勧誘

 彼女の命が刈り取られる刹那、鮮やかな青色の閃光が居間の天井を貫く。

 閃光は振り下ろされる刃を凌駕した。

 その場にいた誰もが、何が起きたのか理解できずにいた。

 ベアルの剣はアサミに達するより早く閃光に弾かれ、正体不明の衝撃にベアルの身体が廊下の壁に叩きつけられる。


「なんだッ!? なにが起きたッ!」

「電子化なのかッ!? だが何故ここをッ!?」


 侵入者達が喚く頃には、天井を貫いた青い閃光は消えていた。

 男達は武器を構え、室内に視線を巡らす。どこにも侵入者の姿はない。説明のつかない事態に混乱は増すばかりで、意見を乞うようにベアルの顔を窺う。


「うしろ」


 幼い子供のようにベアルが単語を呟く。

 気力の失われた声が男達の耳に届くと同時、彼らの背中を凶器が串刺した。

 二本の漆黒の剣。ふたりを背中から突いた刃は、肉体を貫通して居間の地面に突き立つ。ふたりとも身体が倒れきる前に、命を桜の花弁に変えて絶命した。

 花弁の山から武器を引き抜き、突如現れたもう一人の侵入者は無表情でベアルを見据えた。


「貴方がベアル=カルセドニーですか? あれ? もしかしたら、いまのふたりのどっちかだったかも。確認するべきだったな……」


 現れた人物に、アサミは驚くしかなかった。もしかしたらローライトか、エウトピアの軍人の誰かが助けにきてくれたのかと思ったが、侵入者の服はエウトピアの軍服とは正反対の色だった。

 双剣だけでなく、まとう衣服すらも黒一色に染められている。教会の神父が着る祭服のようなデザインは、自らが人々を救済する立場だと主張しているかのよう。まったくの偽りであるにも関わらず。


「エリゴス……なんでアンタがここに……」


 名前を呼ばれ、エリゴスの目が倒れ伏すアサミに向く。彼は間の抜けた顔を見せた。


「あれ、アサミさんじゃないですか。足、撃たれてますよ? 両方とも」

「そうやないっ! アンタ、ずっとうちをつけてたんか?」

「いや、団長と去ったのを見てませんでしたか? いくら貴方が大切な人でも、ストーカーまではしませんよ。失礼ですね」

「そんなら、なんでうちがここにいるってわかったん?」

「アサミさんに会いに来たとは言ってないでしょ。自分が常に貴方目当てで行動してると思わないでください」


 癪に障る言い方だったが、それ以上にエリゴスの現れた目的が気になった。

 西洋剣を構え直したベアルに、エリゴスは長い前髪の奥から視線を浴びせた。


「ああ、やっぱり貴方で間違いないですね」

「僕は君を知らないけどね」

「貴方がこの惑星のとある集落の住民を皆殺しにしたから、自分がその罪を裁きに来た。説明はそれで充分ですね?」

「見たところ、エウトピアの軍人ではないように見える。なんの権利があって僕を裁くのかな?」

「権利も許可も知りません。自分の理想とする世界には貴方が邪魔だから排除するだけです」

「つまりは同類というわけかね? 僕と同じ、ただの人殺しだ」

「まぁそんなところです」


 淡白に答えるなり姿勢を低くしたかと思うと、エリゴスは忽然と姿を消した。

 室内を見回すアサミ。次に彼を確認したのは、剣を構えるベアルの背後だった。

 ベアルは一歩も動けず立ち尽くす。敵が背後にいる事実にすら気づかない。

 ベアルの脇腹が、巨大な獣の爪で裂かれたように削がれていた。

 視界を舞う桜が自分の身体から湧き出ていると気づき、ベアルの手元から握られていた剣がこぼれ落ちた。


「うそだ……ぼくはまだ死にたく――」


 断末魔の叫びをあげる暇もなく、絶望に染まった彼の肉体は破裂するように無数の花弁に変貌した。

 ひらひらと桜の舞う景色のなか、エリゴスは武器を鞘に戻した。

 黙したまま一部始終を見届けたアサミに近づき、彼はジッと彼女の顔を見つめる。


「あんな奴に遅れを取っていては、いつまで経っても自分は殺せません。それは困るんで、もっと精進してください」

「ふ、普通にやったら負けたりせんっ! あいつは、アンタが殺したうちの親友の父親だったから油断したんや! ……言い訳やけど」

「親が殺人鬼だったんですか。気の毒に。自分の鬼退治が少しでも鎮魂になればよいですね」

「そもそもアンタがルチルを殺さなければ、」


 続きを言おうとして、ベアルの言葉を思い出した。

 彼は自分の娘すら殺すつもりだった。エリゴスがルチルを手にかけなかったとして、必ずしも彼女の未来が明るかったわけではない。そう思うと、エリゴスを非難する気になれなかった。


「……なんでベアルを追ってたん? あいつがここにいたから、アンタは来たんやろ?」

「彼は何人もの罪のない人々の命を奪ってたんで、それを止めるために自分が来ました」

「アンタやメリアのいるサリエルの使徒も似たようなもんやん。アンタらに止める理由があったん?」

「自分たちの目的は、あくまでも生きる目的を持たない人の救済です。それは同時に〝目的を持つ人〟を守る行為でもあります。ベアル=カルセドニーは後者の人々にとっての障害と判断されたんで。付け加えるなら、自分が個人的にも排除したいと思う存在だったんですよ。だからこうして、わざわざ消しに来たわけです」

「ずっとベアルをマークしてたんか。なんでこのタイミングなん? うちが無様にやられるのを陰で笑ってたんか?」

「だからアサミさんがいるなんて知らなかったと言ってるじゃないですか。標的がここに住んでるのも、ついさっき調べがついたばかりですよ。最速で駆けつけたと言ってもいいレベルです。恩を売るつもりはないですけど、自分が少しでも遅ければアサミさんは殺されてたんじゃないですか?」


 悔しいがその通りだ。殺したいほど憎む敵に命を救われるなど、これほどの屈辱もない。ではこれで命を狙うのは止めるかといえば、そうもいかない。アサミはまだエリゴスを許す気にはなれなかった。

 しかし、家主の消え失せたこの空間にいる間は、たとえ今すぐ負傷した足が動くようになったとしても、親友の仇の男に斬りかかるつもりはなかった。厄介な恩を買ってしまったものだ。

 床に落としていた顔をあげると、表情の変化が薄いエリゴスに興味深そうな眼差しを向けられていた。


「斬りかかってこないんですね。自分を殺すことが貴方の生きる理由ではありませんでしたか?」

「助けられておいて背中から斬りかかるほど恥知らずやない。それより、アンタ調べたからベアルの居場所がわかったって言っとったな。けど、それはベアルを元々疑ってなきゃ成立せん。いつからあの男が殺人鬼やって知ってたん?」

「ベアル=カルセドニーが一方的な殺人を繰り返してる事実もついさっき知ったばかりなんで、細かい話はわかりません」

「……ちょい待って、そんなんおかしいやん」


 質問攻めに参った様子のエリゴス。彼の迷惑に思う心境を無視して、アサミはエリゴスの話に不可解な点があると気づいて更に質問する。


「アンタは殺人鬼の存在は知っとったけど、それがベアルとは知らなかったん? ベアルが犯人って真実、彼が住んでいる場所、その両方を同時に知ったんよね? もしそうなら、誰かがアンタに教える以外ありえん。誰なん? 裏の情報に精通した協力者でもおるんか?」


 アサミに問い詰められている途中、エリゴスの口元が何度か動いていた。おそらくは、誰かと通信で喋っているのだろう。話を聴けと怒鳴ろうとしたが、一足先にエリゴスが何者かとの通信を終えて目の焦点が戻った。未だ二本の足で立てずにいるアサミを見据える。


「どうやらエウトピア軍の兵士が接近しているようです。一応領地ですから巡回してるんだろうけど、見つかっても厄介なんで自分はこれで失礼します」

「まだうちの質問に答えてないやん!」

「すみませんが、訊かれたら何でも答えてもらえると思ってるんですか?」

「そ、そんなわけないやんっ! 普通なら思わんけど、アンタにとってうちは大切な存在なんやろ? だったら答えてくれるんかと思っただけや」


 アサミはそう言ってすぐに後悔した。敵に疑問の答えを求めた恥をフォローしたつもりなのに、これでは無理に教えてもらおうとしているみたいだ。

 頬が熱くなるのを感じた。窮地を救われ、エリゴスへの敵愾心が鈍くなっているのかもしれない。この男は、この家に住んでいた親友を殺した張本人なのに。


「生憎ですが、自分達の組織の機密なんで自分の一存では教えられません。あ、そういえば団長が貴方を欲しがってましたけど、組織の一員になる気はありますか? そしたら、貴方の疑問の答えがわかりますけど」

「ありえんやろ。メリアもうちの信頼を裏切った憎むべき敵や。アンタらのやり方だってうちは納得できん」

「そうですか。では、団長にもそう伝えておきます」


 ひたすらに抑揚のない声色で喋ったあと、エリゴスの身体から青い光が放たれる。電子化で去るつもりだろうが、負傷しているアサミに彼を阻む術はない。歯痒い思いで彼が青い閃光と変わっていく過程を眺めていると、閃光はどこかへ飛んでゆくのではなく、その場で弾けるように消失した。

 光とともに、エリゴスもまた忽然と姿を消していた。

 これまでに幾度も彼の瞬間移動の如き速度を目の当たりにしてきたが、気を張っていてもまるで追えない。ベアルを貫いた際はまだ残像を追えたが、いまのは本当に姿が消えたようだった。身体が万全なら尾行してサリエルの使徒の潜伏先を突き止めようと思ったかもしれないが、仮に万全でも彼の移動速度についていける気がしない。エリゴスの言うとおり、絶望的なまでの実力差がある。埋めようとしなければ永遠に埋まらないし、このままの訓練を続けているだけでも彼の実力に追いつけるとは思えない。


 エウトピア軍にいながら、あまり戦いに積極的ではなかったツケか。

 努力してこなかった人間が気持ちだけ奮い立たせたところで、急に成長できるわけがない。勉強してこなかった人が勤勉な人に追いつくには、同じだけの勉強量をより短時間でこなさなければならない。同じように、強くなろうとしてこなかった私が強くなろうとしたら、一朝一夕ではどうにもならない。

 無力だ。守る力もなければ、戦う力もない。

 エリゴスを倒せる日は来るのだろうか。

 そもそも私は、まだ本当にエリゴスを倒したいと望んでいるのだろうか。


 床に突き立てた剣の柄を離して、アサミは大の字に倒れた。汚れのない白い天井を見つめ、惑星全域を対象に自軍の兵士に救援を呼びかけた。

 エリゴスが警戒した付近の兵士に、アサミはルチルの家の座標を伝えた。駆けつけてくれるまで一分もかからないはずだ。

 模様のない天井を映す視界が、じんわりと滲んでいく。

 血筋の途絶えた親友の家。その場所で孤独に待つ一分間は、これまでのアサミの人生で最も長く感じる一分間だった。

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