凶弾
ベアルの家は壁面を茶色に染めた平屋だ。なんとなく丸太を組み合わせた住処を想像していたアサミにとっては意外だったが、結局は住居の形状もデータなのだ。わざわざ住みにくい家を建てる必要も、建築資材の不足により実現できない心配もない。好きな場所に好きな形の家を建てられる。周りへの迷惑くらいは配慮しなければならないが。
森や砂漠に高層ビルを建てることも、市街地に子供の秘密基地のような住居を置くことも可能なわけだが、ごく一部の〝奇人〟と呼ばれる者を除き、大半はその土地の景観に適した家に住んでいる。アサミとしても、帰る家は見慣れた外装、内装であってほしいと思っている。
ベアルもそうであったのだろう。彼の家は現実にある普遍的な形状をしている。茶色にしたのも、周りの緑に馴染ませるためだと、アサミは彼がこの家を選んだ理由を推察した。
広大な畑を抜けた先、自宅の玄関扉を開けるなり家主は客人を見た。
「コーヒーをごちそうさせてほしい。一時期、淹れ方を研究していてね。誰も飲んでくれる人がいなくなってしまったから、腕前を披露する場がなくて寂しかったんだ。飲めるかい?」
「せっかくなので頂きます。普段あまり飲まないから、味の良し悪しがわかるか自信ないですけど」
「構わないよ。僕の自己満足に付き合ってくれるだけでありがたい。用意するから、右手の居間で待っててくれるかい」
そう言って、ベアルは廊下の突き当たりにある部屋に消えた。
玄関から見た限り、屋内は清潔感に溢れている。壁面が白いから際立っているのかもしれない。もっとも、清掃せずとも埃は溜まらないので、この家が特別なわけでもないのだが。
家主の目を盗んで物色したりもせず、アサミは指示された通り玄関正面の右側にある部屋に入った。中央に一人掛けソファが三つ、それを囲うようにガラスの机があった。全体的に調度品が少なく殺風景で、だからこそ部屋の入口の対面に飾られている物は異質だった。
「なんなん、これ。なんでこれが、こんなところに……」
大量の疑問符に思考が支配され、ソファの合間を縫ってソレが飾られている壁面に近づく。手の届く位置で立ち止まり、目線の高さにあるソレを眺めた。
「本物やん……どういうことなん? まさかルチルが持ってきたんか?」
アサミの腰にある物と全く同じ剣が、ルチルの実家の居間に飾られていた。紛うことなくエウトピアの軍人に支給される装備だ。ソレがここにある事実を説明するには、二通りの理由が考えられる。
ルチルが原則一本のみ所持とされる剣を不正に二本取得して、片方をここに置いたか。
もしくは、現役の軍人がここに住んでいるか。
思わず部屋の入口に目をやったが、誰も立っていなかった。
「話したい言うてたのは、ルチルの話だけやなかったってことなん?」
この惑星もエウトピアの領地だ。軍人が住んでいてもおかしくはないが、現在は敵国アーケディアとの戦争の真っ只中にある。こんな田舎で平穏に暮らしていられるはずがない。
召集命令を無視して農業に没頭しているのか。だとすれば、同じ軍人であるアサミとしては看過するわけにはいかない。
「――ああ、ソレが気になってしまったかな。当然のことか。先に説明しておくべきだったね」
両手にカップを乗せたソーサーを持ち、入口でそう言ってからベアルは居間に入った。アサミがエウトピア軍に所属しているのは彼女の服装を見ればわかるはず。だが、剣を発見されて動揺した様子はない。後ろ暗い理由があるようには思えない。
「これはエウトピア軍から支給される装備です。一般人には入手できないはずですが、どういうことですか?」
「そんな怖い顔をしないでくれ。僕が騎士なわけでも、盗んだわけでもないから……と言いたいところなんだけど、後者は完全に否定もできないか」
「エウトピア軍人から盗んだ、でええですか?」
「正確には、殉職した軍人の形見だそうだよ。これを僕に預けてくれた時、ルチルがそう教えてくれた。近くで戦っていた同胞が使っていたグラム・エッジだってね」
「ルチルが!?」
永遠の命に終わりを与えるグラム。それを西洋剣の形に加工したグラム・エッジ。戦場で回収した武器は軍に届けろと指示されている。ルチルは不正に持ち帰り、そしてそれを実家に置いた。一般人の家に置いていても、戦争の道具が役に立つはずもないのに。
「僕らの身を案じてくれていたみたいでね。戦争中だから、どれだけ田舎であろうとも敵が攻めてこないとは限らない。もし襲われたらこれで守ってくれと、そう言っていたよ。対抗できる力があったところで、扱えなければ無意味なのにね」
彼の話を聞いたアサミの脳裏に親友の顔が浮かんだ。柔和な表情をするルチルを思い出し、アサミの頬もつられて緩んだ。
「ルチルなら考えそうやね。正義感が強い一方で、自分が正しいって信じれば思うとおりにしないと気が済まない性質だったもんなぁ。護身用の剣を実家に置いて家族を守ろうとしてたんやね」
困った性格だと感じながら語っていたアサミだったが、不意に細めていた目を見開いた。
「ちょい待って。ベアルさんの奥さんは自分で命を経ったって話でしたけど、まさか、その時に使ったのって――」
「ルチルのくれた剣じゃないですよ。そんなの、ルチルが知ったら耐えられない。守るために与えた物で命を絶つなんてね。彼女は独りで旅立ちました。誰に迷惑をかけるわけもなく、ひっそりと」
「そうですか……」
最悪の結末ではないにしろ、コメントには困った。苦々しい相槌を打つ以外、どうすればわかなかった。
会話が途切れた息苦しさから逃れるように、ベアルの運んできたコーヒーに手を伸ばす。口に含むと、ほどよい酸味が広がった。それくらいしか感想が思いつかず、伝えたところでわざとらしくなってしまう。言葉にするべきか迷った。
遅れてベアルも一口啜り、カップをソーサーに戻した。
「うまく淹れられたようだね。それじゃあ、今度はアサミさんとルチルの話を聞かせてもらおうかな」
アサミは手に持ったままだったカップを置き、どこから話そうか思案した。彼女とは高校時代からの付き合いだ。共に学び、共に軍で鍛え、共に戦った。長い話になりそうだ。
時系列で思い出していこうと決めたとき、居間の窓にかけられたレース越しに、畑を歩く二人の男の姿が見えた。
「付近に家は見当たりませんでしたが、近くに住んでる人がいるんですね。知り合いですか?」
「どうだろう。ここからではよく見えないね」
ソファから立ち上がったベアルが窓に近寄る。この家を目指しているように感じる男達を佇立して観察する。硬直した背中に、アサミは妙な胸騒ぎを覚えた。彼の反応はまるで、敵の奇襲に気づいた上官のようだったからだ。
なおも男達の接近は続く。ベアルは不安げに、目のあったアサミに対してかぶりを振った。
「知らない顔だけど、どうも私の家に用があるらしい。普段は来客なんて滅多にないのに、今日はこれで二組目だ。何かあったのかな?」
不可解そうに語ったベアルは、強張っていたアサミの表情を見て眉根を寄せる。
「どうしたんだい、そんな難しそうな顔をして。ひょっとして、彼らはアサミさんの知り合いなのかい?」
「いえ、そうやないんやけど……」
問答の間も、アサミは窓越しに見える男達から目を離せない。彼らが自分達を狙っているように思えてならない。
無意識のうち、アサミの右手は脇に置く剣の柄に伸びていた。
「まさか、アーケディア軍かい?」
そこまで露骨に警戒されれば、一般人であるベアルもただ事ではないと気づく。指摘されて踏ん切りがついたアサミは、部屋の入口へと身体を向けた。
「わからんけど、可能性はある。うちをどっかから尾行してたのかもしれん。軍服のまま来るべきやなかったかも。ベアルさん、ご迷惑をかけて申し訳ありません」
「まだ敵と決まったわけじゃないんだろう? 君と同じように、僕に用があるだけかもしれない」
「そうやけど、念のためうちに応対させてください」
「構わないけど……」
戸惑いながら言って、ベアルは居間の隅に移動する。それを横目で確認して、アサミは玄関へと向かう。外にいるふたりは、もう家の前に到達しているはず。
廊下に出る直前、がちゃりと扉の開く音を聞いた。玄関の扉だ。気配を殺して、アサミは摺り足で居間の内側へと二歩、三歩と身を引く。右手は柄を固く握り、次の瞬間には斬りかかれるよう神経を研ぎ澄ます。
断りもなく扉を開けた男達は、声を発することもせず屋内に入ってきた。玄関のカーペットを踏む音が、廊下の板が軋む音に変わる。二人分の足音が、交互にアサミとベアルのいる居間へと迫ってくる。
間違いない。このふたりは、招かれざる客だ。
本当に、アーケディア軍の者なのか。ここはエウトピアの領地だが、こんなところまで私一人を討つためだけにやってきたのか。
軍に属している以上、固執されるような恨みがないとは言い切れない。しかしそれ以外に、二人組という単語から、先日戦場で遭遇した男性の顔を思い浮かべた。
あのふたりなのか。だとしたら教えてやる。この家が、彼女が帰るはずの家だったと。
あのふたりが相手となれば、アサミに勝ち目はない。
だとしても、この家に悲しみをこれ以上生むわけにもいかない。倒せなくてもいい。最後に残されて、それでも前を向こうとしている父親の命だけは守り通してみせる。兵士として、親友としての矜持に火が灯っていた。
廊下の先に侵入者の足が見えた。問答するより先に、アサミは鞘から刃を引き抜く。
「無断で入ってくるとは無礼やね。何者ですか?」
現れたのは、アサミの脳裏に浮かべた人物とは違っていた。
彼らの手に銀色に煌く刀身があると視認した瞬間、アサミは腰を落として剣を構えた。
直後、足の踏ん張りが効かなくなり、彼女の身体は前のめりに倒れた。
床に倒れていく刹那、彼女は火薬の弾ける乾いた音を耳にした。
すぐに体勢を整えようとして、右足に激痛がはしった。歯を食いしばり痛みをこらえても力が入らない。右の太腿あたりを撃たれたことは明白だった。視線を落とすと、軍服の予想通りの位置に焦げたような穴が穿たれていた。
三人目がいたのだ。考えてみれば、最初から侵入するつもりなら正面から入る必要はない。正面から入ってきた男達は囮。どこかから仲間を屋内に侵入させるための目眩まし。
銃声はまだ一発だ。ベアルはまだ無事なはず。
どうか逃げていて。
恐らくは叶わないとわかっていながら、そう願いを込めて首を回して背後を振り向いた。
三人目の男が、自分のすぐ後ろに立っていた。倒れ伏した自分を見下ろす男の顔を見て、アサミは心臓を握られているような息苦しさを覚えるとともに、裂けんばかりに目を見開いた。
硝煙の立ち上る銃口をアサミに向けたベアルが、感情の消え失せた瞳で彼女を見下ろしていた。
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