また会えたら

@chuya1005

また会えたら


 野良猫は亡くなった人が猫に乗り移って生前に住んでいた家や家族のところに現れてるんだって。


いつか聞いたそんな噂を27歳にもなって目の当たりにするとは思わなかった。

ニートの俺は家族のいないこの広々とした一軒家に住み続けている。10年前に他界した母が愛していたこの家に居続けることができるのは母を除いた家族3人の中で俺だけだった。


母が他界する3年前、僕たち兄弟が感じていた嫌な予感が見事に的中した。かつては月に数回だった夫婦喧嘩も毎日のように行われていて俺と弟の2人は布団に潜ってどうにか愛する家族が潰れないようにと祈るばかりだった。

何とかして昔の頃のように暮らすことはできないのか。いつかまた4人で仲良く食卓を囲める日がくるのではないだろうか。

そういった若く浅はかな望みは父が夜逃げしたという嗚咽混じりの母の言葉によって容易く崩壊した。

そこからの3年は細々と暮らしていたが女手一つで働く母のおかげもあって平和で穏やかな日々だった。4人で暮らすために造られたこの一軒家は母、当時中学生だった俺、そしてまだ小学生だった弟の3人で暮らすには広すぎたが、それでも母は引っ越そうなどと口にすることはなかった。この家で過ごした家族の時間は母にとって悪いものではなかったのだと俺は解釈し、これからも3人で過ごしていくつもりだった。これはかつて抱いた望みなどではなく、漠然と頭の中にあるだけの俺の描いた未来だった。

 そんなある日、学校の先生から俺宛に電話が来ていると職員室に呼ばれた。母が作った弁当を残すのは嫌だったが、先生はかなり焦っている様子だったので渋々職員室へ向かった。電話は母の姉にあたる叔母からのものだった。先生が呼んでくれたタクシーに乗り込み、母の職場近くの病院へ向かうと、既に弟は叔母のそばにいた。二人の顔から正気を感じ取れなかったのを覚えている。すぐに二人の後をつけ白く重たいドアを開けると、そこには身体中を包帯に巻かれていてとても母に似ている女性が横になっていた。当時、俺は目の前で意識を失っている女性を母だとは思わなかった。俺たち二人を育てる為、仕事も家事も一人でし続けた母がなぜトラックに轢かれなければいけないのか理解ができなかったからだ。母はこの休む間もない日常にうんざりして俺たちを見捨てどこか遠くでひっそりと暮らしているに違いない、と俺は本気で思っていた。そしていつか、あの見慣れた我が家へ戻ってくると俺は信じていた。俺があの家に住み続けると決心したのも母がいつ戻ってきてもいいようにという意味も込められていた。今でもその思いが0になった訳ではない。


一方で当時まだ中学生だった弟は流れるように叔母の家に住むことになった。もうじき高校を卒業する頃だった俺は将来の事など考える気もなかったがどうにか叔母を説得し、一人でこの家に住み続けることを許可された。そうして高校を卒業した後もフリーターとして2年ほどたった1人でこの家に住んでいる。今日も夜10時までのバイトを終え、帰宅したところだった。春ということもあり、ここ最近の夜は野良猫がよく鳴いている。自らの存在を誰かに訴えるかのように獣らしい鳴き声をあげている。そんな声が煩わしい日もあったが、1人静かなこの一軒家で、俺はよく窓を開けて野良猫の声を聞いていた。


にゃー にゃー


鳴き声の方向からして恐らくうちの玄関前だろうか。いつもと同じ鳴き声で鳴いている。

餌は食べれているのだろうか。何度か餌を与えようかと思ったが、下手に餌をやると目を合わすたびせびられてしまうと思い、今まで与えないようにしていた。きっと近所の猫好きの女性が与えているだろうと思っていたが近頃その様子も目にしていない。もしかすると数日間何も食べないで過ごしているのかもしれない。そう思うと俺はただの野良猫にさえ情が湧いてしまった。冷蔵庫には便利な食材として常備してあるシーチキンが入っている。一つくらいやるかと、蓋を開け玄関前に置いてやることにした。階段を降り、ドアを近付くたびに猫の鳴き声が近くなっている。普段人間がここから出入りすることを知ってて鳴いているのだろう。鍵を開け、ゆっくりと扉を開くと、そこには月に照らされた"人間の女性"が立っていた。


「かあ、、さん。」


ドアを閉めるより先に俺は目の前の女性を母と認識していた。そんなはずがない、連勤からの疲れで幻覚を見ているだけだ、と何度も目を擦ったが目の前には紛れもなく俺を産んだ母がいる。5年前、トラックに轢かれ意識の戻らぬまま死んでしまった母が。




「まあ、座ってよ。今水を持ってくる。」


俺は意外にも落ち着いている自分がいることに驚いていた。どうせ夢なら付き合ってやろうとそういう冷めた考えもあったが、何よりも5年ぶりに母に会えた喜びを素直に受け入れていた。

母は一言も話さなかった。俺はいくつか質問はしたが、首を振るといった素振りすらなく、残念ではあったものの俺がする話には目を向けて聞いている様子だったのでそれ以上は求めなかった。


「陽介にも会いたかったろ?今はあいつだけ美保おばさんの家にいるんだ。あいつ、今は理系の大学に進んで俺には理解できないくらいすごい研究をしてるらしいんだ。明日にでも連れてくるよ!きっと喜ぶぜあいつもおばさんも。」


「.........」


「俺が今何してるかって?んーあんまり言いたくないんだけど、まあニートだな。金がないから大学は諦めて、就活ってやつをやったんだけどさ、上手くいかなくて。今は近所のスーパーでバイトしてんだよね。」


「.........」


「そう。ずっと一人で住んでるんだ。だって、誰かがこの家にいないと母さんが帰ってきても入れないだろ?だから今日、安心したんだ。あぁ、俺ここに住んでて良かったって。やっと帰ってきたんだって。」


「.........」


俺はあまり母の方を見て話さなかった。ドアを開けた時の月に照らされた母の顔は5年前と変わっていなかったし、服装だって母がずっと着ていた灰色のトレーナーにデニムジーンズという俺の記憶にいる母のままだ。声も出さず、笑いもしない、まるで人間そっくりにできた置き物みたいな母を俺は直視できなかった。

目を合わせない代わりに俺は精一杯これまでの生活や父がいた頃の4人の団欒を話し続けた。

ずっと無表情だった母も何故か笑っている気がした。その笑顔を見たくて何度も目を合わせようとしたが、目から溢れ出す涙が、その涙が頬を通るいじらしさが、俺の望みを望みのままにしてくれた。


 外が明るくなり始めた頃、外にいる野良猫が大きな声をあげて朝を知らせた。俺をじっと見つめる母は何かに操られてるかのようにその鳴き声のする方に顔を向けじっと窓の外を見つめていた。


もう行くんだな。


俺は母の肩を持ち、ゆっくりと階段を降りた。今もまだ生きていたら将来的にこうして介護していたのかもしれないと思うと少し笑みが浮かんだ。玄関前で最後の機会だと思い俺は母と肩を並べて土間に足を置き座っていた。

思えば4人で出かける時にはいつも父の準備が遅くてこうして母と弟の3人で待っていた。あの頃のようなワクワクは今の俺には無いが、こうしてありもしない奇妙な時間をゆったりと過ごせるほどの落ち着きは手に入れたのかもしれない。


「またおいでよ。今度は陽介もいる時にさ。」


そう言って俺はドアを開け、母を外に送り出そうとした。


ガチャ


「どうしてここに居るんだ?陽介。」

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