深燈栞という後輩


「お久しぶりです……深燈栞です。これからよろしくお願いしますね……か、神代先輩」


御幸にとって深燈栞という少女は、初めての後輩だった。中学二年生に進級した御幸は、未だ自身が能力者ということを隠していた。彼女は文芸部の部活の際にやってきた、唯一の一年生だった。


文芸部には御幸合わせて三人しかいない。



彼女と最初に出会ったのは御幸が中学二年に上がる冬頃だった。それからたまに出会っては軽い会話を繰り返し、元々引っ込み思案である栞はその後ことある毎に御幸の元へとやって来た。

ミステリが好きで、可愛いものに目がなく、小動物が好きで……そんなどこにでもいるような少女に、御幸も徐々に心を許していった。


「全く、御幸ちゃんったらモテモテなんだから。羨ましいぜこのやろう」


御幸が所属する文芸部には一人の先輩がいる。

三年一組に所属する男子生徒であり、この学園の現生徒会長──。

それがこの少年の肩書きだった。


御幸と同じくらいの背丈であり、黒色の学ランがよく似合っている。

子供っぽい雰囲気だが、たまに見せる大人びた風貌に女子からの人気は高い。

実際これで三年間も生徒会長になっているから、人望はかなり厚いことがわかる。

この文芸部を存続しているのも、彼が生徒会長だからこそだろう。


彼は人をちゃん付けで呼ぶ。それは男でも女でもそうだ。

人を舐めているようで、そんな思わせぶりな態度も白々しい。

どこか胡散臭く見えてしまうが、しかし彼は御幸の大切な友人


「そういえばまた一人、この町で出たようだよ」


「なにが?」


「――能力者。どうも非戦闘系の能力者らしいんだけど、怖いったらありゃしないよね、全く」


各都市が設立されたとはいえ、依然として都市には入らずにひっそりと隠れて暮らしている能力者は多い。地元を離れ都市に行くことを恐れているのか、最近では『都市では能力者を使って非人道な実験をしている』だなんて都市伝説もある。


「○○はどう思う? 能力者について」


「個人的には嫌いかな。そういう生まれ持った才能で他人を傷つける人たちは、嫌いだよ」


「だが、さっきの話みたいに、人を傷つけない能力者もいるじゃないか」


「うーん、だからね御幸ちゃん。存在するだけで人を傷つけるんだよ。それが才能であれば努力次第でどうにかなるかもしれないけど、一般人が能力者に勝てるわけがない――能力犯罪者なんて、その最たるもんだよ。生きてていい価値がない」


「それは――言い過ぎだ。能力者も人間なんだから、基本的人権はあるはずだ。それに傷つけない人なんかいない。俺もお前も――何かを傷つけて生きているんだ」


「ははは、痛いところを突かれたよ。まったくもってその通りだ――だけどそれは当人の自己満足にすぎない。自分を美化しなければ生きていけない愚かな人間の考え方だ……だからボクは嫌いなんだ。人が、人間が、自分が、他人が、能力者が、才能を持って生まれた人が――人間なんて、生まれながらの悪なのに」


「それは違う。俺は人の善性を信じる。本人に改心の意志がある限り、人は変われるんだ」


「……青いね。未熟すぎるほどに青い。ホント、君とは意見が合わないな――そういうところが好きなんだけどね。ボクとしては」


最後に、○○は御幸にいう。


「その言葉、忘れないでよね――人間は悪だよ。どうしようもなく、救いようがなく、生まれてきたことが間違いだったくらいに。歪んでる」


別に、この一言で御幸との間に確執が生まれたわけではない。

その翌日にも御幸と○○は出会い、話をして、栞とともに帰りにファストフード店で○○の奢りになったものだ。


独特の思想を持つ○○と、善性を信じる御幸。

相対するようで、二人は友人だった。

だってそうだろう。彼らは非能力者であり、学生なのだから──。


だが、そんな青い青春の思い出は、一月の雪が降る季節で終焉を迎えることとなる。

そしてその日、御幸は──。


==


御幸の持ち家の一つであるこの家は、二階建ての質素な造りをしている建築物だ。

古くもなく新しくもない。内装は最後に別れた時と変わらぬまま、私物もあまり置いてない様相は、まだぬくもりが残っている澪の自宅と比べて幾分か寂しい。


いや、むしろこれが当たり前かもしれない。

栞の実家は今や解体され、私物らしい私物のほとんどはあの場所に置いてきてしまったからだ。逃げるようにこの都市にやってきた少女を迎えられるのは、この家しかなかったのだ。


「驚いたな。よく綺麗にしてある。もうちょっと汚しても良いぐらいだ」


御幸は荷物を床に置いて、四角いテーブルにある椅子に腰掛けていた。

観葉植物がいくつか置かれており、棚には御幸が持ってきた仕事の書類などが丁寧にファイリングされている。だがこれでは『家』とは呼べないだろう。これでは仕事場だ。


「何か写真立てとか、それこそ趣味のものを飾ると良い。ここはもうお前の家でもあるんだから──」


そう言いかけて、ハタと御幸は気づいた。

栞にとっての家はまだ、あの住民たちによって取り壊された家なのだろうか。

あの事件からまだ一年しか経過していない。

あまり踏み入ったことを言うには、まだ彼女は幼い。


──彼女の中ではまだ、自分の家族は生きていると思っているからだ。


視線を彷徨わせる。

広いリビングにはテレビとソファがある。

贋造の観葉植物は照明のLEDライトを反射させていた。


壁掛け時計、カレンダー、続けてベランダの方に視線を向ける。

外は曇り空だが雨が降る気配はない。

まだ洗濯物であるタオルやらが干されてある。

タオルだけかと思ったが、外側だけらしい。外から見えないように干されてあったのは――。


「せ、先輩! 見ちゃダメです!」


栞が顔を赤くして慌ててカーテンを閉める。


「その、えと……すみません、取り込んでもいいですか?」


ぷるぷると震えてそう言う栞に、遅れて理解した御幸は、その顔に手を当てる。

そうだ。ここは御幸の家であっても、今現在住んでいるのは栞だ。

だから当然下着を外に干すのは当たり前であり、配慮がなかったのは御幸のほうだ。


「すまない失念していた……少し外にいるよ」


「は、はぃ……」


御幸は玄関から外へと出て、空を見上げる。

曇り空、灰色で重苦しいくらいの曇り空。


こういう時、リースなら煙草でも吸って気分を入れ替えるのだろうか。

創一なら、自身を鼓舞するか誰かに冗句を言って気持ちを整えるのか。

アリシアなら、きっと何もしなくても精神を、心を静められるだろう。

玄光も、きっとそうかもしれない。案外、速く切り替えられるのかも。


御幸は――御幸には精神を静めるやり方を知らない。

御幸とて人間だ。そして思春期の真っただ中にある。

当然として、気に入らないやつもいるし、話したくもない、最低な奴だと思う人物もいる。


だけどそれらを表に出すことはない。


殺して納得させて蓋をして我慢――我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢。


「……まま、ならないな」


だが、それはあくまで他人にだけだ。

傷つける覚悟をして打ち明けるだろう。

栞は御幸の大切な後輩だ。彼女のことを親しく思っている。


だが、それと同時に負い目を感じている。

彼女と相対することで、御幸は過去の罪過トラウマと向き合わなければいけない。


「せんぱーい、終わりましたのでどうぞ、上がってください」


二階のベランダから栞の声が響く。

御幸は小さく嘆息をはいて、玄関の扉を開けた。


「先輩、まだお昼食べていないようでしたら、一緒に食べませんか?」


「ああそうしよう。どこか行きたいところはあるか?」


 四角いテーブルの近くにある椅子に腰掛けていた。

 御幸の言葉に、栞はいえと、少し気恥ずかしそうに言う。


「最近料理の勉強をし始めて……オムライス、お好きですか?」


「オムライス? 俺に嫌いな食べ物はない。栞が作ったものはなんでも食うぞ」


栞は嬉しそうな表情を浮かべて、キッチンの方へと向かった。

何か手伝おうかと思ったが、栞は「そのまま休んでいて下さい」と言われ、おとなしくソファに座りなおす。


「……」


鼻歌まじりで調理をする栞の姿は最初の時と比べて大違いだ。

その姿を見て、御幸は薄く微笑む。

やがて、いい匂いとともに二人分のオムライスを運ぶ栞が現れた。

御幸は立ち上がり、二人分のフォークとコップを出す。

冷蔵庫から冷えた麦茶を取り出し、並々と注ぐ。


「なんだか懐かしいですね」


「ああ。そうだな」


御幸が異能課で本格的に活動する以前は、御幸はここで栞とともに暮らしていた。

変わったのは栞がここまで成長したことだろうか。

以前まではお弁当だったものが、手作りの料理へとなっている。


いただきます――。


御幸はオムライスを口に入れた。


「美味い……!」


「ほ、本当ですか? よかったぁ……」


決してお世辞を言っているわけではない。

ふわふわとした半熟の卵、トマトライスの酸味とソースとの相性がよく、パクパクと食べてしまう。

いかにジャンキーな食生活を送っている御幸でも、別に味バカというわけではなかった。


「美味いよ。栞は良いお嫁さんになれるな」


続けて、以前創一に教わった女子を褒めるときに使う言葉を早速使用する御幸。

ちなみにというか、やはり意味はしらない。


「え、それって……はわわわわ……」


栞はなぜか顔を赤らめ、無心にオムライスを食べている。


「先輩はいつまでここにいられますか?」


「そうだな……明日の昼くらいには帰るよ。まだ片づけていない宿題とかがあるし――」


その瞬間、栞の顔から笑顔が消えた。

あの事件以降、栞は学校にまつわる単語を聞くと体調が悪くなる後遺症ができた。

いわゆる精神的なショックゆえのものなのだが――最後に別れたときは完治しているわけではなかったが、改善の兆しは見えた。


「……学校、行ってるんですね、先輩。その髪となにか関係……あるんですか?」


「ああ――」


かいつまんで栞に事情を話す。栞の表情は重たいままだったが、泣きわめくなどのことはしなかった。


「お疲れ様です、先輩……電波塔の報道は私も見ましたが、まさか先輩がかかわっているとは……」


「ああ。大変だったが、アリシアや玄光……異能課の仲間メンバーに救われたよ」


感謝してもしきれない。特に玄光に至っては、彼なりの正直さに救われた部分もある。


「栞……今度、新宿に来ないか? 新しい友達を紹介したいんだ。勿論、異能課のメンバーも」


この町もいいところだが、やはり人と接する機会をもっと増やした方がいい。

御幸の提案にしばらく黙り込んでいた栞だったが、やがてなにか決心したような顔つきになり、コクりと頷いた。


「先輩、今日は一日中私と遊んでください……約束しましたよね?」


遅めの昼食が終わり、御幸と栞は立ち並んで皿を洗っていた。


「そういう約束だったな……どこに行きたい?」


最後に別れた時に取り付けた約束――しかし御幸にはこれと言っていい場所が見当たらなかった。

また映画館というのも何だが違うだろう。


どうしたものかと決めあぐねていると。


「水族館! 水族館に行ってみたいです!」


いつもは控えめで御幸の決定を待つことが多い栞から提案が来た。

さして断る理由もないため、御幸はああと頷く。


「それじゃあ行こうか――栞」


少しして、身支度が出来た御幸は同じくして白いワンピースに着替えた栞の手を取る。


「は、はい!」


扉を開けて、二人で歩く姿は仲睦ましく――。


「……なによイチャイチャしちゃって!!」


その遥か後方で嫉妬の炎を燃え上がらせるアリシアと、連れてこなければ良かったなと冷や汗を浮かべている創一の二人の姿があった。











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