第6話 カトリーヌへの思い

「私も剣を習おうかしら?」

「爺が卒倒するからやめておきなさい」

「でも、何かあった時に自分の身を守れた方がいいでしょう?」

「カトリーヌの為になら命を惜しまない殿方が一杯いるわよ」

 いくら尚文の国とはいえ、可憐な乙女を守護する任となれば熱を上げるのが男の性である。

「つまらないの」

 二人きりの時にはそんなことを言うのでナタリーも頭が痛い。

 気位の高いナタリーの母とその尻に敷かれる父が、ロンガ家の繁栄の為に有力な貴族との縁談を望んでいるのは明らかだった。

 貞淑な娘だと信じ切っているカトリーヌがこんな口をきくと知ったら、やはりガサツな姉と一緒に育てたのが失敗だったと嘆くことだろう。

 ナタリーも妹が良縁に恵まれることを希望していた。

 別に高貴だとか財産が多い家柄である必要はないが、善良で妹をきちんと愛せる男がいるなら託したいと思っている。そういう相手が得られることも幸せの一つであることは間違いない。

 自分には縁の無い世界だと思いつつも、それが原因で妹に羨望の眼差しを向けることはなかった。

 再び物思いにふけっていたナタリーは意識を現実に戻す。

 初めて見るナザーリポリの風景にカトリーヌは目を輝かせていた。生き生きとした表情はより一層カトリーヌを魅力的にしている。

 まあ、こうやって感情を露わにするのを母は嫌がるだろうな、と横目で見れば、母親は案の定わずかに眉をひそめていた。

 ナタリーはピートが手元にいないことに軽い苛立ちを覚える。あの冷たく湿った火蜥蜴の体を撫でてやるとナタリーの心も落ち着いた。

 今は専用の巣箱の中で他の荷物と一緒に屋根で揺られているはずだ。

 お互いにとって不幸なことだが、母親とナタリーの関係は一年前に完全に決裂している。

 母親はナタリーを視界に入れることすら不愉快だろう。

 二台の馬車を仕立てられず、ナタリーと同乗せざるを得ないロンガ家の経済力を呪い、甲斐性のない入り婿の夫を呪っているに違いない。

 唯一の希望である娘のカトリーヌが良家のお嬢様らしい振る舞いで、立派な配偶者を得ることだけが楽しみなのだ。

 母親は口を開きかけて、自分の顔に注がれるナタリーの視線に気づく。

 扇を取り出すと広げて顔の前にかざした。そのままついと視線を正面に向ける。

 賢明にもナタリーの前で批判めいたことを言えば面倒なことになることを思い出したのだろう。きっと後でカトリーヌが一人でいるときにお小言を言うに違いない。

 そこまでは流石にナタリーも面倒を見るつもりはなかった。自分の母親との折り合いもつけられないようであれば、姑や小姑とうまくやっていくことは難しい。カトリーヌも母親を適当にあしらう術ぐらいは身につけているだろう。

 ナタリーは視線を元に戻す。妹の姿とともに父親が喉ぼとけを動かすのが目に入った。

 娘と妻の言い争いが発生しなかったことに胸をなでおろしているのは間違いない。

 善良だが気の弱い父親のことをナタリーは嫌いでは無かった。

 世間体を気にしてのことではあっても、自分を育ててくれた恩はある。妹とは扱いが異なるのも仕方ないと許容していた。

 ナタリーは自分が両親の実の子ではないことを知っている。

 三年前に父親からそのことを聞かされていた。

 ナタリーの実の両親が誰かは知らないと告げたのは嘘ではないだろう。

 その時に見事な一振りの短剣を渡された。まだ赤子だったナタリーを預けた男が一緒に渡したものらしい。

 十分すぎる養育費と共に父に預けたそうだ。

 その金はナタリーの武芸の師範への謝礼で消え、もう残っていないと父は言った。

 目を伏せる様子から、それは嘘だと分かったがナタリーにその点への文句はない。

 女の子らしさの欠片もないナタリーが希望した時に、剣や弓を学ばせてくれただけでありがたいことだということはよく分かっていた。

 この国の常識では貴族の子女がすることではない。

 ただ、長じるにつれ、身につけた技量や鍛えた体を生かす場所が、この国には無いのだということを知った時は落ち込んだ。

 昨年の舞踏会での扱いから、貴族の娘としての人生に見切りをつけ、自分で道を切り開こうという気持ちが強くなってきている。

 心残りなのは妹の行く末だけで、ナタリーは今年の舞踏会でいい伴侶の候補が見つかればいいなと思っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る