第52話 錯乱

 アーデバルトは自室に戻ると荒れに荒れる。

 クッションを蹴とばし拾い上げるとねじって締め上げた。人にあたらないだけマシとも言えたが、初めてみる主の狂態に家人は恐れをなす。

 こうなったらユータス侯爵しかいない。

 急いで使者が遣わされた。

 ユータス侯爵がアーデバルトの私室を訪れると大量の羽毛が宙に舞っている。

「閣下。一体どうなされたのです?」

 アーデバルトは唇をかみしめていた。血がにじんでいる。

「どうしたもこうしたもあるか。手ひどく振られたよ。まったく脈なしだ。ああ。くそ。ゲオギロス。俺の足と首を引っ張ってくれ。少しは身長が伸びるかもしれない」

 目の前にふよふよと浮かぶ羽毛を手で払いのけながら、ユータス侯爵はアーデバルトに近づいた。

 見上げる形になりアーデバルトは不満をぶちまける。

「どうしたら背が伸びる? 俺がこんなに背が低く軟弱じゃなければ、彼女の愛を勝ち得たかもしれないのに……」

「どうか落ち着いてください。今のままではなんとも申し上げられません。とりあえずお座りください」

 まだ無事なクッションを探し出してアーデバルトにあてがうと座らせた。

 なんとか宥めすかしてお茶会の様子を聞き出す。

 時折、ナタリーの笑顔の素晴らしさを力説したり、感極まって激情をほとばしらせたり、脱線しながらも概ねを聞き出すことができた。

 自責の念が強すぎたのか思いが反転してアーデバルトは現実逃避に入った。

「そうだ。あの一件で嫌になったに違いない。ナタリーが蛇を見て逃げ出したときのことだ。あれで嫌気がさしたんだ。よし、ゲオギロス。この国の蛇を根絶やしにするぞ。その前にあの宿に蛇がいた責任者を罰せねばならない。斬首して詫びればナタリーは考えを変えてくれるかもしれないぞ」

 ユータス侯爵はため息を吐く。

「ときどき閣下は変なことを言いだされますな。あの宿を手配したのは私です」

「よし。長年の誼だ。自害しろ。すぐに毒薬を用意させよう。首を斬るのは死んでからにしてやる」

「私の首でナタリー様のお心が変わると思えませんが」

「やってみなければ分からないだろう」

「そんな料理の味付けを変えるような気軽さで私を死なせようとしないでください。そもそもですよ。ナタリー様が蛇の存在ぐらいで人生の大事な決断を変えるような方ですか?」

「それはそうだが……。ということはやはり私に夫としての魅力がないということになるではないか」

 うっと言いながらアーデバルトは胸を押さえる。

「心臓が痛い。俺の心の傷をえぐるな」

「面白いので、しばらくこのままでいいのですが、そろそろ話を進めましょう。実を言うとですね。ナタリー様は最初からお妃になる気は無かったそうなんですよ」

「なんだとお」

 アーデバルトの指がユータス侯爵の服の襟に伸びる。

「なんでそれを早く言わなかった?」

「だって、言ったらこうやって取り乱すじゃないですか」

 正論過ぎてアーデバルトはぐうの音も出ない。

「ナザール側の引率者はノーランという男なのですが、その男が言うには、ナタリー様は早い段階から、ご自分が選ばれたのは妹君のついでで、話し相手か警護要員だと考えておられたようです」

「なんでそうなるんだ?」

 アーデバルトはユータス侯爵の服から手を放して頭を掻きむしった。

「あれだけ魅力的な女はそうそういないぞ。まさに天が私の為にあつらえてくれたような天使のような女性だというのに。今日、ちょっとだけお義理かもしれないがナタリーがほほ笑んだんだ。心臓が止まるかと思ったぞ」

「だったら、そう言えばいいのに」

「言えるか。馬鹿」

「何でですか?」

「あれだけ厳しく自らを鍛え上げているんだぞ。俺みたいなひょろひょろしたのが一人前に愛をささやいたら軽蔑するに決まっている。それに俺の方が背が低い」

「だから何だというんです?」

「そ、そりゃ、接吻するときに俺の方が低いとだな……」

「ナタリー様に閣下のあごをクイと持ち上げてもらえばいいだけですよね」

 想像したのかアーデバルトの顔が蕩けたようになる。すぐに首をぶんぶんと振って表情を元に戻した。

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