大事な人の名前

 引き金を引いた瞬間、標的を視界から消失した。一撃必殺の弾丸は空を裂く。

 咄嗟にアサミは両脚をバネのようにして後ろに跳躍する。

 直後、エリゴスの手が彼女のいた場所で空振りした。

 彼の速さの原理はわからないが、その速さを見せ付けるような反撃をしてくるはず。アサミは先刻の経験から敵の行動を読んでいた。

 予想は的中した。最大の好機が訪れる。

 親友の仇に刃が鈍るはずもなく、持てる最大の膂力で彼女は剣を薙ぎ払う。

 渾身の一撃をのせた刃は、エリゴスの小太刀に容易く弾き飛ばされた。


「あー、いい反撃でしたが、力が足りません。懲りずに追ってくるのは結構ですが、せめてもう少し鍛えてから出直してください。その、なんていうんですかね。努力するつもりがないなら、あなたは生きる目的を永久に達成できないですよ?」

「だったら永久にあんたを狙うだけ」

「はあ、そうですか。それは困るな……」

「困るんやったら好都合。有言実行したるよ」


 アサミは屋上に転がった剣をちらりと見る。隙さえあれば再びしかけるつもりだが、ほとんど棒立ちのエリゴスは何が隙なのか判然としない。常に隙だらけのようにも思える。

 渋い顔をしてエリゴスが後頭部をかいた。すかさず落とされた武器に手を伸ばす。


「永久とか永遠とか、まあどっちも同じなんだけどさ、よくそんなふうに言えるよね。もう比喩じゃないのにな。永久に生きれるって言葉は現実になってるのに、わかってるの、それ」


 声色を落としてぶつぶつと喋っている間に、アサミは剣を拾い、構える。


「あんたアホなん? そんなの誰でも知ってるに決まってるやん。人類はこのラストエターニアに移住して、肉体はデータに変わり永遠の命を獲得した。あんたが生きてる間、うちはあんたの命を狙い続ける。楽園と呼ばれるこの世界を地獄と思えるようにしたるから」


 剣尖の先に立つエリゴスは、深いため息をついてかぶりを振った。


「まったくわかってない。移住からまだ十年足らずだけど、この世界は既に地獄と成り果ててる。だというのに、あなたのように大半の人は気づいてない。アホなんて言う奴がだいたいアホなんだよな」

「なんなん? 時間が無限にあれば何でもできるやん。叶わないことも叶えられる。それのどこが地獄なん? あんたみたいな殺人鬼が地獄にしてるだけやんッ!」

「はぁ……また口ばかりの奴か……うんざりするよ、ほんと」

「図星を突かれたらソレ? 説明してみいよ、自分が正しいと思っとるんなら!」


 腕で歯が立たずとも、口論で勝機が見えるなりアサミは一息に捲し立てる。悔しいが、戦闘では勝てる気がしないのは認めざるを得ない。それならば、それ以外の部分でなんとか一矢報いたかった。

 沈黙して不快感を示すエリゴスに勝利を確信しかけたとき、彼の後ろで傍観を貫いていたチャラそうな茶髪オールバックの男が割り込んだ。


「エリゴス、イチャついてるとこ悪いけど俺達は任務中だぜ? そろそろ行くぞ」

「ああ、ごめん。大事な人だから無視できなくて」


 耳を疑う台詞が、アサミの内にある激情を刺激する。

 吐き気すら覚える怒りに言葉を失う。煽られているとしか思えなかったが、エリゴスと片割れの男は彼女に目もくれず屋上のふちに並び立つ。

 ふたりの視線の先にあるのは、このエリアの拠点にあたる塔。彼らの狙いはわかるが、ここは八階の建物だ。何をするつもりなのか。


「どこまで馬鹿にすれば気が済むん? 好きなだけ言って飛び降りて死んでくれるんか? なあ、あんたに言っとんや、エリゴス」


 地上から吹きつける風に、黒い祭服が鴉の翼のようにはためく。僅かでもバランスを崩せば落下する状況なのに、アサミの声に振り向いたエリゴスはつまらなそうにしていた。


「そういえば名前を聞いてなかった。あ、えーと、こういうとき、どう訊けばいいんだろう。一度話しちゃうと名前訊くのって難易度高いな……。バレットは普段どうしてるの?」

「俺に訊くなよ。普通に訊けばいいじゃねぇか。なにが難しいんだよ」

「いやだって、もう知り合ってるわけじゃん? 名前訊くのって初対面のタイミングだよね。話したことあるのに名前も知らないって、なんかおかしくない?」

「いつの時代の感覚だよ。なにもおかしくないだろ。昔だって、店とかで店員と世間話しても相手の名前は知らなかったりしてただろうよ」

「いや店員と会話なんてしたことないし、全然現実味が湧かないんだけど」

「めんどくせぇやつだな! もう素直に訊けばいいだろ! それが恥ずかしいってんなら捻りでもいれりゃあいい! おどけた感じでなぁ!」


 苛立つバレットが頭を掻き毟る。しかし表情は苦笑だった。そこまで機嫌を損ねていない様子を見るに、エリゴスとの中身のない会話が嫌いではなさそうだった。

 ただ、アサミからすれば自分を無視されたうえに、自分を蚊帳の外にして馬鹿話に興じられているわけだ。未経験の憤りに、彼女の拳が無意識に震えだす。

 何事かを逡巡したあと、エリゴスは意を決した顔でアサミに向き直った。


「わっつ、ゆあーねーむ?」


 拳の震えが止まった。黒衣のふたりと白衣の騎士の間に、沈黙が訪れる。

 もはや、勝ち負けだなんてどうでもよくなった。

 勢いだけで宣言したのかもしれない。そう心のどこかで迷いを抱いていたが、確信した。

 このエリゴスという親友の仇を手にかけることが、自分の生まれてきた理由であり、

 死ぬための儀式であるのだと。

 そうせずにはいられず、永遠の命を終わらせる刃の柄を握りしめる。

 瞬間、背後の階段からアサミと同じ騎士風の衣装をまとうエウトピアの兵士がぞろぞろと現れた。半数は銃、半数は剣を構え、最初に入ってきた隊長と思しき中年の男性が歩み出る。


「どこから入った鼠が知りませんが、おとなしく投降しなさい。見たところおふたりとも若い。抵抗しなければ悪いようにはしませんよ」

「台本に書かれてそうな台詞だな」


 バレットが感想をもらす。自分たちの五倍の敵を前にしてなお、彼は肝が座っていた。


「あの……そろそろ、名前……」


 エリゴスに至ってはエウトピアの増援を歯牙にもかけていない。

 だからだろうか。これまでの人生で一度も会ったことのない男に対して、アサミの内側に殺意とは別に微かな興味が生まれた。


「……ええよ、地獄に落ちる途中でルチルに会うかもしれんし、ちゃんと伝えてもらわんとな」


 剣を上段に構えて、体勢を整える。

 標的は絞っている。無論、前髪を伸ばした黒髪のほうだ。


「アサミ=クドウ。あんたと話すのはこれで最後やからッ!」


 持てる力全てを込めてを床を蹴り、下半身から上半身へと流れた奔流を刃に込める。

 肩から両断しようと袈裟に放った一撃は、またしても空を斬った。

 眼下は十数メートル離れた地上。

 まただ。また理解不能な速さで逃げられた。

 振り返ると、増援に現れた兵士達が駆け寄ってきていた。


「後ろだッ!」


 隊長の男の一言に、反射的に視線を戻す。

 そこにあるのは、建ち並ぶ高層ビルの谷間だけ――それ自体に間違いはない。高層ビルの壁面を足場に、三角飛びの要領で街の拠点へ移動する黒い影を除けば。

 エリゴスと出会ってから幾度も目にした現実と結び付かない光景。信じられない現象に耐性のついたアサミの身体は、他の兵士が呆気にとられている間に我に返った。

 隊長の制止する声が耳に届いた気がしたが、聞こえない振りをして彼女は屋上の階段を駆け下りた。

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