第3話︰ありがとうを貴女に
先生の手は荒縄で縛られ括り付けられていた。
先生のことが好きだった。
だから私は、地下室を出て真っ直ぐ食堂に向かい、静かで広い暗闇の中ひとり刃物を探している。
ガチャガチャ耳障りな音だけが響く。
先生が子供だったこと。
先生が右眼を抉られていること。
先生が大怪我をしていること。
先生が明らかに危害を加えられていること。
数回だけ交わした会話の内容。
様々な考えや思いつきが頭の中で浮かんでは消えていった。
頭がおかしくなりそうだったから、何も考えないようにして手を動かした。
「…………あった」
見つけた包丁を握りしめる柄の木がひび割れる音をあげ跳ねるように立ち上がり地下室へ戻るべく部屋の外へ、出ようと立ち上がるその瞬間。
ごん、と、頭に重たい衝撃が走った。
「う゛、あっ!」
くぐもった声が出る。視界が不自然に明滅する。これは、なんだ、殴られたのか。
「あ、危ねえーっ!見張りサボってる間に大変なことにぃ!」
力なく倒れる自分の視界の端には、見知った女の、半笑いのロベリアの姿が写っていて、彼女は金槌を握っていた。
金槌には血がべっとりと付いている。
私は後ろから近づくアレに気づかず後頭部を思い切り殴られたようだ。
そうか、こいつが裏切ったのか。
「…………殺す」
倒れる最中、床に体がつくより前に手から着地し体を跳ね上げる。ロベリアとの距離を一息に詰める。
「────!?」
ロベリアがぎょっと目を剥いているのを確認し偶々持っていた包丁を握り潰す。一刻も早くこの刃物をこいつの内蔵の中に滑り込ませかき回さなければならない殺してやる殺してやると明確な殺意をもって右腕を振るう────
「とっ、『止まれ』!」
「…………ッ!」
────ロベリアの声により包丁が止まった。
腕だけではなく体全体の動きが止まる。ロベリアの魔法の効能だ。首から下が完全に硬直し、受け身もとれずに床に倒れる。
全身がぴくりとも動かない。立ち上がることなど決してできない。
「あ、あっ、危ねえ……!な、殴られたショックとかないのか人として……アリアお前頭おかし」
「殺すッッ!!」
「──!?」
なので、起き上がることは諦めて、固まる前に予め開いていた掌から魔法を放つ。
腹の肉をぶち破れる最低限の威力と可能な限りの最高速度を確保した水の弾丸を可能な限り最短で放て殺せ殺せ殺せ殺せと頭の中で声が鳴る──
「ひ……ッ、『魔法も止まれ』!!」
──放とうとしていた魔法も止まった。
「クソッ!殺す!殺してやるッッ!!」
身体も魔法も固められた。これでもう私は何もできない。ここから体を起こすことも、身じろぎひとつすら叶わない。こいつの魔法の効力が切れるまでの15分38秒間ただ嬲られるだけの人形と化した。それでも殺意は止まらない。
こいつだ、こいつが先生を傷付けたのだ。
複数人関わっている可能性が高いが間違いなくこいつはその一人だ。
先生に拾われなければ野垂れ死んでいた分際でこいつは先生を裏切り凶行に走ったのだ。生かしておいてはならない存在だ。
この魔法が解けたとき私の命が僅かでも残っていればその劣った脳漿に魔法と包丁をねじ込んで完全確実に殺してやる。
「殺してやる!!殺してやる!!殺してやる…………ッあ゛!!」
床に寝ている私の頭に、彼女は金槌を振り下ろした。
そのまま振りかぶって二度三度。
自分の頭の内側から何かが割れるような音がする。
「………………殺してやる!!」
「…………やれるもんならやってみろ指一本動かせねぇ状態でよおおおおおっ!!」
それから彼女は生き生きと、私に多種多様な暴力を振るった。
肋を蹴りとばし掌を踏み潰し拾った包丁で腿を抉る。
明らかに殺す為の暴力ではない。いたぶるのを愉しむ為の暴力だった。
とてもありがたいことだった。このまま私が死んだら先生は殺されてしまう可能性が高い。先生を開放するまで死ぬことはできない。
「死ねっ死ねっ死ねっ死ねっ!!テメェ何度もヒヤヒヤさせやがって殴っていいのは私だけなんだよ調子に乗るな!!あぁ馬鹿だからわからねぇのか人様の邪魔しちゃいけねえんだよ!!死ねっ!!」
頭を踵で踏み潰される。視界が何故か赤色に染まる。
何度も後頭部を蹴り飛ばされる。寝ているのに平衡感覚が定まらなくなった。
背を刺す腕を刺す脚を刺す。こうなっては魔法が解けても歩けないだろう。水弾
でこいつの頭をぶち抜き先生の所へ這って縄を切ることになりそうだ。
殺してやる。
「ハハッアハハ!そうだ馬鹿だよテメェは馬鹿だ!私達が計画はじめたのいつか知ってるか一月前だぞ!?愛しの先生殺そうとしてる裏切り者達に囲まれながら何も気付かず間抜け面晒してた感想を述べよ!」
なるほど全員が裏切り者か。
どいつもこいつもどうして先生のことを裏切れるのだ。百歩譲って先生が命の恩人であるということを抜きにして考えたとしても、後ろ盾を失った奴等がこれからどんな末路を辿るかは想像に難くないだろうに。
塵屑の思考が理解できない。理解する気も一切ない。
先生の安全を確保できしだい孤児院の人間全員有無を言わさず皆殺しにしてやる。面倒なのは数名いるが毒でも仕込めば私一人で殺しきれる。
殺してやる。
「私はさぁ!ほんとうに感謝でいっぱいなんだ!実際のところあのバケモノの殺し方は私らも思いつかなくてさぁ!あいつの目に引っかからない薬がなければどうにもならなかった!提供者には足向けて寝れねえよ!アリアもそう思うよな!なぁ!」
そんなことはわかっている。
先生は魔王を一人で根絶したのだ。塵芥が裏切ったところでどうにもならない。先生のよく知る人物が敵意を全く抱かず『攻撃』に及んだからこそ先生は捕らえられた。一番の害悪はそいつだ。そいつが存在しなければ先生は全くの無傷で事を収め、今頃安らかに眠れていたことだろう。
故意かどうかなど関係ない。先生をここまで傷つけておいて知らなかったなど言わせるものか。
そいつは生まれてくるべきではなかった。地獄の苦しみを味わい後悔の中で死ぬべきだ。
殺してやる。
「アリア!先生を殺せるのはお前のおかげだ!ほんとうに……ほんとうにありがとう!」
私だ。
私が先生をあんなにした。
「うあっ……ぁあぁぁ……」
「ギャハハハハハこいつ泣きやがったあああああああ!!楽しいいいいいいい!!」
絶え間ない暴力が産んだ血の海を、私はばしゃばしゃと転がっていく。
そうだ、本当は地下室を覗いたあの瞬間にわかっていた。
先生の骨が折られたのは、目が抉られたのは、今にも死んでしまいそうなのは、すべて私のせいだった。
八年前のあの日あの場所で、私は殺されておくべきだったのだ。
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