ローライト師団長
かろうじて意識はあれど、遥か上空から叩きつけられたアサミは動くことすらできなかった。当然、本来であれば身体の外側も内側も粉微塵になる衝撃。意識があるだけでも不思議だが、命が永遠とされるラストエターニアでは死に至る衝撃も痛みを感じるだけで済む。
身体の表面には傷が残るし、命を失っているはずの負荷を受ければ動けなくなる。ただ、大抵は一時間あれば最低限は回復するうえ、一日も経てばどれほどの重症も完治してしまう。それがこの世界の仕組みであり、ここに住まう全ての住人の特性。
なんとか首だけは動かせると気づき、アサミは傍らに立つ人物を足元から見上げる。
同じ服を着ていた。味方のようで安堵する。体型から男性であることもわかった。
「生き残りか。いったい何があった?」
事情を問う声は、初めて聞く音色。
答えようと喉を動かす。どうやら、喋ることもできそうだった。
「なんでここに……? まだアーケディア軍に奇襲されて、そんな経ってへんのに」
「マナフ=バロールの生命反応が消えた時点で、このエリアの部隊が窮地に立たされていると悟った。被害を抑えようと即席部隊を組み駆けつけたが、想定外の事態だ。来る途中に見た中継映像では、我々の軍はアーケディアでもない何者かを包囲していたはず。だというのに、いまは我々の領土が本来の敵であるアーケディアの軍により蹂躙されてるときたじゃないか。あの黒い服のふたりは何だ? いや、そもそも君は彼らを見たのか?」
「何度か戦って、全部負けた。うちの仲間も、ここを守ってた同僚も大勢殺された」
「見慣れない形状の武器を持っているようだったが、あれもグラムで作られていたか」
グラムは特定の武器を指す単語ではない。完成した物が分類される剣や銃といった種類の名称ではなく、鉄や鉛のような武器を構成する素材の一つだ。
その正体はウィルス。永遠の命に終焉を与える唯一無二の方法が、グラムによる身体の損傷だ。銃創にしろ切創にしろ、傷口にグラムが触れれば身体は無数の桜の花弁と化して散る。蘇ることは二度とない。
エウトピア軍で支給される自動拳銃も西洋剣もグラムから作られている。一方でアーケディア軍の標準装備は自動小銃の先端に片刃のナイフを付けた銃剣だが、グラムを含むのはナイフの刃の部分だけ。通常の弾丸で動きを止めてナイフでトドメを刺す。それがアーケディア軍の基本戦術となっているが、弾が掠っただけで致命傷にできるエウトピア軍が相手では、そんな小細工は意味を為さない。
「片方は変わった銃を持っていたようだが、もう片方は二本の小太刀以外、装備はないように見えた。我々の軍が遅れを取るとは信じがたい。兵士としても腕の立つマナフ師団長が敗れるとも思えないな。映像で確認できたのはふたりだが、もっととてつもない戦力で押し潰されたのか?」
思案する声をもらして、彼はアサミの倒れているそばを歩き回る。
アサミが見上げると、空中戦闘を見守る彼の後ろ姿が映った。
太陽を浴びる向日葵を彷彿とさせる黄金の髪。膝裏まで伸びた背中を覆う白いマントがゆらゆらとはためく。威厳を感じさせるのは立ち姿もさることながら、腰に帯びた西洋剣の鞘があまりにも似合っているからだろう。アサミと同じ剣のはずだが、王族の装飾品のように見える。
そして、彼女は気づいた。
以前にも、遠くから見たエウトピア軍の高官に対して同様の感想を抱いたことを。
「も、もしかして、ローライト師団長……ですか!?」
戦況を観察していた彼が背後に首を回す。
髭を剃った跡が薄っすらと残る顔に穏やかな瞳を浮かべ、彼はアサミを見下ろした。
「いかにも。第三師団の師団長を失ったいま、生き残った兵士は全て第二師団に入ってもらう」
「第二師団といえば精鋭揃いって話で有名……ってことは、奇襲してきたアーケディア軍も――」
「掃討まで五分もかからないはずだ。観察している限り、こちらは誰も欠けていない」
エウトピア軍の師団長では最年少であり、なおかつ最大の戦力を誇る第二師団の長の報告を聞き、アサミは悔しさに目を閉じた。瞼の裏には、守れなかった親友や、憎むべき敵、裏切った恩師の姿が浮かぶ。
「うちらにもそんだけの力があれば、こんなことにはならんかったんに……」
「どうだろう。これまでもアーケディア軍相手であれば、第三師団も圧倒してきたはずだ。それが今回は手も足も出なかったような惨状、本当に何があったんだ?」
「全部あの黒い服の連中のせいです。あいつら、サリエルの使徒とかって名乗ってました」
「我々の敵なのか?」
「なんかようわかりませんが、国や軍を狙ったというよりマナフ師団長の殺害が目的と言ってました」
「彼に私怨があったと? 戦争をしているのだから、多くの者から深い恨みを買っているのだろうが……」
「それが、どうも怨恨の類でもなかったらしいんです。マナフ師団長を狙った理由を尋ねたら、命じられたからやと。そんでもって、その命令したっていうのが……」
不意に言葉が詰まった。何かの間違いであってほしいと願いつつも、それが否定のできない現実だとも理解している。
ここで報告してしまえば、間違いなくエウトピア全体に彼女は敵だと知れ渡る。彼女がいまどこで暮らしているのか不明だが、そうなればエウトピアには居場所がなくなる。アーケディア軍を引き連れてきたあたり、とうに寝返り、アーケディア領で生活しているのだろうが。
戦い方を教えてくれた恩を感じているから、報告を躊躇ってしまう。
けれども、間接的とはいえかつての部下を手にかけたのだ。恩を仇で返すことにはならない。ここで敵と認知しなければ、親友の無念を晴らすこともできない。
黙って続きを待つローライトに、彼女は口を開いた。
「元エウトピア軍の訓練所教官の一人、うちの――わたしの元上官でもあったメリアズール=レプリガラスが、マナフ師団長の殺害を命じていたようです。アーケディア軍を率いて奇襲をしかけたのも彼女です」
「なに……まさか……では、彼女がそのサリエルの使徒とかいう連中の?」
「彼女は『リーダー』と呼ばれていました」
それまで落ち着き払った表情をしていたローライトも、メリアが黒幕と知るなり目を見開き、動揺を隠せない様子だった。
事実を受け入れるには時間が必要なのだろう。神妙な顔でローライトは沈思黙考する。
残念そうに低く唸ると、彼は周囲に広がる市街地を見回した。
「だが何故だ。彼女がマナフを狙うにしろ動機があるだろう。それ以前に、彼女が軍を抜けたのは数年も前のことだ。軍を離脱後、神隠しにでもあったかのように誰にも行方を告げず忽然と姿を消した。何年もの間一人の人間の命を奪う計画を立てていたのか?」
依然として上体を起こすことさえできないアサミに語るのではなく、金髪の師団長は己の頭に入ってきた情報を整理するために言葉にする。
仰向けに倒れている彼女もまた、裏切った元上官が何を企んでいるのか想像を巡らせてみる。
「メリアズールの部下だった君でも、心当たりはないか?」
「……わかりません。まだあれがメリア、だったのかも信じれんくて」
特に期待していたわけでもないだろうが、予想通りの答えにローライトは渋面をつくる。
「そういえば一つ不可解だったんですが、メリアを除くふたりはバインドされたエリア内に侵入するなり、迷わず塔を目指していました。寄り道もせずに」
「マナフが目的だったのだろう? ならば自然な行動では――」
そうか、と呟いてローライトは部下を見据えた。
「確かに不自然だな。総大将は一番安全な場所にいる可能性が高いと予想したのだろうが、違えば奇襲が台無しになる。そんな根拠もない憶測のために三年もかけて準備するとは考えれない。憶測で敵軍の拠点に殴りこめるほどの戦力があるならば、我々はとうに彼女達によって滅ぼされているだろう」
「周到に用意された作戦だったと、そう思いますか?」
「片方が標的を殺害して、片方がバインダーを破壊して電子化により離脱する。万が一脱出経路を阻まれないよう、さらにもう一人が我々の敵であるアーケディア軍と結託して、バインダー破壊と同時に二段階目の奇襲をかける。サリエルの使徒は無事離脱できて、アーケディアも憎き我々を殲滅できる。かねてよりアーケディアと共同で練っていた作戦か」
「それを作戦として成立させるには、作戦日時におけるマナフ師団長の居場所を正確に把握しておくべきだと思いますが」
「都合の悪いことに作戦は成功した。つまり、敵は標的が作戦日時にバインダーの設置されている塔にいることを知っていた、というわけだ」
身体を蝕んでいた痛みが僅かに引いて、アサミは屋上に手をついて上体を押し上げる。思い通りに力は入らないが、立てないにしろ身体を起こすことはできた。
「どこから情報を入手したかは不明だ。兵士の裏切りもあり得るが、もうひとつ、情報漏洩の原因に心当たりがある」
師団長ともなれば、一兵卒のアサミには教えられない事実を色々と知っているらしい。ローライトの言う心当たりは何か、頭を巡らせてみても見当がつかず、彼女は眉根を寄せた。
「アルテミス」
不意に、ローライトが虚空に向かって呼びかける。
彼の視線の先に、突如として水色のドレスを着た女性が現れた。
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