第二章 憂鬱な舞踏会

第5話 車中にて

 ガラガラという音をさせて馬車が進む。ナタリーはあくびが出そうになるのをこらえた。

 向かいに座るカトリーヌは窓にかかるカーテンの隙間から外をのぞいている。

 大きな湾沿いに緩く弧を描く街道の先に高い城壁が姿を現した。

「姉さま。ナザーリポリが見えてきましたわ」

「そう」

 興奮気味の妹にナタリーは気の無い返事をする。

 初めてナザーリポリの都を目にするカトリーヌと異なり、ナタリーがこの町に来るのは初めてではない。

 好奇心という点だけでも姉妹には差があった。

 それだけでなく、ナタリーはこの旅行が憂鬱でしか無い。

 ウェストを締め上げるドレスが窮屈でたまらず、昨年に着たものに手を加えて仕立て直したドレスはやっぱり気に入らなかった。

 動きにくい服装をしているだけでも気が滅入るのに、その恰好で舞踏会に参加するというのはナタリーにとって拷問でしかない。

 十五歳を迎えた貴族の息女は、ナザール王国の首都ナザーリポリで秋に開かれる舞踏会に参加するのが習わしだった。

 そこでは同じく結婚適齢期を迎えた若殿たちが自分の伴侶を品定めする。

 もちろん、当人たちの好悪だけで結婚相手が決まるわけではなく、貴族同士の体面や思惑が渦巻き沸騰する場所だった。

 毎年、さまざまな悲喜劇が繰り広げられている。

 舞踏会に嫌々ながら参加したナタリーには手ひどい洗礼の場だった。

 ナタリーへの仕打ちは事前の予想を超える。

 他家の姫君たちの嘲笑と憐憫の視線の中、ナタリーにダンスの申込みをした男性は一人たりとて居なかった。

 本人は悲しくもあったが、すぐに諦めの境地に達する。

 しかし、その話を聞いて、父親は顔面蒼白となり、母親は屈辱のあまり泡を吹いて倒れた。

 その夜、母親は、いかに自分が惨めかということを延々とナタリーに語る。

 もう恥ずかしくて社交の場には二度と出られないと嘆く母親とナタリーとは、その日以来ぎくしゃくとしていた。

 頭を振って嫌な思い出を振り払うと、ナタリーは目だけを動かして、自分の横で表情を固くしている母親の横顔を視線でひと撫でする。

 本当なら、ナタリーを一人領地に残してきたかったのだろう。しかし、その思惑は妹のカトリーヌが打ち砕いていた。

「姉上と一緒でなければ私も参加しません」

 はあ、とナタリーは吐息を漏らす。

 自分としては奇異の目にさらされるだけの舞踏会には参加したくなかった。

 しかし、可愛い妹の頼みとあらば断われないのがナタリーだ。

 姉妹とは思えないほど華奢で清楚なカトリーヌは舞踏会でも注目の的になるだろう。

 これで性格が良くなければ、ナタリーもカトリーヌを冷たくあしらって終わりにできる。

 しかし、幸か不幸かカトリーヌは容姿だけでなく気立ても良かった。昨年の舞踏会の顛末を聞いた際には、可愛らしい頬を膨らませて怒っている。

「姉上の魅力が分からないなんて、世の殿方の目は節穴過ぎます」

 また、普段はお淑やかなカトリーヌも母親が自分とナタリーの扱いに差を設けようとすると、毅然とした態度を取った。

「素敵なネックレスですけど、姉上様の方が似合いますわ」

「新しい帽子ですか? 姉上様とお揃いのがありますから結構です」

 母親の態度に愛想をつかしていたナタリーは、妹が居なければとっくに家から出奔していたことだろう。

 ナザール王国を出て、隣国のニコシア帝国辺りで気ままな傭兵稼業にでも就いていたかもしれない。

 文治を尊ぶナザールと異なり、ニコシアは尚武の気風だった。またナザール王国とは反対側で接するベルティア教国と常に緊張関係にあり腕の立つ戦士の需要は多い。

 ロンガ家のある辺境ではたまに海賊の来襲こそあるものの、周辺国とは概ね良好な関係を築いているナザール王国では武に優れていてもそれほど評価はされない。武官よりは文官の方が偉いお国柄だ。騎士団長も海軍提督も文官が務めている。

 貴族はもちろんのこと平民でも有意の若者は学問を修めて役人になることを目指すのが普通だった。

 武器を取って戦うのはそれしか能が無い人間のすることという意識が一般的である。

 それでも、実際に身の危険があるロンガ子爵領内では、武芸に優れるナタリーは慕われてはいる。特に子供たちの人気は高かった。

「姉上が羨ましいですわ。いつも子供達に声をかけられて。私一人の時は誰も寄って来てくれませんもの」

 領民からすれば領主様のご息女ともなれば畏れ多い。ナタリーに対してはそういう気遣いが無いだけなのだが、カトリーヌはそんな姉が憧れだった。

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