正義の執行者
「どうしてですか! どうして私の娘を殺した犯人が、死刑にならずにまだのうのうと生きているんですか!?」
それはとある夏の晩だった。
都合上、どうしても仕事に行かなくてはならなかった康二は、その日、娘と一緒に祭りに行くという約束を破ってしまった。
娘──杏奈まだ七歳で、それはもう大泣きで遂には父親殺しの『お父さんなんか大嫌いっ!』まで来てしまい、康二はその埋め合わせにと、帰り道に娘の好きなケーキを購入して家に帰ってきたところだった。
「大変よあなた! 杏奈が、杏奈がいないの!」
最初は家出かと思われたが、どんなに時間が経っても帰ってこない。
誘拐か、何かの事件にあったのではないのか。
そんな暗い想像が過り、康二は地元の警察に連絡、事態を重く受け止めた警察は真剣に彼女の身元を捜索した。
「私が悪かったから、頼むから見つかってくれ……! 神様、お願いします、杏奈を、私たちのたった一人の娘を返してください……!」
頼れるものならなんでも頼った。
普段は行かない神社にも巡ったし、時には裏の人間にまで頼ろうとした。
そうして時は流れ、一ヶ月が経過しようとした時。
遂に杏奈は発見された──冷たい、見るも無惨な遺体となって。
……犯人は近所に住む十七歳の少年だった。
康二たちとは一切面識がない──当たり前だ、彼は十三の頃から麻薬をやっており、引きこもっていたのだ。
あの時、杏奈は母親に黙って一人で外に出かけていた。恐らく康二と行けなかったお祭りに行っていたのだろう、と警察はそう見解を述べる。
そこで偶然にも、気晴らしに外出していた犯人と遭遇。犯人の自供からするに、その被害者である杏奈は、昔好意を寄せていた幼馴染とそっくりだったらしい。それで衝動的に彼女を拉致し、騒ぎ立てる彼女をうっかり殺してしまった。
どうして警察が一ヶ月も捜査に時間が掛かってしまったのか、それは偏に犯人が能力者だったからだ。基本的に能力者は発見しだい、各都市に配置される決まりだったのだが、家族と離れ離れになるのが嫌だという本人の意思から、今まで隠し通していたらしい。
ではなぜ犯人が逮捕されたかというと、どうやら別の事件に関与している疑惑があったことで、第三都市の公安が彼をマークしていたらしい。
そこで彼が能力者であったことが判明し、その後堪えきれなくなったのか、それとも良心の呵責故か自白し、現在に至る。
「そんなことはどうでも良い! 私が聞いているのは、どうして彼が死刑にならずに生きているかということですよ!」
そんなことはどうでも良かった。ただ今は、犯人が今も生きている──その事実だけで吐き気がする。
「それともなんですか、第三都市の司法は能力者贔屓ってことですか!?」
「い、いえ……そうではないのですが」
裁判を担当した弁護士が言う。
今回犯人は初犯であり、またそれも麻薬後遺症の精神的なものによるものだった。このまま自白しなければ捜査は難航し、危うく迷宮入りになりかけた。
そして何よりも──。
「犯人の逮捕に貢献した公安の異能課がね──更生の余地ありと認定してそれが決め手になった」
「そ、そんなバカなことが……そんな、ことが許されても良いんですか!? 人をっ、人を殺しておいて、そんなこと……っ!」
激情に駆られて机を叩く。
人様の人生を奪っておいて、狂わしておいて、自分はのうのうと生きている。
こんなことが許されて良いのか? 仮にも──正義の執行者だろうに。
犯人が憎い。更生だと? 人を殺しておいて、更生なんて出来るはずがない。
「……クソ!」
しかし康二たちには何もできない。
犯人に報復をしようにも、その当の本人は都市の中にいる。
そして何もできないことが二年も続いた。
妻は精神を病み、康二もあれから仕事をやめ、莫大な賠償金を切り崩しながら細々と生きていた。
しかしつい先月に、自責の念に駆られたのか、妻が投身自殺を図った。
それは失敗に終わったが、そこで康二は決意した。
――絶対に、復讐してやると。
普通の探偵では宛てにならないことを悟った康二は、今まで貯金していたお金を使って裏世界の人間とコンタクトを取り始めた。しかし思うようにいかず、幾度も騙されては金を失い、そうした結果、たどり着いたのはたった一つの絶望的な情報だった。
「犯人のその後は、公安部異能課が取り仕切っている。データベースは難攻不落で、たぶん康二ちゃんがどんなにお金を積んだって、無理だと思うな」
奇怪な少年だった。
可愛らしい見た目とは裏腹に、その瞳は鋭く、暗く澄んでいる。
まだ学生なのか、しかしその少年の発する異様なプレッシャーに、今まで様々な裏世界の『ヤバい奴ら』に出会ってきた康二はただ押し黙っていた。
少年がいるのは街外れの廃ビルの一角で、その部屋にただ一つあるソファに腰掛けており、その両となりには護衛なのか黒服の男たちがいた。
それだけでも奇妙なのだが、最大の奇妙さといえば、やはり隅に座っている女の子のことだろう。
(この少年が、裏世界を牛耳る男だっていうのか)
「でも、それでも……私にはやらなければいけない」
お金だけの問題ではない。これは、
「杏奈ちゃんの弔い合戦でもしようっていうの? 相手は国だよ。敗北すれば君は大罪人だ。そんなこと、杏奈ちゃんだって望んでいないと思うけど――」
うるさい、お前になにが分かるというんだ。
まだ子供のくせに――。
「だけど、その怒りはとても正しい。そう、君は正しいんだよ。康二ちゃん」
「え……」
「君のせいじゃあない。杏奈ちゃんも、犯人でさえも悪くはない。悪いのはこうなってしまった環境であり世界だ」
少年は少しだけ口元を歪めて言う。
「犯人を救ったのは、世界最強の能力者とも言われている存在だ。君の手に負える相手じゃあない。無能力者で普通の君では――絶対に」
「それでも私はやる。せめて、その人の考えが聞きたい」
必要なことだ。
康二たちにとって、あの事件はまだ終わってはいない。
確固たる決意を聞いたその少年は、なにやら面白そうなことが起こりそうだと、新しい玩具を手に入れた無邪気な子供のような笑みを浮かべた。
「――良いよ。手伝ってあげる」
……それから少年の行動は早かった。
立て籠りに必要な物資、またそれに纏わる人材。
第三都市に潜入するための偽造パスポートなど、全て無償だった。
「どうしてここまでしてくれる。なぜ無償で.......」
その真意を聞きたくて、康二はその少年をあの時出会った廃ビルの屋上へと連れ出した。
「誰かの救世主になりたかったんだ」
ポツリと、その少年はそう言った。
その瞳は憂いを感じさせるようで、ビルの屋上から、夕焼けに染まる山々を望んでいた。
「僕はね、生まれた時から何かを犠牲にしていないと生きられないから、いつも何かを奪う側だったんだ。だから今度は施す側だよ。僕は救世主になりたいんだ」
内緒だよ、と少年は笑う。
康二はその姿を見て、胸を打たれた。
「……私にとって、貴方はもう十分救世主だ。安っぽい言葉かもしれないが──私を救ってくれてありがとう」
「ははは。それをいうにはまだ早いよ」
本心だった。
今まで誰も助けてくれなかった。ずっと暗い沼の底にいた。
だけどそれを彼が引き上げてくれたのだと確信する。
「絶対に成功して見せる。もしもその能力者が、私を納得させられなかったら──私は、たとえ差し違えてもその者を殺そう」
なぜか、そう思った。
次第にそれが自分の目的なんだとそう確信した。
悩む暇など、否、悩む必要などどこにもなかった。
だって。
私は悪くないのだから。
悪いのはこの現状を作った環境のせいで、世界のせいだ。
「そう……君は悪くない。その覚悟に賞賛して、君には特別な
少年はそう言うと、康二のその頭を掴んだ。
ずくんと、脳に送られる血液から何かを受け取る。
脳を書き換えられる感覚、何かを
灼熱する、まるで脳みそが溶けるような感覚に、意識が無くなるその間際。
「──これで君も立派な『支持者』だよ」
こうして、康二は
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