第7話

「おはよう、髙明」

「おう、剣矢。もう起きて大丈夫なのか?」

「ああ。疲れはだいぶ取れた」


 髙明は俺の目を見て、そうか、と呟き、また乗用車のメンテナンスを始めた。


 乗用車と言えば。

 俺たちが使うのは、ほとんどが盗難車だ。こちらの足が着かないようにという方針に基づくもので、専ら細部のメンテとナンバープレートの付け替えで使用可能となる。


 昨日使った二台の乗用車だが、きっと俺たちのアジト(今俺たちがいる寺院ではなく、生活拠点となっている場所だ)へ移動するのに使って、あとは処分するしかないだろう。


 となると相当な台数の盗難車が必要になるのだが、ドクには本人にしか分からない取引ルートがあるらしく、グラウンドの反対側の平地には常に十台ばかりの盗難車が準備されている。


「よし、こいつは大丈夫そうだな」

「あ、こっちの乗用車は?」

「もう済ませたぜ。細かい仕事を手っ取り早く済ませる。それが俺の美徳の一つだからな」


 自画自賛的な言い草だが、俺は思わず納得してしまった。

 こんなどでかい図体しながら、手先が器用なのは羨ましい限りだ。


 六時前には葉月と和也も起き出してきた。和也は相変わらず葉月に向かって自慢話をしてばかりで、髙明に拳骨を喰らっていた。

 ドクとエレナも出てきて、アジトに戻る俺たちを見送ってくれる。エレナは情報処理が専門だから、実戦部隊である俺たちよりもドクと一緒にいた方が、よく働いてくれるはずだ。


「もし何か情報が掴めたら、皆に私から連絡しよう。エレナくん、君にも動いてもらうぞ」


 ぐっと頷くエレナを一瞥してから、俺たちは二台の乗用車に分乗して山を下りることとなった。


         ※


「うおっとぉ!」


 がたがたと揺れる山道を、俺と髙明は下りていく。舗装されてもいなければ、ガードレールすらない。雨天だったら間違いなく滑落事故を起こしているだろう。

 運転しているのはやはり髙明だ。抜群のバランス感覚でハンドルを切っていく。


「まるで手品みたいだろ?」

「全然違う! 絶叫アトラクションだ!」


 髙明の言葉と重なるように、俺は悲鳴に近い声を上げる。正直、眼帯を外して身体能力を強化し、脱出しようと思うくらいだ。


 そんな荒い運転に耐えきった車体と俺は、既に髙明の腕に染みついてしまっているというルートで平野部に下りた。

 堂々と幹線道路に出るわけにはいかない。突然山中から飛び出したら、間違いなく人目につく。それは避けなければ。


 そこまで計算する余裕があるほど、髙明の状況察知能力は優れている。実際に白兵戦をしたら、コイツの方が俺より強いだろう。もちろん、俺が眼帯をしたままであればの話だが。


 さて、ようやく落ち着きを取り戻した俺は、これからのことを脳裏に思い浮かべた。

 ここは関東某所の沿岸地帯だ。この関東平野の、それも海沿いにこんな急峻な山があるというのは、俄かに信じがたいことではある。

 だが、実際にそういう土地柄なのだから仕方がない。


「よし、衛星には捕捉されてねぇようだな」

「それは何よりだ」


 俺たちが使う乗用車には、全車に対空・対宇宙用のレーダー波の逆探知処理が施されている。その警報音が鳴らないということは、このままアジトに向かっても当局に捕捉される恐れがないということだ。


「まったく、息子がこんな荒い運転をこなしていると知ったら、お前の親父さんもお袋さんも浮かばれないぞ」


 そう言った瞬間、俺は自覚した。地雷を踏んでしまったと。

 だが、髙明には気にする様子もない。


「バーカ、死人に口なしって言うじゃねえか」

「……ま、まあそうだけどな」


 特に話すことのなくなってしまった俺は、以前聞かされた髙明の過去を振り返ることにした。


         ※


 大林髙明の両親は、二人共優秀な刑事だった。

 それは七年前の晩秋のこと。両親はある日の作戦で、たまたま人手不足だった機動隊員たちの穴を埋めるべく、拳銃一丁を提げて出動した。


 しかし、ここで大問題が発覚する。

 機動隊員のほとんどを投入した現場で行われていたのは、ダミーの武器取引だったのだ。

 

 髙明の両親たちが投入された方が、本命の取引現場。

 強力な火器で武装した敵のど真ん中だ。しかも密輸業者たちは、商品となるはずの重火器を惜しげもなく使ってきた。

 機動隊員たちは防戦一方となる。応戦するには、あまりにも武装が貧弱だったのだ。


 髙明は、両親が危険な命がけの仕事をしていることを知っていた。そして両親の死をいうものを覚悟していた。

 多くの国民の命を守って落命したのなら、両親とて本望だろうと。


 だが、実際の両親の死はそれほど高尚なものではなかった。

 警察組織の情報処理の誤りで殉職した、だと? これでは国家に殺されたようなものではないか。


 平謝りをする警視庁上層部の姿をテレビで見て、髙明はディスプレイに鉄拳を喰らわせていた。

 日々命を懸けて職務を遂行している人々を、何だと思っているのか。


 リビングを滅茶苦茶に破壊しつくし、同時に自らも傷だらけになった髙明。そんな彼の血走った目が、奇妙なものを捉えた。人型のロボットだ。ただし、今回同伴したのは黒服の男ではなかった。同じく黒服だが、若い女性だ。


 結論から言えば、ドクはロボットを使ってFGのメンバーに勧誘を試みていたが、万一の事態に備えて生身の人間を同伴させていたのだ。もちろん、情報漏洩のための手続きは万全だ。


《やあ、大林髙明くん》


 髙明は何も言わない。突然ロボットが現れたら、普通は驚くものだ。が、髙明からすれば、また壊し甲斐のある物体が現れたようにしか見えない。


 髙明はタックル気味にロボットに跳びかかろうとして、したたかに背を畳に打ちつけた。


「んっ!」


 慌てて体勢を戻す髙明。だが、その脳内は混乱していた。

 俺はどうして背中を打ったんだ? その答えは、柔術の構えを取った女性の姿から察せられた。


 自分の身を挺してロボットを守ったのだ。髙明のタックルから。それも、一瞬で技を決めながら。


《ああ、構わんよ。私と同規格のロボットはいくらでも造れる》

「しかし、ボディが損傷すると目標とドクとの意思疎通に障害が」

《それもそうだな。さて、改めて大林髙明くん》


 髙明はそのドク、と呼ばれたロボットを睨みつけ、そばに佇む女性にも一瞥をくれた。

 が、それ以上の行動はしなかった。


《賢明な判断だ、髙明くん。我々は君と話をするために来た》

「話?」


 掠れ声が髙明の喉から発せられる。


《そうとも。君もそれを分かっているのだろう? でなければ、拳を下ろしはしなかった》


 正確には、隣の女性に敵わないから抵抗を辞めた、という方が正しいのだが。


「俺に何の用だ」


 どっかと腰を下ろし、あぐらをかく髙明。その視線と、ロボットの双眼視覚センサーがぶつかる。


《私は君をスカウトに来た。ご両親から武術の心得を授かっている、君にね》

「スカウト? 俺を少年兵にでもするつもりか」

《ほう、十歳にしては随分と肝が据わっているな。ますます気に入ったよ》

「だから何なんだ! とっとと用件を――」

《君のご両親は、警察組織の腐敗によって命を落とされた。政府高官、警察権力を拡大しようとする一部勢力によってだ。悪いのは、日本に武器を運んできた連中だけじゃない。黒幕は国内にいる。ご両親の仇を討ちたくはないか?》


 ほんの一瞬、時間が止まった。髙明の目が、ゆっくりと見開かれる。

 

「できるのか、そんなこと? 警察や政治家のお偉いさんを殺すようなことが?」

《我々と力を合わせればな》

「乗った」


 即答である。


「いいの、髙明くん? もうご家族にも会えなくなるわよ?」


 先ほどの女性が割り込んでくる。まさかこうも即答されるとは思いもよらなかったのだろう。

 だが、髙明に未練はなかった。当時の髙明には、両親の仇討ち以外に、自分の生存意義を見出す術がなかった。


 ああ、そうか。これこそが俺のやりたかったことなのだ。


 髙明がそう自覚するまでの数秒間のうちに、ドクもまた腹を括っていた。


《では、我々と来てくれ。何かあるかね? 必要なものは?》

「ない」

《それはよかった。置手紙をしたためたいなどと望まれたら、そこから我々の組織の情報が漏れる可能性があるからね。では、早速だが行こうか。車を待たせてある》


         ※


 はっと気がつくと、乗用車は停車していた。


「よっと、アジトに到着したぜ、剣矢」


 そこにいたのは、写真で見たことのある十歳の頃の髙明ではない。十七歳の髙明だ。

 日は既に南中しており、暑いことこの上ない。

 それにも拘らず、俺は思索に耽っていたということか。


「どうした? 昨日の後遺症か?」

「い、いや、何でもない」


 ゆっくりかぶりを振りながら、俺は腰に手を当てた。

 

「もう冷房は入ってるはずだ。行こうぜ」


 こうして俺たちはアジト、正式名称『海上保安庁南関東支部後方支援課』へと踏み入った。

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