第22話 高潮

 巨人に遭遇した以外は大きな事件もなく、一行は国境の町まで無事にたどり着く。

 ただ、そのナザール王国側最後の町で、お妃候補の一行は二日ほど足止めされていた。

 ニコシア帝国とナザール王国の境の細長いシッタルア海峡にこの時期発生する嵐により、海岸には波が押し寄せている。

 嵐が通り過ぎるまでは船を出すことができないというのが、引率者ノーランの判断だった。

 先方から指定されている期日にはまだ余裕があるし、何も危険を冒す理由がない。与えられた仕事をそつなくこなすことしか頭にないノーランにしてみれば、無理をして万が一座礁などの事故が起きたら目も当てられない。

 そもそも船酔いするという姫君たちを説得して荒れた海に船で乗り出させるという時点で無理だった。

 七人の姫たちが無聊をかこつことがないように、美食や娯楽の手配に忙殺されている。

 比較的大きな町なので苦労しながらもなんとか間をもたせることができていた。

 贅沢に慣れている貴族の令嬢を満足させるのに苦心していたノーランに悪い知らせがもたらされる。

「海水が港を超えてきそうだと?」

「はい。あいにくと満月で潮が高くなる時期とのことです」

 出航の際に便利だということで港近くの大商人の館を借り受けたのが災いした。

 塩水に漬かりなどすれば、あの口うるさい姫君たちが何を訴えるか分からない。責任者の処罰ぐらいは言いだすだろう。

 後方の小高い場所に移動することも考えたが、風雨も強まる深夜にそんなことを告げるのも難しい。

「港の荷役をする者が、あらかじめ備えてある土袋を積み上げていますが、遅々として進んでおりません」

「仕方ない。警護の者を半分残し、残りの半分と下働きの者を総動員して手伝うんだ」

 ノーランの指示を受けて準備が始まった。

 雨の中出かけようとしているのを目ざとく見つけたナタリーが事情をただす。力仕事と聞いて顔を綻ばせた。

 そうでなくても山道を過ぎてからというものは、ノーランの懇願に負け、馬車に押し込められて体を動かすことができずに退屈していたナタリーである。

 普段着に着替えると、短刀だけ腰のベルトにぶちこみ、こっそり館を抜け出して港に走った。

 篠つく雨の中、人々が港から少し下がった線に土嚢を積んでいる。

「手伝うよ」

 ナタリーは声をかけると土嚢を運び始めた。大の大人が二人がかりでよろよろと運ぶ土嚢を左右の肩に乗せて運ぶ。

 足取りも乱さずさっさと運び、要領良く積み上げた。土嚢積みは故郷のロンガーネでも経験があり、かなりの熟練度である。

 素人が手を出しても、と思っていた周囲の人間は目を剥いた。他の人間の十人分どころではない働きぶりで、どんどんと仮の潮止めが完成していく。

 姫君の警護をしている兵士たちが到着し、せっせと働いているのがナタリーだと気づいて驚愕した。

 働き始めた者にナタリーは声をかけて励ます。

「さあ、皆で力を合わせて頑張るぞ」

 さすがのナタリーも酷使する筋肉から熱を発するのか、雨に打たれて、しゅうしゅうともやを体にまとっていた。

 その様子を物陰から観察している男が一人。

 名をバクードといい、本業は盗賊団の頭である。

 そこへ影のように近寄ってきた部下がささやいた。

「若。何をやってるんですか?」

 バクードは感に堪えないという表情でナタリーを見ている。面倒くさそうに返事をした。

「見ろよ。あの動きほれぼれするぜ」

 弱々しいランプの光に照らし出されるナタリーの姿をみて、バクードに声をかけた者は驚きの声をあげた。

「あれは七人のお姫さんのうちの一人じゃないですか」

「ああ。ロンガ家のな。いい女じゃねえか」

「男勝りな女がいいって若の趣味は知ってますけど、まさかアレに……」

 ゴツンという鈍い音がする。

「いてえ。何するんですか」

 声を抑えつつも抗議する。バクードは意に介さなかった。

「うるせえ。あの一心不乱に働く美しさが分からねえのか。男も女も仕事の汗が輝くときが最高なんだよ」

「そりゃ、飲み屋の姉ちゃんが汗だくで……」

 再び落ちる拳骨。

「ああっ、もう。そんなことより若。仕事はいいんですか? 足止めされている間にあの一行襲撃する手はずじゃ?」

 部下の声が聞こえているのかいないのかバクードは頬を緩ませながら返事をしなかった。

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