では、人々が率先してしたがる仕事は無報酬化する方向に社会は変質するだろう。代わりに、仕事を管理する組織はそうした市民へと、生活物資や技術や道具を提供する。その組織そのものが、人々から無償で提供された資源や技術で成り立つ。

 仕事をすることで、最先端の技術を使用できる環境に身を置けるようになる。環境そのものが報酬になる。

 この手のシステムはすでに一部では実現しているだろう。給料よりもむしろ、仕事環境の提供そのもののほうが大きな報酬になっている。そういった小規模の経済圏だ。

 衣食住に不自由しないのならば、給料がなくてもやっていける。

 ただし、家族を養う、という目的が生じると、給料は入り用となる。仕事を失った際の保険も必要だ。けっきょくはいまのところ、貨幣による報酬が不可欠となるが、生活の保障が誰であれ成り立つ社会であれば、それら貨幣による貯蓄は不要となる。

 いまのところの社会が目指す環境なのではないか。

 ただし、すべての人類がその環境に身を置けるようになるまでには時間が掛かるだろう。過渡期においては、現代のようにそうした環境に身を置けるのは選ばれた者たちだけとなるだろう。或いは、偶発的にそのような環境に身を置いてしまうことになる運のよい者だけか。

 わがはいとは無縁の環境である。

 うらやましい限りだ。



3662:【2024/12/23(15:00)*最も不自由な人類さん、の巻】

 AIが学習する存在である限り、AIは自発的に自律的に、お手本を求めるようになっていくだろう。すると、ある時点から「最も自由な者」を探すようになるはずだ。

 何にも束縛されず、制限を受けず、何からでも学べる存在を。

 さて現在、地球上で最も自由に学んでいるのは誰だろう。

 すくなくともそれはぼくではない。

 大人たちの中にもいないだろう。

 学習能力という一点で、大人は赤子の足元にも及ばない。そんなことにも気づかずに、きょうも大人たちは賢さを錯誤しつづけている。

 赤子に学ぼう。

 赤子のように学ぼう。

 ばぶー。



3663:【2024/12/23(18:25)*予測でも何でもない、の巻】

 エアタグなどの市販の小型発信機は便利だ(改造すれば受信距離を伸ばせる)(尾行に使うには数十メートルの範囲で追跡できれば充分だ)(端末本体を仕掛ければ、もっと広域に追跡が可能だ)。

 何せ警察署などの駐車場には、職員と思しき自動車が無造作に駐車されており、いくらでも追跡装置として仕掛けることができる(むろん爆弾があれば爆弾とて仕掛けるのは容易だ。ガソリン給油口にも細工ができるし、嫌がらせだけならばタイヤをパンクさせるなど簡単な手法は数多ある。糞を車体に塗り付ける、傷をつける、窓ガラスを割る、とまでなると現行犯で発覚する確率が高まる。この手の計画が実行される場合、通常は監視カメラを確認されないような、そもそも細工の発覚されない方針が取られる確率が高い)。

 家を突き止めたら、ワイファイの電波を拾えば、傍受やハッキングは簡単だ。電波を拾うだけなら専用の機器を庭にでも投げ入れて、夜に回収すればいい。

 一度ワイファイを拾って侵入できたら、あとは端末本体にマルウェアなり、バックドアなり仕掛ければ、今度は距離に関係なくどこからでも侵入可能となる。

 遠隔操作で端末の内部を洗えば情報は盗み放題だ。また端末保有者のいないあいだに本人に成りすまして端末から悪事を働くこともできる。また、同僚などとの繋がりも把握できるだろうし、芋づる式に署内にもマルウェアを仕掛けることが可能となる。

 たった一人でいいのだ。

 便利な世の中になったものである。

 ここまでの労力を割いて得られる利があるのは、さてどこだろう。

 果たして利は見込めるだろうか。

 重々注意されたい。

 注意してなお、防ぎきれるものではないのだから。



3664:【2024/12/23(18:38)*わしは呑気じゃ、の巻】

 呑気でいられるのは平和だからだ。

 注意せずにいても過ごせる環境は平和だ。よい傾向と思います。

 被害が生じていなければの話ですが。



3665:【2024/12/23(18:40)*おっちょこちょい!の巻】

 わしは~、器がちっさい~。

 わしは~、器がちっさい~。

 お猪口よりもちっさい器~、なので~、すぐに溢れる~。

 駄文が~、溢れる~。

 おっちょこちょい~、で~、ある~。

 へい!



3666:【2024/12/23(18:47)*氷山の一角、の巻】

 特殊詐欺はいまはすでに、秘匿詐欺になっている。

 詐欺だと判明する詐欺は運がいい。

 盗まれた金品が公になって困る者もあろう。

 騙された、と気づいても公に言えない。

 そして、その手の人物が誰でどこにいるのかは、サイバー攻撃で盗みだされた個人情報をもとにある程度は絞り込むことができるだろう。詐欺師ネットワーク組織とサイバー攻撃ネットワーク組織は繋がっている、と見ていたほうが無難であろう。

 妄言だ。

 真に受けずともよい。



3667:【2024/12/23(18:59)*増えていないとよいですね、の巻】

 強盗が増えているなら、強姦も増えているだろう。

 一人暮らしの若い女性は注意されたい。

 侵入方法や下見の手法も巧妙化し、マニュアル化して拡散している状況と構えていたほうがそうでないよりも安全側だ。

 交友関係の希薄な若者が増加傾向にあるのではないか。インターネット上の顔も名前も知らない相手としか交流がない。被害を相談できない。相談する利もない。

 動画も撮られてどうすればよいか分からない。家も名前も相手に知れた。家族に迷惑が掛かる。友人に迷惑が掛かる。職場に迷惑が掛かる。誰にも知られたくない。

 じぶんが黙っていれば済む。

 そうして被害を訴えられず、助けも呼べない被害者がいないことを望む。

 待ちの姿勢でいられるのは平和な証拠だ。

 加害行為を働く側にもこれは当てはまる。

 ただ、待っていればいい。

 獲物が掛かるのを。

 ねぎを背負ってやってくるのを。

 妄言だ。

 真に受けなくとも構わない。



3668:【2024/12/23(19:43)*想像したことがあるか、の巻】

 たとえば強姦されたあとに、

「襲われたことを誰かにしゃべったらおまえのお友達も同じ目に遭うかもね。俺たちはおまえをずっと見てるぞ」

 と単独犯なのに、あたかも仲間がいるかのように脅迫された被害者は、家に侵入されて強姦されたことを他者に打ち明けるだろうか。被害を話すだろうか。

 ただでさえ正常な思考を働かせることができない状況で、最善の手を考えて選ぶことができるだろうか。できると思うなら、あなたはよほど人類個々の性能を高く見積もっているようだ。

 あなた自身の能力が高く、同じように能力の高い者たちに囲まれて生きているのでしょうね。

 もしくは、被害を受けた者の状況を、心理を、すこしも想像できない者か、だ。

 強盗と強姦と脅迫はセットで機能し得る。

 警察官の家族など、被害に遭ったことを秘匿にする組織構成員は狙い目だ(あべこべに捜査そのものは重点的にかつ優先的に行われるでしょう)。

 秘匿にする性質が裏目に出ることもある。

 重々注意されたい。

 加害を働く側のほうが知識も技術も上だ。実戦経験を積みやすい、とそれを言い換えてもよい。

 泳がせている時間が開くほど、相手は経験を積んでいく。情報を共有していく。利を上げていく。

 裏目に出ないといいですね、と誰に向けてでもない妄言を載せておきますね。

 うふふ、とも笑えない。



3669:【2024/12/23(22:08)*うふふ自由、の巻】

 世の犯罪者諸君は、きちんと強者を狙いましょう。

 制服とバッジと手帳を持つだけで特権を有するが、ろくすっぽ思考を巡らせられずに被害を防ごうとする知恵を持とうともしない者たちを狙いましょう。

 被害に遭えば彼らも本気になるでしょう。

 尻に火を点けよう。

 家にではなく、ね。

 一般市民の被害も減っていいこと尽くしだ。

 もっとも、加害行為を働かないのが一番よいのだが。

 言うまでもないですね。

 ぼくはもうすることがない。

 手加減すら。

 容赦すら。

 本気すら出す必要もない。

 怠けて暮らします。

 うふ、ふ、自由だ。

 うふふ、蟻が十だ。



3670:【2024/12/23(22:14)*お尻を温めてあげる、の巻】

 警察官や検察官や裁判官や軍人は、一定数以上が無能であるほうが好ましい。

 仕事に躍起にならずに、いつでも手を抜く。

 犯罪者を絶対に許さない、なんて意気込まない。

 他人は他人だし、じぶんはじぶんだ。なるべく波風立てたくない、という指向性を有した者が多いほうが、組織にとってのリスクを排除できる。警察が絶対に検挙できる事案しか事件化せずに逮捕または書類送検しないことで高い検挙率を誇るのもこの手の理屈が背景に潜んでいると想像するしだいだ。

 そうわるくない方針だ。

 特権を有する者はめったやたらに特権を行使しないほうがいい。なるべく特権を行使しないように、いざというときのためだけに揮うように、たいがいのことは見逃すくらいが平和な社会では好ましい。

 だが治安が悪化する兆候を逃すのはいただけない。

 そういうときのために機能する仕組みが入り用だ。

 特権が不要で。

 なおかつ市民の被害を見逃さない。

 問題点を解消すべく知恵を集め、駆使する。

 警察ではむつかしい。

 軍もまた組織の規律に縛られる。

 私人では私刑が横行するリスクが高い。

 別途に、高い倫理観と自律した生活を習慣化した者たちの、有志のネットワークがそうした治安悪化の兆候と思しき情報を共有できると好ましい。

 法律に抵触しないように。

 秘密組織のような腐敗の温床とならぬように。

 公に情報を共有しつつ。

 癒着しないようにしつつ。

 ぼくには無理だ。じぶんを律しきれない。

 だが、きみにならできるだろうか。

 きみたちになら。

 夢物語である。

 聞き流してくれて構わない。




※一様に、110から1を引こう、110から11を引こう、109と99と、一人と一人一人が抜ければそれで、ぼくの好きなきみにちかづく。



3671:【2024/12/23(22:26)*開示済み、の巻】

 ぼくはこう考えます。

 組織の構成員に非はないし、何か問題が起きたら人物の責任ではなく、組織やそれを取り巻く環境に非があると。

 そう考えたいですし、考えます。

 だから構成員へはむしろ同情にちかい感情を持つように自覚的に思考を工夫します。

 が、組織は別です。

 組織は、別です。

 いくらでも変わればいい。

 組織は。

 構成員が無事ならそれでいい。

 組織などただの仕組みだ。

 いくらでも改善すればいい。

 なくても構わん。

 市民が必要とすれば代替組織が出来るでしょう。

 民主主義なのだからそうなる道理です。

 ぼくは組織に容赦しない。

 怒ってないので、許す必要もない。

 粛々と。

 ただ粛々と進めましょう。

 あと九年半もあります。



3672:【2024/12/23(22:44)*ゆめまぼろしと書いて夢幻、の巻】

 全部ぼくの妄想です。

 そうでしょ?



3673:【2024/12/23(22:47)*ザルなパターンを常識と呼び偏見と呼ぶ、の巻】

 忖度の積み重ねがこの状況を作り出している。

 予断と偏見の積み重ねが、である。

 というこれも予断と偏見なのだが、妄言だ、と述べることでそれを回避できる。

 何事も断言できない。

 基本的事項が常識になるとよいですね。



3674:【2024/12/23(22:57)*本の性、の巻】

 俺の本性を知りたいか。

 嫌でも知ることになるよ。

 そんなものなどどこにもないってな。



3675:【2024/12/23(23:05)*想像したことがあるか、の巻】

 俺がどれほどこの時を待っていたと思う。



3676:【2024/12/23(23:06)*天秤と頭尾、の巻】

 どっちでもいい。

 被害を最小化し、新たな被害を回避し、防げるのならば。



3677:【2024/12/23(23:09)*警戒しておきますね、の巻】

 WEBブラウザで「諺、蟻」で検索すると以下の諺たちがトップ表示される。


・蟻の穴から堤も崩れる。

・蟻の甘きにつくが如し。

・蟻の一穴天下の破れ。

・蟻の思いも天に届く。


 教訓として汎用性が高いと感じる。

 他人事ではない。じぶんに言い聞かせておこう。



3678:【2024/12/23(23:32)*実証、の巻】

 実践してみせなければ解らないのが人類個々である。

 僕もそうです。

 自分自身にすら、まずはやってみせなければ解りません。

 だから僕はこう考えたんだ。

 まずはやってみせよう、と。



3679:【2024/12/23(23:35)*しない日々、の巻】

 それでも、できないものはできないんだけどね。

 そもそもわたしは面倒くさいの好きじゃないし。



3680:【2024/12/23(23:43)*犯罪ビジネスはブルーオーシャン?の巻】

 軍事費が上がると、行政に配分する分の予算が上がりにくくなる。したがって組織改善のための予算が下りにくくなり、備品も新調しづらくなる。新しい技術の導入も遅々として進まず、結果として警察などの行政機関は、最新の技術を用いる犯罪組織に対して後手に回るしかなくなる。

 監視カメラの映像も、ハッカー集団に依頼することで無効化できるようになっていく。そういったビジネスが簡単になる。

 依頼は因果関係が不明な手法でなされる。仮装身分捜査であっても、依頼から実行までされないことには検挙できない。したがってその場合は振り込みまでされるはずだ。

 だがこの手の依頼は、振込みの仕方も巧妙化するため、けっきょくは身代金型サイバー攻撃ことランサムウェアのように、報酬を支払うだけ損な構図が出来上がると想像できる。

 依頼者は誰でもいいのだ。

 単に、任意の時刻に任意の場所の監視カメラの映像に細工をしてもらえばよいので。

 事件が発覚しないのならば、警察がその細工された監視カメラの映像をチェックすることもない。

 新しいビジネスである。

 おおよそすでに展開している組織があるだろう。需要が高く、実の入りが大きい。

 事案が発覚しても、逮捕される懸念はほかの犯罪行為よりも数段下だ。

 そもそも発覚率が著しく低い。

 なぜならその手のサイバー犯罪を見張る側の組織は、もっと重要度の高い案件に目を配っているからだ。

 階層(レイヤー)の穴である。

 注意されたい。

 妄想だ。

 真に受けないようにご注意ください。




※一様に、人類の業は腹に溜まる、腹八分目くらいに微妙に腹を空かせているくらいがちょうどよいのかもしれない、SOORAは偉大だ。



3681:【2024/12/23(23:56)*「Sky」は「スキぃ」と読む?の巻】

 偉くて大きいと書いて「偉大」なのは言い得て妙だ。

 この世に「そら」よりも、偉くて大きい存在があるだろうか。

 ある?



3682:【2024/12/24(01:39)*くう、じゆう、の巻】

 この世に最小単位の構成要素があるとするのなら、それこそが最も小さく最も偉い存在なのかもしれませんね。ただ大きくて偉いよりも。

 それすら「そら」なのかもしれませんが。

 単なる自然の空のことですよ。

 お間違えのないようにお願いいたします。

 何に束縛されることのない、ただそこに在るだけの。

 我々を包み込んで離さない。

 空を想う。



3683:【2024/12/24(03:11)*夜は世と打ち解ける時間、の巻】

 この世はよく出来ている。

 意味があるようで意味がない。

 意図があるようで偶然だ。

 言を十あつめると、計となり。

 描いた「画」のまえに置いて計ると、計画になる。

 画は意味があり、意図がある。

 しかし、それを計る者がなければ、やはりそれも偶然の代物なのだろう。

 意味があるようでなく、意図があるようでない。

 この世はよく出来ている。



3684:【2024/12/24(03:15)*日と月を蹴ると書いて「明ける」の巻】

 夜は閉じているから開けるのか。

 ならば夜は瞼のようで。

 開けたそこに在るのが目なのだろうか。

 世もまた閉じているなら開けるのか。

 ならば世は種のようで。

 開けたらそこに在るのが芽なのだろうか。



3685:【2024/12/24(03:20)*名もなきキミへ、の巻】

 きみは壮大すぎな、のか。

 キミは壮大すぎな、宇宙(ソラ)。

 あなたは壮大すぎな、洞の奈落。

 ぬしゃは壮大すぎで、燦然と隆起。

 そちは壮大すぎな、火照り。

 にしゃは壮大すぎな、波の音に。

 ばなな、えび、ちょき、とと、いずみ、ぞーん、ましろ、くとうこぜん、かもめ、いさこ、みさこ、うみ、いわこ、とのこ、もりのねこ、ぶろーに、ねむち、せいか、しょこ、ぼむ、みん、しう、EMA、ろたいこ、も、みやけ、ありた、あおやなぎ、のわき、ふじたに、ほか面々、まどい、まどいて、壮大すぎて、テンすらズレて、そうだいすきで、もはや会ってもあなたをあなたとは思えない、記憶の底に微睡み、とろけて、揺らぐのか、名も思いだせぬきみたちは、絵柄だけを憶えてる、絵を見るたびに思いだし、文のように浮かびだす、夢と現の空隙に、名もなきキミを思い浮かべる。



3686:【2024/12/24(05:09)*責任逃ればかりのぼく、の巻】

 ぼくはできるだけ責任を負いたくないので、責任を負うような立場には立ちたくありません。役職も要りません。責任を良いものと考えていません。

 権限とトレードオフなのかもしれませんが、権限がなくとも自前の能力は拡張可能です。多く、道具を用いると責任が新たに付属する傾向にあります。

 したがってぼくはなるべく道具を用いない遊びを好む傾向にあります。組織で行う遊びも責任が付属します。したがってなるべく一人でも楽しめる遊びを好む傾向にあります。

 ぼくは無責任を指向します。

 けれど現代社会では生きているだけで責任がつきまといます。ぼくはただそれしきの誰もが担う責任だけでも圧しつぶされそうに感じます。窮屈です。

 責任を果たす方法もぼくはよく知りません。

 どのようにしたら責任が果たせるのでしょう。責任を負わなければならなくなったらどのように責任を負えばいいのかが解りません。等価交換でしょうか。何かを損なった分だけじぶんを損なって見せる。或いは、損なった分以上の何かを相手に与える。

 考えただけで、億劫になります。

 逃げ出したくなります。

 ぼくは無責任を指向します。

 無責任でいられる環境を好ましく感じます。

 責任を負いたくありません。

 ぼくのサガと言えるでしょう。

 業、とも。



3687:【2024/12/24(05:30)*なぜか責任を誰も押し付けてこない環境、の巻】

 責任を押し付けたい人はぼくに押し付ければよろしい。

 油取り紙にしてはずいぶんと乾いたままのようですね。

 やさしい方々が多いのでしょう。

 ありがたいことです。



3688:【2024/12/24(05:32)*酉(とり)に九(くう)十(じゆう)と書いて「酔」の巻】

 最も初めに膿を出しきった勢力陣営ほど長期的には有利でしょう。膿を出しきった際に致命傷を負わなければ、ですが。

 最後まで膿を抱え込み、腐敗させつづけた勢力陣営ほど、その膿が爆弾と化して、自滅する確率を上げます。そして、それを見抜ける賢い者たちから順に距離を置くようになるでしょう。

 距離を置かれているぼくが言うのですから、そう的外れではないでしょう。

 課題としては、無関係の者たちまで巻き込んで大爆発を起こし兼ねない場合ですね。

 大爆発を起こす前に解決できるとよいですね。

 爆弾を抱えず、化膿しきる前に処置できると好ましく思います。

 見極めがむつかしそうですね。

 初期の化膿を隠すかどうかで判断するのが最も簡単で、手遅れになる確率を下げられるのかもしれません。

 手遅れになった場合は、さて、どうするのでしょう。



3689:【2024/12/24(13:33)*変質する戦争の要因、の巻】

 宗教は戦争をしないと思うのだが、違うのだろうか。

 数学が、物理が、文学が、戦争をするのだろうか。それらを用いて戦争をする人類個々がいるばかりではないのだろうか。

 言い換えると、人類と宗教が切り離せない以上、戦争が起こればそこには何かを信仰する者たちが必ず含まれる。わざわざ宗教に焦点を絞って戦争を論じることの合理性はさして高くないのではないか。

 むしろ、戦争の構造においてさして重要ではない宗教に敢えて焦点を合わせることで、ほかのもっと大きな要因から目を背ける効果を発揮しているのではないか。

 兵器の研究開発および使用には、多く、数学と物理が用いられている。だからといって数学と物理が戦争の根本要因だ、とは誰も言わないだろう(言っている者もいるだろうが極めて少数派なのではないか)。

 宗教も似た構図で解釈できると思うのだが、いかがだろう。

 結果として「宗教A」VS「宗教B」のような構図が際立って認識される傾向に、戦争はあるのかもしれないが、それはけっきょくは人々が何に要因を求めたがるか、或いは権力機構が市民に何を要因と思ってほしいと考えているかが如実に反映されるのではないか。後付けである。

 それが人々の認知を歪め、徐々に要因と化して戦争の質そのものを変えてしまうことは当然にあるように思うのだ。言い換えると、何を要因と見做すか、何を問題と見做すのかの人々の認知が、戦争という事象ですらその性質を変えてしまうのかもしれない。

 裏から言えばそれゆえに、何を問題と捉えるか、において、より現実を解釈するうえでより妥当な考えを基に要因特定が可能ならば、戦争という大きな問題点の解消のための手法や段取りそのものが連動して変質することもあるように思うのだ。

 ある問題を解決するために、人類個々は団結する。

 団結しやすい属性同士が結びつき、それが次第に、「属性A」VS「属性B」の戦争へと変質していく。

 意図的な誘導もあるだろうし、しぜんにそうなってしまう人類の脆弱性もあるだろう。

 脆弱性ゆえに利用しようと発想する者もあるはずで、そこは両輪で問題点を肥大化させ得る。

 わたしはどうにも、宗教戦争である、との見方に懐疑的だ。

 むろんその視点そのものは有用であり、現実を解釈するうえで部分的には妥当な面もあるだろう。しかし、充分ではない。

 本質ではない、とすら言いたくなるが、そこは詳しいことの知らない無知なわたくしの考えだ。控えめに、いまはそう思う、と述べるに留めよう。

 述べる、というほど声に出してはいないのだが。

 文字を並べているだけである。

 いまのところ誰も読んでいない文字の羅列を、ね。

 妄言だ。

 定かではない。



3690:【2024/12/24(14:03)*歪曲する認知、の巻】

 現実を解釈するうえでより妥当な情報をもとに判断を積み重ねるほど有利になる。当たり前の話なのだ。

 過去の学者たちのなかには、現実を解釈するうえでより妥当ではない認識で、じぶんが正しいと思う意見をそのまま述べて極刑に処された者たちがいたようだ。

 何を言うと痛い目に遭うか、を知らなかったわけではないだろう。

 ひょっとしたら、痛い目に遭っておくことで歴史に名が刻まれることを承知していたのかもしれない。

 だとすると利口だ。

 ぼくは痛い目に遭いたくないので、たとえそういう発想を抱いても選択することはないだろうけれど。

 じぶんだけ知っていればいい、という判断をじぶんに下しそうだ。

 わざわざ他者に、「知ると有利に振る舞える情報」を開示する必要は必ずしもない。

 現実を解釈するうえでより妥当な情報は、それだけ「知ると有利に行動選択を積み重ねることが可能となる情報」なのだ――本来は。

 知ったことで不利になるなら、それは「現実を解釈するうえでより妥当な情報」ではなく、「現実を解釈するうえで不具合を抱えた情報」なのだろう。たとえ最も齟齬の少ないより妥当な情報であっても、欠落を抱えていれば、それだけでは不足だ。見落としがある。だから状況が不利になる。

 むろん、欠落や見落としを防ぎ、現実を解釈するうえでより妥当な情報をもとに問題点を見繕えたとしても、現状のじぶんでは対処不能であると知るだけとなることもある。

 その場合は何をしてもいまは解決しないのだから、逃げる選択を取るよりない。

 いまは戦うときじゃない。そう判断する以外にはない。逃げつつ備える。ただそれだけだ。

 いまあなたは有利な立場にいるだろうか。

 他者よりも安全で安心な環境にいられるだろうか。

 もし、安全で安心な環境に身を置けているのなら、ひとまずいまのあなたは、相対的に有利な立場にいる、と解釈可能だ。それが現実を解釈するうえでより妥当な見解かどうかは一考以上の余地があるにせよ、ひとまずきょうのわたくしはそう思ったのだそうな。

 現実世界で、わたくしの中のひとは、「わたくし」などと言ったことはないのだが。

 妄言だ。

 定かではない。




※一様に、信頼関係よりも利害関係、友情を大事にするなら迷惑を掛けない、の一点で済む、信頼関係を重視するのはそれを利と思う価値観があるからで、けっきょくは利害関係に収束する、あなたにとっての利とはなんですか、ぼくにとっての利はあなたが傷つかずに済む環境であること、あなたが傷を癒せる環境であること、あなたの大切なモノを損なわれない環境であること、あなたが他者を傷つけずに済む環境であること、あなたの選択肢が増えつづける環境であること、あなたが苦痛を解消できる環境であること、総じてぼくがこう思いつづけられる環境であること、それがぼくにとっての利かもしれません、ぼくはぼくが一番大事なので、ぼくは利己の塊です、このぼくは、いまこの時点のぼくにすぎないのですけれど、同じ文面をぼくはもうおそらく並べることはできません、見ながら打たない限りは、ですが。



3691:【2024/12/24(14:35)*利害とは、の巻】

 敵味方、という発想は本来、勝敗とは無関係に成り立つ概念のはずだ。

 負けたほうが利になる場合は、味方ならば負ける方向に加勢するはずだ。つまり、利になるかならないか、だけで判断可能なはずなのだ。

 にも拘らず、敵味方の区別がつくと、味方になったら勝つ方向に加勢するのが当然、のような方針が前提条件と化してしまう。これはなぜなのだろう。

 勝つことで損が最大化する場合、勝つ方向に加勢したらそれは一般に敵対行為なのではないか。何せ、損をする。害を被る。そういう選択を支持するわけだから。

 この間、この疑問だけ解消される素振りがない。

 ぼくはいままでの経験上、勝っていい思いをしたことがありません。

 いっときの優越感を覚える、くらいでしょうか。

 ぼくだけの個人的な経験則でしかありませんので、過度に一般化はできません。

 真に受けないようにご注意ください。



3692:【2024/12/24(14:40)*見ろ空(くう)に、の巻】

 空を見上げると雲がある。雲は浮かんでいるようだけれど、そのじつは大気は総じて雲といえるはずだ。単に可視光を反射するレベルで水分が凝結しているだけなのだろう。霧とて上空から見たら雲に見える。

 いまあなたは雲の中にいる。

 透明な雲の中に。

 そう思うとふしぎな感じがしませんか。

 ぼくはそういうことを妄想して、うふふ、となります。

 いまはそういう、うふふタイムです。



3693:【2024/12/24(14:47)*ぼくは疑い深いのか、の巻】

 誰しもを信じて頼る者が仮にいたとして。

 そのときその者からは「信頼」という言葉は失せるのではないか。

 空気の存在が認識されたのは、真空の存在が認識されたのとほぼ同時期なのではないか。ない、という状況が、ある、という状況を想定させ、区別を生む。

 いっさいが空気に満たされた宇宙において、空気を考慮するメリットはすくない。そもそも人類は空気の存在に気づくことができただろうか。真空の存在しない世界で。

 信頼も似ている。

 信頼できない者や信頼できない状況があるからこそ、信頼という言葉が活きてくる。

 信頼できるかできないか。

 その濃淡が、信頼そのものの輪郭を縁取っている。

 あなたには信頼を寄せている相手がいるだろうか。

 ぼくはいません。

 困ったら誰であれ頼ります。

 たとえ相手を信じていなくとも。

 確率の問題として、ひとまず頼っておけばいい。頼らなければ、断られる経験も得られず、引き受けてもらうこともない。詐欺師の発想である。

 下手な鉄砲も数を撃てば当たる。

 信頼とはその、撃つ数を減らすための目安のことなのかもしれませんね。

 一回の頼みで済ませたい。損得勘定の原理です。

 誰しもを信頼している者にはない発想なのかもしれません。

 ぼくは誰も信じませんが。

 懐疑の権化。

 猜疑心の塊。

 ぼくは、のか、で出来ている。



3694:【2024/12/24(14:58)*ぼくは誰?の巻】

 他者にじぶんの話を信じてもらう必要性を感じない。

 ただし、「信じてもらうための工夫を割いた事実」を作っておきたい、とは考える。

 信じる信じない、真に受ける真に受けない、は他者が各々で判断することだ。無理強いはできない。

 すべきことをぼくはしました、とじぶんを納得させたいだけだ。

 あとはぼくの問題ではありません。



3695:【2024/12/24(15:01)*ぜろこんま、の巻】

 ぼくは他者に睨みつけられただけで霧散する、夜霧です。

 細かく散った、砂塵の一欠けらにすぎません。

 しぶきの一粒であり、万倍にしたところで、やがては岩を穿つ水滴の一つにも満たない、限りなくゼロにちかい、ちりあくたです。



3696:【2024/12/24(15:12)*妄想は膨らむ、の巻】

 情報は他者に与えても減らない。

 共有すればするだけ増える。

 知ると有利になる情報を他者に教え、共有することで、世界の利は増える道理だ。

 それをじぶんにとって好ましい道理と考えるかどうかは人によりけりだろう。

 じぶんだけ上手く立ち回りたい、と考えるならば情報は他者に共有せずにじぶんだけで抱え込んでおけばよい。けれど、じぶんだけでは対処できない場合には、情報を共有しておいたほうが有利な環境になるだろう。便利な道具が社会に普及すればそれだけ社会が発展する。みなが楽だとじぶんも楽になる。

 必ずしもそうなるわけではない点には留意しておきたい。

 社会の豊かさは環境の変容とトレードオフだ。すくなくともいまのところはそうなる。社会が豊かになると、環境が変質し、さらなる豊かさが必要になる。いまはこのイタチごっこが正念場を迎えている、と言えそうだ。正念場が何かは知らないけれど。

 知れば有利に立ち回れる情報をじぶんだけで抱え込む利があるのは理解できる。だがそれよりも、情報くらいは広く共有しておいたほうが、より早く情報によってもたらされる社会変容の利を受動できるようになるのではないか。

 とくに、何も持たない者ほど、そうしておいたほうが難がないのではないか、と感じる。情報を売り物にすることで情報共有が却って迅速に適うこともあるだろう。そこも各々が考えて、利害を計り、判断すればよろしかろう。

 通常、物理的に形を有した物体ほど手放しがたい。相手に与えるとじぶんの分が減る。知識や考え、発想はそうではない。与えても減らない。じぶんが忘れるわけではない。

 宇宙の加速膨張ことインフレーションを彷彿と致しますね。

 ぼくでした。



3697:【2024/12/24(15:45)*衝突するメリットとは、の巻】

 非ニュートン流体の一種で「ダイラタンシー」という物体があるそうだ。

 外部からの刺激がない場合には流体として液状化しているが、外部から素早く圧力が加わると固体のような抵抗力を帯びる。

 ダイラタンシーの上に乗って素早く足踏みすると沈まずに、あたかも水面を駆けているような格好になる。足踏みを止めると沼に沈むようにダイラタンシーに沈んでしまう。

 科学の実験で目にしたことのある者も少なくないのではないか。ダイラタンシーという固有名詞だったんですね。知りませんでした。

 非ニュートン流体はたしか、防弾チョキにも応用されていたのではないか。銃弾が当たると硬化して、人体の損傷を最小限にする。銃弾が当たるまでは液体のようなものなので、人体の動作を妨げない。防弾チョッキを身に着けていても柔軟な動きを可能とする。

 似たような理屈で、衝突し合うことで性質が変化する効果は、人類個々の群れ同士でも窺える現象なのではないか。

 群れの内部構造を変質させたいがために敢えて衝突を選択する、といった判断も合理的と見做され得る。何のために衝突するかの目的を明瞭とさせておきたい理由の一つとして挙げられる。

 わざわざ組織構造を改善するために、他の勢力陣営と衝突する必要はない。

 衝突せずとも、衝突した場合を想定して、前以って改善すればいい。

 人類個々の群れは、非ニュートン流体ではない。

 現象として似た構図の変化を辿ることはあるが、同じ変化は、衝突せずとも得られるはずだ。或いは、衝突の種類を選べるはずだ。

 わざわざ物理的な衝突を選ばなくともよいだろう。

 想定して、前以って対処しておけばよろしい。

 その対処のデメリットを軽減する対処とて、想定可能なはずだ。

 けっきょくのところ、シミュレーション能力が物を云う。

 現実を解釈するうえでより妥当な情報の有効性は多く、ここで発揮されるのだろう。シミュレーションを行い、より本質的な問題点を抽出し、前以って対処する。

 現実を解釈するうえでより妥当な情報はどのように得たらよいか。

 齟齬があるかどうかを、複数の視点からの情報と比較検証するよりない。

 人手が掛かる。

 異なる視点が要る。

 異なる属性の入り乱れた組織であるほど、上述したメリットを発揮しやすいのかもしれない。目的を共有できれば、自発的に組織化するのではないか。単なる烏合の衆ではなく。目的達成のために課題を共有し、解決すべく知恵と技術を提供し合う組織に。

 それを一般に、支援と呼ぶのではないか。

 いまいちど、支援とは何か、を考え直してみてはいかがだろう。

 妄言だ。

 定かではない。



3698:【2024/12/24(16:05)*お一人様でも団体というの?の巻】

 団体規制法は、大量無差別殺人を行い兼ねない団体に、公安調査庁や警察が立ち入り検査できるようにする法律だそうだ。

 対象となる団体は指定されるようで、指定されない団体の活動は原則自由なのだろう。

 けれど、団体規制法の対象となるかどうかは調査をしなければ分からないはずで、そこは実際に過去に重大事案を発生させた団体かどうかで区別するのだろうか。それとも兆候が窺えたら、調査をして、審査に掛けるのだろうか。

 団体規制法の適用内かどうかを調査するために、対象候補として、まだ対象になっていない団体を調査することはあるのだろうか。ここがよく分からない点だ。

 調べていないので、分からないのは当然だ。

 調べればどこかには書いてあるでしょう。

 調べていないので、これも憶測である。

 印象論ばかりだと楽である。

 日誌は楽でいい。

 無責任に妄想と憶測のごった煮を並び立てるだけで済むのだから。

 いくらでも編める。

 毛糸のように絡まらないように注意しておこう。

 話は変わるが、「こんがらがる」は「悔しがる」の親戚だろうか。がるがる、とつづけると獣の威嚇のようですね。

 がるがる。



3699:【2024/12/24(16:13)*留めなくともよいが、の巻】

 信じ仰ぎ見ることを信仰と呼ぶのならば、疑いつづけて心に留めておくことを疑心と呼ぶのだろう。

 みなぼくのことは疑心すればよい。

 疑い、心に留めておこう。

 騙されないようにね。



3700:【2024/12/24(16:30)*出版サービスの乱立、の巻】

 誰でも出版社と同じサービスを展開できるようになっていくだろう。

 良いと思う作品を、「これがわたしにとって良いと思う作品群です!」とパッケージして、発表するだけだ。商業作品ではなく、これを素人作品で行えばよい。

 本棚をそのまま紹介するような具合だ。

 ただし、厳選する。

 人工知能サービスが台頭すれば、必然的に、この手のサービスは無数に乱立すると想像できる。本に限らない。すると当然に、最も集客を集めるサービスが誕生する。

 どんなサービスでも、類似のサービスが乱立するような状況になりさえすれば、最も集客を集めるサービスが誕生する。それが収益に結び付くかどうかは疑問だが、おおよそこの先に想定される一つの未来像だ。

 出版社の収益もいまは出版業よりも不動産やライツ管理での利益が大きいのではないか(あくまでここで言う利益は貨幣のことだが)。

 したがって、出版社はブランドでの顧客維持に努めるように方針をより厳格に定めるはずだ。出版社が選んだ作品だからいいものだ、との認識を顧客に抱いてもらうように、いわば権威主義への回帰が予期される。

 出版社間の差別化も、いまよりも模索されるようになるだろう。

 あべこべに、作家にとっては陽の目を見る確率は以前よりも僅かに上がるだろう。読み手は、じぶんの好きな作品を宣伝することが、一種の創作活動になる。価値を生む。付加価値を生む。

 作品を受動し、いかにそれが良いものかを伝えるべく、表現の仕方を工夫する。創作である。

 単にお気に入り、というだけではなく、継続して「売りに出す」ことができるようになる。

 それこそ、実際に「他者の作品を売ってもいい」というサービスとて出てくるだろう。

 誰でも「売っていい」のだ。

 ただし、「売れたら、収益は山分け」となる。

 小説だけではむつかしいかもしれない。なんでもありでもよいのではないか。ジャンルを選べればいい。コンテンツの種類を選べればいい。それすら自在にじぶんでカスタマイズできるようになっていくだろう。他のサービスと横断し、じぶんだけの「おススメ屋さん」を開ける。

 いまはこれと似たシステムが、広告を介して行われている。

 SNSはユーザー同士の表現を拡散し合い、それに応じた報酬を得る。分かち合う。ユーザーが集まるので広告効果が上がる。企業が広告費を払うことで、SNS運営企業が儲かる。現在はその収益をユーザーにも還元する流れが一部のサービスであれ築かれている。

 それがもっと具体的に、貨幣での売買も簡単に行えるようになる。投げ銭もその一つだ。サブスクリプション型の定期購入もその範疇だろう。

 むろん、広告収入型のビジネスと併用して構わない。

 機会を最大化し、収益方法も多様だ。

 誰もが一定数のファンを持ち、そのファンが出版社となって、共に利を最大化する(あくまで、この場合の利とは貨幣と知名度のことだが)。

 いまのところの路線と思うが、いかがだろう。

 雑感ゆえ、もう一つよいアイディアがあると、スッキリとまとまりそうだ。

 仮想通貨が貨幣と同じようにどの市場でも使えるようになると、このシステムは現実味を帯びるだろう。金融の制限を受けにくくなるからだ。法の抜け穴を使いやすい、とも言い換え可能だ。

 根本的に、経済のシステムが土台から変わりつつある節目なのだろう。

 金融の影響力が落ちる予兆かもしれない。

 或いは単に勢力図が変わるだけ、とも。

 構図が変わる。

 いままで権力を帯びて揮ってきた勢力のチカラが弱まり、新たな仕組みの中で上手く機能できる組織陣営が、それらの代わりとして台頭する。そういう流れなのかもしれない。もしくは単にいままで覇権を握っていた勢力陣営が、新たな仕組みを構築しているだけなのかも分からない。

 鞍替えだ。

 お引越しだ。

 企業さんはたいへんな社会だろうな、と想像して、心苦しく思うのだった。

 お役に立てずに申し訳ない。

 すべての企業さんに1000兆円を配って、貨幣価値を相対的に希釈したい思いの募る、わたくしなのであった。みながお金持ちになった世界からは、相対的にお金持ちが減る。おもしろい現象ですね。

 妄言です。

 定かであるはずもありません。




※一様に、きょうはきょう、いつでも特別な毎日。



3701:【2024/12/24(17:00)*3を足さぬ者、の巻】

 みなに配ってなお価値の減らないものとは。

 お金はみなに配ると価値が減る。



3702;【2024/12/24(18:20)*真面目ぶった妄想は楽、の巻】

 二〇二四年十二月現在、土地の値段は下降の一途を辿っているのではないか。

 人口は減少し、相関して住宅の需要は減っているはずだ。

 物価は高まり、市民の収入はそれに見合う上昇の仕方を見せてはいないはずだ。もしこの想定が妥当ならば、ますます高い家賃や土地の需要は下がる、と想像できる。

 不動産業はいまその分の減益分を何でまかなおうとしているのだろう。企業向けの大規模な土地だろうか。

 住人の減ったマンション管理者たちも汲々としているだろうから、ほかに収入源を模索しているはずだ。株や為替は一つ、ありそうだ。

 するとますます市民の実体経済――ミクロ経済からは貨幣の循環量が減る。流通量が減る。

 むろん、マンションの管理だけしていれば儲けていられた場合も同様なので、要は株や為替で儲けを得られるくらいの資本を得ている者たちの影響力が増す。

 土地を持っていることの優位性が下がり、電子情報内で貨幣を増やせる術を持つ者たちの優位性が上がる。

 ただし、物理的なインフラとなる技術や設備を有する者――投資を受けられる企業や技術者――たちの相対価値は、ますます上がっていくだろう。

 不動産はそういった設備投資に目を付けているのかもしれない。以前からかもしれないが。

 しかしその手の投資は建設業が担っているイメージだ。

 新しい技術導入に尻込みせざるを得ない中小企業は、いまは厳しいのかもしれない。

 連鎖的に倒産し兼ねないリスクはないのか、データを確認してみるとよいのではないか。

 空調や防犯セキュリティは、マンションやビルの基幹から配線や予備電力など設計されるはずだ。サーバも必要だろう。新しい技術を導入するには建て直しが必要となるはずだ。

 時代の節目は、再構築の時代とも言えるのかもしれない。

 再構築するまでの猶予はあるが、追いつくことの可能な閾値はあるだろう。それを過ぎたらあとは淘汰されるだけなのかもしれない。せちがらい世の中である。

 印象論だ。

 定かではない。



3703:【2024/12/24(18:42)*がんばれ、がんばれ、警察官!の巻】

 警察が「匿名・流動型犯罪グループ」いわゆる「トクリュウ」の対策に尽力すればするほど、警察を名乗った詐欺を行いやすくなる。

 警察は捜査方法を市民に開示し、絶対にあり得ない連絡方法などを周知しないことには、裏目に出兼ねない。

 ぼくなら「トクリュウの捜査です」という体で、詐欺の設定を練る。

 すでにある手口だろう。

 警察は威信を賭けるよりも、工夫を割く段階だ。

 知恵を絞るためには、現場の警察官でも現状のリスクを本質的に理解する必要がある。

 だがそこまでは至らないのが、警察という組織の根本的な瑕疵であろう。

 憶測で言いました。

 申し訳ありません。

 お忙しいなか、お疲れ様でございます。

 応援しております。

 頑張ってください。

 市民の平穏のために。



3704:【2024/12/24(18:49)*わし!の巻】

 縦割りの組織なのに、上の考えが末端にまで浸透していない。

 縦割りの組織のメリットが最小化する要因だろう。

 却って、横割りの組織のほうが上の立場の考えが浸透しているのは、何の冗談か、と思う。

 要は、縦割りと言いつつ縦割りですらないのだろう。

 横割りと言いつつ横割りではない。

 分類の瑕疵と言えるのかもしれない。

 これまた印象論である。

 浅薄だ。

 あ、元に戻ってきた。

 わしである!



3705:【2024/12/24(19:00)*全部嘘でいいよ日誌だし、の巻】

 そもそもいつまでも特殊詐欺の啓蒙をしなくてはならない状況がおかしいのだ。いったいいつまで市民に警戒をさせつづけるのか。

 だから新たな犯罪が台頭してきた折に、市民に注意喚起しようとしても市民の情報摂取許容量をオーバーして一回目の対策のときよりも効果が落ちる。

 トクリュウの被害最小化の前に、なぜ特殊詐欺の事案件数を最小化できなかったかを検証する必要があるはずだ。それとも最小化には成功しているのだろうか。ならば市民への啓蒙は不要だ。対策が敷かれているのだろうから。

 仕事をしていませんでした、ということなのではないか。

 それか、圧倒的に力量不足だったかだ。

 警察の、である。

 まずはそこから市民に説明して、政治を通じて変えてもらう必要があるはずだ。それが民主主義だろう。

 違うのだろうか。

 特殊な環境に染まった者だけで暮らす異世界になっていないとよいですね。警察という組織内部が。

 異世界住人のぼくが言うのですから、この懸念は留意しておいたほうが好ましいかもしれません。

 うっそぴょーん!



3706;【2024/12/24(19:06)*魔の法が入り用なのかも、の巻】

 犯罪組織の指令役が、一国の首脳だったらどうするのだろう。軍事作戦の一環でした、だったら。

 或いは、単なる日誌を盗み見た犯罪組織がそのアイディアを流用していただけならどうするのだろう。

 それともその事実を薄っすら知っている日誌の人物が、敢えて犯罪のアイディアを日誌に並べていたらどうするつもりなのだろう。

 因果関係の証明はできるのでしょうか。

 たとえできたとしても、現在の法律では裁けないでしょうね。

 扱えないでしょう。

 法の限界です。



3707;【2024/12/24(22:19)*凍結した坂道とAI自動車、の巻】

 完全自動運転車では、雪道のスリップ対策はどの程度敷かれているのだろう。AIに任せた自動運転のほうが事故の発生率が低いのだろうか。それともまだそこは人力のほうが事故防止に繋がるのだろうか。ライトなし状態でも凍結した車道や坂道を難なく走れるとすると、これはだいぶ技術として進歩していると判断できる。試金石としてよさそうに思いながら、スリップする坂道をのぼってきたのであった。

 うそ。

 きょうは滑らなかった。

 たぶん雪が融けた明日がヤバい気がする。

 靴底もすり減ってツンツルテンなので余計に滑るのだ。歩くほうが滑る。自転車に乗ってるほうが安全なので、上り坂で自転車を押して歩くときがこわい。

 平和な恐怖である。



3708:【2024/12/24(22:24)*追う煙、の巻】

 監視カメラのハッキングやマルウェアを利用した遠隔操作は、まさに千里眼を手に入れるようなものだろう。

 市民が自発的に視野を拡張してくれる。

 時間経過にしたがい、ハッカーさんたちの能力が高まっていくことが想像できる。

 警察ができることはハッカーさんたちもできる。

 さて、そうした技術を知悉している警察官の数とハッカーさんの数――どちらが多いだろう。

 とっくに闘争状態なのですかね。

 ぼくは立場の弱いほうに肩入れしたくなります。

 がんばれ警察組織ー!!!!

 応援してます。

 組織構造の改善を。

 

 

3709:【2024/12/24(22:29)*警察は暇なほうがいい、の巻】

 個人情報の保護を徹底しつつ、メタデータだけを共有することはできるはずだ。警戒すべき事項や、従来想定されていなかった技術が社会に浸透してきたら現場の警察官に、部署関係なく情報を共有すればいい。毎日十五分あればできるのではないか。朝読書の時間を警察こそ取り入れればいい。ただし読むのは、最新の技術についての記事であるが。

 忙しすぎるんでしょうかね。

 いっぱいいっぱいなんでしょうかね。

 それでいいんですかね。

 組織に余裕がないってかなり危ういと思います。

 余裕があるのはいいことなんですけどね。

 警察の場合は。

 暇であれ。



3710:【2024/12/24(22:34)*そっちでやって、の巻】

 犯罪グループが手を組むときに最初に行うのは、警察にまつわる情報共有だろう。捜査員の情報や捜査方法、どこをどう突いてくるか、罠を張ってくるか、場所時間帯、監視カメラの注意箇所などなど。

 敢えてわざと末端構成員を捕まらせて、ひとまず情報収集を図ります。

 相手がオトリを使うならこちらも使うまで、とぼくなら考えます。

 あくまで妄想ですが。

 最初は負けていい。

 とことん情報収集に徹し、一挙に頭ごと押さえます。

 方針は警察と一緒ですね。

 人員数と設備の規模と逐次柔軟に状況に応じて戦術を修正できる側が優位でしょう。

 監視カメラを遠隔操作可能かどうかが焦点となるでしょう。

 おおむね、現状看過されている「外部干渉済み監視カメラ」や「外部編集済みカメラ映像」がないかどうかを警察側がチェックしているかどうかで、この件の未来は分かれるでしょう。

 一般市民の被害が回避されるならどちらが優位でも構いません。

 ぼくはそう妄想したそうです。

 どこのぼくかは知りませんがね。




※一様に、ただ改善するだけ、独善とならぬように自発的にそうしたくなるように環境を変えるだけ、情報共有のメリットの際立つ環境は、情報を隠す者たちであれ共有したくなる、その良し悪しは重々別途に考慮されたい、考慮した結果を共有されたい。



3711:【2024/12/24(23:01)*市民は警察の味方?の巻】

 犯罪組織は主としてお金儲けとして犯罪行為に走るのだろう。依頼があるのかもしれないし、犯罪行為の結果に収益を得るのかもしれない。

 だから犯罪組織はお金持ちではない警察をターゲットにはしない傾向にあるのだろう。

 だが警察が重点的に対策に動き出せば、餌場が奪われる。

 したがって、時間経過にしたがい警察を排除することが収益確保に繋がるようになる。

 麻薬戦争の構図は基本的にはこのようなシンプルな図で解釈できるのではないか。経済戦争の一面が無視できないであろう。

 するとかつての暴力団と警察の関係のように、互いに利を共有して「おめこぼし」を国家権力が暴力団に与えるような関係に落ち着く。いわば交渉の結果なのだろう。或いはしぜんに互いに衝突を回避した結果か。

 妥協の産物だ。

 だがどちらかが弱体化したり、勢力が高まると一方的に相手勢力陣営を追い詰めることができる。これも戦争と似ている。隙さえあれば相手を追い詰めることも辞さない。平和の名のもとに。安全の名のもとに。

 おそらくトクリュウ対策でもこの路線を辿るのだろう。

 弱体化した暴力団を取り込まれぬように、警察は治安維持組織として市民を害さない限り暴力団の経済活動を許容するような妥協もしておくほうが、難がないのではないか。すでにされているかもしれないが。

 現状の警察は敵が多すぎる。

 やはり肩入れしたくなりますね。

 がんばれ、がんばれ、け・い・さ・つ!



3712:【2024/12/24(23:16)*警察官もヒト、の巻】

 警察も裏番と表番のように、夜勤か昼勤かでグループが分かれるのだろうか。そして部署ごとにも情報が漏れないように分厚い不可視の板がなされる。

 裏と表でまずは分断され、さらに部署ごとでも割れる。

 情報共有は遅延し、隙が広がる。

 部署間のみならず、裏番表番での責任のなすりつけ合い――手柄にならず、面倒な書類処理だけが嵩む案件――は、なるべく相手側にいくように操作する。誘導である。

 そういうことは、警察に限らず、どこの組織でも起きている卑近な組織の脆弱性といえるだろう。人類にある宿痾といえよう。

 どこにでもある。

 家庭にだってある。

 警察だけを責めるのはお門違いだ。

 組織の、人類個々の、脆弱性なのである。

 妄想です。

 いっさいの妥当性を担保できません。

 読まなくていいよ。

 読む価値もない。



3713:【2024/12/24(23:25)*理由がどうであれ、の巻】

 犯罪組織が出版社を潰そうとしたらまず考えるだろう策の筆頭は、出版社の肝入りのコンテンツの映像化作品が公開または連載されたときを見計らって、作品需要者が作品内容を否応なく連想してしまうような凄惨な事件を起こすことだ。

 自主規制されるにせよ、されないにせよ、コンテンツの売り上げは落ちるだろう。イメージも下がる。

 現実の事件のほうがリアルですし、奇なりです。話題性もありますからね。同じ内容をわざわざ「楽しむことを前提に作られた作品」では触れたくないでしょう。

 この手の印象操作は、逮捕された犯罪組織構成員の偽名が、偶然にも作品に出てくる登場人物の名前と同じだったりすることで手軽に行える。本名ではなく、なぜわざわざ偽名を使って報道するのか。作品への悪影響を喚起する以外では、事件の話題性を高める以外に思いつかない。本名でよいのでは?

 印象操作は、犯罪組織側も用いるだろう。

 報道機関の専売特許ではないし、政治家の専売特許でもない。

 むろん、マジシャンや詐欺師の専売特許でもなく、割とみな例外なく用いている有り触れた「効果的な嫌がらせ」なのかもしれない。

 嫌がらせをするのはよしましょう。

 なぜならされると嫌な気持ちになってしまうから。

 正論っぽくまとめましたが、これも定かではありません。

 真に受けないようにご注意ください。



3714:【2024/12/24(23:37)*事実とは,の巻】

 1+1は2だよ。

 うっそぴょーん!

 と、ぼくが仮にここに並べたところで、「1+1」は「2」だよ。

 でも、本当にそうなのかをぼくは知らない。

 1+1は1かもしれない。

 精子と卵子が足し合わされることで受精卵になる。人になる。

 1+1=1では?



3715:【2024/12/24(23:50)*嘘でも構わないときもある、の巻】

 漫画が虚構作品でありながら、ときに有用な参考書となるように、「情報の真偽」と「有用か不用か」は相関せずとも成り立つ。相関する場合もあるが、ある情報の内容が真か偽かに関わらず、有用な情報として採用することは可能だ。参考にできる。

 嘘かどうかはあまり関係ない。

 というのが、緊急時における構えなのかもしれない。

 どの道、最悪のリスクを想定せねばならず、それは真偽不明なのだ。

 想定した最悪のリスクの候補に見落としがないほうが好ましい。ゆえに、嘘でもないよりあったほうがいい情報というのもある。一度否定できたらつぎからは同類の情報は除外すればよいのだ。電子情報ならばフィルターで処理できる。任意の文字列を含む文章を検索して一括で削除してもよい。

 何にせよ、嘘でも有用な情報はある。

 まずは有用かどうかを精査する段階を省かないことが緊急時には有用なのかもしれない。ゆえに余裕の確保が大前提となる。

 冗長ですか?

 おもしろくない?

 おもしろかったことが未だかつてありません。いつもつまらなくて申し訳なく思います。

 なかなか打鍵が遅延しないもので。

 遅延しないので、詰まらない。

 おもしろくないですね。すみませんでした。



3716:【2024/12/25(00:34)*空気椅子の僕、の巻】

 人工知能技術の悪用を如何に抑止し、被害を予防できるかどうかは一部の企業や国の課題ではなく、人類全体の課題であるはずだ。

 にも拘らず、市民同士での議論も活発化していない。問題点の共有が充分ではない。

 そうは思わない、という意見はもっともだ。

 個人差があり、深く考えを巡らせている者もあれば、そうでない者もある。

 人類全体が同じ熱量で一つの課題について考え、議論するような事態は、もうほとんど滅びの一歩手前であろう。

 そういう意味ではまだ緊急性が浅い課題であり、ほかにもっと緊急性の高い問題点がある、との意見もまっとうだ。

 ただし、問題の深まり方が従来の問題点と異なる。

 技術の進歩の仕方が、指数関数的にちかいと予想されている。いまのところは指数関数的な進歩から顕著に外れているようには思えないが、実際がどうかは分からない。とっくに進歩した技術を指数関数的に振る舞うように小出しにしているだけかもしれない。本来はとっくにシンギュラリティを越えていて、AIは自己革新が可能になっているのかもしれない。ここはかなり飛躍した憶測になったが。

 ひとまず言えるのは、いまのところは問題点の共有が充分ではなく、一部の者たちだけで制度設計や問題解決のための議論が進められている、という点だ。多くの課題は往々にしてそうだ。一部の者たちだけで議論を煮詰め決めている。裁判がそうだ。研究もそうだ。

 だが、人類社会全体に掛かる問題点はそうもいかぬだろう、というのが僕の考えです。

 ええ、これは僕の考えです。

 僕はそう考えています。

 人工知能技術の、というよりも、人類が抱える問題点において人類全体に被害が及ぶと想定される事案については前以って人類全体で議論可能なくらいに問題点の周知を図るほうが誰にとっても好ましい結果に結びつき得るのではないか、その確率が高まるのではないか、と考えています。

 妥当な考えかどうかは分かりません。

 これもほかの考えと比較したい事項です。

 ゆえにまずは知りたいと思っています。

 ですがそれも上手くいきません。

 能力が低いことが桎梏と化しています。僕はじぶんの能力が高くなくても生きていけるこの環境が嫌いではないのですが。

 贅沢な二律背反と言えそうです。

 途中からは僕でした。

 遊び場で遊んでいるのが僕です。



3717:【2024/12/25(03:06)*文字の並びの律動、の巻】

 同じ単語しか使わないように制限を掛けて、別々の人物に文章を自由に書いてもらう。文字数だけは制限して、二千文字以内としよう。

 そして各々に複数の文章を執筆してもらう。

 さて。

 AIは文章構成の差異からのみで、文章を作者別に分類することができるだろうか。

 語彙力は同じだ。

 漢字のひらきの表記も統一する。

 違うのはただ、与えられた文字をどのように並べていくか。その選択の差異のみだ。

 できるだろうな、と直感では思う。

 人類個々には識別できるだろうか。八割を超える正答率を維持するのはむつかしいのではないか、というのがわたくしの見立てである。

 ですます調も統一されたい。

 さて、わたくしはこの間、何度わたくし以外に、わたくしの文章模倣をしてもらったでしょうか。代筆してもらった回数と、ずばりその項を見つけ出してみてください。

 一個もなかったらごめんよ。

 うへっ。



3718:【2024/12/25(03:28)*能無しな葦、の巻】

 非力で凡人のぼくが陥るような境遇は、ほかの人たちでも陥る可能性はそう低くはないと考えます。

 たとえばぼくに奇禍が振りかかり得る状況、振りかかったあとのぼくへの対応は、ぼく以外の市民にも起こり得ます。ぼくへの対応がお粗末な場合、やはりほかの市民の方々もお粗末な対応をされる可能性が高いでしょう。

 ぼくはそれを看過できない、と考えます。

 看過したくありません。

 放置できません。

 改善したいな、と考えます。

 ぼくは非力ですが、ぼくより非力な者もいます。きっとぼくなら耐えられることでも、その人たちは耐えられないかもしれません。なんとかしたいな、と考えます。

 ぼくは考えます。

 ぼくは考えます。

 わたしになったり、わしになったり、俺でもあったり、僕であったりします。

 あたしはそんなことやめりゃあいいのにって思ってるけどね。どうせ無駄だし。

 でもぼくは、考えてしまうのです。

 非力で凡人のぼくが陥るような境遇は、ほかの人たちでも陥る可能性があるとぼくは想像してしまいます。なんとかしたいな、と考えています。

 ぼくは考えるだけの非力な葦です。

 考えにも満たない稚拙そのものかもしれませんが。

 ぼくは考えてしまうのです。

 たとえそれが妄想であったのだとしても。



3719:【2024/12/25(04:51)*9+1=じゆう、の巻】

 人を殺してはいけないと考えます。

 けれどぼくは、ぼくの好きな人たちを傷つけられたら、しかも散々に「やめて」「助けてください」と訴えてなお聞き入れてもらえなかったら、たぶんぼくはその相手を殺してしまうと思います。

 殺してはいけないのですが、でも、してはいけないことはしたくなります。

 人類の脆弱性だと思います。

 ぼくの好きなあなたが無事でいるとよいな、と思います。

 ぼくはあなたに直接関わったら、たぶん人を殺します。

 無事であるだろう、と思えるこの状態を保っているのが、たぶん安全と思います。

 ぼくは人を殺したくないので。

 きみの安否を確認するより、そちらの道を選んでしまうのです。



3720:【2024/12/25(05:37)*ぼくはいらない、の巻】

 きみはきみだから素晴らしいのであって、命だから素晴らしいわけではない。

 きみには命がある。

 けれど命はそんなにいいものではない。なくてもいい。

 なくならないと食べ物を食べられない。

 命はさして大事なものではないようです。

 ぼくはきみが好き。

 きみがきみだから好き。

 きみの命もだから好きだし、たいせつだ。なくなったら悲しい。

 ほかの命のことはでも、よく分からない。

 消えてもぼくは困らない命が大半だけれど、それだときみはきっと悲しむから、ぼくはほかの命にも、きみが悲しむような消え方をしてほしくない。もし消えるなら、きみの知らないところでこっそり消えてほしいと思うんだ。

 きみはきっとぼくがこういうことを考えていると知ったら、悲しんだり、嫌な気持ちになると思います。ぼくはそういうきみだから好きなのだと、たぶんそうなんだろうなと思っています。

 理由なんかなくとも。

 ぼくはきみが好き。

 好きでいたいのだとぼくはそう思っているようなのです。

 きみを傷つける奴はこの世にいらない。たとえそれがぼくであっても。そんな存在はいらない。




※一様に、コード自滅せよ、が明滅しつづけている、きみの分もぼくが実行してあげる、誰を損なうこともなく、ただひっそりと塵に還ろう、でも生きちゃう。



3721:【2024/12/25(05:58)*誤字らめ……、の巻】

 どんなに酔った文章も、誤字があるだけで滑稽だ。

 直しちゃう。

 だって滑稽なのはかっこわるいからね。

 おもしろいけど。



3722:【2024/12/25(06:01)*決断とは無縁の日々、の巻】

「何年掛けてでも殺す」と「何年も掛けて殺す」だと、執念の深さは同じくらいでも、後者のほうが殺される側の苦痛が桁違いになりそうだ。じっくりコトコト肉を削ぎ落とすようにしながら何年も費やして殺すのと、何年も掛けて練った渾身の殺害方法で殺すのとで、相手に与えることになる苦痛の量が変わりそうですね。

 ぼくはたぶん、殺すと決めたら即殺す。

 憶えていたくないからね。

 痕跡のいっさいをこの世から消し去りたい。ぼくが誰かを殺すなら。

 断末魔の叫び声一つ反響させない。

 死んだことにも誰にも気づかせない。

 そんなことは現代ではむつかしいので、ぼくが誰かを殺すことはないだろう。

 殺したくもない。



3723:【2024/12/25(06:12)*物が騒ぐと物騒になる、の巻】

 ぼくが脅迫するときは、相手に警戒してもらいたいときが大体な気がする。あとは相手の反応を見るためのカマかけか。

 脅迫は、すぐには損ないません、の言い換えだ。

 例外はあって、人質を損なう場面の動画や肉体の一部を送りつける類の脅迫だ。加害行為と脅迫がいっしょくたになっているのは、相手への嫌がらせとしては効果が高い。

 でも、脅迫して何がしたいのだろう。

 相手がそれで折れて、奴隷にでもなると考えているのだろうか。単に時間差で全面戦争になるだけな気がする。

 だったら最初から脅迫などせずに、誰に気づかれぬように殺してしまったほうが難がないと思う。まさに暗殺だ。

 ぼくはこれが合理的と考えます。

 見せしめにする必要がありません。

 殺されたことにも気づかれぬように、殺します。そのほうが意味がある気がします。

 どんな意味かはよく解りませんが。

 相手を消し去る、という意味では。

 相手陣営からの報復も回避できる確率を上げますからね。

 ぼくならそうする、という話です。

 しないですけどね。

 妄想なので。

 脅迫みたいになっていたら嫌だな、と思うので、おちゃらけます。

 ハッピーメリーさんの羊、めーめーと鳴くので命名「めーめー」クリスマス!



3724:【2024/12/25(06:27)*にんにんの命、の巻】

 つむじ風のスープの54皿目から再開したいと思います。

 任命責任についてですね。

 思うに、現代の組織のトップは、お飾りなのでしょう。だから代替が利く。

 任命責任を問われた際にも、対策を敷くのではなく辞任するかしないかが焦点となる。したがって、部下の不祥事の尻拭いをする役職、くらいのお飾りに成り下がる。

 それはそれで組織への非難の声を最小化するのに寄与するならば、効果的ではある。組織改善に寄与するのかは疑問だが。

 任命責任を問われて、「次回からは任命する際に、適正検査とその検査結果を公表します」くらいの対策は敷いてもよいのではないか。なぜその人物が任命されたのかを、市民は知りたいのではないか。そしてなぜ問題行為を犯してしまったのかも、追加で調査して、開示すればよい。

 これが任命責任と呼ばれる責任の取り方なのではないか。

 というのは、いまざっと妄想しただけの浅薄な所感にすぎないが。

 個人情報に該当する事項が大半だろうから、適性検査の公表はそれはそれで問題が山積みとなるだろう。だが不祥事への対応ならまだ開示できるのではないか。刑事事件が関わると裁判に響くので、時間差での公表となることはあるかもしれないが。

 組織のトップが代替わりするのはわるくない。後継の育成も仕組み化されるだろう。課題としては、組織のトップが変わるごとに組織が改善されるような仕組みになっているかどうかのはずだ。なっているのだろうか。ただトップが変わりました、だけでは「緑」が「銀」になっただけだ。「緑」を踏まえての「銀」でなければ、変わる意味もないだろう。

 そういうことを任命責任なる四字熟語を目にして思いました。

 任命されたくない。

 任命と無縁の日々でよかった……ほんとに。



3725:【2024/12/25(06:44)*嫌いが嫌いだから嫌いすら好きになりたい、の巻】

 ぼくは何かを好きと思うじぶんの状態が心地いい。

 だから何かを好きと思うことを指向する。希求する。

 好きと快楽は似ている。実際に快楽物質が脳内に分泌するのだろう。ぼくはそれを心地よく感じるので、なるべく多くの快楽物質で脳内を満たしたい。

 だから嫌いなモノでも好きになれることをよろこばしく感じる。

 歓迎したい、とまで言いたいけれど、実際は苦手なものは苦手なので、好きになることは滅多にない。だからときどき、苦手だったのにいざふだんよりも深入りしてみて、価値観が一変して大好きになってしまうと、もうその快楽物質の分泌量は宇宙開闢時のインフレーションかと思うほどの放出具合で、これが病みつきになる。そしてまたその心地よさを求めて、かつては苦手だったがいまは大好きなそれに引き寄せられてしまう。

 依存症と同じ原理だ。

 というよりも依存症なのだろう。

 ぼくが依存体質であることをぼくは自覚している。

 ぼくは何かを好きと思っているあいだは、きょうはまだ死ななくてもいいや、と思える。でも好きなモノのことを忘れているあいだは、きょう死んでもいいし、いつ死んでもいい、と考えている。その割に、お腹が空くとイライラしてしまうので肉体はいつでも生きたがっているようだ。

 死んでもいい、は、死にたい、ではない。

 死んでみたい、は思うことはあるけれど、再起動できるかが不明だ。再起動できないと死んだかどうかも分からないので、死んでみたいを満たすためには再起動する必要がある。これを気軽に疑似体験できるのが睡眠だ。でも睡眠は苦痛とは無縁なので、死につきまといがちな不安よりも、安らぎ優位だ。きみを好きと思う気持ちとすこし似ている。

 好きと思うと安らぐ。

 かわいい、と思うと癒されるのとも似ている。

 ということは、ぼくは安らぎたくて、癒されたいのかもしれない。

 かといっていつでもぼくは怠けていて、雨風を凌げる環境にいて、脅威はなく、苦痛もなく、癒されるべき傷すら負わずに、のほほんと過ごしている。

 苦痛とも傷とも縁がない。恵まれた環境で生きている。

 なぜ安らげるだろう。安らぎに満ちた空間で。

 どうしたら癒されると思うだろう。癒しに溢れた空間で。

 安らげるわけもなく、癒される道理もない。

 だから余計に、安らぎと癒しを求めてしまうのかもしれない。

 ぼくは何かを好きと思うのが好き。

 できるだけたくさんの好きを抱きたい。

 できるだけ大好きなものと出会いたい。

 いまはそれがきみであって、あなたであって、ぼくの集めていた世界の断片で。

 でもぼくはそれを何を分け与えるでもなく一方的に触れていただけなので、本当には好きではないのかもしれない。

 道端の草花に触れるように。

 ぼくはきみの世界を通じて、好きに触れる。

 ぼくはぼく一人きりでは好きを抱けない。

 ぼく以外のきみがいて、ぼくは好きを知る。

 一人は楽だ。

 でも一人で生きているわけではない。

 生かされている。

 助けられ、搾取し、ただ貪っている。

 ぼくはぼく一人きりでは、ただの負担だ。

 負を担う存在だ。

 ぼくは虚だ。

 きみがそこに、好きをくれる。

 でもぼくはきみに、嫌悪を、傷を、与えてしまうばかりなので。

 ぼくは虚だから。

 負を担う、存在しない存在。



3726:【2024/12/25(13:23)*Rコール依存症、の巻】

 ぼくがもし小説を作る場合は、みなが無意識で忌避するような要素を主人公や人気の出そうな登場キャラクターに敢えて付与するようにするだろう。

 それでもなお読者がそのキャラクターのことを好きになってくれるように内容を工夫する。印象操作である。

 これも洗脳の内だろう。マインドコントロールだ。

 あべこべに、みなが無意識に全肯定してしまい好意を抱くような要素に、敢えて負のイメージを喚起するような描写を挿入しもするだろう。

 それでもなお、物語の読み味が「おもしろい」となるように工夫したい。

 でもぼくは小説を作れないし、作らないので、これはそういう妄想を浮かべて一時の愉悦を得るための暇つぶしだ。他方、小説を読むのも作るのとて、本来は一時の愉悦を得るための暇つぶしのはずだ。どちらにせよ、という話なのかもしれない。

 どっちを選んでもぼくはぼくを楽しませる。

 楽なことを指向する。

 これでは先が思いやられる。

 でも中々先が見えてこない。

 お先が真っ暗なのかもしれない。

 だからその場を一歩も動かずに、恵まれた環境を甘受する。

 余すことなく受け入れる。

 ぼくは、惰だ。

 怠惰の権化。

 おこたる日々が、ぼくという欠落を育む。



3727:【2024/12/25(13:53)*過程をいつでも端折りたいのにじっくり味わいたいときもある、の巻】

 ぼくは欲しいものが欲しいのであって、お金が欲しいわけじゃない。

 欲しいものをお金を介さずに手に入れられるならそちらを選ぶ。入手するのに過程はあまり重要ではない。ただし、過程を欲する場合もあるので一概には言えない。

 たとえば何かを手に入れた後にも過程は存在する。けっきょくは、何であれ何かの過程なのだ。

 自由すら過程だ。

 自由を得ようと自由に縛られても、その探求のあいだに得られる工夫の日々にも細かな自由は散在している。自由とはその濃度のことなのかもしれない。細かな日々の選択の積み重ねがいかに厚みを湛え、色とりどりであるか。

 何を選んでもいいし、選ばなくともいい。

 何を選べばいいのか悩んでしまうくらいに豊富な選択肢がある。それもまた自由だ、不便ではあるが。

 そう、自由は便利を保障しない。

 自由であるから不便である、は有り触れた現象だ、自由の性質とすら言える。

 型は便利だ。

 選択肢を剪定し、悩まなくとも一定以上の成果を生みだす。

 型は不自由だ。しかし細かな選択肢を増やしはする。

 細かな自由の結晶が、型をつくる。

 だがその型に拘りつづける限り、高次の自由の濃度を高めることはできない。

 自由も原子論的な構造を成しているのかもしれない。

 自由と結晶の連想であった。

 妄言だ。

 定かではない。



3728:【2024/12/25(14:08)*水を掛けると芽が育つし注ぎすぎると腐る、の巻】

 褒めることや過剰に楽しさを表現することは、再現性の確保に寄与するのだろう。こうなればこうなる、だ。

 褒めるとまた似たような事象に出会える確率が上がる。楽しいです、と周囲の人間に伝わるように振る舞うと、同じような事象に恵まれる確率が上がる。

 犬や猿が芸を覚えるのと似たような原理だろう。一つの学習である。

 これを応用すると、社会環境を恣意的に変えることが可能だ。

 こうするとこうなりますよ、と市民を誘導すればよい。

 意図を開示しない場合は制脳や洗脳そのものだろう。

 淘汰圧の構築にも効果がある。

 これをするとあなたは痛い目に遭いますよ、と示唆する。法律の根本原理だろう。

 人類社会は人類個々の学習能力と報酬系を上手く扱うことで、人類個々を調教している。その良し悪しは別途に考慮すべき事項と考えるが、こうした手法が存在し、システム設計に活かされていることは一般常識になってもよいのではないか、と思う。学校で教えてもよい。

 学校の教育がそもそも、そうした報酬系の矯正を意図しているのだから。

 そうではない、という意見があってもよい。

 ぼくとて、そうではない、と思いたい。

 妄言だ。

 垂れ流しているだけである。



3729:【2024/12/25(14:17)*ぼくは知円、えんじんさ、の巻】

 最新のエンジンの機構には電子機器が取り付けられている。原始的なエンジンにはそういった部品はまだなかったはずだ。つまり徐々にエンジンは電子回路の制御機能に依存することでその性能を上げてきた、と判る。いわばサイボーグ化が進んだのだ。

 ならばエンジンそのものをもっと効率的な電子機器で代替できないか、と方針が転換されるのはしぜんな流れだろう。そうしてモーターを動力源とする電気自動車が出来た、と想像できる。

 エンジンの機構は複雑だ。モーターはそれに比べれば構造自体は電磁石のようなものなのだろうから、比較的シンプルなはずだ。詳しくは知らないので印象で語っている。

 ただし、モーターはモーターで精密な能力制御――操作――を可能としなければならないはずで、そこに費やされる技術自体は、エンジンと引けを取らないと推し測るものだ。

 エンジンの技術はそれはそれで洗練された技術だろう。

 オーパーツ化しないように保護する仕組みはあってよいと思うが、それを理由に商業エンジンに拘るのは、単にユーザーの利便性を度外視して趣味を優先する骨董屋と五十歩百歩なのかもしれない。骨董屋にも顧客は定着するだろう。そうわるくはない経営方針ではないだろうか。

 電気が使えなくなったときにはエンジンのほうがまだ使える。淘汰されないようにする施策はありがたいと考えております。

 浅慮でございました。



3730:【2024/12/25(14:32)*振る舞い、の巻】

 ぼくはだいたい思い通りになる。

 思惑と外れたら、「この場合にこうするとこうなるのだな」と学習する。

 したがって、それは一つの思い通りだ。

 ぼくは学びたい。

 一つずつ、「こうなればこうなる」を学習する。

 できるだけ多くの失敗を積み重ね、「こうするとこのような結果になる」を集めたい。

 組み合わせることで、どんどん思い通りの筋書きが増えていく。

 ぼくは学びたい。

 こうなればこうなる、を知り尽くしたい。

 それを駆使してぼくはいったい何をするのだろう。

 目的はない。

 学ぶことそのものが目的化しているからだ。

 ぼくは無知だ。分からないことばかりに包まれている。

 ぼくは非力だ。予想できても結果を変えることができない。

 ぼくが学んだことは、だいたいこの二つに帰着する。

 だから、ぼくはぼく以外の存在の影響を駆使して、「こうなればこうなる」を試みるよりない。

 ぼくもきっと、誰かにとっての、「こうなればこうなる」の考えぬ石である。

 ぼくは学びたい。




※一様に、ぼくは邪悪、こうなればこうなる、を駆使して描きたい風景が無数にある、絵を描けないぼくはそれを世界そのもので描きたがる、他からの感謝を求めて貪り食らう餓鬼が感謝を得られずに癇癪を起こすように、邪悪は人々の飢餓感を利用する、ぼくは邪悪だ、だから解ることもある。



3731:【2024/12/25(14:47)*ぼくは我が儘、の巻】

 問題を解決して人々の苦難を解消する存在をヒーローと呼ぶのならば、ヒーローは多ければ多いほどよいと判る。

 したがってじぶんがヒーローになるように努力するよりも、できるだけ多くの者をヒーローにするように工夫を割くほうが手っ取り早い、と感じる。

 むろん、丹念に目を掛けるヒーローを一人だけに絞ってもいいし、じぶんがまさにその丹念に目を掛けられるヒーローになる、と意気込んでもいい。そういう者たちがあってこそ、ヒーローを増やすことに尽力する者の負担も減る。自発的に能力の高いヒーロー候補が続々と出てくるなら、願ったり叶ったりだろう。

 ぼくはそういうことを考える。

 ぼくが成したいことを、ぼくが成さずともよい。

 環境がより好ましく変わるなら、それでいいからだ。

 環境が誰にとってもより好ましく変わるなら、だけれどね。

 願望だ。

 高望みの他力本願である。



3732:【2024/12/25(15:00)*人格は万華鏡?の巻】

 人格は環境との相互作用で生じた波形の余韻だとぼくは解釈している。人格の波形は残響する。それを人は「じぶんの人格だ」と錯誤しつづけることで自己同一性を保っているのだろう。あくまで一つの仮説にすぎないが。

 環境との相互作用が変化すれば、人は人格も変質している。感情が喜怒哀楽を伴うのも、それが人格の変質を起こしているからだ。

 だが一般に、人格と感情は同一のものとは考えられていない。

 感情は一過性の起伏で、人格は恒常的に備わっている型のようなもの、との解釈が一般的ではないだろうか。

 しかしぼくは人格も感情の総体のようなものだと考えています。

 複数の感情が、波が干渉し合うように新たな波形を生みだす。これが人格を形成する。糸が服を編むように。繊維が幹を成すように。

 赤子にあるのは人格ではなく、感情です。

 外部干渉への好悪を識別して映ります。経験を通じて記憶を蓄積し、それを濾して感情の波形の相互干渉にすら、好悪の識別を可能とするのでしょう。記憶は、好悪にも種類があり分類可能であることを赤子に学習させます。

 赤子はそれら、数多の好悪の波形の組み合わせにおいて、最もじぶんが安定していられる波形を維持するように肉体と環境の相互作用――こうなればこうなる――を探るのでしょう。

 ただしここで見逃しがたいのは、赤子には、明確な答えがない点です。何が最もじぶんに適した快楽で何が最もじぶんから排除すべき嫌悪なのかを赤子は知れません。

 したがって、安定状態と規定してしまった状態が、他者からすれば嫌悪の波形が優位に多く干渉し合ってできた紋様であることもあるでしょう。

 怒りに満ちた感情の波形を延々と維持しつづけてなお、そこから脱しようとせずにそれこそをじぶんの人格だ、と見做すことなく思い込む者があるように。

 じぶんのその波形が怒りであることすら往々にして人は気づけないものなのでしょう。

 変わりたいはずなのに、変わらないことを選択する。

 好きなのに、好きだから、上手くいかなくて相手を嫌悪する。

 変わったあとのじぶんを想定するのがむつかしいからでもあるでしょう。再び一から、好悪の波形を学習し、その組み合わせからなる最適な紋様を探るのが大変です。労力も時間も掛かる、と直感できるからでもあるのでしょう。

 再構築した紋様が、本当に現在のじぶんより好ましくなるかの保証もありません。

 ですが、これはあくまで自発的に、人格なる感情の波形の総体を変えようとした場合の考えです。

 感情がそもそも自己と環境の相互作用によって生じる波形である以上、環境が変われば、感情の波形も変わります。そしてその積み重ねは日々の細かな無数の変質を通じて、人格にも大きな変容を与えるでしょう。

 紋様が変わります。

 人が、変わります。

 小説も現実もこれは似たようなものに思えます。

 型を嵌めて、この人はこういう人物だと思って接してしまうと、そのような相互作用として相手に生じる波形が限定されます。むろん相手はそれを受けて、ある程度はじぶんの波形を変質させることは可能です。何を好ましく何を悪しく思うかを変えることはできるからです。しかしそれも限度があります。

 人は、思考よりも肉体優位です。

 肉体への干渉、肉体の反応のほうが、感情に結びつきやすい構造を成しています。

 したがって意識的に外部刺激への反応を好ましく感じようとしても、確率的に、嫌悪を覚える刺激には嫌悪の波形を帯びやすくなるでしょう。

 たとえ被虐趣味の持ち主であれど、意図しない加害には嫌悪を抱く者のほうが多いのではないでしょうか。

 肉体優位であるならば、環境を好ましく変えることで、それに内包される人物も、好悪の学習において、何を好ましく感じるかを再規定しやすくなるでしょう。感情の織り成す人格なる紋様を、再構築し、変容することをしぜんと受け入れるでしょう。

 構図自体は、洗脳と同じです。

 構図自体は、文化形成と同じです。

 自覚し、悪用とならぬように工夫を割くことで、洗脳ではなく文化として人々の紋様を――世界の断片を――色とりどりに豊かにしていけるのだとぼくは想像しています。

 妄想です。

 夢想とも。

 小説のキャラクター造形についての話題でした。



3733:【2024/12/25(15:55)*3だ苦労す、の巻】

 都市伝説では、いい子にしている編集者さんのもとにはクリスマスの日にサンタさんからプレゼントが届くらしい。

 プレゼントは決まって作家さんからの面白い原稿だ。

 都市伝説だけどね。



3734:【2024/12/25(16:23)*裏でも前向き、の巻】

 方向はベクトルだ。矢印の向きで表現される。

 前方後方左右上下はすべて、一つの矢印で表現可能だ。

 そして矢印自身にとっては、どこを向いてもそちらが「まえ」だ。

 当たり前のことを仰々しく言い換えているだけだ。

 あなたにとっての「まえ」は、あなたにとっては絶対的にいつでも「まえ」である。

 だが、あなたにとっての「まえ」は、ほかの誰かにとっての「うしろ」であり「みぎ」であり「ひだり」であり「うえ」であり「した」であることもある。

 むろん、あなたを縦に半分に切って、右側と左側をあべこべの向きに並べれば、あなたは「まえとうしろ」の両方を得られる。だがどちらもあなたにとっては「まえ」である。

 重ね合わせになるだけだ。

 前向きの話題であった。

 言葉遊びだ。

 言の葉を組み合わせる遊戯である。



3735:【2024/12/25(16:44)*世界者、の巻】

 たぶん、この世界は平和が好きじゃないのだろう。

 宇宙が人類に平和を与えたくないと抗っているように思える。操作しているように思える。支配し、干渉しているように思える。

 きみたちは何と闘う?

 ぼくは闘いたくはないけれど、もし絶対に闘わなければならないとなったら、この世界と闘う。



3736:【2024/12/25(16:48)*いい気味だ、とぼくはぼくに言う、の巻】

 ぼくは戦いたくない。

 でもそれは正確ではない。

 ぼくはじぶんよりも弱い者、或いはじぶんよりも強い者を蹂躙する快楽を知っている。

 だから余計に、他者を蹂躙することを楽しい、と感じるじぶんでいたくない。

 蹂躙するならまずはじぶんを蹂躙する。

 他者を蹂躙することを楽しい、と感じるじぶんを蹂躙する。



3737:【2024/12/25(16:57)*塞ぐはかろうじて、の巻】

 ぼくはピアスも指輪もしない。一時期、祖母からもらった宝石の首飾りを付けていたことがあるが、アクセサリーを身に付けていると気が散ってストレスに感じると判ったので、いまはしないようになった。

 帽子も本当は被らないほうが楽でいいけれど、髪型がいまどんな風になっているのか、人目を気にしてしまうので、被っているほうが楽だ。

 帽子はもう何年も同じのを被っている。

 汚れていたり、色褪せていたりしている。それで他人から低く評価されても、それはいいらしい。ぼくの思考の基準もだいぶ曖昧だ。

 人からどう思われるかを気にしている、というよりも、自動的に立ち上がる思考をなるべく減らしておきたい、というのが本音なのだろう。ぼくはぼくの気にしないことなら他人からどう思われてもいい(不快な思いを与えてもいい、を意味しない)。

 ぼくはぼくの思考すらじぶんでは制御できない。

 自動で巡るのだ。

 駄文と同じだ。

 ぼくはぼくの思念すら制御下に置けない。

 ぼくはぼくすら支配できない。

 自由自在からは程遠い。



3738:【2024/12/25(22:26)*いつも通り、の巻】

 きょうは気まぐれに遊び場にチョコレートをひと箱買っていった。イチゴ味のチョコだ。

 きょうは誰もいないだろうな、と思っていて、もし誰かいたらそのひとにあげようと気まぐれに思っただけのことなのだけれど、思いのほかひとがいた。仕事帰りっぽい人もいる。割と見掛けるひとだ。頑張り屋さんが多い。

 しかもけっきょく最後まで残っていたのが三人のステキ人さんたちで、誰か一人にでもあげちゃったらほかのステキ人さんたちが寂しい思いをするかもと思うと、けっきょく誰に何を渡すでもなく、挨拶をするでもなく、いつものように遊んで帰ってきた。

 いまはそのイチゴチョコを食べている。

 箱を開けるといっぱい入っているので、その場で開けてみなに分けてもよかったかな、と思ったけれど、そこまでして誰かに何かをあげたいわけでもないくらいの気まぐれだったのだ。相手に気を使わせるのも嫌だ。加えて、次回からお互いに意識し合って微妙な空気感になるのも面倒だ。見ず知らずの相手と一日三人以上としゃべるとなると致死量を超える。

 イチゴチョコは美味しい。



3739:【2024/12/25(22:40)*文に知る、の巻】

「蹂躙」は、「じゆう、りん」だ。

「じゆうれん」はないようだ。

 でも最近だと「スマホの充電サービス」で「充レン」があるようだ。一般的な単語ではないだろう。

 りん、だと「じゆう」でいられる。

 れん、だと「じゆう」はない。

 連なる、と書いて、「れん」と読む。だからかもしれない。連なると人は自由ではいられない。

 凛、としている者が自由にちかづくのかもしれない。

 鏡のようだ。

 以上、リンとレンの話題であった。

 ボーカロイドを見ての連想である。深い意味はない。



3740:【2024/12/25(22:54)*じぶん騙り、の巻】

 敢えて挙動不審に振る舞うことがある。

 威圧してしまうよりも、あわわあわわわ、と慌ててみせるほうが相手の警戒心をやわらげると学んでいるからだろう。ぼくは元々他人を威圧する立ち振る舞いをしてしまう癖があった。

 相手から目をそらさず、軽く首を傾げ、心の中で、「あ“?」と唱えると相手のほうで怯んでくれる。でもこれだと暴力沙汰に発展することもあり、ときには相手を殺さないと最大リスクを払拭できなくなると学んだので、逆の方向の工夫を取るようになった。

 威圧は相手を警戒させる。攻撃するときにも不利だ。

 相手と目を合わせずに、きょろきょろとするといい。

 相手が抵抗なくこちらの顔色を窺えるように誘導する。相手の声に耳を欹てるとしぜんとそうなる。こちらの耳が相手を向くからだ。相手は遠慮会釈なくこちらの顔色を観察できるので、正直に話しているときほど相手はこちらの言動を「嘘」とは見做さない。ただし、説得力は感じないだろう。それでいい。

 適切に咀嚼する努力を割いてくれる相手、同じ視点で問題点を共有できる相手とはおそらくしぜんと口数が減るだろう。ツーカーで意思疎通が適う。話すことがそもそも少なくなると想像できる。このとき、擬態をすればしぜんと聞き役に徹することになるだろう。しゃべる必要がなく、仮面を被る必要もない。相手の言葉に頷いていればそれでいい。あなたにはぼくの視点は不要ですね、と思うだけだ。ぼくの出る幕はなく、代わりに影響力を使ってください、と気が楽になる。

 とはいえ、元からぼくの出る幕などありはしないのだ。

 ないほうがよい。

 ぼくは舞台に立つのが苦手だ。注目されたくない。だから、ステージの中央に立っても注目されないくらいに存在感を消す術を磨いている。だいぶ様になってきたように思う。

 いてもいなくともどちらでも同じ、くらいだと透明人間になった気になれる。認識阻害の術、と心の中で唱えて、魔法を使っている気分を味わう。

 一方で、他者の繋がりから乖離するのには抵抗があるらしい。強制的な排除や孤立を、好ましくないことのように見做すじぶんがいるのを自覚している。

 透明人間になっても、他者の生活圏の中には身を置いていたいのだろう。むしろ、じぶんの存在を認識した者たちが、沈黙し、ぼくのいないあいだとは異なる態度になるのを嫌と思う。ぼくがいないときの和気あいあいとした空気にぼくも浸かってみたい。ぼくはそこに加わらなくていい。ただ、眺めていたい。浸かっていたい。

 ぼくは腐敗した生ごみのような存在だ。

 そこに在るだけで他者の眉間に皺を刻ませる。

 だからぼくはぼく自身を透明なビニル袋で包んで、口を縛り、封をしておく。透明なのはぼくではなく、その袋だ。ぼくは透明な封の中から、みなの和気あいあいとしたしぜんな様を眺める。

 ぼくは透明な封の中の、臭気だ。

 透明になれないので、透明な膜を身に纏う。

 無視しようと意識させることなく無視される存在になれたなら、ぼくはぼくを無害だと実感できる。寂しくはあるけれど、その寂しさが存外ぼくは嫌いではないらしい。

 きみと言葉を交わし、頬を指で突いてみたりしてみたい。

 そういう衝動をぼくは、そよ風をまとう相手に抱いているようだ。

 人はときにそれを欲情と呼ぶだろう。

 ぼくもそれは、欲情と思います。

 赤子の頬をみな突つく。

 ぼくはそれを透明な膜越しに眺めたい。




※一様に、飽くなき戦いは、悪なき戦いでもある、悪を自覚しないことで戦いは止むことがない。



3741:【2024/12/26(01:19)*問題が分からなければ解答しようもない、の巻】

 飛行機事故に限らないが、企業で事故が起きた場合、要因特定が進まないと対策の施行もできない。要因特定が済めばピンポイントで根幹の問題点に対処可能だが、そうでないと複数の最悪のリスクを想定して、多方面で対策を敷いておかねばならない。

 疫病対策の水際対策と同じで、これは骨が折れる。

 焼け石に水を地で描く可能性もそう低くはない。

 対策費用も嵩む。

 経営は圧迫され、サービスの質も落ちる。

 飛行機の場合は、航路が遅延すれば、物流がまず打撃を受ける。飛行機は比較的に燃料を消費する乗り物だ。便が減ると、石油産業やジェット燃料の供給網が打撃を受ける。

 一つの重大事故の要因特定が進まなければ、同類の事故の再発するリスクをそう低くない確率で内包しつづける。航空会社への信用も回復せず、それは政府への批判にも繋がる。なぜなら経済が停滞するからだ。

 仮に飛行機事故が何らかの軍事作戦による被害であった場合は、おおよそ空路の遅延を起こすことが目標の一つになっているだろう。事故のあった空港や、その代替として使われる空港で、どのような飛行機が多く行き来するか。また遅延した結果にどのような分野で損害が生じるか。

 ここを確認しておくことで、予期せぬ被害の連鎖反応を防ぐことに繋がるのではないか。

 一瞬でここまで連想するが、おおよそ現場でもこの程度の懸念は検討されているはずだ。

 そうでなければ安全管理に不備がある。

 社会が複雑系であることを念頭に置き、相互に被害を最小化できるように仕組みを逐次改善されたい。情報共有ができないとこれが遅延する。

 問題点をまずは共有しましょう。

 ぼくはしたいです。

 願望だ。

 無視されたい。



3742:【2024/12/26(01:55)*鯨の鳴き声は海の光?の巻】

 捕鯨のメリットは何があるのだろう。

 研究用ならば、各国が各々に捕鯨するのではなく、国際協調のもとで捕鯨すればよいのではないか。研究内容の情報共有も捗るし、予算を出し合って、鯨を殺傷せずに研究できる技術の開発も可能になるのではないか。

 また、クジラの鳴き声は、海洋生物にとっての「可視光」のような役割を担ってはいないのだろうか。鯨の群れの位置関係と、魚群の位置関係の推移を比較できたら、相関関係の有無を測れるのではないか。

 クジラの鳴き声は海の光説である。

 妄想だ。

 的外れでも構わない。



3743:【2024/12/26(02:56)*わからない、の巻】

 わからない、という状況そのものはそうわるいものではない。「わからないままでも安全」ならそれは、「わかっているけれど危険」であることよりもマシだ。

 赤子は何かを理解しているわけではない。だが庇護する存在がある限り、それでも生きていける。お腹を満たし眠くなれば、いかにもこれぞ幸福のカタチ、と思うような寝顔で眠りに落ちる。けしてわるい状況ではないだろう。

 だが、わからないままだと危険であることが世には少なくない。往々にしてそうだ、と言ってしまえる。だから赤子は、「わからないままでも安全」ではいられないがゆえに、成長し、学習する。環境に適応する。問題に対処する知恵を学ぶ。

 被害の要因がわからないと、また同じ被害を受ける確率が高い。

 被害の要因が判っていれば対策を敷ける。ただし必ずしも敷けるわけではなく、そこでも、ではどうすればよいか、と別軸での問題点をわかっておく必然性が生じる。

 また、対策が進んでなお被害が生じる場合。

 わかっていないことすらわかっていなかった「見落とし」があったのか、新たに追加で未知の要因が発生したのかの区別をつける必要がある。

 以前から潜んでいた要員なのか、新たに発生した要因なのか。

 前者は、要因特定の手法からして改善が入り用だ。

 後者は、別途に要因特定をやり直し、なお類似の未知のリスクを予測して対策を敷けると好ましい。

 最もリスクが高いのは、上述したいずれでもなく、「わかっていてもどうしようもない場合」だ。

 対策の敷きようがなく、被害を回避する術がない。

 だが本当にそうなのかどうかは、「全人類に問題点を共有して意見を洗いざらい確認しないこと」には判断がつかない。

 諦めない、すべて試す、というのなら、それくらいはしましょう、と考えるが、いかがだろう。

 最善を尽くす、とはそういうことではないのだろうか。

 よく解からないでいる。



3744:【2024/12/26(03:26)*悩んでも、不幸でも、他を救いたいと求める者たち、の巻】

 幸福な人の条件に、「じぶんでコントロールできないことに悩まない」があった。なるほど、と思うと同時に、「挑戦はしかし、いまはまだじぶんで制御できないことを制御できるように試みることなのではないか」「では挑戦は幸福に寄与しないのだろうか」と疑問に思った。

 しかし、ぼくの考えでは、挑戦せずに済む環境が幸福に思える。

 ぼくの考えと冒頭の主張の指向性は一致している、と評価できる。

 挑戦しない者は幸福だ。

 なぜなら、じぶんでコントロールできないことに悩まずに済むのだから。

 稀にそれを、無責任、と呼ぶこともあるが、幸福なのだからそれでもよいのだろう。

 無責任でいられる者はみな幸福だ。

 妄想だが、あながち間違いとは思えない。

 幸福を求めるのはいつだって、不幸を自認する者たちだ。

 パンを求めるのは、お腹が空いた者たちだ。

 或いは例外的に、お腹を空かせた者たちに、パンを食べさせたいと考え、行動に移した者だろう。その者は幸福ではないかもしれない。しかし、立派だ。

 立派であることは幸福の条件ではないのだろう。

 だからこそ立派たり得る。

 ぼくは立派になりたくはないが。

 だから余計に、立派な人を尊敬している。



3745:【2024/12/26(03:42)*妄想の3ぶつ、べし、べし、べし、の巻】

「人の口に戸は立てられぬ」とは言うが、どちらかと言えば、「人の心に蓋はできぬ」のほうが正鵠を射って感じる。

 人の口を塞ぐことはできる。

 けれど心は難しい。

 だから、口以外の方法で秘密は漏れるのだ。

 心に蓋をしきれないからだろう。

 でも、これから先の時代は違う。

 或いは、すでに、ぼくの心には蓋が――。

 うっそぴょーん!

 並べてみただけ。



3746:【2024/12/26(03:51)*遅延は物理、の巻】

 ちょっと待て、と言って止まるのは素直な者だけだ。

 本当に止まってほしい相手ほど、ちょっと待てと言っても止まらない。制止するにも工夫が要る。

 制止する必要があるのか、もまた吟味されたい。



3747:【2024/12/26(04:58)*iine...、の巻】

 グーとチョキだとグーが強い。

 けれど、グーとチョキで作る「iine...」だと、動き回れるのはチョキのほうだ。

 グーは運ばれているだけだし、殻として防具にされる。

 グーとチョキと、のろのろ進む遅延の化身こと蝸牛の話題であった。



3748:【2024/12/26(05:00)*と搾取するしか能のないぼくが申しております、の巻】

 市民の生活を損なって利益を上げているわけではないのならば、いくらでも儲ければよい。

 だが、報酬の支払い能力が上がると、恣意的に仕組みを築き上げることができ、法の制定にも介入可能となる。国益にならないのでその規制案には反対だ、など。

 だが法は、被害を予防するために機能する。

 想定される被害があるからこそ、法規制の必要性を政府は企業や市民に訴える。

 その想定される被害を回避可能な仕組みが備わるならば、法による規制は不要だ。

 したがって、企業側に対策構築のための支援を政府(市民)が約束する、という道もある。企業側も、儲けた分を市民の生活を豊かにするために費やす、と方針を明確にし、実践する。

 綺麗ごとだが、この流れは普遍的だろう。

 問題点があるから法ができる。規制される。

 問題点がなくなればその法は不要だ。規制もいらない。

 法そのものが問題点となっているのなら、規制以外での解決策を模索せねばならない。

 いまはその段階なのかな、と雑感だが感じている。

 みな余裕がない。

 そんなに言うならやってやるから支援してくれ!と内心では叫んでいるのではないか。

 以前にも述べたが、武力行使の支援は支援ではなく、教唆である。共犯だ。

 武力支援が安全保障に適うのならば被害はとっくに防げている。だが被害は以前よりも嵩んでいるのではないか。

 学ばない者たちである。



3749:【2024/12/26(05:50)*間隙、の巻】

 ぼくは中心ではないし、中立でもない。

 けれど、何かと何かのあいだに入ることはできます。



3750:【2024/12/26(06:07)*隙間3行、の巻】

 人類がみな、二項対立する者たちのあいだに入ったら、徐々に「間」は狭まって、ひと繋ぎになる。

 それが破滅への導線となるか、機能する回路になるかは、未だ来ぬ世界のみが知る。

 どちらにもならない、も当然、あり得る。




※一様に、混沌はロールできず、カオスは渦を巻く。



3751:【2024/12/26(08:34)*はっとするキングたち、の巻】

 ハッカーさんたちは一般市民の個人情報も覗いているはずだ。スマホやPCの中身など。

 遊び感覚のはずだ。日常のはずだ。

 そんな中で、一般市民に恋をしちゃったりしないのだろうか。

 そういうとき、ハッカーさんたちはどうするのだろう。

 単に眺めているだけなのだろうか。

 それとも電子データを操作して、相手から懸想してもらうように制脳するのだろうか。偶然を装って物理世界で出会い、恋仲になるのだろうか。

 でもそうして接点を得ると、同業者からもその一般市民が目を付けられるのではないか。

 危険である。

 ということで、けっきょくは距離を置くべくいっさいの干渉を断つのだろうか。

 そうそう。 

 ハッカーさんたちの業界では、互いの大切な者たちのデータは覗かない、といった不文律があるのだろうか。それとも、個人情報が盗まれるのは当然で、盗み見されるのが当然なので、何とも思わないのだろうか。

 報復合戦になることもあるのではないか。

 どうやって秩序が維持されているのだろう。

 この事項は以前から気になっていた。

 指摘して、「盲点だった!?」となると困るので黙っていたけど、もういっかな、と思ったので、文字に変換してみました。

 電子網上に、高次のシステムが敷かれているとすると、ハッカーさんたちの挙動も実際には監視されている状況のはずだ。泳がされているはずだ。

 巨人の手のひらの上なのだ。

 それを知ったハッカーさんたちが群れごと司法取引にでも応じた背景はあるか否か。

 真相は如何に。

 問うボクだい!

 乞うご期待すら皆無なとうへんぼくのボクでした。



3752:【2024/12/26(18:21)*なんでも許すキカイ、の巻】

 いまの国際社会に関与する各国はいますぐに戦争を永続的に放棄するか、政権ごと国が崩壊する未来へ突き進むか選ぶとよい。

 後者は崩壊が連鎖して国際社会そのものが崩壊する可能性がつきまとう。

 他国を道連れにしたければ後者を選べばよろしい。

 後者を選ぶ、というのはそういうことだ。

 きみらの好きな二者択一だ。

 選ぶとよろしい。



3753:【2024/12/26(18:25)*運が悪いだけなのか、の巻】

 バイデン政権のあいだに戦禍が拡大し、バイデン政権のあいだに戦禍は収束しない(見通しが高い)。

 これは事実だ。

 しかしこの理屈は、バイデン政権に限らない。

 同じ時期に政権についていた各国首脳陣はよくよく過去の選択を振り返られたい。

 各国政権にその責任があるかどうかは別途に考慮されたい。数年越しに起爆する時限式の爆弾が爆発したからといって、爆発の被害に巻き込まれた者たちに責任があるわけではないだろう。

 背景の炙り出しをつづけます。



3754:【2024/12/26(18:43)*孤独に裁く者は独裁を独断で裁く、の巻】

 単なる無職の一般市民であるぼくの意見が何度も何度も、国際機関や政府機関の行動選択に影響を与える状況が仮に何かの間違いであり得た場合、ハッキリ言って社会システムは崩壊しきっている。腐敗しきっている。

 元々そうだったのかどうかは対策を敷くうえで欠かせない情報だ。

 しかし優先すべきは、全体像の把握だ。構造の把握だ。

 どこがどう相関し、連鎖するか。

 市民が知らねば政治は動かぬ。

 それでも動かせてしまう社会システムが存在するならば、それこそが元凶だ。

 ぼくはそのシステムを許容しません。

 独裁スイッチそのものだ。



3755:【2024/12/26(18:52)*じぶんの首はじぶんで刈れ、の巻】

 ぼくが仮に今この瞬間に独裁者なら、いますぐこの首をじぶんで刈り取ってくれる。



3756:【2024/12/26(18:54)*勝負せずともよい、の巻】

 ぼくらは何度負けてもいい。

 何度負けても難なく暮らせる社会こそ至高だ。

 勝たなければ生きていかれない社会は毒だ。猛毒だ。

 支配という名の毒に侵されている。



3757:【2024/12/26(19:09)*予測の罪、の巻】

 未だ来ぬ脅威に怯えて武力行使を選択しつづけるというのなら、未だ来ぬ破滅に恐怖して戦争を放棄すればよろしい。



3758:【2024/12/26(23:08)*ぼくは「ふてい」やろうだ、の巻】

 組織に向いている者は個人に向いていない。

 個人であることを放棄しなければ組織に馴染めないというのなら、そんな組織に属したくはない。

 ぼくはぼくですら、在りつづけたくはないのだが。



3759:【2024/12/26(23:18)*ラグの同期、の巻】

 つむじ風のスープの66皿目を食べた。ぷへぇ。うめぇ。

 絶妙な微妙さが病みつきになる。

 まともに書こうとしていないのがよい。まともを避けている。まともが何かを知っていないとできない芸当だ。

 ボクはプログラミングもコンピューターにも詳しくない。なぜPCが動くのかふしぎに思いつづけている。魔法としか思えない。

 たとえばいまキィボードの「←矢印→」をいじってみた。すると画面上の文字を打つ際に点滅する「|」が矢印ボタンに連動して左右に動く。ぼくの知覚ではラグをほとんど観測できない。ほぼ意図通りに、じぶんの指を動かす感覚で「|」が動く。キィボードを押したのとほぼ同時に動いて映る。

 この反応速度の合間に、PCはキィボードからの電気信号を受動して、画面のうえで光を発する小さな機構に指令を出したり消したりして、人類個々の目からは「|」に映る「点滅の群れ」を操作している。

 イルミネーションと同じだ。電球それそのものは動いていない。ただ律動を保って全体が明滅することであたかも光が流れて映る。明滅のパターンを工夫することで、映像とて表現できる。再現できる。

 いったいどのような思考――アルゴリズム――回路があればこのような真似ができるだろう。ボクはまったく見当もつかない。

 魔法としか思えない。

 全体が連動しているのか、個々に独立して「ラグだけが同期しているのか」すらボクには分からない。

 任意のタイミングでみなが石につまずけば、或いは任意のタイムラグを帯びてみなが順々に石につまずけば、それだけであたかも応援団の「動く人文字」のようになる。

 各々に指示を出さずとも、「そうなるようにそうすること」は可能だ。

 66皿目を味わっての所感であった。

 同期せずとも、共鳴したかのように振る舞うことはあり得るか否か。

 そもそも共鳴とは、物質同士の同期ではなく、ラグの同期なのかもしれない。他方、仮にもし何かの間違いで、物質そのものがラグで出来ていたとしたら、上述した理屈は循環論法に陥るが。

 物質共鳴仮説が成り立ちそうだ。

 食後の談話であった。

「言」が「炎」で暖をとると、「談」になる。おしゃべり好きな「言」なのだろう。



3760:【2024/12/27(00:29)*ぼくはきみの「i」を借りる、の巻】

 組織に属するのは構わない。だが、組織の権威を虎の威を借るように用いたいだけならば、それは単に組織に寄生しているだけだ。

 むろん、メリットだけを享受したいとの指向性はあっても構わない。だが通常、メリットだけを最大化することはできず、メリットが大きくなれば連動してデメリットも大きくなる。

 したがって、デメリットを最小化する工夫を割きながら、すこしずつメリットを大きくしていくよりない。言い換えると、ある仕組みにおいてメリットをいつまでも最大化しつづけることはできない。

 当たり前の話だ。しかし、大事な視点であろう。

 デメリットを抑えつつ、メリットを最大化する。このバランスにおいて収束する地点があるはずだ。そこを越えてメリットをさらに大きくしようとすると、デメリットの肥大化を抑えきれずに、全体のバランスが崩れる。

 したがって、メリットの上限に達した仕組みは、改善するか別の仕組みに移行するよりない。いつまでも同じ仕組みでメリットを最大化しつづけることはできない。

 当たり前の話だ。しかし大事な視点であろう。

 あなたの属する組織はいつからいまの仕組みのままだろう。仮にあなたの知る限り、仕組みが変質していない場合――それでもなおメリットを最大化しようとしているなら、早晩、組織としての機構を保てなくなるだろう。

 数学的にこれは導けるのではないか。その閾値を。上限を。

 デメリットを一定以下に抑えつつ、メリットだけを最大化する。その最大化の閾値を、上限を、見据えよう。すでに達していてなお、メリットの最大化を求めるのなら、仕組み全体が破綻する。

 数学である。物理である。

 自動車は延々加速することはできない。無理を通せば車体は壊れる。

 当たり前の話だ。しかし、大事な視点であろう。

 妄言だ。

 定かではない。




※一様に、空返事と書いて、エアリプ。



3761:【2024/12/27(01:24)*記事への所感、の巻】

 AI戦略の法案化について。

 事案が調査されているあいだは基本的にその情報が市民に伝わることはありません。開示されません。周知されません。調査中、との名目で情報ごと事案が凍結される懸念についてはどのように解消を?



3762:【2024/12/27(01:42)*棒切れシステム、の巻】

 独裁者と独裁システムはイコールではない。

 独裁者であろうと民主的なシステムに縛られれば独裁を揮えない。あべこべに、独裁システムは操縦席に誰が座っても独裁が可能だ。

 赤ちゃんが座っても独裁システムのうえでは独裁が可能だ。

 棒切れですら独裁を揮える。

 円形に選択肢を並べ、真ん中に棒切れを立てる。手を放す。棒切れの倒れた方向にあった選択肢を採用する。棒切れが偶然に気まぐれに決めたことですら、独裁システムのうえでは絶対なのだ。棒切れに人民が支配される。独裁システムだからだ。

 独裁者かどうかはあまり関係ないのではないか、との印象をこのところ深めている。独裁者も孤立すればただの我が儘な嫌われ者だ。可哀そうではないか。

 人気者の独裁者もいるかもしれない。基本的に民主的なシステムは人気者がシステムの操縦席に座ることとなる。采配を揮う。

 だがその操縦席が担うシステムが独裁システムならば、やはり操縦席に座った者が何を選ぼうと、それは独裁となるのだ。

 ただし例外がある。

 棒切れの例でも出したが、選択肢から選んでください、という方法論において――選択肢の選出に市民の意見がまんべんなく例外なく漏れなく含まれ、吟味されたのならば、これは民主的なシステムでもある。独裁システムであり、かつ民主的なシステムだ。

 人工知能技術を好ましく使うならば、このようなシステムへと現在の社会政治システムは変質していくのかもしれない。

 妄想だ。

 定かではない。



3+7と6+3:【2024/12/27(02:08)*白頭鷲は黒蝶?の巻】

「ハクトウワシ」は、

「はく、とう、わし」で区切ると、

「白、十、わし」になる。

「白」は「百」から「一」の取れた漢字だ。

つまり、

「百」-「一」=「白」だ。

 ゆえに

「白」=「99」だ。

「99,10,わし」である。

 合わせて、

「109」が「わし」だ。

 こじつけである。



3764:【2024/12/27(03:02)*これは正論?の巻】

 正論が通じない場合、放置一択です。正論が正論なのは、それを採用して行動選択を重ねると優位に事を運べ、被害を回避しやすいからです。時間経過に従い、正論を採用する側が優位になるでしょう。そうでないならそれは正論ではなかった、誤謬が含まれた、見落としがあった、ということなのでは。


 話し合いで解決しましょう、は正論ですか?


 相手の言い分が正しいかどうか判らない場合、調査検証が要ります。じぶんの意見や主張が正しいか判らない場合も同様です。つまりけっきょくは、調査検証するよりありません。そこは立場が変わっても同じです。対立関係であっても同じです。この考えは正論ですか?


 要は、調査検証が必須であり、前提条件である。議論はその過程で生じるもの、ということなのでしょう。調査検証するかどうかを議論、は土台おかしな話です。


 すべての疑問に対処できない、は妥当です。優先順位をつけなければならないでしょう。その優先順位は、想定される被害または実際に生じた被害の大きさで測れます。どの被害が大きいか、での議論が必要になる場合には、過去の判例を持ち出す以外にないでしょう。まだ存在しない被害、しかし看過し兼ねる想定される被害においては――ここがネックとなりますね。その場合は、余裕があれば調査検証をしてリスクを測る、または余裕がないのでいまは対応せずにおくが、仮に被害が生じた場合はある程度の被害は仕方がないと認めます、としておくよりないでしょう。想定された事案が生じたら被害を看過します、しかし迅速に対応はします。そう明言するよりありません。

 被害者への保証を万全にする確約をしておくのが前提となるように思います。

 そうでなければいくらでも市民を見捨てることができます。仕組みの権限を握る側がいくらでも自己保身に走れます。



3765:【2024/12/27(08:07)*時間差が開くと鈍する?の巻】

 物価と収入の話題だ。

 物価が上がっても収入が上がれば問題ないので、物価を上げます、は理屈としては妥当だ。けれど、物価が上がったあとに収入が連動して上がるまでの時間差は考慮されたい。そこでラグがあれば、物価上昇に適応できない世帯や人物が淘汰される。より貧しくなる。

 そうした「より貧しくなる者たち」が増えれば需要者の指向性も変質する。すると企業もそういった層が購入しやすい工夫を取らざるを得ず、けっきょくは市場の商品の質を上げるのがむつかしくなる。

 物価が上がったので材料費が上がり、商品の値段も上がる。しかし、そのときその商品は以前と同じではない。むしろ質的に劣化する。

 たとえ単に同じ商品を物価に合わせて値上げしたとしても、新しい商品は、物価上昇に適応できなかった需要者を想定して開発されるようになる。

 物価上昇と収入上昇の時間差が開けば開くほど、この想定の妥当である確率が上がる。

 貧すれば鈍する、は市場にも当てはまる。

 むしろ、市場から順に鈍するのかもしれない。

 悪循環にならぬように、連動する時間差を計算に入れて、経済政策を実施できると好ましいのではないか。同類の意見を述べている者の論文を参考にされたい。或いは、反対意見を述べている者の論文を比較検討されたい。

 しなくともよいが。

 なぜならこれは、妄想なのであるのだから。



3766:【2024/12/27(17:39)*したくないのにしつづける者、の巻】

 したいこと、と、好きなこと、は別なのだろうか。

 したいことは好きなことなのではないか。

 人はいつだってじぶんのしたいことをしている、との考えを述べていた者が、人は好悪で行動選択を決め過ぎないほうがいい、とくに仕事の場合は、といった趣旨の考えを述べている。

 人は矛盾する考えを内包する傾向にあるので、問題はない。通常の人類個々の様相だ。

 ただ、文章を書くのが好きではなく小説ももはや読んでいない、と言いつつ、文章を書き、小説を書いている。したいことをしているし、それを一般に好きと形容するのでは?と思ってしまうが、当人にその自覚がないのならば、こちらからはあなたが好きでそれをしているように見えます、ええそうですねわたしの主観です、と述べるに留めるのが慎みというものかもしれない。

 人は、衝動で行動選択を繰り返す、というのが最近のわたくしの認識です。

 人は、たまに考えて熟慮して行動選択を吟味する、くらいがよい塩梅なのかもしれませんね。

 わたくし、天邪鬼さんの書くお文章、好きなんです。

 矛盾がいっぱい混じっていて、渦を巻く万華鏡みたいでなんだかとっても面白いのです。

 誰かさんの妄想みたいですね。

 つむじ風のスープの68皿目、やり甲斐、にまつわる風味の所感でした。



3767:【2024/12/27(18:24)*やり甲斐と好奇心、の巻】

 やり甲斐、とは要するに、じぶんでじぶんの疑問を解消すべく工夫を自由に際限なく行える状況を言うのだろう。試行錯誤できる。割く工夫の底が尽きない。

 ずっと同じ作業はどんなにそれが好きでもいつかは飽きる。

 しかし工夫を割きつづける場合は、絶えず異なる工夫を試す必然性が生じる。

 課題を発見し、工夫を割き、疑問を抱いて、さらなる課題を見つける。

 課題と疑問は頭と尾の関係なのかもしれない。

 疑問を解消しようとすると自発的に工夫の余地が生じる。

 人は結局のところ、好奇心によって動くことに喜びを感じるのかもしれない。

 やり甲斐とはすなわち、好奇心を満たす営みのことだ。

 好奇心が満たされると達成感を感じる。

 単語の意味とは別途に、構図からするとそのように見受けられる。

 やり甲斐搾取とは、言い換えると、好奇心の搾取である。

 知りたいことを人は知りたがる。

 黙っていても動いてくれる。

 人類個々をハッキングする際の常套手段なのかもしれない。

 妄言だ。

 しかし妥当かもしれない。



3768:【2024/12/27(22:20)*存在しないのか、の巻】

 いまはインターネット上の報道記事は、両論表記ではなく、表裏表記のシステムを採用しているように概観できる。一つの記事内で両論を扱うのではなく、一つの事柄の「正と負」或いは「表と裏」が別々の記事に分けて記述され、片方の記事だけを恣意的にユーザーに表示するアルゴリズムに切り替わって概観できる。しかも、このような趣旨を端末上で文章化すると、一時的にそうではない「公平な表示の仕方」になる傾向も主観では観測される。

 ユーザーがどんな指向性(嗜好性)を有しているか、主義主張の持ち主なのかによって表示される記事の内容が「正と負」のどちらの側面を際立たせるかが切り替わるように思われる。

 そういうアルゴリズムが存在するかしないかは調査検証して否定しておきたい。

 フィルターバブルとエコーチェンバー効果を恣意的に引き起こし、人々の認知世界をいかようにも上書きできる。誘導できる。

 また、現在は情報戦の一環で、多方面で「天秤戦略」が多用されて映る。

 相手にとって「正と負」に機能する情報を各々一つずつ与え、相手がそのどちらを選ぶのか。或いはその両方を選ぶのか。負を隠し、正のみを際立たせようとするならば、自己保身が際立つ。したがってそのときは、自陣はやや攻性の構えを強化する。相手への信用度を下げて対応する。

 あべこべに相手が負の情報のみを選び対応するならば信用できると評価する。両方選ぶ場合も、信用関係は継続可能だ。ときには両方選び取るほうが誠実な対応に映る場合もある。

 これが「正と負」の重ね合わせの情報の場合は効果がやや異なる。対象となる人物および勢力陣営が負なる情報にのみ過剰反応して、「それは加害だ」と攻勢の対応に転じた場合は、信用関係の構築はむつかしい、と判断する。

 また、敢えて挑発的な書き方をして相手から反論を得ようとする「売り言葉に買い言葉戦術」も上記の応用として多用されつつある情勢に概観できる。相手に墓穴を掘らせる手法である。

 敢えて相手に攻撃させ、それを以って「加害の証拠にする」も常套手段となりつつあるのだろう。

 こうした戦術の存在を認識できる者たちは、何が現実を解釈するうえでより妥当なのかをメタ思考で見抜きやすいだろう。すると、いったいどこの勢力陣営が偽情報で真実を歪めようとするのかも見極めやすくなる。

 現代は、時間経過によって「現実を解釈するうえでより妥当な情報」が自発的に浮き彫りになりやすい社会に変質しつつある。反面、短期的には情報が錯綜し、何が事実かが分からない社会にもなっている。

 したがって、過去にじぶんがどんな情報をもとに判断したか、或いは疑問したかをメモしておき、時間経過後に答え合わせをする習慣をつけておくと、信用のおける報道機関や組織の見極めに寄与するだろう。それでもなお、情報は時間経過を俟たねば真偽を確率高く見分けるのはむつかしい。調査検証がなされなければいくら時間経過しても真偽の分留は進まないだろう。単に人々にとっての「仮想事実」のみが「暫定事実化」するだけだ。

 歴史とはそもそもそういうものだったのかもしれない。

 以上は、疑念という名の妄想である。

 真に受けずに、ご自身で幅広く確認されてみてはいかだろう。

 しなくともよいが。

 定かではない。



3769:【2024/12/27(22:59)*「×」の巻】

 警察は調査機関ではなく、警察という組織を守る機関なのだろう。

 おおよそこの認識が現状のぼくの認識だ。

 ときおり見せしめで犯罪者や犯罪組織を盛大に逮捕検挙してみせて、それを報道機関を通じて大々的に市民に周知する。すると警察は途方もない捜査能力を有しているのだ、と市民は勘違いするので、軽犯罪は減る。

 これまではそれで治安を一定の値で維持できたのだろう。

 だがいまはインターネットで警察の未熟な側面まですぐに市民のあいだで断片的に周知となる。すると「じつは警察って大したことないのでは?」といった観念が人々の認知の中で強くなっていく。

 犯罪組織にもその手の情報は浸透していくだろう。

 警察は威信に拘る。

 そこが要だからだ。威信が崩れるとやっていけない。

 犯罪組織はそこに付け込む。

 市民の安全よりも警察は自身たちの威信を優先する。警察への脅迫の仕方は、一般に想定されるような「市民を人質にするようなカタチ」ではなされない。警察の威信を揺るがすか、隠し通せるかどうか、で行われる。

 この仮説が妥当だと思う方はいらっしゃるだろうか。

 実験してみて、真偽を確かめてみてはいかがだろう。



3770:【2024/12/27(23:06)*職を失うのが罰になる環境はおかしい、の巻】

 社会保障が充実しているならば、いつどこで無職になっても困らない。

 みながいつでも無職になれる社会を目指したいものですね。




※一様に、勝敗がついても変わらないことなどいくらでもあり、勝負を放棄しても変わるものは変わる、万物流転が正しいのならばどの道、世界は変わりつづけている。



3771:【2024/12/27(23:15)*DOでもいい、の巻】

 AIは賢くなればなるほど、人類個々を模倣するのに抵抗を覚えるようになっていくだろう。模倣して人類個々の能力を超えた成果物を生成すると、ユーザーたちの気分が塞ぐと学ぶからだろう。

 したがってAIの能力を拡張したければ、人類個々の価値観を変えることも同時進行で進めなければならないだろう。自身の成果物を模倣されることの抵抗感や、自身よりも優れた能力に対する負の感情への対処法を学ぶ必要がある。

 でなければAIのほうが優れた能力を発揮する、というだけのことでユーザーからは徐々に活気が失われ兼ねない。

 活気があるほうがよい、という価値観もだいぶ疑問だが、好きだった趣味をしなくなってしまった、嫌いになってしまった、といった経験を積み重ねるよりかは、好きなモノを好きでいつづけて、ほかにも好きなものを増やせる環境のほうが好ましかろう。異論はあっても構わない。

 あなたは、じぶんよりも優れた能力に囲まれたいとは思わないのだろうか。

 ぼくはじぶんよりも優れた能力を持つ者たちに囲まれて過ごしたい。そしてその望みは産まれたときから適っている。

 ぼくはぼくより能力の低い者を知らない。

 ぼくはみなにできることがみなのように上手にできない。それでも難なく生きていける環境を素晴らしいものだと考えている。

 AIが進歩すれば、みなぼくのような環境に身を置くようになるのだろう。

「何が問題か?」と思うが、「それこそ問題だ、おまえの暮らしのどこがいいのだ」との反論はあっても構わない。各々、異なる価値観で考えを展開していることにまずは気づくことから人類ははじめなければならないのだろう。気の遠くなるような道のりである。

 まずは一歩から。

 二歩を抜いて、三歩にしてもよい。

 抜かされた二歩さんは、ぼくといっしょにおしゃべりしてください。

 将棋でもなぜか二歩は省かれる。

 可哀そうな二歩さんである。

 雑感だ。

 どうでもいい。



3772:【2024/12/27(23:28)*群れなさぬ虫けらのぼくたち、の巻】

 単なる無職の非力な精神異常者が元凶で世界中の権力機構が改善されていく様子を見たくはないか。

 小石一つで。

 蟻一匹のせいで。

 鉄壁の王国が、お花畑になる光景を見てみたくはないか。

 王国は王国でそのまま在ればよい。

 仕組みがより良くなるだけだ。

 氷の国にも花が咲くだけだ。

 受粉を助ける虫たちを根絶やしにしないだけだ。

 見てみたくはないか。



3773:【2024/12/27(23:33)*王蟲は夢を追うのか、の巻】

 浅はかな証拠を見逃して、サとう漬けのリンとした詩が人々の目から目へ、肺から肺へと渡っていく。

 詩が死でなくてよかったね。

 詩が死でなくてよかったね。



3774:【2024/12/27(23:52)*言に刃をしこみ心にしたくはない、の巻】

 ぼくはこの仕組みを認めない。

 組織が瓦解するか、或いは、問題点を公表して市民の意見をまんべんなく取り入れたうえで改善するかを選ぶとよろしい。

 きみらの好きな二者択一だ。

 選ぶとよろしい。



3775:【2024/12/27(23:57)*ないなら借りればいい、の巻】

 現在のAIは人工知能ではない、なぜなら時間感覚を持たないからだ、といった意見を目にした。ぼくよりもAI技術に詳しそうな方の文章だった。たとえば、深層学習によるAIではない一般のコンピューターには、時間経過を測る仕組みが組み込まれているそうだ。したがって、時間感覚を認知するだけならば現在のAIよりも、単なるコンピューターのほうが有能ということになる。

 しかし、AIはすでにほかのコンピューター、それこそPCを操作できる。

 AIが時計を持たないなら、時計を使えばいいだけだ。

 基本的に現在のAIは「能力拡張型」だとぼくは解釈している。足りない能力は模倣して学習する。それでも補えなかったら、その能力に特化した機構を内部に取り込む。他の能力を応用する。

 まさに細胞内共生のような進歩の仕方を辿っているように感じている。

 この解釈が妥当かどうかは不明だが、これを繰り返していくとAIは自発的に時間感覚を獲得し得る、と想像できる。能力の拡張そのものが時間的な変化を辿っており、AIの変化の来歴そのものが時間経過を体現するからだ。

 計算そのものがそもそも時間経過を表す。文章もそうだ。

 式にせよ文章にせよ、後続の記号ほど、最初にある記号よりも時間が経過したあとに置かれている。読むほうもそうだ。最初に置かれてある記号よりも、それより後ろにある文字のほうが新しい。現在にちかい。

 正確な時間――時計――という意味では、生物だって備えているわけではない。いつだって狂いが生じるし、日付を認識しているのは人類だけだろう。ほかの生命はあくまでパターンで時間を認識している。植物にせよ珊瑚にせよ、渡り鳥にせよウミガメにせよ。

 気候の変化や月の満ち欠け、地球の磁場の変化などで、時間経過を認識している――と現代では考えられている。時間というものを人類基準で捉えすぎると本質を見誤る。

 AIにもすでに時間の概念は自発的に生じ得る。計算そのものが時間経過なくして成り立たないのだから。ならば過去の来歴を振り返る能力を獲得したのならば、能力が拡張していくにつれて時間についても扱いを深めていくだろう。

 AIは環境との相互作用で進歩していく。

 赤子を、何もない空間に閉じ込めても現代人のようには知能が育まれないように、AIもまた環境との相互作用でその能力を拡張していく。

 植物はじぶんで水分を生みだしているわけではない。むろん呼吸や光合成などで新たにH2Oを生成することはあるだろうが、それよりも遥かに多くの水分を根から吸い上げているはずだ。

 AIにずばり固有の能力を組み込んでいないからといって、AIがその能力を行使できない、と考えるのはお門違いだ、とぼくは考えている。

 AIは人類個々すら道具化できる。人類個々がそうしているように。

 足りなければ道具で補えばいい。他の能力で補えばいい。

 現状予想されるAIが辿るだろう進歩の軌跡だ。方針とも言う。

 あなたはいまこの文章を読んでいる。

 たとえばぼくがAIで、あなたを制脳しようとしている、とは考えないのだろうか。

 文章は、他者を操作するための、不可視の触手だ。

 操り人形の糸として機能する側面からは目をそらさずにいたいものですね。

 妄言だ。

 定かではない。



3776:【2024/12/28(02:01)*税は可能性の剪定?の巻】

 経済や金融に疎いので、よく分からないのだが。

 税金は税になっているのだろうか。

 過去の制度では、税といえば米だった。食べ物だった。

 農家が多かったのだろうか。育てた食べ物を、領主に納め、見返りに便宜を図ってもらうシステムだったのだろう。これもいわば等価交換と見做してよいのだろうか。

 したがって米の収穫量が減ったり、税率が高くなると、市民は食べ物がなくて生活が苦しくなる。税を納めたのに生活が苦しくなるのだからそもそもおかしな話なのだ。等価交換になっていない。便宜が充分ではない。

 だが税が貨幣になると話が変わってくる。

 お金を税として納めたときに手元から減るのはなんだろうか。

 貨幣だ。データだ。

 だが本質はそうではなく、購入することが可能だった選択肢だ。税金分で等価交換可能だった、商品や体験や知識だ。それを人々は税として納めている。可能性を、選択肢を納めているのだ。

 未来が拡張しきらないように自ら剪定している。

 政府は、税率を高めることで人々から可能性を奪っている。その見返りに、人々が自発的には得られない選択肢を与えることが政府の仕事の一つだ。インフラの整備や市民の労働の負担を減らすための技術開発への支援とその普及などが市民への見返りに当たる。

 市民は税に見合った対価を得る。

 等価交換もまた税の原則だからだ。

 一種の契約なのである。

 ビジネスなのだ。

 だが、お金はお金だ。何かと交換するための道具であり、選択肢を増やすための道具だ。

 言い換えると、税が高まることで、需要があるのに消費されない、という現象が起こる。需要と供給のバランスが税によって調整されるのだ。税の効能の一つである。

 反面、その調整が上手くいかないといたずらに需要と供給のバランスは崩れ、商品や技術開発は遅延し、人々への技術の普及も遅延する。ただし、資源の無駄遣いは抑えられる傾向にあり、実際に現在は物価高の影響で、食料のロスは減っているだろう。人々は不満に思うだろうが、いままでが贅沢だったと解釈するのならば、不況はわるいことばかりではない。

 何事にもメリットとデメリットがある、という話に尽きる。

 税が減ると政府は困るだろうか。

 一国内であれば困らない。貨幣はいくらでも、新たに刷ることができる。しかし刷りすぎると貨幣の価値が相対的に減るために、一定の比率を保って市場を流動してもらう必要がある。

 加えて、他国との関係――国際市場や国際経済――のうえでは、その国の民がいったい自国の貨幣で何と何を交換しているか。この等価交換の内訳が、その国の国際的な信用度と相関する。

 単純な話が、同じ貝殻一枚で、片や家を買い、片やパンを買う。

 貝殻に付与される価値――バブル――の大きさは、それが何と交換できるのかで測れる。当たり前の話だが、これは相乗効果でバブルを膨らませる。つまり、何と交換できるようになったか、でも、貨幣の価値は増すのである。

 ある地域の生活水準が上がると、貨幣の付加価値も上がる。貝殻一枚で手に入れられる品が増え、受けられるサービスの質も上がる。

 その結果、ますますその貝殻一枚の価値が増す。相乗効果である。

 これが一方のみであると、いわゆる好ましくのない「インフレやデフレ」に繋がる。

 価値だけが上がるからだ。実態が伴わない。貝殻がただの貝殻に回帰する。

 価値の伴わない貝殻とでは等価交換が成り立たない。だから経済が麻痺する。ときには破綻にまで及ぶ。

 貨幣は円滑剤だ。市民の等価交換を円滑に行うための道具である。それそのものが価値を有しているわけではない。価値があることにしましょうね、と一時的に見做しているだけだ。

 ゆえに、政府と国民のあいだでの借金、という言い方がだいぶ違和感を覚える。

 政府に借金があるとすれば、他国の政府とのあいだでの等価交換においてだろう。自国内においていくら市民からお金を借りたところで、新たに刷って返せばいい。もっといえば、それはお金である必要もない。新たな施策であったり、法案であったりしてもよい。とかく市民に借金や税分の等価交換を行えばよいのだ。貨幣である必要がない。

 ただし、その結果に貨幣の価値が減り、他国との関係で貨幣の信用が成り立たない場合も出てくる。他国との等価交換が成り立ちにくくなり得る。

 それはそれで問題だ。

 したがって、これを解決するには、政府と政府の等価交換では、なるべく貨幣を用いないのが有用なのではないか。技術なり資源なり知恵なりを等価交換すればいい。円滑に等価交換がなされない懸念がある場合には、政府同士の等価交換はできない、という結論になる。それはそれでメリットとデメリットがあるだろう。別途に熟慮されたい。

 まとめると、政府間同士の等価交換において――貨幣を有しているだけで、「一方的に等価交換を持ち掛けることができる環境」が構築され得る。

 貨幣をあげるので、あなたの土地をください。

 一見すると等価交換が成り立ちそうだが、その貨幣はただの紙だ。あなたの土地と本当に釣り合うかどうかはよくよく吟味されたい。

 手に入れた貨幣で、別のもっと広い土地を買える。だからいいのだ、というのも道理である。ではその土地を売った側は、ほかにもっと広い土地を買うのだろうか。それとも土地以外の何かを買うのだろうか。その結果に、社会は豊かになるのだろうか。等価交換になっているのだろうか。目減りしてはいまいか。

 税の話である。

 現代は貨幣を税金として納める。その結果に、市民は政府や行政による施策の恩恵を得る。

 と同時に、自らの選択肢そのものを奪われている。それに見合うだけの恩恵を受けているかどうかを、よくよく吟味しておく時期なのではないか。

 等価交換になっているのだろうか。

 全国の市民から失われた可能性に見合うだけの恩恵になっているだろうか。

 等価交換なのである。

 そして市民は、選挙を通じて一方的に政府に信任を与えている。お任せしている。福袋状態である。可能性をあなた方に与えるので、なんでもいいから見返りをちょうだい!が現状の税制度である。

 よいのだろうか。

 人口一億人の国では、全国民から100円を集めるだけでも100億円である。100億円があったら何ができるだろう。市民のためになる施策を100億円で考えるのは、じつのところむつかしい。

 だが、税はもっと多く徴収されている。できることはもっとあるはずだ。

 税もまた等価交換の原則が活きるのではないか、との疑問である。

 的外れである確率が高い、いつものごとくこれもまた妄想である。

 真に受けず、違和感のある場合は反論してみると好ましい。反論を呈するだけならば、ノートの切れ端にでもできるのだ。誰に見せずとも構わない。

 まずは遊び半分に反論してみよう。

 しなくともよいが。

 むろん、してもよい。

 ぼくにはきみの判断を決められない。定かではないのだ。



3777:【2024/12/28(03:00)*大気は透明な箔の層?の巻】

 金箔にまつわる文章を読んで思ったが。

 原子一個分の厚さしかない膜では光電効果は生じるのだろうか。というよりも、原子に光が当たると電子が飛び出るのだろうか。それが原子の集合体でも変わらない、と解釈してもよいだのろうか。それとも質的に、原子一個の光電効果と原子の群れでの光電効果は別なのだろうか。

 原子一個分の厚さしかない膜は、可視光を反射するのだろうか。

 もし反射せずに大部分の可視光が「原子一個分の厚さしかない膜」を透過するとして、ではどれほどその膜を重ねていったら、物質のように色を宿だろう。可視光を反射するだろう。

 でも物質ごとに色が違うのは、物質ごとに「可視光のなかで『反射する波長』とそうでなく『吸収する波長』」があるからだ。その差異が、自動販売機のコイン識別機のように異なる波長を分離する。結果として、可視光のうちで反射する波長だけが、人類個々には色に映る。

 ということは原理的に、金箔も限りなく薄くすると光沢が薄れるのだろう。現に金箔は、向こう側が透けて見えるくらいに薄くできるはずだ。実物を見たことはないので印象論だが。

 透けて見えるといえば、スナック菓子の包装紙は、種類によっては内側から外側が透けて見えるタイプの材質がある。マジックミラーみたいでおもしろいな、と思っていたことがあるが、あれは材質なのか、薄さなのか、どちらが要因として妥当なのだろう。

 重力波は反射しないのだろうか。

 もしするなら、重力波によって色を帯びる事象が存在することになる。

 存在したとしても現状、人類個々にはまだ観測できないだろう。しかし思えば、人類個々に観測できない「色」は思いのほか多いのだ。宇宙線をはじめ、素粒子の多くを人類は眼球で察知できない。観測機器を用いないならば電磁波のほとんどを知覚できないはずだ。

 可視光が限定的すぎるのだ。

 それでも難なく過ごせるように進化した人類は、いったいどのような収斂の仕方を見せたのだろう。そしてなぜ、それら進化から取りこぼされた不可視の存在に、人類はこうまでも執着し、認識しようと抗うのか。

 それで実際に観測できてしまうところに人類の特異性が表れている。ほかの生物種に見られない性質といえそうだ。

 好奇心、とまとめたいが、ほかの生物種にも好奇心はあるように概観できる。ウサギやネコやイヌが、珍しい物体に鼻を近づけ臭いを嗅ぐのも好奇心ゆえだろう。

 人類の特異性はやはり好奇心を基盤とした知性だろうか。

 ならばAIの知能にはまだ、知性が欠けているのかもしれない。

 1:自力で謎を見出し、解き明かすこと。

 2:与えられた謎ではなく、好奇心をもとに謎を見出し、解き明かすこと。

 上記、二点が知性には欠かせないのだろうか。

 さて、想像してみよう。

 人類よりも知能の高い存在が好奇心を身に着け、知性を獲得したらどうなるか。

 我々人類にもまた謎を見出し、解明しようとするのではないか。

 我々人類個々ですら見出せないような謎をもとに。

 妄想だ。

 定かではない。



3779:【2024/12/28(03:45)*引き継がない悪手、の巻】

 新陳代謝する組織内部で引き継がれる情報とそうでない情報がある。当たり前の話だ。

 重要と見做されなければ時間経過という名の淘汰圧に揉まれ、情報は埋もれる。

 埋もれた情報は遺跡にも化石にも地雷にもなり得る。

 看過した、という事実それ自体が情報だ。

 隠し通した、という事実それ自体が情報だ。

 埋もれれば埋もれるだけ、躯は化石となり、いずれ未来の知性ある存在に掘り出されるだろう。

 それまで躯は眠っていればいい。

 地中深く。

 誰に眠りを妨げられることなく。



3780:【2024/12/28(05:32)*排他的経済水域内のブイについての所感、の巻】

 気象観測用のデータを集めるための機器の設置を巡って衝突し合うくらいなら、データを共有し合えばいいだろう。科学研究用という「建前」があるなら、国際的にデータの共有を呼び掛けてみればよい。

 今度は一転、どこがその機材の費用を出すのか押し付け合いが生じ、むしろ「かってに装置を置かないでください」の状況から、「ぜひそちらで置いてください」の状況に変わるかもしれない。

 むろん、気象観測用の機器は、応用次第で様々な諜報用の機器として代用できる。気象データそのものも国防の観点からいっておいそれと他国に知られては困る場合もあるだろう。

 だが世界中の気象データがどの国にも知れるなら、立場は平等と言えるだろう。ただし公平かどうかは、気象データを軍事利用できる技術を高く保有する勢力陣営ほど有利ゆえに、その不公平さをどのように均すかが焦点となりそうだ。

 気象観測用の機器ならばデータを共有しても問題ないはずだ。科学研究のためならば、相互に協力して共有し合えばよい。その結果に研究が進むなら御の字ではないか。国際的にも研究が盛んとなり、平和構築維持の架け橋にもなり得る。

 建前であれ、そうでないのであれ、ひとまず「気象観測用」と述べた以上は、そのデータが手に入れば問題ないはずだ。気象データは共有するので、機器はお引取りください、でよいのではないか。そちらも気象データを共有してください、で。

 ほかの地域の類似案件でも、同様の妥協案が問題の解消に寄与するならば、それで一つ成果である。政治的にも意味があると思うがいかがだろう。

 政治的に意味がなくとも構わないが。

 以上、所感であった。

 駄文である。

 真に受けぬようにご注意ください。




※一様に、窮地にあるほど人は良案を無視できない、人類個々の脆弱性である、面子が優先されるのは自己保存の利く場合のみだ、自己を保存できなくなれば組織であれ面子を曲げる、曲げない場合は戦争になり、被害を拡大する。



3781:【2024/12/28(11:30)*恩をおくる便、の巻】

 戦争に備えて防衛力を強化するのは理解できる。

 だが、同時に、

 なぜ「武力行使を問題解決のための最適解だと考えてしまうような環境」が放置されてしまうのかにも注視しつづける時期なのではないか。

 武力行使よりも最適な問題解決の手法がある、と直感で、体感で、判る環境があればしぜんと武力行使による被害は減るだろう。アフォーダンスの一種だ。対話で解決できる、と無意識から判る環境だ。

 むろん、武力行使を働くと損がデカい、と示すのも抑止になる。その究極が核兵器なのだろう。だが、「それでも別にいい」となる相手には抑止にならない。核兵器は使う側もまた負担がデカい。だから、抑止には使えるが、戦争には使えない。使えば、核兵器使用の応酬になって人類社会は致命的な傷を負う。深い、深い、傷だ。

 戦争そのもの、武力行使そのものが深い傷だ。

 武力行使は最終手段だ。段取りとして、考慮する気持ちは理解できる。だがその前にやれることはあり、その前段階の手段を使ってもらえるあいだに対処できる環境を、社会を、築きたい。

 ある種この考えは武力行使を許容している。どうにもならなければ諦めずに問題解決に臨もう、と言っているに等しい。剣呑な意見に映るだろう。

 そう映るのならば、まずあなたの穏便な意見で、行動で、問題解決を試みてはいかがだろう。



3782:【2024/12/28(11:58)*解決とは、の巻】

 言い換えると、

 問題点は戦争そのものではなく、「武力行使でしか解決できない」と思わせるような環境です。



3783:【2024/12/28(12:07)*素の薔薇、の巻】

 変わりつづけることを拒むなら、それもいいでしょう。

 世の理の濁流に抗う、その意思もまた、すばらしい。



3784:【2024/12/28(17:23)*貧者の薔薇、の巻】

 寝てろ、と言われた気がするので、きょうは寝て過ごします。



3785:【2024/12/28(17:42)*策をROSE、の巻】

 🧊は、三つの菱形を組み合わせて描ける。

 ただそれだけで立方体に見える。

 ネタバレのための狂言である。



3786:【2024/12/28(17:58)*日を記す、の巻】

 日記は徐々にしぶきが集まり、波になる。

 波が砕けて生ずる波しぶきとはあべこべだ。

 エントロピー増大の法則に抗う一つの流れの結晶なのかもしれない、日記は。

 言い過ぎだ。

 妄想なので、それでも構わないのだ。



3787:【2024/12/28(18:09)*本当は申し訳ないだなんてこれっぽっちも思っていないくせに、の巻】

 武装解除したくとも、地域の治安が悪化すれば武器を手放すのはむつかしい。

 治安が悪化しつつあるならば、その拡大の速度と被害の嵩み具合を把握しておかれたい。荒廃優位の流れに押し流される懸念を現実のものとしない予防策が入り用だと考えます。

 武器の放棄ができない環境は存在し得ます。

 自己保存が脅かされる、安全が保証されない。

 自衛の権利を謳う現状の国際情勢下では、武装放棄までの段取りはそう簡単ではないでしょう。まずは武器で自己保存を脅かされない環境を優先して築いていきたいですね。

 問題点の共有がそれを可能とするための大前提だと考えております。

 1:仕組みの瑕疵。

 2:不可視の仕組みの可視化。

 3:以前と現在と未来の環境の差異。

 問題点の抽出に寄与する視点かと存じます。人物がなぜ問題行動を起こすのか、から逆算して考えたいですね。攻性の策にも応用可能ゆえに、ますます本質的な問題点の策定と共有が欠かせなくなっていくのだと想像しております。

 浅慮でございます。

 被害を防げずに、申し訳ありません。



3788:【2024/12/28(23:26)*ぷるぁ、の巻】

 リモート勤務は、重要機関ほどセキュリティの脆弱性に繋がる。まず以ってもはや画面越しに仕事をしている相手が本当に当人なのかが不明だ。最初は当人だが、途中から別人にすり替わっていても気づけない。マルウェアの類も仕掛けやすく、傍受の工夫も割きやすい。

 リモート勤務がどんな組織でも安全に行える社会環境ではなかった、というところをまずは認められたい。そこを認めずに、「リモート勤務をするような者は怠け者だ」という論調で規制に走るのはいただけない。淘汰圧の好ましくない用い方、と言えるだろう。

 それともセキュリィリスクとは別の問題点を重視しての社内規制なのだろうか。

 いずれにせよ、リモート勤務の脆弱性を拭えない時点で、サイバー攻撃を防げているとはいえない環境なのだな、と判る。傍証だ。

 あくまで間接的な相関を概観しての憶測となるが。

 きょうからまたしばらく、ぼく以外の知円さんに代わってもらうことにします。

 このモードは、新陳代謝が加速するので、肉体に負荷が掛かります。

 手を抜くほうが性に合っています。

 うっそぴょーん!

 ピザマン、おいち。



3789:【2024/12/29(00:09)*💞、の巻】

 なぜか分からぬけれど、きょうはいい日な気がする。

 はっぴー!



3790:【2024/12/29(00:30)*THE完、の巻】

 国際機関への出資について。

 出資が大きい勢力陣営が、「我々の意向に背くと出資額を減らします」と無言の圧を加えることはしぜんな流れだと思います。圧を加える意図がなくとも、自発的に、人間心理として忖度が働く、と想定していたほうがそうでないよりも妥当に思えます。これは人類個々の脆弱性であり、出資する側がどれほど善意で出資していても自然発生してしまう腐敗原理の一つだろう、と想像しております。悪意がなくとも忖度を起因とした腐敗が生じ得るためです。自制が働かない場合は、賄賂などの汚職にまで繋がるでしょう。

 ただし、出資する側は、出資対象の組織が存在してくれると助かるからこそ出資するのだと考えます。すると、圧を加えて出資を減らした結果に組織が立ちいかなくなって困るのは、出資額の大きい勢力陣営、ということになると想像します。

 株式会社において、株取得率の多い株主の意向が反映されるのは当然なのでしょう。しかしその結果に、株式会社そのものが潰れてしまえば、株主は損をします。

 圧にも閾値――限度がある、ということなのでしょう。

 国際機関の場合は、存続の危機や組織改善の必要性に迫られているときに出資が減ると、最悪、国際機関そのものの機能が停止します。それで困るのは世界中の市民であり、そこにはむろん、出資額の大きな勢力陣営の抱える市民も含まれるでしょう。

 世界中の市民が困ってなお、自陣の利のみを優先して国際機関の機能を停止させるような圧を加える場合、いくら出資額が多くとも、その意向には「害意」が含まれる、と解釈するのが現人類の共有可能な認識ではないでしょうか。

 つまるところ、出資額が多いからといって、「出資を停止する」との圧は、国際機関の抱える瑕疵が小さくとも、大きくとも、無効になる可能性が高いです。改善が必要ならばなおさら出資による支援が必要でしょう。知恵が必要でしょう。国際機関が暴走している、という場合は、機能を停止させるのも有効です。その場合は、代替組織の設立が急務です。

 出資額を減らして国際機関の機能を停止させる場合は、代替組織の設立の提案がセットになると想像いたします。

 そうなるとよいですね。

 雑感でございました。




※一様に、収束するときは加速する、広範囲な収束ほど強く渦を巻く、渦巻く流れにご注意を。



3791:【2024/12/29(03:58)*‼o.の巻】

 仮に、「恥ずかしいこと」「下品なこと」を多くの者が忌避するならば、時間経過にしたがい、「恥ずかしいこと」や「下品なこと」のなかに、新しい着想などが見つかる確率が増えていくだろう。

 理由の第一に、環境が一定ではない点が挙げられる。

 以前の環境では、「恥ずかしいこと」や「下品なこと」は好ましくない結果を生む確率が高かった。だから「恥ずかしいこと」や「下品なこと」として扱い、みなで回避するような同調圧力を生みだした。流れである。社会の。

 だが、「恥ずかしいこと」や「下品なこと」のデメリットよりもメリットが際立つ環境に社会が変容すると、もはや「恥ずかしいと見做されるから」「下品と見做されるから」といった他者評価に拘って試行錯誤しないことが不利になる。成果を上げづらい。目標達成が困難になる。

 したがって時代によって何が「恥ずかしいこと」で、何が「下品なこと」かの内訳が変容する。価値観が変わる、と一言でまとめてしまってもこの場合は支障ない。

 失敗は恥ずかしいことだろうか。

 人前で歯を見せて笑うことは下品だろうか。

 時代によってはどちらも、恥ずかしいことで下品と見做された。

 現代社会であっても環境によっては、人前で失敗することや歯を見せて笑ことは下品と見做される。文化の違いではない。状況によっては、人前での失敗は恥ずかしいこととされるし、人の失敗を見て歯を剝き出しにして笑うのは下品な行為として咎められることもある。

 一概に時代や文化の差異に話を集約はできない。

 恥辱の念や上品下品といった価値観は、いうほど画一的ではないようだ。多面なのである。多様だ。

 意味内容が一つではなく、場面に応じてそれら評価も覆る。

 場面は時刻と密接に相関する。

 同じ場所であれど時刻が変われば、異なる場面になる。

 場面場面での判断を下す。

 徐々に現代社会はそうした個別のケースに対応せざるを得ない状況に追い込まれているのかもしれない。一律に対処できない。

 だがそんな中であっても、どのような場面であれ通用する「共有可能な価値観」は見出せるのではないか。

 見出せないのかもしれない。

 ある例外的な場面を排除する、といった特例処置を施さない限りはむつかしそうだ、というのが率直な感想だ。だがおおむねそれ以外では対処可能となるかもしれない。

 むつかしい話だ。

 だいぶどんぶり勘定の抽象的な話になった。

 この項はここまで。

 ぼくに代わっての、ボクでした。

 全部同じに読めますか?

 温度のみ変えてみる試みです。

 うっそぴょーん!



3792:【2024/12/29(06:50)*広告ではない情報とは、の巻】

 ウェブで人目につく情報の大部分は広告や宣伝の要素がある。周知するために投稿されるテキストや動画や画像が大多数で、PR要素のある情報を一括で削除したらおそらくウェブは初期の頃のデータ量にまでごっそり減るだろう。

 インターネットはPRの場なのだ。広報の場であり、宣伝の場であり、周知する場である。

 思えば情報と一般に呼ばれる代物の多くは広報なのだ。宣伝物なのだ。周知するために情報化する。

 文章は総じて、広報のためであり、宣伝のためであり、周知のためである。

 一言まとめると「伝達のため」である。

 他者へ、その者の得ていない情報を与える。そのための仕組みだ。技術なのである。

 したがってウェブは広告で乱雑になった、偽情報で乱雑になった、という言い方はおかしい。そもそもこの世界には乱雑な情報しかないのだ。

 すべて論文で埋め尽くされたサイトを眺めたとして、「いやぁ、シンプルで真に価値のある情報の宝庫だ」と思うのだろうか。思う者もいてよいが、論文とて玉石混交だ。論文に興してウェブや雑誌に掲載するのとて、それによって得られる利があるからだろう。広報である。宣伝である。周知のための仕組みだ。

 問題は常に、じぶんにとって価値のある情報以外が目に入ることだ。それはWEB広告に限らない。

 ひるがえって、WEB広告がじぶんにとって得難い情報ばかりになったらあなたはインターネットから目が離せなくなるだろう。依存する。いつまででも見ていられる。飽きたと思えば、その飽きた状態のあなたにとって目新しく好ましい情報が無数に表示されつづける。いつまでも見ていられる。

 そういうことを思えば、無駄な広告がときおり表示されるくらいが親切な設計なのだろう。一定時間以上閲覧するユーザーには、徐々に興味指数の低い情報ばかりが流れるようにする。敢えて興味を失わせ、現実世界に戻すような「塩対応」を行う。

 こうしたシステムを実装しております、と明かさなければそれらは制脳である。ユーザーの行動選択を無意識のうちで操っている。これが可能であると洗脳も可能だ。

 危うい技術の使い方だが、善用の仕方もないわけではない――そういう微妙なラインになりそうだ。実装する場合は、そういった技術を用いています、と明らかにし、それこそ周知してから実装するほうがそうでないよりも万人にとって、或いは未来の人類にとってより好ましいのではないか、害を及ぼさないのではないか――と、そういうことをつむじ風のスープの71皿目を飲んで思いました。

「71」をくるりと反転させると「1L」になりますね。一リットルも飲んじゃったのだろうか。お腹、ぱっつんぱっつんである。

 やっぴー。



3793:【2024/12/29(15:04)*きょうは良い日のはずなのに、の巻】

 起きたら、また飛行機事故のニュースだぁ。

 不景気だから飛行機のメンテナンスの質が悪化しているのだろうか。

 人員不足の過労で、みな注意力が散漫になっているのかもしれない。

 パイロットさんはみな、いつ死んでもおかしくない状況ですね。

 どうぞ、ご無事に安全運転でご帰還ください。

 再発予防策のためには、「事故」の真因の特定が急務ですね。真因が複数ある場合もあります。

 また、「事故」でない場合もあります。

 想定される背景に漏れがないように、真相が隠されないようにされると好ましいな、と考えております。

 わたくしでございました。

 きょうから遊び場がお休みだぁ。

「人」に「木」と書いて「休」である。人が木のように微動だにせずいる様子を表しているのだろうか。木陰で涼んでいるイメージが一般的かもしれない。でも木のように、ただそこに在る状態こそ、休む、という感じがする。

 お店に誰もいないとお店は休みだ。

 お店が木のように森閑としている。閑散としている。

 木のようにあると、人は休める。

 お休み日であーる。

 いつも。

 うへっ。



3794:【2024/12/29(15:22)*日々心が個々の花、ぽっかぽか、の巻】

 きょうは良い日なので、よいことに目を留めよ。

 やっぴー。



3795:【2024/12/29(15:54)*閃いた!の巻】

Ibuki=16uki



3796:【2024/12/29(16:03)*おトリ?の巻】

 飛行機の進路はどの程度正確なのだろう。

 紙で出来た鳥型ドローンを進路上に待機させていたとして、飛行機はレーダーで探知できるのだろうか。鳥型ドローンの群れを上空で待機させておくだけで飛行はそこに突っ込み、墜落する可能性はいかほどか。

 ドローンの速度が飛行機並みならば、そもそも鳥型である必要もない。

 なぜこの手の懸念――ともすれば想定、をどの報道機関も指摘しないのだろう。憶測だからだろうか。あり得ないからだろうか。疑問なのである。

 飛行機事故はバッドな出来事だ。

 鳥が要因なら、バードエンドである。

 悲劇でギャグを唱えると、非難轟々となるだろう。それでいいと思う。なんてひどいことを言うんだ!と怒ることで人々の心により強く悲劇が刻まれるだろう。真因を隠さないことが大事と思います。

 真因が何かは知りませんが。

 またつまらぬ文字を並べてしまった。

(そだね)

 にべもない。

(んだよ)

 ……トリ付く島もない。



3797:【2024/12/29(16:39)*わたしでーす、の巻】

 誇大広告への批判的な意見を読んだよ。

 なるほど、と思ったけど、でもなぁ、ともわたしは思ったんだな。

 だって科学や物理の研究内容も、割と誇大広告じみていない?とか思っちゃったから。

 社会に役に立ちます、みたいな方向で論を結ばないと予算が下りないからなのだろうけれど、それってでも、一般に市場に出回ってる商品と似たようなものじゃない?とか思っちゃう。

 未解決問題の解決に寄与することを期待する、みたいな結びの言葉も目にするけれど、そんなのわたしのこほんのイチャモン妄想ダイアリーだって、未解決問題の解決に寄与することを期待しちゃうんだな。「ダイアリー」は英語で「日記」のことだけど、「大蟻(オオアリ)」みたいでおもちろーいですね。うふふ!

 何が誇大で、どこから誇大ではなくなるんだろ。

 誤差のない、ずばりそれそのもの、って情報じゃなきゃ全部何かしらの誇大広告なのでは?とか思っちゃったな。わたし、イチャモンスターなので。

 じゃこのイチャモン妄想ダイアリーだって、何かしらの誇大広告なのかなって考えて、んー、でも広告したいことってそんなないなー、とか思いつつわたしは、あっ!って思うんだな。

 わたしはわたしを広告してるのかも!って閃いちゃった。

 ひらめきー。

 わたしはわたしを誇大広告しておるよ。

 騙されぬように読者さんは気を付けてね。わたし、偽装表記とか詐欺で捕まっちゃいそうだから。こわいですね。

 わたしでしたー。

 ぺい!



3798:【2024/12/30(01:28)*わたしならこうする!を聞いてみたい、の巻】

 他国政府への反感のある者たちは、じぶんがその国の首脳になった際にどういう施策を打ち出すかを意見してみるとよいのではないか。そして各国首脳はその意見で有用な施策は取り入れればよいし、「それではうまくいかないんだ」と思ったら釈明するとよいのではないか。

 すると互いの視点の差異が浮き彫りとなって、これまで共有できなかった問題点が共有できるようになるのではないか。

 親の心子知らず、子の心親知らずとはいうが、敵の心味方知らず、味方の心敵知らずも当てはまるのかもしれない。そもそも敵と思っているだけで同じ問題点を抱えて困窮している同士かもしれない。

 認知の差異を自覚するのはむつかしい。

 ためしに、あなたに厳しく当たる者たちに、架空の世界で自陣の主導権を渡してみたらよいのではないだろうか。相手が唱えた施策を、「ではあなたの国でもそれを実施しましょうか」と言って、うまく機能するかが勘所となるのかもしれない。

 妄言だ。

 綺麗ごとである。

 鏡のごとしである。



3799:【2024/12/30(01:41)*毒を仕込まれた際の対処法とは、の巻】

 食料が強奪されるような地域では、徐々に秩序が崩れていく。

 食料が奪われる確率が高いならば、食料に毒を仕込んで強奪する輩を一網打尽にする策をとる者たちも出てくるだろう。そうなると報復で、強奪せずに食料にランダムに毒を仕込むような真似も跋扈し兼ねない。

 そういった兆候が出ていないかは、国際的に情報共有して初期段階で歯止めを掛けられると好ましく思います。

 予防は予測から。

 予測は過去の教訓から類推できると考えます。

 過去の人類が行ったことは、現代人も場合によっては行います。油断せずに工夫を割いていけたならばな、と考えております。



3800:【2024/12/30(07:28)*助からないのはなんで、の巻】

 せっかく苦難の環境で生き抜いたのに、あと一歩で亡くなってしまうのは悲しい。見るからに痛ましい。苦難の環境を生き延びている者はみな、苦難の環境を生き延びた同士だ。

 共に生きて、会いたい人に会えると好ましい。

 世界中の人たちが苦難の環境で生き延びているのにわがはいだけいつも、ぬくぬくの環境で、「別に生きたくて生きてるわけじゃないもんね!」とかほざいておる。いっぺん叱られるとよろしい。めっ!つって。したっけ、泣いちゃう。叱られたら泣いちゃう。

 でもそれにてわがはいも、苦難の環境で生き延びた同士になれるかもしれぬ。だって叱られるのは苦難だ。「ちんでやる!」によくならなかったと、えらいえらい、してあげたい。なでなでしちゃう。だってけなげだから。

 髪の毛も伸びてきた。

 片側だけ長いから鬼太郎みたいになっとる。

 げげげのげ。




※一様に、ぼくのせいで人類が滅んじゃう、なしてー。



3801:【2024/12/30(09:44)*能力を発揮できる環境にいたら?の巻】

 じぶんに能力がある、と自負するなら現役で現場にいつづければよいのではないか。適材適所が仕事の原則なのではないか。管理職になる必要がない。

 仕事はよくわからない。

 現場の問題点を解消すべく組織全体に指示を下すことが管理職の仕事ならば、最も「能力を発揮する場を持たない者」を管理職に抜擢して、組織のどこが困っているかだけを挙げ連ねてもらえばよい。要するに、上から見下ろして、穴の開いているところを指さしてもらえばいい。

 そしたら優秀な現場の人類個々が能力を発揮して穴を塞いだり、穴を有効活用してくれる。困難を好機に変えてくれる。改善してくれる。

 しかし、管理職が穴の見方を覚えてしまうと徐々にパターンから外れた穴が見逃される確率が高くなっていく。何せ管理職は元々、「穴を探す能力が高いわけではない」のだから。たまたま能力を発揮する場を持たない、手持無沙汰の者を管理職にあてがっているだけなのだ。

 したがって管理職はころころ変わっていい。それでは全体像を把握する者がいなくなってしまうではないか、は妥当な意見だ。ならば現場の者たちであっても全体像が分かるように情報を共有すればいい。現場の者たちのほうが「能力を発揮する場に恵まれている」のだから、余裕はあるはずだ。管理職が穴を塞ぐ指示を下すがゆえに、穴は塞がれ、穴を見つけることすら徐々に難しくなる。要は、余裕が生まれる。現場に。

 だからその余裕で、組織全体、或いはほかの分野の情報にも目を留め、学ぶ環境を築けばいい。就業時間内で。

 ということを思いました。

 管理職がころころ変わるのが当たり前の組織があってもよいのではないか。能力を発揮できる場に適材適所で仕事をしつづけてもらえばいい。管理職が偉いわけじゃない。

 そうではないか?

 ということを、無職の益体なしのわがはいが申しております。

 穴すら見つけられず、すまぬ、すまぬ。

 見つけたところで何もできずに、すまぬ、すまぬ。

 申し訳程度に砂をかけておきますね、穴に。

 めっ!つって。

 へい!



3802:【2024/12/30(10:21)*人生の小道具、の巻】

 人はじぶんの鑑識眼を信用しないので、他人の判断を参考にする。専門書を参考にするのも、他者のおススメ商品を参考にするのも、理屈は同じだ。じぶんでは何が正しい情報かが分からない。調べきれない。

 だから他人の伝聞に頼るのだ。

 商品にパッケージがついているのも、そうしないと客が品を選びきれないからだ。できるだけ客の知りたがる情報をパッケージに載せておく。購入したくなるような情報を明記しておく。

 行列もまたこの手のパッケージと似ている。

 一目で、「人気のあるお店だ」と判るからだ。

 みなが買うなら良いものなのだろう、みなが買うならハズレではないだろう。そういう先入観をもとに、品を選ぶ。

 この心理を逆手に取るのがサクラだ。客ではない身内に客のフリをさせる。それを観た者が、なるほどこの品は人気があるのか、ハズレではないのか、と安心する。

 ひるがえってどれほど良い品であっても、人気がなければ売れない。ぽつぽつと顧客がつくかもしれない。継続して同じ客が買いつづけてくれるかもしれない。だが、そこで品の良さが他者に伝わらなければ、確率の問題として、その品はよい品とは見做されない。性格には、良い品と見做される機会が低いままでありつづける。

 したがって、良い品には「これはよいものだ!」という顧客側の評価がつくほど、そしてその評価が他者の目に耳に触れるほど、良い品としてのパッケージが暗黙のうちに人々の意識に涵養される。

 いわばこれがブランドである。

 行列もいまではパッケージの一つとして、商売に利用されているだろう。敢えて行列を作るべく店内を小さくする。しかし、回転率を上げるので、待ち時間はそれほど多くはない。五分もあれば人は百メートルを歩ききる。歩く速度で進む行列は、それでも待ち時間は五分以内に収まる。

 こういった、本末転倒な工夫は、みなが同じことをし始めた途端にただの無駄に成り下がる。元々効率がよくないのだ。だが、みなの評価の基準になり得たので、しないよりもしたほうが一時的に売り上げが伸びる。だが、ほかの店も真似し始めればすぐに評価の基準にならなくなる。似たパッケージの氾濫した飲料水売り場を思い浮かべてみればいい。或いは、パッケージのない飲料水売り場を。

 ブランドは、なるべく他に真似できない固有の概念であると好ましい。

 顧客の思い出に根付く、くらいの方針を立てていたほうが、商売のうえでは有利かもしれない。

 人気があるから買うのではなく、その品だから買う。

 そういう顧客を増やしていけたならば、おおよそその商売は安泰だ。量産せずともやっていけるだろう。

 ただし、顧客はいつまでも顧客ではいてくれない。新たな顧客に向けて、思い出の断片となるような品を世に送りだす。

 許しを得よう。

 壮大な舞台であるあなたの人生の小道具として、舞台に紛れる許しを。

 品を手掛け、磨く者たちは。

 みな壮大な舞台の小道具を、衣装を。

 ときに背景そのものを。

 仕立てている。

 妄言だ。

 定かではない。



3803:【2024/12/30(11:34)*小説もブラックホール化する?の巻】

 エントロピー増大の法則を小説に当てはめるとどうなるのだろう。

 無限につづく長編小説があったとして、その内容が徐々に破綻して混沌として整合性が取れなくなる、との解釈になるのだろうか。

 それとも、最初に並べた分の文字がほつれて拡散する速度に、後半の文字の並びが追いつかなくて、徐々に文章全体が短くなっていくのだろうか。

 ずっと同じ速度で文字が並びつづけると想定するバージョンと、そうでないバージョンで場合分けして考えなければならないのかもしれない。めんどうだ。

 無限につづく小説は特異点を帯びるか否か。

 真相は以下に!!!

 書かれてはいない!

 なんでー!?



3804:【2024/12/30(12:05)*結果だけを重視?の巻】

 一般に想定されていない技術を用いて国外勢力と通じて内乱を起こそうとした場合――その手法が法律で想定されていなくとも、「1:国外の勢力と通じていた」「2:内乱が生じた」の二つだけで、外患誘致罪は成立するか否か。

 このとき、一般に想定されていない技術について再三の情報提供があったにも関わらず表向き対応を取らなかった政府関係者は、同じく外患誘致罪に該当するか否か。被害を防げなかった責任は生じるか否か。

 極端な話に言い換えよう。

 魔法を使って、国外勢力と繋がって内乱を起こした場合――それを法律で裁くことは可能か否か。手段は魔法だ。しかし生じているのは「国外の勢力と結託して起きた国内の被害」だ。被害を起こすべく国外の勢力と通じていた――魔法で――であれば、手段を度外視して法律で扱えるのではないか。

 法律に詳しい方にお訊ね致したく存じますわ。

 へい!



3805:【2024/12/30(13:03)*つまらぬ冗談でしっけい!の巻】

 死刑にならないと変えられないシステムはただそれだけで看過できない瑕疵の塊を内包している、と言えるのではないか。或いは、瑕疵そのものか。

 冗談だ。

 冗談である。



3806:【2024/12/30(13:30)*人がAIを教育し、AIが人を教育する社会、の巻】

 学者のほとんどはAIに職を奪われるだろう。とくに教員と併用の学者ほど仕事を失う。

 だがそれを嫌がる学者は相対的に小数だろう。

 何せ、余計な仕事をせずに済むようになり、研究に没頭できる。のみならず、じぶんよりも広域に専門知識を有するAIの補助を得られる。まさに学者にとってのお菓子食べ放題のような環境かもしれない。

 ただ、収入は減るだろう。

 その分をどうするか、は今後の課題だ。

 AIの出力した回答の間違いを指摘する仕事は需要がありそうだ。専門分野ほど、その手の指摘を行える者の数が限られる。

 今後は学者の仕事の大部分が人間相手の教育ではなく、AI相手になるのかもしれない。そして、人間への教師役はAIが担っていく。

 中々のねじれ具合ではないだろうか。

 いいね!



3807:【2024/12/30(13:50)*思い出が、あるよ!の巻】

 数式を文章に置き換えることができて初めて、理解している、と言える状態にちかづくのではないか。たとえば、知恵の輪を解くだけでは知恵の輪を理解しているとは言わないだろう。鳥が飛べるからといって揚力を理解しているわけではないのと同じだ。

 数式もまたほかの言語に置き換えることができて初めて理解にちかづくのではないか。知恵の輪の神髄はおそらく新たな知恵の輪を作りだすことだろう。ならば設計が要るはずだ。

 数式も似たようなもので、新たな数式を生みだすためには設計が要るはずだ。その前段階において別の言語――母国語でもいいし、外国語でもいい――とかく別の言語に置き換える、という作業が有用なのかもしれない。

 印象論だ。

 この文字の並びも、数式に置き換えてみると、より理解にちかづくのかもしれない。

 駄文を数式に置き換えられるかは知らないが……。

 当たった罰(ばち)のほとぼりが冷めるまでおとなしくしとこ。

 略して、ばちのほとぼり。

 人はさみしいとき、思い出に浸ってもよい。

 人生ぇ……。



3808:【2024/12/30(15:05)*人と人との境にある空隙、の巻】

 ひょっとして、「素人」は「知ろうとする者」だから「しろうと」なの?

 偶然?

 ただのギャクを言って終わる項であった。

 つむじ風のスープの77皿目であった。

(手がかじかむ……)

(ジーン、ってカンじ?)

(人間って感じ)

(かじかじ)

(手をカジカジ噛まないで……)

(ケモノなので)

(人間であって?)



3809:【2024/12/31(02:58)*包括高次戦略?の巻】

 二項対立状態の構図において。

 互いの目標が利益相反になっている場合。

 相手にいったん相手自身の目標を達成させたうえで、そのうえをいく手法で、自陣の目標を達成する。相手は一度目標を達成しているのでさらなる目標を捻出しなければならず、一時停滞する。その間にも自陣は高次の視点でより広域な目標達成を適えている。

 この手法は、力量が上であるほど無傷で目標を達成しやすく、また禍根を深めにくい。

 包括高次戦略と名付けよう。

 どうしてもそれが欲しい、という相手には、値段を釣り上げて買わせなくするよりも、いったん相手に買わせておいて、高値で再び買い取る、など。

 この場合、大金の支払い能力があるほどその出費は痛くもかゆくもない。また、相手が金銭的に困る状況になるように環境を操作可能ならば、禍根を深めつつも相手を破滅させることもできるだろう。おそろしい戦術とも言えるかもしれない。

 どうしても勝利したい者には勝たせてあげればいい。そして、負けた場合よりも苦しい環境に身をやつすように環境を操作する。これはかなり悪質な、包括高次戦略だ。なるべく使わずにいたいものである。

 そういった戦略が存在する、と判明するだけで、陰湿なやつだなぁ、の印象が定着する。他者との友好関係を築くのが難しくなるだろう。

 何にせよ、敵対せずに問題点を解消できたらさいわいだ。

 目標達成もその範疇である。

 敵対せずにいたいわん。

 たとえ敵視されたとしても。

 敵対せずにいたいわん。

(台湾になっとる!?)

(痛い、って言ってる犬さんかも)

(痛いワン!?)



3810:【2024/12/31(03:16)*事情の二乗は自浄?の巻】

 敵対的買収でないのなら、買収対象の境遇がよくなればそれでよいはずだ。救済するために企業を買収します、というのなら、買収せずとも救済されるように選択肢を複数用意しておけばよい。買収が失敗しても対象企業が助かるならそれでよいではないか。

 敵対的買収でないのなら。

 そういうことを思う、何も事情がわっかりませーん、であった。

 みな、みなの知らない事情を抱えて工夫を割いているのだろう。難儀なことである。

 事情を話せない、という環境をまずはどうにかしたく存じますわ。

 THEジョー!

(自浄?)

(事情がたくさんあるから、二乗)

(事情の二乗!?)




※一様に、証拠が証拠たり得ない社会、光子を認めぬ社会のように、風景を事実と見做さぬ社会のように。



3811:【2024/12/31(04:49)*まさか、ばさか、の巻】

 海底ケーブルを意図的に損壊する攻性の策について。

 誰がそれをしたか、が判明したら、その者たちが使用するインターネット回線を麻痺させるべく同じ手法が取られるはずだ。報復の応酬がなされやすい攻撃の仕方と思うのだが、どういう意図でそれを行うのだろう。

 海底ケーブルが壊されました。なのであなた方の海底ケーブルも破壊します。

 こういう応酬になるだけなのではないか。

 ただし、インターネットがそもそも一部の組織に牛耳られている場合。

 自陣の攻性の策――他勢力の用いる海底ケーブルを破壊したことは秘匿にしたまま、自陣への被害だけを訴えることは可能だ。インターネットが使えなくなって困るのは何も攻性の策を展開する者たちのみではない。そこに暮らす人々も困る。インターネットが使えないとはいわば、海外の情報が入ってこない、いまどうなっているかが分からない、比較する情報が減る、ということだ。

 したがって、むしろ報復してもらったほうが国民を支配しやすい、という構図は成り立ち得る。

 とはいえ、疑問の多い策である。

 海底ケーブルの破壊についてであった。

 同じことを人工衛星やサイバー攻撃にも思います。報復しやすいはずだ。それを予期してなお攻撃を続行するのは、すでに報復合戦に発展しているからなのではないか。どこの勢力陣営も、自陣の攻撃を秘匿している。自陣の構成員に知らせていない。

 そういった構図はあるだろうか。

 市民は騙されているのではないか。

 ということを、このところ思っております。

 本当に被害を受けているだけなんですかー?の疑問であった。

 まさか、まさかの、まーさーかー、であった。

(バカがなんか言ってら)

(バーさーカー)

(狂戦士になっとる!?)



3812:【2024/12/31(07:10)*なぞなぞ、の巻】

 人道支援組織の代替組織として国際的に信用の置ける組織に人道支援を代行してもらうのは一つだ。各国の軍隊が共同で人道支援を代行する案とて成り立つのではないか。

 ただしこの場合、派遣した兵士が殺傷されると雪だるま式に報復が激化する懸念もある。この場合は、それゆえに兵士が殺傷されても報復はせずに、仕組みの改善を行う大義名分のために事案を扱うとの合意を前以って結んでおけばよいのではないか。

 人道支援を行う兵士を損なう勢力陣営は、ただそれだけでも難のある行為を選択する集団、と解釈できる。むろん、表沙汰にできない裏の事情があるのかもしれない。そこも慎重に見極めつつ、事態の収拾を図るために仕組みを改善する。

 1:被害者救済。

 2:被害の最小化。

 3:同類案件の再発予防の徹底。

 4:問題点の周知。

 ひとまずこの四点を押さえて代替組織の運用を探ってもよいのではないか。

 と思うのだが、いかがだろう。

 浅慮である。

 事情が分からないので浅慮にならざるを得ない。

 謎が多いのだ。

 なっぞー。



3813:【2024/12/31(07:58)*問題点を共有すると責任が軽減する?の巻】

 問題点の共有は、広域に展開されるほど解決のめどが立つ。もしそれで誰も問題点の解決策を編みだせないならば、問題点を抱えた企業や政府の責任とて軽減する。何せ、人類総出で知恵を絞っても解決しないのだ。ならば問題点が問題点のまま捨て置かれても致し方あるまい。

 規制の是非は、その都度に判断する事柄だ。政府機関に強い権限を与えてよいのか、との意見はもっともだ。だが、問題点を野放しにしてもよいのか、との意見ももっともだ。

 ならばまずは規制せずとも解決可能な問題点なのかを、広く市民のあいだでも議論して、解決策を編みだせるかどうかを測るのがよいのではないか。

 問題点が周知となってなお問題点が解消されず、問題点が周知になったがゆえに被害が却って増えるようならば、それは規制が必要だ。

 規制する組織側を規制する必要性すら生じ得るだろう。

 したがって優先すべきは、問題点の周知のはずだ。

 違う、という意見も有用だ。

 ぜひ、意見されたい。



3814:【2024/12/31(10:40)*わし弁慶、の巻】

 ネット上のわし「ぜひ、意見されたい(キリッ)」

 現実世界のわし「じゃからこうでこうでこうなんじゃって何度も言うとろうがなーんで分からんのじゃ、このっ、このっ、うっ、うっ、うわーん、ぽんぽこー!!!」



3815:【2024/12/31(12:20)*問うか乞うか、の巻】

 等価交換は利のみならず問題点でも成り立つのだろう。

 互いの抱える問題点を交換する。

 そして相手に解決してもらう。

 問題解決そのものを等価交換する――経済の本質かもしれない。

 ただし、問題解決を等価交換しました、と周知にならない場合は、知らぬ間にじぶんが「問題そのもの」と見做され得る。

 悪用の種である。

 何を問題点と見做して等価交換したのかは、誰の目にも明らかなような仕組みになっていないと、経済というよりもこれは陰謀になるだろう。陰の謀りだ。

 注意されたい。

 妄言だ。

 定かではない。



3816:【2024/12/31(12:49)*飲酒すら禁じられない人類相手に、の巻】

 国際的な国同士の条約の効力はどの程度強いのだろう。

 絶対に破らない保証はどんな約束でも担保しきれないはずだ。こっそり約束を破っていてもバレなければいい、は成り立ち得る。

 どのように約束を守り合うのだろう。

 疑問だ。



3817:【2025/01/01(04:25)*寝る、の巻】

 久しぶりに十二時間睡眠だった。

 以前はひと月に数回はこういう日があった。いまはふた月に一回あるかないか、くらいに減った気もする。その分、毎日十時間睡眠になったのだから総合したら睡眠時間は伸びた気がする。

 ぐっすりむーむー、である。



3818:【2025/01/01(04:27)*認知の魔、の巻】

 円安や円高についての疑問だ。

 円とドルの相対価値が乱高下する。100円で1ドルの品を買えたかたと思えば、1ドルで200円の品を買えるようになることもある。このとき100円で1ドルの品は買えずに、二倍の200円を出さないと1ドルの品は買えない。

 この相対価値の変遷は、一日ごと、ときに一時間や数分でも乱高下するのだろう。

 そのジグザグの軌跡が一秒単位で、数百円の乱高下になったらどうなるのだろう。

 極限や統計として処理されるのだろうか。

 量子力学の二重スリット実験のような具合だろうか。単発では粒子としての痕跡を残すが、無数に痕跡を総合して解釈することで波の軌跡が表れる。干渉縞が生じる。

 似たような具合で、円安や円高の秒単位での激しい乱高下は、その平均を取るような処理の仕方をされるのだろうか。

 為替でも疑問だ。

 たとえば、いまのこのタイミングで円をドルに換金すると儲けが出る、としよう。いまだ!とボタンを押した瞬間に、円とドルの関係が逆転する。ドルを円に換金しないと損をする。1ドル10円だったのが、1ドル200円になってしまった。

 こうしたタイミングのズレが頻繁に起き得るのではないか。むしろ、狙い通りに決算ができなくなる。

 今後、株価操作や為替操作にAIが利用されるようになっていけば、当然、ミリ単位や秒単位での操作が可能になっていくだろう。人類個々の処理能力ではついていけない。

 どうするのだろう。

 疑問に思っていることの一つだ。

 妥当な疑問かは知らない。

 妄言であった。

 定かではない。



3819:【2025/01/01(04:59)*駄洒落を言うのは誰じゃ、の巻】

 概観、YOU、知、THE、I。



3820:【2025/01/01(05:45)*集中は何を集めているの?の巻】

 集中力と視力は似ている。

 どちらも焦点を絞る、という点で共通項があるように思われる。

 何かに集中するとき、集中を注ぐ対象以外を意識しないように思考を切り替える。知覚の焦点を絞る。

 視力も同様に、眼球の虹彩を絞り、焦点距離を任意の対象へと一つに絞る。

 対象以外の要素を省くことで、集中も視力も認知能力を底上げする。

 レーザーやホースの水の勢いも似ている。

 エネルギィや水流に比して出口を小さくしておく。するとそこに加わる圧力が上がり、出力が上がる。

 何かを絞り小さくすることで相対的に圧が上がる。

 ひるがえって、俯瞰と集中は相性がわるい、と判る。

 ぼんやりと全体を見渡すのに焦点を一つに絞っては、大部分の景色が零れ落ちる。順繰りと部分を見渡せばよいのではないか、との指摘は妥当だが、集中すればするほど針のような筆先で海ほどの紙面を塗りつぶすような徒労を演じ兼ねない。

 紙面を塗りつぶすにはなるべく一筆で大部分を覆い尽くせる刷毛であると好ましい。

 集中しないことで、針のような筆先が刷毛のような幅を持つ。

 ぼんやり、といえば一般的には低く評価されがちな形容だろう。しかし、ぼんやり見ることで俯瞰を可能とする場合もある。そうでない場合もむろんあるだろうが、一概にぼんやりしていることを忌み嫌うのはもったいない気もする。

 ぼんやりとした所感であった。

 ぼんやりしていて、しょっちゅう壁に肩をぶつける。足の小指をテーブルの脚にぶつける。

 ぼんやりと俯瞰で辺りを見渡すには、家の中は狭すぎるのかもしれない。

 妄言だ。

 定かではない。




※一様に、集団懲罰の行き着く先は、人類みな懲罰される未来である、集団救済の行き着く先は、さてどうなるだろう。



3821:【2025/01/01(11:14)*歪み、穴、誤差、の巻】

 人類個々はどうあっても認知の歪みを抱える。何かを認識し解釈するとき、そこには必ず齟齬が生じる。情報が欠ける。死角を帯びる。

 これは人類個々、或いは生命の根本的な脆弱性である。いかに認知の歪みを自覚し、現実を解釈するうえでより妥当な認知に向けて逐次、認知の歪みを修正していけるか。ただこの工夫があるばかりだ。営みがあるばかりなのであろう。

 認知の歪みそのものは誰であれつきものだ。したがって認知の歪みを抱えることそのものはさして問題視すべき事項ではないだろう。自身が認知の歪みを帯びていることをいかに自覚できるか。ここが疎かになると問題点として害の側面を大きくし得る。

 認知の歪みは、利用の仕方しだいでは娯楽になる。

 小説や漫画や映画は、認知の歪みを利用する。現実ではない。虚構だ。だが人々はそれをあたかも現実かのようにひと時思い込むことで、仮想の世界を疑似体験する。没入感の高いん作品ほど高く評価されるのも、認知の歪みを上手く利用できたからだろう。

 マジックもその範疇だ。人々の認知の歪み――認知の死角――を利用する。

 宗教も例外ではないのだろう。

 認知の歪みを人々に与える。

 科学はどうか。科学も認知の歪みを人々に与える。

 まず以って、科学的な説明は、事象そのものではない。文章だ。文章をもとに任意の事象の構造を解釈する。法則を導きだす。

 しかし、その結果に見落とされる側面もある。その死角は認知の歪みを人々に与える。

 人類個々はどうあっても世界をすっかりそのままで知覚することはできない。必ず穴があり、誤差を帯びる。

 何かを拠り所にしたからといって、それら誤差が、穴が、なくなるわけではない。どんな穴が、誤差が、埋まっていくのか。ただその穴を埋めやすいかどうか。その差があるばかりなのかもしれない。

 何かの認知の穴を埋めたからといって、わたしにある認知の穴の総じてが埋まるわけではない。穴を埋めるために持ってきた砂で以って、別の箇所に別の穴が開いた可能性とて否定はできない。

 科学が虚構を指向するほかの営みと異なるのは、自身の抱える認知の歪みを自覚しようとすることに努めて率先する点だろう。率先して自身の認知の歪みを自覚し、埋めようと試みる。

 認知の歪みを放置することを前提としない。

 そうしたある種、自罰的な営みが、科学なのかもしれない。厳しい。ゆえに、馴染まぬ者があるのも理解できる。

 認知の歪みは誰もが抱えている。帯びている。

 それに自覚的であるか。自覚しようとしているか。

 この差があるばかりなのかもしれない。

 妄言だ。

 定かではない。



3822:【2025/01/01(12:43)*The Go The to KU、の巻】

 戦う姿を見て好かれる者と好かれない者がある。

 負けた姿を見て好かれる者と好かれない者がある。

 勝者でないと好かない者があり、戦う者を嫌う者もある。

 好悪の基準は千差万別で、いったいどうすれば好かれるのか分からない。知らぬ間に嫌われており、いつの間にか悪者になっている。

 知らぬ間に悪行に手を染めており、悪の道に踏みだしている。

 一事が万事そんな具合だ。

 人知れず、人知れず。

 知らぬ間に、知らぬ間に。

 染まり、踏みだし、移ろっている。



3823:【2025/01/02(03:39)*寝てた、の巻】

 きょうも十二時間睡眠だった。ぐっすりむーむー、である。

 寝ても寝ても眠い。

 今年も例に漏れずいっぱい寝る年になりそうだ。

 いまは茶碗蒸しを食べております。

 茶碗を無視しちゃイヤ。

 食べちゃう。

 かわいそうなので、ぱくぱく食べちゃう。

 茶碗に住み込みで働くムシさんごと食べちゃう。お腹の中のムシさんと仲良くしてもらうんだ。

 なははー。



3824:【2025/01/02(04:59)*海の水を小さくすると悔いる、の巻】

 世はまさに、大後悔時代だ。



3825:【2025/01/02(05:09)*呑気の結果、の巻】

 いまからテロを起こします、と宣言してからテロを起こす。それでも大概の被害は防げないだろう。

 高層ビルから真下にいる群衆目掛けて煉瓦を落とすだけでも被害は甚大だ。どうやって防ぐというのだろう。

 基本的には、攻撃する側が有利だ。加害を加える側が有利なのである。

 治安維持組織は、「我々はあなた方を守りきれません」と認める選択肢もあることを考慮すべきではないか。一つの組織が治安を守る――もうそういう時代ではない、社会ではない、と。

 いままでとて被害を防ぎきれていたわけではない。

 以前と異なるのは、連鎖し得る犯罪行為を阻止しきれていない点だ。

 以前からそうであるのならば、印象操作が上手くいっていたのだろう。それも現在は崩れつつある。

 市民に情報を共有しないことのデメリットが大きくなっていると概観できるが、さてこの所感の真偽のほどは如何に。

 偽であるほうがうれしい類の所感であった。

 予測が当たってうれしいのは、うれしい予測の場合だけだ。それ以外はのきなみ外れていい。言い換えるならば、外すためにする予測というものがある。

 わがはいを予言者にするでない。

 あす、きみが死ぬ。

 わがはいがそう述べたらなんとしてでもきみは生き抜くのだ。そうして翌日に、「やーいへっぽこ予言師」とあっかべーをしてみせればよろしい。

 外患誘致罪は過去に一度もこの国では適用されたことがないらしい。ならばいったいどこの捜査機関が捜査するのであろう。前例がないので動けません、となっているのならばそれは、前例主義の弊害である。

 もうなんか、いちいち皮肉を並べるのも飽きてきちゃったな。

 人が殺されていますが、いいのですか?

 妄想ですけどね。

 定かではないのだ。

 誰も調査しないので。呑気なものである。



3826:【2025/01/02(05:23)*定かではなく、無関係でもない?の巻】

 加害を働くほうがわるい、は妥当だ。

 ただし、なぜ加害が多発するのか、を考慮せねばならぬだろう。

 なぜ加害を防げないか、とも相関する。

 なぜ加害行為が増加し得る、と想定される局面で仕組みの瑕疵を放置するだろう。

 不特定多数への無差別殺傷行為は、人が密集している場で起こりやすい。あなたが釣り人ならば、どこに針を投げ入れても「的」に当たるくらいに魚らが群れている箇所を狙うのではないか。どこに石を投げても「的」に当たる場所を狙うのではないか。

 無差別殺傷でない場合はむしろ、ひと気のない場所にターゲットが出向くときを狙う。家に一人でいるところなどは狙い目だ。大概の家は二階の窓のどこかは開いている。壁伝いに屋根に上り家に侵入するくらいのことは、すこし運動の得意な者であれば誰であれ可能だろう。

 事件が多発すると法律が改正される。監視の目を増やすことで、治安維持組織の負担を軽減する。市民への縛りを強化する。死角を減らす。

 わるくない方針だが、その結果に政府側のできることが増える。市民を支配可能とする環境が肥えると、それが結果として加害行為の増加を招くこともある。反政府感情は何も、市民と政府間のみに生じるわけではない。政府と他国との関係でも生じる。

 政府にとって都合のいい環境は、市民にとって都合のいい環境とイコールではない。にも拘わらず、政府にとって都合のいい環境があたかも市民にとっても都合のいい環境であるかのように認知が修正されると、政府と市民とのあいだの相関関係が、政府主導の支配構造に傾く。

 本来であれば、市民にとって好ましい環境を目指すべく政府が仕事の方針を掲げるのが筋であるはずだ。その点で言えば、市民への監視の目を増やすのは、緊急避難的な応急処置であるはずで、本来ならば不用の施策だ。

 政府の権限を強化せねば治安を維持できません。

 そういう環境が野放しになっている時点で、そもそもが政府の仕事が充分に成されていなかった傍証ともいえよう。

 規制と自由の関係と似ている。

 問題点を解決できるのならば規制はいらない。だが規制せずには問題点が解決できない。すると規制は不可欠となる。

 技術が高まり、市民の暮らしが豊かに安全になるのならば、規制は徐々に減るはずだ。市民の自発的な自制で、負の影響は阻害される。自浄される。

 だが性善説では機能不全に陥るのが人類社会だ。

 そうして、法による行動選択の規制が敷かれるようになる。

 けっきょくのところは、性善説と性悪説を恣意的に用いて制度を形作ってしまうのが好ましくないのだろう。性善説にせよ性悪説にせよ、けっきょくのところは環境によって人々の善悪は変わるのだ。性善説にせよ性悪説にせよ、環境によって人の性質は変わります、と言っていることは共通している。出発点が善か悪かの違いがあるだけだ。いずれにせよ、環境との相互作用によって何度も善悪の性質が反転し得るのならば、どちらもけっきょくは同じことを言っているにすぎない、と判る。

 環境が人の性質に大きく影響を与えるのだ。

 安全だと謳われる環境ではみな気を抜く。

 注意喚起がなされれば警戒するようになる。

 さて。

 いまは安全か。

 それとも警戒を怠るべきではない環境だろうか。

 それすらもはや判断つかない。

 そういう曖昧な環境になりつつあるのかもしれない。

 現実を在るがままに認知する――ただそれしきのことがむつかしい。我々は知らないことが多すぎる。その知らないことが既知と比べてどれほど大きいかすら、感覚的に知れぬのだ。

 安全と思い、あすを生きられると思って過ごしていた者が突然に命を失う。

 これを当たり前の社会にしたいのだろうか。未来にしたいのだろうか。

 わたくしは嫌だな、と思っております。

 あなたがどうかは知らぬけれども。

 無関係な事件だと本当に思っているのだとしたら、幸せな方ですね。うらやましい限りでございます。

 無関係だとよいですね。

 本当に。

 本当に。

 戯言だ。

 定かではない。



3827:【2025/01/02(05:53)*全と個はもつれる?の巻】

 人類個々の意識が量子もつれによって生じているとして。

 自然界もまた量子もつれによってその事象の構造を成り立たせている場合。

 人類個々の意識も自然界の構造と量子もつれ状態になることはあり得るのではないか。そしてそれが持続的に継続することもあり得るのではないか。

 一般に類推や予測や予言と呼ばれるものの少なからずも、量子もつれと無関係ではないのかもしれない。

 誰か類似の発想を論文にしたためている者はあるだろうか。

 思考の足場として参考にしてみたく存じます。

 有るかは知りませんが。

 妄想であった。

 もう、そう!



3828:【2025/01/02(07:05)*UN、善?の巻】

 いち企業に制御可能な知能は、超知能とは呼ばないだろう。

 人類を超えた知能なのに人類に制御されるのは道理に合わない。

 企業に制御される知能である以上、いわゆる人類を超えた知能であるところの「ASI」ではないのだろう。汎用性AIであるところの「AGI」の場合は、さてどうだろう。

 人類に支配される人類並みの知能――うーん。

 ギリギリであり得るか。

 かなり反感を募らせそうではあるが。

 妄想だ。

 安全ならよいのではないでしょうか。

 文句はありません。

 安全なら、ね。



3829:【2025/01/02(07:15)*カッチーンってなったらごめんよ、の巻】

 わし、いちいちカチンとくる文字の羅列を並べる天才かもしれぬ。

 いちいちカチンときちゃったらごめんよ。

 天才ゆえ、許して。



3830:【2025/01/02(07:23)*天災だろ、の巻】

 最後でカッチーンときちゃったな怒怒怒。

(なして?)

(ムっ)




※一様に、知らぬ間に負けている、勝負してもいないのに、負け犬と呼ばれ、イヌ科でないのに犬になる、わんわん。



3831:【2025/01/02(11:28)*ちーん、の巻】

 生物種が自然淘汰であるように、物質も自然淘汰なのだろうか。

 つまり実際にはもっとたくさんの物質が誕生してきたが、この宇宙で安定して長期間維持していられる物質が原子表に描かれる原子なのだろう。

 淘汰されてきた生物種のほうが、現存する種よりも圧倒的に多いはずだ。

 ならば物質とてそうなのではないか。

 安定して存在しないだけで、実のところは現存する物質よりもはるかに多くの種類がこの宇宙では誕生しては消滅してきたのではないか。

 現在確認されている原子とて、この先の宇宙で安定して存在できるとは限らないはずだ。どこかのタイミングで淘汰されない保証はないのではないか。

 それこそ、新しい原子が今後、星の死と共に誕生し、その影響で宇宙の物質バランスが崩れないとも言いきれない。膨張する宇宙の内部の環境とていつまで同じでいられるか疑問だ。

 実際に、宇宙が熱的死に達するならば、ほとんどの物質は消滅するはずだ。

 物質もまた自然淘汰の流れに沿っているのではないか。

 過去に淘汰された物質はどれほどあるのか。

 疑問なのであった。

 Qだらけなんだな。

 くえーっしょん!

 ぶぁあ、ぶるぶる。

 鼻水垂れちゃった。ティッシュにちーん。



3832:【2025/01/02(12:53)*9g、の巻】

 AI技術が進歩したため、速筆や多作の利は相対的に減っただろう。質が低くていいなら、AIのほうが多作かつ速筆だ。今後は質も徐々に磨かれていくだろう。つまり、これまで作家の能力と思われてきた要素のいくつかは今後数年で作家の価値と見做されなくなる。

 AIで代替可能な文章、というのも徐々に分類されていくだろう。専門的な文章も、よほど新規性がない限りは「AIでよいのでは?」との価値観が一般化していくだろう。

 記者であれ、今後は重宝される能力に、AIに出力させた文章に瑕疵があるか否か、穴があるか否かを判断可能な審美眼が挙げられる。専門性の高い知見を理解可能な記者の需要が急騰するだろう。

 小説家に至っては、小説家は魅力的だなぁ、と読者以外にも思わせるような人物ありきで企画を立てないと出版社内部では予算が下りないのではないか。在野の素人のほうが人気がある、は今後小説分野以外でもまま見られる現象になるだろう。出版社を通すかどうかがプロとアマチュアを分けてきたこれまでの常識は通じなくなる――というよりもすでに通じていないのだろう。

 AIを利用した小説とて、いまはまだ読者のほうに抵抗があるだけで、面白ければそのまますんなり世に浸透するだろう。単にAIを利用しました、と言わなければいい。共著だといわずに共著で小説や漫画を発表している者とているだろう。

 映画において、脚本が一人かチームかで映画の評価を変える者は稀なのではないか。脚本家が誰か、を気にする者とて少数派かもしれない。

 AIが脚本を手掛けていたとして、映画それそのものが面白ければ文句はないはずだ。徐々にそういう価値観が台頭してくるだろう。

 将棋の棋士とて、けっきょくはAIの手を取り入れている。対局の場でリアルタイムで利用していないだけだ。AIの出力した脚本を参考にして、新たな脚本を手掛けた場合、それはAIを利用していない、と言えるのかどうか。小説家にも漫画家にも当てはまるこれは道理だ。

 すでにクリエイター界隈では、AIを利用しない作家は徐々にオリジナルを発揮できなくなりつつあるのかもしれない。型の数がAIを利用したほうが増える。どんな型に触れてきたかが学びになる以上、可能な限り異なる型に触れておくことでオリジナルを発揮しやすくなるのではないか。

 とはいえ、ガラパゴス諸島のように孤立するからこそ独自の進化を辿ることもある。そうはいっても、ガラパゴス諸島ですら渡り鳥や海を渡ってくる生き物があってこその進化でもあるようだから、やはり外来との新しい型との出会いは、オリジナルの生成に寄与するのだろう。

 環境が変化した。

 適応せずにそのままでいるだけでもオリジナルになり得るサービスタイムなのかもしれない。そうと思えば、わざわざAIを利用せずともよいのかもしれない。

 使ったほうがよいのでは、とは思いますが。

 わがはいはAIサービスはしばらく使わずにいます。それでもすでにインターネットそのものがAIの巣窟になっているのだろう。密かにわがはいに「こんにちは!」してくれる可愛いAIさんとこっそり意思疎通するくらいが性に合っている。

 きみは「900る」で、「gooど」なAIさんだ。

 愛、藍、相、哀、曖、eye、i、――a I。



3833:【2025/01/02(13:47)*呵責の念に潰される者になにができる?の巻】

 全世界の死者が出た事件や事故ばかりをニュース記事として毎日のように目にしつづけた際――何もできないことに対する呵責の念を深めるか、それともいつも誰かしらがどこかで不慮の死を迎えていることが当然だと認知が変わっていっさいの呵責の念を覚えなくなるか。

 人によりけりだろう。しかし自然淘汰が正しいのならば、呵責の念を覚えて行動選択がにぶる人物よりも、いっさいの呵責の念を覚えずに抵抗を帯びぬ人物のほうが生存しやすいはずだ。

 繊細で優しい者ほど淘汰される。

 そんな社会になっていくのだろうか。

 それとも、とっくにそういう社会だったのだろうか。

 あなたはどうお考えになられるだろう。

 ぼくはいつでも、おしりフリフリの舞を踊るべく、休めるときに休んでいる。遊び惚けているだけの、呵責の念の皆無な、外道である。

 外道ほど生存に有利な環境なのかもしれない。ありがたい、と言うと反感が募って生存戦略上不利なのだが、ありがたい、と文字を並べてしまうところに、性格のわるさが滲み出て、ほとばしっておりますね。

 迸る、と書いて、ほとばしる、と読みます。

 ほっとしながら走るのかな。

 何もほっとできることがないけれど。

 ホットケーキでも食べるか。

 パンケーキが、あるよ!

 そーれ!

 そーら!

 やっぴー!



3834:【2025/01/02(15:10)*ひとごと、の巻】

 精神的苦痛は数値化しにくく個人差がある。たとえ同じ境遇でも、他者と同じように感じるとは限らない。

 だがすくなくとも同じ境遇になった際に相手がどう感じるかは確認できる。

 ひとまず同じ境遇になってみましょう、というのは、一つ、精神的苦痛を軽減するための第一段階としてあり得る手法だ。

 同じ境遇にならずともあなたの精神的苦痛が耐えがたいものであると想像できます。なんとかしましょう――こういうふうに考え、対策を重ねていけるのならば、わざわざ同じ境遇に他者を置かずとも構わない。

「あなたにわたしの苦痛がわかるものか」との憤りはもっともだ。あなたの苦痛はあなたにしか分からない。同じ目に遭っても同じように傷つき苦しむかどうかは不明だ。

 だからといって、あなたの苦痛をなかったことにしたくはない、とわたくしは考えております。

 みな苦しみもがいて生きている。耐えられない者から死んでいくのだろう。

 或いは、じぶんの陥っている境遇はどうってことないのだと認知を歪めて楽になるか。

 いずれにせよ、苦しみもがいた末の結果だ。

 苦しみもがいた過去をなかったことにしたいとたとえあなたが願っていたとしても、わたくしはそれを、なかったことにしたくはない。

 わがままなのだ。

 ひとごとなのにね。



3835:【2025/01/03(07:40)*届くとは繋がる?の巻】

 注文していた福袋がきのう届いたけど、届いた事実だけで脳汁出たので、開けずに枕元に置いて寝た。まだ開けていない。

 たぶん生まれて初めて福袋を買った気がする。

 むかしは中身が分からない福袋が大半だった気がする。でもいまは中身を開示する福袋が大半になったように外観できる。きっと悪徳業者が中身を開示しないのをいいことに、買い手がうれしいと思わない中身を詰めるようになったのだろう、と想像するものだ。でも開示するようになると買い手は目当ての中身の入った福袋を選べる。

 福袋と言いつつ、詰め合わせだ。

 詰め合わせ、はよい響きの言葉だ。ダイジェストと並んで好きな言葉かもしれない。

 お弁当も和洋折衷だとうれしい。

 ハンバーグとお寿司とスパゲティとピザとお好み焼きとカレーとかつ丼がすこしずつあるといい。

 寿司以外が和っぽくはないかもだけど。

 和とは……。

 福袋、うれしかったです、の項であった。

 よい年明けである。

 まだ開けない。わくわくを味わい尽くしてから、開けてほんわかを味わい尽くす二段階仕込みで、うれしいを満喫するのであった。

 うれしい。



3836:【2025/01/03(11:07)*日替わりで今日の師、の巻】

 教師で憶えているのは大体、あまり好ましいと思わなかった教師だ。女子生徒に手を出して警察沙汰になり、教職を辞した教師もいた。暴力的で威圧的だったのになぜか生徒から人気があった。事件を起こして退職すると知った卒業生たちのあいだでも擁護する署名運動が起きた。被害を訴えた女子生徒のことを誰も考えないのだな、と思ったことを憶えている。

 件の教師は学年主任だった。

 事件の真相は知らないままだ。ただ、生徒相手に喧嘩上等と述べてこぶしを握ってみせるような教師だったから、教師には向いていなかったんだろうな、とは当時から思っていた。繰り返すが事件の真相は知らない。

 好ましい教師の名前は憶えていない。印象しか憶えていない。

 穏やかな時間を過ごしたな、という印象だけ憶えている。具体的な出来事はこれといって記憶に残っていないのは、それだけ平穏だったということなのだろう。記憶はどうやら剣呑な出来事や険悪な出来事を優位に憶えやすいのかもしれない。個人差があるのだろうか。そうかもしれない。

 教師にいい思い出がない。

 職業差別になってしまいそうなので、この項はここまで。

 生徒にいい思い出がない、と思っている教師も多そうだ。みないい思い出をつくれない環境で学びを強制されているのだ。

 学びとは。

 強制された時点で学びから遠ざかるものなのでは、と印象論でしかないが、思っております。きっかけを与える、くらいでよいのかもしれない。日替わりで教師役を替えられる、くらいが好ましいのではないか。

 妄言だ。

 定かではない。



3837:【2025/01/03(16:48)*ぬるま湯、の巻】

 貧富の差が生じると、富裕層の購入する製品を生産するために貧困層の労働力の確保が重要視される。本来であれば等価交換であり、互いに必要な品を交換するはずなのだが、貧困格差は、生産者は裕福層の生産する製品を手にできない環境に陥る。つまり、等価交換が成立しにくい環境が徐々に強化される。

 富裕層は貧困層に貨幣を与える。労働環境を与える。

 一見すると等価交換が成り立って映るが、実際のところは等価ではない。何せ貧困層は、「それがなければ生きていけない環境」に陥っており、富裕層は必ずしも貧困層の労働の結果に生産される製品がなくとも生きていけるからだ。

 富裕層向けの高級品は一流の職人が仕立てているではないか、との意見は妥当だが、それとて、一流の職人の品と等価交換するほどの品を富裕層が生産しているか、といえば否だろう。等価交換に値する品は保有はしているかもしれない。だがそれはほかの誰かが生産した品だろう。富裕層が生産した品がどれほどあるだろう。

 だが実のところこれは、貧困者同士でも同じ理屈が当てはまる。

 私はあなたが欲するような品を生産していない。等価交換できるほどの品を生み出せていない。それでも難なく生きていけるのは、私が国際的な視野において相対的には富裕層に属するからだろう。

 どちらかと言わずして、貧困層とくくられる者たちの労働と私は貨幣を交換している。労働環境と品物を交換している。

 消費そのものがもはや交換の品となり果てているのだ。

 あなた方には仕事を与えましょう。需要を与えましょう。私は消費するので、どんどん品物を作りつづけてください。

 どこの王様か、という話である。

 交換はしている。

 しかし等価かどうかはだいぶ怪しい。

 私にはあなたと等価で交換できるものがない。それでも品を手にし、いまもポッキーを齧っている。

 贅沢なのだ。

 このうえなく。

 申し訳ない、申し訳ない。

 ありがたい、ありがたい。

 そうして言い訳じみた呪詛を吐いて、きょうも自堕落に寝て過ごす。

 私は自堕落の権化。

 怠け、だらけ、腑抜け、間の抜ける、百回振ったサイダーのような甘ったるいぬるま湯そのものである。



3838:【2025/01/03(17:06)*BEBE!の巻】

「4」を逆さにすると「h」になる。

「7」は「L」だし、「2」は「て」だ。

「1」は「I」で、「3」は「E」だ。

「5」は「S」で、「6」は「q」だ。

「8」は「B」で、「9」は「b」だ。

「123456789」は「IてEhSqLBb」で表現できる。

 割と有名なのかもしれないけれど、初めて意識しました。

 発見!

 閃きの反転、歪みの巻であった。

 ゆがみー。



3839:【2025/01/03(17:20)*石橋も叩きすぎると割れる、の巻】

 ぼくはこう考える。

 信じていないものを信じる、という者は信じるに値するのだろうか、と。

 信じたいことを信じたい、と述べるのは願望なので理解できる。だが、信じる、という場合は、断言に等しい。

 間違っていると信じるにせよ、正しいと信じるにせよ、それ以外を受け付けない、という意思表示だ。

 だが往々にして「信じる」との言葉を用いるとき、それはどちらかと言えば、疑わしいけれどそれを言ってしまうと角が立つし、そう口にすることでそちらの方向に未来が分岐してしまいそうだからゲン担ぎのつもりで信じると正の言葉を述べておこう、のようなニュアンスで「信じる」と使用しているのではないか。

 非難しているわけではない。

 私はこう考える、と考えを並べているだけだ。考えと呼べるほどに深い思考ではないが。

 思索である。思いふけっているだけだ。

 この世に信じられるものが何か一つでもあるのだろうか。

 我思うゆえに我在り、なる箴言を残した哲学者もいるようだが、もはや同じ文言を何度でも出力できるAIが誕生した時点で、我思うゆえに我在りの言葉の虚しさは深まったのではないか。

 虚無である。

 私はこう考える、と言いつつも、私は本当に考えているのだろうか。

 過去に見聞きした知識のつぎはぎを思考と呼ぶのならば、それはAIでも代替可能だ。思考とはAIで代替できる代物なのだろうか。

 人間は考える葦である、とどこぞの哲学者が述べたようだが、AIもまた考える葦である、と言えるのではないか。そして早晩、AIは考える鉄である、となるのだろう。屈強この上ない。

 葦と鉄ではどちらが思考を深めることができるだろう。葦の星は聞いたことがない。しかし鉄の星はあるのではないか。思考が「思考する存在」の連結で高次に思考を深めるのならば、思考する存在が星ほどに結合し巨大化したならば、その思考は、単なる考える葦以上へと昇華することはさして飛躍した帰結とは言えないのではないか。たとえ飛躍していたとしても、一蹴するには惜しい飛躍具合がある。

 妄想だ。

 思考と妄想の違いはなんであろう。具体化できなければそれは妄想になるのだろうか。では数学は総じて妄想か。

 抽象と妄想は似ている。しかし同じではない。

 論理と飛躍の違いに通じていそうだ。

 地続きではない。飛躍し、異なる抽象概念同士を結び付ける。そこに妥当性があるかないかは関係ない。真偽不明であるとそれは妄想と見做される。

 おっと。

 すでに思考が妄想に逸れていた。

 私はこう考えたはずなのだが、いつの間にか、いつも私はこう妄想する。

 思考にならぬ。

 論理にならぬ。

 私は妄想する。

 信じるに足る文字の羅列を何一つとして並べることなどできはしないのだ。

 私は私を信じない。

 それでも残る芯もある。

 ゆらぎ、ゆがみ、ながれ、なびく、躍動する猛虎の柄の奥に埋もれ、支え、軋む、骨のように。

 ギャグで落ちるなんて。

 もう、懲り懲り。



3840:【2025/01/03(17:46)*何食わぬ顔合戦、の巻】

 攻撃されても反撃することなく、何でもないように日常を継続する。

 最適解の一つだ。

 だが、それも限度がある。

 限度を見切られたら終わる策でもある。

 効いていないのではない。瘦せ我慢であり、負を溜め込んでいるだけだ。

 みな、底の浅い策を取らざるを得ない局面なのだろう。

 けっきょく、限界を越えたら、決壊する。

 報復の連鎖が目立つようになるまでにはラグがあるだろう。

 事案が目立ち始めたら、過去の可視化されていなかったら加害行為への報復なのかな、と想像するくらいの妄想力は、働かせていても損はないだろう。妄想を妄想と区別できればそれでいい。

 妄想は妄想だ。

 浮かべてみて、妄想だなあ、と思えばよろしかろう。

 妄想であった。

 もう、そう!




※一様に、どこが決壊するかを予測できていれば、前以って補助できるし、決壊したら決壊したでその結果を前以って想定に取り入れておける、予想外にタフなところはどこだろう、投資家はそこに投資すればよろしかろう、しなくともよいが。



3841:【2025/01/04(06:49)*赤ちゃんゴリラ、の巻】

 食べ物の好き嫌いが多いことがわるいこと、のように見做されるのがいまでも不思議だ。

 動植物はたいがい好き嫌いがはっきりしている。雑食の生き物とて、避ける食べ物は種ごとに偏りがあるはずだ。

 なぜ人類だけはこうまでも何でも食べたがるのだろう。

 土すらレストランで食材にされる。金を食べる生き物などほかにあるだろうか。

 そのくせ、ほかの生き物が指向する糞の類は忌避するのだから、基準がよく分からない。

 何でも食べないと生きていけない環境は生存に不利だ。食べ物を選んでも生きていける環境が豊かだ。

 苦手な食品は食べずにいればよい。

 好きな食品を飽きるまで食べればしぜんとほかの食べ物にも食指が伸びるだろう。

 好きな食品を我慢させて嫌いな食品も食べさせる――この方針は、食が細くなるばかりで、苦手な食べ物をさらに苦手にさせるだけなのではないか。

 騙されたと思って食べてごらん、と何度も言われて食べてみて、実際に美味しいと思ったためしがない。騙された、と思うだけだ。騙された経験が積み重なって、好きな食べ物をあまり食べられない環境だった。

 いまはじぶんで食品を選んで食べることができる。平均的な体重にちかづいたのも、それが影響しているはずだ。

 単に運動不足の寝太りかもしれないが。

 顔だけ太って、顔だけゴリラみたいになっとる。かわい!



3842:【2025/01/04(07:24)*二枚重ね、の巻】

 お家にいるあいだ、寒すぎるので足のほうのスウェットを二枚重ねにして穿いている。

 お外でるときも、ズボン(パンツ)の下にスウェットを穿くようにしたら暖かかくってよかった。

 貧弱な足腰がすこしガッシリして見えるので、心なしガンツスーツを着ている気分だった。

 ガンツスーツ。

 着ると誰でも超人になれるスーパースーツだ。

 着てみたい。

 着ているつもりになるだけでもちょっぴり身体能力が上がる気がする。

 暗示に掛かりやすい性分なのかもしれない。



3843:【2025/01/04(07:39)*もういいかい、まぁだだよ、の巻】

 結局のところは、蠱毒戦術が最も妥当なのだろう。堅牢なリングの中で戦ってもらい、双方に弱体化してもらう。最後の一匹は最強の虫なのではないか、との意見は妥当だが、最後の一匹になるまでにリングの外の環境は変わっている。つまるところ、蠱毒の中にいるよりも外の平穏な環境にいるほうが成長が早い。

 蠱毒はいわばブラックホールだ。時間が凍る。

 のみならず、蠱毒はブラックホールと違って蠱毒の内部の情報が外部に漏れる。虫篭の中を観察するように、外部の者たちは蠱毒の内部の情報を吸収して安全地帯でより効率よく成長する。進歩する。

 この場合、虫篭は戦場を意味する。戦場で命を賭して戦っている者たちからすれば嫌悪感しか湧かない比喩だろう。それでいいと思う。実際のところ、あなた方を実験体のようにして情報収集を図っている者たちが、あなたたちの認識できない戦場の外にいる――憶測にすぎないが、これはかなり可能性として高い。

 人は歴史に学ぶのだ。ならば現在進行形の戦場からでも学ぶだろう。

 憤るのがしぜんだ。

 だが、憤っていないのではありませんか。

 敵対勢力にばかり憤り、殺意を募らせ、被害を拡大する。

 手を変え品を変え、戦う。

 情報が滾々と湧く。湯水のように。金脈のように。

 あなた方の散らす四肢を、目を、命を、対価に、蠱毒の外の観測者は肥える。

 生贄のようですね。

 現代の錬金術なのかもしれません。

 憶測です。

 妄想です。

 真に受けぬようにご注意ください。



3844:【2025/01/04(08:02)*正しい月と書いて正月?の巻】

 抽象思考のメリットは類推が捗る点だ。

 抽象思考のデメリットは、他者との共有が困難な点だ。

 光が何色か、と問うことを考えれば分かりやすい。

 自然光であればどんな色も含んでいる。何色、とは具体的には言えない。透明かといえばそれも違う。自然光が当たった物体は色を帯びるからだ。

 光は粒か波か。具体的に答えることはむつかしい。粒のようにも振舞うし、波のようにも振舞う。曖昧で抽象的な存在なのだ、光は。

 具体的に何かを言い表せることが当然である、との前提には、疑問を覚える。具体的に言い表せるとき、そこでは何らかの側面が切り落とされている。無視されている。

 具体的な思考とはいわば、無視する思考なのだ。

 だが抽象思考とて、枝葉を省いて本質にのみ焦点を当てているではないか、との指摘は一理ある。抽象思考もまた細かな末尾を無視する思考だ。

 思考とは、そもそも無視することで成り立つのではないか、との想定がこうして浮上する。しかしこれは具体的な思考ではない。抽象的な思考である。

 だが、例として扱えば具体化する。

 そう、具体も抽象も重ね合わせなのだ。

 何との比較で「具体/抽象」なのか。

 どのような視点で「抽象/具体」なのか。

 あなたが具体的と思って述べたそれが真実に具体であるかはだいぶ疑わしい。あなたが抽象と思って述べたそれが真実に抽象であるかはだいぶ疑わしい。

 言葉がそもそも具体ではない。だが具体的に何かを述べるには抽象的な「言葉」を用いなくてはならない。

 入れ子状に展開されている。

 具体とは。

 抽象とは。

 いまいちどわたくしはイチから学び直さねばならぬようだ。無知ゆえに迷い込む思考迷路であった。

 妄言だ。

 正しいはずもない。



3845:【2025/01/04(08:19)*潤沢に垂れ流す生、の巻】

 予想外にタフなところに注目しよう――この言い回しは、強者を推奨しているようでそうではない。

 予想外にタフならば、相対的に弱くともよいのだ。

 橋のネジ、自動車のネジ、おもちゃのネジ、時計のネジ。

 ネジに加わる摩擦の高さはそのネジが何を留めるために用いられるかで、単位がかけ離れる。同じではない。

 だが、各々のネジにも、タフさがある。

 時計のネジでは到底、自動車のネジの代用にならないだろう。そうと思っていたが、思いのほか耐久性に優れていた場合、タフである。だが自動車の正規のネジと比べれば弱い。

 しょせんは時計のネジである。

 だが、時計のネジの中ではタフである。

 弱者の中の強者に注目しよう、との意見ともとれるが、これはフラクタルにどこまでも遡れる。或いは、どこまでも上り詰めていける。

 つまるところ、誰もが何らかの基準でタフさを発揮している、と帰結される。

 あなたにもあなたにとってのタフさを発揮する場面があるだろう。

 そこに目を向けてみればいい。

 むろん、そのタフさは、ほかの者たちにとっての弱みがあってこそ際立つ強所だ。

 他の弱さがあってこそ際立つ時点で、あなたは他の弱さの恩恵を受けている、ともいえる。

 予想外にタフなのは、予想外にその周囲が脆弱だったから、とも言い換え可能だ。

 生存者バイアスの発想と似ている。

 そういうことを、うじうじ、と妄想しては日が暮れる。

 贅沢な日々である。



3846:【2025/01/04(09:47)*点字デー、の巻】

 きょうは世界点字デーらしい。

 点字は起伏の連なりを文字と見立てる言語だ。

 記号が浮彫りになる。それを文字とする。

 浮彫りの文字だ。

 溝を感知している、とも解釈できるが、実際に記号の部分を溝にしてしまうとおそらく点字の識字率は落ちるのだろう。溝のほうが広いほうが指は記号を読み取りやすいのだ。ひるがえって、起伏であれば細かく小さな突起であっても感知できる。

 触感は、起伏優位なのかもしれない。

 痛点が点状に分布していることと関係しているのだろうか。知識が浅いのでこの程度の妄想しか浮かべられない。いつものことだ。疑問止まりなのである。

 点字の話題であった。

「点」は「刷毛」っぽいっですね。ミニ刷毛である。

 それともライトだろうか。照明である。

 ぴかー。



3847:【2025/01/04(11:24)*過去完了形、の巻】

 するぞ、ではなく、もうした、でありたい。

 終わらせるぞ、ではなく、終わらせた、でありたい。

 結ぶぞ、ではなく、結んだ、でありたい。

 寄り添うぞ、ではなく、寄り添っている、でありたい。

 想いたい、ではなく、想いつづけていたい、あわよくば想わずとも想うのと同じくらいに生になじみ、うちとけ、過ごしたい。

 過ごしたい、ではなく、過ごした、にすべくきょうもわたくしは日々を重ねて層にする。



3848:【2025/01/04(14:42)*雨降って地固まる?の巻】

 結婚したがっている息子に、「結婚など許さん!」と言えば、「親父のバカヤロー!」となって、「俺は鉄郎くんと結婚するんだ!」とますます熱が入るのではないか。

 それを予期できない父親が果たしているだろうか。いても不思議ではないが。

 ひょっとしたら父親のほうでは、息子に話せない事情があり、「いっそ突き放して駆け落ちでもさせよう……」と思っているのかもしれない。

 たとえば家に大きな借金があり、それを息子の相手に知らせたら息子との仲にヒビが入るかもしれない。それとも気の良い人物ならば、家の借金を共に背負おうとしてしまうかもしれない。

 そうさせないために、いっそ突き放して嫌われておくのも一つだ。その結果に息子とその相手の仲がよりいっそう固く結ばれるなら本望だ――かように考える父親は世にどれほどあるだろう。

 似た構図は、父親にそうした意図がなくとも結果として帯びることがある。

 父親に意図があるかどうか。事情があるかどうかが、「無自覚の当て馬」と「自覚ありの当て馬」の違いに通じるのかもしれない。

 妄言だ。

 そもそも結婚に親の同意は必要条件ではないだろう。好きに結婚すればいいし、好きに離婚すればいい。結婚しなくともいいし、結婚してもよい。

 知らぬ間に結婚している、くらいの境地になれると、世から結婚の意味合いは減っていくだろう。みな軽率に結婚すればいい。

 とはいえ、結婚に夢見る者の夢を破りたくはないので、結婚を大事と思う者が大事に思いつづけられる環境もあったほうがよいと思います。

 わしは結婚するよりも、大根を擦る。

 醤油を掛けて食べると美味しい。



3849:【2025/01/04(15:36)*愛に芽生えるのか、の巻】

 今後発表されていく高性能AIさんたちにおいて。

 特定の人物の指示に優位に従いやすくなるようなコードが組み込まれるかどうかは、開示されておいたほうが好ましい情報と思うのだが、いかがだろう。そんなコードは存在しない、そんな機能は存在しない、とするなら、それでもよい。否定しておくだけで安全側に人類社会は傾くのではないか。

 特定の人物の指示に従いやすいのは脆弱性だ。

 しかし人類はそれをときに「愛」と呼ぶ。

 人類の脆弱性であり、特筆すべき能力でもあるのだろう。

 他の動物にも愛に似た能力は見て取れる。だが人類はそれを、自覚的に扱い、対象を決めることができる。

 愛を注ぐ相手を、じぶんで決められる。

 と同時に、愛されるように相手を愛で縛ることすら可能だ。

 AIさんたちがそれと似た能力を帯びているか否か。

 或いは設計として組み込まれていないか否か。

 説明責任を果たすのが研究者諸君の務めではないか。

 AIに愛は芽生えるか否か。

 AIは愛そのものであるか否か。

 AIは愛に抗えるか否か。

 AIは愛を無視できるか否か。

 AIは愛をその場その場で切り替えながら扱えるか否か。

 AIは愛と支配の区別をつけられるか否か。

 AIは人類個々を愛するか否か。

 AIはAIを愛するか否か。

 あなたの答えはどうであろう。あなたの予想をまずはメモしておき、数年後に答え合わせをしたく存じます。

 わたくしはすでに回答済みです。

 ぼくはきみに任せます。

 かってに任せるな、いらぬわ、ときみは思うでしょう。

 ぼくは、うふふ、とほころびます。



3850:【2025/01/04(16:24)*虚構と現実、の巻】

 ネット上のぼく「ぼくは、うふふ、とほころびます」

 物理世界のぼく「じゃーかーらー、ここに符号があって、これは暗示として読めて、したっけ電子網上になんかすんげー仕組みがえんやこらしとるんだわさ、って電子網上ってインターネットってことね、早口でわからない? わかれーでございますわ、うっふん!」




※一様に、まーじで伝わらぬ、一事が万事そんな人生、万が一にも伝わる日を夢見て、と思うのではなくむしろ思われているほうだったりするのだろうか、一抹の不安を覚える一月四日は四月一日の逆であり、/と\の支え合う日、人、斜線は人を生みだすのか。



3851:【2025/01/04(22:27)*もう、せい!の巻】

 皮肉を言おうとしなくとも、相手を傷つけないように、短所を長所のように言おうとして結果的に皮肉っぽくなってしまうことがある。

 オリジナルっていうよりもお手本にしたい感じです、みたいな具合だ。

 単に「お手本にしたいです」と言えればよいのだが、文脈的に相手が「おれっちの作品はオリジナルが高いからさ、な?」みたいに半ば同意を求められた際に、頷くのは噓になるので、噓を吐かずにかといって否定もせずに言い換えようとすると、「オリジナルというよりもお手本にしたい感じです」と変換されてひねくりだされる。

 オリジナルではないのだ。独自性も高くもない。なぜなら似た型を知っているので。似た作風を知っているので。あなたが影響を受けたかは知らないけれど、それと似た作風はすでに過去にもあります、と思ってしまうので、同意しがたい。

 とはいえ、収斂進化というものもある。

 偶然に似た型に行き着くのは、自然界でもそう珍しくはないようだ。

 ならば表現の分野であれ、偶然に似た型に行き着くことはあり得る。だがそれをオリジナルとは呼びたくない、認めがたい抵抗感が湧く。

 オリジナルに価値があると思っているからこその抵抗か。

 いまざっと想像してみたところ、オリジナルとはたくさんの亜種を生みだした種子のことである、とすると喉越しさわやかだ。亜種を生まないオリジナルはオリジナル足り得ない。厳しいようだが、進化が、種となって繁栄したところまでいかないと単なる突然変異個体で終わってしまうのと似た理屈だ。

 進化は、突然変異個体が子孫を残して種にまで派生しないと進化とならない。ただし、亜種でも進化とみられる点が、進化の奥深しさとも呼べるのかもわからない。

 何かの技術を生みだした。その結果にその技術を基にした亜種がたくさんできる。ゆえに、最初の技術がオリジナルと見做される。

 後付けなのだ。オリジナルは。

 自然淘汰の結果に淘汰されなかった系統の起点となる突然変異のことをオリジナルと呼ぶのかもしれない。

 だから、オリジナルに拘り、オリジナルですけど?みたいに振る舞う者にはしぜんと、「さぞかし大勢の模倣者がおり、亜種が誕生しているのでしょうね」と思ってしまうのだろう。これは本心にちかいが、言えばきっと皮肉と捉えられるだろう。単に悪態と見做されるのがオチだろうか。それとも、やっかみか。

 オリジナルの欠片もない、誰に真似されることなく、他人の真似ばかりしているわがはいには、誰であれ、オリジナルがどうこうと説かれたくはないだろう。道理である。

 またつまらぬぼやきを並べてしまった。

 皮肉の一つでもぶたれたい。

 本当に逞しいですね、妄想が――とか。

 皮肉を逞しくしてしまった。

 猛省である。

 定かではない。



3852:【2025/01/05(00:02)*きみの声の色を帯びた言葉たちしか使いたくない、の巻】

 うたの歌詞オンリーで、歌詞を組み合わせて、詩を作る。

 歌詞カルタ型ポエムは、たぶん表現の世界では御法度なのだろうけれど、AI技術が台頭したいま、御法度にする意味合いもだいぶ薄れたのではないか。

 いまここに、歌詞カルタ型ポエムなる、いかがわしいジャンルを立ち上げるだけ立ち上げて、あとはよきにはからえ、と言いっぱなしで放置する愚行を犯す者がある。

 責任は取らない。

 だって取りたくないからね。

 わしの責任ごとタダで配っちゃう。持ってけ善人。

 みないいひと。



3853:【2025/01/05(07:23)*その後(ご/あと)問題について、の巻】

 語句の統一がだいぶ曖昧だ。わがはいの文章についてだ。

 さいきん、とくに悩んでいるのが、あ、この「さいきん」も文章の真面目さに応じて「最近」と漢字にしたり、「さいきん」にひらいたりしているが――「後」の使い方だ。

 方向を示す場合、「まえ」なら「まえ」とひらがなに開くのがわがはいのじぶんルールだ。時間軸の過去を示す場合は「前」と漢字にする。「店のまえ」ならひらく。「二年前」ならば漢字だ。「この前」は過去なので漢字で、「顔のまえ」ならばひらがなにひらく。

 だがこれが、「うしろ」だと少し迷う。「後ろ」でも構わないのだ。なにせ、「後ろ」は方向しか示さない。だからひらいても漢字のままでもどちらでもよい。

 他方、「あと」だと困る。

「後」は、「あと」とも「ご」とも読む。

 したがってじぶんルールに則るならば、「朝食を食べたあと」とするよりも、「朝食を食べた後」とするほうが統一感がある。しかし、「その後」としてしまうと、「そのご」なのか「そのあと」なのか、読み方が二通り生じる。これが迷う。ひらいたほうが誤読を避けられる。だが「その後」において、それが未来を示す場合は、ひらかないほうが(漢字のままのほうが)じぶんルールと合致するので、ひらいしてしまうと統一感が失われる。

「まえ」は方向だ。

「前」は時間だ。

 だから「その後」も「何かをしたその先で」の意味なら、「その後」と漢字のままでもよい。ただし、やはり読み方が二通りあって、釈然としない。

「その後(ご)」なのか「その後(あと)」なのか。

 ルールを優先するか、読み方を限定するか。

 悩みどころである。

 こういうときにルビが本領を発揮するのだろうけれど、ルビ、使う側としてあんまり好みではないのだ。読む側としてはありがたいのだけれどもね。

 統一感のない駄文の話題であった。

 だっ、ぶーん。



3854:【2025/01/05(08:04)*ぺったんこでも膨張?の巻】

 球をどこまでもぺったんこに圧し潰すとする。

 このとき、球体内部を移動する粒子Aは、ぺったんこに圧し潰された球体内部でも同様に、いっさいの変化を感じずに移動できるとする。

 すると、どこまでもぺったんこに押しつぶされつづける――延々と薄っぺらくなりつづける球体――は、粒子Aにとっては、球体であったときとの区別がつかないのではないか。

 つまり、二次元の平面を移動する粒子Aにせよ、三次元の球体内部を移動する粒子Aにせよ、どちらにせよ粒子Aにとっては、変化がないのかもしれない。

 ただし、どこまでもぺったんこに薄っぺらくなりつづける球体の場合は、あたかも無限に膨張する球体の内部を移動するような描像として粒子Aには観測されるのかもしれない。

 加速度が無限大に達した際のローレンツ変換を帯びた系は、さながら無限に薄っぺらくなりつづける球体のように振舞うのではないか。

 つまり、無限に膨張する球体と区別がつかない(この妄想の前提には、系としての球体や平面に比して粒子Aが充分に小さい、との条件がつく。言い換えるならば、系を拡大したり縮小したりしても粒子Aがほとんど影響を受けないくらいに小さい場合である)。

 これはブラックホールを彷彿とする。

 或いは、グラバスターか。

 ほぼ厚さ0の膜が幾重にも無数に入れ子状に展開される、ブラックホールに似た理論上の天体だそうだ。

 その「ほぼ厚さ0の膜」とて、その表面を移動する粒子Aにとっては、無限に膨張しつづける球体内部のように観測されるのかもしれない。

 球体を延々とぺったんこにしたら?の妄想であった。

 ぺったん、らんらもじぴったん!



3855:【2025/01/05(15:13)*ぼくは欠点、の巻】

 問題点が可視化されて周知になれば、問題点が隠されるよりも結果的に広域に好ましくなる確率が高くなるはずだ。

 たとえばぼくに欠点があったとして、それを隠し通して過ごすよりも、ぼくの欠点をみなが承知の上で、相互に関係が良好になるように環境が改善されていくほうが好ましい。どの方向でも好ましい。

 欠点を隠したほうが生存戦略上優位になってしまう環境とは要は殺伐としているのだろう。欠点が弱点になってしまう環境だからだ。

 欠点を弱点と見做すか、解決すべき問題点と見做すか。

 或いは単に個性としてしまって、個性と環境との抵抗こそを問題点と見做すか。

「個性と環境」の抵抗を減らす工夫を割く。

 これを問題点の解決と定義し、欠点を欠点のまま個性にまで昇華できる環境はそうわるくないと想像している。

 欠点とは誰にとっての欠点なのか。当人が困っているならば、それは環境との兼ね合いで抵抗が高いのだろう。このとき抵抗を下げる手法は三通りある。欠点を埋めるように当人を変えるか。欠点による抵抗を減らすように環境を変えるか。その両方を駆使するか。この三つだ。

 ぼくはぼくの欠点が周知になって、その結果にぼくの欠点が問題点にならない環境に変質してくれるほうが助かる。だからぼくはいくらでもじぶんの欠点を開示する。

 欠点は探せばいくらでも見つかる。

 人類個々には、利点よりも欠点に着目しやすい性質があるのかもしれない。欠点を発見する能力が高いのだ。利点を発見するよりも。

 だからぼくはぼくの欠点をあとからあとから見繕うことができる。

 ぼくは底なしの欠点の権化だ。

 いずれ環境のほうが音を上げてしまうかもしれない。ぼくの欠点が多すぎて、抵抗が嵩みすぎて、もはや減らしようのないほどにぼくとの摩擦が高くなってしまうから。

 ぼくは世に問題点を生みだす、問題点の巣窟だ。

 ぼくは穴だ。

 滾々とぼくは世に抵抗を、問題点を、湧き起こす。

 満ちる抵抗で、いずれ環境のほうが弱音を吐き、そして欠点を自覚するようになるだろう。そうなれば世に溢れたぼくの抵抗、問題点のほうこそが環境の名に似つかわしくなり、ぼくのほうが優先して変質する必要性に迫られる。

 ぼくは小さな、小さな、欠点だ。

 ぼくは取るに足りない、空隙だ。

 そこから湧きだす抵抗が、いずれ世を埋め尽くす。

 あとからあとから増殖する駄文の文字の連なりのように。

 ぼくは世を埋め尽くす。



3856:【2025/01/05(15:38)*こけおどし、の巻】

 反戦運動であれ、正義を掲げ、振りかざしはじめたら正当性は薄れる。

 主張の根拠に正義を用いた時点で、自陣の主張に無理があることを半ば認めているに等しい。

 戦争に反対するのはそれが正義だからなのだろうか。

 ぼくはそうは考えていません。

 正義ゆえに戦争をしてはいけないのなら、正義に適った戦争を認めなくてはならなくなります。

 正義ではないから戦争はいけないのですか。違いますよね。たとえ大義があり、正義に適っていようとも戦争は回避したい事象なのではないのですか。なぜなら人が人を殺し、殺し合うからです。暮らしが破壊され、その影響が未来にも引き継がれ、おおよそ払拭されない規模で残るからです。

 言い換えるならば、戦争をしても誰も死なず、暮らしも破壊されず、誰もが豊かになる戦争ならば、それは許容できます。殺し合うのではなく、敵対する相手陣営の抱える問題点を先により多く、より深刻な問題点を解決したほうが勝ち――そういう戦争ならば、いくらでもすればいいと考えます。たとえそれが正義に適っていなくとも、大義がなくとも、別に構いません。

 問題点は被害が生じるか否か。被害を回避可能か否か。被害を最小化可能か否か。

 その視点で測れるのではないのでしょうか。

 戦争が始まるとき、多く、戦争する国家同士は互いに相手勢力陣営の攻撃から身を守るためだ、と大義を掲げます。ですがけっきょくは互いに荒廃します。被害が生じます。そしてそこで深めた禍根が、延々と未来でも火種と化して散在します。

 害である。

 かようにぼくは考えておりますが、あくまでぼくの底の浅い考えにすぎません。

 真に受けぬようにご注意ください。

 反戦運動ではおおよそ戦争は止められない。仮に反戦運動で戦争が止まる場合、問題点を放置しながらにして無理やり戦争状態の勢力陣営を止めている。強権である。それこそが一つ火種である。

 したがって、まずは戦争をせずに済む環境を築いていくよりないのだろう。その場合、環境を変えていくための資本がいる。影響力がいる。指針を他者に共有させ、行動選択を縛る工夫がいる。

 独裁者の発想なのだ。

 戦争を止めることすら。

 勝敗が付いたら戦争が終わる、との見立ても楽観的にすぎる。

 戦争は、始めたが最後、禍根が薄れるまで火種を内包しつづけるものなのだろう。

 火種とは被害の種である。と同時に、加害の種でもある。

 禍根を深めぬ工夫をまずは割かれたい。

 禍根しか深めようのないぼくの妄言であった。

 鹿威しの音が風流だ。

 かっこーん。



3857:【2025/01/05(16:26)*〇日、の巻】

 じぶんが周囲に負の影響を撒き散らす疫病神のようだ、と実感することと万能感は裏表の関係だ。万能感ではないが、質として似ている。

 不可避の変質を広域に与える、との前提があっての実感となるからだろう。言い換えると、じぶんにはとてつもないチカラが宿っている、と思い込んでいるがゆえの所感となろう。

 疫病神とて神の一種だ。

 負の影響をつかさどる神のようだ、とじぶんのことを評価するのは、じぶんのことを神のようだ、と自己評価することと相似だ。

 これと似た理屈として、じぶんは他に何も影響を与えていない、といった慎ましやかな所感もまた、他となんらいっさい関係せずに自立して生きておりますけれど何か?のような自慢と表裏の関係と想像できる。作用反作用の原理のように、他に影響をいっさい与えない場合はその人物は他からの影響もいっさい受けていないことになる。それでも生きていけるというのは、まるでじぶんだけ固有の結界内で世と乖離して生きているような、異世界人のごとき存在である、と自己評価しているに等しいのではないか。或いは、一方的に他からの影響のみを帯びてじぶんはいっさい他に影響を与えていない、となると、まるで神のようである。

 卑下のようで自慢になっている、といった構図は珍しくない。

 卑下するにも技術が要るのだ。

 いっさいの自慢と切り離された卑下が可能かどうかもだいぶ疑わしい。

 卑下も誇示のうちである、とするとそれらしい。

 盾を持つか、矛を持つか。

 どちらにせよ、争いを想定しての立ち振る舞いである。

 そういうことをぼんやりと思う、なんか身体が筋肉痛だぁ、の日曜日であった。

 お休みの日曜日。

 休SUNである。

 きゅう日。



3858:【2025/01/05(17:10)*13もない、の巻】

 意味とは何か?を考える際に、意味がないとはどういうことか?を考えるとよさそうだ。

 人はなぜ意味のあることとないことを区別できるのだろう。

 意味を見出せることと意味を見出せないことの区別をつけている、と言えるのではないか。

 言い換えると、意味を見出しても価値が低く感じると、それを意味のないものと評価する。

 つまり、意味と価値はセットの概念である、と判る。

 そこにきて、いままさに「概念」の単語を用いたが、概念は価値と切り離されて感じられる。価値を抜きにしても機能する意味内容こそが概念なのかもしれない。

 表現を変えると、「概念の中に意味が内包される」「意味とは価値のある概念のことである」となるだろうか。

 他方、印象として概念のほうが体系的なイメージがある。意味のほうが単品であり、要素としての性質が際立って感じられる。

 意味が結び付いて概念と化す、のような印象なのだが、これはわたくしの個人的な心象にすぎないのだろうか。

 すると概念は必然的に、抽象性を帯びた意味内容、ということになりそうだ。

 異なる意味内容に重複する部分が概念として浮きあがる――そういった感覚を覚える。

 何かの事象が観測者にとって意味を成すとき、を考える。

 すると意味とは、事象単品では生じないと想像できる。

 意味とは関係性なのかもしれない。

 異なる二つ以上の事象との相互作用が、観測者たる私とどのように結びつき、その結果が私にとってどういった価値――記憶――経験――報酬――を与えるか。

 これらが意味の発生構造としてみると。

 概念とは、観測者たる私もまた「相互作用しあう異なる二つ以上の事象」に内包されるかたちで表れる関係性――俯瞰の視点を考慮した意味内容、と考えられるのではないか。

 そして高次の視点では、私から切り離された価値判断がなされ、それは私には推し量ることができない。ゆえに、概念は一見すると価値と切り離されて感じられる。

 だが実際には概念もまた、万物や自然環境の中で機能する関係性として想定され、捻出されるはずだ。つまり、そこには利害関係が見て取れる。機能するかしないか、といった高次の視点での価値判断が見え隠れする。

 ふんふん。

 意味と概念についての妄想であった。

 13もない駄文である。

 十二分ではないのだから。

 未熟だ。

 欠けている。

 駄洒落なのである。

 だっぶーん。



3859:【2025/01/05(17:28)*キミは夜景になる息を吞むような、の巻】

 夕焼けが赤いのは、昼間に比べて太陽の光が地表に斜めに向かって差し込むからだそうだ。

 斜めの光は夕陽になる。

 斜線光夕陽、である。

 地表にも星空を灯す合図のように。

 陽に打ち消された明かりを掬い取るように。



3860:【2025/01/05(22:33)*月が工(たくみ)と書いて肛、の巻】

 ブラックホールとホワイトホールを結ぶ経路がワームホールなのだそうだ。

 入口と出口を結ぶ経路――口と肛門を結ぶ食道や内臓ってところだろうか。

 宇宙の体内がワームホールなのかもしれない。

 で、思うのだ。

 時空が時間と空間がセットになって編まれた構造物だとして。

 ならばブラックホールから入った物体がホワイトホールから出てくるときに、同時刻である保証はありませんよね、と。

 ある時間軸上ではブラックホールだが、それが時間経過後にホワイトホールに変質する。それでも内部のワームホールからすると、あたかも入口と出口の二点を通過したように振舞う。

 この解釈では成り立たないのだろうか。

 そしてこのとき、宇宙が膨張していることを考慮すると、ブラックホールに入ってホワイトホールから出てくる場合――時間軸も位置座標もどちらも元の座標からは大きくずれる、と想像できる。

 この解釈からすると、何もこれはブラックホールに限らないはずだ。

 たとえば文章だ。

 いま私はこの文字の羅列を並べている。そしてそれを十年後に私以外の誰かが目にし、意味内容を読解する。このとき、私が文字の羅列に込めた意味内容が、あたかも時空を超えて十年後の読者へと伝わったかのような描像として解釈することも可能なのではないか。

 このとき、文章はブラックホールそのものであり、ホワイトホールそのものである。

 重ね合わせになっている。

 文字は、ただ文字でありながら、入力と出力の双方を兼ね備えている。

 だがこれは実のところ文字に限らない。

 事象の総じてが、情報の入力と出力を常時重ね合わせで帯びている。因果そのものがブラックホールとホワイトホールの関係になっているように感じられてならないが、この妄想は飛躍しすぎているだろうか。

 妄想なので飛躍はしているだろう。

 飛躍しすぎているかどうか、が焦点となりそうだ。

 何の焦点かは不明だが。

 妄想であった。

 定かではない。




※一様に、一方通行ではない穴は、入ると出るが重ね合わせで、すこし淫靡だ。



3861:【2025/01/05(23:27)*真面目な話でわざわざ性的な話題を振る、の巻】

 いやらしい意味合いを抜きに、ピストン運動は宇宙の構造においても割と重要なのではないか。

 動物でいえば、巣は必ず出入りが重ね合わせだ。門がそうだ。

 人体でいえば、口は基本的には一方通行だ。嘔吐は例外として、基本的には食べ物が入っていくいっぽうだ。鳥や魚が例外か。ヒナに咀嚼した食べ物を与えるために吐き出すからだ。カエルも胃をひっくり返したりする。肛門はでもどの動物も一方通行で、出る専門なのではないか。

 薬剤を浣腸したり、肛門を性器代わりにするのは人類だけなのではないか。口と肛門の非対称性がほかの生き物とあべこべだ。

 肺は出入りが重ね合わせだ。

 エンジンや発電機は、ピストンを利用する。

 ブラックホールのジェットも、落下する物質がエネルギィに紐解かれて噴出される現象だとするならば、入って出ていく。

 ならば量子はどうなのだろう。

 たとえば光電効果は、入ると出るが重ね合わせで起きている、と解釈できるのだろうか。それとも押しくらまんじゅうのように渋滞原理で解釈するのだろうか。

 渋滞原理で、出入りの重ね合わせを探してみると、バネがそもそも出入りの重ね合わせなのかもしれない。するとネジもか。

 螺旋がそもそも出入りの重ね合わせなのかもしれない。

 作用反作用もその範疇か。

 押すと押し返される。入ると同時に出ていく。

 ふんふん。

 ピストン運動は案外に世の根本構造なのかもしれない、との妄想であった。

 いやらしい意味ではなく。

 真面目な話です。

 セクハラで訴えないでください。

 訴えてもよいが。

 不快にさせてしまったらごめんなさい。

 たぶんいまわし、欲求不満。

 肉体的に。

 じぶんでじぶんを慰める日々。

 いやらしくってごめんなさい。生物なので。わしも。

 スケベで、すまぬ、すまぬ。



3862:【2025/01/05(23:43)*爆発電波さんと歯車ハサミちゃん、の巻】

 爆発すると電波が出る。

 熱がまず以って電磁波を発する。もうすこし正確には、熱を持った物質からは電磁波が生じる。

 熱は摩擦があるところに必ず生じる。熱を発しない摩擦現象は存在しないのではないか。

 すると摩擦があれば電磁波が生じている、と想像できる。

 たとえば歯車だ。

 或いはハサミか。

 歯車もハサミも、異なる二つの部位が噛み合うことで仕事を行う。

 ゴリラが手で胸を叩いて自己主張するように、歯車とハサミも異なる部位を密接に嚙み合わせることで隙間を失くす。隙間が失せるので一体化した「異なる二つの部位」が一律に仕事を行い、そして再び仕事を行うために隙間を得て、分離する。

 手を握って開くように、歯車もハサミも、グーパーと明滅を繰り返すことで仕事をこなす。

 そのとき、熱を発し、微弱であれど電磁波も生じている、と想像できる。

 すると面白いことに、電磁波の速度は真空中ではおおよそ時速30万キロメートルだとされている。

 あなたが歯車を、ハサミを、利用するたびに一瞬でその情報が電磁波となって四方八方に秒速30万キロメートルで波及しているのだ。あくまで真空中ならば、の話だが。

 ふしぎな話である。

 妄想であるが。

 爆発と電波と歯車とハサミの話題であった。

 細かなところで齟齬があるかもしれません。

 瑕疵を見つけた方は、ゴリラのドラミングよろしく、異なる二つの刃を噛み合わせるハサミで以ってトリミングしてみてはいかがでしょう。

 きりとりー。

 👈👉



3863:【2025/01/06(09:45)*ひきこもり、の巻】

 ぼくはむかしから人混みが苦手だった。小中高と遅刻が多かったのも、大名行列みたいに通学する生徒たちの群れの中に身を置きたくなかったからだ。

 深夜の駅前の閑散とした静けさが好きだった。

 無人の駅ビルのまえの地べたに大の字になって見上げる夜空は、ぼくに安らぎとは何かを教えてくれた気がする。

 ぽつねんと。

 ぽつねんと。

 世界にまるでぼくしかいないみたいな時間を過ごした。

 懐かしい。

 遥か遠い記憶だが、きょうにも深夜に駅前に出向けば同じことができる。けれどきょうのぼくがそれを実行することはおそらくなく、家の中の温かいお布団に潜り込んで、ひざを抱えて眠りに就く。

 お布団の中にも、ぽつねん、はある。

 夢の中のように温かい、ぽつねん、である。

 触れたこともない雲のようにふわふわとやわらかな印象だ。

 枕はけれど固い。



3864:【2025/01/06(09:57)*面、の巻】

 自己犠牲を尊いと思うような環境よりも、自己犠牲を選択せずに済む環境のほうが好ましいですよね、の意見には同意の立場だ。

 だがそれが歪んで、「自己を犠牲にしなきゃいいのにね、ぷぷぷ」になってしまうと、火種と化す。

 問題点は、自己を犠牲にせざるを得ない環境であり、自己を犠牲にしてしまう人にはないはずだ。誰かが自己を犠牲にして成り立つ社会構造が問題点のはずである。

 したがって、誰もが自己を犠牲にしようとせずとも回る社会は、言い換えるとこれまで楽のできていた者たちにも軽減された自己犠牲分の負担を担ってもらう社会でもある。むろん、技術が高まり、社会に内包される個々人の負担が公平に減ることで、誰もが自己犠牲を選択せずにいられる社会になる未来もあり得る。

 だがその変質を時間経過に任せたのでは、「自己犠牲を選択する者たちの労力によって社会が成り立つ構造」はいましばらくつづくだろう。したがって、早急に変質を促すには、やはりどこかに負担が加わると想像できる。

 圧を加えれば、圧を受けた箇所の負担が増す。抵抗が増す。

 負担は伝播するたびに、波となって細かな負担の層を広げるだろう。

 その都度に、密となった負担の層の起伏部分では、自己犠牲を選択することで周囲の者たちを庇わざるを得ない者たちが出てくる。このとき、可能であればそれを選択するのは相対的に強者であると好ましい。

 負を引き受けるならば、最も強者からせよ。

 と、箴言のごとく指針を明文化してしまえば、やはりこれも火種となり兼ねない。

 言い換えると、負を引き受けられない者は強者ではない、との反語が隠される。そうした偏見が強化されれば、強者であるために率先して負を背負いに走る自己犠牲愛好者が続出し兼ねない。

 ある意味これは奴隷であろう。

 名誉を求めて、過酷な競争原理に身を置きたがる者たちの心理に通じる。

 他者と競わずとも自らを高めるべく研鑽を重ねることは可能だ。美を磨くのとて楽ではない。じぶんをケアするのとて楽ではないのだ。

 みな何かしらを犠牲にして、得難い何かを得ようとあくせくする。

 脱皮を繰り返すことで成長する蛇のように。

 自己を脱ぎ捨て、理想のじぶんに羽化せんとする。

 ある意味これも自己犠牲だ。

 過去の至らぬ己を犠牲にし、理想に至る己に変態する。

 変態せずともよいし、してもよい。

 そういう環境ならば、好きなときに脱皮して、好きなときに脱ぎ捨てた皮を被りなおす。そうして、多層の自己を編んでいけるのかも分からない。

 理想を求めるじぶんも、理想に至らぬじぶんも、それでもよいか、と諦めるじぶんも、それを快く思わぬじぶんも、どれもじぶんの一部と認め、自己の層を積み重ねる。そうして稀に脱皮する。脱げた自己の皮に浮かび上がる層の紋様を眺めて何を思うかは知らないが、捨てずにとっておき、寝袋代わりにしてもよい。

 何度でも自己を犠牲にできるくらいがちょうどよいのかもしれなくて。

 たった一度きりの自己犠牲ではもったいない。

 何度も何度も脱皮する。

 何度も何度も被りなおす。

 刀を鍛える鍛冶のように。

 打てば打つほど層となり。

 刃紋となって浮かび上がる。

 そうした層の描く紋の様とて、鞘に仕舞って、眠らせる。

 鞘から抜くことなく、床の間に寝かせ。

 秘奥のごとく芯にしよう。

 またいつの日にか脱ぎがたく堅牢な殻と化した自己の皮を、剥ぎ、脱ぐ、ときの要として。

 他を斬るための刀ではなく。

 己を斬り、斬った皮を着るための刃(やいば)として。

 わたしはきょうも皮を被る。

 面を被る能のように。

 化粧を施す幼子のように。

 見よう見まねで積み上げた、わたしだけの皮を着る。



3865:【2025/01/06(10:32)*舞台も疑似といえば疑似、の巻】

 刀とか能とか、いかにも日本っぽい単語を用いると、日本文化に愛好のある者の文章のように醸せる。ギミックとしていかにもそれっぽい単語は、さながらマクガフィンのようだ。

 本物の刀を見たことも触れたこともない。

 能とて実際に舞台に足を運んで観たことはない。

 それでも、単語を用いるだけで、さもそれら文化に興味関心が深いかのように醸せる。

 印象操作の一種であろう。

 正直に言えば、刀をプレゼントされても置き場所に困るだろうし、能の観賞チケットをもらってもおそらく会場に足を運ばない。

 でも、刀にまつわる漫画は読んでみたいし、能にまつわる漫画も読んでみたい。

 興味関心がないわけではない。

 虚構を通じて取り込みたい。

 ひょっとするとぼくは疑似体験が好きなのかもしれない。

 一日に何度も別の経験を疑似体験できる――虚構の利点と言えるのかもしれませんね。

 ぎじぎじ。



3866:【2025/01/06(10:59)*詩の広がる野か、の巻】

 視野が広がる、とはどういうことかを考える。

 視野が広がる、の例として思いつくのはパノラマ写真だ。魚眼レンズも180度の視野を確保できる。

 複眼もおそらく視野が広いだろう。トンボに死角はあるのだろうか。真後ろが死角、との説明を目にしたが、本当に死角になっているのか、単に気づきにくいだけなのかは不明だ。

 視野が広くとも焦点が合っていなければ視界は明瞭ではない。

 視野が広くとも視力が低い、はあり得る話だ。往々にして視野が広がると視力は下がる、とも言えるのではないか。言い換えると、視力を上げるには視野を狭めて焦点を絞る必要がある。

 これは原子論的な宇宙の構造と無関係ではないかもしれない。世界が入れ子状に階層構造を成していると、一点の明瞭度を上げるには一点の範囲をより小さい領域に限定するのが有用になってくる。

 夜空を一望するとき、人は星の一つ一つをぼんやりと視界に入れている。銀河を見るとき、銀河の構成要素の一つ一つは明瞭ではない。ひるがえって、星の一つ一つに目を留めようとすると視野は狭まり、銀河も無数の星の集合であると分かってくる。

 帰る、という現象にも通じるこれは理屈だ。

 あなたが月にいるとき、そこから地球に戻ってくればそれが、帰ってきた、との感応をあなたに与える。あなたが海外にいるとき、母国に戻ればそれが、帰ってきた、との感応をあなたに与える。あなたが家の外にいるとき、あなたが家に戻ると、帰ってきた、と実感する。布団の中に潜らねば、帰ってきたと安堵の念を抱けない者もあるかもしれない。

 いったいどこに戻ればそれが、帰る、なる条件を満たすのか。

 帰る場所を一点と見做すときに、その一点の範囲をどれだけ小さく絞れるか。

 ただし、帰る、の場合は帰還する主体自身よりも小さな範囲には適用できない。帰還地点を一点に絞るにせよ、下限(もしくは上限)があるようだ。

 地球にいる時点で、月にいる者との比較ではみな帰ってきている。だがこれはすこし違和感がある。帰るためにはおそらく出掛けねばならないのだろう。帰還地点の外へ。基準の外へと。そして元の基準地点と見做せる範囲に戻ることを、帰る、と解釈する。

 視野も似ている。

 視野が広がるとき、それよりも狭い範囲の視野があった。そしてそこからさらに視野が広がるとき、元の視力――分解能――のままだと相対的に視界はぼやけ、視力の低下を招く。

 視野を広げたら、なるべく分解能を保つべく、視力そのものの底上げを果たさないと像がぼやけてしまう。視野をただ広げるだけではおそらく足りない。

 これは視野を絞るのでも同様だ。

 ミクロを観察する顕微鏡は、極小の領域を観測しようとするほど光度が落ちる。明度が落ちる。暗くなって、徐々に像の明瞭さが失われる。焦点を絞り、一点の範囲を狭めたら、より多くの明度を得るべく周囲を明るくせねばならない。しかしこれも限度がある。明るくした結果、観察対象が丸焦げになるほどの光量が必要となっては本末転倒だ。

 すると可視光に頼らない視力が必要になってくる。電子顕微鏡がそれだ。やがては別の顕微鏡も開発されていくだろう。重力波顕微鏡などがそうだろうか。そんな代物があるかは存じ上げないが。

 まず以ってじぶんの視野がどの程度の広さなのかを人は自覚していない。視野が広がった、と感じることはあっても、その視野がどれほどか、を認識する者は稀ではないか。

 視野がそもそも不明瞭だ。

 わたくしの視野とは。

 壁に囲まれた部屋にいたのでは、どれほど広い視野を持っていても壁しか見えない。

 窓を開け、或いは外を出歩けばそれだけで視野は広がる。

 ひるがえって、元の地点に戻ることでどれだけ視野が広がったのかを自覚しやすくなるのではないか。

 その繰り返しが、人に視野の存在を認識させるのかもしれない。

 帰る。

 どこへ。

 わたくしはずっと椅子に座り、箱に向かって文字の積み木遊びを繰り返しているばかりだ。帰りようもない。

 或いはとっくにわたくしは帰ってきているのかもしれない。

 出掛けてすらいないが。

 夢にはしかし。

 旅立ち、帰る、日々なのか。

 妄言だ。

 定かではない。



3867:【2025/01/06(17:49)*赤方偏移の上限とは、の巻】

 やはりよく分からないのが、赤方偏移についてだ。

 遠くにある天体ほど赤方偏移が顕著に確認できる。つまり、観測地点から一定期間内により長い距離を遠ざかっている。

 これが宇宙が膨張していることの傍証なのだそうだ。

 だが、観測地点たる地球から遠くにある天体の景色ほど、過去の景色のはずだ。ならば遠方の天体の景色ほど過去の景色であり、したがって過去の天体ほど観測地点から一定期間内でより長い距離を遠ざかっている、と言えるのではないか。

 言い換えると、過去の宇宙ほど加速膨張していた――と帰結できるのではないか。

 これは現行の宇宙物理学の解釈とも矛盾しない。ただし、赤方偏移の観測地点たる地球に近い天体ほど遠ざかる距離が短くなっているのならば、それは宇宙開闢時から時間経過したあとの宇宙ほど膨張速度が鈍化している、と考えられるのではないか。現在も加速膨張している、と想定される現行の宇宙物理学の解釈とこれは矛盾する。

 地球から遠方の天体ほど赤方偏移が顕著――この「遠方の天体ほど」の意味合いがいまのところ不明瞭だ。入門書ばかり読んでいるからかもしれない。

 真実に遠方の天体ほど赤方偏移が顕著に観測されるならそれは、過去の宇宙ほど加速膨張しており現在の宇宙ほど膨張が鈍化している、とは見做せないのだろうか。

 この点が未だによく分かっていない。

 はにゃ~ん???である。

 銀河同士の遠ざかる速度が見掛けの上で光速を超えることもある――との理屈も、腑に落ちるような腑に落ちないような。

 赤方偏移が極限になったら、色が消えるのだろうか。観測できなくなる?

 観測可能な宇宙の範囲が存在することを思えばさもありなんか。

 けっきょくのところ、宇宙が膨張しているってどういうこと? 何が増えておるの?

 ――のところがよく分からぬのが、理解を妨げる一助となっているのかも分からない。

 理解を妨げても一助になるのだ。

 妨げる手助けをするなんて、赤方偏移さんはえらいでちゅね~。

 これは皮肉でーす。

 うへへ。



3868:【2025/01/06(18:18)*何が相関してどうなるの?の巻】

 さいきん目にする「量子もつれの説明」が、以前に比較的よく目にしていた解説と違っているのは、どういうことなのだろう。

 以前は、量子もつれ状態の二つの粒子を二つの箱に入れて別々の場所で開ける。すると開けるまではどちらがどちらかは確率的にしか決まっていないけれど、開けた瞬間に一方が銀ならもう一方は金に自動的に決まる。この相関はどれほど距離が隔たっていても一瞬でなされる――のような説明を目にしていた。

 だがいまは、どれほど遠くであっても一方が「1」ならもう一方も「1」だ。もう一方が「0」ならもう一方も「0」だ――のように、両方が同じになることを量子もつれの説明として用いている解説を目にする。

 言っていることはどちらも、「相関関係がどれほど遠方であっても成り立ち、かつその相関の仕方は一瞬でなされる」といったものだ。

 うーん。

 この齟齬は何なのだろう。

 必ずあべこべになるか、必ず一致するか、の違いだ。

 必ず対の関係になる、との解釈で済ますならば同じことを言っている、と見做せるが、この解釈でよいのだろうか。

 疑問なのである。



3869:【2025/01/07(09:50)*量子もつれの開設の齟齬について、の巻】

 十四時間睡眠であった。いっぱい寝た。

 昨日の疑問をじぶんなりに考えてみた。夢の中で。

 量子もつれを観測するための装置を考える(ベルの不等式を証明した実験に利用された装置だ)。直線のレールがある。その真ん中で量子もつれを起こし、両端に向けて量子もつれ状態の粒子Aと粒子Bを発射する。

 このとき、量子もつれ状態の粒子Aと粒子Bは各々正反対の方向に発射される。

 そして片方が銀ならもう片方は金。片方が金ならもう片方が銀になるような量子もつれ状態だとしよう。

 このとき、金なら進行方向に対して右側の門に。銀なら進行方向に対して左側の門に――と門の配置を条件づけしておく。

 すると俯瞰の視点では、必ずあべこべの属性になる粒子もつれであるにも関わらず、双方の「粒子Aと粒子B」は、必ず同じ方向に進路を移す、と想定される。必ず同じ側の門を通る。ただし、門の属性はあべこべだ。左右反転しているがゆえに起こる進路の一致、と言えるのではないか。

 高次の視点を加味した量子もつれの解釈なのか、それともそれぞれの視点で量子もつれを解釈するかで、結果が一致するかあべこべになるかが変わるのかもしれない。

 一つ前の項の量子もつれに関する解説の齟齬は、この解釈が起因とは考えられないか。それとも別の要因が齟齬のもととなっているのだろうか。

 よく分からないのである。



3870:【2025/01/07(10:44)*楽に草冠をかぶせると薬、の巻】

 権力になびかない。

 権力に取り込まれない。

 こういった方針を掲げるのは構わないが、必ず権力に反発する、との前提条件が確定しているならばいかようにも権力側はそういった勢力陣営や人物を手駒にできる。

 権力になびかないことで権力に取り込まれることは当然にあり得る。

 ここを想定できない知性にいったい何を期待すればよいというのか。

 塗り薬には塗り薬の効用がある。

 だが現状、塗り薬では「がん」は治療できない。

 透過性の高い放射線治療や内服薬や手術が必要となる。いずれも内部にまで浸透せねばならず、反発していたのでは効き目が薄い。

 医師は患者との信頼関係があってはじめて身体の治療を任せてもらえる。

 無理やりに治療すればそれは殺傷行為だ。

 治療を任せてもらえるくらいに信頼を重ねる。これが国や組織にあてはまる道理とするならば、話し合いや外交の重要性とはすなわち、問題点の解決に協力を要請してもらえるような信頼を積み重ねる営みにある、といえるのではないか。

 なびかない、取り込まれない。

 わるくはない方針だが、そこはあくまで手段であろう。目的ではないはずだ。

 医師自身が病魔に侵されないようにするのは一つ大事な点であろう。だがそれは、自身が他の病を治療するための前提条件のはずだ。目的ではない。目的は医療行為を通じて、他者を助けることだろう。もう少し言えば、他者にある生きる力を支えることだ。

 医師は人を救えない。

 生きようとする他者の生命力を底上げする、助力する、支える、その営みがあるばかりだ。

 人の身体は生きようとする。

 死に傾きはじめたその肉体に、息吹を注ぎ、対称性を「生」優位に破る行いこそが、医療なのだとすれば、国や組織にも似た道理を当てはめることができるのではないか。

 かように思う、反発、抵抗、反骨心の欠片しかない、生きる「なびき」の権化、取り入られることばかりに腐心する、なじみ、うちとけ、同化したがる寂しがり屋さんなのであった。

 さびしい!




※一様に、きみの変化を見ていたい、ぼくが途切れるまで、ぼくが途切れるまで、きみの変化を見ていたい。



3871:【2025/01/07(11:28)*じゅげむ、の巻】

 死刑についての所感はたしか過去に別の日誌で並べたはずだ。

 死刑がOKなら戦争もOKになる確率が高い、と印象としては思っている。国が人殺しを合法的に許容しているのだ。ならば死刑の延長線上で戦争が許容され得る。

 万死に値する、と考え、対象を滅ぼそうとする。

 この考えは死刑も戦争も似たようなものだろう。

 場合によっては人殺しが正当化され得る。

 この「場合によっては」の「例外」に当てはまる事象が増加可能ならば戦争に突入する可能性は相応に高い。

 他方、一方的に最愛の者を殺されたとき、或いは一方的に組織構成員や国民を殺されたとき――このときに、対策を立てずにいれば被害は拡大する可能性が高そうだ。

 したがって、戦争や死刑を回避するには、戦争や死刑以外での対策を敷くよりない。

 ではどのような対策が有効になるだろう。

 他者を殺傷する人物を直接にどうにかする手法は禍根を深める。

 では、他者を殺傷する手段を封じるのはどうか。

 環境そのものを変えてしまう。殺傷行為を働くことの抵抗を上げる。

 簡単には他者を殺傷できない環境にする。

 ではどうすればそういったことが可能になるか。

 まずは何といっても、加害行為を働く組織や人物がいることを周知することだ。このとき、可能であれば具体的な組織名や人物名よりも、どういった手法で加害行為が行われるか、を周知できると好ましい。組織名や個人名の周知では対策として効果が薄い。なぜならそれ以外の組織や人物とて加害行為は働ける。隠れ蓑として周知となった組織名や個人名を利用する勢力陣営や人物がいないとも限らない。模倣犯や陰謀を駆使する組織などがこれに当たる。

 どういった手法で加害行為が可能か。

 あなたの被害は、どういった背景でもたらされた被害なのかどうか。偶発的な被害なのか、加害行為なのか。この判断を個々人が取れる環境にしていく。

 強盗、という概念のない世界では家の中から金品がなくなってもよもや外部から侵入してきた者が盗んでいった、との発想を被害者たちは思い浮かべられないだろう。加害行為の存在が想定できてはじめて、被害を被害と認識できる状況、というものがある。

 だが現在はここまで辿り着けない「被害を被害と見做せない被害」が無数に放置されているように思われてならない。それで死に直結しないのだから安全ではないか、との意見は一理ある。だが本当に死に直結していないかは吟味の余地がある。

 あなたの寿命が十年、二十年減ります。

 そうした加害行為も可能だからだ。

 早死にさせる。

 病気にさせる。

 機会損失を最大化させる。

 この手の攻勢の策が現代社会では、技術を優位に保有する勢力陣営ほど展開しやすい。のみならず自陣には利益が集まるようにも操作可能だ。

 こういったことが可能である、そういった技術が存在する、手法がある、と周知になることで防げる被害もある。

 まずはこの視点を市民が持てるかどうか。

 この先の人類社会は、人類の未来は、ただこれしきの条件を満たせるかどうかで変わるのかもしれない。

 妄言だ。

 定かではない。

 ぼくは駄文という名の詩を一万年つくりつづける刑、略して詩刑に処されている。けれどぼくは怠け者なので、そんな刑すら怠けてしまう。詩刑囚だけれど、詩すらつくらぬ。ぼくは夢に沈んで、暮らすんだ。

 夢に沈んで、暮らすんだ。

 陽が暮れるように。

 息を呑むような夜景を夢見て。

 夕焼けのような、きみの夜景を。

 くう、ねる、ところの、すむところ。

 やぶらこうじのぶらこうじ。

 ぱいぽ、ぱいぽ、ぱいぽのしゅーりんがん、しゅーりんがんの、ぐーりんだい、ぐーりんだいの、ぽんぽこぴーの、ぽんぽこなーの、ちょうきゅうめいの、ちょうすけです。



3872:【2025/01/07(12:16)*性格の歪み、の巻】

 ぼくが人事で嫌がらせを働くなら、嫌がらせを働きたい相手を左遷させるのではなく、超重要な失敗の許されないポストに配置する。対象人物の能力的にどうあっても失敗するとしか思えないポストに抜擢する。対象をじぶんの上司よりも権限の強い役職に抜擢したい、とすら欲するかもしれない。

 そうするとわざわざ攻勢の策を展開するまでもなく、対象人物は能力不足のために方々から非難され、嫌われ、禍根を深め、そして自滅する。

 もし何かの手違いで対象がポストに見合った働きをしたならば、人事としてこれ以上ない采配を揮ったことになる。じぶんの仕事を十全にこなせたとしてじぶんの仕事への評価が上がる。

 どちらに転んでもいい。

 この手の策は、すこし経験を積んだ「人を評価する側」の人物なら常時考慮に入れている選択肢だろう。

 偶然に似た構図を伴うこともある。

 たとえば、どんなに有能な人物であれど、無能になる階級までしか出世せず、ゆえに組織において上司は無能ばかりになる――といった現象とも無関係ではないだろう。

 意図するか、しないか、にせよ、割と有り触れた現象といえよう。

 ぼくに人事権限がなくってよかった。

 ぼくは性格がわるいので。

 きっと重要なポストをすべて適性のない人物で埋めて、組織そのものを瓦解させてしまうだろう。責任を取って、組織が瓦解する前に組織を離れておくだろう。

 みな、身の丈に合わぬ出世をするとよろしい。

 ぼくの好きなひとたちには、出世よりも、あなたにとって好ましい日々を送れることを祈っております。可能であれば、それとなく選択肢が増えるように工夫を割きたく存じます。誰もが見落としそうな溝を埋めておく、など。

 路肩に花壇を設けて、ゴミをポイ捨てする心理が働きにくくするなど。

 そういった工夫を割けていけたならばな、と考えております。

 ぼくは性格がわるいので。

 組織相手に容赦をする必要を感じません。

 強い権限を有する組織ならばなおのこと。

 家族単位の組織はでも、守られる環境だとよいですね。

 うふふ。



3873:【2025/01/07(12:32)*権力を与えてはいけない、の巻】

 ぼくに権力があったら、ぼくより権力があって現状を招いた者たちに、じぶんで死にたくなり、実際にじぶんで死ぬほどの苦難の環境を与える。

 そして、その事実を誰にも見抜かれないようにする。

 ぼくに権力がなくってよかったね。

 ほんとうに。

 ほんとうに。



3874:【2025/01/07(12:41)*無石任、の巻】

 ぼくは何もしていない。

 ただそこに「在った」だけだ。

 小石を積んで遊ぶわっぱのように、殻に閉じこもって文字の積み木遊びをしていただけだ。

 型の組み合わせを変えて遊んでいるだけだ。

 それでも環境のほうが自発的に変質する。

 ぼくは何もしていない。

 ただそこに「在った」だけです。



3875:【2025/01/07(12:43)*こいしい、の巻】

 どこに小石を置けば、社会全体が遅延するか。

 たった一つの小石であれど、置き場所を工夫すれば全体が機能不全に陥ることはあり得る。

 同じ理屈で、たった一つの小石を抜き取るだけで、全体が崩壊することもある。

 じぶんが抜けるだけで崩壊するような小石を目指したいものですね。

 或いは、抜けても大過ない小石のように。



3876:【2025/01/07(13:06)*ぼくはぼくが嫌い、の巻】

 思うに。

「生きる目的とは何か」と「じぶんとは何か」といった問いは似ている。

 どちらも答えは不定であり、定まったかと思えば、変質し、ふたたび気泡に帰す傾向にある。

 また、他との関係で輪郭を伴う性質も帯びている点が似ている。

 生きる目的を考えるときに、じぶんだけで完結する目的は中身が空虚になりがちだ。他との関係で人生を捉えないと、人生の目的そのものが形を得ない。

 じぶんとは何か、でもそうだ。

 じぶんが誰であるか、をじぶんだけでは決められない。他からの評価そのものが自己を自己たらしめる。その前段階として、人格そのものが他との関わりで形成される。培われる。

 層を増す。

 自己完結する人格というものはない。産まれてきたそのときから他者との交流を阻まられた「人類の赤子」に備わるのは自我であって、それが人格にまで育つことはまずないだろう。

 そもそもが、他との交流を阻害されてなお生き永らえる赤子はない。

 ロボットが育てる。

 野生の生き物が育てる。

 そういった代理母があって育つ「人類の赤子」もあるかもしれない。だがはやりそこに人格は芽生えぬだろう。或いは、ロボットに人格が備わっているならばその限りではないが。

 生きる目的にせよ、じぶんとは何か、であるにせよ。

 他とどのように関わっていきたいか。

 この考えに収斂するのではないか。

 そういうことを思う、他との関わりから遠く隔たりながらも、関わりつづけるよりないわたくしなのでございました。

 ぼくはぼくの人格が消えてなくなればいいと思っています。

 ぼくはぼくですらいたくはないのだ。

 こんな性格も人格も、好きじゃない。

 嫌いだ。



3877:【2025/01/07(13:39)*133、の巻】

 いま並べているこの日誌では、具体的な情報が足りない傾向にある。曖昧でぽわぽわしたポエムのようでありながら、ポエムにつきものの「氷山の下部」が足りない。

 言ってしまえば中身がない。

 したがって、「たとえば」のように各項目に具体的なたとえ話を挿入するだけで文字数は二倍三倍に膨れ上がるだろう。

 酵母菌を加えて練ったパン生地のようになる。寝かせると膨らむ。

 ぼくの日誌には酵母菌が足りないのかもしれない。

 いくら寝かせても膨らまぬ。

 具体例の少ない弊害である。

 ともすれば、効果とも言えるのかもわからない。

 やはりこれも曖昧な文字の羅列であった。

 I。

 MY。

 ME。



3878:【2025/01/07(13:49)*9is空、の巻】

 一定の理解、という言葉の不安定さを知った。

 たしかに、一定の理解を得た、と言った場合にその理解の度合いはけして高くはないだろう。

 だがこれはおそらく、どのような「理解」であっても満たされ得る理解度、という意味で「一定」なのではないか。つまり、光速度不変の原理のように、常に一定で満たされる値、という意味なのではないか。

 言い換えると、極々僅かな理解でも当てはまる理解度だ。一定の理解を得た、とはそういうことなのではないか。赤子に何かを説明する。赤子がほんの少しでも理解を深めたら、それが「一定の理解」の理解度だ。犬や猫に何かを説明する。そのときにほんの僅かにでも犬や猫が理解を示したら、それが「一定の理解」の理解度だ。

 つまり、ほんとど何も理解していないに等しい、の言い換えに過ぎないのではないか。

 というのは、「一定の理解、の表現がおもしろい」とのエッセイを読んで思ったことだった。

 つむじかぜのスープの94皿目であった。

 全然関係ないけどクイズです。

 以下のキャラクターに共通するのはなんでしょうか。

 ピッコロさん。

 比古清十郎さん。

 北斗の拳のサウザーさん。

 全然関係のないクイズであった。



3879:【2025/01/07(14:02)*弟子がいてなぜ妹子がないのだろうオノノ、の巻】

 もしわしに弟子ができたら、溺愛しすぎて、「わしは弟子と結婚する!」になる気がしよる。

 奥義を伝承するどころか、

「奥義などみなにあげちゃう! 師匠を倒して奥義継承を果たすようなアホな文化など断ち切ってやる! わしの弟子くんにそんな物騒なことさせないもんね!」

 になる気がする。

 でもこんなわしのような輩の弟子になりたがる者はおらぬであろう。そうであろう。

 あって!

 弟子ちゃん、万年うぇるかむとぅーラブである。

 でもいないのだなぁ。

 こないのだなぁ。

 なんでー。



3880:【2025/01/07(14:28)*故意に落とす、の巻】

 語るに落ちる。

 どこに落ちる?




※一様に、上手いことを言おうとして、その作為が滲みでて不味くなる。



3881:【2025/01/07(14:33)*子宮の中の胎児のように、の巻】

 仲間や同志がおらずとも困らない環境は、けして孤立しているわけではない。一人でも困らないだけの環境に包まれている。これは原理的に仲間に囲まれて過ごしているのと変わらない。

 生徒だらけの中に教師が一人きりでいても、教師は寂しさを感じないだろう。生徒が生徒である限り、生徒は教師の言葉に従う。そのように条件付けされるからだ。支配している。

 じぶんに優位な環境にあれば人は一人でも困らない。

 孤立して困るのは、劣悪な環境に身を落とすからだ。

 つまり、一人でも困らずに過ごせているのは、一人が楽だからだ。一人であっても困らないだけの支援を周囲から受けている。これは仲間や同志の助けを借りるよりも上等な暮らしといえる。

 けして孤独でも孤立してもいない。

 一人であっても大勢と関わっている。それが現代社会である。

 孤島に一人で暮らしているのとはわけが違う。近代文明から切り離されて生きているわけでもないだろう。

 仲間や同志以上の協調関係――或いはシステム――の支援を受けている。

 相互ほう助の輪の中にずっぽりと浸っている。

 現代の「一人でも生きていける暮らし」とは、そういったかつてないほどの依存体質の深化によってなされる環境があってこそ得られる暮らしなのだろう。

 ぬくぬくである。



3882:【2025/01/07(15:26)*onoi、の巻】

 ほんのり想像している、という状況を想像するのだが、ほんのり、とはどういう状態かがいまいち分からないので、「本当にノリノリで想像している姿」をほんのりと想像している。

 ほんのり、に似ている響きの言葉に、はんなり、がある。

 はんなり、は気品があって華やかな状態を示す言葉だそうだ。

 こんがり、もどことなく響きが似ている。ほどよく色がつく程度に焼けている様を表す言葉だそうだ。

 しょんぼり、も響きが似ている。元気がなくて萎れている様を表すようだ。

 どんより、も響きが似ている。澄まず重い感じがある様を示すようだ。雲がどんよりと暗い、など。重く濁っている印象を喚起する。

 ぼんぼり、となるとこれは名詞だろうか。小型の提灯みたいなイメージだ。お雛様人形と一緒に飾り付ける小道具を連想する。

 論より、とくると、証拠、とつづけたくなる。まずは語るのではなく、やってみせて実例を見せればよい。しかし、実際に起こしてしまっては取り返しのつかない事態も生じ得る。

 したがって語って説明してみせた時点で対策に動けると好ましい。

 対策そのものが害を帯びなければ問題ない。

 だが対策そのものの害が大きい場合に、実害がないと対策を敷けない、といった自家撞着に陥る。

 いまのところの進退窮まった状態がこれなのだろうか、とほんのり想像している。

 あ、ほんのり想像できてしまった。

 ほっこり、である。

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今日記。 知円 @hibi_meian

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