第5話︰私は貴方を信じてます
殆ど明かりのない薄暗い食堂にて先生と10メーター程度離れて向かい合う。
目はいいほうだったのでこの状況でも気付くことができた。先生のちっちゃな左手は手首より上が滅茶苦茶になっていた。
おそらくハイになっちゃった私の声を聞きつけ状況を察し、左手を砕いて縄を抜け、急いでかけつけてきたといったところだろう。あの痛覚の欠落ぶりなら不可能ではないだろうがアレは間違いなく後遺症が残る。頭がおかしいのではないのだろうか。
反射的にそこまで考えた私は、迷わず足元に転がるアリアを指差した。
「先生、せんせ。アリアがこうなったの先生のせいだぞ?反省しなさい」
「………………いや何言ってんだお前。お前が蹴ってお前が刺してお前が殴ったんだろ、この状況から考えて」
「そうだけどやっぱり先生のせいだろ。アリアが地下室から出てくるとこ見たぞ、こいつは真っ直ぐ食堂に向かってた。たぶん先生は縄切る道具を探すように頼んだのかな?駄目だろそれは。私達が先生を裏切ってる以上、解放しようとしてるのが見つかったら危ないことくらい想像ついたはずだ。ちょっとでもアリアの身を案じるなら自分を見捨てて逃げ出すよう誠心誠意頼み込むべきだったんじゃないのかい?」
「ええぇ……まあ確かにもっと良い言い方あっただろうけどさぁ……」
「でしょ!ほーらやっぱり先生のせいだ!保護者失格だぁ恥を知れ!」
先生は黙ってこちらを見ていた。
真顔でぼーっと直立する姿は平静を装っているようだったが、度々アリアへ視線を移し、瞳は不規則に揺れている。
金槌で殴ってやったときの無反応とは目に見えて違う。明らかに効いている反応だった。
自分より頭一個分くらい小さな子がどうしようもない無力感に打ちのめされている──胸が踊るような高揚感を必死に堪えて喋る。
「で、私いまからアリアを殺すから。それも先生のせいだからな?」
「…………それは一体どういう理屈で?」
「副院長が言ってたぞ、先生が使う魔法は全部が魔眼を使ったズルで、世界を救えたのも100%魔眼頼り、先生本人は自力じゃ風一つ起こせないって。今の先生は魔法を使えない大怪我した十歳児ってことで合ってるよな?」
「………………正確には十二だけど、他は合ってる」
「あ、そうなの?まあどっちにしても何にもできないゴミクズだよ先生は。昨日までの自分と違う無能だってことをしっかり自覚しておいたほうがいい。私を止めることなんてもっての他だ。これはもう不注意で目玉えぐられた先生が悪いよな。先生が普段から注意深かったら私達は裏切れなかったんだぞ?そしたらアリアが死ぬことなんてなかったのに……可哀想だろ……まだまだこの子はお子様だぞ……?」
辺りを軽く見回してみると、金槌は壁際までぶっとんでいた。ハイになってる時すっぽ抜けてしまったものなのでまあ仕方がない。
けれども包丁は比較的近く、手を伸ばせば届く距離に落ちている。
「止められない理由がもう一つ。先生ってさ、私のこと殴れないだろ?先生が孤児院の子に手をあげてるところ見たことないし」
さて、アリアを殴るか刺すかどっちにしようか。
人殺しの経験はないので感覚の話になってしまうが、たぶんもう一発刺せばアリアは死ぬ。今も弱々しく呼吸をして横たわり口から血を垂れ流しているのだ、頑張って耐えろというのは無茶というものだろう。
殴ればあと十数分は保つ。これだけ可愛い反応を見せてくれるアリアがそれだけ長く生き残ってくれる。
へそから突き刺して内蔵ぐちゃぐちゃにかきまわしてやる。
自分で自分がおかしいのはわかっている。どう考えても殴ったほうがお得だ、アリアを殺せば残るのは無反応の先生だけだ。これは短期で気まぐれで愚か者のやることだ。
けれどどうしようもないくらい、アリアの臓物がはみだした時の先生の顔を見てみたい。
「暴力をふるわなかったら誰か褒めてくれると思ったか?結果はこういう感じになります」
先生をびっくりさせるために最短最速。
しゃがんで落ちているナイフを拾いアリアのお腹に振りかぶり勢い良く突き立てる────そんな動作を取っている最中、何かに足をとられたのか、私は不意にバランスを崩し、ぺたりとその場に尻もちをついた。
「────お、おおぅ……!?」
急に転んでしまったのが恥ずかしくて、慌てて立ち上がろうとして、脚と体幹に力を込め、ぎゅうと力いっぱい力を込め、力を抜き、私はやっぱり立ち上がるのをやめた。
「……………………ん……?」
なんというか、妙だった。
眼前に広がっている光景は一見すると自然なものだったが、よくよく考えるとやっぱり変だ。
5メーターくらい離れた前方、アリアが数瞬前と同じような状態で寝転んでいて、その側に先生が座り込みアリアに何やら声をかけている。
おかしいというのは位置関係である。
ほんの3秒前までアリアは私の足元にいたはずだ。先生の側にはいなかったはずだ。
不思議に思って軽く辺りを見てみると、移動したのは私のほうだったようで、どうやら自分でも気づかない内に後方に歩いていたようである。
理由は全くわからないけれど。
「………………………痛……」
鼻先が変に熱っぽくて拭ってみると、手のひらにうっすらと血がついていた。
じんじんとした痛みが少し遅れてやってくる。
全くもっておかしなことではあるが、『包丁を拾うため目をそらした隙に近づいた先生が私の顔面を蹴り飛ばした』と考えれば辻褄の合う状況である。
先生が私に暴力をふるう訳がないという前提がある以上ありえない話ではあるのだが。
現状は偶然そういう形になっている。
「……………………っ、あ……」
先生はアリアの頬をそっと撫でていた。「大丈夫か」「ごめん、大丈夫なわけないよな、痛いよな」「病院連れていくからな」「いや大丈夫」「そんな謝ることないって」「アリアは騙されただけだからむしろ怒ってもいいくらいだ」と途切れ途切れに囁く先生。
哀しそうに微笑む先生の姿は、子供になっていても面影が残っていて、虫も殴れなさそうな薄弱さで、消えてしまいそうに弱々しくて、私を孤児院に連れてきたときと全く同じ雑魚っぷりで、こんな先生が私を殴れるわけがないのである。
先生は私を殴っていないと、私は冷静に判断をくだした。
「…………ぁぁあああ死ねえ゛え!!」
私は冷静に掌を広げ、炎魔法を打ち出した。
食堂いっばいを覆い尽くす規模の炎。
先生もアリアも両方を全身大火傷でショック死させる最高温度の蒼い炎。
迫る蒼炎に先生は右腕を大きく振った。掌に触れた瞬間炎が霧散する。
「──ぁあぁっ!?」
全く訳がわからなかった。さっきからわからないことばっかりで嫌になる。
先生がすっと立ち上がり、歩いてこちらに近づいてくる。
「…………なぁロベリア、お前自分が矛盾してること言ってるの気づいてるか?」
もう一回魔法をぶっぱなす。
今度は目視すら叶わない風魔法。
音の速さで先生をぶっ飛ばし背骨をへし折るはずだったそれは、またもや掌に触れた瞬間かき消える。
「確かに魔眼頼りだったけど俺は魔王を殺し尽くした。その時点で暴力を振るわないような人間じゃないってわかるだろ。まともな人間なら悪い奴相手でも命を奪うのは躊躇する」
先生が私の目の前まで辿り着いて止まった。
そこであぁとりあえず立ち上がらなければならないと思い立ち、急いで体を起こす──
「つまるところ俺が世界を救えたのは、平気な顔して命を奪えるような、人でなしだったからってことだな」
先生が思い切り私を殴った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます