至福

 さっきまでの激闘が嘘のような深閑。漆黒の祭服をまとう死神の覚悟に、純白の騎士は完膚なきまでに圧倒されていた。


「……でも、アンタらがどんだけ立派に考えていようとも、アンタらがうちの親友を殺した過去が変わるわけでも、許されるわけでもない。ルチルは……本当にいま死ぬべきだったん? もう少し待てなかったん?」

「いつまで待てばよかったの? 待ってたら生きる理由を見つけられた?」

「そんなんわかるはずないやん。誰も先のことなんて」

「ほんとそれ。誰も先のことなんてわからないよね。だからあーしらは待った。ラストエターニアに人類が移住して十年が経過するまで、目的なく生きる人々を見過ごしてきた。わかる? あーしらは否定するだけじゃない。ちゃんと待った」

「なんで、うちらに生きる目的を持てと教えてくれんかったん? アンタはうちとルチルの教官やったやん! うちらはアンタから電子化の戦い方を学んだ! アンタが生き残るための力を与えてくれた! それをアンタ自身が手にかけるなんて、そんな残酷なことがあるかッ!」

「生きる目的は与えられるものじゃなくて、見つけるものだから。アーちゃんはエリーを殺すために生きるんでしょ? それはエリーから与えられたんじゃなくてさ、自分で見つけたんじゃん?」

「ルチルにだって人々を守りたいって願いがあった!」

「戦争に参加しといてそれはなくない? エリーが殺したのだって、彼女が斬りかかってきたからじゃん? 他人に危害を加えず素直に生きる理由を答えてたら、エリーは手を出さなかった。わかるでしょ?」


 あの日、バインダーの外から飛んできて目の前に着地したエリゴスは、初めに理由を問うた。どうして戦っているのではなく、どうして生きているのか、と。問いに答えず彼に斬りかかったというメリアの指摘も事実。


「あんな状況で、まともに問答なんてできるはずないやん。戦闘の最中に侵入してくるんやなくて、別の方法なら話し合えたはずや!」

「別の方法って? それが思いつけるならさ、アーちゃんはどうして戦争を止めようとしないの? てゆーか、止めるどころか参加しちゃってんじゃん?」

「そんなん、無理に決まって――」

「無理だから、軍の命令に従ってあーしらを殺す? それじゃあ『無理』にしてんのはアーちゃん自身じゃん」

「違うっ! うちはアンタらが消えれば無駄な血が流れるのを防げると思ったから、ローライト団長の傘下に入ってここに来た! それがルチルの仇にも繋がってるだけや!」

「無駄な血ってなんだろーね? 無駄じゃない血との違いは? 誰が死ぬべきで、誰が死ぬべきじゃないか考えたことあるかな? あーしはラストエターニアに移住してから毎日考えてた。生きる理由の有無がその答えってわけ。アーちゃんは? 考えてないよね。環境に慣れるだけで精一杯だとか、自分のことで手一杯だとか、そういう言い訳が浮かんでくるでしょ?」

「自分の教え子の流した血が、無駄だったって言いたいんか……ッ! アンタがどんな崇高な目的を持ってるかなんてどうでもええ。ルチルはアンタを慕っとったやん! 部下のそいつに殺さぬよう命じておくだけでよかったやん!」

「あーしはそんな狭い世界で生きてないからさ。私情では判断できない。たとえば同じサリエルの使徒だったとしても、目的を失った人が出たら迷いなく殺すよ。それが、死神となり人間であることを捨てたあーしの覚悟」

「せやからルチルの命は無駄だったと、アンタはそう言うんやな」

「乱暴な言い方だけど、否定はできないかな。彼女自身が貴重な命を無駄にしたから、結果としてあーしらが救済する羽目になったんだし」


 力なく垂れ下がるアサミの腕の片側――剣を握っていない空の左手が、僅かに上げられる。その手が眩い白光を放ったかと思うと、信号弾の射出装置が出現した。アサミは既に、引き金に指をかけている。

 エリゴスが頭上を仰ぐ。大樹の群生する森林だが、アサミとメリアの対峙する地点では新緑の天井がぽっかりと空いて、雲ひとつない透き通る色の空が見える。

 どう行動すべきか。背後からメリアに視線をやると、彼女はアサミと対峙したままエリゴスを手で制した。下手に騒げば状況は更に悪くなる。そういうことだ。


「メリア……アンタには幻滅や。とことん人の道を誤っとる。アンタはルチルにそうしたように、これからも何人も犠牲にするんやろうね。うちは、うちの信じるもんのために、アンタを討つ。今のうちにできる全力でッ!」


 メリアを視界に捉え、アサミは天空に信号弾の引き金を引く。

 火薬の炸裂する音と共に、鬱蒼とした森林の闇から場違いな桃色の狼煙が天高く伸びた。

 停滞した煙が、エリゴスとメリアを捜索する部隊に救援を求める。

 これが仮想空間でなければ、狼煙の発見から援軍の到着までは猶予がある。


 けれどもここは光速を許された世界。

 煙が上がりきった頃には、電子化した兵士が光の尾を引いて四方から姿を現し、眼下の確認を省略して信号弾の発射地点に疾駆する。

 待ち受けるはメリア。刃の部分だけが怪しい銀に輝く大鎌を振りかぶり、接近に備える。迎え撃つつもりなのだ。

 天から飛来する四人の兵士。翡翠の雨と化して、あるいは光の杭となり、標的たるメリアに照準を合わせる。メリアはバネを引き絞るように、大鎌を振りかぶったまま身体を捻る。


 刹那、大鎌は三日月の軌道を描いた。

 信号弾により集った敵の兵士が引いていた光の尾は、メリアのいた地点で消失した。

 代わりに、メリアの足元にはエウトピアの軍服を着た兵士が四人倒れている。エリゴスが気づくと、彼らの身体は例外なく桜の花びらに変貌していった。


「一撃で……」


 驚きは、呆然と場を眺めるエリゴスの口からこぼれていた。サリエルの使徒が活動を始めてまだ数日。メリアが格上だとわかっていても、どれくらいの強さなのか実感がなかった。だけど、これではっきりした。

 メリアズール=レプリガラス。普段はたわけた性格をしているが、自らを指揮する長の力はエリゴスの想像を超えていた。エリゴスは安堵する。メリアの口にする大言壮語は、決して上辺だけではない。それだけの能力が彼女には備わっている。

 襲来した敵の身体だったモノが地上に積もっていく様子を、メリアは唇を結んで見下ろす。

 アサミも圧倒されただろう。メリアの対面にいる彼女に視線を移した。


 いなかった。


「後ろっ!」

「だろーね!」


 振り返りつつ小太刀を構える。

 暗闇に包まれる樹木の隙間で煌く閃光。数は二つ。

 片方はエリゴスが受け止めた。アサミではなく、別の兵士だった。

 もう片方も、メリアが鎌の柄で防ぎきる。こちらは女性兵士だったが、アサミではなかった。

 どちらの兵士も瞳に精力が感じられない。こんなものは機械と変わらない。それでも人間に喩えなければならないのなら、主の命令がなければ動けず、命令なしでは何もできない奴隷だ。

 異様な膂力を発揮する敵の攻撃をどう切り返そうか考え始め、自分の行動の欠陥に気づく。


 ――現れた敵が二人ともアサミでないなら、彼女はどこだ?


 周囲の闇を即座に見回すエリゴスの瞳が、森林の奥の一点に緑の光点を捉える。

 捉えられたということは、もう間に合わない。

 光は、見えたときには到達している。人間が操作するから本来の光速にはほど遠いが、これから援護に入ろうとするエリゴスでは間に合わない。確実に、既に電子化している敵のほうが早く到達する。


「団長ッ!」


 大鎌で競っていた相手を振り払い、メリアは手近な樹木を背に攻撃に備える。

 奇襲をしかけてきた三人目の光が、武器を構え切れていないメリアを追尾する。


 ――うそ、だ。


 回避する間も足りず、防御も間に合わない。メリアの置かれた状況は、明白だった。

 確定してしまった運命に、エリゴスの頭は真っ白になる。何を考えればいいか。何を考えるべきかわからない。

 言葉通りの一瞬。偶然かもしれない一瞬だけ無防備を晒したメリアの正面で、西洋剣を下段に構えたアサミが標的を両目に映す。

 必死の形相のアサミの目には見えていないだろうが、エリゴスには死を目前にしたメリアの表情が見えた。


 微笑んでいる。


 まだ為し遂げなければならない目的があるにも関わらず、志半ばで倒れるこの状況で、彼女はこのうえなく満足そうだった。

 それもそうだろう。死を救済と呼ぶメリアにとって、己の死も例外ではない。メリアは常に死にたいと願いつつ、死神の役目をまっとうするために生きてきたのだ。

 死に場所がここだと知ったなら、喜ばずにはいられない。だから彼女は迫る死に対して、あんなにも嬉しそうにしている。

 アサミが気づけば刃が鈍ったかもしれない。


 けれども、かつての上官を相手にする彼女に余裕はない。掲げた一振りの剣は、渾身の力をもって漆黒の祭服を袈裟に切り裂いた。

 振り抜いた直後になって、ようやくアサミは相手を視認したらしい。目の前にあった事実に、驚きを隠せずに瞳を見開く。

 無惨に裂かれた祭服を着ていたのは、茶髪の男――バレットだった。

 アサミの援護にやってきた兵士と同じように、バレットもまた上空から飛来して、メリアを狙った一撃の身代わりとなった。

 彼の手から、愛用していた拳銃が零れ落ちる。音もなく、くるくると回りながら落ちていく。


「バレット……?」


 それはメリアの声。普段とは違う呼び方、気力のない声色で部下の名前を呼ぶ。

 鮮血が噴き出すわけでもない。身体が引き裂かれたわけでもない。遠目には服を裂かれ、その下の肌を少し斬られただけの掠り傷。

 背後にいるエリゴスの目にも、結果は明らかだった。

 どんなときも悠然としていたメリアが、瞳を揺らして初めての動揺を浮かべる。バレットは体重の何倍もの重りを背負っているかのような鈍い動きで、かばった女性に横顔を見せた。

 声が出せないのだろう。だから彼は、表情だけで気持ちを伝えた。


 やり遂げた。そう主張する柔らかい顔だった。


 彼は眼球を動かして、中空で浮遊したまま硬直するエリゴスを見据える。声は出ないが、震える唇で四度続けて形を作った。


『す……ま……ん……な……』


 口元の形から言葉を読む訓練などしたことがないエリゴスでも、バレットの音にならない声は届いた。

 伝え終えて唇を閉ざした途端、バレットの肉体は無数の花びらに変わった。

 暗い森に佇む誰もが身動きせず、鮮やかな桜の雨を浴びた。

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