第8話
※
アジト到着から十分ほど。
俺と髙明は、ダイニングでテーブルを挟んで座り込んでいた。互いに無言。空気を震わせるものと言えば、時折軋む椅子の音だけ。
葉月と和也もまた、盗難車でこちらに向かっているはず。どうしてこちらの方が先に到着したのかと言えば、単純に山を下りるルートが違うからだ。
交通規制などに遭っても不都合がないように二つのルートを定めているのだが、今日は俺たちの方が短距離のルートを辿って来たということらしい。
まあ、髙明による凄まじいドライビング・テクニックの賜物かもしれないが。
俺は肘をテーブルに載せ、髙明は腕を組んで目を閉じている。互いの前には烏龍茶を注いだグラスが置かれていて、最新式のエアコンが駆動音もなく冷風を送り込んできている。
このアジトも、ドクの地下施設同様に殺風景なものだ。上下左右、それに前後がコンクリート剥き出し。絵画も写真も掲げられてはいない。
当然だ。アジトの内装を煌びやかにするだけで復讐が果たせるなら、誰も苦労はしない。
ついでに言うと、俺たちが無言なのは、別に俺と髙明の仲が険悪だ、ということを意味しているのではない。
むしろ、考え込む癖のある俺たちにとっては有難い時間だ。とりわけ、俺にとっては。
親父が生きていて、展望台爆破テロの首謀者だった。それはつまり、俺の親父・錐山尚矢が、お袋を殺した上に俺を半殺しにしたということだ。
家族として過ごしてきた時間は、俺たち親子にとって一体何だったのだろう。
俺とお袋が仲良く過ごしているのを見ながら、そして自身も笑みを浮かべながら、親父はこんな殺戮行為を画策していたというわけか。
俺は鼻から、ふーーーっ、と長い息を流し、両手を組んで額に当てた。
「おい、剣矢。剣矢?」
「……ん」
「水分補給をしておけ。喉が渇いてからじゃ遅いぞ」
「ああ、そうだな……」
椅子の足が床を擦る鈍い音。それと共に、俺は呟き声を漏らした。
立ち上がって、暖簾で区切られたキッチンの冷蔵庫に向かう。
ちょうどその時、ポーン、と電子音が鳴った。誰か来たから確認しろ、ということらしい。
立ち上がろうとした髙明を軽く引き留め、俺はインターフォンの前に立った。こちらから一方的に相手の様子が見られるようになっている。
《あー、剣矢? 髙明? 僕、和也だよ。葉月の運転で帰って来たんだ。玄関開けてくれない?》
僅かばかりの違和感を覚え、俺はマイクをオンにする。
画面の端に、葉月と手を繋いだ小柄な人影があるのに気づいたのだ。
「こちら剣矢、どうしてエレナがそこにいる?」
《話は後だよ! こっちは暑くて暑くて――》
「真面目に答えろ、和也。エレナを同伴させた理由は何だ?」
さっきまで一緒にいたはずなのに。用事があるならドクのところで済ませてくればよかったのだ。
すると、和也を押し退けるようにして葉月が画面の中央に立った。
《私、葉月だ。剣矢と髙明が出発してから時間差を見計らっていた時に、有力な情報を手に入れた。ダリ・マドゥーという男についてだ。その報告会を開きたい。私たち三人の入出許可を申請する》
「了解。今開ける」
《あっ、剣矢! 酷いな、僕が話してた時はすぐ開けてくれなかったくせに! これじゃあんまり――》
頭痛がしてきそうだったので、俺はスピーカーを切った。
※
「それで、情報というのは?」
「このアタッシュケースに入っている」
いかにも昔の刑事ドラマに出てきそうな銀ピカのケースを、葉月は中央テーブルに置いた。
今俺たちがいるのはダイニングではなく、より広くて設備の整った会議室だ。
地下のフロアにあることで、外部からの盗聴や情報漏洩を妨げやすくなっている。
立体映像で形成される特殊なプロジェクターの用意をする髙明と、それを見つめる葉月。和也は相変わらず葉月の隣席にちゃっかり収まっている。
エレナは俺のそばでケースを開けようとしていたが、上手くいかない様子だ。ロックは解除できているのに、きっとダイヤルが固すぎるのだろう。
「エレナ、大丈夫か?」
ぎゅっと握り締められたエレナの手に、俺は自分の手を重ねた。
俺が一人でケースを開けられればいいのだが、このダイヤルには指紋認証システムが搭載されている。ドクかエレナでないと開錠できない。
となれば、誰かがエレナの手の上から力を加えるしかない。
その瞬間、エレナはさっと俺から目を逸らした。
「あっ、悪い。手汗がひどくてな……」
申し訳なく思ったものの、エレナは首を横に振った。いつの間にか頬が紅潮しているようにも見える。
「大丈夫なのか、エレナ? 熱中症にでもかかったのか?」
「おい剣矢。私はちゃんと乗員の体調には気を遣ったぞ」
そう言って割り込んできたのは葉月だ。
「私がエレナの熱を測るから、早くケースの開錠を済ませてくれ」
「あ、ああ」
なにやら只ならぬものを感じる。葉月にしては珍しいな、作戦中でもないのに仲間を急かすとは。
既に指紋認証を完了していたケースは、呆気なく開いた。
そこに入っていたのは、一枚のマイクロチップだった。こんな大仰なケースに入れられてきたとは思えないほどの大きさ。片手で握りこめるほどの幅しかない。
単純に、それだけ重要なデータが入っているということだ。
「よし、準備できたぞ」
髙明の声に、俺はマイクロチップを取り上げ、プロジェクターに読み込ませた。
「ドクからの伝言を預かってきてる。立体画像を見ながら、私の話を聞いてくれ」
そう言って立ち上がった葉月。手には一枚の紙きれが握られている。情報の遣り取りに紙とペンを使うとは、なんとも原始的だ。それだけ緊急性の高い情報が、立体画像に含まれているということだろう。
「プロジェクター、起動する」
俺はそう言って投影開始のボタンを押し込み、自分の席に戻った。
ある男の肩から上が、二メートルほどの高さに拡大されて映し出される。そして、はっと息を呑んだ。
こいつは……!
「この男の名前はダリ・マドゥー。南米・コロンビアの出身。性別は男性で身長は約百九十センチ。ここ数年の南米大陸における数多くの内戦・紛争に傭兵として参加。数ヶ月前に旅行客を装って成田空港から入国。乗客名簿に改竄記録あり。その前後、数週間にわたって特筆すべき活動は皆無。それ以上の目ぼしい情報はなし」
典型的な戦争屋だな、と葉月は吐き棄てるように言った。
だが、俺には奴が単なる凶悪犯には見えなかった。
当然だ。コイツが俺のお袋を殺し、親父と組んで何かをやらかそうとしているのだから。
「……」
「ど、どうした、剣矢? ……剣矢?」
葉月も俺の発する只ならぬ気配に怯んだらしい。
気づいた時には、俺はマドゥーの立体映像の正面に立ち、血が出るほどの力で唇を噛み締めていた。
「この男は、俺のお袋の仇だ」
俺の背後で、皆がピシッ、と緊張するのが分かる。今の言葉だけで、この場にいる全員が状況を把握しただろう。俺の過去は皆に伝えてある。
「俺はドクに拾われた日から、ずっとこいつを追って来たんだ。日本にいるというなら、必ずこの手でぶち殺してやる」
ギリッ、と奥歯が鳴った。
「まあ落ち着けよ、剣矢」
鷹揚な声が聞こえた。きっと髙明の声だ。一番冷静さを取り戻すのが早いのは、常に髙明だった。
俺は踵を返し、ずんずんとデスクの隙間を抜けて自分の席に戻った。その途中、微かにエレナと目が合った。明らかに怯えている。
悪いことをしたな、と思ったが、この程度の俺の怒りについて来れないとなれば今後の作戦でも足を引っ張ることになるだろう。
自分勝手な物言いでエレナには申し訳ない。だが、俺は立派な凶悪犯罪者であり、殺戮者なのだ。ただの十代後半の日本人男性と見做してもらっては困る。
俺は一つ深呼吸をして、すっと椅子に腰を下ろした。髙明が心配そうな一瞥をくれたので、自分は大丈夫だとアイコンタクトで返した。
また、俺はこの立体画像を見て、ある重大な事実に気づいていた。
マドゥーの首のあたり、派手なドラゴンの刺青の横に数字が彫られていた。『01』と。
なるほど、俺は二番目だったということか。
まあ、そのことはおいおい皆に伝えればいいだろう。
その時、ピコピコリン、という軽い電子音がした。
ただ聞いただけなら、携帯端末の着信音としか思われないだろう。だが、俺たちは即座にそちらに振り向いた。
今の電子音は、ドクからの着信を意味する重要な符丁だった。
「は、葉月、ドクは何だって?」
葉月の方に身を乗り出す和也。その頭上から悠々と覗き込む髙明。俺は誰かが内容を教えてくれるのを待った。
「ダリ・マドゥーの居場所をドクが突き止めた!」
葉月が立ち上がりながら声を上げる。同時に、おおっ、という、声とも唸りとも取れる波が俺たちの間で伝播する。
「今晩中に、詳細を記録した二枚目のマイクロチップを渡したいから、誰かを寄越してくれとのことだ」
「俺が行く」
葉月の言葉に、俺は素早くと応じた。
母親の仇を前にして、冷静さを失ったのだとは思われたくなかったのだ。
「分かった。剣矢に頼む。エレナ、悪いが念のため同行してもらえるか?」
葉月に向かい、エレナはこくん、と頷いてみせた。
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