ハス

碧川亜理沙

ハス


 私は、いずれ〈カミサマ〉となる。




 真っ白で、窓がない。

 入口から奥までが異様に長く、天井がこれまた異様に高い長方形の空間。

 その上座、周りより数段高い場所。私は1日の多くをそこで過ごしている。


「ハスの神子みこ様、本日もよろしくお願いいたします」


 名前はない。

 神となるものに名はない。

 だけど、神ではないものは、名前がないと他と区別ができない。

 そのため、私には「ハスの神子」という名が与えられていた。

 名の通り、私がいる部屋のことを「ハスの間」と呼び、通路の両脇に流れる狭い水域には、時期になるとキレイなハスの花が咲く。


 私の仕事は、次々に部屋へとやってくる人たちの悩みを聴き、それに応え、彼らが心安らげるよう諭すこと。

 人の悩みはやって来る人たちの数ほどあり、実に様々な相談ごとが投げかけられる。

 私はそれに適切な応えを与えていく。



「ハスの神子様、本日もお勤め大変お疲れ様でした」

 そばに控えていた女性のその言葉で、私の仕事が終わる。

 そして今度は身の回りの世話をしてくれる女性が、今後の動きを伝えてくれる。


 この建物──具体的にどのくらい大きいのか、規模などは知らないが、私がいる部屋のような空間がいくつかあるのだと言う。そして、その部屋それぞれに、カミサマ候補となる者たちがいるらしい。

 らしい、と言うのも、私は今までそのような者たちに会ったことがないからだ。カミサマ候補たちの交流は全くなく、自室に戻るまでの廊下ですら、そのような者たちを見かけたことがない。

 周囲の人いわく、「カミサマはカミサマに心を砕く必要はなく、カミサマを信仰している信徒たちにこそ、最大に寄り添わなければならない」のだそうだ。

 従って、私と同じようなカミサマになる者たちが存在するということしか知らないし、これからもそれ以上知ろうとも思わない。


 少し待ち、自室に戻り夕飯を食し、入浴をすませ就寝する。

 日が昇る頃に起床し、禊を行い、祈祷を行う。そして、朝食を食べたら、またたくさんの人々の話を聴く。

 毎日が、同じことの繰り返し。

 けれど、それが私の行うべきことと、差して不満や疑問を持つことはなかった。





 その日もいつものように仕事を終え、自室に戻る指示があるまで待機をしていた。

 だけど、周囲の人たちの動きが、いつもより忙しなく、落ち着きがないように見受けられる。

 ──私には、関係がないか。

 しばらくすると、いつもの世話係の女性が、自室に戻って良い旨を伝えにきた。

 やはり彼女も、ほかと同様、少し落ち着きがなさそうだった。


「今日はいつもと違う道を通りますので」

 そう言われ、いつもは真っ直ぐ進む廊下を曲がった時だった。


「離して! 出てってやる! こんなとこ、出てってやる!」


 かな切り声が聞こえ、私の視界に同じような服を身にまとった女性が転がってきた。

「神子様っ!」

 世話係の者が私の前に立つ。それにわらわらとたくさんの人が、転がる女性を押さえつける。

「離せっ! 触るなっ!」

 見苦しくわめき散らす女性は、私が見ていることに気づいたのか、押さえつけていた人々を押しのけ、距離をつめてくる。

「神子様!」

「邪魔だっ」

 隔てていた世話係の者を押しのけ、その女性は私の肩をぎっと掴む。


「なぁ、お前もカミ候補だろ? なら分かるだろ。毎日毎日、くだらない話を聞かされるんだ。

 カミになったからなんだ? あたしたちただの人間に何ができるんだってんだ。そうやって騙しながら金を儲けてるんだよ。

 な、お前だってここの生活に嫌気がさすだろ?」


 目の前で喚き散らす女性。

 言いたいことは言い終えたのか、荒い呼吸を何度も繰り返す。

「……あの、だから?」

「……は?」

 私の問いがそんなにおかしかっただろうか。ぽかんと、私の返事の意味が分からないと言うような顔をしている。

「え……嫌だろ、普通。こんな、バカげた生活なんて……」

「私にとっては、これが当たり前です。あの、用がないなら行ってもいいですか? ほかの人たちの時間もあるでしょうし」

 肩を掴んでいた手は意外にもあっさりと離れてくれた。

「それでは」と声をかけ、未だに腰を抜かしてる世話係に声をかけ、さっさと自室に戻る。

 途中、さきほどの女性だろうか、発狂したような声が建物中に響き渡った。

「さすが、いちばんカミサマに近いと言われていらっしゃるだけありますね……」

 世話係が追いついてきて、私に向かってそう言うけれど、何がすごいのか分からなかった。



 自室に戻り、夕食を食べ、入浴を済まし、寝具に横になる。

 そこでふっと、あの女性を思い出した。

 同じような服装だったし、誰かが「シバザクラの神子様」と呼んでいたので、おそらく同じ神子なのだろう。

 だけど、やはり思い返しても、その女性が言い放った言葉たちは、私には関係がないことであるようにしか思えない。

 ──もしかすると、あの人はまだ神子の在り方を知らないのかもしれない。

 私は、神子とは、カミサマになるということがどういうことであるかは理解しているつもりだ。そして、それに対して、特に思うこともない。──そんな感情は、とうの昔に捨て去った。

 ──私は、いずれ、カミサマになる。

 今日の些事は全て消し去る。

 そして、日が昇り、禊を行い、祈祷をし……繰り返しの日々をまた送る。

 すべて、皆が望むような<カミサマ>になるため。

 ──おやすみなさい、私。

 そうして、私は目を閉じた。



 -[完]-

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ハス 碧川亜理沙 @blackboy2607

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