望まなければ

 かつて現実で見た宇宙と遜色のない空間。いくつもの惑星が浮かぶ漆黒の空間から、アサミは親友の故郷の星を眺めた。正確には彼女もアサミ自身も地球生まれだから、この表現は不適切かもしれない。

 くらげのように漂いながら観察する。ルチルの暮らしていた星は九割が緑色だ。全てが同じ色ではなく、濃淡の違いや僅かに他の色が混ざった部分もある。それは造られたデータの集合体ではなく、本物の宇宙に浮かぶ自然に誕生した星に錯覚もする。


「ここから出んければ、生きられたはずやのに……」


 胸の奥にしまった感情が込み上げてくる。

 心の内側から迫る追っ手から逃げるように、彼女は目的地に向けて一息に加速した。

 傍からすれば稲光の煌き。蒼色の閃光が地上に到達するまで十秒と必要ない。

 早送りされているかのように視界が疾走する。大気圏を駆け抜け、幾重にも重なる雲海を抜けて青空の一部となり、隕石のごとく勢いでルチルの故郷に降り立った。

 着地した足裏が伝える感触は土。どの方角を見ても山と畑がある。足元に視線を落とすと、アサミが立っている場所も畑の一部のようだった。規則正しく同じような葉っぱが地面から生えている。自分の左足の下にも葉があることに気づき、アサミは慌てて畑の外に出た。


「ちょっと踏んだだけでダメになると思ったかね。そんな慌てる必要ないよ」


 死角からの声に振り向くと、白いシャツの男が立っていた。年齢は五十から六十くらいだろうか。特筆すべき点はないが、こんなところで遭遇したのだから、男の正体にはなんとなく察しがついた。


「違ったら申し訳ないんやけども、ルチルのお父さんですか?」


 無地のシャツを着た素朴な男は、合点がいったようにまばたきした。


「ルチルのお友達かな? エウトピア軍の服を着ているから、そうなのかなとは思っていたがね」

「そうです。訓練生時代から寮で一緒だったアサミと言います」

「あぁ、君がアサミさんか。前にルチルから聞かされたよ。アサミという女の子と仲良くしてるとね」


 柔和に微笑み平然と答えられたが、アサミには引っかかる部分があった。


「ルチルからですか? うち、彼女からは軍に入ってから一度も実家には帰ってないって聞きましたけど」

「そうなのかい? 一年くらい前に急に連絡をくれて帰ってきていたがね。軍への入隊に反対する僕らを無視して家を出て以来だったから、本当に驚いたよ」

「それは彼女も話してくれました。家族とうまくいってないって。でもそんなの関係ないっていつも言っとったんやけど、うちに黙って来てたんやね」

「なんでも話すように見えて案外プライドの高い側面もあるからね。ルチルとしては、一度断言したことを覆したくなかったんだろう。特に、親友の君に対しては」

「親友なら、なんでも教えてほしかったんに」

「近すぎるからこそ秘密にしたいこともあるんだよ」


 相変わらずどこか楽しげな表情で言って、男はその場に屈み土をいじり始めた。それが電子で構成された偽物であるなど、知らなければ誰も気づけない。

 広大な土地で独り。丸まった背中には哀愁が漂う。このまま去ってしまいたくなる欲を抑えて、しかしどう切り出せばいいかもわからず、アサミは畑の横で立ち尽くす。


「どうして農業なんかをやっているのかと思うかい? 食事を取らずとも、お金を稼ずとも生きていけるこの世界で、なぜ土いじりなんぞをしているのかと」


 背を向けたまま問う声に、アサミは見られてもいないのに首を横に振った。


「そんなん思いませんっ! 人の数だけ生き方があるんやし、立派な趣味ですよ」

「趣味か。初めはそうだったんだけどね。食べることが必要でなくても、食べることは喜びに感じる人は多い。そして、食べ物を買うならお金がいる。肉体を失っても僕らは人間を辞められないんだ。人間という自意識に縛られてしまっている。だから僕も、何か趣味を持ちたいと思って農業を始めたんだ」

「考えが変わったんですか?」

「趣味で始めた農業を仕事のように義務感で続けていると自覚してからね。寿命の概念を失ったこの世界に決められた終わりはない。グラムと呼ばれる代物で自ら命を絶とうにも、勇気がなくてね」

「そんな……自殺やなんて……」


 戦争と無縁に生きる平和な住民の本音に触れて、アサミはエリゴスの語った内容を思い出した。サリエルの使徒の目的だ。強制的に永遠を生きる苦痛から、人々を救済する。あまりにも一方的で見当違いの正義の押し付けだと感じていたが、ルチルの父親の痛ましい主張を聴いてしまうと、少々浅はかだったのかもしれない。

 自殺など愚かだと指摘したいが、だからといって彼の満足する生き方を提案もできない。口元をわなわなとさせるアサミに、男は優しい目を向ける。


「だけど、せっかく無限の時間をもらったんだ。最近は熱中できる新しい趣味がないか探したりしてるよ。こうして義務的に農業を続けながらね」


 明朗に答えた前向きな言葉に、アサミは緊張していた肩の力を抜いた。


「見つかるとよいですね。素敵な生きる理由が」


 簡単に感謝を述べたあと、男は再び屈んで作業を再開した――かと思えば即座に手の動きをとめ、「さて……」と言ってまた立ち上がった。


「客人がきてるのだから作業してる場合じゃなかった。ボロいとこだけど、一応アレが僕の家だ。滅多にない客人なんだから、是非もてなしをさせてくれ」


 そう言って指差した先に、変哲のない一軒家が畑に囲まれて立っていた。本当にどこにでもあるような、茶色の壁面に屋根瓦で天辺を覆った和風の建築物。

 アサミが頷くよりも先に歩き出して、何かを思い出したように男は足を止めた。


「ああ、そうだ。その前に行くべきところがあるね。そうだろう、アサミさん」

「え? うちは特に、ルチルのお父さんに会いに来ただけなんですけど……」

「だからこそ、行くべき場所があるんだ」


 わけがわからず身を硬直させるアサミに、親友の父親は何かを諦めたような悲哀に満ちた顔で言った。


「ルチルが、亡くなったんだろう?」

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