第2話︰恩ある貴方に恩返しを

 

 私の名前は西条アリア。

 好きな食べ物は南瓜の煮物、得意な属性は水と薬学。特技として挙げられるのは最近紅茶を淹れられることになったことくらいだろうか。

 西条というのは先生の家名だ。自分の名前を知らない子供は孤児院に入る際、国の戸籍をつくってもらうのといっしょに自身の名前を決めることになっている。

 私は先生の家名を貰った。先生のことが好きだった。


 私には八年より前の記憶が殆ど無い。

 朧気ながら覚えているのは父の暴力、母の暴力、『ごめんなさい』と繰り返す自身の声色。私が属する種族は人間から激しい迫害を受けているそうなので、きっと色々と限界だったのだろう。

 人間と魔王から逃げ続け、同族の死に様を幾度も目撃し、何年も死の恐怖に臨し続けた両親の気は狂ってしまい、狂気の矛先が私に向いた。

 おそらく私が一番壊れて、おそらくそれが私だけが生き残った理由だ。


 八年前、私達一家が潜伏していた山嶺に八百メートルクラスの魔王が瞬時に生えてきて、それを目撃した両親は即死した。当時『景色を見上げる』といった動作が叶わなかった私だけが生き残った。

 魔王はぐんぐん成長する。殺した数千数万の命を吸い上げて膨張する黒色の体躯が、地面を飲み込み、空を隠し、山全体を覆って膨らみ、私の体を物理的に押し潰そうとした寸前、先生がその場に辿り着いたそうだ。


 私は王城の一室で匿われることになった。本来の駆除対象であるはずの私がなぜ王城での存在を許されたのか、先生と王室がどのような関係にあるのか、詳しいところは何もわからない。先生は自分の仕事についてあまり話したがらなかった。


 代わりにあったのは思い出だ。

 魔王を殺して回る仕事の合間を塗って先生は私の部屋に足を運んだ。私は何もできなくて、他に私の世話をしたがる人はいなかったので、一日二回、先生はごはんを食べさせに来た。

 一年が経った。まともに会話ができるようになった。先生と他愛もない話をして過ごした。

 二年が経った。まともに歩けるようになった。先生と夜の城下町を歩いて回った。

 三年が経った。先生の助けになれたらと勉強して傷薬を作ってみた。先生は酷く大げさに喜んでいた。先生は自分で怪我を治せることを数日後に知った。きっと気を遣ってくれたのだろう。


 その頃から魔王が頻繁に現れるようになってきて、先生が顔を見せる日は徐々に少なくなっていった。

 それでも週に一度は絶対に顔を出して、体調のこととか、王室の人間に嫌がらせなどされていないかと尋ねてくる。先生は凄く心配症だった。


 命も尊厳も幸福も、私はすべてを先生に貰った。


 魔王を倒した先生が孤児院を作ると言ったとき、私は迷わず連れていってくれるよう頼んだ。本当は職員として先生の力になりたかったのだけれど、私はここでも保護される側だった。まだ働くような歳ではないそうだ。

 正確な数字はわからないけど、外見から予想する私の年齢はだいたい十四くらいだろうか。

 遊んでいるのも悪い気がして、ずっと勉強に時間を注いだ。


 そうして訪れた今日という日。

 資金集めに奴隷制の縮小子供達の保護と、まだまだ仕事の多い先生はあまり孤児院に寄り付く暇もなく、子供達はあまり先生に懐いていない様子だったけれど、流石に思うところがあったようで、私に頼みごとを打診してきた。

 ドッキリだパーティーだとか言っていた彼女たちに幼稚という印象を抱いてしまったりもしたが、それでも張り切って睡眠薬を作り、紅茶に混ぜて先生の部屋に置いておいた。


 今日は一年に一度の特別な日。他ならぬ先生の誕生日なのである。


「先生」


 部屋で眠っているはずの先生がいなかったので、妙にひとけのない孤児院の中を探し回り、終着点の地下室の中。

 鍵のかかった扉をこじ開けると、中には手を縛られ壁にもたれかかって座る人影があった。


「……………………先生?」


 十二歳くらいの男の子である。


「あーアリア!三日ぶりだけど元気してたか?最近寒いけど風邪とかひいてない?」


 言葉が全く出てこなかった。


 男の子だった。

 孤児院にいる誰とも違う男の子。最近新しい子が入ったという話も聞いていない、この場にいないはずの見知らぬ男の子。

 挙動に素振りに喋り方に怖いくらい見覚えのある、なのに全く見覚えのない不思議な男の子だ。


 その場に固まり、十数秒たっぷり考えて、先生こそ元気ですかと聞いてみる。


「す、すごい皮肉の聞いた質問だな……!まあ病気とかは大丈夫だけど。やっぱり野菜は偉大だよな、アリアもちゃんと野菜食べないと駄目だぞ?」


 男の子は元気に返事をした。

 気が狂ってしまいそうなのをなんとか堪える。


 またもやしばらく考えて、どうして縮んでいるんですかと質問する。


「んん……?魔眼が無くなったから変身が解けたんだよ。てっきり孤児院中で噂になってる頃だと……アリアもそれ聞いて来たんじゃないの?」

「…………あっ、いや、騙してたとかじゃなくてな?ほら、保護者がこんなクソガキだと色々と不安になっちゃうだろ?強敵とのバトルを通しての豊富な経験則によるノウハウというかなんというか、その、騙しててごめん……因果応報ってところもあると自省しております……」


 間違いなく先生だった。一言一句に面影があった。

 先生は元から子供で私がそれを知らないだけだった。


 地下室はそこらじゅうに血痕が飛び散っていた。

 男の子はひどい有様だった。右眼は抉れ体中に痣があり左脚に大きな刺し跡がついている。所々骨も折れているようだ。

 お腹のところには大きな大きなやけど跡がある。よくよく見てみれば公的に使われている奴隷の刻印だ。


 どうして怪我しているんですかと聞いてみた。


「………………は?」


 男の子は一瞬放心した。

 そんな姿も先生に似ていた。私は頭がおかしくなりそうだ。


「………………………………あっなるほど!あははっ、そうかそういうことかぁ!」


 彼は突然吹き出した。


「良かったぁてっきり全員だと思ってたよ……!全くもうアリアはお茶目さんだなぁ……!」


 ぐふふ、とも、ひひひ、ともつかない押し殺した樂しそうな笑い声が地下室に響く。


 私は何も言えなくて、じっと彼のことを見つめていた。


「よーしアリア。お前は孤児院から追放だ。誰にも気づかれないように静かに出ていって二度とここへ寄り付くな」

「わかりました」

「物分りがいい……!ここを出たら王城に行って国王さまを頼れ、あの人だけは意外とけっこう優しい」


 地下室の扉を閉めて駆け出した。

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