第6話【第二章】

【第二章】


 俺とドクが互いに怪しげな笑みを交わしている間のこと。

 情報管理室の奥の方が、バタバタと騒がしくなった。エレナだ。精密機器の間を慎重に、しかし素早く通り抜けながら、手にした高性能タブレットを差し出してくる。


 どうやらエレナは決定的な情報を掴んだらしい。肩を上下させ、呼吸も荒い様子だ。

 俺とドクは再び顔を見合わせ、ひとまずはドクがタブレットを受け取ることになった。

 そして、ドクもまた複雑な渋面を作り、沈黙した。


「なあ、剣矢くん」

「はい」

「もし君のご両親を爆弾テロで殺害した首謀者が近くにいると言ったら、君は殺しに行くかね?」

「当然です」


 俺はこれ以上ない自信を持って即答した。

 が、ドクの言葉には信じられない続きがあった。


「たとえそのテロの首謀者が、君の父上だったとしても?」

「……は?」


 ドクは何を言っているんだ? 俺の両親は死亡した。そう教えられている。


「つまり、俺の父親による自爆テロだったと?」

「違う。父上はご存命だよ。そしてわけあって、展望台の爆弾テロを決行した。今、エレナが必死に情報を集めてくれているから、しばらく待ってくれ。……っておい!」


 珍しく声を荒げるドク。当然だ、俺は勢いよく立ち上がり、臨戦態勢に入ろうとしていたのだから。


「まだ情報不足だ、君が行おうとしているのは特攻と一緒だぞ? それに、君は今日の分の疲労から回復しきれていない。無茶だよ」

「……」


 俺は呻き声を上げた。ドクは続ける。


「それに今の情報では、展望台爆弾テロの首謀者が君の父上、錐山尚矢だということしか分かっていない。攻め込もうにも、どこに行けばいいのか分からないだろう。今は落ち着くんだ」

「……」


 俺は、今度は溜息をついて座り込み、額に手を遣った。

 ドクは、手話を交えながら話すエレナと共に、タブレットに見入っている。


「ふむ……。剣矢くん、落ち着いて聞いてくれ」


 俺は無言で顔を上げた。


「どうやら、今すぐ錐山尚矢の居場所を突き止めるのは難しい。今日回収してきたマイクロチップからはね。だが、尚矢に極めて近い立場にいる人物の特定はできた」


 相変わらず無言ではあったが、俺は自分の眼球が見開かれるのを感じた。


「その人物の名はダリ・マドゥー。違法薬物の売買において、日本をマーケットにしようとしている悪党だ」


 ようやく俺の下に渡ってきたタブレットを見つめる。

 そこにいたのは、肩から上が映った外国人男性だった。


 欧州系? いや違うな。肌が浅黒いし、着用しているネックレスやテンガロンハットは中南米のそれを連想させる。確かに南米に対して、治安が悪いらしいという認識はあったが、日本もそれに巻き込まれようとしているとは思わなかった。


 無精髭の生えた下顎と上唇の間に、太い葉巻を加えている。上機嫌なのは、きっと美女を侍らせているからだろう。

 だが、俺にはもう一つ気になることがあった。


「ドク、このマドゥーという男が付けているのは……?」

「サングラスのようだな。遮光率はなかなか高い。人相を隠すのにも使えそうだ」


 これだけ派手な格好をしながら、人相を隠すも何もあったもんじゃないだろうと言う気がするが。


「今日君が処刑してきた麻薬密売の首領は、このマドゥーという男に関連がある。そしてマドゥーは、理由は不明だが錐山尚矢と繋がりがある。まずは、派手に活動しているマドゥーのマイクロチップを頂きたいものだな」

「そいつの居場所は解りますか?」

「まあまあ、そう焦らないでくれ。君の喫緊の任務は、ゆっくり休むことだ。ここは君たちのアジトではないが、一人一人個室は用意してある。そこでゆっくり休むんだ」


 こんなに興奮した状態で休めるものか。そう言って食い下がりたいところだったが、確かにドクの指摘はもっともだった。


「じゃあ、俺は休みます」

「うむ、ちゃんとシャワーを浴びるんだぞ」

「了解。部屋番号は?」

「三番だ」


 俺は顔を上げたドクに向かい、大きく頷いた。


         ※


 エレナが運んできてくれたパジャマとバスタオルを手に、俺はシャワールームへと向かった。今は頭が、錆びたネジのようにまともに動いてくれない。

 考えるのは明日にしよう。親父のことも、自分の胸中に湧いた憎悪のことも。


 念入りに身体を洗い、防弾装備を特注の洗濯機にぶち込み、俺はようやく欠伸を一つ。

 随分身体が軽くなった気がするが、眠らなければ俺は戦力外だ。さっさと休むことにしよう。


 と思って廊下を歩んでいると、ある人影が目に入った。


「葉月、どうしたんだ?」

「待ちくたびれたよ、まったく」

「俺に用か?」

「まあな」


 男口調を崩さない葉月。彼女は背中を預けていた壁、いや、ドアの前からどいて、ここがあんたの部屋だろうと尋ねた。というより断言した。

 ドアの中央に、でかでかと『3』の文字が彫られている。間違いない。


「まあ、こんな廊下で話すのもなんだ。入れよ」

「ああ、最初からそのつもりだ」


 図々しいな。俺だってまだこの部屋に入ったことはないのに。


 葉月に従って入室すると、ちょうど八畳ほどのスペースがあった。ベッドと本棚が左右に配され、中央に低いテーブルと座布団が三、四枚。

 葉月は適当に座布団を引っ張り出し、俺の方へと放った。


「おっと……。こちとら疲弊してるんだ、もう少し気遣ってくれ」

「その割には元気そうだけどな」


 そう言いながら、葉月はちゃっかり自分の座布団に腰かけている。


「まあ、いろいろあってな」

「ふぅん?」

「それより葉月、俺に何の用だ? もうじき日が昇る時間帯だぞ」

「どうでもいいよ、そんなことは。大体、ここ地下なんだし。私が聞きたいのは、あんたがドクとどんな話をしたか、ってことだよ」


 俺は、ああ、と間抜けな声を上げて、眠気に侵食されてきた脳みそをフル回転させた。


「他の皆にはまだ黙っていてほしいんだが……。俺の両親が命を落とした展望台の番弾テロは、俺の親父、錐山尚矢が仕組んだものらしい。現在も親父は姿を眩ませたままだ」

「そ、それは……」


 これは、流石に葉月にとっても衝撃が大きかったらしい。


「剣矢、あんたは自分の父親を殺せるの?」

「ああ」


 俺は即答。


「少なくとも奴は、俺のお袋を殺した。そして謝罪にも来ない。加えて、まだ何か企んでいる節がある。だったら殺すしかないだろう」

「我々FGにとっての障害になるようなら、確かに尚矢氏を殺害する根拠はあるだろうが……」


 顎に手を遣る葉月。彼女の前で立ち上がり、俺は小型の冷蔵庫からペットボトルのお茶を二本頂戴する。


「ほれ」

「あ、ありがと」


 微かに頬を染める葉月。そんな彼女を見て、俺は少しばかり動揺した。

 彼女の髪からはゆったりとしたシャンプーの香りが漂ってくる。パジャマと下着しか身に着けていないので、鎖骨と僅かな(と言っては失礼だが)二つの膨らみが際どいところまで目に入ってしまう。


「ん? 私の顔に何かついてるか?」

「え? いやいやいやいや! そうじゃないけど」


 そう言って両手を振る俺。だが、その拍子に体勢を崩してしまった。

 

「おっと!」

「あっ、剣矢!」


 ペットボルが倒れてお茶が零れ、しかしお構いなしに葉月が眼前に来ていた。

 俺は辛うじて転倒を免れたが、本当にマズいのは俺を支えようとしている葉月の姿勢だ。


「なあ、葉月? 俺は大丈夫だから離れてくれないか? その、なんか……俺がお前に襲われてるようで」

「襲うって……あっ!」


 葉月は慌てて身を遠ざけ、胸元に手を遣った。


「なっ、ななな何をするんだ、変態!」

「んだと! お前が勝手に俺を押さえつけてきたんだろうが!」


 すると葉月は真顔に戻り、しかし顔を真っ赤にしたまま、立ち上がって頭を下げた。


「すまなかった、剣矢。謝る。この通りだ。だから……」

「他の皆には黙っているように、だろ?」

「ああ……。理解が早くて助かる。じゃ、じゃあな」

「おう」


 葉月はすたすたと歩み去っていった。その背中に、恥じらいの念はまったく感じられない。

 切り替えの上手い女だな。


         ※


 翌朝。

 昨晩血塗れになっておきながら、俺は早寝・早起きを見事に実践していた。ドクと話したからか、悪夢を見た記憶もない。

 枕元の箪笥の上にデジタル時計がある。


「午前五時……」


 ちょっと早いけど、行くか。俺が退室しようとすると、スライドドアが何かに引っ掛かった。見下ろすと、俺のリュックサックが置かれている。髙明が銃器のメンテナンスを終えて、部屋の前に置いてくれたのだろう。


 となれば、今度は俺が髙明を手伝う番だ。

 エレベーターでボロ寺院に上がり、グラウンドに出る。やはりそこには、車両のチェックをする髙明の姿があった。

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