愛の告白

 隠密行動を心がけていたエリゴスだったが、市街地の中心部が近づくとエウトピア軍の数も増え、勘付かれずに進むのも限界に感じていた。近場の建物の屋上に上がり、ビル群の合間に展開された白服の軍勢を密かに観察する。拠点の付近だけあって、警戒は相応に厳重だ。


「それだけじゃないな、これ」


 自陣の内側にも関わらず、周囲を索敵している様子の兵士が何人もいた。そのうちの一人と目が合いそうになり、エリゴスは身体を翻して身を隠した。

 晴れた青空を見上げながら、侵入直後に遭遇した女性の姿を思い出す。


「あの人が通報したんだろうなぁ。そりゃそうだよなぁ。警備が厚くなっちゃったよ。いやだなぁ、かえりたいなぁ……」


 陰鬱な気持ちに押し潰されそうになる。いくら能力で圧倒できたとしても、一人で何十人もどうにかできるわけではない。魔法でもあれば別だが……こんな仮想世界を作るなら、魔法くらい実装してくれればよかったのに。

 空を仰いでいた顔を横に向け、景色の一点を見据えた。

 塔のような形状をした一層高い建物が、街の中心にそびえている。


「なんでこんな、いかにもって感じにデザインしたんだろう。よほど自尊心の高いデザイナーが作ったんだろうな……そりゃ雰囲気は出るけど、あんなの絶対狙われるじゃん。事実、自分達が狙ってるわけだし」


 木を隠すなら森の中というが、塔はそういくつも作れない。だからこうして剥き出しになっているのかもしれないが、そもそも塔である必要があるのだろうか。困ったとき、一歩戻って考え直すというのは意外と難しい。心情はわかるが、こう、建造する時に口を出す有能な奴はいなかったのか。


「いても権力とかに握りつぶされたんだろうなぁ。くだらない社会だ。とても馴染めない」


 塔から目を逸らして、もう一度空を見上げる。


「……まぁ、壊すほど憎くもないんだけど」

「――なにブツブツ言ってんだ。キモいぞ」


 敵である可能性も考慮せず、けだるそうに緩慢な動作で声の方向に振り返る。

 茶髪にオールバック、引き締まった肉体に爽やかな表情。エリゴスとは生涯相容れることはなさそうな人物が、エリゴスと同じ黒い祭服を着て立っていた。


「何しに来たの。アレを壊すの、バレットの役目じゃん。さっさと片付けてよ」


 そう言ってエリゴスが指差したのは、街で最も大きい塔。


「無茶苦茶だなオイ。どっかの陰キャがもっと丁寧に、優しく、密やかに侵入してくれたらとっくに終わってたかもしれないのによ」

「陰キャじゃない。おとなしくて無口なだけだし」

「ご説明どうも。しかしなんでバレちまったんだ? 外の守備はそう厚くなかっただろ。見つかっても片付けられる程度じゃなかったのか?」

「遭遇したのは二人だけど、片方が〝例外〟だった」

「ははぁ、そういうことか。ならしかたねぇ。それがメリアさんの方針だしな」


 感心した様子のバレットが、階段室の壁にもたれ腰を下ろした。


「生きる目的を持つ奴は、その目的が他人に害をもたらさない限り手にかけてはいけない。お前を追ってここに来るまでに三人とやり合ったけどよ、どいつも目的なんざ持っちゃいなかった。将来のことなんてそのうち考えればいい、今を生きれりゃいい、とりあえず金を稼いどきゃいい。そんな連中ばかりだ。命が有限だった頃はそれで良かったのかもしれねぇけどな」

「珍しい。だいぶイラついてるね」

「まぁな。俺はこの永遠に生きられる世界が嫌いじゃねぇ。なのに住んでる連中の大半が永遠を生きる意味を理解しちゃいない。まだ数人としか会ってねぇとはいえ、命がけで戦う連中も似たような能天気ばかりだったのが腹立たしくてよ」


 片眉を下げて嫌悪感を滲ませていたバレットだったが、表情を戻すなり、薄っすらと怪しい笑みをエリゴスに向けた。


「だけど安心したぜ。エリゴスんとこはいたんだろ。そいつは何が目的だって?」

「くっくっ、驚くなよバレット」

「お前の笑い方に驚いたわ」


 更に不気味な微笑みを浮かべ、エリゴスは人差し指で自分の顔を指す。


「自分を殺すことが目的なんだって」

「なに、自殺するために生きてるのか!? 深いな……」

「違うだろ! 僕だよ! 僕を殺すために生きるって言ったんだ!」


 ボケたかと思うと、バレットはおちょぼ口になって目を見開いた。彼のそんな表情をエリゴスは初めて見た。


「エリゴス……お前、それ……」


 金魚のように口をぱくぱくとさせたあと、噛み締めるように小さく呟く。


「愛の告白じゃねぇか……」

「いやそうなんだよまいったなぁ」


 照れたエリゴスは後頭部をさする。言葉にされると恥ずかしい。


「永遠に終わりを与える俺達には、終わりを与えてくれる奴はいねぇ。なのにお前には終わりを看取ってくれる奴が見つかったんだな。羨ましい限りだぜ。どんな奴だ?」

「同い年くらいの女子」

「お前……マジじゃねぇか」


 興奮と嫉妬心で感想を端折ったが、エリゴスには充分伝わったらしく、彼の耳はほんのりと赤くなる。

 一通りの雑談を終えると、バレットの表情はスイッチを切り替えたように険しくなった。立ち上がり、目的地である街の塔を睨む。


「土産話もできたし、さっさと終わらせて戻らねぇとな。あそこの地下にバインダーがあるんだったよな? どうするエリゴス、お前が標的を殺るより先に壊したほうが都合いいか?」


 この世界は現実であって現実ではない。人々の身体は肉体と呼称されるが、実体はデータの集合体だ。データである以上、当然のことながら光速での移動が可能だが、それを封じているのがバインダーだ。バインダーが起動している間は、効力のある半径百キロ圏内では光速移動が不可となる。

 バインダーを破壊してもらい、光速移動を可能にしてから標的を狙うか。バインダーを破壊せず、相手にも足枷をした状態で狙うか。どちらが楽か、考えを巡らす。


「いや、予定通りバインダーが起動してる間に標的を排除するよ。能力的には自分にアドバンテージがあるはずだし、電子化で光速移動が可能になったら逃げられるかもしれないし」

「たしかに逃走されるのは避けたいか。奇襲作戦なわけだし、警戒が薄いうちに成功させないとな」

「それはそうだけど、この警戒態勢をどう突破するの? 自分が引き起こした事態だから強く言えないんだけどさ」

「お前の目的地だって塔だろ? なら二人とも向かう方向は一緒だ。お前といりゃあ大抵のもんは怖くねぇ」

「自分は怖いと思ってるんだけど」

「お前なぁ、こういうときは気持ちだろうが! 二人ならなんとかなる! これまでもそうだったろ?」

「なんかもう危ないフラグにしか聞こえないなあ」


 リスクの高すぎる作戦、というよりは単なる力押しの提案。エリゴスは気乗りせず否定したかったが、ここに潜伏していることがバレるのは時間の問題だ。バレットの言うとおり、正々堂々と正面突破する愚直な方法しかないのかもしれない。

 不意にバレットが表情を歪めたかと思うと、祭服の下から服と同じ色の拳銃を引き抜いた。

 屋上の階段室から距離を取り、その出入口に凶器を構える。


「誰かのぼってくる」


 仲間の告げた警告に、エリゴスは息を潜めて耳を澄ませた。隠れられるような場所はない。出入口から距離を取り、服の下の小太刀に手をかける。

 靴音を殺そうともせず駆け上がってくる。足取りに迷いがないことから、潜伏場所が完全にバレているのだと悟った。どのタイミングだろう。それとも、塔の展望エリアから発見されたのか。

 足音はどうやら一人分のようだ。

 一人だけなら、目的を問うだけの余裕もありそうだ。どうせ正面突破するならバレていようが関係なく、口封じのためだけに消す必要性もない。大量虐殺が任務ではないのだ。

 それでも、問いへの答えによっては命を奪わなければならない。

 それが、その人物にとっての救いとなるのだから。


「来るぞ」


 バレットの囁きに、小太刀の柄に添えた手を握りしめる。

 荒々しく階段を駆けあがる音が無くなると同時、階段室から白い軍服が飛び出した。

 肩で息をしながらも、右手にはエウトピア軍から支給される西洋剣、左手には同じく支給される拳銃を握り、屋上に現れるなり敵はエリゴスに銃口を向けた。

 頭頂部で髪を丸くまとめた人物は、寸秒の間を置いて、視界の端にいるバレットの存在にも気づく。


「あんた、こいつの仲間? サリエルの使徒とかってやつの」

「知ってるんだな。ああ、なるほどな。君がエリゴスの言ってた兵士か」

「エリゴス……それがそいつの名前か。興味ないけど」


 アサミの反応に対してバレットは武器をしまった。理解できない行動に、彼女はエリゴスではなくバレットのほうに目をやる。


「なんでこの状況でしまっとるん? うちは敵なんよ?」

「そんなの説明されなくてもわかるって。でもよ、俺達にはお前は殺せない。なら銃を握ってても腕が疲れるだけだ」

「はぁ? なんでそうなるん? うちはあんたらを――」

「行こう、バレット」


 アサミがバレットに気を取られているうちに、エリゴスもまた手にかけていた柄を離していた。無防備な状態で銃口を向けられながらも、構わずバレットに歩み寄る。

 呆気に取られているアサミを一瞥したエリゴスは、何か言葉をかけるわけでもなく、表情を変えたりもせず、黙って彼女に背を晒した。

 お前には殺せない。エリゴスの背中は、背後に立つ彼女にそう告げているかのよう。

 アサミ自身、先の出来事で彼我の実力差は痛感している。それでも追ってきたのは、わけのわからない理由で親友を手にかけたことが許せないから。

 この男の命を奪うことを目的と定めた以上、この男に勝てない人生に価値はない。この男に挑まないのなら、生きていても意味がない。

 そう肝に銘じたいま、握る手の力は緩まない。

 仇の背中に向けたアサミの拳銃が、付近の味方にも届く炸裂音を放った。

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