第5話

 背伸びをしてどうにか網膜認証をパスしたエレナは、さっと俺の手を取ってドアの向こうへと足を踏み入れた。

 廊下よりもなお薄暗い。人影はないが、気配はする。様々な機材で足の踏み場もないような部屋だが、俺は慣れた足さばきで、ただし慎重に踏み入った。


「失礼します、ドク」

「ああ、剣矢くんか。今日も全員無傷で帰投したと、葉月くんから連絡を受けている。よく戦ってくれたね」

「いえ、俺だけの力じゃありません」

「そういう謙虚なところ、私は好きだがね」


 声のした方に目を遣ると、こちらに背を向けて通信機器を操作する人物の背中が見えた。

 身長は二メートルを越えていて、しかし髙明と違ってほっそりしている。頭は綺麗なスキンヘッド。


 一つ奇妙なのは、僧侶が纏うような袈裟を身に着けているところだ。それだけ仏教への信仰心が強いということなのだろうか。


 がちゃがちゃと機械いじりに没頭するドク。

 俺たちが彼について知っているのは、男性であること、電子戦のプロであること、そして多くの国際機関から指名手配されていること。


 本人曰く、『若い頃にやらかした』のだそうで、それゆえにこの地下施設に籠って生活を送っている。監視衛星や警察機関のドローンを警戒してのことらしい。


「さて、と。では今日の話を伺おうか、錐山剣矢くん」

「よろしくお願いします」


 俺は腰を折ってお辞儀をした。ドクもまた振り返り、頭を下げて両手を合わせている。

 彼は常に穏やかな笑みを絶やさない。それを見ると、確かに六十年という人生を送ってきた人間にしかない深みを感じる。


「さ、かけたまえ」


 ドクはパイプ椅子を二つ引っ張り出し、片方を俺に差し出した。礼を述べて腰を下ろす。


「その前に、今日の敵の遺体からマイクロチップを取り出してきました」

「おお! よくやってくれた! エレナ、早速だが洗浄して解析に移ってくれ」


 エレナは頷き、ドクからチップを受け取った。

 マイクロチップというのは、皮膚に埋め込む身分証明書のようなものだ。それを解析すると、その人物が誰とどんな繋がりがあるかが分かる。


 今回の取引の首領は肥満気味だったから、頭蓋を切開してこのチップを取り出すのに苦労した。


「さて、では左目の調整作業に入ろうか」

「はい、お願いします」


 俺の左目は、簡単に言えば機械でできている。多くの超小型・軽量化されたマシンたちが、左目の眼球に込められているのだ。

 熱光学情報探知カメラ、脳の視覚野に直通の神経細胞との接合点、また、眼帯を取り外した際に起動するような感覚受信システムなど。


 それらの中で最も重要なのが、身体活動のリミッターを解除する偽装装置である。

 何を偽装するのかと言えば、俺の脳みそだ。

 通常、人間が自分の意思で行使できる筋力は、限界値の三割ほどでしかない。しかし俺は眼帯を外すことで、残り七割のうち四割を行使できるようになる。


 だから、戦闘後はへとへとになってしまうのだ。流石に身体における限界値の七割分の力を行使していればそうもなる。

 また、当然無尽蔵にリミッターを解除していられるはずもなく、制限時間は一日につき十分間とされている。そこまで身体を酷使した経験はないが。


「よし、左目の調整は完了だ。異常なし。限界値への過剰接近なし。今日も上手く戦ってくれたようだね」

「いえ、ドクがこうしていつも調整してくださるお陰です」

「いやいや!」


 ドクは俺の目から観測機材を外し、陽気にひらひらと手を振った。


「しかし……。君の顔つきから察するに、今日はまだ話し足りないのだろう?」

「はい」


 眼帯をつけ直しながら、俺は断言した。


「ここ数日、嫌な夢を――両親が爆弾テロで命を落とした時の夢を、毎晩見ます」

「ふむ」

「少し話を聞いていただいても?」

「私の専門は精神科じゃないが……それでよければ伺おう」

「ありがとうございます」


 俺は再びパイプ椅子に腰かけた。そして、悠々と長い足を組むドクに向かって語り出した。

 さっき帰りの車内で見た悪夢と、その続きの部分を。


         ※


 両親が爆弾テロで死亡したと聞かされ、俺は病室で暴れ出した。しかし、それも長くは続かなかった。鎮静剤を注射され、全身が脱力してしまったからだ。

 気がついた時、俺の胸中からは闘争心が綺麗になくなっていた。代わりにあったのは、巨大すぎる虚無感だけだ。


 ベッドに横たわったまま、何が起こるでもない真っ白な天井を見つめる。だがそこで一つ気づいたことがある。俺以外に人がいないのだ。医師も看護師も他の負傷者も。

 そうか。俺があんまり暴れるものだから、個室に移動させられたのか。


 そこまで考えた時、廊下から男性の声がした。二人だ。


「こちらです。あんまりひどく暴れるものですから……」

《それだけ状況の飲み込みが早いということだろう。見込みがある》

「いやしかし、ドクのお眼鏡にかなうかどうか……」

《それは私が判断する。廊下で待っていてくれ》

「は、はい」


 ドアがノックされ、俺はどうしたものかと考えた。

 しかし、こちらの返答を待たずに二人――否、一人と一台が入ってきた。


 真っ黒いスーツを着込んだ男性が、ドアをスライドさせる。しかし、最初に入ってきたのは背の低い人型の『何か』だった。


 その正体は、最近流行りの人型ロボットだった。球体状の頭部の下に円筒型の胴体があり、そこから二本の腕部が生えている。

 さらに下部には、これまた二本の脚部が装着されている。


 スーツの男性がドアを閉め、ロボットの後ろに控えた。


「……あ?」


 俺の口から間抜けな声が漏れる。


《やあ、君は錐山剣矢くん、だね?》


 俺はロボットの頭部のカメラに向かって頷いた。


《まずはお悔やみを申し上げる。ご両親のことは残念だった。だが、今この時だから訊いておきたいのだが……。君は、この事件を起こした連中に復讐したいとは思わないか?》

「もっ、もちろんだ!」


 俺は身を乗り出し、ロボットの頭部にずいっと顔を近づけた。


《ああ、自己紹介がまだだったな。私は――ううむ、名乗るのが難しい。取り敢えずドク、とでも呼んでくれ》

「ドク?」

「このロボットの向こう側で話しているのは、君に大変強い興味を抱いているお方だ。私はただの同伴役で、ドクの支援をしている」


 俺はぽかんとしながら、スーツの男性の目とロボットの視覚センサーを交互に見つめた。

 この期に及んで自覚した。妙にぼんやりしている。まだ鎮静剤が抜けきっていないのか。


 しかし、一つはっきりしていることがある。

 ロボットの向こう側にいる人物の、強い視線だ。同情と共感、それに興味関心が入り混じった、強烈な眼光。俺はロボットの視覚センサー越しに、それを感じ取っていた。


《まあ、即答しろというのは酷だろう。彼の名刺を受け取ってくれ。彼を経由して私との通話手段が得られる》


 男性が、一枚の紙と小型の通信機を差し出す。片手に収まりきるほど小さなそれを、俺はそっと受け取った。


「名刺の裏に二十桁の番号が書かれています。通信機を鳴らして反応があったら、ゆっくりそれを読み上げてください。私が確認して、ドクに繋ぎます」

《復讐鬼なるか否か。決めるまでの猶予は、今から四十八時間とでもしておこうか。では、我々はこれで失敬する》


 スーツの男性は軽く頭を下げ、ロボットと目を合わせてから立ち去った。


         ※


 そして現在。


「随分悩んだようだったね、あの時の君は」

「ええ、そりゃあもう」


 俺は肩を竦めた。


「だって復讐鬼になんてなったら、俺もまた人殺しをすることになるわけでしょう? テロリストと同じような畜生に身を落とすことになる」

「だが、君は復讐鬼としての道を選んだ。私は選択肢の一つを提示しただけだ」

「ふっ……」


 思わず息が漏れる。ドクも白々しいな、選択肢の一つと言っておきながら、随分と大きな決断を迫ったものだ。


 復讐鬼となることを選んだ理由。それは、今ここで逃げ出してしまったら、俺が両親を『その程度の存在だった』と認めるようなものだからだ。


 俺は両親に、最大限の愛を注いでもらった。そう自覚している。自信を持って言える。

 だったら自分の身の上がどうなろうと、二人の無念を晴らすべきではないか。

 そう考えたのだ。


「私も、我ながらいいことを言った」

「何です?」

「忘れてしまったのか? 失望させないでくれよ」

「それは失礼致しました。で、あなたは何て言ったんです? 二度と忘れませんから」


 するとドクは、にっと口角をつり上げてからこう言った。


「我々は、テロリストを狩るテロリストだ」


 気づいた時には、俺もまたにやりと口元を緩めていた。とんだ悪党になってしまったようだな、俺も。

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