第9話
※
それから二時間後、ダイニングにて。
「……」
そこには、完全に沈黙した四人の人影があった。俺たちFGの戦闘員四人が、がっくりと中央テーブルにもたれている。
そんな中、同じテーブルにつきながらも動いている人影が一つ。エレナだ。
この場で一体何が起きたのか? 簡単に言えば、半強制参加型の大食い大会だ。
それは、和也の安易な提案から始まった。
「ねえ、せっかくエレナが来てくれてるんだったらさ、昼ご飯はエレナに作ってもらおうよ!」
その言葉に、俺たち四人の腹は一斉に鳴った。ドクのところから戻ったばかりで空腹だったし、エレナの作る料理は抜群に美味いのだ。
次点は髙明で、和食に限ればエレナに追いつけるかもしれない。だがエレナは、和洋中なんでも作れる。そしてそのどれもが、有名店の味を再現したかのようなクオリティなのだ。
しかし、俺はそれに反対だった。
「おい和也、エレナだって疲れてるんだ。無理に飯を作ってくれとは言いづらいんじゃ――」
そう心配した俺。だが、くいくいと袖を引かれて振り返った。
「どうした、エレナ?」
そこで俺の視界に飛び込んできたのは、キラッキラに目を輝かせるエレナの真剣な顔だった。エレナ、まさか料理を作らされることにノリノリなのか?
「エ、エレナ、無理しなくていいんだぞ? 和也はただ食欲を満たしたいだけで、だったら俺たち四人でも十分――」
そう言って聞かせたが、エレナはぶんぶんとかぶりを振った。俺の袖だけでなく、手首をぐっと掴み込んでくる。
「もしかしてエレナ、自分の料理の腕を披露したいのか?」
すると、エレナは我が意を得たりとばかりに、ぐいっ! と頷いてみせた。
「ならいいんじゃねえの? 俺も勉強になるしな、エレナの料理は」
髙明がそう言う横で、葉月は神妙な顔つきでじっと俺とエレナの手元を見つめている。
ま、反対者がいないなら構わないか。
「分かったよ、エレナ。今日の昼飯はエレナに任せる。絶品を頼むよ」
俺はそう言って、軽くエレナの頭に手を載せた。妹でもできた気分。
などと和やかな気持ちでいられたのも僅かな間のことだった。
「おい剣矢、分かったら私たちはダイニングに行くぞ」
ちょうどエレナと反対側の俺の腕を掴み、葉月がぐいぐいと俺を引っ張り始めた。
そのそばには和也がいて、どこか敵意のこもった視線を俺に注いでいる。
葉月に睨まれていたと思ったら、次は和也。俺は何か罰当たりなことをしたのだろうか?
「おら、行くぞお前ら」
そう言って和也の後ろ襟を引っ掴んだのは髙明だ。こうして、俺たちはエレナの料理に大いなる期待をしつつ、奇妙な心理的駆け引きを経てダイニングにやって来た。
そして現在、動いているのは、淡々と料理を口に運ぶエレナだけである。
理由は極めて単純で、エレナ以外の俺たち四人は満腹を通り過ぎてしまったからだ。
厚切りステーキ、大盛海鮮丼、麻婆豆腐にエビチリなど、一品だけで四人分はありそうな大皿が次々に運ばれてきた。これには流石の俺も冷や汗をかいた。
これらを残さず食え、と?
俺は暖簾の向こうから出てきたエレナを見つめた。自信に満ち満ちているご様子。
これを食べきれない量だからと言って突っぱねるのは、あまりにも無粋だろう。
こうして、俺たち四人は覚悟を決めた……のだが。
結論から言えば、完食など到底できはしなかった。
髙明が気を利かせて、食休みをするぞと言ってくれたのが不幸中の幸いだ。
「えっ、でもこれ以上食べたら……。僕もう吐きそぐえっ!?」
俺は和也に手刀を喰らわせ、ずいっと顔を近づけた。
「せっかくエレナが作ってくれたんだぞ、お前が言い出しっぺなんだから、ちゃんと休んで完食するまで胃袋を空けとけ」
「わ、分かったよ、剣矢……」
※
こうして時間は現在へと舞い戻る。
食べ始めてから数回の食休みを迎えたが、残念ながら皆が皆、もう限界を突破していた。
そんな俺たちに構うことなく、エレナは淡々と、同じペースで食べ続けている。あんなに小柄なのに、どこにこれだけの体積・質量を誇る食事を詰め込んでいるのだろう。
俺はふと顔を上げて、時間を確かめた。午後四時半を回っている。
「な、なあ、エレナ」
口をもごもごさせながら、エレナはさっとこちらに顔を向けた。
「ドクのところへまた行くんだろ? 車に乗せていくよ」
すると、先ほど同様にエレナの瞳がキラリと輝いた。そんなに乗用車に乗るのが楽しいのだろうか。
「皆、聞こえてるよな?」
「ああ。ほれ、車の鍵だ」
突っ伏したまま、髙明が鍵を投げて寄越す。
「サンキュ。よし、行こうぜエレナ。残りの食事は、ちゃんと冷蔵庫で保管しとくから」
エレナはほっとした様子。流石に俺たちに食べさせ過ぎたのでは、という懸念はあったらしい。
いやそもそも、あの皿に盛られた量を見て、いっぺんに食べきらなければならないと思ってしまった俺たちが馬鹿なのだ。若気の至りとでもいうものだろうか。
もう少し冷静だったら、こんな苦労をすることもなかったろうに。
外に出ると、真夏の太陽光が情け容赦なく俺たちに降りかかってきた。
夕方でやや太陽は沈みつつあるが、夕焼け空にはまだ早い。
俺はエレナに手招きして、先ほど髙明が運転していた乗用車に乗り込んだ。
偽造免許証と清涼飲料水のボトルがリュックに入っているのを確認し、俺はエンジンをかけた。車の運転技術については、エレナ以外の四人は既に習得している。
もっとも、敵襲やトラップに引っ掛かった場合などの対処法を含めた、高度かつ乱暴な運転技術だが。
しばらくは、コンビナート沿いの海岸線を走った。エレナが随分熱心に外を見つめているので、俺はそっと声をかけた。
「なあ、エレナ。そっちの窓、開けようか?」
するとエレナはその優雅な銀髪を大きく揺らした。頷いたということだろう。
俺はハンドルわきのパネルを操作し、エレナの座っている助手席の窓を開けてやった。
ひゅん、と勢いよく風が車内を撫でていく。エレナの髪が、ふわりと軽く舞い上がる。
コンビナートの錆びついた白い褐色の設備と、その向こうに広がる海岸線を見つめながら、俺たちはしばしの間、その光景を見つめていた。
ああ、もちろん俺は、事故を起こさない程度には前を向いていたけれど。
※
「やあ、剣矢くん。度々お越しいただいてすまないね」
「いえ、こちらこそ。いつも情報収集から資材の調達までお願いしてしまって、恐縮です」
「まあ入りたまえ。狭苦しくて申し訳ないがね」
ドクの地下施設に到着した俺とエレナ。エレナが先行してセキュリティを開錠し、俺をドクと引き会わせてくれた。
「コーヒーでいいかね?」
「ああ、いえ。今晩眠れなくなると困ります」
そう言うと、コーヒーメーカーに向かおうとしていたドクの背中がぴたり、と固まった。
「いつでもあの男を殺しに行ってやる。そういう覚悟の表れと見ていいのかな?」
「はい」
俺はしっかりと首肯する。明日出撃だ! となった場合に寝不足では叶わない。
ドクは、ふむ、と一つ頷いてこう言った。
「君のその捉え方は正しいな」
「どういう意味です?」
「マドゥーの居所だが、明後日には変えるつもりらしい。確実に叩くなら、明日しかない」
「だからこそ、ドクは俺をこっちに寄越したんでしょう?」
「そうだ。まあ、口頭で述べて覚えてもらうことも可能なんだが、紙に書いて手渡すこともできる。水性のペンで水溶性繊維の紙に書けば、いざって時に証拠隠滅しやすいだろう?」
「ですね」
では、ちょっと待ってくれ。
そう言って、ドクはその長い体躯を折った。何らかの機械の上で、さらさらとペンを走らせる。
「ここだ」
「ダイバーシティ・アクア東京、ですか」
それは数年前にオープンした、臨海部の高級ホテルだ。
「そう、その三十五階。そこのレストラン併設のバーだ。四隅の柱以外、全面ガラス張りになってる。マドゥー一味は明日の午後七時から、宴会を行うらしい」
「宴会?」
「麻薬の販売先として日本に進出したという、祝いの席を設けるそうだ。貸し切りでね」
「ということは、それに一枚噛んでる政治家なんかも……?」
「具体的に誰がやって来るかは分からん。だが、確かに一人や二人、訪れても不思議ではないな」
ドクは自分の分だけのコーヒーをマグカップに注ぎ、口をつけた。
そんな彼を視界の隅に入れながら、俺は胸中が燃え上がるような感覚を得ていた。
悪徳政治家と言えば、俺のみならず皆の敵だ。全員ぶち殺してやる。
「これがメモだ。なくさないでおくれよ」
「了解」
俺は踵を返し、再びエレナの先導で地下施設を出た。
エレナが心配そうにこちらを見つめてきてはいたが……。まあ、俺たちはいつも通りのことをやるだけだ。
心配無用とだけ告げて、俺は来た時とは異なる乗用車でドクの下を去った。
サイドミラーを覗き込む。すると、ずっと見送りに出ているエレナの姿が見えた。
俺は車窓から片腕を出し、大袈裟に振ってみせた。
エレナに見えたかどうかは分からないけれど。
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