ヒロインを救うか、人類を救うか

 人類が最初に宇宙へ行ってから数千年の時間が流れたが、ついぞ人々が宇宙に移住するようなことはなく、母星の滅びを迎えて生き残った者は電脳空間に移住した。宇宙に居住する未来は、肉体を失い仮想空間で生活することに比べれば現実的といわれていたが、実際にはこうなった。物理的に全人類が地球以外に移住するには、数千年でも足りなかったのだ。

 ただ、滅亡する直前の地球では、宇宙旅行自体は並外れた金持ちにのみ許された娯楽ではなく、飛行機よりも短時間で移動できる交通機関の域にまで普及した。といっても、地球の裏側へ行くような距離でもない限り、飛行機とそう大差はなかったが。レトロな夜行列車と同じように、乗り物自体を目的に搭乗していた人も多かったようだ。


 だから、当時の地球で生活していた人々の大半が、本物の宇宙を知っている。

 エウトピア軍の手から逃れた先――エリアから離脱したエリゴス達の前に広がる無限の闇が、本物と遜色ない異様なまでに再現された作り物の宇宙だと知っている。


「さっきすれ違った人達……アレってエウトピアの増援じゃないですか?」


 無重力空間に黒い祭服をまとった身体を漂わせ、エリゴスは眼下に見える灰色の球体を眺めて尋ねた。それは人が何千人と住む一つの惑星だった。


「んーそじゃない? でもでも、あーしらに関係ないし、おけおっけー」

「いや全然おけおっけーじゃないと思うんですけど。アーケディア軍を返り討ちにされたら追われますよ?」


 バレットは事態の受け止め方に天と地ほども差のある団長と親友に、またいつものことかと口元を緩める。


「心配性すぎんだよ。援軍つっても五十もいなかったろ? メリアさんの連れてきたアーケディア軍はその二倍はいたぜ? 勝てたとしても、戦闘後に俺達を追うだけの余裕はねぇだろ」

「そんなことないとおもうよー。アレたぶん、ローちゃんとこのだし」

「どゆことすか? ローちゃんって……ま、まさか」

「そっそー。あーしの元上司のコト。さっすがバレたん。冴ぁえてるぅー!」


 なぜかメリアは喜んでいるようだが、バレットは血の気が引いていくのを自覚した。


「はしゃいでる場合すか!? いまエウトピアで最も危険な人物だって、そう言ってたのメリアさんじゃないすかッ! そもそもなんで別師団の師団長クラスがこんなところに」

「わかんないけど、試し切りってやつじゃない? あーしらだって、新しい武器作ったら威力試すじゃん?」

「そりゃそうっすけど、奴らが行ったのは本物の敵がいる戦場っすよ?」

「そんだけの自信があるんじゃない? 昔っからさー、ローちゃんってばありえん自信家だったんだよね。あーしそれが苦手でさ、なーんかローちゃんとは距離置いてたんだよねー。やっぱね、美徳なのよ。謙虚こそがさー」


 我関せずの姿勢でローライトの部隊が吸い込まれた惑星を眺めていたエリゴスが、耐えかねた様子で首を振った。


「自己顕示欲に手足と頭がついた人間が何言ってるんだか……」

「ドウゾクケンオって言うじゃん? 自信家が二人もいると大変なんだから。まぁだけど、向こうは師団長でこっちは訓練学校の教官だったから、そう関わる機会もなかったんだけどねー」

「それなのによく危険人物だってわかりますね。ひょっとしたら、と思ってましたけど、もしかしてまた『ギャルの勘』とか言い出すんじゃないですよね?」

「ナニソレ? エリーそれボケてるの? やだー、ウケるー!」

「そうやって冗談なのか本気で忘れてるのかはっきりしない返しやめてくれませんか? 自分、そういうのホント苦手なんで。真面目に相手したら冗談冗談とかほざいて見下してくるのマジ無理なんで」

「あ、ヤバみ。エリーの闇に触れちゃった。ごめごめ」


 片手を手刀にしてぶんぶんと振り謝罪するメリアに、「別にいいですけど」と返事をしてエリゴスは彼女から目を逸らした。

 脱出してきたばかりの惑星・ハクドウを、上下も左右も方角が判然としない漆黒から改めて眺める。


「あーしも大概だけどさ、ぶっ壊れちゃってるからね、ローちゃんは」


 声色を落としたリーダーをエリゴスは横目で見た。バレットもまた、普段とは違い引き締まった雰囲気のメリアに一層の興味を向ける。

 ふたりの真剣な眼差しに気づいたメリアは、彼らを交互に見据えた。


「行こっか。まだローちゃんとやり合う準備はできてないし。さっさとおうち帰らなきゃね」


 広大な暗闇のなか、点在する惑星と電子化した人の輝きだけが明かりの空間で、メリアはふたりの部下の先頭に立つ。景色に溶ける漆黒の祭服は、サリエルの使徒という組織そのものが、この造られた世界の一部であることを体現しているかのようだ。

 死神の象徴たる大鎌を抱える背中に、バレットは我先にと近づいた。

 エリゴスは踏み出さず、メリアの後ろ姿に尋ねる。


「もしもあいつが壊れてるというなら、〝彼女〟はどうなるんですか?」


 まずバレットが振り返る。そこには動揺の色があった。表情が「それを忘れていた」と物語っている。

 そんなことは承知しているとでも返すように、メリアは問いかけから間を置かずに半身を後ろに向けた。


「世界を救う系のゲームの終盤でさ、ヒロインを救うか、人類を救うかって選択する展開がよくあるじゃん。たぶん、ローちゃんはどっちも選ばないんだよね」

「選択肢とか関係なく、全部手に入れてやろうって性分なんすか?」

「まるっきり逆かな。全部ほしいんじゃなくて、この場合、全部いらないの」

「いらないって、何がっすか?」

「だからさ」


 一旦切って、メリアは再び部下達に背を向けた。


「ヒロインも人類も彼には無価値ってコト。自分が生きてればそれでいい。自分しか見えていないし、見る気もない。それでいて自信家と評される性格ってところが厄介なのよ。ローライト=クロサイトって男はね」


 忌々しそうに答えるなり、黒衣に包まれていたメリアの身体から緑色の粒子が発生する。

 次の瞬間には小さな輝きと化して、彼女は電子で構成される宇宙のどこかを目指して飛んでいく。リーダーの話を租借できぬまま、置いていかれまいとエリゴスもバレットも慌てて電子化して彼女の光を追った。

 先行する一つの光、それを追う二つの光、

 三人の行く先は、先ほどまでと同じくエウトピア軍が占領する別の惑星だった。

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