第8話︰貴方にすべてを捧げられると

 

 俺の名前は西条りあ。

 好きな食べ物は南瓜の煮物、好きな属性は風と炎。特技は正座したままの睡眠とポジティブシンキング。


 御命令とあらば靴まで舐められるお嬢様の従順な奴隷である。


「か、完璧な仕上がりだぁ……!なんなんだこの旨さは……!」


 お屋敷の広すぎるキッチンの一角、左手なしでの調理に慣れつつある俺は、味見用の小皿を下ろし思わず震えた。

 孤児院でも結構料理はやってきたが、ここの食材は明らかに値段が違う。

 間違いなく生涯最高傑作に位置する逸品を完成させてしまったことに俺は戦慄の震えを抑えられなかった。


 しかしいつまでも呆けてはいられない。既に太陽は顔を出している。

 屋敷全体の掃除は昨晩の間に済ませておいた、洗濯物はお嬢様の溜め込んでた量が多すぎたので後回し。

 盛り付け配膳etcを済ませ、急いで食卓の準備を整える。

 寝室の前で待機すること十五分、扉が開き、寝間着のままのお嬢様が大きな欠伸を披露しながら現れる。


「ふぁ……ぁ…………あぁ?………………そういえば拾ったんだっけ……?おはようどれい……」

「おはようごさいますお嬢様。お食事の準備できているので食堂までどうぞ」


 お嬢様は朝は滅法弱いらしく、昨日の記憶も朧気な様子。前後不覚にふらふらと歩く。

 いや、歩いているという表現は違う。右へ左へ体を揺らすだけで殆ど前に進めていない。

 仕方がないので手を引いて先導し、乱れた服を直してやって、顔を洗わせ口をゆすがせ、食事の前に座らせた。


「………………んん……なにこの四角形の…………なにこれ?」

「えっ………………テリーヌです。野菜の。軽いものでいいと仰っていたので」

「………………あのさぁ……朝から得体のしれないもの食べさせないでよ…………朝食すらまともに作れないなんてがっかりだよこの奴隷がぁ…………」


 目を擦るお嬢様が気だるそうにナイフを動かし、一欠片を嫌そうに口に入れ、数秒ぴたりと固まって「……旨ぁ」と呟き二口目に。

 もにゅもにゅ口を動かす姿からしてどうやら一応は気に入ってもらえたようで、俺はほっとため息をついた。

 パン一切れと野菜スープ(コンソメは時間不足により製作途中)と紅茶をお出し、心底眠そうに咀嚼を続ける彼女を尻目に食堂を出た。


 赤絨毯の廊下を歩く。窓から眩しい朝日が差し込んでいる。

 窓の外には雪に染まった街の姿が広がっている。全く爽やかな朝と言う他なく、鼻歌でも歌いそうになりながら歩をすすめる。


 お屋敷は孤児院と同じくらいの大きさだったが、造りの端々が明らかに精緻で、謎の絵画とかも飾ってあって、それなのに人の気配が全くない。

 階段を二つばかり上がり、使用人の一人もいないことに今更ながら疑問を覚え、昼辺りにお嬢様に聞いてみようかと考え、俺は扉を静かに押した。


 部屋の真ん中、無駄に大きなベッドの中、アリアはやっぱりまだ眠っていた。

 あまりに寝相がよかったので、あれぇ死んでる……?と不安になったが、一歩近づき耳を澄ませれば微かに寝息と心音がする。

「よかったよかった生きてるよ強い子だぁ……」なんて、可笑しくなって俺は笑った。


 何を隠そう、アリアを助けてくれたのはお嬢様である。

 昨晩あのときあの場所で、ナイフを差し出してきた彼女に対し、俺は一つだけお願いをした。『奴隷になるのでアリアの治療と衣食住、安全の確保もお願いできませんか。お願いです、この通りです』と、ナイフを奪い石畳に押し倒し肩関節を極めながら頼み込んでみると、お嬢様にも命の尊さというものが伝わったのか、『痛い痛い痛い痛い!!助けてぇ助けてぇ!!』と受け入れてくれた。


 全く馬鹿馬鹿しいくらい都合のいい話であった。

 凍死寸前の詰みかけていた状態から突然財力のあるお嬢様が湧いてきて、しかも瀕死の俺に秒で制圧されるレベルの貧弱っぷり。このときばかりは神の存在を本気で信じた。


 そうして当然この辺りから俺のテンションは正方向に振り切れる。

『やったぁやったぁお嬢様貴女は大天使ださぁ早くお医者様のもとへ』と腕を引っ張り病院へ。

 お嬢様の姿を見た医者たちは、それだけで話を聞いてくれた。まったくお嬢様の威光というものはすごいものである。

 治療自体は拒否されたので、必要な用具だけ借りて自分とアリアの手当てをやった。魔王と戦う八年間で人体の構造はよく学んだし、孤児院運営にあたって国王様に頼み昨年に医師免許も取っていた。合法である。


 アリアの体は頑丈で、折れてたらしき骨がくっつきかけていて、めちゃくちゃ蹴られたらしいお腹も大体治っているようである。

 しかし大きな血管を何ヶ所も切られていたのはやばかったので、そこだけ縫って処置は終わった。

 俺は太ももを縫って輸血をした。俺がこの世界に来たばっかりの八年前には輸血なんて技術はなかったはずだが、便利な世の中になったものだ。


 お医者様にお礼を言って病院を発ち、お嬢様のお屋敷にお邪魔して、暖炉がある一室にアリアを寝かせた。


 ちなみにお嬢様は終始ビビり散らかしていた。関節を極められたのがよっぽどトラウマだったのか、顔を青くして『あっはい』『そうですね』『そのとおりだと思います』しか言えないマシーンと化していた。

 そんな状態であっても『こ、ここまでやったんだから君は奴隷だからな!!人として約束は守れよ!!』『暴力はなしだぞ!!』『暴力はやめろよ!!』とは言ってきたあたり、彼女はよっぽど奴隷が欲しかったのだろう。

 アリアを匿ってくれる場所に他に頼りがない以上、もとからお嬢様を裏切ることはできないのだが。


 お嬢様が焼印の番号を記した書類を提出し、公的に奴隷として登録され、俺から人権が消失した。

 各種公的サービスの利用に制限がかかる他、個人の財産が持てなくなって、殴ったり殺したりしても罪に問われなくなるらしい。やっぱり異世界はバイオレンスである。


 そうして色々あった一晩が明けても、俺のテンションは未だ最高潮。

 真冬の街角で衰弱死するしかなかったアリアが暑いくらいの部屋で寝息を立てているのである。

 あの状況から考えられる中では殆ど最高の結末といっていいだろう。信じられないくらいの幸運だった。こんな都合のいいことが許されるのかと叫びたくなるくらいに。


 口笛でも吹きたくなる気持ちを必死に抑え、暖炉に薪を二つばかり投げ入れて、アリアを起こさないうちに部屋から出ていこうと、立ち上がり、振り返る。


「………………あっ」


 振り返って初めて気がついた。

 アリアがいつの間にかベッドから体を起こしていた。


 彼女はじっとこちらを見ていた。


「あー…………起こしちゃったな、ごめん。体調どう?痛むところとかない?」


 返事は返ってこなかった。

 アリアは瞬き一つせずにじっと俺のことを見つめている。


 正確には、よくよく視線を見てみれば、彼女は俺に付けられた金属製の首輪を見ていた。

 お嬢様から買い与えられた、公的に認められた奴隷の証だ。


「………………えっと、これはですね……」


 言いわけの言葉が出てこなかった。


 何度でも言おう、アリアが治療を受け、アリアを匿ってくれる後ろ盾が現れ、生活基盤も確保できた現状は間違いなく『殆ど』最高の結末だ。


 ただ一つだけ馬鹿でかい問題が残っていて、俺の現在のジョブが奴隷であることをアリアに隠し続けるのが不可能ということである。

 アリアは俺が奴隷になった理由にすぐに思い至る。理由を知れば自分のせいだと酷く気に負ってしまう。


 だって、アリアはとても賢くて優しい子だから。


「………………これはな、アリアは知らないかもしれないけど今の富裕層では奴隷になってみることがトレンドなんだ。人権の尊さ平等自由の重要性は漫然と日々を過ごすだけでは十全に理解できるとは言い難いだったらそれらを捨て去ることでより高度な知見を得られるのではないかといった極めて高尚な試みでさ奴隷を一度経験したことがあるかないかは今後の社会的地位に大きく寄与してくるんだ俺が自主的にやっていることだからアリアは気にしなくていいむしろ気にすることは人権意識というものに唾を吐く行いだと思います??」


 ダメ元で遂行される意味不明かつ見苦しいにも程がある言い訳を、アリアはじっと見つめていた。


 話が終わった後もアリアはじっと固まっていて、しばらくして涙が溢れてくる。

 表情を全く動かさず泣いて、彼女は涙を抑えようとしていて、小さく口を動かして、必死に言葉を紡ごうとした後、やがて下手くそな笑みを作った。


「せんせい、助けてくれてありがとうございます」


 俺を心配させないようにと必死に虚勢を張っている姿をまのあたりにして、軽く吐き気と自殺衝動が湧きあがり、「…………スープがあるけどいる?」と聞くと、「お腹すきました」と小さく笑って返答がくる。


 それでも俺は幸せだった。

 アリアがこんなに傷ついているというのに、アリアが無事であるということだけで自然と幸福を覚えてしまった。

 俺は薄情者なのだろうか。難しくて結論は出せそうにない。


 窓から伺える街の雪景色は朝日に照らされ、それはそれは綺麗に輝いていた。

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孤児院くーでたー!〜教え子たちに金目当てで裏切られ異世界二周目は奴隷生活です〜 @childlen

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