サリエルの使徒

 エウトピア軍の騎士風制服を模範的に着こなす目の前の女性から、エリゴスはその答えを聞いた。


「あんたを殺すためや……ッ!」


 頭頂部で鞠のようにまとめられた髪型が特徴的な彼女は、エリゴスとそう変わらない年齢のようだ。成人していると思われるが、垢抜けていない幼さも残っている。化粧をして年をごまかしているのかもしれないが、エリゴスには異性が化粧をしているか否かを判別する能力はない。

 その昔、人類が永遠の命を得る以前の時代には、戦地に赴く際に容姿を整える者が男女問わず大勢いたらしい。死に際ぐらい綺麗でいたいから、なんて理由だったようだが、現代人であるエリゴスには理解できない行動だった。初めから死を覚悟して戦いにいくなど、ただの自殺でしかない。

 自殺、と聞いて思うところがあった。自ら命を断つ行為には、どんな意味があるのだろう。

 騎士風の女性は拳銃をしまい、代わりに腰に帯びた鞘から西洋剣風の近接武器を引き抜いた。

 拳銃より両刃の剣のほうが彼女の衣装には似合っている。憎悪に歪む瞳に睨まれるエリゴスの感想は、実に淡白だった。


「うちがあんたを殺す……ッ! ここで、今ッ!」


 両手で握る剣の先端が小刻みに揺れている。恐怖のためか、憤怒のためか。彼女自身の足元から腰ほどまである長剣は、抱く殺意の大きさを表しているかのようだ。

 幾重にも束ねた憎しみを一身に受けるエリゴスは、どう応じるべきか迷っていた。その判断の指標となるのは、問いかけに対する彼女の答えに他ならない。


「自分を殺すために生きる、ですか」


 言葉を発したためか、彼女の雰囲気に一層の警戒の色が滲む。しかしそれも束の間。決然と武器を構え直し、次に瞬きをすれば獰猛な獣のごとく襲いかかってくるのは明白だった。

 全て承知のうえで、エリゴスは武器を構えるでもなく、刀を持ちながら物思いに耽るように顎を擦った。


「いいですね、それ。あー、いいな、うん」


 これから命の奪い合いをする相手の意外な仕草に、彼女の行動も乱される。

 反射的に解けてしまった緊張をすぐさま引き締め、彼女は武器の柄を強く握った。


「ふざけんといてッ! ルチルを殺しといてッ! なんなんその態度ッ!」

「なんなん言われてもなぁ……自分は本当にいいって思っただけなんで」

「何がええのッ!? 自分がこれから死ぬからかッ?」

「いやあなたの生きる理由です。自分を殺すためにって、なんかいいなって」


 エリゴスの態度は、殺人を犯した直後とは思えないほど冷静だった。

 演技であればまだマシだったかもしれない。彼女にとってそれは親友の命を軽視されているも同然で、同時に、理解できない者に相対している恐怖を覚えた。

 何かを思い出したようにエリゴスは顔をあげる。


「誤解がないよう念のため説明しておきますが、自分はあなたの同僚を救ったんです」

「は、はぁ? なんやそれッ! 殺しといて何言っとるん?」

「殺しによって救ったんです。どういう意味かは……説明してる時間ないんで、自分で考えてください」


 殺人を正当化するエリゴスに、彼女の中で何かがキレた。

 銃弾は何故か当たらなかったが、刃なら――対峙する親友の仇に踏み込み、

 肉体を両断するつもりで刃を袈裟に振り抜いた。

 汗にまみれる両手に、想像した感触はない。


「あなたを手にかけるつもりはありません。そうするだけの理由がないんで」


 いつの間にか、エリゴスは長剣の届かない位置にまで後退していた。


「なんで……!? 弾も剣も、なんで当たらんのッ!?」

「そりゃ避けてるからに決まってるでしょ。他にあります?」

「そんなん当たり前やんッ! そう見えんかったから訊いとることくらいわかるやん!」

「いやあなたの頭の中身がわかるわけないでしょ。うちのリーダーといい、なんか女性って怖いな……。自分の移動を見切れなかったのなら、あなたの実力がその程度ってことです」


 エリゴスは真実を述べているつもりでも、彼女には嘘にしか聞こえない。彼の話を要約すると、彼の動きが早すぎて目が追いつかなかった、ということになる。そんなこと、特定の状況下でなければありえない。

 そして、いまはその〝特定〟には該当しない。


「馬鹿にして……ッ! あんたみたいなんは生きてちゃいかんのに……うちが仇を討たんと……ッ!」


 言葉にするのは容易であれど、現実には勝てる気配もない。この男はどうすることもできない。彼女は無力に歯を食いしばり、行き場のない文句を垂れるしかない。

 諦めた心情を察知したのか、エリゴスは小太刀を収めながら言った。 


「自分は、自分の犯してきた罪の重さも、自分が多くの人類にとっての悪であることも理解してるつもりです。それでも今は使命があるんで。まだ死ねません」

「長生きできると思わんといて」

「生きる理由さえなくなれば、自分は呆気なく終わるかもしれません。じゃあその時期はいつなのか。自分の死期を答えられる者は多くいないように、自分もそうでした。あなたのおかげで決まりましたけどね」


 満足げにエリゴスは語る。彼女には彼の伝えたい意図が読めない。


「自分の人生が終わるときは、あなたの人生が終わるときです」

「はァ? なに言っとるん?」

「あなたの生きる目的が自分を殺すことだというのなら、自分の死ぬ時期はあなたによって決まる。目的を持つ者に手をかけるつもりはないんで。がんばってください」


 俯瞰的な発言に、彼女の瞳孔がカッと開く。

 激昂する本能のままエリゴスに再び斬りかかる。

 永遠の命を狩る刃を振り上げた直後、瞬間移動のしたかのように標的が懐に現れた。

 エリゴスの手に武器はない。徒手空拳で防具ごと腹部を突く。

 抗いようのない衝撃に、アサミの細い身体はボールのごとく吹き飛んだ。

 道路に剣を突き刺し衝撃を抑制する。五メートル程度の傷を地面に刻み、敵を見据える。

 猫背で歩くエリゴスが、けだるそうに歩み寄ってきていた。半開きの瞳と視線が合う。彼の目が見開かれる。


「あ、忘れてた。自分たちはサリエルの使徒といいます。あなたたちエウトピアでも、あなたたちが敵対するアーケディアでもなく、全ての生きる目的を持つ人類の味方であり、それを阻害するすべてに仇なす集団です……だったっけ。実のところ、集団といっても十二人しかいないんですけど」

「サリエル……? なんなん? もっとちゃんと――」

「すみません。時間ないんで。また会うことがあれば、そのときにでも」


 喋りながら身を屈めた刹那、エリゴスの身体がバネに弾かれように前進した。

 彼女のすぐ隣を通過して、風圧さえも感じさせる。異様な光景に振り返る。彼は自身の身長の倍ほどもある飛ぶような股幅で駆けていた。

 可能だとか不可能だとか、そういう話ではない。事実として目に映っているのだから。

 親友を殺した相手の小さくなっていく背中を、彼女は呆然と見守るしかなかった。

 ……などということはない。アサミは無線回線を開き、近場の仲間に支援を求めた。

 そばには、これまで親友と呼んだ存在の成れの果てが残っていた。

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