箸休め回

そうだ、海に行こう


「海に行きてぇえええ!!」


 そう叫んだのは誰でもない、玄光によるものだった。

 真理主催の高級焼肉パーティが終わってはや五日近くが経過したある日。

 茹だるような夏の気配が過ぎ去ったものの、まだ九月の中盤だ。

 残暑のような、気持ち悪い粘っこい暑さが続くこの日、我慢の限界だと玄光はシャツの襟をはためかせて汗を拭う。


「そうね」と半ば呆れているのか、それとも本心なのか分からないアリシアの言葉と、スルーする創一。


「お前もそう思わねえかよ創一!」


「……ん? 僕かい? そうだねえ、でも海といってもこの第三都市に海らしい海はないよ。せいぜい港くらいだ」


「東京湾か……死体でもなんでも沈んでいるという、あの噂の」


「バカね。あんた、元ヤンのくせにビビってるの?」


「ビビビ、ビビってねぇし!? ただよぉ、あそこらへん治安悪いって言うじゃねえか。本当なんとかしてほしいぜ」


「そのなんとかする役割が僕たちなんだけどね……」


 苦笑する創一。何だか最近、こうやって苦しそうに笑うのがよく目に映る。だが何かあったのかと聞いてもはぐらかされるし、仕事は問題なくやっているので、あまり玄光も真理でさえも強くは言えなかった。


「一応まだやってる都営プールはあるわよ。涼みたいんだったらそこへ行けば?」


「うーん。出来れば海が良いんだよなぁ……オレ、実は生まれてから一度も見に行ったことがないし」


「あれ? あんた元々都市外からやってきたんでしょ?」


「オレが生まれたところは、バスが一時間三本くらいしか通らないくらいのガチ田舎だったからな。ぶっちゃけその頃は海というより都市の憧れが強かったよ」


 第三都市に入ればたとえ自分の地元だろうとも、それ相応の理由がなければ出ることは叶わない。

 一応家族間ならば電話くらいの連絡手段は許されているので、月に二、三回は実家、そして幼馴染の家の方へとかけている。


「まさかオレが警察のお世話になるんじゃなくてその警察に、しかも公安に入っちまうとはな……親父とお袋の驚いた顔が見たかったぜ」


 無論、異能課はその業務ゆえ、家族にでさえも自身の職業は偽らなければならない。一応玄光は外では公安のどこかの課に所属しているということになっているのだ。


「って、脱線しちまった。どうにかなんねーのかよ」


「海……浜辺があるのは北海道にある第一都市ぐらいね。良いわよ? 一人で弾丸旅行。必要な手続きと書類と色んなハンコを押して──そうね、向こうの受け入れが可能であれば早くても一ヶ月後には行けるわ」


「それじゃ冬になるじゃねえか! いやだよオレに寒中水泳して死ねってのか!?」


「あらよく分かったじゃない」


「くぅ〜最近の女子高校生怖ぇ!」


 その瞳だけで十分涼むことが出来るであろうアリシアの目つきに、玄光は体を震え上がらせる。だがしかしここで折れるわけにはいかないのだ。

 固く拳を握り締め、椅子から立ち上がる。


「ちょっくら真理さんに直談判してくる。どうか権力でどうにかしてください〜ってな。なぁにちょっと御幸の写真を渡せば折れてくれるよ。折木だけに」


「へぇ、それは面白い。詳しく聞きたいね」


「──って前にリースさんが言ってましたぁ! 冗談です!!」


 突如として玄光の背後にいた真理に、玄光は今は不在のリースに全てを投げる。というかは、元よりリースが愚痴で零した言葉なのだが。

 真理は面白そうに口角を上げると、一部始終を見ていたアリシアが口を開いた。


「珍しいわね、あんたがここに来るなんて」


「なに、こうしてちゃんとやってるかなと思って来てみたまでさ。それに、今やコラドボムの脅威は去り、目下の不安といえば来たる『選伐祭』での治安維持くらいなものだ。私でなくとも、そこで熱烈に語ってくれた玄光君のように、少しくらいは羽目を外したいと思わないかね?」


 じろり、と真理は蛇に睨まれた蛙状態の玄光に視線を投げる。

 久しぶりに――第二都市での任務以来に死を覚悟する玄光だったが。


「良いだろう。連れて行ってあげるよ」


「じ、地獄に?」


「あはは。君が望むのならばそこもやぶさかではないんだが……どうせなら赤黒しいものよりも、輝く美しい海色を見に行かないかい?」


 真理のそのなにか含みがあるまなざしに、玄光はごくりと唾を飲み込んだ。


 ◆


 そしてその日、御幸の買ったばかりの真新しいスマホに着信が入った。

 マンションの一室で黙々と自重トレーニングを行っていた御幸は一時中断してスマホを手に取る。


 着信欄には山田玄光と表示されていた。

 いの一番にと御幸のメアドと電話番号を教えてくれとせがまれてから、数日、一日に一回以上は彼の電話に出ている。


 やれ、また今日はなんだ。

 昼飯はすでに済ませてあるから、一緒には食えないぞ――


「助けてぇぇぇぇぇぇ!! 御幸ぃぃぃ!」


「……今度は、また、なんだ? 今日は真理たちと一緒に海に行くんじゃなかったのか?」


 轟く悲鳴に耳を抑えながら、御幸はスピーカーモードにして服を着替える。

 どちらにせよ、自分が必要だと思ったゆえの行動だ。

 なんだかんだ言っても、こういうところが御幸の良いところだった。


 玄光は何かから追われているのか、荒い息遣いのまましゃべる。


「御幸さっ、お前っ『新都島にいとじま』分かるか?」


「『新都島』? ……あー、えっと、なんだっけ。いや、どこかで聞いたことはあるんだが……新しいゲームのタイトルか?」


「うぉおい! 地理歴史の範囲だ! 第三都市が保有している人工島!」


「人工島……ああ思い出した。あそこか」


 必要最低限の現金を握りしめて、靴を履いて御幸は外へと出た。

 意外と博識な玄光に素直に尊敬する。

 そういえば玄光、大学は行ってないけど普通に高校の時も成績は良いほうなんだっけ……?


 まさかのインテリ系ヤンキーだったとは。


「マジ、お前の期末考査が心配だぜ……」


 少しばかりトーンを落とす玄光に、御幸はむっとする。


「お前には関係ないだろう……それで、その島がどうした?」


 しかし何だろうか、今、玄光の声量が弱くなったからか電話に違和感を覚える。


「いやさ、そこが真理さんが連れて行ってくれたところなんだけどよ! 海に入る前にやってほしいことがあってって言われて――」


 その時、ようやく違和感が分かった。

 羽音だ――虫の羽音が後ろから聞こえる。

 それも結構な数の羽音だ。まるで羽虫が大群で襲い掛かっているような、そんな音が――。


「お前、もしかして虫に追われてるのか?」


「そうだよ!! なんだよこの島! 手つかずの自然! 大量の虫! 少し整備しろって言われても無理があるぜこりゃあよぉ!!」


 御幸はそれでようやく納得した。

 なるほど、真理の考えそうなことだと。

 なにか失礼なことを言って怒らせたのではないのか。


「アリシアは? アイツもいるだろう」


「アリシアは『私、虫嫌いなのよね』の一言でパスしやがった! 今いるのはオレと創一くらいだよ! んでもって、今創一が蚊に刺されすぎてダウンしたところだ! 貧血にもほどがあるだろ!」


 焦っているのか、玄光のツッコミの速度とキレが増している。

 背負っているのか、さらに息が弾む。

 なるほどと、御幸は縁を上に乗って、そこから飛び降りた。


 宙に舞う感覚、体中の血液を全て置いてきぼりにするような感じに、御幸の思考は涼まる。


「御幸? なんか後ろすごい音が聞こえるんだが」


「お前ほどじゃない。……今からそっちに向かうが、着く頃には夕方になるな」


「やっぱりか。んまあ、オレは海さえ楽しめればいいんだけどよ。あいつもいるしな」


「あいつ……?」


 玄光にしては珍しい、誰かへの愛が籠った言葉だった。

 それを最後に電話が途絶え、御幸は人目のつかないところへと着地する。


「さてどうするか」


 ここからどうしようか。

 飛行機か、船か。早いのは飛行機だが、船ならばすぐに出発できる。


(だが人目がな……一応この『カード』見せれば話は別なんだろうけど)


 一応、公務員である御幸たちには専属のカードが与えられている。

 以前玄光がもらっていたあの名刺だ。

 あれには非常時の最高監督の特権が与えられている。要するに、水戸黄門の印と同じ効果があるのだ。


 しかし流石に、こんな遊びの用でわざわざ出すのも忍びない。


「時間……距離を圧縮か」


 ぶつぶつとつぶやく。こういうことになるなら、御幸も面倒くさがらずさっさと行けば良かったと今更ながらに後悔する。


 どうすれば短い時間で、長距離を移動できるか。

 それは自分の能力を使えれば出来ることだ。可能な行動だ。


 少ない制限時間内で、最大限の運用方法を模索する──それが御幸の目標だった。


 以前までの御幸ならば、空を飛んでそのまま新都島にでも行けたのだが。

 しかしそれをするにはあまりにも時間が足りなさすぎる。

 自身の能力を最大限、効率よく使う──なまじ最強すぎるあまりか、その方法に関して全く練習してこなかったツケが回ってきた。


「圧縮……圧縮か」


 しかしながら──御幸は知っている。

 あの時、最後の力を振り絞りおのが能力でその領域を『時空間』にまで到達させたことを。


「要するにあれと同じことだ。──無論、今回は逆行ではなく『圧縮』なのだがな」


 第三学園に来てから御幸は多くの才能溢れる若き能力者たちをみてきた。

 弱い能力でもその運用次第では大きく化ける──その最たる例が冷福寺零夜れいふくじれいやと、今も眠り続けている白紙楼禊はくしろうみそぎだろう。


 彼らの戦い方をみて学び、御幸も彼らに習って自身の能力を更に高める。

 己が能力の造形を深め、弱体化した今でも、皆に遅れを取らないように──。


「『零行動タイムブレイク』」


 その刹那、御幸の体が消え去った。


 ◆


 同時刻。何かが迫る感覚に玄光は顔をあげた。

 しかし青い空にはなにもなく、当然ながらまだ昼のため星も月も出ていない。


「しかし途中で充電が切れるとはな……ったく不運極まれりだ」


 ここら一帯の整備──有体に言えば、生い茂る雑草の排除なのだが。

 炎や切断系の能力者ではない玄光にとっては地獄だ。芝刈り機などを駆使してやっているが、一時間経ってまだ二割しか終えていない。


「だけど、せっかく真理さんが無理してここに連れてきてくれたからな……『アイツ』のためにも頑張らねえと。よっしゃ、ファイトーー!!」


 自身を鼓舞するために、両手を突き上げて真っ青な空に万歳すると──。


「そう頑張るのもお前も美徳なのだろうが、少しは誰かを頼ることを覚えろよ、玄光」


 彗星の如く、何かが飛来し砂場に着地した。

 濛々と砂煙が辺りを舞う。その中で、一人の人影があった。

 黒──それは黒だ。黒色の人影、いや、黒色の服を着た少年だ。


「『零行動タイムブレイク』──時間を圧縮し、零に近い速度で移動する技……思った以上にシビアだったが、どうやら無事に着けたようだな……予め日本地図を見ておいて良かった。これで海に墜落したらひとたまりもないからな」


「み、御幸……」


 やがて煙が晴れてきた。そこにいたのは、足だった──え? 足?


安心しろ、俺が来たモゴモゴモゴモゴ、モゴモゴモゴ!!」


「御幸が埋まっとるーーーー!!」


 そこには上半身が砂浜に埋まった、御幸らしき人物があった。


(『そうだ海へ行こう(中)』へと続く)














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