第9話 嫉妬
喉首を絞めあげるようにアーデバルトは両手の指をぐにぐにと動かす。もう少しでユータス侯爵の首に手が届きそうだった。
「忠実な閣下のしもべである私がそんなことをするとでも?」
「やはり、お前は他の男どもと同様に見る目が……」
言っていることが支離滅裂である。
「閣下! いいですか。確かに間近で拝見したナタリー様の目は美しかったです。私に対して迷惑そうな色が密かに浮かんでましたけどね。腰は確かに逞しかったですけど引き締まっていましたし、指先はしなやかでしたよ。そして、かなり律動的な踊りを踊られます」
そこでゲオギロスは悪い笑みを浮かべた。
「そうそう。踊りの最後の方になるとナタリー様、とてもいい香りがしました」
「ぐ!」
アーデバルトは両手でパタパタとゲオギロスの顔を扇ぐ。
「忘れろ。今すぐ忘れろ」
騒ぐアーデバルトにゲオギロスはもう一押しする。
「まあ、私は閣下の仰せに従いますが、ナタリー様は他の男とも踊っていたのをどうされるのです?」
からかっていることに気づいたのか、アーデバルトは冷静さを取り戻して鼻を鳴らす。
「あの国のボンクラ貴族どもが彼女の真価に気づくとは思えないな」
「まあ、でも私が指名してしまいましたからねえ」
「そんな腐った根性の男になびくはずがない。それでどうだったんだ?」
「四、五名の者が申し込んでましたよ」
アーデバルトは何かに耐えるようにふううとゆっくり息を吐き出す。
「申し込んだ連中はそこそこの見栄えでしたね。私ほどではないですが」
「まさか、ナタリーが心を動かされていたのか?」
「いえ、私でダメなぐらいですから、外見は決め手にならないのでしょうね」
ユータス侯爵は髪の毛をかきあげる。その姿は憎いことに様になっていた。
そんな様子は気にもせずアーデバルトは満足そうな声を出す。
「上辺だけにとらわれぬところが我が妻に相応しい」
「それは仰るとおりかと。それで後学のために伺いますが、もし彼女が私の容貌になびいたらどうするつもりだったんです?」
「今ここでそれを語ってお前の心の平穏を乱すつもりはない」
「つまり、衝撃を受けるようなことをするつもりだったということですね」
ゲオギロスはゆるゆると首を振る。
「そんなに気になるなら最初から閣下が直接出かけて踊りに誘えば良かったでしょうに」
「そんなことができるわけないだろう?」
「確かに閣下がナザールに行ったら闇討ちをしようってのは居るでしょうからね」
「ふん。裏でこそこそと巨利を貪っていたのを暴かれたからといって逆恨みするとは貴族の風上にも置けん奴らだ」
「まあ、奴らの企みを暴いた閣下がこんなじゅう……、十代に見える繊細な若者と」
「お前、いま柔弱と言おうとしただろう」
ゲオギロスはにっこりとほほ笑む。
「そんなことはありません。閣下がご自身で気にし過ぎているからそのように聞こえるだけではありませんか?」
「どうせ俺は線の細い青二才だよ。お前みたいに壮健じゃないし、剣も下手くそさ。いいさ、いいさ」
アーデバルトはしゃがみ込んで絨毯の毛をむしり始める。ゲオギロスは脳裏で絨毯の値段を考えた。
「あ~。閣下。その代わりに神算鬼謀とも言われる頭脳をお持ちじゃないですか。それにナザールではあまり武骨なのは女性受け良くないですし、かえっていいんじゃないかと思いますよ。本当に」
ぷうっとふくれっ面をするアーデバルトは子供そのものだ。
むしるのはやめたもののアーデバルトの態度は煮え切らない。こほんと咳払いをした。
「では試みに聞くが、私がダンスに誘ったら喜んで応じてくれただろうか?」
「応じたと思いますよ」
実際のところ、アーデバルトは少々線が細い。ニコシア帝国の基準では軟弱と見られかねないぎりぎりのラインだった。アーデバルト自身もその点については引け目を感じている。
戦士としては並みの兵士以下。もう一つ付け加えるなら、顔立ちが整っているが、やや童顔ぎみというのも悩みの種だった。
一方、ナザール王国では一般的に貴族階級の女性は伴侶の資質として力強さとか逞しさにはあまり重きを置かない。戦うのは下々の者のすることという認識だった。
容姿と家柄と財力、この三つがあるものが良い男である。強国ニコシア帝国の有力者であるユータス侯爵は満点に近い。
アーデバルトはその点、容姿はともかく後ろの二点でユータス侯爵を超える。ごく一般的な貴族の子女であればもろ手を挙げて歓迎するだろう。
ロンガ家のような裕福でもなく有力でもない家であればなおさらだ。
ただ、相手はあの変わり者のナタリーである。言い切ったもののゲオギロスも本当のところは自信がなかった。
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