アルテミスとアポロン
背中でなびく白髪はゲームに登場するキャラクターのごとく、異質なほど美しい。身長も女性としては高く、胸元から腰にかけてのラインは健康的なバランス。着ているドレスは煌びやかな類ではなく、水色と白色の二色の布で作られたシンプルな衣装で、給仕が着るような落ち着いた印象を与える。手首には微細な光を放つ三つのブレスレット。それは巻かれてはおらず、数センチの隙間をつくり、彼女の手の動きに合わせて浮遊していた。
アルテミスと呼ばれた空想の物語に登場するような風貌な彼女は、その外見の通り、元々は肉体を持っていた移住してきた人類とは違う。
このラストエターニアを管理するために、この世界と共に生まれた存在。ローライトに限らず、誰もがいつでも呼び出せる案内役でもあるAI。それが彼女の正体だ。
「御用ですか、ローライト様」
声は人間の女性そのものだが、AIらしく事務的に尋ねる。
「サリエルの使徒を知っているな? さっきここを襲撃した連中だ」
「私はラストエターニア全域、そして全人類の管理を任されております。この場所で起きたことも、同時刻にこの場所以外で起きたことも、全て存じております」
「質問に答えてくれ。サリエルの使徒について知りたい」
「かしこまりました。簡単にご説明いたします」
「ちょ、ちょっと待って」
あまりに素直すぎる受け答えにアサミが遮り、アルテミスでもローライトでもなく、別の方角を眺めて呼びかける。
「アポロン、これってどういうことなん? 説明してくれる?」
誰もいない空間に問いかけると、アルテミスが現れたときと全く同じように今度は男性が突然そこに立っていた。
顔立ちはアルテミスと同年代の男性でも、髪型は彼女と同じ白髪の長いストレート。体型はこれまた痩せているが、肩幅の骨格が男性であると主張する。服装の色合いも水色と白色で彼女と似ているが、流石にこちらはドレスではなく、燕尾服のようなデザインをしている。
アポロンとアルテミスは同一の存在で、ラストエターニアに移住した人類に等しく与えられた新世界のアレコレを教えてくれるサポート役だ。男性が呼び出すときはアルテミスで、女性ならばアポロンがサポートしてくれる。希望を伝えれば変えることもできるそうだが、アサミは試したことはない。
「『これ』の意味をわかりかねます。詳しく指示いただけますか?」
声色は男性になったが、喋り方はアルテミスと大差ない。やはり機械らしい響きを伴っている。
「ああ、そうやね、そんだけじゃわからんか。うちの言いたいんは、なんでサリエルの使徒の情報を教えることができるんやってこと。軍の機密だとかプライベートは話せないようになっとるんやろ? 戦争をするのは勝手やけど、傍観に徹するって話やないんか?」
「その方針に変わりはありません。私は全てを知るからこそ、全てに関与しません。ラストエターニアをかつての地球と同じように、人類の手で育ててもらうために」
「ならおかしいやん。うちらに敵の情報教えたら手を貸したってことになるやん?」
「なりません。サリエルの使徒の情報は、同組織の頭目であるメリアズール=レプリガラスより公開が許可されております。尋ねて頂ければ、誰であろうと情報提供が可能です」
予想外にアサミは言葉を失う。どう考えても秘密裏にしておいたほうが今回のような奇襲作戦を組む際に都合が良いはずなのに。何故全世界に組織の情報を公開しているのか。わけがわかない。
「これほど派手な作戦を実行したのだ。目立つほうが彼女らにとって好都合なんだろう。それで、彼女の組織についての情報は?」
「サリエルの使徒は現在十三人の人物が所属しております。活動目的は、生きる目的を持たない人類の救済。その手段は抹消。目的もなく生きる人類は世界を腐らせる元凶であり、野放しにすれば楽園となるはずの世界は最低のディストピアに成り果てるのは明白。悲劇の結末を回避するため、そして目的もなく永遠を生きる比類なき悪夢から救うため、生きる目的のない人々の敵であることを誓った集団です。
もうひとつ。生きる目的を持つ人々の味方を宣言するサリエルの使徒にとっては、味方を苦しめる人間もまた敵のようです。エウトピア軍第三師団師団長だったマナフ=バロールは、己の名声をあげるという私欲のために戦禍を広げて、戦いとは別に生きる目的を持っていた者が大勢犠牲となりました。永遠を利用していくつもの職業を経験したかった者、ラストエターニアを隅から隅まで歩いてみたかった者、運命の人を探したかった者、家族で飲食店を経営してみたかった者……いくつもの夢を奪ったマナフ=バロールを、サリエルの使徒は最初の標的と定めたのです」
「亡くなった人々が永遠の命を失った要因を調査して、マナフを標的に選んだのか。律儀だな。彼は以前から己の力を誇示したがっていた。昔一度、近いうちに軍のトップに立つだなんて野望を耳にした覚えもある。それが結果として厄介な連中に狙われる原因となり、消え果てる羽目になろうとはな。自業自得とはいえ、運のない男だ」
各所で繰り広げられていた戦闘は殆ど静まり、電子化したエウトピア軍の兵士が流星のように、次々と塔の下に集まっていく。その様子を見下ろしながら独り言のように呟いていたローライトが、数秒の沈黙の後に言った。
「サリエルの使徒にマナフの居場所を教えたのはお前か?」
首を傾け、片目で睨むように問う。穏やかだった雰囲気は一転して、相手の返答しだいでは斬り捨てるほどの殺気を放つ。
「マナフ様の居場所は公開されておりませんでした。よって、他人にお伝えすることも不可能です」
「では、サリエルの使徒の――」
言いかけて、ローライトは首を振った。
「いや、今はまだよしておく。用件は以上だ。さがってくれていい」
「かしこまりました。またいつでも御用命ください」
去り際もまた心を感じられない声色で伝え、アルテミスは光が消えるように瞬く間に姿を消した。
これ以上は用がないと判断したのか、アサミの隣で待機していたアポロンも「失礼いたします」と軽く挨拶を済ませ残して消滅する。
「さて、まだ名前を聞いていなかったな」
「あっ、はいっ!」
約五千人いる軍において五本の指に数えられる男の言葉に、上体を起こしただけで座り込んでいたアサミは慌てて肩と腕で身体を押し上げようとする。腰を浮かせた際に若干の痛みがはしったが、なんとか立ち上がれるくらいには体力が回復していた。
敬礼をして、ローライトに正対する。
「第三師団所属、アサミ=クドウです。よろしくお願いいたします」
「こちらこそ。アサミ、未知の組織と接触して生き残り、こうして俺と出会ったのは特別な縁だ。このまま今までと同じように一兵卒らしく働く道もあるが、俺はそれではもったいないと思う」
「もったいない、ですか?」
「ああ。ここに連れてきた部隊には、俺が直接率いている精鋭部隊もいる。今回のように、別の師団といえどもエウトピアの危機を助け、危険の排除のために臨機応変に対応する遊撃を目的としている。アサミ、君さえよければこの部隊の一員となってほしい」
そんな勧誘を受けるなど微塵も予想していなかった。
ローライトの率いる直属部隊は、エウトピア軍でも指折りの精鋭との噂は耳にしたことがある。今日この目で、それが事実であると知った。アサミの部隊では歯が立たなかったサリエルの使徒にも、彼と一緒ならば太刀打ちできるかもしれない。
これまでと同じように、有象無象の一兵卒の一人として生きていく道もある。強力な敵は彼のような頼もしい味方に任せ、索敵するだけだったり、分相応の相手とのみ交戦するだけの比較的安全な役割を担うこともできる。
アサミが軍に入隊したのは、高校時代から親友だったルチルの誘いがあったからだ。アサミ自身は決断力が薄かったが、彼女は違った。その場の勢いで何でも決めてしまう刹那的な生き方をしていた彼女だったが、ルチルの誘いにのったアサミが後悔したことは一度もない。
誰かのために尽くすことに喜びを感じるアサミにとって、親友の誘いに従う行為自体がアサミを満たしていたから。彼女がやりたければ自分もその力になりたいと願い、彼女の背中を追って生きてきた。
――でも、うちを引っ張ってくれたルチルはもういない。
身の安全を優先すれば、あのサリエルの使徒と関わる機会はもうないかもしれない。それをルチルは望むだろうか。彼女のためになるのだろうか。
もしも平穏に過ごしていくなら、何を思って日々を生きていこうか。不本意だが、サリエルの使徒の語っていた生きる目的を持つべきというのは、確かにその通りだと感じた。永遠を何の目的もなく生きるのは、永遠に何も考えなくなる死と大差ないのではないか。
自分にとって、生きる目的とは何だろう。
誰にも生まれてきた意味があるとしたら、それは何だろうか。
「悩むのも無理はない。だが返答を待つこともできない。これから我々はサリエルの使徒を追うことになる。そうすれば、君と会う暇も無くなるだろう」
「メリアを見つけたら、どうするんですか?」
「掴まえるだけの余裕がなければ、我が国の脅威としてその場で抹消するしかないだろうな」
それはそうだ。生きる目的がないからという理由だけで人を殺していいはずがない。それが救済だなんて正当化する思考も狂っている。あまりにも間違った存在で、この世界にとって彼女の作った組織は害悪でしかない。
――そんなら、認めさせんとアカンね。
ルチルのためにも、彼女らの活動が間違っていたと認めさせたい。ただ抹消するだけでは彼女らと同類になってしまう。そんなの、きっとルチルは喜ばない。
ふと、いなくなったはずの親友が背中を押してくれた気がした。抹消されたといっても、いまの人類はデータの集合体だ。もしかしたら、本当にどこかから見ていてくれているのかもしれない。
「ローライト師団長、うちも部隊に入れてください。サリエルの使徒をこの手で潰したい」
彼女の返答に、金髪の最年少の師団長は頷く。そうしてから、「こっちにきてくれ」とアサミでない誰かに伝えるように呟いた。
呼応したかのように、幾筋もの光がローライトの隣に次々と着地し、人の姿に戻っていく。エウトピア軍の騎士風衣装をまとう集団は、殆どが男性だが何人か女性も混ざっていた。それが一兵卒とは異なる存在であるのは一目でわかった。戦いなれた者だけ手に入れる強烈な雰囲気を皆が放っている。
再度敬礼の体勢を取ろうとして、アサミは気づく。
彼らが、彼女らが有象無象とは一閃を画していると感じた理由が、曖昧な雰囲気などという言葉では片付けれないことに。
精鋭と称賛される部隊に所属する兵士達が、それまでに出会った兵士とは決定的に違ったもの。
それは、瞳だった。
強い意思を感じただとか、そういった話ではない。
ローライトの呼びかけにより集まった十数人の兵士達の瞳には、等しく生気がなかった。
「どうした? 怯えた顔をしているぞ。まさか、怖気づいたのか?」
兵士達を率いる長の指摘に、アサミは彼の表情を窺う。唇を固く結び、返答を待っている。
もう一度、これから仲間となる者達に目を向けた。誰もが皆、柔らかな人間らしい顔つきを浮かべていた。
先ほど抱いた印象は、単なる錯覚だったのか。心のどこかにあった恐れが、幻覚となって現れていたのだろうか。
だとすれば、そんな弱い心は克服せねばならない。
どれほど過酷な道であろうとも、アサミはこの道を進むと、今日決めたのだ。
「いえ、これからよろしくお願いします」
中途半端になった敬礼をやり直すと、兵士達も一斉に返礼した。何人かは「よろしく」と声も返してくれた。
ローライトも満足そうに微笑みを浮かべ、アサミを含む部下達を見回した。
「今度の敵はどうやらかなりの強敵のようだ。各自、悔いのないよう準備をしておくように」
大勢が死ぬ未来が、アサミの新しい隊長には見えているようだった。
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