深燈栞
「いやー! 今日はありがとう我が友よ!」
週末。御幸とアリシアはまたもや例の映画館に来ていた。
無論ただの映画ではない。今回はむしろ特別であり──映画試写会に呼ばれたのだ。
その映画は何を隠そう異能課唯一の好青年であり兼業人気作家、白馬創一のベストセラーであるラノベが劇場アニメ化したため、作者である創一はもちろんのこと、特別枠として御幸とアリシアも呼ばれることになったのだ。
「いえ。俺も久しぶりに楽しめましたし、ありがとうございます」
映画は二時間半。原作を読んでいる御幸だが、映画化した場面はシリーズでも一、二を争うほどの名シーンがあり、文章だけでも多くの読者の心を動かしていたが、それが映像になり、なおかつ作画も申し分なかった。
これなら直ぐに大台は突破するだろう……というのが御幸の感想だった。
「ほんと、なんでコイツが公務員にいるのか訳分かんないってぐらいよ」
アリシアもいつもの悪態では隠し切れないほど、彼女にしては珍しく創一を褒めていた。そう言えば以前、彼女と共に映画を観ていたこともあったが、そのアリシアをも心を揺さぶられたと考えれば上々なのではないだろうか。
「ははは。ありがとう、やはり自信はあるとはいえ怖いものは怖いからね……うん、やはり連れてきてよかったよ」
創一はその職業柄、多くの中傷やアンチといったものと向き合う必要がある。世間的には人気作家でも、アンチのいない作家は存在しない。
そもそも創作物に完璧なものなど存在しないのだから、ある程度は仕方がないのかもしれない。
──中には、創一が能力者という事だけで叩いている奴らも存在するのだ。
何も全てを受け止める必要はないのでは……それで精神を病み、何も手をつけられなくなった過去の創一を知っているからこそ、御幸は少しだけ心配してしまう。
そうやって心を閉ざしてしまった人物を、一人知っているからこそ──。
「……すみません創一さん。俺、これから人と会う約束をしているんで」
「ああそうだったね。タクシー呼ぼうか?」
「電車で行くんで大丈夫ですよ」
「いやいや、それくらいさせてくれ。何、お金ならたっぷりあるんだ。日本一周だって出来ちゃうぞ」
タクシーで日本一周はあまりみたこと無い考えだが。
しかしまあ、確かに遠いと言えば遠い。
ここから電車で行くなら二時間は掛かるだろう。
ここは素直に甘えてみようではないか。
「へいタクスィー!」
万札をぴらぴらと振ってタクシーを停める創一。
「それじゃあ僕はアリシアちゃんとデートでも行こうかな」
「気持ち悪いわね。帰ろうかしら」
創一のジョークにアリシアの双眸が冷たいものへと変わる。
それにビビり散らかす創一。平常運転な二人を見つめながら、御幸は車内に入った。
行き先はどこですか、と白髪のおじいさんは優しく搭乗者である御幸に問う。
その後、御幸を乗せたタクシーは緩やかに発進した。
「……それで、わざわざ私を呼び寄せておいて、一体なんの用よ」
「まあまあ。まずは場所を変えようか、話はそれからだよ」
創一はあらかじめ予約しておいたタクシーを近くに停めていたようで、その中へと入っていく。
「……?」
僅かに訝しむアリシアだったが、仕方なしに彼女も乗り込んだ。
「予定通り、あの車を追って欲しい」
運転手に一言そういって、創一は後方の席に座る。
運転手はこくりと頷き、アクセルを優しく踏み倒した。
「ちょ、ちょっとあんた、本当にどこに行くつもりなのよ? さっきの車って……もしかして」
「ああその通りだよアリシアちゃん。御幸君を『尾行』する」
「意味が分からないのだけれど。御幸は何かの作戦中なの?」
「いいや。これは僕の個人的な興味さ」
創一は窓の向こうにある景色を眺めながら、それにしてもとアリシアに笑いかける。
「全く、彼も罪造りな男だよ。こんな数ヶ月も渡って女の子を一人ぼっちにさせるだなんて」
「お、女の子……!?」
「そうだよ。御幸君の実家──詳しく言うなれば、彼の母親の持ち家には現在、一人の女子中学生が住んでいる」
「ふ、不健全よ……! 女子中学生を同居させるだなんて、そ、そんな……」
顔を赤らめさせてアリシアはふるふると顔を横に振る。
確かに、御幸は天然さえ無ければ、顔だちもそこそこ良い。
金遣いは荒くないし、何なら極力まで使うことを避けているまである。
何か嫌なことがあっても、話せば分かってくれるだろうし、中々の優良物件だ。
「だけど……」
アリシアからみて、御幸は中々の朴念仁だ。
それにもし分かったとしても自分を激しく律する彼のことだ。
丁重に断るか、いやしかし流石に同居させるのは……。
「別に……あいつに女がいたって……」
髪の毛を弄りながらアリシアは目線を下に向ける。
創一は彼女に自身のタブレット端末を渡しながら言った。
「まあ、あと少しは折木さんの頼み事かな」
「真理の……それって一体──」
今日は晴れと天気予報は告げていたが、今や空の片隅には分厚い雲がのし掛かっていた。通り過ぎていく景色を見ながら、アリシアはタブレット端末へと視線を下に向ける。
「
そこにはDAカードに記載されているような個人情報が載っていた。
証明写真、自宅の住所、略歴、スリーサイズまでもが記載されている情報に、アリシアの目は上から下へと上下する。
「嘘……」
そしてとある事実に目を見開いた。
「そう……彼女は──」
「私より大きい……? 中学生なのに!?」
「あれー?」
自身の胸の方に視線を寄せるアリシア。
およそDと呼べるその代物よりも僅かばかりにサイズが大きい。
いやいや、こういうのはただ大きければ良いものではないと、以前澪がそう熱烈に語っていたことを思い出す。
「そ、そうよ……大事なのはバランスよ、バランス……」
「僕は聞かない方が良かったかなー……無視する方向で進めるよ」
少し暴走気味になるアリシアを、取り敢えずは無視する形で抑え込んだ創一は、こほんと空咳をしてから彼女に問う。
「御幸君が中学を中退していたのは知っているかな?」
「ええ……でも中退って、そもそもアレは中学そのものが廃校になったからでしょう?」
御幸は、その強大な異能ゆえに制御を完璧に扱わなければなら無い。その為御幸は幼少期から過酷とも呼べる鍛錬を積み、その最終試験として三年間、御幸を無能力者として過ごすことになった。そしてリース・エリックを付き添いに、中学は都市外の県立校になった。
だが御幸が中学二年に進級した時である。
その年明けの一月十三日。
その日、市立焔川学園の校舎が半壊し、そして七十名近い生徒が突如として『行方不明』となり、事実上の廃校となったのだ。
なんとか真理の手腕で中学卒業と認定はされたが、その為御幸の学力は中二の時から成長していない。英語だけは海外任務もあった為、ある程度の会話は可能だが、あくまでもそのくらいだ。
「あの時、あの場所には御幸君がいた」
「──あり得ないわ」
否定する。
「あり得ない」
否定。
「だってあの御幸よ? どんな時でもうざったいくらい冷静沈着で、禊との戦いだって能力の暴走はなかった」
御幸は自身の能力に絶対の自信を持っている。
少しでも出力が狂えば大惨事になることは分かっているのだ。
ゆえに御幸は常に感情を堪えなければいけない。怒りを発露してしまえば、圧倒いう間にこの第三都市は文字通り崩壊する。
「その御幸君でさえ、感情を抑えきれなかった出来事が起こった――あくまで可能性の域を出ないけどね」
先日の真理との会話を思い出す。
そう、あくまでも可能性の話だ。
確かに御幸は同年代より遥かに達観していて、精神年齢が高い子だ。
だがこうとも受け取れる──。
(あの事件が起きたからこそ、御幸君は更に自らを律するようになった……?)
可能性の域を出ない。だがあり得ないと断定するには少し早い。
だがそうだとしても、最近の御幸の行動は徐々に変わっていっている。
異能課にいる時間が短くなり、同世代の子たちと触れ合い、彼は成長した。
(全てはこの栞ちゃんが握っている……)
創一は先日の真理との会話を思い返していた。
『僕がアリシアちゃんを連れて、御幸君の護衛を……?』
『ああ。いくら情報を規制していて、なおかつこの事実を知っているのは我々ぐらいしかいないとはいえ、念には念を……だ。この機会に乗じるいけ好かない奴を、私はかつて一人だけ知っている』
『いけ好かない奴……ですか。貴女にそんな感情を抱かせる人が存在するんですね』
『おいおい別に私は聖女でもなんでもないよ。気に入らないやつには態度を変える、どこにでもいる人間だ』
正しくは、真理の機嫌を損ねた人物がまだこの世に存在するとは――という趣旨の発言だ。彼女は自身の脅威となる存在を徹底的に排除する。朝戸首相の一件は確かに真理を怒らせてはいたが、彼は日本にはなくてはならない人物だ。彼以上に愛国心がある首相も珍しいだろう。人間性は褒められたものではないが、彼の政治的手腕は真理も高く評価している。
となれば、その人物は真理の計画に必要な存在なのか。
それか。
――あの真理でさえも戦うことを避けるほどの実力者なのか。
「一体折木さんはなにを考えているんだ……」
「あ、どうやら着いたみたいよ」
高速道路を使って、ここまで約二時間。
辿り着いたのは第三都市の境界線付近に位置するところだった。
閑静な住宅街、はるか前方から停車したタクシーから御幸が降りた。
「ずいぶん警戒しているようね」
アリシアたちもタクシーから降り、御幸にバレないように後ろから着いていく。特異課に所属しているだけあって、アリシアたちの尾行は大したものだが、普段の御幸であればこの距離でもバレてしまう。しかし弱体化した今、御幸に感知されることなく近づくことができる。
御幸はとある二階建ての家の前に佇むと、その場から動く気配を見せない。いや、少しばかり体が揺れていた。
「ああ。そりゃあそうだろう。なんせ彼にとって彼女と会うのは実に数か月ぶりだ。ほら、さっそく家の前で右往左往しているよ」
「もどかしいわね……」
少しはなれた塀の影。アリシアたちはそこから御幸を観察する。
一体どんな少女なのだろうか……写真で見た彼女の顔立ちは整っており、御幸とよく似た白色のショートヘアーと翡翠色の瞳をした、可愛らしい少女だったが。
その内、御幸はまるで決心したかのような顔つきになり、インターホンを押した。
「自分の家だってのに。そういう律儀なところは変わらないなぁ」
創一ののほほんとした発言はアリシアの耳には届いていなかった。
玄関付近を凝視する。
やがて、カチャリと鍵が開く音がして中から一人の少女が顔を出した。
「――しお、り」
灰色と翡翠色の目が合う。
御幸は手に持っていた鞄の方へと見ながら、続けて自分の変色してしまった髪に触れる。
「えと、あの、その遅れてすまなかった。この髪は少し色々あってだな……あ、あと色々お土産を買ってきたんだ。いや、その前にこれじゃ誰だか分からないよな。俺は――」
「先輩……ですよね」
顔だけ覗かせる少女は、やがて扉を開けてその姿を見せた。
白色の薄いワンピース、黒色のスカート。
なんと言うか、自宅でくつろぐ時のアリシアの服装に似ている。
「よく分かったな……流石、栞だ」
「……っ先輩!」
栞と、そう呼ばれた少女は駆け出して御幸に飛び付いた。身長差ゆえ、御幸の胸に彼女の顔が当たる。
「きゃー」
「なんでアンタが恥ずかしがってるのよ!」
赤い顔で両手で目元を隠す創一にアリシアは思わずツッコミを入れる。
だがアリシアは知っているのだ。御幸は女性からのアプローチに気づかない。過度なスキンシップを拒む男ということを。
故にやんわり引き離すだろうと安心して見ていたが――。
「ずっと、ずっと会いたかったです……先輩、先輩、せん……っぱい」
御幸を感じるように、堪能するように顔を押し付ける栞に。
「すまなかった。栞……」
御幸はなす術もなくそうされるがままにして、空いた右手で彼女の頭を優しく撫でる。
その顔はこちら側には見えないが、彼がそのような態度を取る女性など見たことがない。
「……なによ」
ムカつく――こんな感情を持っている自分に、腹が立ってしまう。
(別にあいつとはただの幼馴染なんだから――)
それ以上でも、それ以下でもない。
ただの施設の同期で、ただの仲間だ。
それだけの関係で良かったはずなのに――。
「……ばか」
家の中に入っていく御幸を見ながら、アリシアは自分でも気づかないくらいの小さな声で、そう言ったのだった。
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