自己犠牲の精神
異様な空気が辺りを包み込む。
間違いようがなく、否、やはりというべきか、この男は能力者だ。
御幸は自身の異能を用いて、事象を解析し始める。
(操作系統の能力者──だが、異能課のデータベースにこんな能力者いなかったはずだが)
空間に作用する能力は大変貴重で、その分だけランクが高い。
そしてもしも悪用するとなれば危険極まりないので、そういう『危険な能力』を保有する能力者は予めリストアップされているのだ。
……実は授業では暗記科目が不得意で、常に社会科などといったテストでは実は赤点を取ってる御幸だが、それは能力を使用していない時だ。
能力を使用すれば自身の脳に直接書き込むことなど造作ではない。
故に、重要な作戦や危険人物といった大事な件は御幸は絶対に忘れることはない。
だが、いくら御幸の記憶を探ってみても、該当する能力者が見つからないのだ。
(最近ここにやってきた能力者か……? いや、それならば異能課に連絡が行くはずだ。それならば俺の方にも情報が伝わっているはず)
更新されていない新たな能力者である可能性は極めて低い。
御幸は相手の素性を知ることを諦めて、早々に決着を着けようと思考を切り替える。
ここまでで既に三十秒。
一度に使える能力の使用時間は約三分。
能力を全力で使えれば、そして不意打ちであれば数秒で事は片付く。
だがそうなれば、斎や玲央を含むすべての人々に怪我を負わすことになるだろう。
(それに──あの男が暴れでもすれば、近くにいる人たちが危ない)
もしも防げたとしても、御幸の能力には時間制限がある。
インターバルの一分間、その時間だけ御幸は『一般人』へと戻る。
その間、御幸は自分の身を守ることさえも出来ない。
──ここは、なるべく相手を刺激しないようにするのがベストか。
「『チート能力者』だと……? ふざけるな、まだ子供ではないか。私が要求するのは『世界最強の能力者』だ。怪我を負いたくなければ、さっさとこの場から立ち去れ」
「それは無理な話だな」
周囲の人に聞こえない程度の声量で御幸は答える。スイッチを見せびらかしながら、距離を図られる。少なくとも主導権はこちらにあるということを証明されている。
「目的はなんだ。その者を捕まえて何がしたい」
「私はただ知りたいだけだ。どういう理念で奴が犯罪者を取り締まっているかを」
「どういう理念で……?」
意外な理由に御幸は立ち止まってしまう。
どういう理念で――その言葉に驚いたわけではない。寧ろその問いに関して御幸は直ぐにでも答えられるであろう。だがそれ故に、御幸の脳裏には不穏な想像を掻き立てられていた。
まさか――御幸の恐れていたことが起こってしまったのか。
(能力の使用制限もある。悪いが、ここは早々に制圧させてもらう)
御幸は再度能力を使用し更に加速させる。
そのまま肉薄しようとするが――。
「っ来るな!」
懐から銃口を覗かせた康二が、焦りを浮かべた表情で御幸をにらんだ。
通常の人ならばこれだけでも怯むだろう。至近距離で銃弾を避けられる人間はいない。如何に異能の都市といえど、近代兵器の脅威は落ちていない。
「なにっ!?」
だが相手は公安部異能課に所属する御幸だ。
銃武器の扱いには手慣れている。
既に目の前の男が発砲するのに躊躇することを見極め、そのまま加速し、その長い脚で拳銃を蹴り上げた。
宙に舞い上がる黒い拳銃。
男の視線がそちらに注視している間に、御幸は背後へと回り込み強引に組み伏せる。片手で男の両腕を掴み、対の手で拳銃を手に取る。
「終わりだ」
一瞬の制圧劇に周囲にいる人は次々に歓声を上げる。
だがもちろんこれで終わりではない。
いまだ電波障害は続いており、そしてこのモール全体を覆う障壁は解除されていないのだ。
(つまり複数犯――協力者がいるな)
それを最後に御幸の能力が停止した。
能力使用後の頭痛に顔をしかめながら、御幸は背乗りの状態から男を固定する。
この後は簡単だ。
その時、康二はゆっくりを顔を上げて、その顔を歪めた。
「私は……あの人のためにも、ここで終わるわけにはいかない!」
周囲の空間が歪み始める。
空間の歪みは、あらゆる物質の強度を無視して折れ曲がる。
御幸の片腕もその歪みに巻き込まれそうになり、即座に飛び退くが――。
「もう、これしかない。この程度の騒ぎで来ないようなら、もっと
康二は小さくそう言って、懐から箱を取り出した。
茶色い箱、そこから取り出すのは小さな注射器だった。
薄いピンク色の液体が中に入っている。
「なにを――」
制止する前に、康二はその注射器を己の首元へと刺した。
ゾワリ。
御幸の研ぎ澄まされた五感が訴える。
あの液体が男の体の中に注入される。空の注射器を落とし、男は耐えきれないように四肢を曲げ、地面に這いつくばった。
男の獣じみた咆哮とともに周囲の空間が歪みはじめ、それに伴い天井を支えている支柱が捻じ曲げ始める。
「『暴走』……!? どうして!」
今の注射器が原因なのか、能力を暴走させた康二に近寄ることさえできない。
歪みは周囲へと伝播していき、大きな揺れとなってモール全体を襲う。
御幸でも立っていられるのがやっと振動、普通の人ならばどうなのか――。
やがて揺れに耐えきれなくなったのか、天井を支えていた支柱の破片が落ちてきた。
その落下地点には、御幸と同じ学生服を着た一人の少女がいた。
まだ自らに襲い掛かる危険に気づけていないのか、それとも何かを探しているのか、床に手をついてその場から動けないでいた。
「――!」
気づけば、御幸は駆け出していた。
能力を使えない今の御幸は、おそらくこの場にいる誰よりも弱い存在であろう。
だが今まで培ってきた人助けの精神が、そんなことをどうでもいいと言っていた。
この身一つあれば、一人ぐらい助けられる。
「……だい、じょうぶか」
少女を庇うように、御幸は彼女を押し倒した。
その上から鉄屑が落ちる。
なんとか形状的に直撃は避けれたものの、頭に当たったのか、狐のお面から赤い雫が流れてきた。
「貴方は――」
「早く逃げろ……」
崩壊の影響で上からの落下物が多くなるだろう。
御幸は少女に、まだ安全な場所である地下の階段の方へと指差す。
「早く行け。俺は……平気だ」
精一杯声音を抑えて御幸は指示する。
少女は分かりました、と立ちあがろうとするが──。
「きゃっ」
揺れのせいか、それともパニックになっているからか。
中々思うように立ち上がれずに地べたに座ってしまう。
「焦るな、手を持つから、一気に立ち上がるぞ」
少女の柔らかな手を握りしめる。
「一、二の……三!」
張力で引っ張り上げることに成功した御幸は、ホッとした表情で少女と共に向かおうとしたが──。
その時、何か致命的な音がした。
違和感を覚えた御幸はすぐさま上を見上げ、目を見張る。
屋根を支えていた支柱が、悲鳴を上げながら千切れようとしていたのだ。
「──っく!」
右手をその方向へと上げて、能力を発動させる。
だがしかし。
(ダメだ! やはり能力が使えない!)
彼女を、手を繋いで彼女を向こうへと逃げることは不可能だ。
以前の御幸ならば、能力関係なしに彼女を抱き抱え、逃げることは可能だったが、今の弱体化した御幸にはそれはできない。せいぜい抱き抱えて歩くことが精一杯だろう。
(俺だけなら逃げられるが──)
──迷うまでもない。
御幸には次に起こる惨状をどうにかすることは出来ないし、それは少女も同じことだろう。今更だが、こうして近くで見てはっきりと分かった。
この少女を御幸は知っていた。
(
彼女は御幸と同じクラスの女子だった。
どうやら彼女もまたこのモールに用があって来たのだろう。このモールは大きいから、知人に出会うことは珍しくない。
彼女はSクラスの中で唯一の戦闘向きではない能力者ということで、クラスの中でも影が薄い方でもあったため少しだけ忘れていたが、もちろん彼女のことは覚えている。
それ故に、彼女が自身を守る術を持っていないことも、当然御幸は知っていた。
「天井が──きゃあ!?」
遅れて気づく廻に、御幸は彼女に覆い被さるように庇う。
既に千切れた支柱がこちらへと降っていたからだ。
無論、自己犠牲でやったわけではない。いや、自己犠牲の精神でやっているわけだが、生きてさえいれば御幸は、自身の能力で治療ができる。
ならばここは、あまり自分の回復が上手ではない彼女を守ることが先決だろう。
彼女は自分のクラスメイトであり、大切な学友なのだから。
次に会ったとき、できれば傷ついた姿は見たくない。
たったそれだけの理由で、御幸は次に来るであろう苦痛に、背後に来るであろう結末に覚悟していると──。
「全くよ、お前ったらいつもそうだ。──少しは自重しろっての」
声が、聞こえた。
やってこない痛みに、脅威に、御幸が振り替えるとそこには――山田玄光がいた。
降ってきた鉄骨を受け止めて、ゆっくりと下に降ろす。少し伸びた髪型、見ない間になんだか逞しく感じるその立ち振舞い。
「いや、お前……俺のことが」
「分かるに決まってんだろ。恩人の顔なんざ忘れねえよ」
御幸が玄光と最後に別れたのはあの電波塔の事件──約二ヶ月前だ。
その間一切の連絡を取らなかった二人にとって話したいことは山のようにある。特に玄光に至っては、それはもう語り尽くせないほどある。
「ここはオレたちに任せて、お前もさっさと逃げてくれ」
玄光の後ろにはリースが立っていた。
よっ、と軽く手を上げて挨拶するリースに、戸惑いながら御幸は訊く。
「ちょ、ちょっと待て。外にある障壁は? あったはずだろう、どうやって壊した」
「障壁ぃ? そんなもん無かったぜ。相手のハッタリじゃねえの?」
いや、確かに障壁はあった。
御幸の勘違いではない。確かに、あったはずなのだ。
(誰か能力を解除したのか……?)
分からないが都合が良い。
「そこの嬢ちゃんも、まあ今は危ないから出ちゃダメだけど、地下にいる人たちに伝えといてくれ。障壁は無くなったぞってな。あとオレたち公安が来たことも」
玄光は現状を知らないはずだ。
だが今、この現場を見てある程度は察したのだろう。廻はこくりと頷いて、御幸の方を見た。
「あ、あの……!」
「先に行け」
何か伝えようとする廻に、御幸はそれを制した。
あくまでも、今の御幸は謎のチート能力者なのだ。
「あ、ありがとうございました! チート能力者さん!」
「ブフッ!」
近くにいる玄光が吹いた。
御幸は顔が赤くなるのを感じつつ、ぱたぱたと地下の方へと走る廻を見送る。
未だに笑いをこらえる玄光に御幸がなにかを言おうとしたところで。
「――んで、お前はなんの用があってここに? つーかそもそもなんでここにいんだよ」
リースが銃を男の方に構えながら御幸に問うた。
「ここにいたのはただの偶然。向こうが俺のことを探していたから、訳を聞きたくてこの格好で前に出たんだ」
「……なんのためにお前を学園に置いたのか分からなくなるが、まあお前らしいっちゃらしいな。それで――」
リースが何かを呟こうとしたその時、暴走状態に陥った男の目が、御幸を睨んだ。
危険を察知した御幸は後方へと飛び退く、刹那、御幸がいた場所が、まるで歪んだレンズで見た景色のごとく歪んだ。
「……御幸、お前は逃げろ。お前はもう異能課の者じゃないからな。正体を隠したいんだったらそのほうがいい。ここは俺と玄光で十分対処できる」
「……」
リースや玄光の力を侮っているわけではない。
彼の狙撃の腕ならばあの男を殺さずに無力化することは可能だろうし、玄光もこの二ヵ月で大きく成長しているだろう。
「だけど――」
──だがその一方で、御幸の心中には不穏な翳りがあった。
あの男──名前も知らない、あの男は。
こんな大事件まで起こして、その理由が御幸の意図を聞きたい。
このような強行を起こしてしまうようなことを、自分はしてしまったのだろうか。
「……仕方ねえな。俺はまだ避難できないやつらを探しに行く。そのまま上階で狙撃のチャンスを伺うつもりだ。もしこのまま膠着状態が続いたらそん時は俺が
御幸と長い付き合いがあるリースは、そう御幸に言い残して停止したエスカレーターを駆け上る。御幸はその後ろ姿を見送りながら感謝しつつ、意識を引き締めなおす。
「玄光、俺が再度能力が使用できるまで――やれるか?」
隣に立つ御幸に、玄光は拳を突き合わせる。
「あたぼうよ! 見せてやるぜ、オレの成長っぷりをな!」
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