第6話︰貴女に触れられ熱を帯び

 

「魔法が泳動する微粒子が干渉しあって成り立つ現象ってことはもう授業で言ったよな?これはその応用。魔法に手を突っ込んで粒子をうまいことかき回して、りんご一個分くらい真空の領域を作ってやれば一瞬で魔法は霧散するって寸法よ。ひと粒でも残せばモロに直撃だし、この体じゃ速めの魔法は消せないだろうけど」


 頭の上で先生が薀蓄を喋っている。

 私は流れ出る鼻血を押さえつけながら、俯き床に倒れ伏せている。

 頭をぐるぐる事実が廻る。


 先生が私の顔を殴った。


「あぁ、もちろん微粒子は目には見えないんだけど、魔法を使うとき人は無意識に『光の屈折率反射率をごくごくわずかに変化させる』って魔法を併用しちゃっててな、つまり空気の歪みから間接的に粒子の挙動が把握できるんだ。弱めの風魔法から練習するのがやりやすいかな?」


 三秒ほどで鼻血は止まった。

 言葉が頭に入ってこない。

 視界がちかちか明滅している。


 脳裏に焼き付いた光景がなんどもフラッシュバックを繰り返す。

 床に跪く私に向かって躊躇なく拳を振りぬく子供の姿。


 先生が私のことを殴った。


「────で、お願いなんだけどさ、今だけでいいから見逃してほしい。アリアを病院に連れてかなきゃいけないんだ」


 限界だった。


「…………ぁぁあああ!!この裏切り者がああ゛あ゛っっ!!」


 何が限界かわからないけどとにかく限界だった。私は包丁を握りつぶす。

 魔力を昇華させながら地面を蹴って跳ね起きる。

 傷だらけで今にも死んでしまいそうな先生に蒼炎を放ち、同時に包丁を投げて炎の中に潜ませ、先生に向かって突進する。


 一瞬でも触れられれば魔法で動きは固められる。

 止められさえすれば嬲り殺せる。目の前でアリアの心臓引きずり出して踏みにじってやることができる。


 先生は何も言わず右腕を振った。

 一動作で炎が霧散し指の間に包丁がつままれている、体を軽く傾けただけで私の両手が空を切る。

 先生が私の顔を殴る。


「う゛う゛っ!!…………裏切り者!!裏切りもの!!」


 まったくもって妙な感覚だった。先生の動きはのろまと言う他なかった。これだけの大怪我だ当たり前だ。特に脚の肉を抉ってやったのが効いているのか、重心の移動が極めて緩慢。次の瞬間倒れて死ぬと言われたほうが納得できるくらい鈍重な動きだ。


 にも関わらず当たらない。

 至近距離で放った炎を消され、脚を狙った風弾は躱され、引き戻す拳に指さえ掠らない。

 横たわるアリアを狙った炎は、強引に伸ばしたつま先に触れられた瞬間に霧散した。

 先生は何度も何度も執拗に私を殴った。


 単純な速度ではない、全ての動作の始まりが気持ち悪いくらい早い。まるで未来でも見えているようだ。

 全くおかしな話である。先生の視力は今や人並み以下だというのに。

 先生の片目を抉ってやったのは他ならぬ私だというのに。


「あ゛あ゛あ゛あ゛裏切り者!!裏切り者のくせにぃ!!」

「…………いやなんでだよ。逆にこっちが」

「裏切り者ぉっっ!!!」


 アリアのほうに駆け出した私を押し戻すように、先生がまた一度私を殴る。


 床に転げ、すぐさま立ち上がろうとして、足元がおぼつかなくなっていることに気がついた。視界がぐにゃりと歪んで見えた。

 浅く何度も息を吐いて、力を込めても立ち上がれなくて、見上げてみると歪んだ視界の中心に先生がいた。


「う゛う゛う゛ッッ!!!」


 こちらへ歩いてくる先生をじっと見た。

 何度も何度も殴られて顔がじんわり熱を帯びていた。

 激しい動悸が収まらなかった、体中の温度が上がりきっていた、嫌な汗が背中を伝っていた。


 もう、なにもかも思考はまとまらなかったけど、ひとつだけはっきりしていることがあった。

 先生はあんな平気な顔をして、私を殴れる人間だったのである。


「────っッッ死ねぇっっ!!」


 掌を床に叩きつける。


 人生で一度も成功したことはないけどそんなの知るか殺してやる殺してやるぶち殺してやる。

 床に魔力を注ぎ込む。万物の動きを止める魔力が木目に沿って散っていく。

 そうして無意味に無価値に食堂じゅうに拡散する魔力が、0秒と言える刹那の時間に先生の足元にまで到達する。


「死ねェ!!!!」


 あらん限りの殺意を込めた。


 奇跡は起きた。

 床板を這っていただけの魔力が突如軌道を変え先生の靴の中へと入り込み────


「成功するのは知ってるよ」


 ────先生が脚を振った瞬間、魔力の全てが霧散した。


「………………ぁ」

「だって、ほら、ロベリアはすごく出来がいい子だからなぁ」


 何かを思う暇もなく、先生が私の顔を殴った。

 私の意識はそこで途切れた。

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