第8話 ナタリーへの申し出

 楽団が軽快な舞踊曲の演奏を始める。

 二組の踊り手は優雅にくるくると円を描いて踊った。公爵の滑るような足取りに比べればやや武骨な感じは否めないが侯爵もなかなかの動きを見せる。

 一曲演奏が終わると、二組に対して拍手が巻き起こる。

 公爵は満足そうに頷くと美女の手を放し、公爵夫人を連れて壁際に下がった。

 公爵と踊っていた美女に侯爵が頭を下げると、美女は軽く顎を引いて応じる。ここまでは舞踏会の手順通りの行動だが、儀礼を超えた熱心さで美女の頬にえくぼが刻まれた。

 第一舞踏者同士の組が成立する。

 それを機に周囲の様子を伺いながら、若殿たちが意中の女性にダンスの申込みを始めた。

 ここで血気に逸って、目上の者を出し抜くようなことをしては後々問題となる。まだ舞踏会の先は長いので焦る必要はなかった。

 豪奢な衣装に身を包んだ貴公子が颯爽と近づいてくるとカトリーヌに右手を差し出す。

 カトリーヌはちらりとナタリーに視線を走らせた。早く手を取りなさいという目配せにカトリーヌは貴公子に典雅に会釈をして見せる。

 貴公子はカトリーヌの手を取って中央に進み出た。次々とカップルがフロアに踏み出す。楽団が先ほどとは別の曲の演奏をはじめ、いくつもの踊りの輪が咲き乱れた。

 その様子をナタリーは恬然とした態度で見ている。

 いずれカトリーヌに思いを寄せる誰かがお義理で誘いにくるはずだ。今日は前回と異なり最後まで踊らないという姿を晒すことはないだろう。誘われたら堂々と踊ればいいだけの話だ。

 それで実態はどうであれ恰好がつく。

 少し頬を上気させたカトリーヌがナタリーのところへやってきた。上手だったとの言葉ににこりと笑う。

 数曲の間にカトリーヌが中央に進み出て、ナタリーが残されることが続く。

 カトリーヌとは既に組んでいたユータス侯爵が広間を横切りナタリー達の方に歩み寄って来た。皆の視線を浴びながら慇懃に礼をする。

 何かカトリーヌに話でもあるのだろうと周囲が想像している時、本日の事件が起こった。

 多くの令嬢たちが次は自分に誘いがかかるのではないかと期待する中で、美貌の侯爵は心地よい低音で語りかける。

「ナタリー・ロンガ嬢。あなたの最初の踊り手の栄誉を私めに頂けますか?」

「は?」

 喜ぶカトリーヌの横でナタリーは不躾な声を上げることしかできなかった。

「この国の貴公子方を差し置いて、この私が申し込むのは僭越でしょうか?」

 ようやく我を取り戻したナタリーは礼をする。

「とんでもありません。光栄です」

 ユータス侯爵に手を取られてナタリーはフロアの中央に進み出た。

 音楽が始まり、皆の注目を浴びながら二人は踊り出す。

 酷い踊りを予想する周囲の期待を裏切るように、ナタリーはなかなかの足さばきを見せるのだった。


 ◇


 舞踏会から二週間後のこと、ゲオギロス・ユータス侯爵は浮かない顔をしていた。

「閣下そんな顔はやめてください」

 ニコシア帝国に帰国し、首都のニカポリスにある自分の屋敷に戻ったユータス侯爵を小柄な男が睨みつける。

 男は無言でユータス侯爵の手をバシバシと乱暴にはたいた。

「痛いですってば」

「切り落とさないだけありがたいと思え」

 男は激情を押さえた声で物騒な言葉を放つ。ユータス侯爵はため息をついた。

「舞踏会なんだからナタリー様に触れるのは仕方ないでしょう?」

「う~」

 小柄な男はその実、ニコシア帝国の皇弟アーデバルト・シッタイアその人である。  歳は二十歳を迎えているが、外見上はあまり威厳が無く、着飾ったお小姓のようにしか見えない。

 アーデバルトはお忍びでの船旅中にロンガーネで海賊の襲撃を受け、そのさなかで獅子奮迅の活躍をするナタリーに一目ぼれしていた。

 とある事情から配偶者を探していたアーデバルトは、ナタリーを妻とすべく腹心のユータス侯爵にその任を命じて舞踏会に派遣している。

 舞踏会での首尾の概略は早馬での報告を受けていたものの、直接聞くためユータスの屋敷で待ち受けていた。わざわざ待ち受ける執着ぶりにユータス侯爵は心の中でやれやれと慨嘆する。

 アーデバルトは知略に優れるとはいえ、私生活では多分に子供っぽいところがあった。

「ナタリーは私のものだ」

「あー。はいはい。よーく存じ上げてますよ」

「なんだと、ゲオギロス。その投げやりな口ぶりだとナタリーが魅力的じゃないとでもいうように聞こえるが?」

 はああ。ユータス侯爵の全身を使った深いため息。

「閣下。私はどうすればいいのです? ナタリーは渡さないとでも言えば満足ですか? それとも踊っている最中にナタリー様の耳に愛を囁きましたとでも白状すれば良かったので?」

「な、なんだと。そんなことをしたのか?」

 陰々滅々とした非難の声に遠巻きにする屋敷の者がびくっとした。

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