第四章 貧民街での危機

第13話 裏路地にて

「姫様。やっぱり大通りを行った方がいいのでは?」

 両側の建物の間に洗濯物やらなにやらが吊るされ空がほとんど見えない路地を進むナタリーにジェフリーが声をかける。

 路地には腐った何かとごみと排泄物が落ち、生きているのか死んでいるのか分からない人型のものが横たわっていた。

 港町ならではの風が吹いているので臭いはそれほどひどくない。

 本来ならジェフリーはシルバーアロウの世話をするのが仕事だが、公爵邸への呼び出しが無い日はナザーリポリの町を闊歩するナタリーに連れ回されていた。

 密かに憧れるナタリーと一緒というのは嬉しい。ただ、周囲のあまりガラの良くない視線が気になって仕方なかった。

 さらに同行しているカトリーヌの存在も重い。

 ナタリーが革の鎧を着てブーツを履きマントを身に着けていれば女性ということはまず分からない。

 少々髪の毛が長いが後ろに無造作にひっつめており、長髪の少年にしか見えなかった。よく見ればそれなりに整った顔立ちをしており、船乗りに多い少年愛好者の興味を引く可能性はある。

 ただ、不愛想な表情と大柄の体、場数を踏んだと思わせる雰囲気もあり、よほどの酔っぱらいでもない限り、ちょっかいをかけてくる心配はなかった。

 一方のカトリーヌはお忍びに相応しくフードを目深に被った地味なローブ姿ではあるものの、ちらりと見える容貌の美しさは隠せていない。

 さすがに一国の首都であり、白昼堂々と女性をさらっていくような事件は普通ならば起きないはずだった。

 ただし、ナザーリポリも他の大都市の例にもれず、貧民街が存在する。そういう場所にはパン一塊のために売れるものならなんでも売ろうという人間は存在するのだった。

 海神を祀る神殿の望楼からの眺めは一度見る価値はあると誰かから聞きこんだカトリーヌがナタリーにねだり、昼をだいぶ過ぎた時間に出かけてきている。

 太陽が沈む際が特に美しいらしく、それに間に合わせるために、遠回りになる大通りを避けて裏通りに踏みこんだのだった。

 普段、ナタリーが一人でうろついているときにも貧民街を通り抜けたことはあるが、特にトラブルになったことはない。日が落ちた後ならともかく、日中なら大丈夫だろうという判断だった。

 港から伸びている別の路地を横切った時に強い海風が吹き抜ける。

 カトリーヌのフードがばさりと風をはらんで、手で押さえるよりも早く顔が露わになってしまった。

 路地のそこここにたむろしていた薄汚い風体の男女の視線がカトリーヌの美貌に釘付けになる。カトリーヌは慌ててフードで顔を隠すが既に遅い。

 貧民街の連中にしてみれば一攫千金のチャンスだった。

 一応ナザール王国をはじめとするほとんどの国で、犯罪者は別として人身売買は禁じられている。

 攫われたとの訴えがあれば調べはするし、身元が確認されれば関係者は厳罰に処せられた。ただし、自国民に限っての話である。

 ナザーリポリの港には外国からやってきている商船も停泊しているし、中には危ない商売に手を出す船長もいた。

 高値で売れる商品ならぜひ取り扱いをしたいというのが人情だ。

 ガレー船にしても帆船にしても、余分なスペースはないが、船長室なら人ひとりぐらいを隠しておくスペースはあった。

 生活に困窮した者達は温かい食事にありつくことができるし、船長は転売で大金を手にすることができ、異国の商人は自国では調達できない貴重な商品を簡単に仕入れることができる。

 さらわれた当人を除けばみんな幸せという経済活動が展開されることとなった。

 美少女一人に少年二人。少年一人は大柄で面倒そうだが、比較的たやすい獲物と見た貧民たちが手に手に粗末な武器を持って周囲を取り囲む。

 薄暗い細い路地からも出てきたのか人数を増した貧民たちが前後左右からぞろぞろと現れた。

 ナタリーは腰の剣を抜く。少し遅れてジェフリーも短剣を構えた。

 カトリーヌを挟むようにナタリーとジェフリーは背中合わせになる。

 しかし、二人の武器を目にしても、一定の距離は置くものの貧民たちは逃げようとはしなかった。

 一人か二人は斬られるかもしれないが、密集して押し包めばいい。最悪の場合、剣を持っている少年は手加減できずに商品にならなくなってしまうかもしれないが、一人ぐらい減るのは構わなかった。

 将来に希望を持てない者達の生き方は刹那的だ。明日のことは考えない。

 ナタリーは己の迂闊さを呪う。

 周囲の生ける屍のような無表情の者達に鋭い視線を送り、暴発を防ぐのがやっとだった。

 先方の意図は正確に把握しており、主な狙いはカトリーヌということは分かっている。

 自分一人なら斬り抜ける自信はあったが、カトリーヌを守りきれるかというと難しいし、さらに全く無傷でとなるとほぼ不可能に近かった。

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