第43話 悲鳴

 翌日、姫君の一行はドーラスを後にしてニカポリスの都へ向かい出発する。

 出発前にナタリーとユータス侯爵の間でちょっとしたひと悶着があった。

 馬車に乗る乗らないという争いだったが、結果として、ナタリーはシルバーアロウの背で揺られている。

 道のりをこなすにつれて日差しも強くなり、どんどん気温が高くなっていった。ナタリーは故郷と異なる風景を物珍しそうに馬上から眺める。

 何事もなく、残りは十日ほどの行程を残すだけになった。

 その日に宿泊する予定の町に着く。

 姫君一行のために借り受けた館は少々古い建物だった。もちろん町で一番豪華な建物ではあるし、手入れもしっかりされている。

 ただ、屋根と壁の隙間に穴が開き、その近くまで枝が伸びているせいで、屋根裏に小動物が侵入できるルートができていることに誰も気づいていなかった。

 階下の広間で姫君たちが寛いでいる間に、それぞれの侍女が寝室となる部屋に荷物を運んでいると事件が起こる。

 一人の侍女がベッドの上に紐が放置されているのに気が付き、近づいたところニョロリと動き出す。腕の長さほどの蛇だった。

 鎌首を持ち上げて侍女を威嚇する。それほど大きくも無く毒も無い蛇だったが侍女にはそんなことは分からない。

 当然のことながら侍女は金切り声で力の限り叫んだ。

「きゃあああ」

 悲鳴が聞こえた時にユータス侯爵は腰を浮かしたがそれ以上は動かない。陽動の可能性もあった。

 侍女の一人や二人がどうなろうと構わない。冷酷なようだが、守るべき対象はわきまえていた。

 そんな計算は頭の片隅にもない直情径行の人物は、だっと階段を駆け上りはじめる。

「お姉さま」

「ナタリー姫」

 その声はナタリーには届かない。

 少し遅れてジェフリーが追いかけ、その後ろにバッツが続いた。付き合いの長さが初動の速さに現れている。

 二階にはいくつかの部屋が並んでいたが、廊下に顔を出す者がいない部屋にナタリーが駆け込んだ。

 腰を抜かす侍女の視線の先を見るとナタリーの体も硬直し顔が青ざめる。

 向かうところ敵なしと思われている修羅姫の唯一ともいえる弱点が蛇であった。

 まだ幼い頃に庭で遊んでいるときに噛まれて以来苦手としている。よく見ればつぶらな瞳が可愛いのだが、ナタリーには恐怖の対象でしかなかった。

 こういう時は火蜥蜴ピートの出番なのだが、あいにくとまだ巣箱の荷下ろしが終わっていない。

 足音に振り返り駆け付けた者の姿を見て侍女は安心する。この旅の間にナタリーの強さは良く分かっていた。

 巨人すら倒してしまうのだから、こんな蛇などあっというまに始末してくれるだろうとの期待は裏切られる。

 ナタリーは腰の剣に手をかけたまま、目を見開き微動だにしない。

 頬を脂汗が伝った。呼吸も荒い。

「姫様!」

 同時に駆けこんできたジェフリーとバッツが声をかけるがナタリーはやはり動かなかった。事情を知らないバッツは不審に思う。

 ナタリーの立っている場所のちょうど真上には梁が渡されていた。そこに潜んでいたもう一匹の蛇が二人の大声に反応したのか滑り落ちる。

 不幸な事故だった。

 蛇はナタリーの肩に着地する。首を捻って真ん丸な黒い瞳と相対したナタリーは絶叫した。

 先ほどの侍女の数倍はあろうかという悲鳴がこだまする。

 叫び終えるとナタリーはドドドと走り始めた。

 その衝撃で蛇が肩から滑り落ちたのにも気が付かない。

 無意識のうちに侍女を飛び越え、バルコニーへ出る両開きの窓を突き破って姿を消した。

 あっけにとられるバッツがジェフリーの顔を見る。

「どういうことなの?」

「説明は後だ。姫様を追いかける」

 ナタリーが居なくなった方角を見定めたジェフリーは急ぎ部屋を出ると階段に向かって走り出す。

 ナタリーと違って二階から飛び降りて無事な自信がなかったからだ。

 何事かといぶかるユータス侯爵に向かってジェフリーは叫ぶ。

「姫様を探してきます」

「ちょっと待て」

 呼び止める声に返事もせずにジェフリーとバッツは扉を開けて外に出た。

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