第53話 懇願

「そんなの普通じゃないだろ」

「どうしても上からキスしたいなら、踏み台でもなんでも乗ればいいじゃないですか。だいたい、そんなことを言っていたら、ナタリー様に告白できる男性って極めて少なくなりますよ。最低でも我が国の爵位持ちの中にはほぼいませんね」

 ユータス侯爵はため息をつく。

「いいですか。世間にそういう思い込みがあるから、ナタリー様も自分は恋愛対象じゃないって考えているんです。その蒙を啓くのは閣下の役割だと思いますがね。あ、でも、もう遅いか」

 アーデバルトは目に見えて狼狽する。

「ど、どういうことだ?」

「ナタリー様は仕官の話断られたと思っているんですよね。そこへ今さら何を言ったところで不審に思うだけでしょう。むしろ閣下が悪意を持ってからかっているんだと考えて絶対に聞く耳をもたないはずです。関係修復には相当な時間が必要でしょうね」

 愕然とした表情を受かべながらアーデバルトはユータス侯爵の襟をつかんで揺さぶった。

「じゃあ、もうどうしようも無いじゃないか。そうだ。お前がカトリーヌを娶るという話があったじゃないか。今すぐ求婚してこい。まさか反故にするつもりじゃないだろうな」

「無駄ですよ。私がカトリーヌ嬢を妻にしたところで、ナタリー様は私に託して去るだけでしょうね。先に妹が配偶者を得た姉にどんな視線が注がれると思います? この間の話はあくまでナタリー様が閣下の妻となった場合の関係強化策です。本当に閣下は女性の心の機微だけは分からないんですね」

 あからさまな非難の言葉にも反論することすらできない。

「も、もう打つ手はないのか?」

「既成事実を作ってしまうという手は無くはないです。今宵ナタリー様を呼び出して強引に関係を持ってしまえば、閣下の想いに少しは信憑性が出るかもしれません」

「それ、絶対俺がぶん殴られて死ぬだろ」

「抵抗できないように部屋いっぱいに蛇でも用意しておきますか?」

「お前なあ」

「ほんの冗談です。ちょっと平静を失っておいでのようでしたので言ってみただけで。まあ、現時点では打つ手は無さそうですが、もう少し考えてみますよ。とりあえず、今日のお茶会に来ていただいた返礼の品を送りましょう。ナタリー様だけ贈り物をしなかったりしたら決定的になりますから」

「何を用意した?」

 ユータス侯爵は包んでいた布を開いて中を見せる。真珠のついた銀製の髪留めのピンだった。普通のものよりやや長く割としっかりした造りのものを見て、アーデバルトは眉をひそめる。

「こんな武骨な感じのものを送っては気を悪くするのではないか?」

「実はこの材質は純銀ではありません。メッキをしてありますが地金はダムス鋼です。いざという時に身を守る武器になります。そこがポイントですね。ナタリー様は配下を町に出してダムス鋼製の武器を見て回らせているようですので、そのことを告げれば気に入っていただけるかと」

「本当か?」

「これ以上喜びそうなものが思いつかなかったんですよ。一応、これなら表向きは装飾品ですし、他の方への贈り物と大きな差がありません。ナタリー様が気にされているダムス鋼製の長剣を贈ってもいいですけど、自決せよの意味と誤解されても閣下は困るでしょう?」

 アーデバルトは大きく息を吐く。

「分かった。では後ほど届けてくれ。それと、陛下が戻るまでの間にナタリーを引き留める策を何か考えろ。女性への手練手管には詳しいだろ?」

 アーデバルト真剣な表情ですがるように視線を送ってくる。

「できる限り知恵は絞ってみます」

 過去見たことのない真剣な表情をされては、ユータス侯爵は大人しく頭を下げることしかできなかった。

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