仮想の肉体

 赤いクッションを敷いた椅子の背もたれに首をのせ、天井を見上げるだらしない格好でメリアが座っている。すぐ隣には、彼女の呼び出したアルテミスが清楚な服装に見合う姿で立つ。エリゴスとバレットは部屋の隅で、ふたりの会話を傍聴していた。


「あ~、もうさー、なんでみんな生きる理由を持てないんだろーね? あーしらだって、正直殺しとかしたくないんじゃん? そのへんテミスちゃんどうよ?」

「すみませんが、『どうよ』が指す事柄が不明です」

「そりゃあアレよ。テミスちゃんは全部知ってんじゃん? どうして永遠の命を人類が有効的に活用できないか、実はもう分析できちゃってたり?」

「私にわかるのは、ラストエターニアで生まれたものだけですから、外から来た人間の思考までは読めません」

「ま、そうだよね~。そんならそれでさ、開発した人達には対策を考えておいてほしかったよね。グラムって自殺の方法あっても、それができる勇気のある人は一握りだし、そういう人は命と真剣に向き合ってるから大抵は生きがい見つけるじゃん? 現実と違ってお金にも住む場所にも困らないから自殺に追い込まれる状況もありえないし、何もせず何も考えない人が一番地獄だってわかりきってたはずじゃん」

「以前も申し上げたように、開発者は人類のラストエターニア移住を見届けてすぐ、例外なくグラムで命を絶ちました。嘆いてもどうにもなりません」

「生きていた理由がソレだったから、満足して死を選んだわけじゃん? 素晴らしい選択だけど、あーしらが立ち上がらなかったら、まあまあなディストピアになってたよ?」

「開発者の皆様がご存命であれば、それも人類の出した結果と言って受け入れたでしょう」

「いつもそうやってアタマいい奴は一つ上からモノを見るんだよね~。そーゆーのホント無理。ねぇバレたん?」


 背もたれにかけた首を横に向け、苦笑いのバレットに同意を求める。


「マジ無理っすね! あいつら自分の手を汚そうとしねぇっすから! 正しいと思っても、そん時は何もしなくて、誰かが行動すると自分は正しかっただとか抜かしやがりますからね!」

「そこまで言ってないけどね~」


 話を流すように言ってメリアはまた天井を向く。バレットは今日も完璧にセットした茶髪オールバックの頭をぽりぽりと掻いた。彼と並ぶエリゴスには「塩対応だ……なにを間違えた……なにを……」と自省する声が届いていたが、面倒なので聞こえないフリを貫いた。

 天井の高い、サリエルの使徒が拠点とする洋館の一室。建物を取り囲む森の木々は、二階建ての洋館に匹敵する高さだ。ゆえに、館内から見える景色は、どの方角も大差ない。

 自然が豊かな土地に建てられた住まいは、雑音が消えると静けさが際立つ。それは心地の良い静寂でもあるが、エリゴスは気がかりなことがあり、置物のように微動しない管理AIを見た。


「アルテミス、アサミさんはどうなった? 昨日、ここのエウトピア軍に救出されたって聞いたけど」

「お、いいねぇエリー。恋人を心配してあげるのはポイント高いよ~」

「ポイントとかあるんですか」

「どんなこともポイント制だよ? 一日に行動できる回数とか、料理のおいしさとか人の評価とか、ぜーんぶ無意識にポイントつけてるんだって」

「頓珍漢な説明をされると思ったら、案外的を射た話で驚きました」

「しかも昨日、殺人鬼から助けたんじゃん? ヤバいよもう。殺してくれるどころか恩を返すために命を張ってエリーを守ってくれちゃうかも」

「それは困るな……」


 恩を売ったつもりでも、友好的な関係を築きたいわけでもない。アサミには生きる理由を果たした自分を殺す役目があるのだから、あんなところで消えてもらいたくなかった。自分を殺すことで彼女の理由も満たせるなら、これ以上の消え方はない。エリゴスは本気でそう考えている。

 それはそれとして、投げた質問の回答を催促する意図を込めて、エリゴスはジッと佇むアルテミスに目配せする。彼女はその合図を待っていたのか、エリゴスに対して頷きを返した。


「アサミ様は既に、ローライト様の直属部隊が駐留する惑星に戻っております」

「あの砂漠の? なんであんな辺鄙な場所に拠点を構えたんだろ」

「人目につかないから都合が良いと聞きました。ローライト様は新しい道具を開発してますから、敵に勘付かれたくないようです」

「道具か……第三師団のマナフを消したからアーケディアとエウトピアの戦力差は拮抗するだろうって予測だけど、その道具があっても結果は変わらない?」

「そこまでは不明です。集中力を増幅させるウィルスだと聞きましたが、ラストエターニアに初めからあった代物ではなく、新たに開発されたモノなので。私の管理外です」


 世界の誕生と共に生まれた、言うなれば神のごとき存在たる管理AIにわからないことがあるのか。そう疑惑を抱いたこともあったが、アルテミスもアポロンも、最初からあった概念以外知るはずもない。ハードウェアの開発者が、それに対応するソフトウェアの仕様を知っているとは限らないように、世界にあっても知らない事柄は多くあるのだ。

 管理AIは目的の一致から、サリエルの使徒には全面的に協力してくれている。知らぬと答えられたら、本当に知らないのだ。同じ部屋にいる三人とも、それを追求したりはしない。


「ローちゃんに詳しいわけじゃないけど、あーしの勘では、ローちゃんには手を打っておくべきだと思うんだよね」


 椅子の背もたれに置いた首をぐりぐりとストレッチしながら、真面目に話しているのか疑わしい声色でメリアが言った。エリゴスが眉根を寄せる。


「戦禍を拡大させていたのは第三師団のマナフだったのでは? 彼がいなくなった以上、しばらくは戦況が落ち着くって話じゃないの? だからマナフの居場所をアルテミスに教えてもらったし、アーケディア軍を利用してまで攻め入ったんじゃなくて?」

「あーしもさ、あのおじさんだけで充分だって思ってたんだけどね。ローちゃんの部隊はエウトピア軍で最も戦果が低かったし。遊撃部隊みたいな位置付けだからなんだけどね。このまえの、マナフがやられたあとに駆けつて挽回させたみたいな」

「団長は、ローライトの部下の個々の能力が強いから警戒してるわけですか?」

「うーん、それもあるけど、なーんか違うモノを見てる感じがするじゃん? テミスちゃんの教えてくれたように、能力強化のプログラムを自作するんだよ? なんかヤバそうくない?」

「現時点の情報だけではなんともいえないんですけど……」


 メリアは勘と言っているが、実は彼女なりに考えた根拠があって主張しているはずだ。理由を語る手間が面倒だから勘などと適当を言っているに過ぎない。二年も一緒に過ごすうち、いい加減そうなメリアが、裏でどれだけの悩みと向き合っているか知ってしまっていた。

 解説してくれず納得がいかないときでも、メリアを追及しても意味がない。やはり面倒くさがって文句を垂れた後、明後日の方向に話題転換して有耶無耶にされることが常だ。ゆえにエリゴスはこんなとき、文字通り全てを監視しているアルテミスに尋ねる。


「アルテミス、個人に関する情報ならありますよね。別に誰かの思考を読んでほしいわけじゃない。この世界のデータベースにある住民達の過去データを参照してもらいたいだけだから。もっといえば、エウトピア軍のローライトの情報がほしい」

「立派な個人情報の不正取得ですよ」

「他人を手にかけてる自分達にとって、個人情報の不正取得なんて些末な罪です。罪を裁く人もいないんで、どうでもいいでしょ。貴方が許してくれるなら」

「悪いことを考えますね。ローライト様の過去に関する検索が完了いたしました」


 そう言って部屋の壁に手をかざすと、アルテミスの手首で浮遊する三つの輪が光を放つ。変哲のない壁面が緑色に輝いた直後、壁全体が巨大なモニターに変貌した。そこに映されていたのは、いくつもの動画と画像。その全てにローライトが映っている。

 モニターの隅にあった経歴書のような画像が拡大された。金髪を額の中央で分けているローライトの写真が経歴書に貼付されている。軍人らしい精悍な顔つきだ。


「ローライト様は、現在三十九歳。エウトピア軍の第二師団の長を務めておりまして、師団長としては最年少です。軍人としての功績を重ねて昇格した実力派でありながら、グラムを応用した武器開発にも携わる智将です」


 エリゴスは静かに首を振る。


「それだけじゃあ大したことなさそう。そのローライトという人だけが持っている特別な何かとかはないの?」

「彼はラストエターニアに移住する以前、現実世界でも軍隊に属していた時期があります。エウトピアが建国される以前も軍に籍を置いておりました」

「別に珍しくないでしょう。そんな人いくらでもいますよ」


 働いている人々は、大半が地球にいた頃の職業を継続している。かつての職業が軍人である場合も例外ではない。戦争勃発により兵士の数は爆発的に増加しているが、誰もが未経験というわけではない。開戦以前から軍隊は存在して、元はラストエターニアの治安維持を目的としていた。

 戦争により国が分裂する以前、仮想世界の名前がそのまま国であり、軍隊の名称でもあった。上層部の価値観の相違と私欲により一つだった国は二つに分かたれ、軍人達はどちらにつくか選び、ローライトはエウトピアの軍人となった。


「ローちゃんはさ」


 ふたりの会話を聞いていたらしいメリアが祭服の下で足を組み、頬杖をついて遠くを眺めながら割り込む。


「昔戦争で脚を失ったんだってさ。本人から聞いたわけじゃないんだけど、実際どうなの?」

「真実です。ローライト様は現実で脚を失っておりましたが、仮想世界に移住するタイミングで復元されております」

「そりゃそうだよね。脚どころか全人類がつま先から頭のてっぺんまで失ったんだから、脚を復元するくらいどうってことないもんね」


 困ったものだと言わんばかりにメリアが深く息をつく。エリゴスは澄ました顔のアルテミスと悩むメリアを交互に見比べ、顎に手をやった。

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