最後の言葉
「安心してほしい。ただの弾だから死ぬことはない。これだけではね」
早々に立ち上がらなければならなかった。立ち上がり、立ち向かわなければならない。そう自身を鼓舞するアサミの心境を嘲笑うように、彼女の右足から全身に激痛が支配する。
鈍い動きながらも、手にしたエウトピア軍の誇りたる剣を杖に、アサミは上半身を起こす。左足は床を捉えたが、撃たれた右足は引き摺ったままだ。
その残った無傷の足も、二度目の銃声と共に力を失う。支えを失ったアサミは水に溺れた人が棒に捕まるように、必死の形相で剣の柄を両手で掴む。
家に侵入してきた男達は手を出さず、不快そうにアサミを睨む。ふたりの装備は、それぞれ自動小銃と安価そうな剣。どちらもアサミは見たことがある。一般人にも出回っている武器だ。しかし、どちらもグラムの効力はない。人を痛めつけることはできても、殺すまでは至れない。
厄介なのは、背後の人物だ。信じたくはないが、否定できる要素は一切ない。両足を撃ち抜いたペテン師を、剣に体重を預けて見据えた。
「どういう反応を期待しとるか知らんけど、アンタがうちを撃ったんはわかった。けどなんでや? アンタにうちを殺す理由なんかないやろ」
「ところがあるんだ。別にアサミさんが悪いんじゃない、アサミさんがエウトピア軍の兵士を選んだ運命、ルチルと親しい間柄にさせた天の巡り合せが悪かったんだ。僕には少々秘密があってね、都合が良くないんだよ、君にこのまま帰られると」
「秘密なんてあらへんやん! ここで慎ましく生きてるだけって言うてたやん! 妻と娘と過ごした土地を離れたりもせず! いつでも帰ってきた娘に会えるようにしてたんやろ?」
「そうだよ。アサミさんに話した内容通りだ」
ベアルの手元から拳銃が消失する。自分のデータフォルダに保存したのだ。ラストエターニアでは、手で持てるサイズの物であれば、ある程度まで任意にデータ化と実体化を切り替えられる。データ化している間は、いつでも実体化が可能だ。
ただし、グラムで生成された武器は容量が通常武器の何十倍もあるためデータとして収納はできない。だからエウトピア軍、アーケディア軍の兵士は全てがゼロとイチで構成される世界においても武器を装備しているのだ。
「全部、エウトピアの兵士が尋ねてきたら話そうと思っていた通りに伝えた。警戒されないためにね。これからも同じように話をするつもりだよ。『君の行方は知らない』という台詞を付け加えてね」
「嘘やったんか。うちと畑で会ったときから、うちを騙すつもりやったんかッ!」
「騙す気のない嘘は嘘と呼べるのかい?」
「なんのためやッ! アーケディア軍と通じてるんか!?」
「さぁ、どうだろう。それを教えたら自軍に情報を送って、ここで永遠に終止符を打つかね?」
背中を見せたベアルは、壁に掛けられていたルチルが渡したという剣を手に取った。左手に鞘、右手には柄。貢物を差し出すような丁寧な手つきで、居間に転がるアサミに見せ付けるように彼は剣を傾ける。
刃を引き抜き、納めていた鞘は床に放り投げられた。鉄が木の板を転がる重い音が反響する。アサミが杖代わりにしている剣と同じ物を、ベアルは正面に掲げた。
「ルチルが護身用にと託した武器で、うちの命を奪うんか?」
「娘から渡された話も、同情を誘うための作り話だよ。アサミさんは彼女から実家に帰った土産話を聞いたことがなかったんだろ?」
「そんな……ほんならどうしてアンタがそんなもんをッ!」
「量産されている品なら、いくらでも方法はある。アサミさんが思ってるほど世の中は綺麗じゃない。自軍の武器を売りさばいて儲けようとする人はいる。こうして需要がある限りはね」
「情けない奴らめ……そんな物騒なもん、いつ使うんや。グラム・エッジなんて日常生活で使う機会ないやん」
「その永遠に続く退屈な日常生活から抜け出そうと入手したんだ。それで、最初に妻が消えた。妻は僕にとって日常生活の象徴だったからね」
平然と声にした一言にアサミは戦慄する。
ベアルの本性は想像を絶するほど醜く歪んでいた。妻を失った悲しみを乗り越えて立派に生きている? そんなふうに評価した自分が恥ずかしい。
「アンタが……アンタが自分で妻を殺したんか」
「武器の威力を確かめるにあたり、手近な人間は彼女しかいなかった。そもそも妻というけどね、ラストエターニアでは命は永遠だよ? 死ぬまで一緒なら耐えられても、永遠に一緒を耐えられる夫婦はいない。妻という間柄ではあったけど、同時に大勢の一人でもあった。僕のためになれたなら、妻として在りたかった彼女も本望だと思うよ」
「ルチルが実家に帰らなかった理由がようわかった。あの墓も、うちみたいな邪魔者を騙すためだけに立てたんやね」
「効果覿面だったようで、仕掛けた甲斐があったよ」
にやけた様子もなく、ベアルは至って冷静に受け答えする。隙がなかった。どうにもならない状況に追い込まれたアサミの正面に、ベアルは手にした西洋剣の剣尖を見せ付けるように突きつける。
「グラム・エッジ。これは実に危険な代物だよ。なにせ先端がちょっと皮膚を裂いただけでも、あっという間に傷口から全身にウィルスが伝染して、例によって命は桜と変わり散る。しかしこの永遠の命が散った直後の桜吹雪は実に美しい。あれが見れるなら、人の命を奪うだけの価値はある」
「――おい」
一瞬だけ助けが来たのかと思ったアサミだが、割り込んできたのは居間の入口で変わらず待機している男のひとりだった。
「喋りすぎだ。いつまで待たせるつもりだ?」
「今日はやる気がないなら帰るぞ?」
便乗して、もうひとりの男も言った。。
片方は不機嫌を前面に押し出し、片方はけだるそうに部屋の壁にもたれかかっている。あの二人くらいベアルも油断してくれれば、武器を奪って形勢逆転を狙えるが、彼はアサミの目と鼻の先に振り下ろした剣を引くつもりがなかった。
ベアルは身内の男二人には見向きもせず、未だ立ち上がれないアサミに目を落とした。
「このふたりは協力者です。奇特な方々で、入手しようと思えばグラム・エッジが手に入るのに殺せる能力のない武器を好んでいます。色んな方法で痛みを与えて意識を飛ばすのが好きだとか。おかげで僕は、彼らの後始末役ですよ。先日行った集落の襲撃もそうだった。今回も、僕は動けなくなった人の命を奪う役目なんです。まさに死神ってところですかね」
「死神……」
それならもう他にいる。こいつらはそんな大層な存在ではなく、卑劣な悪魔だ。他人の感情など気にも留めない。近いうちに、ベアルは身内の男達も手にかけるだろう。アサミが何を言っても聞き入れられるはずもない。もはや言葉の通じない、別の生き物と化している。
「また長々と喋ってしまいました。一人でいる時間が多いからか、喋る機会があると無駄に饒舌になってしまって困ります。では、会話はこれで終了です。君の永遠に続くはずだった命も、ここで打ち切りになります。残念でしょうが、そういう運命なのでしかたがありません」
「もし、今日アンタを訪ねたのがルチルだったら、アンタはどうするつもりやったん? 自分の血を分けた娘やったら」
ベアルの片方の眉が、僅かに動いた。しかしそれは動揺というより、死を間近にしながら命乞いをせず、まったく別のことを尋ねられ意外だったから。
「同じことですよ。娘だからといって容赦はできません。先も言いましたけど、僕にとっては家族もその他大勢の他人の一部ですから。アサミさんに対して行ったことを、そっくりそのまま実行するでしょうね」
「殺すんか?」
「他に道があるとは思えません」
「ルチルが可哀想やね。アンタみたいな殺人鬼を親に持ち、母親を殺され、自分まで命を狙われていたなんて。それなのに、彼女はいつも前向きに明るく振るまっとった。これを聞いてもなんとも思わんのかッ!」
「自立したのでしょう。軍になど入らなければ長生きできたようにも思いましたが、家にいても消えておりました。そういう運命だったのです」
なんて、救いのない。不幸な家庭に生まれながら平和のために兵士として戦い続けていたのに、若くして命を落とすばかりか父親が母親を殺していた。ルチルが死んでしまったいま、この父親を生かしておく理由も価値もない。今すぐにでも脳天から叩き斬ってやりたい衝動に駆られている。
けれど、感情に反して身体は動かない。一度くらいなら勢いで立ち上がり、倒れ伏す最中に一撃を見舞うくらいならできそうだが、そんな攻撃が当たるはずもない。あまりにも無意味だ。
「しかし、最後の言葉がルチルへの同情とはね。少々面倒だが、君の墓場を妻とルチルの眠る場所に作ってあげよう。君の不幸への同情といったところかな」
芝居がかった台詞を吐き、ベアルの剣がアサミの首筋に振り下ろされる。
無念に表情を歪めるアサミだったが、刃は接触の寸前で止まった。けれどもそれは何かに阻まれたからではなく、ベアル自身の意思で止められていた。
彼は至極つまらなさそうに、冷めた視線でアサミを見据える。
「実につまらないね。永遠だったはずの命を失おうとしているのに、惜しんでいる様子がない。いま君の頭に描かれたのは、死ぬことへの恐怖じゃなく、果たせなかった約束だとかへの後悔、あるいは誰かへの懺悔だろう。違うかね?」
どんな意図で質問しているのか不明だが、ベアルの言葉は図星だった。
刃が振り下ろされた瞬間、アサミの思考を巡った感情に〝死にたくない〟はなかった。
まず、親友であるルチルに謝罪した。仇を討てなかったことと、父親の暴走を止められなかったこと。それから私怨を果たすために手を差し伸べてくれたローライトにも謝罪した。新兵に等しいのに直属部隊に編入させてくれた恩に応えられず、敵と戦う前に命を落としていく不甲斐なさを深く詫びた。
最後に、運命を捻じ曲げた張本人であるエリゴスの不幸を願った。正しく生きてきたはずの私がこんな目に遭うのだから、勝手な理由で殺人を行うあの男は何倍も凄惨な死に方をしてくれなければ気が済まない。私の手で葬れないなら、せめてそうなってほしい。そうなるべきだ。
そうなるなら、自分で手を下せなくたっていい。
「もういい。このあとも予定があるのでね。君とはここでお別れだ。この仮想世界にも〝あの世〟があったら、ルチルに伝えてやるといい。お前の価値のない正義感のおかげで、私は殺されたと」
自らが生に固執していないと自覚して、アサミの心で燃えていた絶望的な状況に抗おうとする灯火が、静かに消失した。
エリゴスにルチルを殺されたとき、生きている理由を問われて咄嗟に仇を討つために生きると答えた。あのときは確かにそう思ったのに、少し時間が経っただけで、もう執念は薄れてしまっている。その程度だったのだ。
生まれてから二十二年間、生きている意味など一度も考えなかった。きっかけがなければ、こうして向き合うこともなかった。だけど、所詮は付け焼刃。昨日まで能天気だった人間が、たった一日で変われるはずもない。
自己嫌悪に苛まれるアサミの頭上に、ベアルの剣尖が掲げられる。
エウトピア軍の強さを象徴する西洋剣の煌きを見上げ、アサミはようやく一つ悔やんだ。エリゴスはローライト師団長に託せても、ベアルの断罪は誰にも任せられない。ここで自分が討たなければならないのに、それができない現実に奥歯を噛み締める。
掲げたグラム・エッジを両手で握り、ベアルは俯くアサミの首を再度捉える。
息を深く吸って、さながら古代の処刑人のように、構えた刃を彼女に鋭く振り下ろした。
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