正義の自覚
「え……うそ……」
それはアサミではなく、マリーの反応だ。アサミは喉から音が出せない。同僚がグラムで斬られたわけでもないのに消滅した事実に、心当たりがあったから。
遅れて、今度はマリーが苦悶を浮かべる。消えた同僚と同じように武器を捨て、同じように頭部の痛みを和らげようとする。それでは助からなかったと知っているはずだが、そんな余裕はないのだろう。眼球が飛び出さんばかりに目を剥いて、言葉にならない呻きを口から漏らす。
名前を呼びかけるが反応は返ってこない。こちらを見向きもしない。
アサミには、どうすることもできなかった。ローライトの直属部隊で一番友好的にしてくれた女性の見たことのない表情を、茫然自失となって眺める以外にできない。どうすれば救えるかだけでなく、救えるかもしれない方法でさえも浮かばず、思考が一面の白に染まってしまっている。
無力なアサミを相手にせず、マリーの肉体もグラムを受けた際と同様に無数の花びらと化して散った。最後の瞬間に戦友のアサミを見ることも、声をかけることもせず、ただ未知の痛みに苦しみ続けた末に、彼女はこの世を去った。
大量の桜吹雪を浴びたアサミを眺めるエリゴスが、小さく息を吐いた。
「ひどい死に様ですね。まぁ、努力もせずに相応の力を得たんだから、自業自得か」
心底うんざりした様子で呟くエリゴスをアサミが見据える。
「アンタは……なにを知っとるん?」
「何も知りません。恐らく貴方が考えてることと同じです」
「そんな……でも、うちらは、一時的に能力を上げる薬を使っただけで?」
「この世界では薬と書いてウィルスと読みます。で、ウィルスなんて単語に良い意味があるはずもありません」
そんなこと、アサミにだってわかっていた。いや、わかっているつもりだった。
厳しい鍛錬を長く積んだわけでもないのに、使っただけで強くなれる。いくら肉体のない世界だとしても、そんな便利なものが代償無しで存在するはずもない。だから、犠牲は払うつもりだった。
しかし、命を落とすかもしれないとまでは思っていなかった。ローライトには強敵を打ち負かすための能力と説明されただけ。自らが消えてしまっては、その目的は達成できない。彼の惹句は、人を騙すための虚言だったことになる。
「貴方はさっき、どうして待てなかったのかと言いましたね。生きる目的を持っていない人が、生涯を賭して叶えたい夢を探すのを待たずして、どうして消してしまうのかと。ですが、貴方だって待てなかったはず。地道に実力をあげず、得体の知れない薬に頼った。その選択が正しいと思ったからじゃないですか? 寿命がない世界でも、時間は無限じゃありません。他人がいる以上、全てが思い通りとはいきません。その焦りに、人々は行動を駆り立てられるわけです」
「よく承知しとるんやね。人の心理も、世界の在り方も」
皮肉を込めた反論に、エリゴスは真面目にかぶりを振った。
「知らないことだらけですよ。ですから、他の誰かからしてみれば、自分の行動も、サリエルの使徒の目的も間違っていると思われたりするでしょう。それでも構いませんがね。大切なのは、選んだ道に自信を持つこと。自分は、自分の選択が正しくなかったかもしれないと疑ったことは一度もありません。死神としての役割も、自分の願いも、行動も、進んだ道に後悔はなく、この先も悩まないと断言できます」
「ぺらぺらとよう喋るな。アンタは無口な男やと思っとったわ」
「貴方は自分を殺してくれるかもしれない大切な人ですから、自分のことを教えておきたいだけです」
「歯が浮くような台詞やな。アンタの言いたいんはわかる。うちに、薬に頼ったんは間違いやったと認めさせたいんやろ? 生憎やけど、うちは後悔せんで」
「ではどうします? 続けますか?」
「そんなんいちいち訊くなやッ!」
光速をもってしてエリゴスから離れるなり、樹木の合間を縫って駆け回る。傍から見れば闇雲に暴走しているようにしか見えない動作。予測は困難なはずだが、斜め正面で電子化の緑色が煌いた。エリゴスだ。同じく光と化した彼の剣が、アサミを叩き落さんと対面から迫る。
その動きを、アサミは読んでいた。
これまでの彼との戦闘経験から、勝負を仕掛けようとすれば、彼は〝アサミが最も予測できない方法〟で迎撃してくると推測した。
光速で暴れる敵に対しての、真正面からの突撃。
アサミはまとっていたマントを解いて視界を覆うように放つ。花が咲くようにマントが広がり、肉薄するエリゴスとアサミを隔てる。
刹那、展開されたマントは左上から袈裟に振り下ろしたエリゴスの剣により、あっさり裂かれた。
武器を振り抜いたエリゴスの喉元に、アサミの握る西洋剣の切っ先があった。
マントを放つと同時に後退していた彼女による全霊の刺突。大木をも貫通する威力が、一瞬の隙を晒す強敵の急所を貫く。
全神経を剣尖に集中するアサミの身体が、彼女の意思と無関係に持ち上がった。
当然刺突の位置もズレる。アサミの目に、森林の傘の合間にある青空が映る。
地上に向けて投げ飛ばされていると気づくのと、背中に激痛がはしるのは同時だった。手のひらに柄の感触がない。地面に衝突した際に、離してしまったらしい。
だけど、立ち上がれるだけの余力はある。
気合を入れて仰向けになった身体を起こそうとしたとき、青空の一点が煌いた。
次の瞬間には、左目の真横に突き立てられた剣に、ひどく驚いた表情の自分の顔が映っていた。
アサミが動きを止めたことを確認して、エリゴスは突き立てた剣から手を離す。空気に溶けるように、剣は微細な煌く粒子と変わり霧散した。
起こしかけていたアサミの上体が、支えを失ったように土の床に倒れる。
「何をしたって、アンタには届かないんか。圧倒的ってやつやね。こんな、手加減までされてまう始末やし。アンタが本気やったら、グラムやなくたって起き上がれる力が残っとるはずないもんなぁ」
「貴方の刃が鈍ってましたから、自分も加減したまでです」
「なに抜かしとんや。うちに手心を加える余裕があるわけないやん」
自嘲を込めて言うと、エリゴスは困った様子で頭を掻いた。
「嘘をつきました。貴方の目的は自分を殺すことでしょうけど、自分は違います。貴方を打ち負かすことでもありません。ただ、気に食わない。薬に頼ったのは貴方の判断ですが、自分ならそうはしない。エゴってやつですよ。やり方が気に食わないから全力を出さなかった。全力を出さずとも負けはしないと証明したかったわけです」
「回りくどい言い方やね。はっきり『薬に頼るなんて最低』と言えばええやん」
「そう言ったつもりですが」
「難儀な性格やね。ともあれ歯が立たたんかったんやから、うちにはどうしようもできん」
体重を地面に預けると、アサミは森林の空気を吸い込み、吐き出した。戦っている間は身体の外側だけでなく内側まで強張っている感覚だったが、それが背中から土に吸収されるように、脱力していく気がした。
アンドヴァリナウトの効力が切れているのだと悟った。
「貴方はまだ使用回数が少なかったから助かったのでしょう。自分としても、貴方に死なれては困ります。あんなモノ、もう使わないでもらいたいですね。自分がなんと言おうと、それを決めるのは貴方の勝手ですが」
「本当に、難儀な奴や」
瞼を閉じたアサミが、対峙する敵に尋ねる。
「マナフ師団長みたいに、ローライト師団長も殺すつもりなんか」
「反対しますか? マナフは故意に戦禍を拡大して、目的を目指して生きる人間も無差別に戦争の犠牲とする男でしたが、ローライトに比べればマシです。彼の本性をもっと早く知っていれば、マナフより優先して狙ってました。アンドヴァリナウト、でしたっけ。人を傀儡にするソレは、この世界にあってはいけません。大勢の最後の人生が狂わされます」
「うちらは同意したうえで使ってたんや。師団長だけの責任やない」
「痛み分けしようにも、生き残ってるのはアサミさんだけです。罪人に等しく罰を与えるならローライトは生かしてはおけません。それを抜きにしても、彼がもしもアンドヴァリナウトの副作用を認知していたなら、アサミさんや彼の部下達は実験道具として利用していたことになります。生き物としてすら扱っていなかったんです。平気でそんな行為ができる者を、この世界に残しておくべきではありません」
「生きる目的を持った人々を守るってだけなら、別に利用される奴らを救う必要ないやろ。利用されていたとしても、目的が達成できれば本人は満足のはず。アンタらの組織の目的とは少しズレとるんやない?」
仰向けのまま瞼を開く。下から見上げると湖のようにも見える青空に、一筋の閃光が奔る。それは一回だけではなかった。続けざまに二回、三回と、細い緑色の光がその存在を周りに示さんと巡る。
傍らに立つエリゴスも、上空で光るソレを眺めていた。
「さすが、実力で師団長まで上りつめただけありますね。団長が苦戦するなんて」
武器をしまって徒手空拳だったエリゴスが、二本の鞘から小太刀を引き抜く。アサミに向けていた刃とは違う。掠っただけでも命を刈り取る、殺すための武器を。
無抵抗で倒れているアサミを背に、エリゴスは身体に電子化の兆候をまとう。
アサミには彼を止める力もなければ、止める気も起きなかった。
「ああ、そういえばさっきの質問ですが」
何を言おうとしているか見当がつかないまま声の方向に顔を傾ける。
エリゴスとアサミの視線が交錯した。
互いに敵意を持っていない状態で向き合うのは、初めてだった。
「サリエルの使徒は関係ありません。ローライトを消したいと思うのは、自分の意志です」
理解に苦しむ言葉を残して、漆黒の祭服に身を包むエリゴスは光と化して飛翔する。
生き物の気配がなくなり、自分の心臓の音でさえうるさく思える空間に取り残されたアサミ。他にすることも、すべきこともわからず、彼女はこれまでの人生が正しかったのか、それとも間違っていたのかを知りたくて、遠い記憶に没入した。
ついでに、これからの人生を考えてみた。
この先、永遠の命をどう使っていくべきなのかを。
それもまた、アサミにとっては初めてのことだった。
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