バケモノの戦い
それが注射器と認識するまで、約二秒。それだけの時間があれば、迷いのない敵が薬を使いきるには充分すぎる。
左手に持つ注射器を首筋に当て、一息に液体を体内に流し込む。迂闊に近寄ることもできず、エリゴスとメリアには見守ることしかできない。
いや、エリゴスは緊張から動けなかったのだが、メリアは違った。
「消えるかもしれないと言いながら使うとかマジウケる。そんなん自殺と変わらんじゃん。そんなに消えたいんなら、薬の中身をグラムに替えとけば良かったじゃん。エリーもそう思うじゃん?」
「団長、どんだけ肝が据わってるんですか。薬なしで互角だった相手ですよ。あいつの部下ですら厄介だったのに、あいつが使ったらとんでもないことになりますよ」
「だろーね。じゃ、もっともっと使ってもらって、さっさと消えてもらおっか」
「そう簡単にいけばいいんですけど」
沈んだ声色で言ってはみたが、実のところエリゴスの不安はかなり薄れていた。いかなる状況でも飄々とした態度を貫くメリアの言動が、心の濁りを拭い去ってくれる。本来なら勝ち目のない戦いに、勝利をもたらしてくれる。サリエルの使徒の目的はあまりに壮大だが、彼女とならば為し遂げられると信じられる。
「――ならば、やってみせろ」
いつからそこにいたのか。
ローライトがいるはずの位置では、空になった注射器が眼下の森に向かい、くるくると回転して落下していた。あったのはそれだけで、人の姿はどこにもない。
それもそうだろう。敵はすぐそばに立っていた。
大鎌を担ぎローライトのいた方角を見ているメリアの、すぐ後ろに。
ラストエターニアに住まう人々を即死させる剣が、死角から彼女を刺し貫く。
「――もちろん、やってみせるよ」
祭服の裾を揺らし、メリアは身体を翻す。
剣尖は端の布を僅かに裂いただけ。
回避から転じて反撃に移る。捻った身体をそのまま半回転させ、奇襲をしかけた敵を狩る。
一撃の威力を有する大鎌が虚空を裂く。
より上空に逃れることで、かわしたらしい。見上げると、ローライトが不気味に口角をあげていた。
「初めて使ったが、素晴らしいぞ、これは。もう充分に鍛え上げたと思い込んでいたが、まだまだ可能性があったとは驚きだ。手持ちはないが、望むならお前達にもわけてやろう。俺の軍門に下るならばの話だが」
「ローちゃんはさ、強くなることや支配することに、なんでそこまで執着するわけ? そんなんで楽しい?」
「最高だな。お前達のように思いつきで行動を始めた奴らにはわからん。肉体があった頃に最低の生活を強いられていた俺にとって、ここは楽園だ。かつて戦争で失った脚が、移住した途端に再生されたのだからな。データだからこそ、皆が平等だ。平等の条件を与えられるから、人々の価値は言動によって生じる。ただ脚を失っただけで顔も知らん大勢から憐れみを受け、価値の低い生き物として扱われていた俺が、わからせてやらねばならん。どちらが価値ある存在なのかを」
「ふぅん。誰かに評価されたくて、誰かを利用するんだ」
「違うな。頂点に立てば他人から評価されなくなる。目下の人間から上がるのは文句のみ。最も優れた存在である俺には、相応しい役割がある。その立場まで上りつめ、かつて俺が受けた不正な評価を撲滅して、全ての存在を正しく評価してやろうって話だ」
「じゃ、そこにいけるまでは誰かを利用して犠牲にし続けるんだね」
「妙にこだわるな。目的のためには、劣っている奴を利用することも必要だ。お前達こそ、第三師団のマナフを手にかける作戦の折、アーケディアの軍勢を利用しただろう」
メリアと会話しているローライトめがけ、エリゴスは所有しているナイフを放った。
容易くはじかれ、敵の注意が移る。見下ろす敵に、エリゴスは一度しまった小太刀をゆっくりと引き抜いた。
「べつに、自分達は誰かを評価しようだなんて思ってないんで。貴方もどこにでもいる人で、特別だとか思ってません。単に思想が合わないんで邪魔なだけです。そうですよね、団長」
普段は寡黙なエリゴスが、無理矢理に会話に割り込んだ。その事実に少々驚いた顔をしたメリアだが、部下の内に秘める想いを察して、頬を緩める。
「そんな乱暴な考えで動いてないけどね」
「団長……」
期待したものと違う反応に、エリゴスは苦々しい顔を浮かべる。
「でも、エリーがそう思うんなら協力したいかな。あーしらは別に正義の味方じゃないからさ、気に入らないから消すってこともあるよ。あーしら以外の人々が劣っているだなんて思ったことはないけどね」
「いまさら綺麗事を抜かすか。管理する側に回ろうというなら、同じ目線ではいられん。綺麗後ならば、何のつもりで人に死を与える?」
「わかんないかな~? 同じだから、苦しみから解放してあげたいわけ。それに、立場が上の人が手を下したら、それが正当な行いとなってしまう可能性もあんじゃん? もしくは不平不満だけ訴えて何もしなかったりさ。それじゃダメなの。あーしらの行動が間違いだっていうなら、歯向かえばいい。あーしらだって、これが最善だとは思ってないしね。もっと良い方法があるっていうなら、あーしらに代わってほしいくらい」
「生きる目的のない連中に死を与える行為は、好きでやってるわけではないとでも?」
「あたりまえじゃん。誰だって誰かを殺したくない。だけどさ、そうしなきゃいけない理由があるから仕方なく手を下すんだよ。そこに例外なんてない。自我を保つためだったり、財産を守るためだったり、大切な人を守るためだったり。あーしらも同じ。対象がここに移住した全人類ってだけ」
「平行線だな。お前の言うとおり、俺も俺の目的のために犠牲になってもらっている。相容れず、互いに目を背けて活動することもできないならば、やはりここで消えてもらうしかない」
「どちらかが、ね」
相槌を打つなり、メリアの身体が電子化によって消失する。
光速移動により距離を取る敵を逃すまいと、ローライトが追尾する。
ペンキをこぼしたかのような一面の青の空。緑色の輝きが随所で瞬いては消え、瞬いては消え、を繰り返す。その度、背筋のぞっとするような轟音が森のなかにも空のうえにも響き渡る。
遅れてエリゴスも戦闘に加わった。
しかし、数的有利の状況となったにも関わらず、ローライトを仕留めるには至らない。押してはいるが、彼の肉体を裂く寸前でことごとく刃をかわされる。
「当たらない……どうなってんの、これ」
「エリー気をつけてっ! ローちゃんはカウンター狙ってるんだってっ!」
メリアもエリゴスも多対一の戦闘には慣れていない。圧倒的に強いからこそ、単身で多数を相手取る状況はあっても、逆はなかった。それほど実力が拮抗する敵などいないと考えていた。
そのいないはずだった敵が、ローライト。別段不思議なことではない。サリエルの使徒は人間であることを捨てて、人間にはできない動作が可能となるよう鍛錬を積んだ。単にローライトが、別の場所で同じ訓練を積んでいただけ。
むしろ、元々は手足を失っていた彼のほうが人間としての感覚を捨てることに向いている。メリアやエリゴスに比べて一足先に、手足のない感覚を味わっているのだから。
「だとしても手を引くわけにはいかんだろッ! それがお前達の敗因だッ!」
凶悪な煌きと共に迫る大鎌を、ローライトは片手で持つ剣で受け止めた。
即座に引こうとしたメリアの祭服が掴まれる。布をちぎれそうになるほど込められた力に、彼女は逃れられない。大鎌を振りぬこうとしても、阻む刃を震えさせるだけで精一杯。
当然のごとく、メリアの身体は常軌を逸した腕力により投げられる。上空から地上に。小石ほどの体重しかないのではと錯覚するほど、あまりに軽々しく、猛烈な勢いを伴い落下する。
追い討ちをかけようと、ローライト自身もまた光速と化して降下する。
割って入ったエリゴスの小太刀が、その凶刃を受け止めた。
「なんですかその力、バケモノですね」
「お前達も充分にバケモノ級のはずだ。同じバケモノなら、強いほうがいい」
「未だ自分達を倒せてないのに、強いだとかよく言えますね」
「甘く見るなよ」
競り合うエリゴスの左腕に、違和感が奔った。
感覚を破壊することで強大な膂力を得ているため、普段から身体を動かす感覚は薄い。薄いが、わずかには残っている。
それが不意になくなった。
ローライトのもう片方の手に、エウトピア軍のものではない剣が握られていた。
「エリーッ!」
地上の森から火柱のごとく閃光が上がり、現れたメリアがローライトを引き剥がす。
中空で同じ高さに漂う三人。ローライトの右手には西洋剣。そして左手にも作り物としか思えない古代の遺産のような剣があり、剣尖が地上を向いている。
「二刀を扱うなら、相手が二刀使う場合も想定して戦うべきだったな。もっとも、今となっては二つも振れないだろうが」
喪失した左腕を見やってから、エリゴスは彼をそんな姿にした敵を見た。
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