死による救済
命が消えれば身体も消失するラストエターニアにも、魂を弔う墓地は存在する。そこを訪れる行為によって、故人との思い出に浸るためだ。文化は肉体があった世界と変わらない。エリゴスに言わせれば、それも人間であることに固執している故の行動なのだろう。けれど、人を人らしくするためには必要なはずで、悪い行いでは断じてない。
ルチルの父親は、ベアルと名乗った。ベアルが家に行く前にアサミをつれてきたのは立派な共同墓地ではなく、彼の自宅の裏に位置する林だ。
獣道から少し歩いたところに、一つの墓があった。木の板を掘ったような簡易的な代物ではなく、彫刻された白い十字架だ。根元にはルチルの国の言葉で、一人分の名前が刻まれていた。
ルチルの名前ではなかった。ベアルは娘の死を今日知ったのだ。
書かれていたのは、〝ライラ=カルセドニー〟という名前。
「妻だよ、僕の。つい二ヶ月くらい前に、この世を去ってね。こんなもの作る必要あるのだろうかって迷ったけど、僕がしてやれるのはこれくらいだと思ってね。結局ここに置くことにしたんだ」
なんと声をかければよいのか。アサミは言葉が見つからない。妻を失った傷が癒えないうちに、娘が戦死したと伝えてしまったのだ。悲しみの深さは、愛する者も、ましてや子供を持った経験などあるはずもない若い彼女には、到底量れるものではなかった。
「……どうして、その、奥さんは亡くなってしまったんですか? ここで平凡に暮らしてたんやないんですか?」
「彼女には勇気があったんだ。僕と違ってね。さっき話したように、僕には彼女が持っていただけの勇気がなかったから、こうしてまだここに立っている。彼女にはそれがあったから、ここにいない」
ベアルが何かを濁しているのは明らかだった。そのことに、その意味に、アサミが気づくまで数秒と必要なかった。
それは、安易に感想を述べられる幸せな結末ではなかった。
「彼女は自分の手でこの世界から消える道を選んだ。楽園と呼ばれる世界でも、妻にとっては命を絶つほうがマシだった。それだけの話だよ」
数ヶ月前の出来事だというのに、ベアルは遠い昔の記憶を思い出すかのように目を細めた。
愛している人の死。まだ誰かを恋愛的な意味で好きになったことのないアサミにも、それがどれほどの苦しみを伴うかは想像できる。
加えて、その死因は自らの手によるもの。行き場のない後悔、感情の混乱があっただろう。いまだって答えは出ていないのかもしれない。生きるより死を選ぶなどアサミには愚かとしか思えないが、選択した当人にとっては、少なくとも正しかったのだ。
「……もしも、〝仮に〟の話なんやけども、ベアルさんも奥さんと同じように死を選びたいって思ったら、自分の手で終わらせるのと、誰かの手で終わらせてもらうのと、どっちがええんですか?」
永遠の命からの解放を望む人物達に触れたアサミは、そう訊かずにはいられない。サリエルの使徒が行う殺害という形での救済。独断で死を与える行為が、その対象となる人々に望まれているのか確かめずにはいられない。
急な問いに、ベアルは神妙な面持ちで思案した。
「要するに、自殺して終わるか、他殺されて終わるか、そのどちらがよいか、ってことだね。なら、僕は他殺かな。自然に死が訪れないなら、他人に任せるほうが楽だよ。自分の手で首を絞めるくらいならね」
「そんなら、この世界に未練がないなら命を奪ってくれる人がいたら、喜んでお願いしますか?」
「未練がないなら、ね。いまはまだ、そこまで未来を諦めちゃいないよ」
軽い調子で言うなり、ベアルは十字架の前で振り返った。幼い子供を見るような瞳に、表情を硬くしているアサミが映る。
「そんな都合のいい働きをしてくれる人がいたら、の話だけどね。さて、用事も済んだことだし、君さえよければ僕の家に寄っていかないかい? ルチルがどんな人生を送っていたか教えてほしいんだ」
「お話はルチルから聞いてたんやなかったですか?」
「お友達の目から見た感想も込みで聴きたいんだよ。もしかしたら、ルチルが僕達に隠していたこともあったかもしれないからね」
生前の娘の話を聞きたいと願うのは、親としては当然の感情のように思えた。少しでも多くの情報を得て、どれほど時が経っても決して忘れないよう記憶に焼き付けようとしているのかもしれない。親友であったアサミがそう考えているように、ベアルも同じなのだろう。
共感しただけでなく、ルチルの最後を看取ったアサミにとって、生前の彼女の生活を語るのは義務のようにも感じられた。誰かが彼女を覚えていてくれるのは、彼女の傍にいた自分にとっても喜ばしいことだ。
師団長から帰還の指示は出ていない。時間にはまだ余裕がある。それならば、もう少々の寄り道をしても構わないだろう。
「そんなら、お言葉に甘えて。ルチルとの思い出を、時間の許す限り話します」
アサミが答えると、噛み締めるような間を置いてベアルは感謝を伝えた。
彼に続いて木々に囲まれた広場を出る前、名残惜しそうにアサミは後ろを一瞥した。
これからも、年に何度かは親友に会いに来よう。ルチルの眠る十字架を瞼に焼き付け、アサミは森を後にした。
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