敵の正論

 兵士達が一斉に懐から注射器のような物を取り出したかと思うと、躊躇なく首筋に刺した。アサミも例外ではない。空になった注射器は、兵士達の掌で霧散する。間髪いれず、ウィルスを注入した兵士がサリエルの使徒に肉薄する。

 大将の首を取ろうとしたエリゴスの刃は、兵士達が動き出すより早く標的に届いた。

 しかし、薬を打ったわけでもないローライトの剣に小太刀による奇襲は防がれる。絶対的な自信を持っていただけに、エリゴスには目の前で起きた出来事が信じられない。


「そう驚くほどか? 人間であることを捨てた奴は、君達以外にだっている」

「そのアンドヴァリなんとかって薬の効力じゃないと?」

「俺は使わんよ。使う必要がないからなッ!」


 エリゴスの左右から、電子化した兵士が光速で斬りかかる。やむを得ずローライトから距離を取り、すれ違いざまに振り下ろされる刃を受け流す。地上にいては不利と判断し、空中に逃れた。

 どいつもこいつも規格外の速さだ。止まったら四方から回避困難な連撃を見舞われそうで、エリゴスだけでなくメリアもバレットも空の下で飛び回る。反撃しようにも、それさえ隙になりそうでままならない。

 グラム・エッジの描く閃光の奔流。触れただけで命を落とす危険性と釣り合わない豪雨の如き斬撃。空を飛ぶ意識を頭に残したまま回避するには、理不尽なまでの物量の波。

 敵の猛攻は尋常ではなく、サリエルの使徒の面々が〝自分と同程度〟の相手との交戦が初めてであることが、苦戦を強いられる要因に拍車をかけた。


 戦闘開始から随分長い時間が経過したように感じるエリゴスだが、実際には三十秒も経っていない。

 集中している時間が長ければ長いほど、人はミスを犯す。両手の小太刀で迫る嵐を払い除けつつ隙を探したいところだが、そもそも敵の数が多く避ける意識のみで思考が満たされてしまう。とても勝利の算段を立てられる状況ではない。


 だが、エリゴスも一人で戦っているわけではない。

 小太刀を交差させ防いだ敵の男の一撃を、頭上に向けて跳ね返す。

 崩したバランスを整えようとする男の背後に、死神の影。

 当然の帰結として男の身体は大鎌に飲まれ、雲のない空に無数の桜の花が舞った。


「エリーまた後ろッ!」

「でしょうね」


 メリアの行動に気を取られて足を留めてしまった。薬により目の前の敵を殺す以外に考えられなくなっている異常者達が見逃してくれるはずもない。

 振り返りざまに小太刀を構える。

 暗い井戸の底のような瞳をしたアサミがいた。

 振り下ろされた刃を左で受ける。光速の威力をのせた剣は重く、咄嗟に右の刀も防御に回す。

 アサミの膂力に押され、視界が中空から徐々に下降する。


「かなり強くなりましたね、アサミさん。自分を殺せるようになるまでは、もっと時間がかかると思ってましたけど」

「アンタを殺せるなら、うちは何でもする。ルチルの仇を討てるなら」

「繰り返しになりますけど、自分は生きる理由を彼女に問いました。それに答えなかったのは彼女です。永遠の命を与えられたこの世界で、生きる理由がない以上の苦しみはありません。比較対象に肉体の死滅があろうと同じです」

「そんなん押し付けや。誰が死にたいと言ったん? 殺してくれと頼んだん? 誰も救ってくれなんて言ってないやん!」

「そうですね。それに、彼女の命を奪ったのは自分の身に危険が迫ったからというのもあります」

「偉そうに語っといて、結局自分の命が惜しいだけやん」


 依然としてアサミに押し込まれるエリゴス。草原の広場を抜け、二人の身体は森林の上空に移る。叩き落そうとアサミの刃が荒れ狂う。

 地表への激突を避けられない状況で、エリゴスは冷静に問答する。彼にとって大切な人物たるアサミには、自分の考えを全て打ち明けておきたかった。


 二人を追ってきた閃光の一つが、押されるエリゴスの動線の先で人の姿を取り戻す。

 振りかざされる刃。アサミに拘束されるエリゴスに逃れる術はない。

 眼下の森林が覆う暗闇を、鮮烈な光が駆け抜ける。

 森林を走る光の放った一条の光線が、エリゴスを待ち構える敵を消し去った。


「お膳立てはしてやったぜ! お前はそのガールフレンドの目を覚ましてやれ!」


 バレットのうるさい声が脳内に反響した。わざわざ通信で報告してくれるとは律儀だ。ありがたいが、あまり借りは作りたくない。

 アサミを振りほどけないまま、二人は大木の群生する森林に侵入する。

 ここならば易々と捕捉されないだろうと思ったとき、視界の右端からまたも閃光が現れる。

 その光はエリゴスを襲わず、アサミを彼から強引に引き剥がした。


「アーちゃんさー、エリーが好きなのはいいけど、なーんか違くない?」


 樹木の葉によって天井が構成された場所で、大鎌を肩に担いでメリアは静止する。身体は地面から一メートルほどの位置。彼女の目線に合わせるように、アサミも元上官と向き合う。

 エリゴスも動きを止め、メリアの後ろに控えた。ここならば、敵も容易には発見できない。


「メリアズール……アンタには関係ないやろ。うちらを裏切ったアンタに、部下だったルチルの死を肯定するような奴に、うちを咎める権利があるんか?」

「権利とかさ、そーゆーのどうでもよくない? アーちゃんがしたいようにする。それだけでいいじゃん?」

「そうやったら、うちは生きる目的を果たす。それがアンタらサリエルの使徒の願いなんやろ? うちがアンタら殺すことを望んだら、アンタらは喜んで死んでくれるんか?」

「そーだね」


 即答したメリアに、アサミを取り巻く殺意が鈍った。

 それも束の間、彼女は鋭利な眼光でメリアを睨む。


「ふざけんといて。人を裏切るだけ裏切って、殺すだけ殺して、自分が死ぬ気なんてさらさらないくせに」

「嘘じゃないって。あーしにも生きて叶えたい目的があってさ、それが叶ったら、今度はアーちゃんの目的のために喜んで死んであげるよ。そうなったら嬉しいのもホントだよ?」

「それが生きる目的のない人の殺害なん?」

「そ。この世界には寿命って概念がないから、代わりの仕組みが必要じゃん?」

「寿命がなくたってええやん。好きなように生きて何が悪いん?」

「じゃあ訊くけど、アーちゃんはいつ死ぬの?」


 またも、アサミの決意が削がれた。投げられた問いに、彼女はすぐさま答えられない。


「寿命がないんだから、命の終わりを意識して生きなきゃいけないじゃん? アーちゃんはできてる? アーちゃんの周りにいる人は? エウトピアの人は? アーケディアの人は? この世界に移住した全ての人が、みんなできてると思う?」

「そんな、大勢の人……」

「それならみんなで楽しく永遠を生きる? 何百年、何千年、何万年、毎日変わらない平穏な暮らしをする? それってホントに平穏って言えるのかな?」

「地獄だって、そう言いたいんかね」

「物語は終わりがあるから美しいと感じるわけ。人の暮らしも、命も同じ。だから生きる目的を持って美しく、人間らしく生きてほしいだけ。そのために、あーしらサリエルの使徒はラストエターニアの一部になると決めたの。寿命の代わりに終わった物語を片付ける務め、死神の汚名を背負うってさ」


 メリアに向けられていたアサミの剣尖が、静かに下された。

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