第九章 アーデバルトとゲオギロス

第38話 主従

 少し時は遡り、兄である皇帝バールデウスに従って従軍中のアーデバルトは花嫁候補の一団を迎えるためにユータス侯爵を派遣しようとする。

「閣下。本当に私が居なくて大丈夫なのですか?」

 ユータス侯爵が声を潜めた。

 さして大きくない部屋を見渡す。

 部屋には二人しか居ないが話の内容が内容だけに気が抜けなかった。

 ユータス侯爵はアーデバルトを暗殺しようという動きを警戒している。

 バールデウスの寵臣達の一部にアーデバルトに対する反感が無視できない大きさになっているのを把握していた。

 元々そういう機運はあったが、いつ暴発するか分からないほどになりつつある。

 アーデバルトは両手で顔を擦った。

「ゲオギロス。正直に言うと自信はない。相手が理性で考えてくれるなら読めるんだが、感情で動かれると予想外のことが起こりうるからね。まあ、ベルティアと交戦中だから馬鹿な真似はしないはずだ」

 敵の襲撃に見せかけてアーデバルトを害するのはたやすい。なにしろ剣技は下手だし力も強くなかった。ごく普通の腕前の兵士でもアーデバルトを容易に圧倒できる。

 襲撃する者の刃が身に迫るときに、ユータス侯爵がいなければ、短い生涯を終えることになりかねない。

「ベルティアの暗殺者が狙うほど私の知名度も無いしね」

 アーデバルトはおどけてみせる。

 ベルティア教国は高名な暗殺者を抱えていた。暗殺者と他国では呼ばれているが、彼らの信じるベルティア神のために生涯を捧げた修験者である。彼らは長い修行の結果、心身を鉄のように硬くし、手刀で骨肉を断つ超人的な能力を使うことができた。

 さらにその技を極めた者はそれ以上の驚異的な力を持つと言われているが詳細は明らかになっていない。

 ベルティア教徒はベルティア神を唯一無二の存在としているので、他の神の信者は邪教徒ということになった。

 ただ、暗殺者は能力を使い過ぎれば急速に消耗し死んでしまうため、無差別に一般人を殺しまわることは無い。

 異教徒は真の信仰を知らぬ哀れな愚者ということで、将来の改宗の見込みもあるし、改宗しなくても被支配者として生きることは許されている。

 ベルティア教の布教を阻害する悪質な者に対してのみ、枢機卿や教皇の命に従い、暗殺者は驚異的な技を振るってきた。

 このため、ベルティアからの侵攻の矢面に立つニコシア帝国の高位の者から恐れられている。

 幸いなことに暗殺者の数は多くないし、厳しい修行のために常人とは見た目が異なっているので見分けることはたやすかった。

 また、ユータス侯爵のような技に優れる武人が良質な武器を使えば倒すことも可能であり、不死身というわけではない。

 そして、暗殺の成功はそれを命じた枢機卿の手柄にはならない点も暗殺者の猛威を減じる理由の一つになっていた。

 暗殺によって生じる混乱に乗じて軍を動かし功績を上げなければ意味がない。

 その意味ではあくまで裏方のアーデバルトが暗殺者の標的になる心配は現時点では少なかった。皇太弟に立てられるなど政治的な意味が出てくれば話はまた別であるが、今のところはまだそれだけの評価が与えられていない。

 ただ、ベルティアの暗殺者を装って、ニコシア国内の誰かが襲撃を命ずることは考えられた。とはいえ、アーデバルトが言うように現時点では暗殺者の襲撃というシナリオはバールデウスの不審を呼び起こす可能性が高い。

 実際に思い切った行動に出るかどうかは不確定だった。そこがもどかしい。

 アーデバルトも一応は信頼できる護衛を置いてはいる。ただ、いざというときにユータス侯爵ほど活躍できるかという面では合格点には程遠かった。

 できればすぐ側に控えていたいが、花嫁候補を出迎えるのに適切な地位の者が他に居ない。外交上の配慮からもユータス侯爵自身が出向く必要があった。

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