第36話 史官希望

 宿に戻るとシャルロッテがナタリーとカトリーヌの部屋を訪ねてくる。侍女に運ばせてきたお茶と菓子をテーブルに供した。

「ナタリー様はお願い事をなさらなくて良かったんですの?」

「プラウメラ様を尊敬はしているが、願いをかなえてくれと頼むのも変な気がしてね」

「確かにいつでも自分の力で道を切り開いた方ですものね」

 シャルロッテが早口でプラウメラの事績の例をいくつかあげた。

「あら。シャルロッテ様はお詳しいんですのね」

 カトリーヌの問いかけにシャルロッテは恥ずかしそうに顔を伏せた。

「私は昔のことを記録したものが好きで、本当は自分でもそういったものを書きたいと思っているんです。でも父は女には無理だと……」

 その言葉にナタリーが反応する。

「確か、過去に王妃や王女の列伝を書いた者が数名は居たと思うが」

「ええ。そうなんです。でも父は全く聞き入れてくれず……」

「プラウメラ様のことが今でも分かるのはニコシアの史官がきちんと書きとめたからだろう。私は素晴らしい仕事だと思うよ」

「そうですか?」

 シャルロッテはパッと顔を輝かせる。しばしのためらいの後におずおずと切りだした。

「実は私、ナタリー様の記録を付けているんです。まとまったら読んでいただけますか?」

「あら素敵ですわ」

 手放しで喜ぶカトリーヌの横でナタリーはぽかんとしている。

 その顔色を窺っていたシャルロッテの表情がたちまちのうちに曇った。

「そうですよね。私なんかが書いたらご迷惑ですよね」

「いや。迷惑ということはないが、私にその価値があるとは思えない……」

「そんなことはありません!」

 シャルロッテは断言し、カトリーヌは同意する。ナタリーはその勢いにたじたじとなっていた。

「私が直接見聞きした巨人殺しの段は書き終わっているんです」

「ぜひ読みたいですわ」

「後ほどお届けします」

 目の前で勝手に盛り上がる二人にナタリーは声も出ない。

「それで、ナタリー様。お願いがあるのですけど」

「私に?」

「ええ。ヴァロンガへの海賊襲撃でのご活躍を伺いたいのです。やはり、列伝は成人後の事績を揃えないと史料としての価値が出ませんので」

「いや。それは……」

「功を誇るようで嫌だと仰るのですね。それでは周囲の方にお聞きして簡単にまとめますので誤りが無いかの指摘をお願いできますか?」

 いやそうじゃなくて、と言いたいが、先ほど史官の仕事は素晴らしいと褒めた手前、それを志し実際に活動しているシャルロッテを無下にはできない。

 努力の方向は違うにしても、自分の願いを叶えようと実際に動いていることに同志めいたものも感じていた。

「う……。ま、まあ、それぐらいなら」

 早速カトリーヌが手を挙げる。

「それでは最初に私が知っていることをお伝えしますわ。直接見たことは少ないですけど」

「わあ、素敵です。ぜひともお願いします」

 どこからともなく取り出した羽根ペンの先をインク壺に浸し、紙を前にシャルロッテが身構えた。

「あの日、お姉さまは行儀作法のレッスンをさぼって一人で少し離れた場所に漁に出られていたんです」

 制止しようとするナタリーに構わずカトリーヌは襲撃の報を受けて駆け戻ってきたナタリーの勇姿を描写する。

 興奮しながらシャルロッテはすらすらと書きとめていった。

「素晴らしいです。まるで目に浮かぶようですわ。それで?」

 大いに盛り上がる二人の姿にナタリーは頭を抱えるのだった。

 いたたまれなくなったナタリーは後で確認するからと言って部屋から逃げ出す。

 館に居てもすることが無いので、町の散策に出ることにした。

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